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吾、まさに「非公式」主義者なりき。 [私の切り抜き帳]

「正しいやり方」知りません。
損な性分だと思います。
素直じゃないのです。
小学校の時、先生に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(または、末代)の恥」という金言を教わり、まさに自分に当てはまると自覚したものの、生来、自分から問うたり、手ほどきを受けたりすることが、大の苦手というか、とにかく億劫なのです。
できれば人に聞かずに、自分で見つけたいのです。
私、折り鶴の正しい折り方知りません。でも、私流の折り方で、できあがりはそれっぽい折り鶴が折れます。
子どもの頃、折り方を人に聞くのが恥ずかしく、人の折り鶴を元にほぐして、折り跡通りにたどって折ってみて覚えたので、折り順が違い、できあがりも不格好です。

でも今更矯正できません。

私、キーボードの正しい指使いできません。
ワープロ(主にsharp書院)を、人より遅れて使い始めた頃、手ほどきを受けるのが恥ずかしく、片手でキーをたたいて文字入力を始めたのがそのまま癖になっています。改めて確かめてみると、私の使う指は、もっぱら、右手の中指と、左手の人差し指と中指だけ、、、、のようです。少なくとも句の段落は完璧にこの三分の指で打ちました。

「片手で、早撃ちだねえ」と、からかい半分に感心されたものです。

私、テンキーも計算機も、人差し指と中指で打ちます。
正しい指使い、覚えられません。いえ、本気で覚えようとしてません。

できれば、人が通る道は、避けて歩きたいのです。
そのためよく迷子になります。

定年後、カルチャーセンターとか健康教室とか、いろいろな「習い事」を勧められることもありますが、どうも、「習い事」は気が進みません。

たとえば運転免許取得など、必要に迫られて、二〇代の後半頃、人より遅れて自動車教習所には通いましたが、勤務時間後の教習の日々が苦痛でした。ひとつの定められた手順や結論のみが無条件に絶対視され、工夫や判断の余地が全くない世界は、息苦しい限りですし、加えて、さながら軍隊ばりの教官の横柄さが鼻につきました。「教官」殿は、少々先んじて技能を身につけているからといって、なぜ、あんなに威張るのでしょう。
いえいえ時代は変化し、今は、サービス社会で、学校教師もサービス業に分類され、顧客は神様、顧客のニーズが最優先(と思い込まされている)の時代ですから、自動車教習所といえども、多少は変容しているでしょうが。
そういえば、幼なじみの一人が、教習所の教官を長く続けていますが、彼には横柄づくは似合いませんから、単に人それぞれということかも知れませんがね。

ところで、ちょっと前、「社会の学校化」という議論が話題になったことがあります。

サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/10/08
  • メディア: 文庫

 

 

 上掲の、上野 千鶴子さんの著作について、アマゾンの商品説明を引用しますと、こんな具合です。

学校はなぜ、失敗を学ぶ場となっていないのか。それは近代の学校の機能が別のところにあるからだ。学校は「偏差値一元主義」という学校的価値を再生産する場 となり、その学校的価値は学校空間からあふれ出し、社会へ浸透していった。その結果、「学校化社会」が形成されたが、価値一元化の下での優勝劣敗主義は、敗者の不満とともに勝者の不安をも生んだ。勝ち組にも大きなストレスをもたらす学校化社会は、“だれも幸せにしないシステムだ”と上野氏は言い切る。

 こうした問題意識のきっかけを提起したのは、イヴァン・イリイチの「脱学校論」の提唱でしょうか?

ウィキペディアには、「脱学校論」という項目に、こう説明されています。

脱学校論(だつがっこうろん、deschooling)は、イヴァン・イリイチの造語で、学校という制度の「教えられ、学ばされる」という関係から、「自ら学ぶ」という行為、すなわち学習者が内発的に動機づけられて独学する行動を取り戻すために、学校という制度的な教育機関を超越することである。つまり、教えてもらう制度、機構である学校から離れて、自分の学び、自分育てとしての学びすなわち独学を取り戻すことである。

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

  • 作者: イヴァン・イリッチ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1977/10/20
  • メディア: 単行本

 

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか (現代社会科学叢書 6)

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか (現代社会科学叢書 6)

  • 作者: イヴァン・イリイチ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1979/10
  • メディア: 単行本

 
確かに、学校という制度のもとで、一方的に「教えられ、学ばせられる」のは、内発的動機によるわけでもなく、いつ役に立つかどうかもわからない「学校知」と呼ばれる独特の「知」です。そして、それを忠実に習得した度合いに応じて、子どもらの序列が定められ、そのまま今後の人生も方向付けられるという「信仰」は、依然として根強く現代日本を支配しています。

子ども達は、そのような「学校知」の習得を競い合わされているだけでなく、表のカリキュラムに現れないヒドゥンカリキュラム隠れたカリキュラム)を、お仕着せられているという意見も、傾聴に値するでしょう。

