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シリーズ「サギ」 その5 ゴイサギの巻 [獺祭魚]



以前こんな記事を書きました。

一部を再掲します。







 ダイサギ ゴイサギ ダイゴ帝?
「ゴイサギ」。なんだか居心地のよくない響きではありませんか?子供のころ、「あれはシラサギ、これがゴイサギ」などと呼ばれるのを聞いて、後者には幾段か格下の物に対する軽んじるニュアンスを感じたような記憶があります。
ですが、「五位鷺」と表記され、名付けのいわれを聞けば、少々評価が覆される気もします。
「五位」は、古代の官位で、原則としてこれより上が「殿上人」の資格を得るボーダーで、宮中で天皇に謁見する事が許された、特別な存在です。
再度、古語辞典によると、こうあります。「てんじゃう-びと 【殿上人】/名詞/清涼殿の「殿上の間(ま)」に昇ることを許された人。四位・五位の人の中で特別な人。蔵人(くろうど)は六位でも許された。「上人(うへびと)」「雲の上人」「雲上人(うんじやうびと)」「殿上」とも。(中略)/[反対語] 地下(ぢげ)。/参考「殿上人」は貴族の中流階層で、直接政治にかかわる上級の「上達部(かんだちめ)」と、昇殿のできない「地下(ぢげ)」との中間に位置する。」(「学研全訳古語辞典」)
 
なぜ、この鷺がこれほどの官位を名に持つのか?
平家物語に、こんな記載があります。
 「延喜御門、神泉苑に行幸あって、池のみぎはに鷺のゐたりけるを、六位を召して、『あの鷺取って参らせよ』と仰せければ、いかでか取らんと思ひけれども、綸言(りんげん)なれば歩みむかふ。鷺羽繕ひして立たんとす。『宣旨ぞ』と仰すれば、平んで飛び去らず。これを取って参りたり。『なんぢが宣旨にしたがって、参りたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ』とて、鷺を五位にぞなされける。今日より後は鷺のなかの王たるべしといふ札をあそばいて、頸にかけてはなさせ給ふ。」(巻第五 朝敵揃)



延喜御門(えんぎのみかど)とは、醍醐天皇のこと。この頃は「宣旨を向かつて読みければ、枯れたる草木も忽ちに花咲き実生り飛ぶ鳥も従ひき」というほど、天皇の威光がすばらしかったというエピソードです。
要旨はおよそ次の通り。---神泉苑(しんせんえん)に天皇が出掛け、池に鷺(さぎ)がいるのを見て、六位の者を呼び、「あの鷺を取って参れ」と命じた。六位は「どうして捕まえられようか」と思うが、勅命なので鷺の方へ歩いていく。鷺は毛づくろいをして今にも飛び立つところだったが、六位が「宣旨である」と声を掛けると、鷺はその場に平伏して飛び立たなかった。これを捕まえて献上すると、天皇は鷺の神妙な態度を誉め、五位の位を与えた。そして木の札に「鷺の中の王」と書いて鷺の首にかけ、空に放った。
                               
成鳥は頭部~背中が青く、胸~腹が白色のツートンカラーの、端正な要旨をしています。「五位」の名もむべなりと感じます。

タイミング遅れですが、九月の終わりに写した写真を掲載します。

 
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延喜帝=醍醐帝といえば、第60代天皇で、897年から930年まで、34年間在位し、数々の逸話を残していますが、藤原時平の讒言を容れて菅原道真を太宰府に左遷したエピソードは、何度か記事にしました。

日替わりで小出しの自慢がまだ続き

西行も浮かれこそすれ花爛漫

人様の都合にお構いなしの雪

春浅き鄙の野辺にも花だより

梅の花匂いおこすや海越えて



今日は、もう一つ別のエピソードを、歴史物語の「大鏡」から紹介します。醍醐天皇の勅令によって、最初の勅撰集(天皇の命令によって編纂された和歌集)である『古今和歌集』が編纂されました。それにまつわる逸話です。

 歴史物語  大鏡  貫之と躬恒


延喜の御時に『古今』抄ぜられし折、貫之はさらなり、忠岑や躬恒などは、御書所に召されて候ひけるほどに、四月二日なりしかば、まだ忍び音のころにて、いみじく興じおはします。貫之召し出でて、歌つかうまつらしめ給へり。
こと夏はいかが鳴きけむ時鳥この宵ばかりあやしきぞなき
それをだにけやけきことに思ひ給へしに、同じ御時、御遊びありし夜、御前の御階のもとに躬恒を召して、「月を弓張といふ心は、何の心ぞ。これがよしつかうまつれ。」と仰せごとありしかば、
照る月を弓張としもいふことは山辺をさしていればなりけり

