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続 夾竹桃のこと  [私の切り抜き帳]

先日、夾竹桃にちなんだ記事を書いてから、そちらへのセンサーが敏感になったせいでしょうか、本棚の一角に並ぶ長く手をふれていない本の背表紙に「白夾竹桃の下」という文字がチラリと見えたのでした。見つけました。
分厚い箱入りハードカバー製の二〇巻ほどの全集もので、「日本図書センター」発行の『日本の原爆資料』(編集委員:家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫)の第三巻でした。いきさつは忘れましたが、この『資料集』は、若い頃、奮起してローンで購入したまま、ほとんど本棚の重しで、「持ち腐れ」になっていたものです。
この第三巻には、1950年代始めに刊行された、次の二つの書物を復刻して収めてあります。
一つは、吉松祐一氏編、1951(昭和26)年、社会科学研究社出版部刊「白夾竹桃の下ーー女学生の原爆記」。
今一つは、原爆被害者の手記編集委員会(山代巴、隅田義人、山中敏男、川手健、松野修輔)編、1953(昭和28)年、三一書房刊「原爆に生きてーーー原爆被害者の手記」です。

前者は、長崎の被爆で、からくも生き残った女学生のクラスを担当した吉松祐一氏が、被爆直後に彼女たちに被爆体験を書きつづらせ、「この手記は、わたくし一人の読むべきものでなく、この惨状とこれらの生徒の労苦や遭難は、必ず後の世に伝うべきものと強く思」(後記)って、一五〇名の手記を秘かに筐底(きょうてい=箱の底)深くしまっておいたものを、後に機会を得て上梓されたものだそうです。

この本には、当時の長崎市長 田川努氏の「序」に始まって、14人の女学生の手記がおさめられていますが、2番目の川野静代さんの手記の表題が「白夾竹桃の下」なのでした。
手記はこう書き始められます。

暑い夏の太陽が、仕事場の窓からさし込んでいる。顔を上げて外を見ると、中庭の芝生に大輪の向日葵がいくつも咲いていた。
「きれいかねえ川野さんあれえー。」
松本さんが呼ぶので、私も立って、窓から身体をのりだして向日葵を見た。
「前田夕暮の歌があったねエ。”向日葵は黄金の油を身に浴びてゆらりとたかし陽のふさよ”って。こうしてみると本当に太陽が小さくミエルヨ。」
 
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このようなのどかな時間が、いつもと同じように流れていたその直後、「なにやらまぶしい異様な光」と「途端に、ズドンという轟音、メリメリ、バリバリ、ものすごい地響き」に見舞われ、被爆後の地獄絵が繰り広げられることになるのでした。
松本さんは、窓から墜落していましたが、いっぱいの火焰で助けることもできず、甘藷畑を経て山の方へと逃れます。その山かげに、大きな白い夾竹桃が咲き乱れており、その花片を浴びて重傷者が木の根もとに横たわっています。それは、同じクラスの山田さんで、ひどい苦しみようでしたが、手の施しようもなく、川野さんは居合わせた海軍の兵士に促されてその場を避難します。

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川野さんの手記はこう続きます。

ああ山田さんは、あの白い夾竹桃の咲いている山かげで、あの翌朝、非常にきれいな顔になってこの世を去ってしまったそうです。


いずれの手記も、この世の出来事とも思えない、惨く痛ましい体験を、抑制した筆致で綴ってあって、具体の持つ説得力に圧倒されずにいられません。
吉松氏の「後記」に引用されている、歌人、島内八郎氏の長歌に触れ、「いくさなき国」への悲願を改めて胸に刻んだことでした。

忘れめや葉月九日 朝もやや開くる頃ほひ 雲多き北のみ空ゆ プロペラの音近づくと いましむるひまもあらなく まなこ射る妖しき光り 耳朶をさくものの轟き  一瞬の夢かさあらず 襲い来ぬ襲い来たりぬ

まことその一瞬のなか 幾万のいのちほろびつ 数知れぬ家居燃え出づ 燃ゆる火は いや燃えさかり 救い呼ぶ声を包みつ 馳け惑ふ人を殺しつ 日もあらず夜さりもあらず 物なべて焼きはて終へぬ

