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1941(昭和十六)年(=当時は皇紀2601年と言ったかも知れません)の今朝、ラジオから緊迫した声が流れた(そうです)。
 
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
   大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。
 
太平洋戦争の開戦を告げる臨時ニュースです。
その同じ日に、続けざまに、次の大本営発表があったといいます。(青森空襲を記録する会 の、こちらの記事から引用させて戴きました。)


大本營陸海軍部發表(十二月八日午前六時)
    帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり


大本營海軍部發表(十二月八日午前十一時十分)
    一、帝國海軍は本八日未明ハワイ方面の米國艦隊並に航空兵力に對し決死的大空襲を敢行せり
    二、帝國海軍は本八日未明上海においてイギリス砲艦「ぺトレル」を撃沈せり、アメリカ砲艦「ウエーク」は同時刻我に降伏せり
    三、帝國海軍は本八日未明シンガポールを爆撃して大なる戰果を収めたり
    四、帝國海軍は本八日早朝「ダヴァオ」「ウエーク」「グアム」の敵軍事施設を爆撃せり


大本營陸軍部發表(十二月八日午前十一時四十分)
    我が軍は本八日未明戰鬪状態に入るや機を失せず香港の攻撃を開始せり
 

大本營陸海軍部發表(十二月八日午前十一時五十分)
    我が軍は陸海軍緊密なる共同のもとに本八日早朝マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し着々戰果を擴張中なり

 

大本營陸海軍部發表(十二月八日午後一時五十分)
   本日必要の區域に防空の実施を下令せられたり
 

陸海軍省(十二月八日午後三時同時發表)
    本日陸海軍大臣を宮中に召させられ、左の勅語を賜りたり

 勅 語
曩ニ支那事變ノ發生ヲ見ルヤ朕カ陸海軍ハ勇奮健鬪既ニ四年有半ニ彌リ不逞ヲ膺懲シテ戰果日ニ揚ルモ禍亂今ニ至リ尚収マラス朕禍因ノ深ク米英ノ包藏セル非望ニ在ルニ鑑ミ朕カ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ解決セシメムトシタルモ米英ハ平和ヲ顧念スルノ誠意ヲ示ササルノミナラス却テ經濟上軍事上ノ脅威ヲ增強シ以テ帝國ヲ屈服セシメムト圖ルニ至レリ
是ニ於テ朕ハ帝國ノ自存自衛ト東亞永遠ノ平和確立トノ爲遂ニ米英兩國ニ對シ戰ヲ宣スルニ決セリ
ハ汝等軍人ノ忠誠勇武ニ信倚シ克ク出師ノ目的ヲ貫徹シ以テ帝國ノ光榮ヲ全クセムコトヲ期ス


右勅語を拝受し陸海軍大臣は左の如く奉答せり

奉答文         

臣  英  機     

臣  繁太郎
誠恐誠懼謹テ奏ス帝國未曾有ノ難局ニ方リ優渥ナル勅語ヲ賜フ臣等咸激ノ至ニ堪ヘス臣等協力一致死力ヲ盡シ誓テ聖旨ニ應ヘ奉ランコトヲ期ス臣英機臣繁太郎誠恐誠懼陸海軍ヲ代表シ謹テ奉答ス

 昭和十六年十二月八日
       

陸軍大臣     東條英機      

海軍大臣  嶋田繁太郎

   

大本營陸軍部發表(十二月八日午後五時) 
 我が陸軍飛行隊は本八日早朝來比島方面要衝に對し大挙空襲し甚大なる被害を與へたり

大本營陸軍部發表(十二月八日午後五時)
    南支方面帝國陸軍飛行隊は八日早朝香港北方の敵飛行場を急襲し、同飛行場にありし十四機中十二機に低空銃撃を加へこれを炎上せしめたり
    我に損害なし

大本營海軍部發表(十二月八日午後八時四五分)
    一、本八日早朝帝國海軍航空部隊により決行せられたるハワイ空襲において現在までに判明せる戰果左の如し
        戰艦二隻轟沈、戰艦四隻大破
        大型巡洋艦約四隻大破
        以上確実
        他に敵飛行機多數を撃墜撃破せり
        わが飛行機の損害は輕微なり
    二、わが潜水艦はホノルル沖において航空母艦一隻を撃沈せるものの如きもまだ確実ならず
    三、本八日早朝グアム島空襲において軍艦ペンギンを撃沈せり
    四、本日敵國商船を捕獲せるもの數隻
    五、本日全作戦においてわが艦艇損害なし

