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枯れ山に深山頬白色を添ふ [折々散歩]


昨日は久々に、日中の「託児所業務」がお休みで、一人で過ごしました。

特別の当てもなくテレビのスイッチをONしてみますと、前日、保育園児求めに応じて幼児番組をみるためにNHK「Eテレ」にチャンネルを合わせたままでした。
そこでは、「地域発ドキュメンタリーの祭典『地方の時代』映像祭」というイベントの紹介番組が流れていました。
NHKのHPにこう紹介されています。
 36回の歴史を刻み、地方の問題を見つめ続けてきた「地方の時代」映像祭。
11月に大阪府吹田市の関西大学で行われた贈賞式・記念講演・シンポジウムの模様を紹介する
▽グランプリ作品発表
▽フリージャーナリスト江川紹子「メディアと市民」関係性変化への問題提起
▽福島・沖縄・熊本…そこで暮らす人々と“取材者”の関係に悩む日々…。地域を拠点に活動するジャーナリストたちがメディアのあり方について語り合う 司会:吉岡忍
見るともなく眺めていますと、中・高校生、大学生、ケーブルテレビ局、地方放送局などの部門ごとに、優秀作品の表彰の模様や簡単な作品紹介がありました。
概略はこちら
興味惹かれる作品が並ぶ中で、グランプリを獲得したのは?
地元岡山の放送局のこの作品でした。
「島の命を見つめて~豊島の看護師・うたさん~」山陽放送-50分
かつて産廃の島として全国の注目を浴びた香川県豊島(てしま)。
島民の半数以上が65歳以上という、近い将来日本全国に訪れる超高齢化社会の先駆けともいえるこの島で、住民の生と死に寄り添う看護師の目を通して、日本の近未来を問う作品のようです。
山陽放送(RSK)のHPにはこう紹介されています。
 超高齢化を迎えた豊島(香川県土庄町)。若い世代の多くは島を離れ、残ったのは70代・80代のお年寄りばかりだ。彼らはいま、静かに島の時間を過ごしている。
そんな彼らの命に寄り添うのは、島で唯一の診療所「豊島健康センター」だ。看護師の小澤詠子さんは、診療のかたわら毎日高齢者世帯を訪問し、健康状態を看て回っている。彼らの口から出る言葉は「はよ死にたい」「わしが先に逝きたかった」・・・彼らはいつも親兄弟や自らの死と向き合いながら生きているのだ。
死を覚悟した人たちを、医療で支える・・・そんなジレンマを感じながら、日々お年寄たちに寄り添う小澤さん。彼女は言う、「ここは生き合い、死に合う島」なのだと。医療を通した看護師とお年寄りとの「生と死」を追った。

続いて、江川紹子さん(フリージャーナリスト)の講演の模様も紹介され、メディア内部の、またメディアと視聴者の関係性の変化を、いつもながら鋭く、解き明かしておられました。とくに、視聴者に受ける(視聴率氏を稼げる)番組への傾斜が著しく、センセーショナルさを競い、、わかりやすさを追求するあまり、白か黒か、善か悪かのシンプル化が進んでいる。視聴者が自ら考え判断できるよう、情報を正しく提供する姿勢が大切。という趣旨の発言が、印象に残りました。
番組の最後は、それぞれ「取材」「報道」「ジャーナリズム」に携わってこられたパネリスト4人の、現場の思いや悩みを踏まえてたコメントに、いろいろと考えさせられました。

ちょうどそんなとき、cyoko1112 様が、昨日のブログ記事チョコ君です、沖縄の人たちを追い詰めるバッシングとに、こう書いておられました。
 沖縄タイムスで長年、米軍基地問題を取材してきた
阿部さんは基地建設と抗議運動について、
どう考えているのか。
「機動隊は法的根拠なしに実力行使をし、道路を封鎖し
ています。つまり、民主主義、さらには法治国家の破壊
が起きているとも言える。沖縄でしかこんなことはでき
ないでしょう。差別の延長とも言えます」

