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11月の終わりに寄せて [雑話]

はや11月も末日になりました。
11月にちなんだ話題として、萩尾 望都さんの「11月のギムナジウム」を取り上げたいと思っていました。


11月のギムナジウム (小学館文庫)

11月のギムナジウム (小学館文庫)

  • 作者: 萩尾 望都
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1995/11
  • メディア: 文庫

でも、11月も初旬はあまりに暖かくて、この作品の季節感にそぐわないかなと、躊躇しているうちに時日は過ぎて、寒さはつのり、各地に雪の話題も聞くようになったと思ううちに、今日が今年最後のチャンスとなりました。
萩尾 望都さんと言えば、永遠のいのちを持つバンパネラと人間との交わりを哀しく描く「ポーの一族」や、ドイツのギムナジウム(中等学校)を舞台にした少年達の物語「トーマの心臓」などの、文学の香気高い大作の名が、まず浮かびます。

ポーの一族 全巻セット (小学館文庫)

ポーの一族 全巻セット (小学館文庫)

  • 作者: 萩尾 望都
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/03/01
  • メディア: 文庫

 

トーマの心臓 (小学館文庫)

トーマの心臓 (小学館文庫)

  • 作者: 萩尾 望都
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1995/08
  • メディア: 文庫

トーマの心臓1 萩尾望都Perfect Selection 1 (フラワーコミックススペシャル)

トーマの心臓1 萩尾望都Perfect Selection 1 (フラワーコミックススペシャル)

  • 作者: 萩尾 望都
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2007/07/26
  • メディア: コミック


学生の頃、「大の男」が、いわゆる「少女マンガ」なんかを手にするなんて、恥ずかしくてとても出来やしない。はずでしたが、一部の「女子学生」のブームに影響されて、「少女フレンド」「マーガレット」「りぼん」「なかよし」など、喫茶店にある雑誌のバックナンバーをまとめ読みしたことがありました。
バイオレンスと下卑たギャグ、底の浅いスポ根などが主流だった少年マンガに比べて、そこには、描線も美しく、ストーリー展開も安易でなく、上質な文学の香りのする作品が多く、侮れない世界があることを知りました。「つる姫じゃ~!」などの、型破りなギャグマンガも楽しく愛読しましたが。

つる姫じゃ~っ! (1) (中公文庫―コミック版)

つる姫じゃ~っ! (1) (中公文庫―コミック版)

  • 作者: 土田 よしこ
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/07
  • メディア: 文庫

 

つる姫じゃ~っ! (2) (中公文庫―コミック版)

つる姫じゃ~っ! (2) (中公文庫―コミック版)

  • 作者: 土田 よしこ
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/07
  • メディア: 文庫


そうしたなかで、「少女コミック」に連載された萩尾望都さんの作品は、取り分けて秀逸でした。

「ユリスモールへ
これがぼくの愛
これがぼくの心臓の音
きみにはわかっているはず」
(「トーマの心臓」)



傷つきやすく鋭敏な思春期の少年たちの、切ないまでに美しい心の動きを見事にとらえた「トーマの心臓」に、ドイツ文学の空気を感じ取ることは、ごく自然な第一印象でした。私が、高校時代最も耽溺した作家は、ヘルマン・ヘッセでしたから、ここまでその世界を「映像化」できた作品に衝撃を覚えるほどでした。ヘッセの作品は、新潮文庫版として出版されていたものは、高校時代にほとんど読んだと思いますが、中でも繰り返し読んだのは「デーミアン」でした。「トーマの心臓」には、同じ空気が流れていると感じました。

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1951/12/04
  • メディア: 文庫

現に萩尾さんご自身、ヘッセやロマン・ロランからの影響については、しばしば、色々な場で語っておられます。


2012年に、紫綬褒章を受章された時のNHKのインタビューを引用します。

Q)いつごろヘッセを読んでおられましたか?

20歳ごろでしょうか。自分自身もなんかいろんなことを考えて、例えば私はなぜ存在しているんだろうとか、どんな風に生きて行けばいいんだろうとか、そういうことを悩むわけですが、日常の生活ではそんなことを考えていないで、ちゃんと勉強しなさいとかちゃんと就職しなさいとか、なんかきちんとやることというのが求められる。きちんとやるためにいろんな悩みを考えていると邪魔だから、そんなことは考えないように生きていく方向に大体は行くんですね。確かに邪魔だなと思うんですけど。

ころがヘッセなんかは悩みを正面から書いて、自分がどんな風に迷っているか、自分がどんな風に生きていけばいいか、自分はこういうことを選択したけどこれでいいのかと反復したり周りの人に助けられたり、ある時は失敗したり、うまくいったりしながら。迷いもいいんだ、迷ってもいいんだ、いろんな事を考えてもいいんだということを、ヘッセの小説から教えられたと思います。


もうひとつ、トーマスマンの「トニオ・クレーゲル」も、高校時代の私のお気に入りでした。北杜夫さんが、「トニオ」のカタカナの形態的連想から、自分のペンネームを付けたというエピソードを後に読み、嬉しく思ったことでした。その「トニオ・クレーゲル」の世界とも響き合うものが、「トーマの心臓」にはあるように思えました。

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

  • 作者: トーマス マン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/09/27
  • メディア: 文庫

 

どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

  • 作者: 北 杜夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/09/28
  • メディア: 文庫