悩ましき幾万のみ魂 眼も広き焼け跡の野辺 おとなへば土と石のみ とむらふはただ雑草(あらくさ)の 春近く燃えいづる青 ああ友よ妻よ子供よ 父母よはらからどちよ 安らけくみ魂眠らせ

いのちある 吾等誓ひて ふたたびはすまじいくさぞ 常安(とこやす)のみ国ぞもたむ 常安の国ぞ興さむ国ぞ興さむ


反 歌
いくさなき国を築けといふごとく、岩屋の山は聳えしづけし 


人類史上未曾有の惨事は、一人ひとりにとって別々の記憶でありながら、人々のともどもの体験でもありました。その意味で、それは叙事と抒情のふたつながらの要素を内包していたといえるでしょう。

この歌が、敢えて、万葉的な「長歌」という歌体を採用し、緩やかで大らかな調べに籠めて、荘厳荘重に歌いあげたのは、それが、まさしく民族的な『挽歌』に他ならなかったからでしょう。

それ故、この歌を安直に現代語に言い換えたとしても、空疎で軽薄なカラ文句にしかならないでしょうが、あえて試みてみることにしました。

【余計なお世話の現代文解釈】

わすれられようか八月九日を  朝もようやく過ぎようとする頃  夏雲覆う北の空から  B29のプロペラ音が接近中と  警戒を尽くすゆとりさえなく ピカリと眼を射す妖しいひかり   耳をつんざく凄まじい轟音  これはひとときの夢かしら、いやそうではなかった  襲ってきたのだ!襲ってきたのだ!

実にそのわずか一瞬間に  幾万のいのちが滅びてしまった  数知れない家々が燃えだした 燃える火は  ますます燃えさかり  助けを呼ぶ声を覆い包んだ  走り逃げ惑うひとを殺した  日中と言わず夜中と言わず  すべてのものを焼き尽くしてしまった!

悩み憂える幾万のみたまよ  見渡す限り焼け野が原が広がり 訪ねてみると土くれと石ころばかり  訪れるものはただ雑草の  春を待ちかねて萌えいづる新芽  ああ、友よ!妻よ!子ども達よ! ちちははよ!同胞たちよ!  安らかにお眠りください!

生きのびた 我らはちかって 二度と再び戦はすまいぞ!  とわに平和の国を持つのだ!  とわに平和の国を興そう!国を興そう!

反歌

「戦争のない国築け」というように岩屋の山は静かに聳える

 



憲法九条は、他国から押しつけられた教条でもなく、青白くあまったるいロマンでもなく、まさしく、この歌にこめられたような 、「幾万のみ魂」のなげきや怒りの声をしっかりと抱き、背負い、「常安の国ぞ興さむ」

 

と誓った、幾千万の人々の決意に他ならなかったのではないでしょうか。  

 

 


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まどみちおさんを悼む [私の切り抜き帳]

 詩人のまどみちおさんが、104歳でなくなられたそうです。

お名前に聞き覚えがなくても、童謡「やぎさんゆうびん」や 「ぞうさん」なら、子どもからお年寄りまで、知らない人はいないでしょう。

web版毎日新聞は、こんな記事を載せています。

ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」。28日、104歳で亡くなった詩人、まど・みちおさんの代表作の一つ「ぞうさん」(作曲・団伊玖磨)は、1952年にNHKラジオで初放送され、瞬く間に国民的愛唱歌となった。

 この歌詞の意図についてまどさんは後年、詩人で小説家の 阪田寛夫氏(故人)の問いに答えて、「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」と説明した(「まどさんのうた」阪田氏著、童話屋)。鼻が長いねと悪口を言われた 時に、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って返したというのだ。

 人も動物も地球上のすべての存在がそれぞれに尊く、あるがままの姿が大切なのだ、という思いを強く抱いていたまどさん。子供たちにも分かる易しい言葉で命を輝かせる作品を多く手がけた。


