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この道はいつか来た道 「密告フォーム」の行き着く先、の巻 [時事]

昨日の記事で引用した「二十四の瞳」の一節を再掲します。


 そして、ついにむかえた八月十五日である。濁流がどんないなかのすみずみまでも押しよせたようなさわぎのなかで、大吉たちの目がようやくさめかけたとしても、どうしてそれをわらうことができよう。わらわれる毛ほどの原因も子どもにはない。
まったくそのとおりです。
子どもたちを熱病にうかされたように軍国少年・少女に仕立て上げ、「命は鴻毛より軽し」とばかりに死に急がせたのは、学校でそう教えた教師をはじめ、ほかならぬ大人たちの責任です。
ただ、絶対主義天皇制下の先生支配のもとでは、
自ら好んで流れに身を任せないまでも、その流れに抗ったり押しとどめようとすることは、文字通り命がけの困難を伴いました。
壺井栄の夫壺井繁治も、プロレタリア詩人としての思想と運動の故に、繰り返し検挙投獄され、「転向」を強いられます。
詩人・翻訳家の大島博光さんは、壺井繁治についてこう書いておられます。(壺井繁治と「全詩集」


比喩にくるんだ風刺  追い続けた蝶のイメージ
壺井繁治と「全詩集」 国文社      大島博光
ファシズムへの批判と嘲笑
  戦争前夜の一九三〇年代─ファシズムの風潮がいよいよ高まり、治安維持法という名だたる悪法がわがもの顔にのさばった一九三〇年代。小林多喜二の拷問と虐殺(一九ニニ年)に象徴されるあの血なまぐさい弾圧の時代の暗黒さは、いまの日本ではもう想像もつかない。(だがおんなじ血なまぐさいファシズムが、いま もチリや南朝鮮やスペインで荒れ狂っている。)
 詩人壺井繁治は、この一九二〇年代の嵐のなかをコミュニストとしてくぐりぬけなければならなかった詩人たちの、典型的なひとりである。
 一九二九年、すでにアナーキズムと訣別してコミュニストとなっていた彼は『戦旗』の発行担当者となっている。そのために、検束、拘留をうけることが日常的となり、一九三〇年と三二年、二度にわたって投獄され、一九三四年、保釈の身となり、出獄している。
 詩人が生きたこの時代とかれの体験は、その詩のなかにも反映されている。一九二六年にかかれた『頭の中の兵士』『勲章』などの作品は、こんにちこれを読みかえしてみるとき、あらためて新しい感銘をわたしにあたえる。この風刺的な散文詩は、奇抜なイメージと、なかなか晦渋な比喩によって、当時のファシズムと軍国主義を批判し、これを痛烈に嘲笑している。

  ・・・一隊の騎兵は馬首を揃えて進軍した。・・・何処からともなく美しい一羽の蝶が飛んで来た。士官はそれを見つけるや否や、指揮刀を高く振り上げて、「止れっ!」と号令した。「おい、貴様たち!あの蝶を切り捨てて見ろ!見事に切り捨てた奴には褒美として勲章をやる」
 兵士達は、この号令に従って、われ先きにと剣を引き抜いて、その美しい蝶をめがけて斬り込んで行った・・・」(『勲章』)


 ここにすでに、この詩人の愛する蝶というイメージが現われている。このイメージに詩人が何を託したのかは、はっきりとはわからない。読者はそれをいろいろにおしはかるほかはない。しかし、この晦渋さ、難解さが、この散文詩を二重に生かしているのである。ひとつは、平板な自然主義的な描写の目立っていた当時のレアリズム詩のなかにあって、この散文詩はこのようなイメージと比喩によってひときわきわだっていること。もうひとつは、この晦渋さ、難解さによって、当時の検閲の眼をくらますことができたということである。その頃は、ちょっとした革命的な表現や言葉をふくんだ作品でさえ、しばしば発禁処分のうきめに合ったのであった.