トニオクレーゲルの冒頭の一節。高橋義孝氏の訳が、私は一番好きでした。

冬の太陽は乳色にかすれて厚い雲におおわれたまま、狭い町の上にわずかにとぼしい光を投げていた。破風づくりの家の立ち並んだ路地々々は、じめじめとして風が強く、時おり氷とも雪ともつかぬ柔らかい霙みたいなものが降ってきた。
 学校がひけた。石を敷きつめた中庭から格子門へかけて、解放された生徒たちは、雪崩をうって外に出ると、右に左に思いおもい急いで帰って行った。年のいった少年たちは、勿体ぶって本の包みを左の肩に高々と押しつけ、昼飯を目ざして、右手で舵をとりながら風に逆らって歩いて行く。小さな生徒たちは、氷まじりの泥をあたりにはね返しながら学校道具を海豹皮のランドセルの中でがちゃがちゃいわせて、嬉々として小走りに走って行く。けれどもときどき、落着いた足どりで歩いてくる上級教師の、ヴォータンのような帽子とユピテルのような髭に出会うと、みんな恭しい目つきでさっと帽子を脱ぐ。……
「やっと来たね、ハンス君」長いあいだ、車道で待っていたトニオ・クレーゲルは微笑を浮べながら友達のほうへ寄って行った。相手はほかの仲間たちと校門を出て、そのまま一緒に帰り去ろうとしていた。……「ええ」ときき返して友達はトニオを見つめた。……「ああ、そうだったっけ。じゃこれから少し一緒に行こう」


「11月のギムナジウム」は、この「トーマの心臓」の姉妹編といえる短編作品で、両作品には、共通する少年達が登場します。


あらすじを、wikiから引用します。

11月の第1火曜日の午後、ヒュールリン全寮制ギムナジウムにエーリク・ニーリッツが転入してきた。転入早々、このギムナジウムのアイドル、トーマ・シューベルとうりふたつのため大騒ぎとなり、短気で気の強いエーリクはトーマの無礼な態度に怒り、トーマを殴ってしまう。家庭内の問題で密かに悩んでいたエーリクは、授業中、オスカー・ライザーに図星をさされたため思わず彼を殴り教室を飛び出し、草地で授業をエスケープしていたトーマと偶然遭遇する。トーマは15年前に死んだ兄とエーリクは特徴がそっくりであると告げ、仲直りをしようともちかけるがエーリクはそれを拒否する。トーマはエーリクと自分の関係を学級委員長のフリーデルに打ち明ける。その後、トーマは雨の週末休暇にエーリクになりすまして彼の母親に会ってきたが、その際にひいたカゼがこじれて肺炎にかかり、数日後、病死する。そして、トーマの葬儀の翌日、フリーデルはエーリクにすべてを打ち明ける。

取り返しのつかなさが、痛々しく心に残ります。

 

 


小学館文庫版「11月のギムナジウム」に、合わせて収録されている作品に「雪の子」があります。

 

資産家の親戚・ブルクハルト家に招かれたブロージーが、途中森の中で少女に出会います。訪ねた家には老人と、さっきの少女にそっくりな少年、エミール・ブルクハルトがいました。

 

ブルクハルト家の跡継ぎのエミールは、実は女の子だったのです。両親を亡くした彼(女)は、男の子なら跡継ぎとして引き取るという祖父の言葉により、「少年」として育てられたのでした。医師、執事など一部の人間の他は、真実を秘匿したままで。

「変声期なんてぼくにはこない。その前に死ぬんだ。」

「ぼくは、自分が一番美しいときに死ぬつもりだ。……来年じゃおそすぎる。きっと病気がぼくをおそってやつれてみにくくなるだろう。そんなのは好きじゃない。」  

初雪が地上を覆った朝、予告通り、エミールは美しい姿のまま死を迎えるのです。

日本列島を寒気が覆い、今年一番の冷え込みが続きます。

 

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「11」つながりで、「11人いる!」も取り上げたかったのですが、またの機会にします。


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だまされも だましもせぬと 誓うた日  [私の切り抜き帳]

このブログ、「秘密法」の話題が続きます。

今日、外出の途中、カーラジオから流れてきたニュースに耳をとらえられました。

ノーベル物理学賞の益川敏英さん、同じく化学賞の白川英樹さんらをはじめ、日本の知恵者・賢者とも言える、そうそうたる学者・研究者の皆さんが、連名で「特定秘密法案は憲法の基本的人権と平和主義を脅かす立法で、直ちに廃案とすべきだ」との声明を発表されたそうです。

「溜飲が下がる」 という言葉があります。「チョーキモチイイ」ってカンジ、ですか。


詳しい記事を東京新聞に見つけました。

それによると、声明に発表した「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に名を連ねられた皆さんは、次の31名。

そして「インターネットを通じ、三百人以上の学者が賛同の意思を示しており、さらに増える見込み。」とあります。

 

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 さらに、東京新聞の記事は、こう続きます。

声明では「知る権利や国政調査権が制限され、表現や学問の自由が侵害される恐れがある」と指摘。「市民の目と 耳をふさぎ、『秘密国家』『軍事国家』への道を開く」と廃案を求めた。衆院で採決強行の末に法案を通過させた自民党の姿勢にも「戦争へと突き進んだ戦前の 政府をほうふつとさせる」と抗議した。

記者会見で久保亨・信州大教授(歴史学)は「日本は世界的に見て、公文書管理や情報公開の取り組みが遅れている国。なぜこんな法律をつくるのか」と疑問を投げかけた。

改憲に反対する「九条の会」の事務局長も務める小森陽一・東大教授(文学)は「政府が憲法違反の決定をしても秘密にされる。秘密保護法ではなく『秘密隠蔽(いんぺい)法』だ」と憤った。

