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はしけやし昭和末年17歳 [私の切り抜き帳]

前回ご紹介した生徒の句は、s55年当時、HR担任をしていた生徒の作品でした。

古典的定型の表現様式が、意外に彼らを惹きつける事実に気づくと共に、生徒の感性に魅了されるところ大でした。味を占めて、その後も、別の生徒達に、何度か試したことがありました。



次の作品群は、それから数年後、たぶん昭和の「末年」頃の生徒の作品、数クラス分の抜粋です。

たぶん、授業の一環か,宿題だかで作った句でしたから、動機に半強制があったり,私とのよそよそしい間柄が反映したりして、必ずしも心を開いた作品ばかりとは言えないかも知れませんが、まとめてご紹介してみます。

最初の数句に添えた( )の中の評は、気心が知れているつもりの、担任生徒の作品に対する私のコメントでした。

 孫を負い喜びひとつ母の冬[F] 

(無邪気にさえ見える母の笑顔。心なしかその背中もひとまわり小さくなったようーーー)



渡したい でも渡せないバレンタイン[F]

(わかる。)



先に切る難し過ぎる電話かな[Y] 

(言葉を失ってしまう電話というものもある)



 いつになくまじめな君に涙する[Y]

(意外な一面が、余計に胸を打つ。)



 風邪ひいて母のおかゆの暖かさ[A]

( 何も言わずとも、その心づかいが身に染みる。一部改作)



 やわらかな草むらを蹴るみなみかぜ[K]

(元の句:「夏草」では季重なりのため、改作)

 

このまんま来なくていいのに卒業式[T]

(別れはもの悲しいもの。特に残される身にとっては。)



あなたを連れて行ってしまう大阪が憎い[S]

(前の句と通いあう思い。自由律。)



走る走る北風の中を犬の君は[O]

(遠くで私はそれを見ている。自由律。)



 今日もまた勤め帰りの母の愚痴[S]

(気を張って働いて帰れば、我が子ゆえに垣間見せる隙もある。一部改作。)



 “おめでとう”それが聞きたい誕生日[O]

(ほかに何が欲しいわけではない。その一言が嬉しい。) 



 朝はやく頭をたたく蝉の声[H]

(夏の朝のひとこま。)



春までに君の心をつかんで見せる[K]

(字余りだが、あえて「つかみたい」とは変えないことにしよう。)

以下、複数クラスの作品の羅列。順不同です。

北風に吹かれて寄り添う野生鳩[M]

空を舞い春の息吹を感じたい[F]

草の芽の忍ぶ姿は我が身なり[K]

いなくても寂しくないよ君なんか[M]

夕焼けは寂しい心を暖める[U]

傷つけて存在示すさみしさよ[K]

静けさが振り返らせる僕の過去[Y]

“おはよう”と言ったその日は五月晴れ[Y]

ひまわりはショートカットを誘う花[I]

遠くには行かないでねと願う春[K]

春が来て優しい顔が歩いてる[O]

恋をしてきれいになったもんしろちょう[O]

明日よりも今を光って生きたいな[O]

目を閉じてなお見えるのは君の顔[O]

旧友と会って語るは遠き日々[N]

夕暮れや寒さやわらぐ通学路 [M]

一七才青空ほどに夢広し[I]

わけもなく心寂しき雨の音[S]

なんとなくでかけてみたい春の午後[T]

春の朝においほのかに新学期[T]

雪のよに通じぬ思い降り積もる[W]

冬の風しみる思いの片思い[U]

なに着てもやっぱり寒い心だな[I]

音までも胸に吸い込む寒の夜[Y]

帰っても家には誰もいないんだ[N]

寒い朝あなたとともにバスを待つ[S]

踏みしめる一七才の地図のうえ[M]

ただぼうっと見詰めていたい遠い空[M]

見上げてる星は段々遠くなる[O]

伝えたい心はあれど言葉なし[K]

青空に気付きはじめて季を感じ[O]



17歳!きらきらして、まばゆいですね。
玉石混淆と申しますが、珠玉もちらほら見つかるような気がします。

ここで一句。

はしけやし昭和末年17歳

「はしけやし」は、奈良時代頃に用いられた上代語で、形容詞「は(愛)し」+間投助詞「やし」という成り立ちと言います。「はしきよし」「はしきやし」とも言い、「ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。」と、愛惜、追慕、悲哀窓気持ちを詠嘆的に表すそうです。

古事記に、ヤマトタケルの臨終の場面が出てきます。

 青空文庫「校註 古事記(武田祐吉注釈校訂)」から引用します。

其地より幸でまして、三重の村一一に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重の勾(まがり)一二なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。

 そこより幸でまして、能煩野(のぼの)一三に到ります時に、國思(しの)はして歌よみしたまひしく、


倭(やまと)は 國のまほろば一四

たたなづく 青垣一五

山隱(ごも)れる 倭し 美(うるは)し。  (歌謠番號三一)


 また、歌よみしたまひしく、


命の 全(また)けむ人は、

疊薦(たたみこも)一六 平群(へぐり)の山一七

熊白檮(くまかし)が葉を

髻華(うず)に插せ一八。その子。  (歌謠番號三二)


 この歌は思國歌(くにしのひうた)一九なり。また歌よみしたまひしく、


はしけやし二〇 吾家(わぎへ)の方よ二一 雲居起ち來も。  (歌謠番號三三)


 こは片歌二二なり。この時御病いと急(にはか)になりぬ。ここに御歌よみしたまひしく、


孃子(をとめ)の 床の邊(べ)に

吾(わ)が置きし つるぎの大刀二三

その大刀はや。  (歌謠番號三四)


 と歌ひ竟(を)へて、すなはち崩(かむあが)りたまひき。ここに驛使(はゆまづかひ)を上(たてまつ)りき。

 



