SSブログ
<

見上げてご覧 [あれやこれやの知ったか話]

昨夜は、2ヶ月に一度の観劇の日。
イッツ・フォーリーズ公演『見上げてごらん夜の星を』です。

この題名は、坂本九の持ち歌として、耳覚えある曲の題名として、人並みには知っていました。

 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる

御巣鷹山での日航機墜落事故の追悼番組などでは、生前の坂本九さんの若々しい映像とともに、歌声が流されることの多い曲でもありますから、なじみは深いものがあります。が、この舞台が、どのような内容であるかは、お恥ずかしながら、実際に見るまで想像できませんでした。
この曲が、いずみたくの作曲であることは、辛うじて記憶していたようにも思いますし、この舞台がいずみたくを取り上げた作品であることは、うすうす事前の情報により、インプットしてはいました。
しかし、この『見上げてごらん夜の星を』が、いずみたくのミュージカル処女作であり、その主題歌の題名だったことを知りませんでしたし、この「イッツ・フォーリーズ」の前身が、いずみたくの設立したミュージカル劇団「フォーリーズ」であったことは失念していました。


ウィキペディアには、

夜間高校生たちのさまざまな青春像がテーマ。音楽はいずみたくで、本作がミュージカル処女作。台本・演出は自身もボランティアとして江東区の定時制高校に通った永六輔。当時音楽鑑賞団体の舞台監督であった永が、日本ではなじみの薄いミュージカルを広めようと、いずみに企画を持ちかけた。初演当時は集団就職時代で、全国から上京した若者たちは働きながらも向学心に燃える者が少なくなかった。定時制高校に通う坂本と昼間部の生徒ユミコは、教室の机を通じた文通をきっかけに交流してゆく。物語はそのような定時制高校生の生活を描き、普通高校へのコンプレックスを感じ、苦労をしながらも学べる喜びと楽しさが表現されている。テーマソング「見上げてごらん夜の星を」が坂本九の歌でヒットし、全国の高校演劇部で上演回数がもっとも多くなるなど、ミュージカルのスタンダード的存在になった。

初演
   
1960年7月、大阪フェスティバルホール。製作大阪労音。美術やなせたかし。振り付け竹部董。出演は伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ、宮地晴子、橘薫、田代みどり(当時8歳)。スターが一人も出ないにもかかわらず、高い評価を獲得、主題歌を口ずさみながら帰ってゆく観客の姿に永といずみは感涙したという。翌年には、東京でも上演された。

坂本九による再演
   
1963年、舞台を見た坂本九が「僕にもやらせてほしい」と永六輔に懇願し、坂本九、九重佑三子、ダニー飯田とパラダイス・キング出演で、東京・大阪で再演。
1964年、ミュージカル全編を収録したLPレコードも発売された。1964年の梅田コマ劇場公演では藤山直美が子役として初舞台を踏んだ。

(中略)

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズによる再演
   
劇団創設者のいずみたく没後20年にあたる2012年1月、潤色大谷美智浩、演出北澤秀人、出演大塚庸介、水谷圭見により、東京麻布十番のアトリエフォンテーヌで31年ぶりに公演された。通し稽古を見た永は、「作品を掘り下げてくれて驚いた。懐かしくいいメロディーが繰り返し出てくる。スタッフの誰もがたくちゃんが好きだと伝わってきた」と語った。


