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もうひとつの911 [今日の暦]

今日、9月11日は、サルバドール・アジェンデ大統領の命日!です。1973年、あれからもう、40年になるのですね。

wikiの「チリクーデター」の記事から引用します。

東西冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデ博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデは大統領に就任した。なおこれは、南アメリカにおいて自由選挙で社会主義政党が選ばれた初めての例であった。
しかし、アジェンデ政権の行う社会主義的な政策に富裕層や軍部、さらにドミノ理論による南アメリカの左傾化を警戒するアメリカ合衆国は反発し、アメリカ政府に支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発した。そして、遂には1973年にアウグスト・ピノチェト将軍らの軍部が軍事クーデターを起こした。
首都のサンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共にモネダ宮殿に篭城したアジェンデは最後のラジオ演説を行った後、銃撃の末に自殺した。クーデター後にピノチェトは「アジェンデは自殺した」と公式に発言したが、実際にはモネダ宮殿ごと爆破されたため、当時は誰も遺体を確認できなかった。
モネダ宮殿に籠城したもとでのアジェンデ最後の演説では、徹底抗戦の姿勢が示されていた。このため一時期反乱軍によって殺害されたのではないかとの意見もあった。2011年5月23日、当局はアジェンデの遺体を墓から掘り返し、再度検視を行うと発表、これにより死亡の状況が明らかになると期待された。同年7月19日検視が終了し、自殺であるとの結果が発表された。
このクーデター以降、軍事政府評議会による軍事政権の独裁政治が始まり、労働組合員や学生、芸術家など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。軍事政権は自国を「社会主義政権から脱した唯一の国」と自賛したが、冷戦の終結によりアメリカにとっても利用価値がなくなった軍事政権は1989年の国民投票により崩壊した。
なお、一般に「9・11」というと、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を指す事が多いが、ラテンアメリカでは1973年のチリ・クーデターを指す事も多い。

ピノチェト率いるクーデター軍に包囲され、激しい銃撃を受けながら、アジェンデは勇敢に最後のラジオ演説を行います。私は、学生時代、この最後の演説が録音されたテープを手に入れ、銃声が響く中、毅然として国民に静かに訴えるアジェンデの肉声を心に刻みました。選挙で選ばれたアジェンデ人民連合政権は、当時の若者達にとって希望の灯台でしたが、初めて聞いた大統領の肉声が、最後の声とは、皮肉なことでした。
ユーチューブに「アジェンデ最後の演説日本語字幕つき」を見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE


歌手の横井久美子さんが「東京新聞本音のコラム」で、このチリクーデターについて触れておられます。
http://www.asahi-net.or.jp/~fg4k-yki/column/c_index.htm
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ちなみに横井久美子さんの近況は、こちら。
http://www.asahi-net.or.jp/~fg4k-yki/

横井さんのコラムにもあるように、ピノチェトは、クーデターによって政権を奪取し、1974年~1990年の長きにわたって大統領を続けますが、その間、富裕層とアメリカの利益に偏した「新自由主義」政策の結果、1975年に4.3%だった失業率が80年代平均では22.5%に上昇、貧富の差も急激に拡大し、貧困率はアジェンデ政権下の2倍の40%に達したほか、深刻なインフレが進行するなどにより国民の支持を失い、1989年末の大統領選・議会選で敗北し辞任に追い込まれます。1989年、病気療養のために渡英しますが、そこで「人道への罪」で逮捕されます。詳細は「知恵蔵2013の解説」から。

1973年にクーデターで政権を握り90年まで軍政を続けたチリのピノチェト将軍は、反政府派の市民を虐殺した責任を問われて英国で逮捕され、チリに帰国後の2001年、誘拐罪と殺人罪で起訴され自宅軟禁された。クーデターのさいの弾圧で約4000人が軍によって虐殺され約1万人が拷問され、4万人以上が政治犯として収容され、約100万人が国外追放や亡命した。このうちピノチェトが起訴されたのは彼が軍幹部に指示して政治犯55人を銃殺させ、19人を行方不明とさせた「死のキャラバン事件」だ。起訴後にピノチェトの健康状態が問われ、裁判が停止されたり再開したりした。05年9月には最高裁がピノチェトの痴呆が進んでいるとして裁判の中止を決定した。一方で同年8月にはピノチェトが海外の秘密口座に巨額の資産を隠していたことが発覚し、脱税の疑いで妻子が逮捕された。06年、ピノチェトの死亡で裁判は終わった。( 伊藤千尋 朝日新聞記者 )

チリクーデターを想起するとき、アジェンデ大統領の悲劇とともに、罪なく逮捕、誘拐、監禁、拷問、虐殺された大勢のチリ人民の、痛ましい犠牲を忘れることはできません。その中の一人にフォルクローレ歌手・音楽家として名高いビクトルハラがいました。
詳しい記事がここにあります。ビクトルハラ特集 
http://www.geocities.jp/jarastkyj/

音楽にはほとんど縁のない私ですが、ビクトルハラの生前の演奏を収めた音楽テープを持っています。甘い、純朴なとも言える穏やかな歌声です。ギターを演奏する右手を切断されたあげく拷問・虐殺!を受けるほどに、憎しみの対象となるには、余りに不似合いで、「理不尽」の語が思われてなりません、もちろん、小林多喜二にしても、槇村浩にしても、暴虐を被るいわれはなく、等しく「理不尽」と言わなければ成りませんが。
ビクトルハラの代表作、「アマンダの思い出」がユーチューブにありました。
http://www.youtube.com/watch?v=qfESgtCTn1Q

「耕す者への祈り」です。
http://www.youtube.com/watch?v=U5PFx6DgwWs

私が覚えている日本語訳とは少し違いますが、こんな歌詞です。

「♪起き上がれ そして山をごらん
川の流れを魂の風を

起き上がれ そして両手をごらん
育ちゆき 君の兄弟たちの手を握るために
共に行こう 血の絆に結ばれ
今日が明日に繋がっていくんだ

僕らを貧困へと支配するものから解放しよう
正義と平等の王国を我らのもとへ

共に行こう 血の絆に結ばれ
今も そして僕らの死のときも
アーメン!アーメン!」

最後に、チリクーデターにまつわる最もよく知られた民衆の歌「ベンセレモス」(我々は勝利する)の歌詞がここにありました。
http://www.utagoekissa.com/bensere.html
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