まさに、「わが意を得たり!」と大声ではしゃぎたくなりました。

でも、同時に、こうした「学究の徒」の皆さん方が憤らねばならないほど、事態が深刻だって事ですよね。

いま、しきりに思い出される詩があります。

高知県の元中学校教師竹本源治さんの「戦死せる教え子よ」という作品です。


戦死せる教え児よ
竹本源治

  逝いて還らぬ教え児よ
  私の手は血まみれだ
  君を縊ったその綱の
  端を私も持っていた
  しかも人の子の師の名において
  嗚呼!
  「お互いにだまされていた」の言訳が
  なんでできよう
  懺愧 悔恨 懺悔を重ねても
  それがなんの償いになろう
  逝った君はもう還らない
  今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
  涙をはらって君の墓標に誓う
  「繰り返さぬぞ絶対に!」

             

作者の竹本源治さんは、大正8年生まれ。高知県旧吾川郡池川町出身。
池川中学校に勤務中の昭和27年、高知県教組の機関紙「るねさんす」に発表した作品がこの詩です。
この詩は翌年、ウィーンでひらかれた第一回世界教員会議で朗読され、これを聞いた人々は、国の違いを越えてみなハンカチで涙をぬぐったといいます。
この詩には、次の反歌も添えられています。

「送らじな この身裂くとも 教え児を 理(ことわり)もなき 戦(いくさ)の庭に」

 

この悲痛な思いを、二度と繰り返すわけにはいきません。

もしわたしたちが、正しく真実を見、真実を知る事ができなければ、 

「お互いにだまされていた」の言訳が  なんでできよう

という自戒を受け継ぎ生かす事は、決してできないはずです。


この詩と重なって、しきりに頭をよぎる、歌の一節があります。

「子供を守るうた」

(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)

ねえ、みんな 

この中に一人でも 

わけも分からず 

怒鳴られたり 笑われたり


人を蹴落として 自分だけがいい子になろうとしたら 

どんなに どんなに 悲しいことだろう

御(み)国(くに)の為に 死ねと教えた昔 

命を散らした教え子の顔が 

目に浮かぶ 目に浮かぶ 

良心の呵責が弱さを支え 

平和を守る心が 私を鍛えた

明るい太陽の その下で 

すくすくと伸びる子供達よ 

笑い顔 おこり顔 おどけた顔で 

野の花のように 

美しく育てよ育て 

平和な未来を 築くために

 

「勤評(キンピョウ)は戦争への一里塚」という合い言葉のもと、教師の「勤評闘争=勤務評定反対闘争」が、戦後間もない1950年代にたたかわれました。

日本が再軍備に向かう「逆コース」と呼ばれる一連の動きの中で、憲法と教育基本法(1947年版)の理想を諸改革が、次々と進められました。

その一環として、「勤務評定」により教師を序列化し、待遇に差を付け、お互いを競争に駆り立て、ひいては「お上」「御国」に盾つかない忠良な教師をつくり、子供の「人格」形成よりも 、「お上」「御国」に役立つ「人材」育成に専念させようとする動きがありました。(安倍さんと一緒やね。)

これにたいする「勤評反対」のたたかいは、「再軍備反対、戦争反対」のたたかいと一体のものでした。「子どもを守る歌」はこのたたかいを題材にし、それを励ますものでした。

この歌を、今の世に再び蘇らせなければならないのは悲しいことですが、子どもたちが、「野の花のように美しく」育つためには、知る権利と言論表現の自由、平和と真実の教育の自由が死活的に必須だと、改めて思うのです。

季節柄、「野の花」も限られますが、とりあえず、秋~初冬の草花です。

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戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”   木下透 [木下透の作品]

お恥ずかしいことです。あとで校正をするつもりで、下書き保存したはずが、公開してしまっていたのです。

改めて、完成版をUPします。


このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だ。黒表紙の活字版の冊子ではなく、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載した。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸しており、最近はしばらく行方不明になっていたが、今朝の捜索で発見された。

「失せもの探しの人生」で、悲嘆すること常であるのだが、今日は朝から気分がいい。

ただ、苦労してこの作品を探したのは、安倍さんの「秘密法」ごり押しが腹に据えかねたせいだ。

第一次安倍内閣が、ご本人の健康問題により中途で投げ出した格好になったことを、厳しく批判する声もあったなかで、私などは、ほぼ同世代のものとして

多少同情とともに見てきて、また健康回復されたことはご同慶の至りと、本心から思ったのだったが、政権獲得後の仕事の中身はいただけない。

忘れかけていたけれど、そもそも第一次安倍内閣は、

「美しい国づくり内閣」

「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」

「戦後レジームからの脱却」

「改革実行力」などの勇ましいスローガンを繰り返し、

「防衛庁設置法」等の改訂で防衛庁を防衛省に格上げし、

「国民投票法 」の新設で、憲法改定手続きを具体的に定め、

「憲法の理想の実現は教育の力にまつ」とされた1947年版の「教育基本法」を変質させ、

「学校教育法」「教育職員免許法」「教育公務員法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」など一連の法改定により、教職員への締め付け(お上のいいなりになる教員づくり)を根幹に置く「教育改革」を進めてきた。学校現場を多忙と混乱に追い立てている「免許更新」制度も、彼の思いつきからごり押しされたんだっけ。

 これをもとに鈍い頭で考えてみるに、「戦後レジームからの脱却」って、つまり、戦前に戻るって事なんじゃないの?

