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続すっかり忘れてました、の巻 [折々散歩]

先日の記事で朝日茂さんの『人間裁判』を話題にしました。これへのgonntan様のコメントに「この国では上級審にいくほど低級に、裁判官があからさまに国におもねるようになるという事実。自らの出世しか見えなくなるんでしょうね。それでいて、被害者に寄り添っているように言葉を弄する。良心に恥じる気持ちがあるんでしょうけど・・力にはならない。」といただきました。まったく同感と申し上げるしかありません。残念なことです。

朝日訴訟の浅沼(武)判決(1960年10月)、家永訴訟の杉本(良吉)判決(1970年7月)、そして近年では「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」と明言して大飯原発(福井県)の運転差し止めを命じた樋口(英明)判決など、正義と公正に根ざした勇気ある判決が思い浮かびますが、それらは概して下級審の判決であって、上級審になるにつれて姿勢が後退しがちであることはよく知られています。しかも、このような勇気ある判決を下した裁判官の多くは、「見せしめ」的に左遷され後に続く者たちをすくませる材料にされるというのも、どうやら、かの業界では常識としてまかり通っているそうな。この国の情けない一断面というしかないですね。

公正と真実はとりあえず飾り棚の上に置き、まずもって「上」の意向を忖度すること、政治的力関係を『わきまえ』ることを至上の価値とし、出世と保身に汲々とするヒトタチからすれば、青臭く、融通がきかず、気に触るにちがいないこの勇気ある判決が少数ながらも存在するからこそ、司法への国民の信頼と希望のかろうじて保ち得ていることは、間違いのないところでしょう。

朝日訴訟における浅沼裁判長の判決を一部引用します。

「最低限度の生活」、すなわち「健康で文化的な生活水準」は、単なる生存の水準でなく、複雑な生活の基準であるから、算数的な明確さをもつて明らかにされる性質のものではないけれども、社会的、経済的な意味では客観的、一義的に存在するものというべきであるし、又それは時と場所をこえて絶対的に存在するものとまではいえず、各国の生活様式や生活水準により、あるいは年々の時代的、歴史的な発展段階に応じて相対的に決定されるものではあるが、さりとて変転常ならず一義的には決せられない性質のものではなく、特定の国の特定の時期的段階における生活状況の中ではやはり客観的、一義的に存在し、科学的、合理的に算定可能のものと考えられる。したがつてそれは年々の国家の予算額や政治的努力の如何によつて左右されるべきものでないことは当然である。しかして被告の定めた保護の基準によると、原告のように入院入所3ケ月以上の要保護患者は生活扶助として、1カ月当り金600円を最高限度とする日用品費が支給されることになつているが、1カ月当り金600円では後述の補食費を日用品費から除外するとしても、原告ら要保護患者の健康で文化的な生活の最低限度を維持するに足る費用を著しく下廻り、要保護者の年令別、性別、その他保護の種類等に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものとはとうていいえないのであるから、右基準は生活保護法第3条、第5条、第8条第2項に違背するものというべく、右基準に基いてなされた本件保護変更決定は違法である。

素人の私の胸にもストンと落ちる、血の通った判決です。ネット上に、朝日訴訟も家永訴訟も弁護団の一人として担当され、「人間裁判」という名称の考案者・名付け親でもあるた新井章さんの証言が、NHKのアーカイブスの中に収録されています。浅沼氏ら東京地裁の三人の裁判官が、遠く岡山県・早島町の療養所まで臨床尋問に訪問したときのことが印象的です。

その浅沼さんたちと一緒にちょうどこれは朝日さんの部屋ですから、3年ぐらい前に最初に訪ねた時の朝日さんの証言の最後の段階は、最後のステップでは、裁判長がいろいろ裁判に関わるお堅い内容の質問を朝日さんにして、彼が証言したあとに、朝日さん今何か欲しいものがありますか、あるとすればどういうものが欲しいですかって、ちょっとそれまでの堅い質問に比べると最後の柔らかい質問をしてくれたんですね。したら朝日さんがちょっと意外だという顔をして、そんな優しい丁寧な質問、ゆるやかな質問をしてくれるのかという顔をして、「そうですな、たまにはバナナとかうなぎのかばやきを食べてみたいですな」って、そういう証言をしたんですよ。私今日のためにね、この書物も記録も読み直してきたけれど、さすがにね、バナナとうなぎという言葉は証言記録の中にはとってくれてなかったようですけれどね。ただこの場にいたもの、それから窓からのぞいてこの様子を見ていた多くの患者さんたちは、その最後の朝日さんの非常に悠揚迫らざる、「許されればバナナとかうなぎのかばやきなども食ってみたいですな」っていう、その言葉に感銘を受けたんですね。つまりそのぐらい日々の生活保護患者の生活っていうのはつましいし厳しいわけですよ。バナナなんていうのは夢のまた夢、うなぎのかばやきなんていうのも頭の中をかすめて通る存在。もし裁判長が本気であんた何か私の原告、朝日茂のために骨を折ってくださるとすれば、例えばそういう栄養価の高い少年の頃から夢だったバナナとかかばやきを食べてみたいってそういうふうに言ったんですよ。っていう話はね、多くの人が記憶しているんですね。