ウィキペディアには、このような記述があります。

隠れたカリキュラムとは、学校のフォーマルなカリキュラムの中にはない、知識、行動の様式や性向、意識やメンタリティが、意図しないままに教師や仲間の生徒たちから、教えられていくといったものをいう。

「隠れたカリキュラム」という表現自体は、教育学者のフィリップ・W・ジャクソン(Philip W. Jackson、"Life In Classrooms", 1968年)が、初めて自分の造語として使ったという。そのすぐ後、MITのベンソン・シュナイダーが、"The Hidden Curriculum"(隠れたカリキュラム)というタイトルの著書を刊行し、問題を抱えた生徒、学生やエリート志向の強い生徒、学生の実例を分析し、この言葉を広く広めた。

教育困難校における負け犬意識の染み付いた生徒や有名進学校のエリート意識の固まりのような生徒から、ある特定の学校の校風に染まった生徒など、学校という 制度を通しての社会化の特殊なものをいう場合に、社会学、教育社会学の分野でよく用いられる用語である。「潜在的カリキュラム」という表現もされる。



また、男の子女の子といった性による社会的な役割演技や、役割意識も、多くこうした学校の隠れたカリキュラムの中で培われることが多いといわれる。たとえば、教師の質問に対して、女の子が手を挙げてもなかなか答えさせてもらえない、男の子が優先される。生徒会の委員会、クラブの部長は男の子、副委員長はいつも女の子といったようなそれである。

ところで私、中学校の頃から、急に数学が苦手になりました。
「公式」を覚えることに抵抗があったからです。 どうやってその公式が生み出されたかの原理をわかろうと思ううちに、スピードに追いつけず、努力を放棄しました。

ですが、後に、この文章を読んで、痛く後悔しました。

戦前の軍国時代、科学的精神を守り抜こうとした唯物論哲学者の戸坂潤の、「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」という文章です。
筆者は、学生時代、師から「数学には、判り切ったことをわざわざ一遍々々繰り返すのを避けるために、公式というものがある。君はその公式そのものから論証しようとするから無駄な時間がかかるのだ。公式位いは覚えておかなくてはいけない。」と諭されたというエピソードをもとに「公式主義」を論じています。

「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」  戸坂潤 (青空文庫より抜粋)
東 大数学科の教授である竹内端三博士は私にとって一種の恩師である。先生が八高から一高の教授に転任して来て最初に数学を受け持ったクラスの一つが、私のクラスであった。私は先生に微積分のごく初歩をならった。私は宿題が当って黒板に出て問題を解くという教育にあまり賛成でなかった生徒の代表的な一人であったので、適当に出欠を調節することに専ら数学的才能を傾倒したのであるが、或る時この計算を誤って遂に黒板の前に立たされて了った。


 
勿論私は少しも予習して来ていなかったから、仕方がなく、自分の納得の行くようなやり方で、問題を「根本」から解決し始めたのだが、とうとう私は黒板の前に呻吟する生徒の最後の一人となって残った。どうにか答は出たのだから、多分問題はやさしいものであったに相違ない。処で竹内教授は私に一場の科学的訓誨を垂れて云うに、数学には、判り切ったことをわざわざ一遍々々繰り返すのを避けるために、公式というものがある。君はその公式そのものから論証しようとするから無駄な時間がかかるのだ。公式位いは覚えておかなくてはいけない、というのであった。

 実の処私は大変不服だったのである。公式というようなものを暗記していて、それで簡単に問題を片づけて了うのが、何か理科の生徒らしい非文学的な無教養を思わせるような気がしてならなかったからだ。大宅壮一氏は私を本質に於て文学青年だと再三保証して呉れているが、事実その頃は少し文学青年であったようだ。文学をやるのに法制経済など何の必要があるかと云って、級担任の教授に食ってかかった文科の生徒は私の親友であった。この法制経済否定論が、私の数学論に於ては公式否定論となって現われたのである。当時は、今日の大宅壮一とか服部之総とかいう連中が三高で大いに社会科学的研究の熱を揚げていた頃だが、「自由」をモットーとする三高に較べて「伝統」を合言葉にしている一高は、社会意識に於て可なり遅れていたのではないかと思う。或いは私だけが特にそうだったのかも知れない。がとに角私の「文学主義」は教室に於て事々に不都合を来たしたことは事実である。

 教授の訓誨に不服ではあったが、併しその時初めて私は、他の友達がノートを一生懸命で暗記する意義がどこにあるかと云うことを悟ったのである。なる程勉強はやはりこういうやり方でなくてはいけないのだなと思った。そして多分、勉強に限らず、一人前になってから研究するにも、こういうやり方が科学的なのだなと、私は初めて気がついた。私は科学的精神というものを実は初めて知ったと云ってもいいが、それよりも大事なことに、私はこの時以来、公式主義者(?)となったことである。と云うのは、それ以来私は、判り切った誰にとっても似たりよったりのガラクタを、自分が初めて発見したように勿体をつけて一つ一つ繰り返すという退屈なやり方を、軽蔑するような気運に向いて来たのである。つまり公式を一々証明するだけの時間で、公式を使ってもっと先の問題を解く方が真面目なのだというイデオロギーを有つようになったのだ。之専ら旧師竹内端三先生の賜である。