高校時代の私は、これがホントに現実になるなどと考えたわけではないが(甘かった!)、世の中が「戦前」に進もうとしているような素朴な直感から、こんな詩を作った。

佐藤栄作内閣時代で、 「もはや戦後は終わった」などの発言があった時代だ。高校生の私は、戦後がおわったのならば、次に来るのは「戦後後」で、その先は次の戦争に向かう「戦前」ではないか?と不安を感じたのだった。それが今、まもなく現実になる!なんてことがないように祈りたいものだ。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”     木下 透

(1)

てんのうへいかさまは まずしいものを ごらんになって おあわれみになり きんすを おほどこしに なりました。
いやしいみぶんの ものどもは みんな なみだをながして よろこびました。
てんのうへいかさまの みよが ながく つづきますようにと いのりました。みんな、みんな。

(2)


てんのうへいかさまは ぜんせかいのにんげんが へいわにくらせるようにと せんそうを おはじめになりました。
にっぽんは しんこくですから かならずかつのですと こうちょうせんせいが おしゃいました。
こくみんは みんな よろこんで へいたいに なりました。
おくにのために だれもだれも よろこんで しにました。
てんのうへいかばんざい、 だいにっぽんていこくばんざい。
あじあのみんなが さかえますように。

(3)


てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。
こくみんは だれもだれも よろこんで なきました。
ちちや ははや こどもを なくしたこくみんも よろこんで なきました。
たべものがなくて ひもじくても よろこんで なきました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。

こくみんは じゆうと びょうどうと それぞれのけんりを ほしょうされました。
あめりかは にっぽんこくの ゆうじんとなりました。
あめりかも にっぽんこくも たがいにさかえますように こくみんは いのりました。
にっぽんこくは さかえました。
こくみんは ゆうふくに なりました。
しょとくは ばいぞう されました。
いっかに いちだい てれびが あります。
まちまちに ぬうどげきじょうと ぱちんこやが たてられました。
(となりのおくにが ちいさくみえます)
こくみんは たのしく くらしました。
にっぽんこくは へいわです。
にっぽんこくは こくみんの あんぜんを まもるために ぼうえいたいを つくりました。
こくみんの あんぜんは ほしょうされました。

すいがいや かさいのさいには なんにんものひとびとが たすけられました。

こくみんは ないて よろこびました
にっぽんこくは へいわです。

こくみんは じゆうです。

(5)

こくみんの だいひょうのひとりは むねをはって いいました。
ひとりびとりが くにをまもるいしきを みにつけよう。
こどもたちは むねを ときめかせました。
ほんとうに じぶんたちが ほんものの てっぽうをもって くにをまもることを ゆめみて よろこびました。

 


手元の印刷物は、すり切れ汚損していて、ここまでがやっと解読できた。

 

この先の記述があったかどうか、記憶も曖昧だし、原稿も散逸しているので、確かめるすべはない。

この作品を書いてから、40年以上が経過した。

その間に、事態はどう変化しただろうか?

付け加えるべき記述は、ごまんとありそうだ。

が、それを書き入れたとしても、「戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”」の、スパイラルから、いまだ脱し得ていないことは、残念ながら否定できないのではないか?

最後の”戦前”に抹消線を施して「恒久平和」と書き入れる事ができるよう、 人類の理性と英知の方向へ、心を合わせたい。

岡山後楽園のカルガモからのメッセージ。「この世に生を受けたものたちの上に、真の平和が永遠に続きますように。」

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 オナガガモも平和が好きと言っています
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ヒドリガモも、仲良く生きたいと言っています。
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重ね着の紅葉の錦や村時雨 [折々散歩]

地元の紅葉情報で、今が「見頃」と伝えられる場所の一つに、「近水園(おみずえん)」が上げられています。

他には後楽園や宝福寺も紹介されていますが、これは、最近見てきました。

同じく、最近何度か訪ねて紅葉を確認できた「深山公園(みやまこうえん)」は、猪の出没情報のため、案内は控えるとの由、テレビが伝えていました。確かに猪の足跡や、掘り返した跡が、至る所に生々しく残っていました。

 「近水園」はこれまで訪ねたことがありません。岡山市北区足守にある、旧足守(あしもり)藩主木下家の庭園だそうです。

妻も、気になる様子なので、一緒に出かけてみることにしました。

朝は、陽射しもあったのですが、丁度現地に着いた頃から、またまた冷たい雨。傘を差しての見学となりました。


足守と言えば、かつて従弟が、縁あってこの地に赴任していたことがあります。赴任したての頃、「いいところですよ」と「緒方洪庵、木下利玄、メロン、蛍」などの自慢をしてくれた記憶があります。

緒方洪庵は、幕末の蘭学者。この地の下級藩士の子として生まれました。大阪、長崎で学び、大阪に「適塾」をひらき、福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など、幕末・明治維新の時代に活躍した多くの人材を育てました。

司馬遼太郎は、その作品「花神」の中で、こう書いています。

なぜ洪庵が医者を志したかというと、その動機はかれの十二歳のとき、備中の地にコレラがすさまじい勢いで流行し、人がうそのようにころころ と死んだ。洪庵を可愛がってくれた西どなりの家族は、四日のうちに五人とも死んだ。当時の漢方医術はこれをふせぐことも治療することにも無能だった。洪庵 はこの惨状をみてぜひ医者になってすくおうと志したという。その動機が栄達志願ではなく、人間愛によるものであったという点、この当時の日本の精神風土か ら考えると、ちょっとめずらしい。洪庵は無欲で、人に対しては底抜けにやさしい人柄だった。適塾をひらいてからも、ついに門生の前で顔色を変えたり、怒っ たりしたことがなく、門生に非があればじゅんじゅんとさとした。
「まことにたぐいまれなる高徳の君子」と、その門人のひとりの福沢諭吉が書いているように。洪庵はうまれついての親切者で、「医師というものは、とびきりの親切者以外は、なるべきしごとではない」と、平素門人に語っていた。

