紅(くれない)の翼広げる鳳(おおとり)の想いを知るや汝(な)は鳳仙花 [園芸]
別の植物を植えている鉢に、土に紛れていたらしい種子がすくすくと育って、こんな花を咲かせました。
頑健で、どこにでも育って美しい花を咲かせることから、古来、可憐な花、はじける実ともに人々に親しまれ、少女たちが爪を染めるのに使ったため、ツマクレナイ、ツマベニ、ツマグロ、ツマグレなどとも呼ばれるそうです。
また、朝鮮半島では鳳仙花で染めた爪が初雪が降るまで残っていれば恋がかなうという、ロマンチックな言い伝えがあるそうです。
沖縄では「てぃんさぐ」と呼ばれ、民謡「てぃんさぐぬ花」に歌われています。
ホウセンカを歌った歌は数多く、私などはまず、
「悲しいですね 人は誰にも
明日流す涙が見えません」
と歌い始め
「ほうせんか 私の心
砕けて 砕けて 紅くなれ
ほうせんか 空まであがれ
あの人にしがみつけ」
と繰り返す、中島みゆき「ほうせんか」(作詞作曲 中島みゆき)を真っ先に浮かべます。
加藤登紀子が歌う「鳳仙花」は哀調を帯びたメロディが心に残ります。
赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
灼けつく夏の日 暑さも知らずに
かわいい娘は 爪先染めたよ
赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
やがて夏去り 秋風吹けば
ほうせん花種蒔け 遠くへはじけよ
この曲は「洪蘭坡」(ホン・ナンパ)というヴァイオリニスト・作曲家としても著名な、朝鮮人音楽家の作曲だそうです。
彼は1897年生まれで、植民地時代の
1917年から日本にわたり、東京音楽学校で学びますが、3・1独立運動(1919年)を機に帰国し、独立運動に参加しました。独立運動は弾圧を受けて挫
折しますが、1920年、「哀愁」というヴァイオリン独奏曲を作り、5年後に友人である声楽家、金享俊(キム・ヒョンジュン)が詩をつけたのが「鳳仙花」
でした。それは四季折々の鳳仙花の姿に寄せて、日本の植民地支配の下で苦しむ朝鮮人の哀しみと、春風とともに蘇る鳳仙花になぞらえて祖国独立への希求を
歌ったもので、人々に深く愛唱されたそうです。そのことがもとで、日本の官憲から、日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物として日常的に監視されるとともに、
軍歌の作曲や軍歌の指揮・演奏など、その意に反して日本軍国主義への協力を強要されたのでした。この肉体的、精神的苦痛のため、太平洋戦争開戦間近の
1941年、43歳の若さで亡くなりました。彼の生涯については、「中央日報」のこの記事がよく伝えています。
2005年には、「日本統治時代に親日活動を行なった人物」として「第1回親日派人名簿」に掲載され、日本統治時代の強いられた協力をとがめられたのは、いたわしい事でした。
その後、家族らの異意申し立てなどにより2009年には、親日名簿から除外されたそうですが、去年の秋には、「蘭坡音楽賞」の候補に選ばれた作曲家のリュ・ジェジュン氏やソプラノのイム・ソネ氏が、「親日派音楽家の名で賞を受けたくない」として受賞を
拒否した(この記事参照)と伝えられるなど、国民感情は依然複雑なようです。占領する側、支配する側が、とっくに忘れてしまった歴史の記憶を、踏みつけにされた側は、やすやすとは「水に流す」わけにいかないということでしょう。
かきねの鳳仙花 燃え立つ夏の日
可愛い少女は お前の花びら見つめ
微笑む 麗しい鳳仙花
2
季節は巡り 秋風吹いて
お前の真っ赤な 花びら奪って
哀れな鳳仙花 目をとじ眠る
3
凍てつく大地に お前は眠る
平和な世界を 夢見て
春風吹けば もいちど
目を覚ませ 鳳仙花
ここで、判じ物めいた戯れ歌を二つ。
名にし負はばいざ言問はむ鳳仙花 河図(かと)は何処や洛書(らくしょ)は何処
鳳(おおとり)とは、伝説上の霊鳥で、鳳凰の雄の方をさすそうですね。聖人が世に出たときに現れる瑞鳥とされます。
『論語』子罕編第九では、孔子の言葉としてこう紹介されています。
子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫。
【書き下し】
子曰はく、鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾やんぬるかな。
【解釈】
孔子がおっしゃることには、「聖天子の出現の瑞兆である鳳凰は現れない。人々に天の英知を与えるという図(と)も黄河から出てこない。ああ、もうどうしようもない、おしまいだ!」
「河図」とは、黄河にあらわれる 竜馬(りゅうめ)の背に書いてあったという図で、人々に英知を与えるもの。また、洛水から出た亀の背中にあったという文様を「洛書」といいい、あわせて「河図洛書」、略して「図書」と言います。
孔子は、これらの瑞兆があらわれる気配もない争乱の世を嘆き、絶望のつぶやきを漏らしているわけです。
さて、鳳の名を戴く鳳仙花よ!世を平安ならしめる英知のありかはどこでしょうか?どうか私達に、そして世界中の絶望の淵にある人々に教えて欲しいものです。
こんなことを書きながら、ひょっとして、私達が手にした日本国憲法(の理念と精神)こそが、それではないかと思えてきました。
決して「絶滅危惧種」の道を辿らせることなく、永く未来に、そして広く世界に、「カクサン」させることが、 鳳の志ではないのでしょうか?そんな屁理屈を、こじつけてみました。
今日は、ここでおしまい。
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