「あまりにも圧倒的多数が無関心だと、むなしさや脱力
感を覚えることもあります。本土では特に、想像しづら
いのかもしれません。

沖縄の人は洗脳されている、抗議しているのは
『プロ市民』だと言って、『知らなくて良い』と思って
いる人もいるでしょう」

「でも、決して無関係ではないんです。ナチス・ドイツ
時代にヒトラー政権に抵抗した牧師マルティン・ニーメ
ラーの詩にあるように」
(中略)
「いま沖縄で起きていることは、日本全体でいつか起き

るかもしれない。無関心の人には、

“関係ないことではない、他人事じゃないんだ”と、

語りかけているつもりで記事を書いています」

「そうして記事が届いて、伝われば、1人でも、2人で
も変えられると信じて、努力を続けるしかない。
そうでもないと、こういう仕事はできませんよね。
地元の新聞記者でいる、使命、みたいなものですよ」
(BuzzFeeD参照)
私は、思いつくまま、こんなコメントを寄せさせていただきました。
>沖縄でしかこんなことはできないでしょう。差別の延長とも言えます」
本当にその通りですね。昨日,NHKeテレで、「TVシンポジウム『地方の時代』映像祭2016~地域から問うメディアの課題~」という番組が放映されていたのを偶然見ていましたら、パネリストの一人として写真家の嬉野京子さん(1965年の米兵による少女轢殺現場の写真で有名)が出演されていて、「沖縄で起きていることは、本土では想像を超えていて、話しても、大げさととられる。事実を見てほしいと、シャッターを切った。犯罪者扱いで山狩りまでされて行方を追われた。身の危険を感じ、勧められて東京に帰った。私は安全な場所に逃げ帰ることができたが、沖縄の人は逃げ帰る場所はない」というような趣旨の発言をされていました。本土復帰前の1965年の事情ですが、現在も基本的に同じでは?と感じました。事実に目を向ける勇気、事実を伝える勇気が大切ですね。
恥ずかしながら、私はそれまで嬉野京子さんという方を存じ上げませんでした。いや、文章や放送などで、お名前はきっと目にしたことがあったに違いありません。少女轢殺現場の写真は、インパクトが強いので、はっきり目に刻みつけていました。でも、その撮影者のお名前も、プロフィールも、まるで記憶になかったのは、うかつなことでした。
早速NET検索をしてみましたら、こんな記事 (1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家嬉野京子の証言)にぶつかりました。
『グリム童話』や『ソフィアの時代』『夜と霧』などの翻訳や、共著『世界がもし100人の村だっら』などで知られるドイツ文学翻訳家、口承文芸研究家の池田香代子さんの、2010年に書かれたブログ記事のようです。(「ようです」とは無責任ですが、それ以上の知識がありませんので)。
一部を引用して紹介させていただきます。
1965年に私が沖縄に行ったのは、沖縄で米軍がやっていることを知らせるためでした。 25歳の時です。米軍占領下の沖縄のことは、本土では全くわかりませんでした。米軍が統制していたからです。

沖縄が日本でないことをまず思い知らされたのは、飛行機の中でした。沖縄本島が眼下に見えはじめると、スチュワーデスが「カメラをしまって下さい」。撮影が禁止されました。一人でも写真を撮るものがいると、フライト自体が許されないのです。

4月中旬、私は祖国復帰行進団といっしょに、本島最北端の辺戸岬に向かって歩いていました。中部の嘉手納基地にさしかかった時、行進団の人に、「持っているだけで逮捕されるし、行進団にも弾圧がかかるから」と、カメラを預けるように言われました。

4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、「子どもがひき殺された!」。なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺されたのです。手に通園用のバッグを持ったまま。死んだ女の子の側に突っ立っているだけのアメリカ兵。しかし驚いたのは、駆けつけた日本の警察でした。米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに走れるように交通整理をはじめたのです。

これを目の前にして何もしないわけにはいきません。「撮らせてほしい」と懇願しました。「生きて帰れないよ」と言われましたが、引きさがれませんでした。「わかった、見つからないようにぼくの肩越しに撮ってくれ」、一人の男性が肩を貸してくれ、たった一度押したシャッターがこの写真です。