と申したるを、いみじう感ぜさせ給ひて、大袿賜ひて、肩にうち掛くるままに、
白雲のこのかたにしもおりゐるは天つ風こそ吹きてきぬらし
いみじかりしものかな。さばかりのものを近う召し寄せて勅禄賜はすべきことならねど、誹り申す人のなきも、君の重くおはしまし、また躬恒が和歌の道に許されたるとこそ、思ひ給へしか。

(第六 昔物語)



【老人語訳】

 延喜(醍醐天皇)の御代、『古今和歌集』を撰定あそばしたときに、(紀)貫之はもとより、(壬生)忠岑や(凡河内)躬恒などは、御書所に召されてひかえ
ておりましたんですが、四月二日でしたによって、(ほととぎすも)まだ忍び音に鳴くころでしてな、(天皇は、その時期の風情を)この上ものう興じておられ
ます。貫之をお召しになりまして、歌をお詠ませになりましたのじゃ。

  他の年の夏はどんな声で鳴いたのでしたかなあ、ほととぎすは!今宵ほど、その声に心ひかれる不思議な思いは、今迄になかったことですわい。

貫之の歌だけでさえ、際だってすばらしいことと思いましたが、同じころ、管弦の遊びがございました夜に、御前の階段のもとに凡河内躬恒をお召しになりましてな、

「月を弓張りというのはどういうわけじゃの?その理由を歌に詠め。」とお言葉がありましたのじゃ。

 照る月を弓張りというのは、山のあたりをさして弓矢を射るように月が入るからでありますよ。

と申し上げたところ、(天皇は)たいそう感心なさって、褒美に大袿を下さり、それを肩にかけると、躬恒はすぐ、

  白雲が、この肩に降りて来ましたのは、まるで、尊い天の風が、私のうえに吹き下ろしてきたもののようですなあ。



とても素晴らしい詠みぶりでしたなあ。身分の低い躬恒のような者を近くにお召し寄せになって、ご褒美をお与えになるべきことではございませんが、それを非
難し申し上げる人がないのも、醍醐帝が重々しくていらっしゃり、また一方で、躬恒が和歌の道で世間から認められているからによってじゃと思い申しましたわ
い。


ところで、醍醐とは、wikiによれば「五味の一つ。牛乳を精製した中で最も美味しい味とされ、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされる。すでに製法は失われており、バターのようなもの、又は現代で言うカルピスや飲むヨーグルトのようなもの、または蘇(レアチーズ)を熟成させたもの等、乳飲料・乳製品のことと考えられている」と説明されています。


また、「醍醐味(だいごみ)」という言葉について、日本大百科全書(ニッポニカ)は次のように解説しています。

 「最高の美味」を意味する仏教用語。牛乳製品を発酵の段階にしたがって五つ(乳(にゅう)、酪(らく)、生酥(しょうそ)、熟酥(じゅくそ)、醍醐)に分け、
それら五つの味を五味(ごみ)といい、あとのものほど美味であるとする。五味は教義や経典の深浅の説明に用いられ、最高のもの(たとえば『涅槃経(ねはん
ぎょう)』)が醍醐味に例えられる。サンスクリット語でサルピル・マンダsarpirmaaというが、乳酸飲料「カルピス」はこのsarpir(サルピスsarpis)をもじった商標である。すばらしい体験をすることを「醍醐味を味わう」という。[定方 晟]



「大袿」について 「大辞林 第三版」はこう解説しています。
おおうちき【大袿】

袿の,裄(ゆき)・丈などを大きく仕立てたもの。褒美(ほうび)などとして賜るもので,着るときは普通の袿に仕立て直す。

今日の附録。近くの蓮根田で、シラサギたちが、晴れがましく大袿(おおうちき)を誇示しています。



















採餌中を、トリミング。



実はここで、ちょっと珍しい鳥に会いましたが、その話題は次回に回します。それでは今日はさようなら。


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momotaro

ゴイサギ、どうもオイハギみたいな感じがしちゃうんですよね。五位鷺なんですね、勉強になりました。
by momotaro (2015-11-19 15:18) 

kazg

momotaro 様
本当に、耳に入るイメージは「ビミョー」ですよね。「オイハギ」、、言い得て妙です。
by kazg (2015-11-19 21:04) 

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