「おはなが ながいのね」という呼びかけは、場合によると、賞賛と感嘆の言葉である可能性もなくはないでしょうが、身体上の特性や差異をことさら強調する言辞は、往々にしてさげすみやからかいのニュアンスを含むことが多いでしょう。でも、子象は、「母さんも長いのよ」と、誇りを持って自己肯定するのです

web版毎日新聞の記事は、こう続いています。

太平洋戦争中は南方を転戦。その間、戦争協力詩2編を制作していたことが後に研究者によって明らかになり、まどさんは痛惜の念を隠さなかった。

 92年に出版した「まど・みちお全詩集」には該当の2編を収録したうえで、「あとがきにかえて」として 「昔のあのころの読者であった子供たちにお詫(わ)びを言おうにも、もう五十年も経(た)っています。懺悔(ざんげ)も謝罪も何もかも、あまりにも手遅れ です。(略)私のインチキぶりを世にさらすことで、私を恕(ゆる)して頂こうと考えました」と記し、話題となった。

 

東京新聞web版では、記者さんが、生前の取材時のエピソードを交えながら、追悼しています。

二〇〇九年、百歳を迎え新作詩集「のぼりくだりの…」などを出版し、創作意欲衰えぬまどさんを取材した。節く れ立った指、ほおに深く刻まれたしわ。入院先の談話室に車いすで現れたまどさんの、樹齢千年の巨木のような存在感に圧倒された。耳が遠く、認知症も進んだ まどさんとのやりとりは、はた目にはかなりとんちんかんだったかもしれない。だが、その言葉はどれも私の想像をはるかに超え、ものごとの神髄を突いてい た。

 「世の中にいきるものはすべて、たったひとつの存在です。そのものが、そのものであるということ。それだけで、ありがたく、うれしく、尊いことです」

 「池の水面をアメンボが動くと、アメンボの周りに輪が広がります。不思議だなあと思います。あんなに小さいものが、あんなに大きな水を動かすなんて」

 「ぼくはタタミイワシを毎朝パクパク食べるのに、腕にとまった蚊はかわいそうで殺せない。矛盾だらけです。生きものの命を食べずに生きている生きものはいませんが、食べない生きものまで殺すのは人間だけです」

 私は用意してきた質問を封印し、ひたすらまどさんの口から発せられる言霊をひと言も聞き漏らすまいと、耳をすました。

 「生きていると必ず、毎日、新しく見つけるものがあります」。詩作への意欲は、年を重ねてますます旺盛になった。原動力は世の中への「不満」。 「遠くのものにも、近くのものにも。政治家に、警察の人に、学校の先生に。金もうけ、いんちき。無学の私も言わずにおれない現状です。戦争もなくなりませ ん」。百年生きて書くことがなくなるどころか、今だから書かねばという強い姿勢。もっともっと生きて書いてほしかった。 (井上圭子)

 

 この際ですから、私の切り抜き帳から、まどさんの詩を何編か書き写しておきましょう。

いずれも、小学校の教科書などにもよく採用されている有名な詩だそうです。

私などは、 よほどの年齢になってからこれらの詩を知り、じんわり深く打たれました。

  けしゴム   まど みちお

  自分が書きちがえたのでもないが
  いそいそと消す
  自分が書いたウソでもないが
  いそいそと消す
  自分がよごしたよごれでもないが
  いそいそと消す

  そして、けすたび
  けっきょく自分がちびていって
  きえてなくなってしまう


  いそいそと、いそいそと
  正しいと思ったことだけを
  美しいと思ったことだけを
  身がわりのようにのこしておいて

 

ぼくが ここに  まど・みちお              

         ぼくが ここに いるとき
         ほかの どんなものも
         ぼくに かさなって
         ここに いることは できない

         もしも ゾウが ここに いるならば
         そのゾウだけ

         マメが いるならば
         その一つぶの マメだけ
         しか ここに いることは できない

         ああ このちきゅうの うえでは
         こんなに だいじに
         まもられているのだ
         どんなものが どんなところに
         いるときにも

         その「いること」こそが
         なににも まして
         すばらしいこと として


        

 

         よかったなあ  まど みちお



         よかったなあ 木や草が
         ぼくらの まわりに いてくれて
         目のさめる みどりの葉っぱ
         美しいものの代表 花
         かぐわしい実

         よかったなあ 草や木が
         何おく 何ちょう
         もっと数かぎりなく いてくれて
         どの ひとつひとつも
         みんな めいめいに違っていてくれて

         よかったなあ 草や木が
         どんなところにも いてくれて
         鳥や けものや 虫や 人
         何が訪ねるのをでも
         そこで動かないで 待っていてくれて