文字通りの「人間裁判」---裁く側の裁判官も、誠実な生身の人間であったのだと、胸を打たれるエピソードです。

ところで、この新井弁護士は、私たちの教職員組合運動においても顧問弁護団の一人としてお世話になった方で、若い頃(私は30歳前後の青年の頃で、新井先生も確か50歳そこそこの壮年でした)、しかるべき会議の場などで近い場所でお目にもかかりお話しも交わしたことがありました。すっかり忘れていましたが、今この懐かしいお名前に接し、ひそかに感慨を覚えているところです。

ネット検索ついでに、このような記事に遭遇しました。

(デジタルライブラリー)人間裁判10年 - 株式会社旬報社

junpo

「紙の本」ではもはや入手が難しいものを、こうしてたやすく閲覧できるのは有り難いことです。その第三部「死と生をかけた人間 朝日茂の遺業」に、 あの右遠俊郎さんが「人間・朝日茂の生涯」という文章を寄せておられます。朝日茂の生い立ちから始まり茂の生涯を克明にたどった文章で、前回も紹介した『小説 朝日茂』のダイジェスト版とも呼べる力のこもった文章です。

その中から、印象深い一節を引用させていただきます。

判決の結果だけが問題なのではない、と彼は自分自身にいいきかせていた。が、彼の心の片すみには、現地公判のときに残していった浅沼裁刊長の言葉が焼きついていた。
「憲法は絵にかいた餅ではない」と浅沼裁判長は、そのときいったのである。

ひげを剃ることさえはばがられるような気持ちで、朝日茂は判決の日を迎えた。朝から地元の新聞記者や放送記者が、彼の病室に詰めて待機していた。
勝訴の報が入ったとき、彼は思わず破顔一笑した。(中略)
録音マイクを向けられたとき、彼の顔はもう厳しい表情に閉じられていた。彼は早くも、あとにつづくたたかいに備える姿勢になっていたのである。彼は勝利の美酒に酔いしれて、たたかいの有効な武器を取りにがすほど甘くはなかった。彼の真意をより多くの人に訴える願ってもない機会であった。彼は感情を抑えた声で勝利の感想をのべた。
「ありがとう。みなさんのおかげです。私は心では、民主憲法の理念からいえば、勝つのが当然だと思うとりました。しかし、正面きってそういえば虚勢に聞こえるのでいままであまりいいませんでした。この当然のことが勝ったんです。憲法の前文からみればこのことはわかります。今の憲法が、人間の基本的人権を守ることであることを、 裁判官が正しく理解し、ものごとを、まじりけなしに純粋に考察し政治的考慮をぬきにすれば当然勝つはずだったんです」(『人間裁判』)。
だが、朝日茂の訴訟日々は滑かなものではなかった。年賀状が生存通知だという彼の療養生活のなかでも、この「四年のあけくれ」は「朝目が覚めたら、ああ、今日も生きとったか」というような日々をもふくんでいた。
それだけに、判決の日に彼の命が間にあった喜びは大きかったであろう。しかも、勝ったのだ。
≪血を喀きつつ今日の判決待ちわびぬ我れに久しき四年のあけくれ≫

(中略)