 

花神 上・中・下巻 全3巻セット (新潮文庫)

花神 上・中・下巻 全3巻セット (新潮文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1976
  • メディア: 文庫

 

緒方洪庵と適塾

緒方洪庵と適塾

  • 作者: 梅渓 昇
  • 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
  • 発売日: 1996/10/31
  • メディア: ハードカバー

緒方洪庵―幕末の医と教え

緒方洪庵―幕末の医と教え

  • 作者: 中田 雅博
  • 出版社/メーカー: 思文閣出版
  • 発売日: 2009/10/07
  • メディア: 単行本

十六の話 (中公文庫)

十六の話 (中公文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1997/01/18
  • メディア: 文庫

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

  • 作者: 司馬 遼太郎 (しば りょうたろう)
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2001/02/12
  • メディア: 単行本


 

木下利玄は、白樺派の歌人です。

牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

などの歌は教科書にも採られてよく知られています。他にも、 今日の季節に通じる、こんな歌を残しています。

街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る

庭見れば土にしみ入りしみ入りて冷え冷え雨の降り出でしかな

牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

今年の葉うづたかく散りこの森のどの木の幹にも冬日ぞあたる

葉より葉へつたふ雫の音久しく軒端ひそけき昼間の時雨



こんな歌も利玄らしいと感じます。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径


生きものの身うちの力そそのかし青葉の五月の太陽が照る

桃の実の肌のやうなるうぶ毛して少年の頬のうひうひしさよ 

近水園には、歌碑が建てられ、この歌が刻まれています。

花ひらをひろけつかれしおとろへに 牡丹おもたく萼をはなるゝ 

 

残念ながら見つけることができませんでした。

 


 足守というのは、秀吉が備中高松城の水攻めに利用した足守川の西岸に位置します。ここに侍屋敷跡など、古い街並みが連なっています。

 

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足守藩は、秀吉の正妻北政所(ねね)の兄木下家定が、慶長6年(1601年)に姫路から当地に転封されたことに始まります。

足守藩最後の藩主が木下利恭で、その弟利永の二男として生まれ、伯父利恭の養嗣子として跡を継いだのが木下利玄でした。

近水園は、この木下家の庭園だそうで、なかなかの規模でした。

 



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帰りの道すがら、吉備津神社にも立ち寄ってみました。ここの紅葉も見頃でした。
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ペンの日を泥足で踏む秘密法 [今日の暦]

今日は「ペンの日」。
1935年のこの日、日本ペンクラブが創立されたことにちなんで制定されたそうです。
日本ペンクラブについて、そのホームページではこう紹介されています。


日本ペンクラブは、ロンドンに本部をもつ国際ペンの日本センターとして1935年11月26日に創立されました。当時の日本は、満州事変後に国際連盟を脱退して、国際的に孤立に向かう状況に置かれていました。それを憂う動きがリベラルな文学者や外交官の間にあり、ロンドンの国際ペンからの設立の要請を受けて、当時第一線で活躍していた作家、詩人、外国文学者、評論家の有志の賛同を得て、文豪島崎藤村を初代会長として日本ペンクラブが創立され、同時に、国際ペンの日本センターとしての役割を担いました。その後の日中戦争、太平洋戦争下で言論弾圧が厳しくなった時にも、日本ペンクラブはロンドンのセンターと連絡をとって、唯一世界への窓口であることを守り抜きました。

 日本ペンクラブは、その創立と歴史が示すように、平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる形の弾圧に反対するとの精神に賛同するP(詩人、俳人、劇作家)、E(エッセイスト、エディター)、N(作家)が集まり、独立自尊をモットーに活動をし続け、日本の言論界をリードしてきました。歴代会長には、その時代を代表する作家が就任しています。

その「ペンの日」に、恐るべき「秘密法」が衆院強行採決されたことは、皮肉に満ちた悲劇と言わなければなりません。

日本ペンクラブからは、早速反対声明が発表されています。心から共感します。

法の番人「日弁連」の声明はこちら。

言論人たるもの、真実を伝えて刑罰を受けることは許容できません。ニュースキャスターの皆さんの行動を報道する記事。当然の行動と思いつつ、その勇気に拍手。応援したいです。
 
被爆地福島の公聴会では全員反対。なのに、強行採決、、、って、どんな論理?
国会で数を握ったら、国民がなんと言おうと何と思おうと、思い通りに「やっちゃえ、やっちゃえ」ってこと?
ということはつまり、こんな人たちが定める「特定秘密」に、理性も客観性も期待できないってことは、想像できちゃいますよね。
宿願の「改憲」だって、この調子でやるつもりなんでしょ?
軌を一にして、もうひとつ流れてきたニュース。「教科書検定基準の見直し」ですって。つまりこれまた、自分に気に入らない記述は認めないってことでしょ?子どもたちに、官許の「見方考え方」だけを、一方的に教えなさい。ということですよね。
 
戦前の教科書は、お上の定めた「国定教科書」でした。(クニサダじゃありませんよ。コクテイです。)
たとえばこんな具合。
「明るい楽しい春が来ました。日本は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。
このよい国に私たちは生まれました。
お父さんもお母さんもこの国にお生まれになりました。
お爺さんもお婆さんもこの国にお生まれになりました。
日本よい国、清い国
世界にひとつの神の国
日本よい国、強い国
世界に輝くえらい国」
国定初等教科書:修身『ヨイコドモ』
 
