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「多喜二の母」に思う、の巻 [文学雑話]

今日は郷里の父母を訪ねようと思っていたのですが、急に午前中用事が入りましたのでキャンセルしました。昨日会ったUさんが、今日の午後の予定を思い出させてくださいました。こんな映画の上映会があるのです。私もそのチラシをパソコン机の目につくところに張り出していました。このチラシを持参すると、当日券が三百円割引になるのでした。

同じ場に居合わせたO先輩は、すでに別会場(倉敷市)での上映を鑑賞してこられ、「良かった。泣いた。」とおっしゃっていました。
やはり見ておきたい気持ちになりました。
一日中雨の予報で、畑仕事もできそうにないので、かえって好都合だったかも知れません。
午前中の用事を終え、上映会場に向かいます。駐車場をどうするか悩んだのでが、久しぶりに後楽園の駐車場に駐めて、歩いてみることにしました。
あいにくの雨ですが、、、。
岡山城も雨に煙っています。
小学生の団体来意グループが大勢。










カラスの濡れ羽色のカラス(ン?当たり前か)

さて、この映画については以前、majyo様が、このブログ記事に書いておいででした。
◇母 小林多喜二の母の物語 を観て
その記事で、制作会社(現代プロダクション)のHPを紹介してくださっています。
http://www.gendaipro.com/haha/
当時、この記事にこんなコメントを投稿させて戴いておりました。再掲させていただきます。

 三浦綾子さんの「母」は、我が子多喜二を愛し、理解し、志を継いで学び成長を遂げていくおっかさんの、静かな、訥々とした語り口を通して、母性=無私の愛の気高さを描いて胸を打ちます。映画化、大いに期待していました。ホットタイミングでのご紹介、ありがとうございました。
遺体のひきとりから葬儀の一部始終に立ち会った作家・江口渙は、こう書いています。「お母さんは、小林の顔や髪になおも涙を落としながら、抑えきれない心の悲しみを、とうとう言葉に出して訴える。 『ああ、痛ましや。痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや、子供のときからあんなに泳ぎが上手でいただべにーーーー心臓麻痺なんて、嘘だでや。嘘だでや。絞め殺しただ。警察のやつが絞め殺しただ。絞められて、いきがつまって死んでいくのが、どんなに苦しかっただべか。いきのつまるのが、いきのつまるのがーーーああ痛ましや。』 お母さんはなおも小林多喜二のからだを抱きかかえてはゆさぶり、また揺さぶっては抱きかかえる。そして、あとからあとからあふれでる涙に顔を一面ぬらしながら同じ言葉を訴えていたが、突然、『これ。あんちゃん。もう一度立てえ!皆さんの見ている前でもう一度立てえ!立って見せろ』と全身の力をふりしぼるような声でさけんだ

山田火砂子監督は、広告チラシにこんなことを書いておられます

 岡山県のみなさまへ
私は山田火砂子と申しまして、 85歳の老監督でございます。
これまで岡山では「岡山孤児院」の創設者・石并十次の人生を描いた『石井のおとうさんありがとう』 (松平健主演)、『筆子・その愛~天使のピアノ』 (常盤責子主演)、高梁市で生まれ育ち、 北海道に現在もある家庭学校を作り、 たくさんの子どもたちを救い、 不良少年の父と言われた留岡幸助の生涯を描いた『大地の詩~留岡幸助物語』 (村上弘明主演)などのロケーションをしてきました。私にとって岡山は、第二のふるさとのような気がしています。
このたび岡山県で初めて上映させていただいた 『母 小林多喜二の母の物語』 という映画は、 戦争で一番悲しいのはお母さんであり、 お母さんから最愛の子を奪う戰争はぜったいに反対という強い思いをこめてつくりました。(後略)

また、リーフレットにはこんなことも。

 本日は映画「母 小林多喜二の母の物語」をご鑑賞いただきましてまことにあリがとうございます。
最近の日本は共謀罪等が可決され、 戦前に近くなっているように思います。私、 山田火砂子も13歳まで戦争を経験し、 東京山手大空襲で、 家も焼け出されました。 食料もなくひもじい思いをしましたが、 辛うじて生きのびて、 もうすぐ86歳です。 二度と戦争はいやです。 軍国主義の日本に戻ることがあってはならないと思って生きてきましたが、 共謀罪は、 戦前の治安維持法と同じではないですか? 多喜二はこの治安維持法によって、 国家権力の警官によって3時間殴り通されて殺されたのです。 彼は、 戦争などしない平和な国を願い、 武器を作るお金があるなら貧しい人のために使うぺきという思いで小説を書きました。 その代表作が「蟹工船」です。 金持ちが全部搾取してしまう。 労働者は怪我をしてもなんの保証もない。 ストライキをしたら軍隊がくる。 弱者に対して言うことは、 働かざるもの食うべからず…。
福祉など全くなかった戦前、 二度とそんな時代が来ないでほしい、 その一心でこの映画を作リました。