         ああ よかったなあ 草や木がいつも
         雨に洗われ
         風にみがかれ
         太陽にかがやいて きらきらと

この多肉植物の寄せ植え、妻がお友だちにいただきました。
暖かいところでは緑色なのが、冬の戸外では紅くなるのだそうです。

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我が家の塀際のコンクリートの隙間に、タンポポが咲きました。
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オオイヌノフグリ
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だまされも だましもせぬと 誓うた日  [私の切り抜き帳]

このブログ、「秘密法」の話題が続きます。

今日、外出の途中、カーラジオから流れてきたニュースに耳をとらえられました。

ノーベル物理学賞の益川敏英さん、同じく化学賞の白川英樹さんらをはじめ、日本の知恵者・賢者とも言える、そうそうたる学者・研究者の皆さんが、連名で「特定秘密法案は憲法の基本的人権と平和主義を脅かす立法で、直ちに廃案とすべきだ」との声明を発表されたそうです。

「溜飲が下がる」 という言葉があります。「チョーキモチイイ」ってカンジ、ですか。


詳しい記事を東京新聞に見つけました。

それによると、声明に発表した「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に名を連ねられた皆さんは、次の31名。

そして「インターネットを通じ、三百人以上の学者が賛同の意思を示しており、さらに増える見込み。」とあります。

 

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 さらに、東京新聞の記事は、こう続きます。

声明では「知る権利や国政調査権が制限され、表現や学問の自由が侵害される恐れがある」と指摘。「市民の目と 耳をふさぎ、『秘密国家』『軍事国家』への道を開く」と廃案を求めた。衆院で採決強行の末に法案を通過させた自民党の姿勢にも「戦争へと突き進んだ戦前の 政府をほうふつとさせる」と抗議した。

記者会見で久保亨・信州大教授(歴史学)は「日本は世界的に見て、公文書管理や情報公開の取り組みが遅れている国。なぜこんな法律をつくるのか」と疑問を投げかけた。

改憲に反対する「九条の会」の事務局長も務める小森陽一・東大教授(文学)は「政府が憲法違反の決定をしても秘密にされる。秘密保護法ではなく『秘密隠蔽(いんぺい)法』だ」と憤った。

まさに、「わが意を得たり!」と大声ではしゃぎたくなりました。

でも、同時に、こうした「学究の徒」の皆さん方が憤らねばならないほど、事態が深刻だって事ですよね。

いま、しきりに思い出される詩があります。

高知県の元中学校教師竹本源治さんの「戦死せる教え子よ」という作品です。


戦死せる教え児よ
竹本源治

  逝いて還らぬ教え児よ
  私の手は血まみれだ
  君を縊ったその綱の
  端を私も持っていた
  しかも人の子の師の名において
  嗚呼!
  「お互いにだまされていた」の言訳が
  なんでできよう
  懺愧 悔恨 懺悔を重ねても
  それがなんの償いになろう
  逝った君はもう還らない
  今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
  涙をはらって君の墓標に誓う
  「繰り返さぬぞ絶対に!」

             

作者の竹本源治さんは、大正8年生まれ。高知県旧吾川郡池川町出身。
池川中学校に勤務中の昭和27年、高知県教組の機関紙「るねさんす」に発表した作品がこの詩です。
この詩は翌年、ウィーンでひらかれた第一回世界教員会議で朗読され、これを聞いた人々は、国の違いを越えてみなハンカチで涙をぬぐったといいます。
この詩には、次の反歌も添えられています。

「送らじな この身裂くとも 教え児を 理(ことわり)もなき 戦(いくさ)の庭に」

 

この悲痛な思いを、二度と繰り返すわけにはいきません。

もしわたしたちが、正しく真実を見、真実を知る事ができなければ、 

「お互いにだまされていた」の言訳が  なんでできよう

という自戒を受け継ぎ生かす事は、決してできないはずです。


この詩と重なって、しきりに頭をよぎる、歌の一節があります。

「子供を守るうた」

(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)

