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十日前の備忘録、の巻 [日録]

前回の更新から10日以上が過ぎました。


日々、何があったか忘れてしまうほどの空白です。カレンダーのメモを見ると、18日(金)教育相談ボランティア発行の会報「相談ネットワーク通信」の総集版=「相談ネットワーク30年の歩み」(直近10年分)の冊子を、長年支援を頂いている会員・団体の皆様に発送するお手伝いをしました。最寄りの郵便局まで、段ボール箱3箱にいっぱいつめた冊子を台車で2往復。途中路面電車の線路を横切る際に、大変難渋しました。高齢者の難儀ぶりを、遠巻きに気の毒そうに見守る市民のまなざしに、労りと同情を感じながらの作業でした。


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それから数日のうちに、何人もの方から、感謝や激励の言葉を寄せて頂いています。多額の会費・募金と手土産を携えて直接事務所を尋ねてくださった方もありました。


その夕方、久々の演劇鑑賞。


6月公演の予定がコロナ蔓延(第一波)の影響で延期されていた


劇団朋友公演『吾輩はウツである』。


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「児島玉野市民劇場」のHPから、「あらすじ」を囲繞しておき舞うす。


あらすじ

明治36年(1903)4月、小泉八雲が辞めさせられたことで学生たちの不満うずまく帝大に、夏目金之助(のちの漱石)が講師として赴任する。不穏な空気の中、学生たちの冷たい視線に晒される金之助は、毎日、不満と苛立ちを抱えながら教壇に立っていた。さらに、失恋で人生をはかなむ学生・藤村操が目の前に現れ、金之助の気持ちはますます不安定になっていく。

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そんなとき、一匹の小さな黒猫が夏目家に迷い込んだ。心を病み始めた金之助は、その黒猫と会話をし始める。しかし、その黒猫と会話ができるのは金之助だけだった。

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一方、病ゆえに突如として怒りを爆発させるようになった金之助に対し、妻・鏡子は一念発起。金之助の病を治すべく、ある行動を起こしたのだが・・・・・。

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YouTubeはこちら。


https://youtu.be/jZVUy3Jm7BY


漱石と「吾輩は猫である」については当ブログでも再三触れました。


例えばこの記事。術記念日(2014-07-23)。


2007年の脳動脈瘤手術のための入院生活の無聊を慰めようと、当時学生だった末っ子(二男)が、私に見舞いを持ってきてくれました。
手足や身体の麻痺が残り、本を読むためにページをめくるのも億劫だった私のために、ニンテンドーDSに添えて「DS文学全集」と「脳トレ」のソフトを買ってくれたのでした。
今なら、タブレット端末とか、スマホがあれば、十分、読書も音楽も動画まで楽しめて簡便な退屈しのぎができたでしょうが、当時のこととて、すでに時代遅れの「シグマリオン」(PDAとして用いるためヤフオクで入手していました)を持って入院していましたが、元々通信機能は契約もしていないので、ダウンロードしてためていた青空文庫のデータや、音楽データなどを再生させることは可能でしたが、面倒くさくて使う気にならず、せいぜい日記入力機器として時々使うだけでした。
ベッド脇のテーブルにおいていますと、若い男性看護師さんが「シグマリオンですか?ぼくも使っていますよ」と、親近感を示してくれたりしました。
退院後、次の入院がもしあった場合の備えのために(笑)、WILLCOMの「zero3」シリーズ(今日のスマホの黎明期の端末といえるでしょうでしょうか?)を何世代か、しかもその都度、型落ちで値崩れした頃に、買い換えて使いましたが、いずれも「帯に短したすきに長し」で、不満が残りました。

(中略)
話の筋をもとに戻します。二男が見舞いにくれたニンテンドーDSと、「DS文学全集」は、重宝しました。気力が続かないので、一回わずか数分間、2~3ページからせいぜい10ページ前後をちびりちびりと読み進み、どこまで読んだか忘れては引き返しという能率の悪い読書を、ノルマも目標もなく、気が向くままに進めたものでした。
ミステリー小説や軽読書程度が、よりふさわしいレベルの心理状態でしたが、この「DS文学全集」に収められているのは、青空文庫所収の旧時代の著作権フリーの「名作」だけですので、その中でも、気軽に読めそうな、夢野久作や、海野十三といったところから、芥川や、太宰、藤村など、なじみの深い作品をアトランダムに読む日々でした。
その中で、最も頻度高くページを開いて、最も長時間をかけて、読んだのは「吾輩は猫である」でした。
そういえば、定年退職で職場を離れるときにこんな退任挨拶をしました。