フィルムは行進団の手に渡り、数日後には地下ルートで東京に届き、「赤旗」に掲載されました。その新聞を見た時は怖かったですねえ、自分に何かおこりそうで。でもすごい衝撃でした、これが沖縄なんだと。

1967年、再度渡航しました。人民党(復帰前、瀬長亀次郎を党首とする沖縄で最も先進的な政党)の機関紙編集部に、協力をお願いしました。

アメリカは1953年に土地収用令を出し、沖縄全土で農民の土地を次々取りあげました。伊江島の人たちは戦後2年間、島を離れて本島や他の島に収容されていました。帰島した時、肥沃な農地はすべて米軍基地となっていました。やっと耕作を始めると今度は、朝鮮戦争に伴う新たな土地収用が進められ、米軍はブルドーザーで家を押しつぶし、作物を焼き払いました。島の63%が米軍基地になりました。

土地を奪われた農民たちは、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんを中心として、抵抗の砦「団結道場」を建てました。その起工式の準備を撮影に出かけたところ、嘉手納基地から来た米軍の憲兵が、私の目の前で島の人たちを逮捕していくのです。4人の憲兵が1人の農民に掴みかかり、まるで荷物のようにトラックに放り投げて。

夢中でシャッターを押していると、パッとカメラを取り上げられ、フィルムを抜かれました。3台カメラを持っていましたが、2台は取り上げられ、最後の1台をかばって私はしゃがみこみました。私の突然の行動に驚いた憲兵たちは、私を囲んで突っ立っていました。

その時、憲兵の足の間から、一人のおじいさんがひょこひょこ、こちらに向かって来るのが見えました。島の人たちが「何事か」と集まってきたのです。私は抱えていたカメラをそっとおじいさんに手渡しました。一瞬でした。おじいさんは、さっとカメラを隠して遠ざかってくれました。

農民の逮捕に抗議する集会が基地のゲート前であり、私も駆けつけました。カメラは、島の人が農具を入れる麻袋に入れて運んでくれました。しかし、集まった農民をかき分け、11人の憲兵隊が、まっすぐ私に向かってきました。基地に連行されました。

憲兵大佐の質問は、「あなたは伊江島の人ではないですね」。次に「あなたは沖縄の人ではないですね」。そして「あなたは嬉野京子さんですね」。

これはだめだ。生きて帰れない。もう怖くて、怖くて。どうしよう。生き延びるために必死で考えました。頭が痛くなるほど考え「尋問に答える義務はない」と言ったのです。そのとたん、憲兵大佐の態度がガラッと変わり、「沖縄にいる限り、生殺与奪の権利は我々が持ってるんだ」と、スチール製の机の引き出しをバーンを蹴とばし、私は釈放されました。
(中略)
たまたま届いた夕刊を見たところ、なんと私が指名手配された、という米軍発表がでかでかと。理由は、米兵に暴力を働いた、というのです。伊江島では山狩りが始まりました。
(中略)
とにかく沖縄から出なければ。弁護士を依頼し、各政党、団体を回り、「助けて」と訴えました。

何とか取ってもらった他人名義のチケットを持って、空港に向かった私の後ろには、各政党の三役クラス、全軍労や民主団体のそうそうたる面々がつきました。出国の係官はその人たちを見て、黙って私を通してくれました。もし私を逃がしたことがばれても、その人たちが守ってくれる、との信頼があったのです。

沖縄は本土に復帰しました。しかし米軍基地はそのままです。いえ、それ以上です。そして米軍基地を75%も抱えさせられた沖縄の人々は、一度も憲法9条の恩恵にあずかっていません。そして米軍の魔の手はじわじわと本土をも侵食しています。