ねえ、みんな 

この中に一人でも 

わけも分からず 

怒鳴られたり 笑われたり


人を蹴落として 自分だけがいい子になろうとしたら 

どんなに どんなに 悲しいことだろう

御(み)国(くに)の為に 死ねと教えた昔 

命を散らした教え子の顔が 

目に浮かぶ 目に浮かぶ 

良心の呵責が弱さを支え 

平和を守る心が 私を鍛えた

明るい太陽の その下で 

すくすくと伸びる子供達よ 

笑い顔 おこり顔 おどけた顔で 

野の花のように 

美しく育てよ育て 

平和な未来を 築くために

 

「勤評(キンピョウ)は戦争への一里塚」という合い言葉のもと、教師の「勤評闘争=勤務評定反対闘争」が、戦後間もない1950年代にたたかわれました。

日本が再軍備に向かう「逆コース」と呼ばれる一連の動きの中で、憲法と教育基本法(1947年版)の理想を諸改革が、次々と進められました。

その一環として、「勤務評定」により教師を序列化し、待遇に差を付け、お互いを競争に駆り立て、ひいては「お上」「御国」に盾つかない忠良な教師をつくり、子供の「人格」形成よりも 、「お上」「御国」に役立つ「人材」育成に専念させようとする動きがありました。(安倍さんと一緒やね。)

これにたいする「勤評反対」のたたかいは、「再軍備反対、戦争反対」のたたかいと一体のものでした。「子どもを守る歌」はこのたたかいを題材にし、それを励ますものでした。

この歌を、今の世に再び蘇らせなければならないのは悲しいことですが、子どもたちが、「野の花のように美しく」育つためには、知る権利と言論表現の自由、平和と真実の教育の自由が死活的に必須だと、改めて思うのです。

季節柄、「野の花」も限られますが、とりあえず、秋~初冬の草花です。

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立冬や 審議に入る秘密法   [私の切り抜き帳]

探しものが見つかりません。

夢の中へ
井上陽水 作詞/作曲
 

探しものは何ですか
見つけにくいものですか
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか

 

何を探していたかさえ、途中で忘れてしまう始末です。

古いMOの中にバックアップしていたかも知れないと、久しぶりにMOドライブを引っ張り出してみると、認識しません。電源ランプはつくのに正しく作動してないようです。

ハー○オフを物色してみましたが、ジャンクの棚にも見あたりません。以前はよく見かけたものなのに、過去の遺物になってしまったのですかね。仕方がないので、ネットで検索したところ、樋口一葉でおつりが来る。思い切って、注文していたところ、今朝早く届きました。

早速PCに接続してみると、無問題で認識。MOメディアの中身も、しっかり読めました。10年近く前の、懐かしいファイルです。でも、目当ての探しものは、見つかりません。まだまだ、続く「さがしもの人生」、、、です。

そのファイルの中に、次の文章を見つけました。以前、あるミニコミ紙(ミクロコミ紙かな?)に寄稿した私の文章です。


「華氏451度」。摂氏に換算すると233度。紙が自然発火する温度だという。書物の「害悪」から社会秩序をまもるため、焚書を徹底する統制社会。レイ=ブラッドベリの描く近未来小説だ▼SF小説の愛好家にとって、ブラッドベリの名前は、特別の感慨があろう。「火星年代記」の叙情と哀調は、少年期の琴線に切なく響く。SFなんか読んだこともない我が家の娘も、ブラッドベリの名前は知っているという。ただし、萩尾望都のマンガから▼マイケル=ムーアの話題の映画「華氏911」にたいし、ブラッドベリが「断りなくタイトルをまねた」と抗議しているそうだ。何かと物議を醸すことの多いムーア氏。「やれやれ人騒がせな御仁だ」との思いも、正直否定できない▼先日、その「華氏911」を観た。「この前映画を観たのはいつ?」と娘に訊ねられて思い出してみると、「あかね色の空を見たよ」以来か。映画や文化とは無縁の衆生が、訳知り顔に論じるのも差し出がましいが、感想を一言▼早口の饒舌と喧噪、断定と揶揄と出しゃばり・・・。好みの分かれるこうしたムーア流の「アクの強さ」を割り引き、価値を半分、いや、10分の1に見積もってさえも、作品のボルテージは圧倒的だ。9・11のすべての犠牲者。「対テロ」戦争で殺されたアフガンの民衆、イラクの民衆。戦場にかり出されたアメリカの若者。愛息、愛娘を失った銃後の父母。この無数の人たちの「なぜ死なねばならなかったの?」という問いかけが、作品を背後から突き動かしているかのようだ。▼それにしても、「戦時」にあって、これだけの批判性を保持しうるとは。アメリカのジャーナリズムの強靱さか---。と考えつつ、ふと青ざめた。ムーア氏が、あれほど、自己顕示的なまでに、映像の中にまで姿をさらして顔を売るのは、あるいは、突然の不自然な「抹殺」を警戒しての、苦肉の防御策ではないのか?「華氏911度は、自由が燃える温度」との言明もむべなるかな、と思えるのだ▼日本での、作品の普及が期待される。