″蝶″に託す人間の勝利と希望
 さて、拷問、投獄という地獄の体験は生まやさしいものではなかった。投獄されたことを知った詩人の母は、「心痛のあまり発狂(軽症)」したのでもあった。そして詩人は、

 ふるさとの母は
 愚かだけれど なつかしい


 という詩句ではじまる『ふるさとの母に』と題する、やさしい、うつくしい詩をかく。詩人はたんたんとほとんど客観的に「泥棒や人殺しだけが」牢屋に入れられると考えている母によびかけている。しかしこの詩の背後には詩人のわめきたいような激情がかくされ、抑えつけられているのである。そのことによって、この作品は詩としての力をもつことにもなる。

 おお、なつかしいふるさとの母よ
 私の仲間たちは
 まだ多勢牢屋につながれています
 そしてこれからもつながれるでしよう
 けれどもどうか達者でいて下さい
 どうして私達が
 そんなに牢屋につながれるかが納得出来る日まで・・・


 しかし情勢はますます悪化してゆく。第二次世界大戦が始まる。日中戦争がいよいよ深みにはまってゆく。一九四〇年、詩人は「標本箱に収められながらなお羽根をふるわせる蝶の登場する」詩「蝶」をかく。ここには、幾重にも屈折した詩人の想いが、標本箱の中の蝶というイメージと、胸に抱きしめて「長い冬を凌いできた」蕾というイメージによって描かれている。作者はこの詩を「一種の転向詩」とよんでいるが、この詩のなかの作者はまだ転向しきってはいない。「おお蝶よ/私の胸へ/春の溜息する方へ飛んで来い」とうたうとき、詩人の声は弱よわしいけれども、なお希望をかかげているのである。のちに詩人がみずから表現した言葉にしたがっていえば、この詩はたとえ弱よわしくあろうとなお「人間の希望と勝利へつながるものとしての敗北の歌」ということができよう。
  戦後、一九四六年、詩人は「小林多喜二のお母さんへ」という献詞をもつ『二月二十日』をかいている。ここには、多喜二を虐殺したファシズムの残虐さと共産義者たちの人間的な同志愛とが、また戦前と戦後とが、あざやかな対比のうちに描かれており、詩人の抒情がみずみずしく鳴りひびいている。この詩はやはり一九三〇年をつたえる記念碑的な作品である、といっていい。 
ここで紹介されている「小林多喜二のお母さんへ」という詩はこう始まります。


小林のお母さん
あなたの息子が殺されてから十二年たちました
あなたの息子が警察につかまって
二十四時間とたたぬうちに殺されたことを知ったとき
私は牢屋に繋がれていました。
お母さん
あなたはどんな思いでその知らせを受け取りましたか
(略)


壺井繁治については、私の過去記事でも、こっそり短い詩を紹介しました。

◇きれいさっぱり新規インストールで光明みえたとおもったが、の巻


生まれかわったような
   朝を迎えたい
   その日限り
   死んでも惜しくないような
       壺井 繁治


下の作品などとともに、好きな詩のひとつです。


 黙っていても


 黙っていても
 考えているのだ
 俺が物言わぬからといって
 壁と間違えるな




 石

 石は
 億万年を
 黙って
 暮らしつづけた
 その間に
 空は
晴れたり
曇ったりした 命は鴻毛より軽し
また、大島博光さんのことも、これらの記事で話題にしました。

◇膾を割くに牛刀を以てす、、あれれ?

