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槙村浩と三月一日 [今日の暦]

今日から3月。

「弥生」の声を聞くと春が遠くないことを感じます。

とはいえ、今日は朝から冷たい雨で、今しばらくの辛抱がいりそうです。

ところで、去年の3月1日の記事は、これ。1954年(昭和29)の今日、 マーシャル諸島のビキニ環礁で、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」などが、アメリカの水爆実験による「死の灰」を浴びて無線長の久保山愛吉さんが亡くなるなどの被害を受けた「ビキニデー」の話題でした。

3月1日にまつわるもう一つの歴史的事件は、 「三・一運動」または「三・一事件」、「三・一独立運動」、「万歳事件」とも呼ばれる出来事。

 「大辞林」 第三版にはこうあります。



さんいちどくりつうんどう【三・一独立運動・三一独立運動】



1919年(大正8)3月1日を期して始まり,1年以上にわたって,日本の植民地支配に反対して展開された朝鮮独立運動。独立万歳を叫んでデモ行進したので万歳(まんせい)事件とも呼ばれた。運動は都市から農村に拡大したが,軍隊を投入した日本により弾圧された。三・一事件。三・一運動。
 

 


 

この事件に対するの日本国内の反応は、概して植民地支配を是とする立場からの一面的なもの立ったようです。

ウィキペディアの記事をお借りしますと、こうあります。

発生当時の新聞の論調は圧倒的に運動に対し批判的で、紙面には「朝鮮各地の暴動」、「鎮南浦の騒擾」、「三・一暴動」(さんいちぼうどう)、「三・一鮮人暴動」(さんいちせんじんぼうどう)といった字句が踊っていた。

 

そんな中にあって、民族の独立と国際連帯、平和・民主主義を希求する立場から、この運動を高らかに歌いあげた日本の詩人がいました。

つい最近もこの記事などで話題にした、高知の革命詩人槙村浩(まきむらこう)が、その人です。

彼は、その代表作「間島パルチザンの歌」の中で、独立運動に立ち上がった若い姉弟に仮託して、こう歌っています。

おゝ三月一日!
民族の血潮が胸を搏(う)つおれたちのどのひとりが
無限の憎悪を一瞬にたゝきつけたおれたちのどのひとりが
一九一九年三月一日を忘れようぞ!


長い詩ですが、青空文庫から全体を引用しておきます。

間島パルチザンの歌
槇村浩



思ひ出はおれを故郷へ運ぶ
白頭の嶺を越え、落葉(から)松の林を越え
蘆の根の黒く凍る沼のかなた
赭ちゃけた地肌に黝ずんだ小舎の続くところ
高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ

雪溶けの小径を踏んで
チゲを負ひ、枯葉を集めに
姉と登った裏山の楢林よ
山番に追はれて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に
背負(しょひ)繩はいかにきびしく食ひ入ったか
ひゞわれたふたりの足に
吹く風はいかに血ごりを凍らせたか

雲は南にちぎれ
熱風は田のくろに流れる
山から山に雨乞ひに行く村びとの中に
父のかついだ鍬先を凝視(みつ)めながら
眼暈ひのする空き腹をこらへて
姉と手をつないで越えて行った
あの長い坂路よ

えぞ柳の煙る書堂の陰に
胸を病み、都から帰ってきたわかものゝ話は
少年のおれたちにどんなに楽しかったか
わかものは熱するとすぐ咳をした
はげしく咳き入りながら
彼はツァールの暗いロシアを語った
クレムリンに燻ぶった爆弾と
ネヴァ河の霧に流れた血しぶきと
雪を踏んでシベリヤに行く囚人の群と
そして十月の朝早く
津波のやうに街に雪崩れた民衆のどよめきを
ツァールの黒鷲が引き裂かれ
モスコーの空高く鎌と槌(ハンマー)の赤旗が翻ったその日のことを
話し止んで口笛を吹く彼の横顔には痛々しい紅潮が流れ
血が繻衣(チョゴリ)の袖を真赤に染めた
崔先生と呼ばれたそのわかものは
あのすざましいどよめきが朝鮮を揺るがした春も見ずに
灰色の雪空に希望を投げて故郷の書堂に逝った
だが、自由の国ロシアの話は
いかに深いあこがれと共に、おれの胸に沁み入ったか
おれは北の空に響く素晴らしい建設の轍の音を聞き
故国を持たぬおれたちの暗い殖民地の生活を思った

おゝ
蔑すまれ、不具(かたわ)にまで傷づけられた民族の誇りと
声なき無数の苦悩を載せる故国の土地!
そのお前の土を
飢えたお前の子らが
若い屈辱と忿懣をこめて嚥み下(くだ)すとき――
お前の暖い胸から無理強ひにもぎ取られたお前の子らが
うなだれ、押し黙って国境を越えて行くとき――
お前の土のどん底から
二千萬の民衆を揺り動かす激憤の熔岩を思へ!