とあります。

舞台は、オリジナル作品で描かれた働き学ぶ夜間高校生の青春群像を縦糸とし、「音楽への情熱と才能を、生活のためのコマーシャルソングづくりに浪費するのでなく、日本初の日本のミュージカルをつくろう」という永六輔(役名:永田)の呼びかけに促されて、和製ミュージカルの創造に精魂傾けるいずみたく(役名:泉川)の姿を横糸として、紡ぎ上げられます。
いずみたく作曲の、スケール感のある楽曲をベースに、美しく伸びのある歌声、よく修練された身のこなし、清新でテンポのあるストーリー展開等々、心地よい舞台を楽しませてもらいました。
ただ、60年代の若者達にとっての、生活すること、働くこと、学ぶことの、重みと存在感が、今日の時代にどう響くか?いや、今日の時代の若者のリアリティと、どう響き合わせることができるか?、、、ここに、深く困難な課題を感じました。
舞台で昼間の高校生であるユミコが、「なぜそんなにまでして学ぶの?」と何度も問いかけます。
夜間高校生である坂本は、「働くのは今日のため、学ぶのは明日のため」と歌います。ですが、その言葉(ロゴス)が、生硬なままに耳を通り抜け、今少し形象化し損ねているように感じられることが残念でした。
それともう一つ、夜の学校の生徒達は、それぞれの生い立ちや抱えている課題を語り、それぞれの通学動機を語りますが、どうでしょう?現代夜間高校生の(ひいては現代の若者群像の)のっぴきならないリアリティを確保できているでしょうか?
いや、舞台は60年代の若者を描いている!と割り切るべきなのかも知れません。もしそうならば、もっと限定的に、時代性を明確にして描くべきだったのかも知れません。そうしてかつ、今まさに社会のとば口にあり、同時に、今まさに学ぶことの意義を問うべき立場にある若者達をも、共感的な追体験にいざなうような普遍的な形象化がいっそう求められていたのかも知れません。
いえ、むしろ、まさに現代の夜間高校が担っている多様・多彩な機能や役割を、改めて取材して描き込む方法もあり得たかも知れません。
たとえば、わたしが、以前、夜間定時制高校に勤めていた頃に書いた文章の一部に、こんな記述があります。

多くの定時制高校がそうであるように、「働きつつ学ぶ」という要素は薄れて、むしろ、他の全日制を中退したり、小中学校時代登校拒否・不登校で、ほとんど学校へ行けなかった者、学力不足で他校を不合格になった者、中卒後何年か経て、高卒資格を取るためにやりなおす等々の、「敗者復活組」が大多数。離婚、貧困、生活保護などの家庭的ハンディを抱えた子も少なくありません。
 だが、そういう経験や困難を抱えながら、そこを越えてきた、または越えようとしているところに、人間味、人間的深みがあり、全体に人なつこく、踏みつけ傷つけ合うことを本能的に忌避する子どもたちと感じられます。同時に、「学力」競争においては「勝ち組」に属すことのない彼らですが、知的好奇心、学習意欲は旺盛と思えます。実りのない不毛な競争に追われ、全身衰弱状態におかれている受験普通科よりも、より大らかで、正直な学習意欲を、彼らは持っているようにさえ思えます。そういう生徒たちと接することは、私の心を穏やかにし、和ませてくれます。彼らにとって、この学校が「癒やしの場」となり得ているかどうかは、断言できませんが、むしろ、癒されているのは、この自分だと感じています。
 転勤後半年余りの時点での、感想めいた紹介を、羅列的に記してみます。
 ①少人数であり、生徒同士、生徒・教職員間の関係が親密です。教職員組合や、教育運動・市民運動が要求し続けてきた「ゆきとどいた教育」のための条件整備のうち、学級規模縮小・学校規模縮小の課題に限っては、本校では満たされています。(自嘲や逆説ではなく)。
 
日本の教育の画一性の弊害は、かなりの部分を、いかに安上がりに、大量に、スピーディに「処理」するかという経済効率第一主義に負うています。この重石を取り払っただけでも、もっとゆったりと、穏やかに、そして実りのあるスクールライフが送れるのではないでしょうか。一目で見渡せて、お互いがお互いを認識し合うのに無理がなく、一人一人の課題や成長がとらえやすい規模の集団においては、教育上の困難の過半は解消されると断言できそうです。本校には、発達上・生育上の、または経済的・家庭的な課題を、重く抱えた生徒が少なくありませんが、それを克服しながら高校生活を送れている背景には、自分が教師や仲間から認められ、気遣われ、支えられているという実感があると思います。そして、日本の多くの学校で欠けているものの最大のものが、それではないかとも言えそうです。
 ②かつてほどではないにせよ、異職種、異年齢、外国人、多様な人生を抱えた友人など多彩な友人との交友が、「自分探し」・「自分づくり」の生きた教材、生きた援助者として機能し得るよさがあります。
 ③何のつまづきも屈折もないまま、ストレートに入学してきた者は少なく、多かれ少なかれ「なぜ高校に行くか」の動機を持って、入学してきている生徒が比較的多い点が特徴です。
 ④「わかる授業楽しい学校」という言葉は用いませんが、
 アゆったりしたカリキュラム。
 イ進度に追われない授業、教科担任の裁量の幅。
  ウ基礎学力補充の手だて。
 エ多彩な行事、生徒会、部活動。  
  オ「学び」と「生きる力」との接近。などの工夫がなされています。
 