 
サイタサイタ サクラガサイタ
コイコイ シロコイ
ススメススメ ヘイタイススメ
オヒサマアカイ アサヒガアカイ
ヒノマルノハタ バンザイ バンザイ
 小學國語讀本 巻一(昭和七年)
 
天皇陛下の赤子(セキシ)としての忠良なる臣民はこうして育てられ、2000万人以上とも言われるアジア太平洋諸国民と、自国の民300万人余という悲惨な犠牲者を生み出す先の戦争に突入していったのでした。
これへの反省をどこかへ忘れたか、あるいは無知の故に、もう一度復活させたいというアナクロ人が世の中には常にいるものです。でも、そんなアナクロ人葉が、政権をも取ったりすることは、危険極まりない悲喜劇と言うべきでしょう。
九州の中学生が本物の拳銃を学校に持ち込んだというニュースがありました。 銃社会のアメリカでは、3~6歳児の銃発砲による死亡事故が、今年だけで10件を超えているとか。
自制力が未熟な子供に武器を持たせることの危険と同様に、理性と合理的判断力のない人士に政治権力を預けることの危険は、耐え難いことです。
でもまあ、政治家のレベルは国民のレベルを反映するとも言いますし、選んだのは国民ということで、「しっかりしなきゃ、ボクタチ」という苦い結論になりそうです。
 

今日、最初に用意していた記事は、このあとの部分でした。
秘密法の緊急ニュースが、予定変更を強いたのでした。
短日や束の間なりし陽の光
一晩中強い風が吹いて、朝になっても名残の風はありましたが、それが雲を吹き飛ばしたのか、快晴と言っていい青空が見えました。
防寒ジャンパーを着て歩いたら汗をかくほどでした。
苅田に昨日の雨が水たまりをつくり、それに青空が映ってい冴え冴えと光っていました。
 
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鴨川の河原は、オギ、ススキに覆われています。
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光が水面に反射してまぶしい。
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今日の常山
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遠景。
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水路が緩やかにうねりを描いて流れています
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水路の正面に聳える常山
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麦飯山が見えます。これも古城の跡 。
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さざ波はありますが、穏やかな鴨川の流れ
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今日も色々な鳥に会いました。
 
カンムリカイツブリ
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コガモ
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シラサギ(チュウサギ?)
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アオサギ
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カワセミが、草陰に隠れています。
今日は3カ所で、(おそらく3個体に)出会ったのですが、気づかれて撮影失敗。
マニュアルフォーカスの望遠レンズしかもって出なかったので、レスポンスが遅い。
シャッター速度もマニュアルで設定しますが、慣れないのでもたつきます。

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シギにも出会ったので、何枚も写し立つ森でしたが撮影失敗。
あと、猛禽類を2個体見ましたが、すばやく飛び去っていきました。撮影失敗。
バンにも会いました。撮影失敗。
 
今日の携行望遠レンズは、 tamronSp500mm(レフレックスレンズ)です。
未練があって性懲りもなく持って出ていますが、だめ画像の量産でした。残念。
いつものように、割り切って300mmで狙った方が無難でした。
 

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時雨して緋色に染まる散歩道 [折々散歩]

冷たい雨の一日でした。

岡山後楽園の外周道を、雨傘をさして散歩しました。

岡山城(烏城)が、秋色を深めています。

 
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外周の散歩道では、何本もの紅葉が緋色に燃えています。
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桜の葉も紅葉しています。
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金色(こんじき) の ちひさき鳥の かたちして  銀 杏 ちるなり 夕日の岡に    与謝野 晶子

 

夕日は出ていませんし、岡と言うには平らですが、金色の小さな鳥は、雨と風に乗って、次からつぎへと舞い降りてい

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旭川を銀杏の落ち葉が彩ります。
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外遊びや緩やかに日は長けにけり [家族]

長男夫婦、孫三人と、私たち夫婦で、田舎に野菜をもらいに帰りました。

故郷の山はすっかり秋景色です。

ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな  石川啄木


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兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて忘れ難き故郷  (唱歌)
山も川も、時代を超えて、子どもたちをとりこにするようです。
 
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 穏やかな小春日和でした。

庭の小菊に、虫たちが遊んでいました。

いつまでも逃げずに遊んでいるので、カメラとレンズの性能チェックのつもりで、ちょっと撮り比べをしてみました。

まずは、軽量コンパクトという点ではピカイチのPENTAXQ(初代)に、望遠ズームの06。焦点距離83mm~249mm相当(35mm判換算)。

小菊に、ツマグロヒョウモンが遊んでいます。

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ツメレンゲに、ミツバチ?やアブが。
 
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コンパクトデジカメサイズの小さな撮像素子のわりには、健闘しています。

次は、「ママさんカメラ」のPENTAX k-m に、sigma18mm-125mmというお手軽レンズを装着。
 
 
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久しぶりに持ち出してみましたが、決して写りは悪くはありません。
ボディは軽量コンパクトですし。まだ現役ですね。


 
 
さすがに、 破綻がありません。

 
最後は、イレギュラーな組み合わせですが、OLYMPUS E-P2 に、フォーサーズ→マイクロフォーサーズ変換アダプターMMF2をつけて、ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macroを装着。フォーサーズマウントのボディよりもコンパクトであることと、手ぶれ補正が可能であることから、実用が可能かどうか試してみたいと思って、時々この組み合わせで持ち歩いてみています。
やはり、難点は、 変換アダプターMMF2を介することにより、AF速度とAF性能が格段に落ちることです。
OLYMPUS フォーサーズアダプター マイクロフォーサーズ用 MMF-2