 立冬や 審議に入る秘密法
 
 「華氏911度は、自由が燃える温度」。とすれば、自由が凍る温度は何度でしょうか?
日弁連のページ にわかりやすい説明が載せられていました。それを読むと、背筋が凍るのですが、、、。
 
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美しい残照の中の機影に、少し不吉な心細さを感じてしまいました。
秘密法審議入り。
国の針路過つことなく、とこしえに安全・無事でありますように。
 

 
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オバマよ!お前もジャイアンか! [私の切り抜き帳]

各地に大雨警報がだされていましたが、現在の所、この近辺では被害の情報は聞きません。
それにしても、捜し物に費やされる時間は、全人生のうちのどの程度になるでしょう?そんなことに気づいたのは、もうずいぶん前のことですが、最近とみにその傾向が強まっています。
捜し物に追われながら、何を探しているのか忘れてしまうようなことも、しばしばです。それが「老人力」というもので、そういうものだと割り切れば、また楽し、、、なのでしょうかね?
古い文章を探す過程の中で、ここを探ってみると、いくつか感慨深い文章がありました。
もう長く更新していない我が家のホームページ。windows95~2000の時代の作品です。

               ↑(クリックすると新しい窓に開きます。


その「更新履歴」の一部です。一〇年前の記事なのに、今書いているブログと大同小異ですね。

 2003.2.15 トップページと作品のページを多少更新しました。
それにしても、イラク・朝鮮半島情勢は、人類史を逆戻りさせる愚劣さです。「ならず者国家」を成敗する先頭を、一番のならず者が突っ走るの図。泣くに泣けず笑うに笑えぬ出来損ない笑劇に、どこまでつきあわねばならないのでしょうか?
「空爆」は、民衆の側から見れば、「空襲」です。逃げまどう民衆を念頭に入れないアメリカの視点は、ベトナム以来変化なしということか?「戦場」が常に自国の外にあったアメリカにとって、逃げまどう民衆の姿はイマジネーションの限界の外にあるのかもしれません。
で は、日本の姿勢はどうなの?「悪い政府」の統治下であろうがなかろうが、各地の大空襲とヒロシマ・ナガサキの辛酸を嘗めた日本の民衆の視座からは、「空爆 やむなし」の結論は、生まれる余地のないもの。にもかかわらず、NATO傘下のヨーロッパ諸国に比べてさえもふがいない追随三昧。嘆かわしい限りです。

2003.2.26  フランスのリベラシオン紙のコラムは、ブッシュを裸の王様にたとえたと言います。前々からそう思ってました。「王様は裸だよ」の声を、率直に伝えてあげる 方が忠義かつ親切というものでしょうに。「お美しい」「お似合いでげす」のおべっかを、自分ばかりか周囲にも強要する幇間(太鼓持ち)の罪は如何?リンク 集を緊急編成しました。

