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泰山にまつわるエトセトラ [今日の「これなあに」?]

 一昨日の記事で、「ハクモクレンか?」として掲載した写真について、「泰山木では?」とアドバイスをいただきました。
確かに、ハクモクレンはこんな花ですので、様子が異なります。
しかもこれは三月の写真。

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これはもっと寒い時期。
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今朝、念のためにもう一度見てみたら、花がいっそう大きく開いており、ますます顕著な違いがわかります。
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すぐ近くでこんな色の花も見つけました。これは紫木蓮ではないでしょうかねえ?

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こちらが例の謎の花。図鑑やネットで探すと、確かに泰山木に似ています。

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ただ、おぼろな記憶を辿ると、どうも葉の形が違うようにも思えます。
玉野市深山公園の薬草園に大きな泰山木の木があったことを思い出し、孫達と遊具で遊んだ後、確かめに行ってみると、やはりこんな葉です。しかも、開花はもう少し先の様子です。

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改めてネットで調べてみてもよくわかりませんが、多少なりとも似通って見えるのは「ホオノキ(朴の木)」でしょうか?
ホオノキは、飛騨高山で郷土料理の「朴葉焼き(ほおばやき)」をいただいたことがありましたが、その葉っぱは、もっと大きく立派だったように記憶しています。
花の形、花期、葉の形、樹木の大きさの特徴など総合すると、「大山蓮華(おおやまれんげ)」が近いかも知れません。
と結論づけかけて、「姫泰山木(ヒメタイサンボク)」という落葉低木を発見しました。こちらは、「泰山木」よりも葉っぱが広く、ホオノキよりは小振りで、より似ているかも知れません。いずれにしても、よくわかりません。
こちらはスズランではなくて、アマドコロでした。
我が家の庭に生えていても名前を知りませんでした。
深山公園の薬草園には表示とともに栽培してありました。

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深山公園は、GWとあって常よりは客が多いものの、自由に遊具を占有でき、孫達も大はしゃぎでした。
今日はパパもバアバも仕事なので、ママとジイジがつきあいました。ちょっと涼し目の爽やかなお天気でした。

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 蟻君もお出まし。
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あなた、お名前は?

 

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今日の記事は、「泰山木」つながりで、少々脇道にそれてみます。

「泰山木」というと、中国の「泰山(タイザン)」に関係があるのだろうかと思い込んでいましたが、そうではなかったようです。北米中南部原産で、ミシシッピ州とルイジアナ州では州花に指定されているとか。明治初期に日本へ渡来したそうで、大木になるのでそなづけられた由。大山木とも書くようです。

ところで、「泰山(大山)」というと「泰山(大山)鳴動して鼠一匹」ということわざをを思い出します。
これは中国由来の故事成語かと思いきや、実は、古代ローマ発のことわざだとか。原文はラテン語で「Parturiunt montes, nascitur ridiculus mus.」(「山々が産気づいて滑稽なはつかねずみが一匹生まれる」)。
英訳:The mountains have brought forth a mouse.

中国の「泰山」は、山東省泰安市にある、世界遺産(複合遺産)に登録された山をさします。道教の聖地である五岳=泰山・衡山(こうざん)・恒山(こうざん)・嵩山(すうざん)・華山(かざん)の一つに数えられ、「五岳独尊」ともいわれ、五岳で最も尊いとされてきたそうです。

古来、「泰斗(たいと)」という言葉があります。人が仰ぎ尊ぶ「泰山」と「北斗星」の略で、その道の大家・権威者として最も人々から尊敬されている人のことをそう呼びます。「『唐書』巻176、韓愈伝賛」にこんな文章があります。

 

【本文】
自愈沒、其言大行、學者仰之、如泰山北斗云。
【書き下し文】
愈没してより、其の言大いに行なはれ、学者之を仰ぐこと、泰山北斗の如しと云ふ。
【解釈】
韓愈の死後、その言説は大変尊重され、学者達は泰山や北斗七星のように韓愈を尊崇したということだ。

漢文の教科書にもよく掲載される定番教材に「雑説」という文章があります。
「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。 」(世の中には、馬の優劣を鑑定する名人がいて初めて、1日に千里も走る名馬があらわれる。名馬の素質をもった馬は常に存在するが、その才能を見抜く名人はいつもいるというわけではない。)という有名な書き出しに始まる格調高い文章です。
この文章を書いたのが韓愈でした。    

孔子の、「苛政猛於虎也」という文章にも、泰山が登場します。

【本文】 孔 子 過 泰 山 側。有 婦 人 哭 於 墓 者 而 哀。夫 子 式 而 聴 之、使 子 路 問 之 曰、「 子 之 哭 也、壱 似 重 有  憂 者。」 而 曰、「 然。昔 者 吾 舅 死 於 虎。吾 夫 又 死 焉。今 吾 子 又 死 焉。」 夫 子 曰、「 何 為 不 去 也。」  曰、「 無 苛 政。」 夫 子 曰、「 小 子 識 之。苛 政 猛 於 虎 也。」(『礼記』檀弓・下)
書き下し文】
孔子泰山(たいざん)の側(かたわら)を過ぐ。婦人の墓に哭(こく)する者有りて哀しげなり。
夫子(ふうし)式(しょく)して之を聴き、子路をして之に問はしめて曰く、「子(し)の哭するや、壱(いつ)に重ねて憂ひ有る者に似たり。」と。
而(すなわ)ち曰く、「然(しか)り。昔者(むかし)吾が舅(しゅうと)虎に死し、吾が夫又死し、今吾が子又死せり、」と。
夫子曰く、「何為(なんす)ぞ去らざるや。」と。
曰く、「苛政(かせい)無(な)ければなり。」と。
夫子曰く、「小子之を識(しる)せ、苛政は虎よりも猛し。」と。