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  • 出版社/メーカー: オリンパス
  • メディア: 付属品
 
 
OLYMPUS マクロレンズ ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro

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  • 出版社/メーカー: オリンパス
  • メディア: 付属品

 

 

 

 



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ハナアブが自動車のヘッドランプに止まっていました。ノートリミングで、サイズ縮小だけしました。
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拡大してみると、驚くほどの精細さです。さすが、マクロレンズ恐るべし。レンズとしては、比較的廉価ですが、あなどれません。

ただ、相手は生き物ですので、いつもこんなに近寄らせてくれるとは限らないのがつらいところです。


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勤労感謝の日の不思議 [今日の暦]

昔から、「勤労感謝の日」って、不思議な祝日でした。子供の頃は、誰に教えられたか、「勤労する人に感謝する日」と理解していましたが、それならなぜ、働かない子供の学校がやすみになるのか? 謎でした。

いつの頃からか、「勤労できることに感謝する日」という説明をきいて、誰に対して感謝すればいいのか?疑問でした。お上に?神に?それとも雇用者に?祝日法第2条の規定では、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨が述べてありますが、ますますわかったようなわからないような気持ちにさせられます。

で、もう少し探ってみる、古い宮中行事である「新嘗祭(にいなめさい)」 が起こりだそう。「新嘗祭」は、祭祀を司る最高責任者たる天皇が、その年収穫された穀物を神に供え、自らも初めて食すという宗教儀式です。

天皇即位後最初の「新嘗祭」は、大嘗祭(おおにえのまつり・だいじょうさい)とも、大嘗会(だいじょうえ)とも呼ばれます。

『更級日記』に「そのかへる年の十月二十五日、大嘗会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)とののしるに」という文章が出てきます。

[訳] そのあくる年の十月二十五日、大嘗会の御禊が催されると大騒ぎするときに

新天皇が、大嘗会に先だって加茂川に赴いて禊(みそぎ)をするという、世間が大騒ぎする一大イベントだったのでしょう。キャロライン・ケネディ女史の馬車行列以上でしょうか?そんな騒ぎにもかかわらず、信心を最優先したい作者は、初瀨(長谷寺)に詣でるために都を出発するのでした。

その新嘗祭が新暦で言うと、おおよそ今日に相当しますが、戦後GHQの意向で、天皇行事と切り離し、「勤労感謝の日」という不思議な

 祝日が制定されたのだとか。

それにしても、「勤労」をリタイアして初めて迎える「勤労感謝の日」を、どういう気持ちで過ごせばよいのか、少々複雑な心境ではあります。


午後、M先輩が、柿が採れたから、近くを通るついでにと、遠路お持ち下さいました。
こんなにたくさん。

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先日お目にかかったときに、柿が豊作との話題をお聞きしてはいたのですが、、、。
孫達にもお裾分けして、美味しく戴きました。ありがとうございました。



今夜は、三歳になる孫娘の誕生日パーティーで、お呼ばれ。

指で、三歳をアピールしています。

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久しぶりに賑やかな夕食になりました

保育園で作って下さった、三歳の手形つきアルバム。保育士の先生のメッセージもうれしい。

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バースディケーキも可愛い女の子バージョンです。

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烏城にまつわるエトセトラ [家族]

今日もアッシー。
妻が、和服を着て、お友だちの華道展を見に行くというので、会場まで送りました。
和服の気付けを、DIY(Do it yourself=自分でやる)でやろうと試みながら、いつまでも上手くできないらしく、着付けの途中で長男のお嫁さんに電話して、お手伝いに来てもらいました。

今日が誕生日の末の孫娘も、誕生プレゼントらしい着せ替え人形を、自慢そうにだっこして、やってきました。
妻は、別の公民館の講座で、「烏城紬(うじょうつむぎ)」という織物と、和裁とを習っています。(DIYです)

自分で織って仕立てた和服を着て居るところを、写真に写して年賀状にしたいというので、カメラマンも命じられました。
「烏城紬」についてはこちら(その1 その2 その3   その4)をご参照下さい。

以前の記事にも書いたように、岡山城のことを、その漆黒の外観からカラスに見立てて「烏城」と呼びます。(参照記事その1 その2 その3

「烏城紬」はそれにちなんで名づけられた伝統工芸品です。


折角なので、烏城をバックに撮影してみました。
「烏城紬」の宣伝をしたいと、妻が言いますので、後ろ姿をお見せします。織りも素人、仕立ても素人、着付けも素人、カメラも素人ですが、バックの烏城だけは本物です。

 


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付録で、今日の烏城を何枚か紹介します。陽を浴びて鮮やかに輝いているケヤキ、銀杏などに映えて、漆黒と黄金の威容が聳えています。

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ちなみに、これはウ(鵜)です。ワンパタ-ン
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これは以前同じ場所で写した鵜。雨の日でした。
鵜匠はいませんが、上手に漁をしていました。
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豊饒の小鳥の森の日の光 [折々散歩]

妻のアッシイの、手待ち時間が朝から夕方までありますので、何処へいこうか。昨晩からあれこれ考えました。

バッグにあのカメラこのレンズと組み合わせを考えては、またやり直し、悩むこと数時間!これが楽しみだ、とばかりも言っていられません。最強最良の「コレ!」というのがあれば、悩まないのですが、いずれも、帯に短く、たすきに長すぎますので、迷いに迷います。

○軽い

○コンパクトで、上着のポケットに収まる。(譲歩して小さなカメラバッグでも可)