先ほどは、身に余るお言葉に加えて、過分なお餞別をいただき、恐縮しております。記念になる品物に換えて大切にしたいと思います。
さて、10年ひとむかしという言葉がありますが、私の勤続年数はそれを超えました。それは、2007年を境に大きく二つに分けることが出来ると思います。
2007年問題という言葉があります。一般に、戦後ベビーブームに生まれたいわゆる団塊世代の人たちが、大量退職することに伴う社会問題をそう呼ぶのですが、私には、もうひとつの2007年問題がありました。
その年の1月1日に、我が家の犬が,19歳で死にました。子犬の時、車にはねられて骨折していた捨て犬を、小学校低学年だった長男が拾ってきて飼い始めたのですが、人間に換算して90歳以上という天寿を全うしたのでした。
夏には、幼なじみの同級生が、病気で亡くなりました。小学校に入学したばかりの彼と私が、桜の木の本でツーショットで写っている写真が、アルバムに残っています。
それと前後して、敬愛する先輩教師が、退職間もなく亡くなりました。最初の勤務校以来のおつきあいで、無理にお願いして、私の結婚式の司会を引き受けていただいたこともありました。
私にとって、2007年は、このように、あの世とこの世の境目が薄らぐできごとが相次いだ年でした。
そして、その冬、私自身、脳動脈瘤の手術のために、大阪の病院に緊急入院しました。
(中略)
その時の生徒たちは、受験準備の限られた時間を割いて、みんなで千羽鶴を折ってくれました。病室に飾っていると、看護師さんや、見舞い客が、すごいなあと感嘆するほどに真心のこもった励ましで、本当にそのおかげで私は、手術に立ち向かうことが出来たと感謝しています。
結局、私は、彼らの卒業式にも出席できず、感謝の言葉を直接伝える機会もないまま、今日まできてしまいました。心残りの一つはそのことです。
クリスマスの夜、私は集中治療室のベッドに横たわって、どこかのラジオからかすかに流れてくるらしいジングルベルの音色を、かすかに聞いていました。ありがたいことに手術は成功し、命の危機からは脱することが出来ましたが、手足の麻痺、嚥下障害、言葉の障害など、いくつかの後遺症は残りました。言語聴覚士、作業療法士の先生の指導で、リハビリに励む毎日が続きました。
寝たきり状態から、車いすへ、次は歩行器、そして壁伝いの歩行から、杖をついての歩行と、少しずつ歩けるようになると、作業療法士の先生は、私が教員であることを知って、片手に重い本を何冊か持って歩く訓練など、職場復帰を想定したメニューを考えてくださいました。
言語聴覚士の先生は、「アメンボ赤いなあいうえお」など、定番の発声訓練とともに、文学作品の一部をコピーしてくださって、声に出して読む練習を続けてくださいました。
ここに、その時のコピーをもってきました。
いずれもよく知られた作品の冒頭の文章ですが、思い通りに発音することができず、再び国語の教員として教壇に立つ事など夢にも思い浮かべることすらできませんでした。
あれから5年が経過し、通常の文章ならまずまず読める程度には回復できた事に、我ながら感慨を覚えています。一つチャレンジしてみますので、聞いてください。
「吾輩は猫である」の 冒頭部分です。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮 て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。こ
の時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後猫にもだいぶ逢 ったがこんな片輪(かたわ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷ
うと煙を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
翌年の1月に退院し、自宅療養しながら、最寄りの病院でリハビリを続ける毎日でしたが、回復は遅々として進まず、職場復帰など先のことだとあきらめておりました。でも、当時の教頭が、学校へ出てきながら徐々にならすという方法もあるし、無理だったらまた休めばいいとおっしゃってくださいました。年取った私の母親なども「そんな体でがんばっているところをみせることが、生徒にとって励ましになる場合もあるじゃろう」などと言ってくれました。気は進まないけれど成り行きで復帰と言うことになりました。
4月からの復帰が決まると、住まいが近くだからと、K先生が、運転の出来ない私を、学校の行き帰りをまいにちお車に乗せてくださいました。先生の車からみた、通勤路の桜の花盛りが、美しくありがたく目に焼き付いています。本当にありがとうございました。
こんな状態の私を、学校中の先生方も、生徒の皆さんも、本当に暖かく迎え入れてくださり、お陰様で授業や仕事に大きな穴を開けることもなく、復帰から5年が過ぎました。私はついつい、自分のちからでここまで回復できたと慢心しておりましたが、今日の離任式を前に色々とふり返っている中で、本当に周りの皆さんに支えられ、はげまされて、今日の日を迎えることが出来たのだなあとつくづくありがたく感謝しているところです。
人生に「もしも」はないといいますが、もしも本校でなかったら、違った展開をたどっていたかもしれません。改めて、心から感謝を申し上げます。
【後略】


演劇中、登場人物(?)の黒猫が、朗々と(人間語で)語るこの冒頭部分を聞きながら、ごく個人的な感慨を覚えたものです。また、演劇中で、漱石家を頻繁に訪れ、物語の進行にも役割を大きな果たす登場人物のひとりとして、弟子の寺田寅彦があります。彼についても再再三話題にしたことがあります。


災難は忘れた頃か秋の雨(2013-09-01)