みなさんは沖縄に行って、自分の目で、ぜひそれを確認してほしいのです。そして憲法を守るということは、本当はどういうことなのか、それを考えてほしいのです。 
思わず長い引用になりました。
瀬長亀次郎さんや阿波根 昌鴻さんのことは、以前こんな記事でも触れました。
◇大寒や沖縄に春いちはやく
◇たぐいなき一期一会や山法師
◇由美子ちゃん事件から思うこと、の巻
時代を経て、今なお変わらない事態の深刻さが、重くのしかかります。

昨日は深山公園を歩き、今日は雨のなか、自然環境体験公園を歩きました。

昨日ご紹介したアトリ以外にも、今シーズン初対面の鳥たちの姿を見ることができました。

深山公園(ミヤマコウエン)の深山頬白(ミヤマホオジロ)です。

毎度お粗末な駄洒落でした。



































薄暗くてシャッターススピードが稼げません。

深山公園のシロハラです。







自然環境体験公園のサザンカとシロハラ。

ピントが花の方に行き、肝心の鳥はピンぼけです。









今日の付録

いつも見る鳥ですが、自然環境体験公園のサザンカとヒヨドリ。



深山公園のサザンカとメジロ。





















今日はこれにて。


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majyo

チョコくんのところで kazg さんのコメントも拝見しました
>「いま沖縄で起きていることは、日本全体でいつか起き
るかもしれない。無関心の人には、
“関係ないことではない、他人事じゃないんだ”と、

私たちはプロ記者ではありませんが心構えは同じですね

嬉野京子さんは 少し前に知り 記事にしましたが
彼女の勇気が無ければ、この写真は世に出ませんでしたね
痛まし過ぎますが事実です
by majyo (2017-01-08 21:13) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
子供達の写真やビデオ、親は一生懸命撮りますが
子供達は感心無いようです。でも自分たちが親に
なったら有難味を分かってくれるのかなぁ?
by johncomeback (2017-01-08 23:32) 

hatumi30331

現実から目を背けない・・・・
辛いけど直視する!
そうしてきたつもりですが・・・・
最近、年のせいか・・・・・
頭の老化か・・・・
しんどい事から目を背けようとしている自分がいます。
自分を守ってるのかもね。

椿にメジロ?
梅にメジロももうすぐやね。
by hatumi30331 (2017-01-08 23:49) 

kazg

majyo様
そうでしたそうでした。貴ブログで、嬉野さんのお名前も拝見し、このお写真も拝見していました。しかも、痛ましい写真を敢えて小さく表示されていましたね。その時は、はっきり心に刻んだはずなのに、とっさに思い出さないのは困ったものです。我ながら記憶力の減退にがっくりです。
http://majyo1948.blog.so-net.ne.jp/2015-08-24-1
日米地位協定の本質、改めて光を当てていくことが、沖縄問題の打開の道でもあるのですね。
by kazg (2017-01-09 07:02) 

kazg

johncomeback様
そうそう。おっしゃるとおりです。
パパが幼児の頃の録音を、つい先日、孫に聞かせたら、少しだけ興味を示し、すぐに飽きました。ドラマチックに編集し直せば、少しは違うのかもしれませんが、その気力はありません(笑)
子どもたちも親になったらせっせとスマホ写真や動画やビデオを撮っています(笑)

by kazg (2017-01-09 07:08) 

kazg

hatumi30331様
>しんどい事から目を背けようとしている自分
よくわかります(汗)
>梅にメジロももうすぐやね。
梅のつぼみも、少しやわらいできているような気がしますね。
by kazg (2017-01-09 07:16) 

トックリヤシ

「沖縄の心に寄り添って・・・」
この大ウソが、今の沖縄の現状の諸悪の根源です。
この言葉に酔って、身の周りが平和だから大丈夫!と
無関心でいられるのでしょうね~。。。

by トックリヤシ (2017-01-09 08:58) 

kazg

トックリヤシ様
歯の浮く美辞麗句。
しかし、一国の宰相の言葉を一〇〇パーセント疑うわけにもいくまいという素朴な感覚を、平気でもてあそぶことができるのでしょうね。その神経のタフさは、驚くしかありません。

by kazg (2017-01-09 19:13) 

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