2003.4.20 ブッシュさん、3歳児をひねりつぶして、「勝った勝った」と誇っても、誰も腹でケーベツするだけ。ただ、手のつけられない乱暴者のやることだから、顔をしかめて黙って見ているまでのこと。
でも、ブッシュさんは気づいているのかしら?あなたに突如「ならず者国家」の烙印をおされ、第2第3のイラクとしての標的にさらされるおそれを感じている国々が、このイラク戦から何を学ぶか?について。
「力 こそ正義」という、ブッシュ流の新しい(実は西部開拓時代以前の未開野蛮な)むき出しの力の政策の前では、国連中心の国際秩序を誠実に遵守することは愚挙 であり、ましてや国連査察に誠実に応じたり、大量破壊兵器の廃棄など馬鹿正直に実行するなどもってのほか。細菌兵器、化学兵器、核兵器、無差別テロ攻 撃・・・いずれをとわず、物量に勝るアメリカに「軍事的」に対抗する道すなわち無限の軍拡の連鎖、憎悪と報復の連鎖への道をひた走るしかない、と、向こう 見ずな破滅的な決意を促したに違いないことを。
ブッシュ=アメリカをジャイアンに喩えた人がいました。ジャイアンは、自分のコンサ-トを誰もが歓 迎しているに違いないと信じているのでしょうね。メーワクに感じながら、「いや」と言い出せないのは、ジャイアンに正義が存するからではなく、彼の腕力を はばかる故であることは、誰もが知っています。知らぬはジャイアン一人でしょう、かわいそうなジャイアン。
そして、ジャイアンの正義は、彼の腕力 を上回る力(ドラエモン由来の)によってついえ去るしかないのです。ジャイアン少年は、心底、真の友情を求めながら、たまたま他を圧する腕力と粗暴さを備 えていたが故に、怯えと追従と憎しみをもって遇されるしかなかったのです。もしも彼が、平凡な腕力の少年であったなら、その純朴な個性はより好ましい輝き を増し、周囲から真に愛され、好ましい友情を獲得できたに違いないのに・・・。
リンカーンの国、ホイットマンを生んだ国、民衆愛と寛容な民主主義 の伝統ある朗らかなアメリカが、なぜこんなにも野蛮で狭量なふるまいしかできないのでしょうか。ベトナム戦争への苦い反省も忘れたかのように。ソ連、東欧 の自滅をへて、対立軸を失い、「一人勝ち」してしまったことの不幸なのでしょうか?ジャイアンの不幸、孤独との相似が、なにやら真実味を帯びてきました。



折しも昨日は、金曜日。ドラえもんの放送日です。

テレビ朝日のサイトを見ると、第一話の標題は「ハロウィンって何の日?」

「しずかや出木杉から、秋の収かくを祝う行事“ハロウィン”について教えてもらったのび太は、仮そうした子どもたちが「トリック・オア・トリート」と言いながら近所をまわるとお菓子をもらえる日だと知り、大こうふん! さっそくみんなで仮そうして、空き地に集まることに。
 ところが、のび太からハロウィンについて聞いたジャイアンは、仮そうして呪文さえ言えば、何でも欲しいものをもらえる日だとカンちがい。盗賊(とうぞく)の姿に変そうしてスネ夫の家に行き、オモチャを力ずくでうばい取る…。
 ジャイアンが町内を回り、欲しいものをうばうつもりだと知ったドラえもんは、異空間を作り出し、おばけたちが訪問者をおどかす『かぼちゃライト』をみん なに配り、門の上に置くよう指示。さっそくのび太も家の門の上に置き、スイッチを入れると、野比家が西洋の廃屋のような建物に変身、ゾンビが現れる。だ が、ジャイアンはゾンビをまったく怖がらず…!?」

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孫達のママの誕生日のケーキ、ハロウィンモードでした。

 

声は変わっても、ジャイアンはジャイアンをやっています。
一方、アメリカは、オバマの登場で、人権と民主主義の方向に劇的に舵を切る大刷新が果たされるかと、世界中が期待しました。社会保険制度、医療制度の改善の分野では、たしかに大きな胎動を感じます。

でも、大量破壊兵器である化学兵器を使ったとして、シリアへの空爆に走る姿は、やはりジャイアンでした。「オバマよ、お前もか?」です。

さらに、アメリカCIAによる盗聴の標的が「友人」たちにまで向けられていたことに、激しい怒りが集中しています。

 

一方、我らが安倍さんは、アメリカのシリア空爆方針を受けて、8月28日の記者会見で、こう述べました。

「日本政府としては、シリアにおいて化学兵器が使用された可能性が極めて高いと考えています。化学兵器の使用はいかなる場合でも許されるものではありません。シリア情勢の悪化の責任は、人道状況の悪化を顧みないアサド政権にあることは明らかであります。日本政府は、事態の改善のため国際社会と緊密に連携していきます。 」