たたかいのなかで、彼目身変わりつつあった。裁きを待つだけでなく、裁判官を裁く目をもちはじめたことも、彼の大きな成長の一つであった。
もちろん、「勝つのか当然だ」といいきる朝日茂も、「純粋に考察し」て判決を出した浅沼裁判長に、敬意を表することを忘れなかった。階級社会の法則につらぬかれた裁判所のなかで、「政治的考慮をぬきにす」る判断が、きわめて困難なことを彼は知っていたからである。
≪真実をふかく見きわむ浅沼裁判長四年の審理に我は謝すぺし≫
浅沼裁判長への彼の感謝は、「真実を『ふかく見きわ』めた判決そのものと同時に、その論証にも向けられたものであった。彼は「胸か熱くな」るような感動でもって、「ぼう大な判決理由を何度も何度も読みかえした」といっている。
そして彼はそこから多くのことを学んだ。その「健康で文化的な最低限度の生活」を「人間に値する生存」と規定し、それはむしろ国家予算を「指導支配すべきもの」という判断は、朝日茂にまた新たな開眼を与えた。彼が訴えの当初から見つめようとしていた政治の深部との接点が、そこにありありと探りあてられでいたからである。
VⅢ
判決からわずか一三日目に厚生省は控訴した。判決の趣旨を慎重に検討する時間があるはずはなかった。短かい時問のあいだに、自民党政府は陣容を立てなおし、控訴のための形式論理を準備した。黒を白といいくるめるための技術、彼らに必要なのはそれだけであった。政府は彼らに必要な判決を奪回するために、その政治生命をかけて控訴せざるを得なかったのである。
「人間裁判」といわれた朝日訴訟は、自民党政府にとっては、当初から「政治裁利」であった。第一審判決の全面実施を申しいれた朝日がわの代表者たちに対して、厚生大臣中山マサは、現行の生活保護基準についてうぎのように答えた。
「たとえそれで生きてゆけようがゆけまいが、とにかく六〇〇円でももらえないより、もらえたほうかいいのだから感謝すぺきたろう」(『人間裁判』)。

結果、浅沼判決は、行政権力のメンツのために、泥手で覆されたのでした。前回記事でもふれましたが、第2審の東京高裁は、本件の月額600円という保護基準は「すこぶる低額」ではあるけれども違法とまでは断定できないとして、地裁判決を取り消しました。朝日さんは上告しますが、最高裁でのたたかいのさなか、1964年2月14日、朝日さんは病状の悪化により、志半ばにして亡くなったのでした。養子となった健二さんが相続人として裁判を引き継いだものの、1967年5月24日、最高裁は、「朝日さんの死亡によってこの訴訟は終了した」との判断を行いました。

しかし、確かに裁判では負けたけれども、この朝日訴訟は、法的権利としての「生存権」論の形成に影響を与えるとともに、結果として1960年代から70年代にかけての福祉政策の見直しに貢献するという点で、結果として「政策形成」に大きく寄与したのでした。

80年代以降の新自由主義政治の横行のもと、社会保障の冷酷な切り捨てが各分野ですすんでいますが、「人間に値する生存」に相応しい「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべき行政の責任を問うていくとりくみがあらためて求められていることを痛感します。

マクロ経済スライドをはじめとする政府の年金切り下げ政策を、憲法25条に照らして、問う年金訴訟が全国でとりくまれています。、岡山での裁判は既に2月1日に最終弁論が終わり、3月30日に判決言い渡しが予定されています。

年金者組合岡山県本部のfacebookに次のような記事が登校されていました。

東都支男原告団長の意見陳述(要旨)

―希望をもって余生を送れるような判決を―

口頭弁論では5分間ですが、東原告団長が原告の代表として意見陳述を行いました。「私たちは特例水準の解消がマクロ経済スライドに道を開くものとして行政不服審査請求を行った。しかし、『不服をのべている』との一言で却下された。マクロ経済スライドは将来にわたって年金価値の水準を自動的に低下させるシステムであり、私たちが甘んじてこれを受忍するならば孫子の代への禍根を残すとの思いから、最後の手段として司法に訴えた。提訴して5年8か月が経過したが、年金制度拡充への転機を次世代への贈り物にしたいと今日ここに立っている。いまから60年余り前、当地ゆかりの朝日訴訟の判決が出された。この時、浅沼判決でしめされた『人間に値する生存』という理念は、その後の施策を前進拡充させた。裁判官にお願いしたい。過去の判例にとらわれることなく憲法と良心のみに基づいて司法権の役割を果たしてほしい。望をもって余生を送れるような判決をいただきたい」と述べました。

「過去の判例にとらわれることなく憲法と良心のみに基づいて司法権の役割を果たしてほしい。」私自身の切なる願いでもあります。これをかなえるためには、裁判官の耳に市民・国民の率直な声を届けることで、その、人間としての理性と判断力を励ましていくこと、具体的には公正裁判を要求する署名を残りの短期間に高く積み上げること、だと痛感しています。

前回記事を書いたときに、すっかり忘れていたのが、写真の掲載です。冷え込みがぶり返し、朝散歩も気が進みませんので、寒気到来前の朝散歩の写真を載せておきます。

マンサク、どんどん開花がすすんでいます。

S0619561

ホトケノザ。

PM137084

麦の葉の露。

PM137080

コサギ。

S0539536

S0519526

モズ。

S0739601

S0669579

今日はこれにて。


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