おゝ三月一日!
民族の血潮が胸を搏(う)つおれたちのどのひとりが
無限の憎悪を一瞬にたゝきつけたおれたちのどのひとりが
一九一九年三月一日を忘れようぞ!
その日
「大韓独立萬歳!」の声は全土をゆるがし
踏み躙られた××(1)旗に代へて
母国の旗は家々の戸ごとに飜った

胸に迫る熱い涙をもっておれはその日を思ひ出す!
反抗のどよめきは故郷の村にまで伝はり
自由の歌は咸鏡の嶺々に谺した
おゝ、山から山、谷から谷に溢れ出た虐げられたものらの無数の列よ!
先頭に旗をかざして進む若者と
胸一ぱいに萬歳をはるかの屋根に呼び交はす老人と
眼に涙を浮かべて古い民衆の謡(うた)をうたふ女らと
草の根を噛りながら、腹の底からの嬉しさに歓呼の声を振りしぼる少年たち!
赭土の崩れる峠の上で
声を涸らして父母と姉弟が叫びながら、こみ上げてくる熱いものに我知らず流した涙を
おれは決して忘れない!

おゝ、
おれたちの自由の歓びはあまりにも短かゝった!
夕暮おれは地平の涯に
煙を揚げて突き進んでくる黒い塊を見た
悪魔のやうに炬火を投げ、村々を焔の×(2)に浸しながら、喊声をあげて突貫する日本騎馬隊を!
だが×(3)け×(4)れる部落の家々も
丘から丘に搾裂する銃弾の音も、おれたちにとって何であらう
おれたちは咸鏡の男と女
搾取者への反抗に歴史を×(5)ったこの故郷の名にかけて
全韓に狼煙を揚げたいくたびかの蜂起に×(6)を滴らせたこの故郷の土にかけて
首うなだれ、おめ/\と陣地を敵に渡せようか

旗を捲き、地に伏す者は誰だ?
部署を捨て、敵の鉄蹄に故郷を委せようとするのはどいつだ?
よし、焔がおれたちを包まうと
よし、銃剣を構へた騎馬隊が野獣のやうにおれたちに襲ひ掛からうと
おれたちは高く頭(かしら)を挙げ
昂然と胸を張って
怒濤のやうに嶺をゆるがす萬歳を叫ばう!
おれたちが陣地を棄てず、おれたちの歓声が響くところ
「暴圧の電光を覆ふ」朝鮮の片隅に
おれたちの故国は生き
おれたちの民族の血は脈々と搏(う)つ!
おれたちは咸鏡の男と女!

おう血の三月!―――その日を限りとして
父母と姉におれは永久に訣れた
砲弾に崩れた砂の中に見失った三人の姿を
白衣を血に染めて野に倒れた村びとの間に
紅松へ逆さに掛った屍の間に
銃剣と騎馬隊に隠れながら
夜も昼もおれは探し歩いた

あはれな故国よ!
お前の上に立ちさまよふ屍臭はあまりにも傷々しい
銃剣に蜂の巣のやうに×(7)き×(8)され、生きながら火中に投げ込まれた男たち!
強×(9)され、×(10)を刳(えぐ)られ、臓腑(ぞうふ)まで引きずり出された女たち!
石ころを手にしたまゝ絞め××(11)れた老人ら!
小さい手に母国の旗を握りしめて俯伏(うつぶ)した子供たち!
おゝ君ら、先がけて解放の戦さに斃れた一萬五千の同志らの
棺(ひつぎ)にも蔵められず、腐屍を禿鷹の餌食に曝す躯(むくろ)の上を
荒れすさんだ村々の上を
茫々たる杉松の密林に身を潜める火田民(かでんみん)の上を
北鮮の曠野に萠える野の草の薫りを篭めて
吹け!春風よ!
夜中(よじゅう)、山はぼう/\と燃え
火田を囲む群落(むら)の上を、鳥は群れを乱して散った

おれは夜明けの空に
渦を描いて北に飛ぶ鶴を見た
ツルチュクの林を分け
欝蒼たる樹海を越えて
国境へ―――
火のやうに紅い雲の波を貫いて、真直ぐに飛んで行くもの!
その故国に帰る白い列に
おれ、十二の少年の胸は躍った
熱し、咳き込みながら崔先生の語った自由の国へ
春風に翼(はね)を搏(う)たせ
歓びの声をはるかに揚げて
いま楽しい旅をゆくもの!
おれは頬を火照らし
手をあげて鶴に応(こた)へた
その十三年前の感激をおれは今なま/\しく想ひ出す

氷塊が河床に砕ける早春の豆満江を渡り
国境を越えてはや十三年
苦い闘争と試練の時期を
おれは長白の平野で過ごした
気まぐれな「時」はおれをロシアから隔て
厳しい生活の鎖は間島におれを繋いだ
だが かってロシアを見ず
生れてロシアの土を踏まなかったことを、おれは決して悔いない
いまおれの棲むは第二のロシア
民族の墻(かき)を撤したソヴェート!
聞け! 銃を手に
深夜結氷を越えた海蘭(ハイラン)の河瀬の音に
密林に夜襲の声を谺した汪清(ワンシン)の樹々のひとつひとつに
×(12)ぬられた苦難と建設の譚を!