上映前のステージで、監督あいさつにたたれた山田火砂子監督は、高齢ながら、凛とした張りのあるお声で、平和への思いを訴えておられました。「戦争で一番悲しいのは母。慈しみ育てた子どもを母から奪う戦争を二度と許してはいけない」「母、せき役の寺島しのぶさんは、我が子の命が奪われたりしたら、取り乱して自分を失ってしまうだろうに、もう一度立て、と呼びかけた多喜二の母は気丈だ。役だから演じるが、自分ならとてもできない、と漏らしていた」等、印象深いお話が、心に残りました。
小林多喜二は、これまでも、何度となく私の記事に登場してきます。
◇「宵待草」異聞、の巻
◇ブログ更新停滞の三つの言い訳、の巻
◇しもつきついたちの後楽園、の巻
◇夏の終わりの高知行、の巻(その5)
サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻
◇この道はいつか来た道 「密告フォーム」の行き着く先、の巻
◇自民HP密告フォームと「二十四の瞳」、の巻(1)
◇年金訴訟と朝日訴訟についてのおもいつくまま
道の辺に思ひ思ひや思ひ草
またまた3月15日の蘊蓄、の巻


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明け方散歩と十五夜の月、の巻 [折々散歩]

暑くて寝苦しい夜はとっくに過ぎ去って、逆に、昨夜などは足先が冷たくて目が覚めるほどでした。二時、三時にいったん目ざめると、目が冴えてそれから一睡もできない、、、などと思いつつ、覚醒状態でいろいろあれこれとりとめもないことを考えている、、つもりが、どうも考えていることがトンチンカンでおかしい。登場者の年齢があり得ない若さであったり、やることなすことでたらめであるので、なにやら違和を感じながら、冷静に思いをめぐらすと、どうも夢を見ていたか、それとも寝ぼけていたかのうちに、時刻は四時、五時になっている、、というようなパターンが最近続きます。もうこれ以上眠れそうもないので、起き出して、朝散歩でもするのが生産的だろうかという次第で、昨朝も今朝も、夜明け時にひと歩きしてきました。
昨日(10月4日)の朝の写真です。





今朝(10月5日)の写真です。











昨夜は十五夜でした。
今朝の地元新聞「山陽新聞」は、岡山城・後楽園や瀬戸大橋、備中国分寺などを見事な月の写真を添えて、第一面に「中秋の名月」の記事を載せていました。それによると、十五夜=満月という思い込みは、どうやら勘違いだったようです。

今年の十五夜は、暦の関係で2009年以来八年ぶりに10月にずれ込んだ。美星天文台(井原市)によると、新月から満月になる'までの日数は13・9日~15・ 6日とばらつきがあるため、今年は満月より2日早い「名月」となった。

我が家から見あげた月は、始め、雲に遮られて、なかなか全体像を見せませんでした。


まさに徒然草のこんな一節が浮かびます。以前もこの記事で書きましたが、、、。↓

◇「展望レストラン」再訪、の巻


花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
【地方語訳】
桜の花は満開を、月は曇りのねえもんだけを見るもんじゃろうか、いや、そんあこたあねえ。
降りようる雨に向こうて月を恋い慕うたり、簾を垂れえて部屋の中に閉じこもり春が暮れていく行方を知らずにおるのも、やはりしみじみ趣が深いことですなあ。

これに対して、江戸時代の国学者本居宣長は、こんないちゃもんをつけてます。

 兼好法師が徒然草に、
「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」
とか言へるは、いかにぞや。
 いにしへの歌どもに、花は盛りなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには風をかこち、月の夜は雲をいとひ、あるは待ち惜しむ心づくしをよめるぞ多くて、心深きもことにさる歌に多かるは、みな花は盛りをのとかに見まほしく、月はくまなからんことを思ふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ。いづこの歌にかは、花に風を待ち、月に雲を願ひたるはあらん。さるを、かの法師が言へるごとくなるは、人の心にさかひたる、のちの世のさかしら心の、つくりみやびにして、まことのみやび心にはあらず。
【地方語訳】
兼好法師の徒然草に、「桜の花は満開を、月は曇りのねえもんだけを見るもんじゃろうか、いや、そんあこたあねえ。」とか言うとるのは、どねえなもんじゃろうか?
 昔の歌に、花は満開を、月は無欠の満月を見たのよりかは、花を散らす風を嘆き、月の夜は雲を嫌がり、あるいは待ったり惜しんだりする気持ちを詠んだ歌が多くて、特にそういう歌に趣深いのが多いゆうのは、誰もがみな、桜は満開を心のどかに見たいし、月は満月を願う心が切実じゃからこそ、そうできんことを嘆いとるんじゃろう。花に風が吹くのを待ち焦がれたり、月に雲がかかるのを願う歌が、どこにあろうにい。あの法師が言うとるようなことは、人の心に逆ろうた、のちの世の賢こぶった心の、つくりもんの風情であって、本当の風流心じゃあねえ。


しばらくすると、すっきり晴れて、明るい月が全身をあらわしました。
PENTAXK5Ⅱ+AFBORGED60mm。


pentaxK10D+kenko500mmミラーレンズ。

FUJIFINEPIXs1。いつも使わないデジタルズームをめいっぱい効かせるとここまで大きくなります(ノートリミング)。

孫宅から電話があり、まず、小4男子が、2歳の末娘が話したいことがあるから変わるね、と紹介してくれて、電話口に出てきた末娘が「お月見をするのでお団子食べに来てください」と、招待してくれました。
中秋の名月は、別名「芋名月」とも呼ばれ、サトイモを供えて月見をする風習があるそうです。「芋名月」という言葉だけ聞きかじっていたので、サツマイモを掘ってきて、焼き芋にして孫宅に持って行きました。実りの秋のうれしさです。

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