⑤「今が幸せ」(Iの母)、「もう何も心配してません」(Mの母)、「カウンセリングにかからずに済むようになりました。」(Aの母)、「本当に優しい子に戻りました」(Aの母)。中学時代、長欠、登校拒否だった生徒の場合、本校への入学を決断する時点ですでに、親子とも、ある意味で苦しい峠を越えたという実感をもって、大らかにゆとりをもって対応しているようです。「ねばならない」「べきだ」を超えて、「あるがまま」を尊重する姿勢が共通して読みとれます
(家庭訪問の印象から)。
 
⑥中学校に行けなかった子、高校が続かなくて一度は「脱落」した子が、自力で、しかも夜学に、毎日通学して
くるだけでもすごい、と思えば、「遅刻がけしからん」ことにも、「宿題ができてない」ことにも、ヒステリックにならずに大らかに対応できる気がします(自
分の場合)。これは、精神衛生上良いし、生徒に対してもプラスに作用するようです。
  だが、反面、保護と管理は裏腹の関係にあります。「少人数で目が行き届く」ことは、たとえ善意から出発していても、一歩対応が管理主義に傾けば、「目こぼし」のない、この上なく窮屈で息苦しい場に転じてしまう危険を秘めているでしょう。頭髪指導、遅刻指導、学習指導など、全日制大規模校のミニチュアを演じてしまうのは、「学校」というものの宿命なのでしょうか。
 
全日制高校を不登校でやめて、やり直しをかけて入学してきて、十月いっぱいまでは皆勤で通学していたが、ついに力つきて、不登校に陥った女子生徒が、「映画『学校』に魅力を感じて、夜間定時制に来てみたが、だまされた感じ。みんなに監視されているようで窮屈」と漏らしていた事実は、象徴的と感じられます。


もはや20年近くも前の文章ですが、1960年代の状況よりは、現代の有様に近いのではないかと思います。

このような現状にも響き合う舞台であって欲しいと願うのは、無い物ねだり、または贔屓の引き倒しというものでしょうか? 

話題を舞台に戻します。
「何のために学ぶか」の問に、坂本は「日本を愛しているから」とも答えます。
いささか唐突です。
観客の私自身、にわかには消化しきれませんが、あるいは、作り手の側もいささか未消化なのではないか?と失礼ながら勘ぐってしまいます。
含蓄の多いこのセリフの意味をいろいろと考えながら、大昔のことを思い出していました。

学生時代、学園祭の機会だったでしょうか、いずみたくさんの講演を聞いたことがありました。「公演」ではなく、「講演」だったと思います。音楽や演奏が含ま
れていたかどうか、記憶が曖昧なのですが、陸軍幼年学校在学中に終戦を迎えた「戦争体験」をはじめ、再軍備の動き、日米安保条約に反対してデモや街頭行動に参加し、「血のメーデー事件」にも遭遇するなど、若かりし日の体験を語ってくださったのを覚えています。