大本營陸海軍部發表(十二月八日午後九時)
    帝國陸海軍航空部隊は本八日緊密なる協力のもとに比島敵航空兵力ならびに主要飛行場を急襲し、イバにおいて四十機、クラーク・フィールドにおいて五十乃至六十機を撃墜せり、我が方の損害二機



大本營陸海軍部發表(十二月八日午後九時)
    帝國陸海軍は緊密なる協同のもとに本八日午後泰國に友好的に進駐を開始せり

昭和16年12月8日午前3時22分(ハワイ時間7日午前7時52分)、ハワイ攻撃隊総指揮官淵田美津雄海軍中佐は「トラトラトラ」(われ奇襲に成功せり)の電報を発信した。3時25分、急降下爆撃隊53機を率いた高橋赫一少佐の投下した250キロ爆弾がオアフ島中央部に位置したホイラー陸軍飛行場に炸裂した。約4年に及ぶ太平洋戦争の幕あけである。第一次攻撃隊183機、第二次攻撃隊167機が攻撃を行い、次の戦果を上げた。

沈没
戦艦オクラホマ、アリゾナ、カリフォルニア、ウエストバージニア
敷設艦オグララ
標的艦ユタ

損傷
戦艦ネバダ、ペンシルバニア、テネシー、メリーランド
軽巡洋艦ローリ、ホノルル、ヘレナ
駆逐艦キャッシン、ショー、ダウンズ
水上機母艦カーチス
工作艦ヴェスタル

航空機完全破壊
陸軍機96機
海軍機92機
航空機損傷
陸軍機128機
海軍機31機

アメリカ軍戦死行方不明2334名、負傷1023名
攻撃は、フィリピン、香港、上海、シンガポール、グアムにも向けられ、第11航空艦隊の陸攻106機、零戦85機は、台湾南部を発進、フィリピンのクラーク、イバ飛行場を、第4航空戦隊(空母龍驤)の艦上機22機はフィリピンミンダナオ島ダバオの飛行場、水上機母艦プリストンを攻撃した。さらに第2根拠地隊陸戦隊はフィリピンルソン島北方のバタン諸島に上陸。駆逐艦曙、潮はミッドウエー島を艦砲射撃、サイパンを出撃した第4艦隊第18航空隊の水上偵察機5機はグアム島を攻撃、掃海艇ペンギンを撃沈。ルオットを発進した第4艦隊千歳空の陸攻34機はウエーク島を爆撃、第22航空戦隊の美幌空陸攻32機はツドウム基地を発し、シンガポール飛行場を爆撃した。

一方、マレー半島侵攻作戦を担当した陸軍は、ハワイ攻撃に先立つ約2時間前の8日午前1時30分から第25軍(山下奉文中将)をマレー半島イギリス領コタバル、タイ領シンゴラ、パタニに上陸させていた。相互不可侵を規定した日泰友好和親條約に違反するかたちで行われた日本軍の上陸に、タイ国陸軍、警察隊が応戦、日本軍約250人、タイ側約150人の死者を出した戦闘の後、坪上貞二大使はタイのピブーン首相に日本軍の通行権を認めさせ、翌9日日本軍はバンコクに進駐した。しかし、一部地域では日タイ間の戦闘は40時間継続されたという。
コタバル上陸作戦で、陸軍輸送船淡路山丸(三井船舶 9794トン)が空襲により船体放棄、12日全没。船員1名戦死。

戦争の目的は、「自存自衛ト東亞永遠ノ平和確立」と繰り返し説明され、国民は大勝利の報道に狂喜した。
 
 
「大本営発表」というと、現在では「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞になっている、とwikiは書いていますが、全くその通りでしょう。
 真実が知らされず、国民の「知る権利」よりも国家の「知りたくない権利」が優越した時代の一コマでしょう。
「秘密法」の強行が、「いつか来た道」への一歩になりませんように。

 
12月のたんぽぽ
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水辺のアオサギ
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鴨川の冬景色
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木の枝に止まる猫
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松の木の枝に止まるヒヨドリ
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孫と公園に行きました。
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時計台
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山羊
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