◇風よお前は  

◇もうひとつの911 その2

このお二人が、戦後、「詩人会議」の設立と民主主義的詩運動の発展にともに尽力した盟友であったことには、うかつにも今まで気づかずににいました。(知ったかぶりの地金はすぐに剝げます(汗)

ところで、壺井栄は、夫繁治をとおして小林多喜二や宮本百合子らのプロレタリア作家との親交をふかめ、百合子の紹介で「大根の葉」を、『文芸』に発表して好評を博し、作家として本格的にデビューしました。宮本百合子は、治安維持法違反で十二年もの間獄中生活を強いられた夫宮本顕治(芥川龍之介を論じた「敗北の文学」で「改造」新人賞を得た文芸評論家で、非合法時代の日本共産党幹部。戦後、日本共産党書記長、委員長、議長として活躍。今日の基盤を築いた)に当てた手紙に、こう書いています。




 七月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
私が病院から帰って来た時分、スエ子は是非私と住みたい心持で、私もそれはやむを得まいと思って居りましたが、この頃ではスエ子が自身の職業をもつ条件や何かでやっぱり国男たちと暮し、後には一本立ちになるプランに変更です。だから私は私で自分の一番よいと思う暮しかたをすればよくなったので大変楽です。去年の六月頃詩人[自注6]である良人に死別した女のひとで、おひささんというおとなしい人がいるのでもしかしたらそのひとに家のことを見て貰うかもしれません、それが好都合にゆけば私は殆ど幸福というに近い暮しが出来るのですが――私の条件としてはね。この頃私は仕事というか文学についての勉強心というか猛烈であって、女学生のようです。
(中略)
 
[自注6]詩人――プロレタリア詩人、今野大力。『戦旗』とプロレタリア文化連盟関係の出版物編輯発行のために献身的な努力をした。共産党員。一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった。のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されている。

宮本百合子「獄中への手紙 一九三六年(昭和十一年)」 (青空文庫より)

ここで名前が出てくる今野大力について、2007年8月25日(土)「しんぶん赤旗」はこう書いています。




 今野大力(こんの・だいりき)は、戦前、天皇制政府による激しい弾圧のもとで、反戦平和と国民が主人公の世の中をつくるために、最後まで命がけでたたかった日本共産党員の詩人です。

 今野は、1904年(明治37年)に宮城県丸森町に生まれ、3歳のとき北海道旭川に移住。父母は馬車鉄道の待合所をかねて雑貨店を営みますが、貧しい中で弟や妹を出生間もなく失います。しかし、今野は、逆境にめげず、幼少のころから心やさしく、仲間たちからも慕われました。旭川時代から郵便局などで働きながらも向学心に燃えて独学に励み、17歳のころからは叙情性の豊かな作品で詩人としての才能が認められ、文学活動をつづけるなかで、民衆の生活への社会的関心をつよめていきます。


 31年9月、中国東北部への侵略(満州事変)が始まると、今野は、「日本プロレタリア文化連盟(コップ)」(同年11月結成)で同じ共産青年同盟員であった今村恒夫、槙村浩らとともにひるまずたたかいました。


 『プロレタリア文学』32年2月号に発表された今野の反戦詩「凍土を噛(か)む」は―


 おれたちは千里のこなたに凍土を噛む 故国はおれたちをバンザイと見送りはしたが ほんとうに喜こんで見送った奴は 俺達の仲間ではない おれた ちは屠殺場へ送られてきた馬 豚 牛だ!……殺す相手も 殺される相手も 同じ労働者の仲間 おれたちにはいま仲間を殺す理由はない この戦争をやめろ


―と書いています。


 32年3月、文化運動の広がりと発展にたいして、天皇制政府は、文化活動家404人を逮捕。今野は駒込警察署での拷問がもとで、人事不省におちいり釈放されます。健康を害した今野は、奇跡的に回復すると、屈することなく、小林多喜二の虐殺、今村恒夫逮捕の後の「赤旗」(せっき)配布などに参加し、33年には野呂栄太郎、宮本顕治の推薦で日本共産党に入党します。しかし、ふたたび結核が悪化し、35年6月19日、31歳の若さで永眠しました。


 黙々とたたかう今野の姿は、宮本百合子の小説「一九三二年の春」「刻々」「小祝の一家」にも描かれています。


 死の一カ月前に今野が書いた「小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく」で始まる詩「花に送られる」は、療養先だった武蔵野の住まいから江古田の療養所へ向かう寝台自動車の自分をうたい、死を覚悟した決然とした姿が胸を打ちます。