「日本を愛している」点では人後に落ちないことがわかります。

私達昔の若者が愛唱したこの歌は、なぜか右翼勢力も好んで、街宣車などで流していると苦笑いをされていましたっけ。

君の祖国を
藤田敏雄作詞・いずみたく作曲

もう一度 よく見てほしい
この国を よく見てほしい
さあ君の 小さなその目で
君が生まれた この国を

いつまでも 見つめてほしい


この国を 見つめてほしい
きょうもまた 空の見えない
いつも曇った この国を

わすれずに うたってほしい
このうたを うたってほしい
たのむから どんなときでも
わたしのいのちが 終わるとも

君だけは 愛してほしい
この国を 愛してほしい
なぜか今 祖国(そこく)とさえも
だれも呼ばない この国を



「なぜ学ぶか」という命題を私なりに考えていると、たとえば、クオレ物語の一節を思い出しました。
思い出しついでに、ずっと以前(まだ「昭和」の時代です)、入学したばかりの高校生にむけて話すために書いた原稿が残っていました。その一部分を引用します。

伝統ということを考えているときに、ふと思い出した歌がありますので、紹介します。与謝野晶子の歌です。
                                 劫初よりつくり営む殿堂にわれも黄金(こがね)の釘ひとつ打つ
 
 

劫初というのは、昔むかし、世界が誕生したころの大昔のこと。この歌は、歴史が始まって以来、人々がつくり営んで来た美の殿堂に、自分もまた黄金の釘を一打って、ささやかではあるけれども、この殿堂づくりに貢献しよう、という、芸術家としての意気込みを歌ったものです。

  私たちは、芸術家ではない我が校の歴史に刻み付けたいものではないか。
 

もっと大きなスケールでものをいえば、人間として生まれて来たからには、人類の歴史のうえに、何か意味のある足跡を残したいものじゃないか。それは歴史教
科書に書き記されるような大それた事じゃなくても、一人前の労働者、立派な一市民、子供に一目おかれるおやじ・お袋になって、いざというときに回りから頼りにされる人間になるということでもいい。とにかく、「この世に生まれて来た甲斐があった」「俺もなかなか捨てたものじゃない」と、自分の存在を自分自身で褒めてやれるような、そんな人生を送りたいものではないかと思います。
「我が校の伝統を受け継ぎ、新しい伝統を付け加えていく一人になって欲しい」というのが、二つ目のお願いでしたが、この「我が校の伝統」という言葉を「人類の文化」という言葉に置き換えて「人類の文化を受け継ぎ、新しい文化を付け加えていく一人になって欲しい」。
 

こう言い換えてみると、案外、私たちが学校で学ぶということの意味が見えて来るような気がします。学校での勉強は、個人の利害という面だけじゃなく、人類
が、営々として世代から世代へと伝えて来た「価値ある文化」を、より新しく高度なものに磨きながら、次の世代にバトンタッチしていく営みという面をもって
います。

  イタリアのアミーチスの小説「クオレ」の中の一節に、学校嫌いになった主人公エンリーコにお父さんが書いた手紙が登場します。
 

「今、世界中の子供達が、いっせいに学校に通って勉強していることを想像してご覧」と述べた後で、「考えてみるのだ、もしこの動きがやむようなことがあっ
たら、人類は再び野蛮の状態に陥ってしまうだろう。この動きこそ、世界の進歩であり、希望であり、名誉なのだと、だから勇気を出しなさい。」

 

だから、三番めのお願いは、何のために高校に来たのか、何のために勉強するのかを、いつも考えて、自分なりの答えを見付けて欲しい。ということです。その
答えは、ひょっとすると、高校在学中には見つからないかもしれない。だからといって、それが分かるまで勉強に身が入らないという種類の問題ではない。むし
ろ、思いっきり勉強して、勉強の面白さや、理解が広がり世界が広がっていく喜びを味わうことを通じてしか、その答えは分からないかも知れません。

 
今朝は、昨日よりも5度以上気温が下がり、冬の寒さが戻りました。

でも、意を決して、散歩してみました。

以前、子ども達が通い、今孫二人が通っている小学校までの通学路を歩き、さらにもう少し離れた鴨川流域まで歩いてみました。

出会った鳥については、また時を改めてご紹介するとして、きょうは、この1枚を掲載します。

 

S0251115.jpg

 

 間近な距離で、カワセミを見ました。黄色いのは咲き始めたナノハナ。春はそこまで来ています。

でも寒い。


nice!(36)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 36

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。