風よ、憤懣の響きを篭めて白頭から雪崩れてこい!
濤よ、激憤の沫きを揚げて豆満江に迸れ!
おゝ、××(13)旗を飜す強盗ども!
父母と姉と同志の血を地に灑ぎ
故国からおれを追ひ
今剣をかざして間島に迫る××(14)の兵匪!
おゝ、お前らの前におれたちがまた屈従せねばならぬと言ふのか
太て/\しい強盗どもを待遇する途をおれたちが知らぬといふのか

春は音を立てゝ河瀬に流れ
風は木犀の香を伝へてくる
露を帯びた芝草に車座になり
おれたちはいま送られた素晴らしいビラを読み上げる
それは国境を越えて解放のために闘ふ同志の声
撃鉄を前に、悠然と階級の赤旗を掲げるプロレタリアートの叫び
「在満日本××(15)兵士委員会」の檄!

ビラをポケットに
おれたちはまた銃を取って忍んで行かう
雪溶けのせゝらぎはおれたちの進軍を伝へ
見覚えのある合歓(ねむ)の林は喜んでおれたちを迎へるだらう
やつら! 蒼ざめた執政の陰に
購はれた歓声を挙げるなら挙げるがいゝ
疲れ切った号外売りに
嘘っぱちの勝利を告げるなら告げさせろ
おれたちは不死身だ!
おれたちはいくたびか敗けはした
銃剣と馬蹄はおれたちを蹴散らしもした
だが
密林に潜んだ十人は百人となって現はれなんだか!
十里退却したおれたちは、今度は二十里の前進をせなんだか!
「生くる日の限り解放のために身を献げ
赤旗のもとに喜んで死なう!」
「東方××(16)軍」の軍旗に唇を触れ、宣誓したあの言葉をおれが忘れようか
おれたちは間島のパルチザン。身をもってソヴェートを護る鉄の腕。生死を赤旗と共にする決死隊
われらがものわれらがもの……
いま長白の嶺を越えて
革命の進軍歌を全世界に響かせる
――海 隔てつわれら腕(かひな)結びゆく
――いざ戦はんいざ、奮ひ立ていざ
――あゝインターナショナルわれらがもの

一九三二・三・一三

 伏せ字(××)は、青空文庫の注によると、次の通り。

(1)日章 (2)海 (3)焼 (4)崩 (5)綴 (6)血 (7)突 (8)刺 (9)姦 (10)腹 (11)殺さ (12)血 (13)日章 (14)日本 (15)革命 (16)解放

 日本の侵略と植民地支配の事実を指摘し、糾明する立場に対して、「反日」「売国」と悪罵を投げつけて威嚇する動きが、昨今高まっているようです。ヘイトスピーチと呼ばれる粗雑ででヒステリックな恫喝は、その最たるものでしょう。

戦前・戦中の日本の侵略・植民地支配の事実を知ることが、「民族の誇り」を失わせ、恥辱と自己嫌悪にさいなまれることにつながるという論も耳にすることがあります。

槙村浩(まきむらこう)の詩は、軍国主義日本の暴虐に身を賭してあらがい、近隣諸国の人々との友好をこそ、日本人民の願いだときっぱりと言明しているのです。ここに私達は、熱い誇りをおぼえてよいのではないでしょうか?

先の戦争における、被害の歴史、加害の歴史に加えて、抵抗の歴史を学ぶことこそが、歴史の真実を知る上で欠かせぬ課題であり、民族の誇りの形成にとっても不可避なのではないでしょうか?

 

実は今日の記事、もう少し論の展開があったのですが、またまた操作ミスで消してしまいました(トホホ)。

やっとの事でこのあたりまで「修復」させてみましたが、力尽きました。

 

 今日は冷たい雨の中、おなじみの散歩コースを歩いてみました。やはり、春は少しずつ近づいているようです。
雨に濡れた菜の花です

 


菜の花

菜の花

路傍の梅も美しく咲いています。
散歩道の白梅

 
散歩道の白梅

散歩道の白梅

 
散歩道の白梅


散歩道の紅梅

散歩道の白梅
これはミツマタでしたか。
ミツマタ

 
ミツマタ

ミツマタ
 


麦の芽も、ずいぶん背丈が伸びてきましたよ。

 

 

麦畑「

ではまた。

 


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