 処が驚いたことには、それから二十年近く経った今日になると、判り切った公式を一々証明してかかるのを省略することが公
式主義だった筈なのに、物ごとは逆になって来て、判り切った公式を一々証明してかかることが即ち公式主義だというようなことになって来た。そして公式主義は何より悪いものだということになって来た。それだけではない、公式を使って問題を解くことさえが、又やはり悪い公式主義であるという事になって来た。要するに悪いものは公式だということになって来た。つまり黒板の前に立往生した私も竹内教授から見れば公式主義なら、之に科学的訓誨を施した竹内教授も公式主義者だった、ということになるのである。要するに文学をやらずに数学などを黒板に出てやること自身が、抑々公式主義者だということになるのである。こうなると丁度、当時の私の心境が、最も公式主義から自由であったことになるわけで、二十年昔の、高等学校の文学青年時代にもう一遍立ち帰らざるを得ないということになって来たのだ。

 公式などは糞くらえだ、手近かに身近かで、常識的で思いつきのもので、わが身の血肉から、身辺から、無茶苦茶に出発を試みればよいということになる。
「思想」などは、あれは教室でおそわってノートに書き込んだものに過ぎない。「教養」だって要するにそんなものでしかない。黒板の前に出たら、他人の認識上の迷惑などに関係なく、気の済むように自分自身を納得させさえすればいいように、誰も彼も身辺のABCから論証し始めればよい。もしそれが面倒になって来たら、論証をやめて時々放言を試みるのも一興であり、また色々効果的でもある、ということになる。かりに前者を「創作」と呼び後者を「評論」と呼ぶことにしよう。――こういう高等学校風景の前には、竹内教授の公式主義は完全に敗北である。それで竹内博士は、高等学校の教授をやめて大学の教授になったように思う。

 私自身について云えば、私は今まで曾て左翼公式主義者であったことはないようだ。所謂左翼公式主義者なるものがどんなに間抜けた判らず屋であったにしても、今日公式呼ばわりをするに汲々たる連中よりも真実があったと私は思っている。なぜというに、とにかく左翼公式主義者は公式を使って或る程度まで実際に問題を解いて見せたのに、今日公式呼ばわりしかし得ない連中は、問題が少しも解けずにウロウロしているからである。そこで手持無沙汰から、公式主義公式主義と口を揃えてわめき立てるが、それではその公式主義とは何を意味するのかと尋ねると、満足な返事の出来る人間は連中の中には現在まず一人もいない。単に左翼的であるとか科学的であるとかいう現象を、公式主義と呼んでいるのである。これでは公式主義がなぜわるいかと反問されたら、急に目を白黒させる他ないのが当然だろう。(後略)


「先達はあらまほしきものなり」(徒然草 第52段 仁和寺にある法師)と、兼好法師も言っていました。

でも、「後悔先に立たず」と言いますが、今となってはまったく「後の祭り」で、「習い性になる」という言葉通り、いったん身についた性分は、なかなか矯正はききません。

こんなことを考えたのは、ブログへの写真の掲載に当たって、我流でいろいろ試行錯誤してきましたが、先達に教えを請いさえすれば、何の苦労もなく解決できた事だったろうにと、つくづく思えたからでした。

いずれにしても、「著作権」のからみで、写真画像に「透かウォーターマーク)」をつける実験をここ何日か続けてきました。有料レタッチソフト、無料フリーソフト利用など、いろいろのやり方が可能でしたが、いずれも、1枚1枚 個別に処理する必要がありました。
それが今日、一括で「透かウォーターマーク)」をつけるフリーソフトを見つけ、使ってみたら非常に簡便でした。しかも、ワンタッチでリサイズも可能(むしろ、こちらが主機能)で、今後使い続ける事になりそうです。

こんなことだって、ブログ作成のイロハのイなのでしょうし、先達にお聞きしさえすればいとも容易に解決できたでしょうにね。

いえいえ、それでも、いかに些細であったにしても、自分で発見したという喜びは、何物にも代え難いですからね。

たとえば、こんな写真や、


百間川の上空を舞うミサゴ
百間川の上空を舞うミサゴ posted by (C)kazg

こんな写真を、

百間川のカイツブリ
百間川のカイツブリ posted by (C)kazg

一括で処理できて、作業時間はグッと軽減されるはずです。

 

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ぼっこ

私もひとり主義?です。
全部自分で納得が行くようにする。
ほとんど人に尋ねない。自分で切り開く派^_^;
後悔と言う言葉は持たない主義なので責任は取るべく
躍起に挽回をはかる(-。-;)
でも、最近(66歳)になって地下鉄の乗り場は
駅員さんに聞くようになりました^^
今更少し歩み寄りです^^
by ぼっこ (2015-01-22 20:40) 

kazg

ぼっこ様
大変共感いたします。
そういえば、私も、必要に迫られて、いろいろな「案内窓口」のお世話になることはあります。
by kazg (2015-01-22 22:11) 

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