「天災は忘れた頃にやってくる」という警句もその頃教わったと思います。
これは、物理学者の寺田寅彦の言葉と伝えられていますが、著書・著作等にその証拠は確認できないとも言われているそうですね。自身、関東大震災に遭遇し調査も行うなど、地震、火災など災害の根本原理を科学的・合理的態度で解明しようとしたこの人なら、と頷ける伝承ではありますが。
寺田寅彦は、熊本第五高等学校で夏目漱石に英語を習い、後に東京帝国大学の学生時代以来、漱石の自宅に集う「木曜会」のメンバーとして、門下生の一に数えられています。漱石の「吾輩は猫である」で、苦沙弥先生の弟子としてしばしば登場する、気鋭の理学士水島寒月が、寺田寅彦をモデルとしていることも、よく知られています。
私は中学時代、この作品を洒脱なユーモア小説として読みました。漱石のもつ文明観や人間観の重さや苦さについては、とうてい思い至りもしませんでしたし、細かなデティルもすっかり薄らいだのですが、この寒月君の颯爽とした好男子でありながら、きまじめに「首縊りの力学」などに没頭している様や、甘い物好きで虫歯に苦しんでいる様などに、何かミスマッチなおかしさを覚え、印象に残っています。
私の2007年問題=脳動脈瘤の手術の後の入院中、読書等に向かう意欲も体力も伴わなかった頃、唯一枕元に置いていたニンテンドーDS(当時学生だった末の息子が、買ってくれました)で、DS文学全集なるソフトをひもとくのが、ささやかな娯楽でした。気力と体力に合わせて、時には数行、時には数ページずつ、ちびりちびりと読んだなかに「吾輩は猫である」があり、改めて漱石の言葉の端々に、含蓄と面白みを感じつつ、無聊を慰められました。


ところで、この日の演劇では、漱石が尋常の「気むずかし屋」の域を超えて、妻や子どもたちをも深く傷つけながら、胃痛と神経衰弱に翻弄されながら自己と格闘し、時代と格する姿が、痛々しく描かれています。とともに、世に悪妻の代表と評される妻鏡子を、情愛深く、かつ、肝の据わった、一個の「自立した女性」と描いています。これは、以前NHKで連続放送されたドラマ「夏目漱石の妻」を彷彿とさせ、興味深く観ました。


      

https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=3982


これらの「鏡子」像は、夏目鏡子著「漱石の思ひ出」を踏まえているのでしょう。この「漱石の思ひ出」は、鏡子の語ったところを、松岡譲が書き留めたものだそうです。その松岡譲は、漱石の門人中、最も若い世代に属する人物で、漱石の長女・筆子の夫として、漱石亡き後の鏡子らを支えた人でもあるようです。



漱石の思ひ出――附 漱石年譜

漱石の思ひ出――附 漱石年譜

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/09/15
  • メディア: 単行本



ところで、私は、このごろ毎週のように県立図書館立ち寄り、最近は落語や浪曲、朗読などのCDを借りて楽しむ習慣がついたことは書きましたが、もちろんたまには図書を借りることもあります。そのさい重宝しているのは、老眼にやさしい「大活字」の図書です。その中の一冊に半藤 末利子の『漱石の長襦袢』があり、大変面白く読みました。半藤 末利子は、その松岡譲と筆子の四女で、小説家半藤一利の夫人です。(恥ずかしながら、検索して初めて知りました)



漱石の長襦袢〈下〉 (大活字本シリーズ)

漱石の長襦袢〈下〉 (大活字本シリーズ)

  • 作者: 末利子, 半藤
  • 出版社/メーカー: 埼玉福祉会
  • 発売日: 2018/05/01
  • メディア: 単行本



漱石の長襦袢〈上〉 (大活字本シリーズ)

漱石の長襦袢〈上〉 (大活字本シリーズ)

  • 作者: 末利子, 半藤
  • 出版社/メーカー: 埼玉福祉会
  • 発売日: 2018/05/01
  • メディア: 単行本



人間漱石と、その家庭の様子、そして弟子達との交わりが、腹蔵なき生の声で語られていて、興味が尽きなかったことを、演劇を観ながら思い出していました。


私の備忘録は、まだ、たったの1日分。遅々としてはかどりません。


この日の朝の鳥を載せて、今回記事は終わりにします。


電線に止まるツグミ。


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電線に止まるスズメ。


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電線に止まるセキレイ。


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今日はこれにて。


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momotaro

しばらく更新がないので、もしやコロナ?心配してました。充実の十日間だったようで安堵しました。
退任時のご挨拶、拝聴ならぬ拝読いたしました。2007年色々あったのですね。今はすっかり回復されて、ご両親はじめご家族の皆さま、さぞやお喜びの毎日でしょう!
by momotaro (2020-12-28 23:23) 

kazg

momotaro 様
>もしやコロナ?心配してました。
ご心配いただき、恐縮至極です。ほんとに、いつ現実にならないとも限らないご時世ですものね。お互いに、注意が欠かせません。
>充実の十日間
充実とまではいきませんが、あわただしい年の瀬ではありました。よいお年をお迎えください。
by kazg (2020-12-29 03:14) 

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