 〈参考〉『今野大力作品集』(新日本出版社)(喜)


 〔2007・8・25(土)〕



文章中の、槙村浩(まきむらこう)の話題も、何度か記事にしました。

◇「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻

◇里村欣二は日生の生まれ、の巻

◇槙村浩と三月一日

◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻

◇懐かしき便り嬉しき聖夜かな

今野が反戦詩「凍土を噛(か)む」を発表したのと同じ1932年2月、創刊の『大衆の友』に発表した詩『生ける銃架』は、進軍する兵士を生きた銃架にたとえてこう歌います。


『生ける銃架』   槙村浩

(前略)

高粱の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く

銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与へる――血のやうな夕日を浴びてお前が黙々と進むとき

お前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢に隠れ

お前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だ

(中略)

生ける銃架。おう家を離れて野に結ぶ眠りの裡(うち)に、風は故郷のたよりをお前に伝へないのか

愛するお前の父、お前の母、お前の妻、お前の子、そして多くのお前の兄妹(きやうだい)たちが、土地を逐(お)はれ職場を拒(こば)まれ、飢えにやつれ、歯を喰い縛(しば)り、拳(こぶし)を握(って、遠北の空に投げる憎しみの眼は、かすかにもお前の夢に通はぬのか

(中略)

生ける銃架。お前が目的を知らず理由を問はずお前と同じ他の国の生ける銃架を射×しお前が死を以て衛(まも)らねばならぬ前衛の胸に、お前の銃剣を突き刺す時背後にひゞく萬国資本家の哄笑がお前の耳を打たないのか

突如鉛色(なまりいろ)の地平に鈍い音響が炸裂(さくれつ)する砂は崩れ、影は歪(ゆが)み、銃架は×を噴いて地上に倒れる

今ひとりの「忠良(ちうりゃう)な臣民(しんみん)」が、こゝに愚劣な生涯を終えた

だがおれは期待する、他の多くのお前の仲間は、やがて銃を×に×ひ、剣を後(うしろ)に×へ自らの解放に正しい途(みち)を撰び、生ける銃架たる事を止(とゞ)めるであらう

(後略)



この頃、共青高知地区委員会のメンバーが高知市朝倉の歩兵44連隊兵舎内に侵入して上海出兵に反対する 「兵士よ敵をまちがえるな」と書いた反戦ビラを配布するが、そのビラを槇村が執筆した。と、ウィキペディアにはあります。

翌33年2月20日、小林多喜二は、特高警察のスパイの手引きで今村恒夫とともに逮捕され、築地署で拷問を受け、その日のうちに虐殺されました。

その一周忌に当たって作られた今野大力の詩を青空文庫から引用します。が







 




今日も途中でバックアップできないトラブル。文章を二回書きました。くたくたです。

木槿の花



ひまわりの花。















フヨウの花とキリギリス。



きょうはこれにて

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gonntan

「天上天下唯我独尊」
「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」
と学び、感動しても、やっぱり人は社会的動物で
人の上に立って命令したいものなんですね。

これだけの文章、いつもいつもアップされるご努力
私は爪の垢を煎じて飲まねばなりません ><

by gonntan (2016-07-17 23:04) 

kazg

gonntan様
>人の上に立って命令したいもの
本当に困ったものですね。イソップの「牛と蛙」とか、チャップリンの独裁者でヒンケルとムッソリーニが椅子で高さ比べをするシーンとか、とにかく優位に立ちたい、上に立ちたいという欲望は、端から見ればコッケイなのですがね。

by kazg (2016-07-18 19:01) 

アヨアン・イゴカー

>治維法
治安維持法と言う虐殺された多喜二を思い出します。
平成の治安維持法、特定秘密保護法は絶対に廃止しなければなりません。
by アヨアン・イゴカー (2016-07-18 21:49) 

kazg

アヨアン・イゴカー様
無法と非道の温床、悪夢の再来を許す訳にはいきませんね。
by kazg (2016-07-19 22:28) 

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