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苗代の足跡に雨降りて澄む [木下透の作品]

木下透は私の高校時代の筆名です。
このコーナーは、今から40年以上も昔の、彼の高校時代の作品を、思い出すままに紹介することを趣旨としています。
拙劣さ、未熟さは、年齢の故と、寛容に受け止めていただければ幸いです。


今日は、梅雨時期としては久しぶりに、朝から雨模様でした。降り始める前に、近所を散歩しようかと支度をしているうちにポツポツと雨音が聞こえてきましたので、大型のコウモリ傘を持って散歩道に向かいました。重い機材を運ぶのは億劫なので、コンデジをバッグに入れて出かけました。

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苗代の足跡に雨降りて澄む    透

この句は、梅雨時期の実景をもとに、割合にすんなり浮かんだもので、自分としては気に入っていました。周囲からは、ほとんど凡句の扱いで、スルーされたものですが、 今の季節になると不思議に思い出します。

苗代というものも、今では見かけることが少なくなりました。

ウィキペディアには、こう説明があります。

もともとは種籾(イネの種子、籾殻つきの米粒)を密に播いて発芽させ、田植えができる大きさまで育てるのに用いる狭い田を指した。

手植えの場合

田植機を用いない旧来のやり方では、おおよそ次の手順に従う。

    種籾(たねもみ)を植える場所の土を、幅1m位の短冊状に盛り上げ、土を軽く耕す。
    その上に1cm²辺り1粒程度の種籾(5日程度水につけて十分に水分を吸わせたもの)をまく。
    土や籾殻(もみがら)または燻炭(くんたん)を薄くかぶせ、軽く抑える。
    苗代の畝上が丁度浸かる程度に水を張り、発芽させる。
    苗が20~30cm(本葉が7~8枚)位のころに、苗を抜き取り、2~3本を1株として植える(田植え)。

子どもの頃は、小学校でも「農繁休暇」というお休みがありました。田植えの時期は、農家にとっては、猫の手も借りたい繁忙の時期で、子ども達も労働力として期待された事の名残です。

私の家などは、農業と行っても家族がかつがつ食べるだけの田畑しかありませんでしたから、実際の田植え経験は、今で言う「体験学習」レベルの思い出に過ぎません。でも近隣・組内総出の共同作業で、この田んぼあの田んぼと、田植えを済ましていった光景は、目に残っています。

我が家の耕地は、「なわしろ(苗代)」「しみずば(清水場)」「おちうだ(どんな漢字を当てるのでしょう?)」「はた(畑」」「はま(浜)」と呼ばれる、分散した小さな田畑が、すべてでした。この内、水田は、 「苗代」、「おちうだ」、「浜」の三カ所でした。

小規模農業を表す言葉に、「五反百姓」という表現がありますが、我が家の耕地面積は、わずかに一反余り、零細農家の内のさらにミクロの存在と言えるでしょう。一番広いのが川べりに広がった「浜」で、これが一反(約10アール)余り。この地方の川沿いの水田は、頻繁に起こる川の氾濫・洪水によって、冠水被害を受けることもたびたびで、そのため、大規模な護岸工事や圃場整備(ほじょうせいび)が行われ、今は違う土地が割り当てられています。
父が勤務の都合で田舎を離れて暮らしている間、ご近所の方に耕作を委ねていた流れで、退職・帰郷後も、その状態が続いています。従って、私はその位置も確かに知りません。
「おちうだ」と呼ばれた水田は、山かげの、日当たりの悪い、水の冷たい、小さな山田でした。はやりの「農業競争力」という概念の対極にあるような、ローパフォーマンスの土地です。周囲の景色も変わりましたから、いま、どうなっているか?

 「なわしろ」は、住まいと最も近い場所にある、これもごくごく小さな、一種の棚田です。実際に種籾を蒔いて苗を育てる「苗代」でした。が、今はその歴史的役割を終えて、野菜畑として遣われています。先日から話題にした桑の木も、この畦に茂っていました。

現在、手植えの光景は、特別なイベントの時などの他は見かけることもなく、ほとんどの農家では、 育苗箱で育てた苗を用いた機械植えが主流になっているようです。

ウィキペディアの記事の続きです。
機械植えの場合

植える場所の土をならす段階までは、手植えの場合と同じ。以下はその一例。

    用意した育苗箱に土を敷き、そのうえに催芽させた籾をまき、籾が隠れる程度に土を軽くかぶせる。
    育苗箱をならした土のうえに並べ、十分潅水する。
    ビニール(育苗シート)を被せ、発芽させる。
    苗が出揃ったらビニールを取り外す。
    苗が20cm(本葉が3~4枚)位のころに、田植機で移植する。

先日、ある友人と話しておりましたら、彼女の四国の実家での話題が出て、今では、自家で育苗する技術も継承されない状態にあり、多くの農家では農協で購入した苗をつかって田植えをしているのだとか。一方にTPPが攻めてきて、一方に突如安倍さんがぶちあげた「農協解体」という大暴風が襲って来るとなると、この「育苗」といういのちの大本も、独占大企業の、なかんずくアメリカの独占種苗会社かなんかの、牛耳るところとなるのでしょうか?生産性の低い農業(農地・農村)は淘汰され、荒廃の極にいたり、一定の生産性を見込まれる農業(農地・農村)は、独占大企業、なかんずくアメリカの独占種苗会社かなんかの儲けのターゲットとされるのでしょうかね。

さらにその先の、空恐ろしいのは、あの遺伝子組み換え技術をを駆使するモンサント社流の「ターミネーター種子」=「自殺する種子」などの、新たな餌食にされる未来図でしょうか?

 私の散歩道から見える田園風景は、広大な干拓地に広がる肥沃な水田地帯です。いつの間にか麦の刈り入れが終わり、水田いっぱいに水が張られています。


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苗代の足跡などとは比べものにならない、長距離の足跡でした。
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田植えが終わったばかりの田んぼに、今朝の雨はジャストタイミングですね。
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左下の謎の物体は?私のこうもり傘の柄が映り込んだものです。オソマツ。

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こちらは早朝から田植え作業中。
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正面の山は、戦国時代の城趾と、女軍伝説で知られる常山。その姿から、児島富士とも呼ばれます。
毎年この時期には、逆さ児島富士がみられます。


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鴨川の真上にそびえる常山
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鴨川から対岸を望みます。これも戦国時代の城趾のある麦飯山でしょうか。
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 これも鴨川の対岸風景。ちょっとヨーロピアンなムード?
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今日のオマケ。ケリでけりをつけましょう。
 
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コメント 2

beny

 今や田植えも機械植えですが、昔は大変だったですね。当時の農家の人は草取り作業も多くて早くから腰が曲がっていました。
by beny (2014-06-23 08:37) 

kazg

beny 様
おっしゃるとおりでしたね。
「朝は朝星、夜は夜星」ですしね。
by kazg (2014-06-24 12:44) 

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