【解釈】
孔子先生が泰山の側を通りかかった。すると道の傍らに、墓の前で悲しげに大声で泣いている女の人がいた。
孔子先生は礼儀をただしてこれに耳を傾け、同行していた門人の子路に、「あなたの泣いておられる様子は、繰り返し不幸に出会った人のようにお見受けしますが、どうなさいました。」と、問わせた。
女の人が言うには、「その通りです。昔、義父が虎に殺され、夫がまた虎に襲われて死に、今、我が子がまたもや虎にやられて死んだのです。」と。
先生が尋ねておっしゃるには、「どうしてそんな危険な場所から立ち去らないのですかな?」と。
女の人がいうには「ここにはひどい政治がないからです。」と。
先生が、連れの弟子達に向かっておっしゃった。「よく覚えておきなさい。ひどい政治というものは、虎よりもあらあらしく恐ろしいものなのだよ。」




  
 
 

 

 

 

 

 

 

「泰山鴻毛」という故事成語があります。
司馬遷の友人であった任安(ジンアン)は、投獄された時、武帝にとりなしてくれという趣旨の手紙を司馬遷に送ります。これに対して司馬遷は、宮刑の屈辱に耐えて生き抜いた自らの心境に触れながら、こう返事をしたと言います。(『漢書』司馬遷伝「任少卿に報ずる書」)

【本文】
人固有一死、
或重於泰山、或輕於鴻毛。
用之所趨異也。

【書き下し文】
人 固(もと)より一死有り、
或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し。
用の趨(おもむ)く所異なればなり。

【解釈】
人はもとより一度は必ず死ぬものですが、
その生命は、時には泰山よりも重いこともあり、時には鴻毛よりも軽いこともあります。それはその生命が果たす役割が違うからです。

つまり、「命は重んじて惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合とがある。その判断は義にかなうか否かによるべきである。」というのです。

泰山は、重く大切なものの象徴。「鴻毛」は鳳凰の羽毛の事で、軽いものの象徴です。

司馬遷のこの表現をパクッて、全く異なった意味に用いた文章がありました。原文のままでは読みにくいので適宜句読点を施し、必要な濁点を補っておきます。また、漢字は新字体に改めました。

一 軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。
凡(およ)そ生を我が国に稟(う)くるもの誰(たれ)かは国に報(むく)ゆるの心なかるべき。
况(ま)して軍人たらんものは、この心の固からでは物の用に立ち得べしとも思われず。軍人にして報国の心堅固ならざるは、如何程(いかほど)技芸に熟し、学術に長ずるも、猶(なお)偶人(ぐうじん)にひとしかるべし。
其(その)隊伍も整い、節制も正しくとも、忠節を存せざる軍隊は、事に臨みて烏合の衆に同じかるべし。
抑 (そもそも)国家を保護し国権を維持するは兵力に在れば、兵力の消長は、是(これ)国運の盛衰なることを弁(わきま)え、世論に惑はず、政治に拘わらず、 只々(たヾ/\)一途に己(おのれ)が本分の忠節を守り、義は山嶽(さんごく)よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。
其操(そのみさお)を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ。

軍人勅諭の一節です。
【解釈】
ひとつ
軍人は忠節を尽くすことがつとめじゃぞ。
およそ生を我が国に受けた者は、誰一人として国に報いる心がないわけがあろうか、いや、みんな報国の心を持たねばならん。
まして、軍人ともあろう者は、この心が固くなくっちゃ、物の役に立つことができようとは思われんぞ。
軍人でありながら国に報いる心が堅固でない者は、どれほど技芸にたけ、学術に秀でておっても、デクノボウというものじゃ。
隊伍も整い、規律も正しくても、忠節を知らない軍隊は、いざドンパチが始まったら、烏の群れのようなヘナチョコと同じじゃぞ。
そもそも、国家を保護し国家の権力を維持する根本は兵力にあるのじゃから、兵力の消長が国家の運命の盛衰そのものじゃとわきまえ、世論がどうあれそれに動かされず、政治に関与せず、ただただ一筋に軍人としての忠節を守り、義は山嶽よりも重く、死は鳳凰の羽毛よりも軽いと覚悟せい。
その節操を破って、ドジを踏み、汚名を受けるようなことがあってはてはならんぞ。

 またぞろ、こんなものが必要な世の中へと、大きくハンドルを切ろうとしているようですね、安倍号は。

しかも、困ったことに、アクセルはあるがブレーキはないという欠陥車だそうで、、、。


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