そして、記者の質問に対しても、たびたび「国際社会との連携」を口にしました。

でも、その国際社会はというと、国連は、ロシアと中国の反対で、武力行使に賛同することはなく、アメリカが頼りにしていたイギリスも、議会が武力介入を否決し、ドイツも米国に協力せず、「国際社会」は総じてイラク空爆に批判的です。その状況の下で、国際社会と連携するとは、アメリカにきっぱりNOということでしょうが。日本はやっぱり、性懲りもなくスネ夫を演じるのでしょうかね。


 さて、今日の切り抜き帳は、「いじめの背景」

①幼児期からの仲間関係の希薄さ。

②他者と関わることへの不安や気遣いが先立ち、自分らしさがなかなか安定しない。

③学校において子どもたちの関係が集団になりにくく、「群れ」化した状態が続きやすい。

④少年期に育てられるべき抽象的思考力(形式的操作能力)の発達の弱さが自己を客観視する力を弱めていること。

⑤友達づくりの経験の乏しさから、自分の思うように他者を支配することを「友達を作る」ことだと思ってしまうこと。

⑥集団として共有できる自前の文化が育ちにくいこと。

⑦金銭で「遊び」も買えるのだという生活感覚が身についていること。

――――講座学校第4巻 5章(折出健二)

 

「いじめられる側」 とともに、「いじめる側」のケアが、必須であることを改めて感じます。

「厳罰で対処」という風潮(6月に成立した「いじめ防止対策推進」葉、その具体化)が、おそらく問題を解決しないばかりか事態を重篤化させる危険をはらんでいないか、憂えるところです。


 
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探し物する間に過ぎゆく野分かな [私の切り抜き帳]



昨夜から未明にかけて、強い雨音が続いています。

出産予定日は過ぎてもまだ兆しのない二男のお嫁さんは、今日は診察予約の日なので、妻が車で送って行っています。

朝から警報発令中なので、小学校は休校。弟の保育園生も、自主休講してお留守番をすることになり、何かあったらお世話する構えで、私は一人パソコンのお守りをしています。

ちょっと使いたいデータがあって、パソコンの中を探ってみるのですが見つかりません。何世代か前に使っていたパソコンで保存したDATAのはずで、上手く「引っ越し」 させていたはずなのですが、そうでないらしい。かつては、バックアップというものをこまめに取っていた時期もあったのですが、HDDが大容量の時代になって、無造作にその中に放り込む習性が身につきました。

どこかの時点でまとめてバックアップやデータの整理をしようと、実際に着手したけれど持続せず、あっちのパソコン、こっちのメディアにと、ばらばらにデータが散逸してしまっています。

FDD、ZIP、MO、CDR、CDRW、DVDR、コンパクトフラッシュ、携帯用HDDetc.色々なメデイアに、時間と手間を掛けて、バックアップを取ったりでったの整理整頓をしたり、努力はしていないわけじゃありませんが、長続きしないために、不徹底に終わっています。いざ探そうと思うと、砂漠で針を探すがごとく、見つけるのにいつも苦労します。本当にデータを保存しているかどうか?自身もぐらつきます。いつの間にか、あっさり削除してしまっているかも知れない。 と、思えてくると、探す行為自体むなしくなります。

そんな風にして、今朝の時間はいたずらにすぎていきました。

その捜索作業の副産物として、見つけた古いファイルを、時々このブログのネタとして使ってみようかと思います。

 題して、「私の切り抜き帳」


急ぐ必要はない
君の速さで、歩けばいい。
君が君でいる事が
何よりも、大切
なんだ
から---。
326(ナカムラミツル)


 

いつもみてるよ。がんばってるの、しってるよ。

いつもみてるよ。がんばってるの、しってるよ。

  • 作者: 326(ナカムラミツル)
  • 出版社/メーカー: Think D出版
  • 発売日: 2006/02/09
  • メディア: 単行本

326―ナカムラミツル作品集

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  • 作者: ナカムラ ミツル
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 1998/07
  • メディア: 単行本

 


「埋め草」にムクドリの写真を2枚。
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もう長く更新していない我が家のホームページ。windows95~2000の時代の作品です。のぞきにお越し下さい。

               ↑(クリックすると新しい窓に開きます。 

 

 


 

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