似而非、の巻 [折々散歩]
先般、こう書きました。
巣立ち間近、の巻(2021-08-04)
最後に今日の付録。これなあに?
オクラではありません。
同じアオイ科ですが、妻が育てているワタの花が咲き始めています。
この話題はまた回を改めまして、、、
去年の記事ではこんなことも書きました。
棉から綿へ、の巻(2020-09-05)
以前こんな記事を書いたことがありました。
ふくらみ始めた綿の花(2013-08-05)
庭の片隅で、薄クリーム色の綿の花が膨らみ始めています。
妻が知人からいただいてきた種を、植木鉢にまきました。双葉の頃に何者かにすっかり食われ,ほとんど全滅状態だったのですが、この一鉢だけはかろうじて育ち、健気にもつぼみを成していました。最近は世話もせず、ほとんど放置状態なのに、よくぞここまで育ってくれました。
綿花と言えば、子どもの頃は。故郷の山沿いの畑で、栽培されている姿をよく見かけました。痩せた畑と見える場所で、旺盛に育っている姿が記憶に残っていて、こんなにデリケートな植物とは知りませんでした。(中略)
妻は、今年もまた、綿の栽培にチャレンジしています。
(中略)
ところで、「棉」と「綿」の二つの漢字の使い分けは、「棉」は植物としての状態を指し、収穫された種付きの状態まで。これにたいして、「綿」は、種を取り除き繊維としてのワタになった状態を指すのだそうです。
妻の要請により、棉栽培の経過のあらましをまとめておきます。
(中略)
やがて綿花がはじけたので、摘み取って帰ります。
9月4日、何度目かの収穫。
摘み取って帰った綿花から、種子を取り除く必要があります.その作業が終わってこそ「棉」から「綿」に変わるわけです。
中略
麺生地を平たくするためのローラーに、種がついたままの棉を通すと、種が外れて綿が出てきます。想定外の使途ですが、製麺機ならぬ製綿機として、第二の生を歩めそうです。
取り外された種。購入時の何倍の量になりましたか?
できあがった綿。
こうやって採取した種と、さらに別種の種も取り寄せて、今年も栽培したいと妻が申しまして、植木鉢、プランター、家庭菜園用に借用している畑などに少しずつ植えましたがまだ余ります。で、一案を講じまして、郷里の山畑が、猪や鹿に荒らされるにまかせて半ば放置してある場所に植えてみることにしました。芋や根菜、スイカやカボチャはイノシシに荒らされ、柔らかい葉野菜はおろかトウモロコシや小豆ほかの豆類も、新芽のうちに鹿にかじられますので、獣よけの電柵もフェンスも張らずに、栽培できる作物はないか、日頃の懸案だったのです。ワタはどうか?試してたい興味もあったのです。
案の定、柔らかい葉っぱが無惨にかじられてしまいます。電柵やフェンスほど大がかりでない防獣策として、センサーによって獣を感知して音と光で撃退するという装置を設置してみました。音は、鹿に対しては低周波、光は青色が有効だとの触れ込みです。
少しは効き目があったのかも知れません。
こんなに成長したものでも、装置から遠いところは、葉先がかじられています。
が、まずまずの生育ぶりです。
以下、あちこちに植えてあるワタの花を日付順に紹介します。
8月6日
8月12日
8月14日
それと、ワンパターンの展開ですが、よく似た花の写真も、日付順に。
8月7日。
8月8日。
8月17日。
オクラなのですが、大きくひらいた花が写せません、過去の記事をひもといてみましたが、案外登場回数が少ないようです。例えばこんな記事。
茸(キノコ)野分して長崎の日は雨だった(
2014-08-08)
偏食のある孫たちですが、オクラは好んで食べます。
昼10人、夜12人の大賑わい(2014-08-16)
オクラ。
生命力旺盛に、日々新たに花が咲き、実が育っています。
これも、よく似た花です。
この黄色い花なあに?(2014-10-07)
この花なあに?
アオイにもフヨウにも、綿の花にもオクラの花にも似ています。
ローゼルでしょうか?ロゼリ草、ローゼリ草、レモネードブッシュなどとも呼ばれるそうです。
ローゼルの花や果実は、「ハイビスカス・ティー」に利用されるそうです。
「ジャガイモ」は、ジャカルタ(インドネシア)から伝来したので「ジャガタライモ」がなまったもの、「カボチャ」はカンボジアに由来する、などのれんそうから、「オクラ」はアメリカのオクラホマ原産、とワケ知り顔に思い込んでいたことがあります。
実は、オクラのスペルは「okra」、オクラホマのスペルはOklahomaで、「r」と「l」の違いから、両者はまったく関係ないらしい、と知ったのはつい最近のことです(汗)
「オクラ」は、西アフリカ・ガーナ地域の言葉「nkuruma」に由来するとか。ちなみに、オクラホマの方は、ウィキペディアによると「州名はチョクトー族インディアンの言葉でokla と hummaを合わせたものであり、「赤い人々」を意味する」のだそうです。調べてみるものですね。
この稿、構想では、山上憶良(やまのうえのおくら)の話題に進む予定でしたが、さすがにそれは牽強付会というものなので、「自粛」することにします。
今日はこれにて。
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