 

この部分を、同じく青空文庫「古事記物語(鈴木三重吉)」では、こう現代語訳してあります。

命(みこと)は、そのとき、

「わしの足はこんなに三重(みえ)に曲がってしまった。どうもひどく疲(つか)れて歩けない」とおっしゃいました。しかしそれでも無理にお歩きになって、能褒野(のぼの)という野へお着きになりました。

 命は、その野の中でつくづくと、おうちのことをお思いになり、


あの青山(あおやま)にとりかこまれた、

美しい大和(やまと)が恋しい。

しかし、ああ私(わたし)は、

その恋しい土地へも、

帰りつくことはできない。

命(いのち)あるものは、

これからがいせんして、

あの平群(へぐり)の山の、

くまがしの葉を、

髪(かみ)に飾(かざ)って祝い楽しめよ。




という意味をお歌いになり、




はしけやし、

わぎへの方(かた)よ、

雲いたち来(く)も。

 (おおなつかしや、

  わが家(や)のある、

  はるかな大和(やまと)の方から、

  雲が出て来るよ。)




と、お歌いになりました。

 そして、それといっしょにご病勢(びょうせい)もどっとご危篤(きとく)になってきました。

 命(みこと)は、ついに、




おとめの、

床(とこ)のべに、

わがおきし、

剣(つるき)の太刀(たち)。

その太刀はや。




と、あの美夜受媛(みやずひめ)のおうちにおいていらしった宝剣(ほうけん)も、とうとう再(ふたた)び手にとることもできないかとお歌いになり、そのお歌の終わるのとともに、この世をお去りになりました。



 

 

「はしけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居起ち來も。」

臨終の床にあったヤマトタケルが、故郷を思って歌った歌です。

 「吾家(わぎへ)の方よ」の「よ」は、「ゆ」ともいい、「~から」の意の上代の助詞です。

この歌は、五七七からなる、古代歌謡のスタイルの一つである「片歌(かたうた)」という形式で作られています。多く問答に用いられ、五七七、五七七の、2首を合わせて旋頭歌 (せどうか) の形になります。

旋頭歌と言うと、よく知られているのが、万葉集巻六・1018にある、次の歌でしょうか?

白珠は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも われし知れらば 知らずともよし

 
元興寺(がんごうじ)の僧が読んだとされる歌で、「 真珠は人に知られていない。だが人は知らなくてもいい。人は知らなくても、自分がその価値を知っていれば、人は知らなくてもよい。」と訳されます。白玉(真珠)は、自身の才能・価値をたとえ手織り、我が才覚は人に知られていないが、それで結構。自分一人自覚していれば、人が知らなくても構わないのだ、と悟っている(それとも、愚痴っている?)歌です。心静かなようでいて、ちょっと人間くさい、微笑ましい歌と思えます。

 いずれにしても、片歌は二つセットで、旋頭歌として完成します。「はしけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居起ち來も」に続けて、タケルの胸にはどのような思いが去来していたのでしょうか。

「はしけやし」 は、ちょっと印象に残る言葉です。

ここで一句。

はしけやし まごうことなき 秋の空

 

 

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オモチャのフィッシュアイ(魚眼)レンズも面白い。
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朝顔が、今朝も律儀に咲いてくれました。
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ところで、きょうのこれなあに?
 
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バックの青い部分は、プラスチックの虫かごの蓋です。
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このメタリックなオブジェの正体は、ちょっと想像するのが難しいですね。
 
わが家の脇の道路を、この毒々しい「鬼虫」が、何匹も這っています。
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この虫の食草は、スミレです。
もう、餌を食べ尽くしてしまったようです。
パンジーの苗でも仕入れてやる必要がありますかね。
 
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 種明かし。

ツマグロヒョウモンの、サナギと幼虫の、世を忍ぶ仮の姿でした。

メタモルフォーゼ(変身)の妙に驚嘆しますね。

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 去年、この記事(虫めづる姫のめでたる棘毛虫)にも書きました。

きょうはここまで。


 

 


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コメント 8

majyo

昭和末年17歳とは、良い語感です
私は計算しました・・・・言いませんが(笑)
このまんま来なくていいのに卒業式[T]
この句が 私にはぐっとくるかなあ?
落ちて、行く学校が無かったのですよ
一枚目の写真が斬新的です。偶然なのか?
この様な構図を考えたのか?
by majyo (2015-08-27 20:06) 

johncomeback

雲のお写真素敵ですが、虫は苦手です(*´∇`*)
by johncomeback (2015-08-27 22:44) 

kazg

majyo様
「一枚目の写真」偶然です。たまたま目で見て、雲の形を面白いとは思いましたが、構図を考えるゆとりまではありませんでしたので。
by kazg (2015-08-28 08:09) 

kazg

johncomeback 様
すみません。
「不快画像あり」の、注記をつけておくべきでしたね、ごめんなさい(笑)
by kazg (2015-08-28 08:12) 

joyclimb

ツマグロヒョウモン、見事な変身ですね^^
「今日もまた勤め帰りの母の愚痴」、印象に残りました。
by joyclimb (2015-08-29 22:18) 

kazg

joyclimb様
生き物の七変化、不思議です。
その句、私も、クスッと笑えました。深刻でない、さらりとしたところがよく、大人としては身につまされますね。
by kazg (2015-08-30 07:17) 

momotaro

「はしけやし」いい言葉ですねー
花の名と同じでまた忘れそうですが!
青春時代を思い出しながら拝読しました。
朝顔の赤紫も鬼虫もお見事ですね〜
by momotaro (2015-09-01 11:51) 

kazg

momotaro様
> 青春時代を思い出しながら
本当に、初々しく、奔放自在な、時代ですものね。
by kazg (2015-09-01 16:24) 

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