○精細画像。

○明るいレンズ。

○広角28mm(35mmフィルムカメラ換算)をカバー。

○望遠400~500mm(35mmフィルムカメラ換算)をカバー。

○光学ファインダーつき。

○オートフォーカススピードと精度。

○お値段お手頃。

 

こんな要素を満たす1台があれば、迷わずにそれを携行しますが。残念ながら夢のまた夢。

結局、バッグとリュックにつめ分けて、状況と必要に応じてどちらを持ち歩くかを判断しようと思ったのですが、朝になっても迷って中身を詰め直し、リュックとバッグの両方をクルマに積んで、まずは出発。


 上道「小鳥の森」へ、出かけてみました。 いつも。すぐ近くは通るのに、なぜか行く機会がありませんでしたが、先日の「誕生寺ツアー」の際、話題の中にちらりと出てきたのを想い出しました。

事前に下調べした、国道2号線を経由して行くコース外し、あらぬ道を経由したので、かなりのロス。上道公民館に駐車して、歩いた方向が、また、逆方向。いつもの通り、やらずもがなの試行錯誤の末、現地に行き着いたのはもうお昼。

見事に色づいた樹林をおかずに、まずはお弁当を食べます。

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公園内も、行き当たりばったり、気の向くままに、歩いてみました。

「小鳥の森」のネーミング通り、確かに「森」です。かなり広大な公園に、色々な樹木がよく管理されて植栽されています。散歩コースも多彩で、歩きがいがありました。季節によっては、桜、梅、椿など見事な花木が花盛りになる様が想像され、再訪の意欲がそそられます。

ウワミズザクラ

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 メグスリノキ

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満開のサザンカ
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鈴なりのナンテン

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「小鳥の森」 なのですが、小鳥たちは何処にいるのか?なかなか巡りあえません。

確かにさえずりは、聞こえます。

ウグイスの声も確認できました。撮影失敗。(一昨日の記事に登場する見慣れない小鳥は、ウグイスでしょうね)

ヒヨドリはしきりに鳴き騒いでいますが、ここまで来なくても会えるし。

「カシラダカ」らしい鳥を目撃しました。撮影失敗。

猛禽類が空を横切ります。撮影失敗。

ほとんど帰り際に、櫂の木の袂で一休みしていますと、色々な小鳥が実をついばみにやってきました。

メジロ

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シジュウカラ
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ツグミ
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メタセコイアの枝にとまるツグミ。
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付録。
道に迷って、小鳥の森を探している最中、農地の近くで出会ったモズ。
後ろ姿だけ写っていました。
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サヨリ釣り今日は何処まで行ったやら (安直) [趣味]

今日の記事をどのカテゴリーに分類するか、迷いました。

「趣味」というからには、「常に」、もしくは「恒常的」に、 または「頻繁に」、「ことあるたびに」そのことのために時間を費やし、少なくとも、「四六時中」そのことを考え、ほとんど生活の一部になっているような、楽しみごとを言うのでしょう。

釣りが趣味というなら、ハマちゃんやスーさんほどではないまでも、「 そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず」(松尾芭蕉「奥の細道」)、竿先の震えや、浮きのぴくぴく沈むさまが、しょっちゅうこころに浮かんでくるようでないと本物でないんでないの?と思えてしまいますから、趣味と公言するのははばかられます。

ましてや、前回竿を手にしたのは去年の冬。その前はというと思い出せないほど何年も昔のこと。 ですから、「釣り?やったことはありますけど、、、」というのが、正確な答えです。

が、子どもの頃から、 釣りは好きです。時間を忘れます。

 そんなわけですから、先日、Mさん、Fさんの両先輩から、サヨリ釣りへのお誘いを戴いて、喜んで出かけたものの、落ち会うことができず、すごすご引き返したのは口惜しいことでした。そんな折、今日もまた、お誘いを戴きましたので、今日こそぬかりなく、ご一緒させて戴きました。


 昨日までの寒さとは打って変わって、温順な天候。晴れて波もなく、鏡のような海面。

岡山県瀬戸内市の錦海湾と呼ばれる内湾です。

眺めているだけでも、心が解き放たれます。 

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正面に見える児島は、鼠島だそうです。 全国に、いくつもの鼠島があるそうですが、岡山県瀬戸内市牛窓町の「ネズミジマ」です。参照ページはこちら
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雲が浮かぶと、なおゆかしさが増します。
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 竿も仕掛けもエサも、全部,Mさんが用意して下さいました。
さすがに、餌を付けるのと針から外すのは、自分でやりましたが(笑)。
カラフルな浮きが、海面に鮮やかです。
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私の獲物。
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手元まで来て取り逃がした獲物も、2・3尾、逃がした魚は刺身にできる大きさでした。マジ、ホント。
今日の獲物は、こんな具合。ほれぼれする美しい姿です。
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椿とは失礼しちゃうわ!山茶花よ! [折々散歩]

昨日のブログ記事で、椿の花として紹介したものはサザンカではないかと、M先輩からメールを戴きました。
確かに、椿は春に咲き、花びらが落ちないで花ごと落ちる。だから武家の家では、首が落ちることを嫌って庭に植えなかったという話を聞いたこともありました。
これに対して、サザンカは花びらが散る。

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などのことは、昨日の散歩中も頭に浮かび、確かに木の根本の地面には花びらが散っていることにも気づいていましたが、園芸品種によっては花びらが散る椿もあるらしいし、寒椿というのもあるらしいから、と、深く確かめもせずに、昨日は「椿」と称して画像をアップしたのでした。
でも、Mさんがスケッチして送って下さった見分け方のポイントを見ると、やはり、今咲いていたのはサザンカですね。失礼しました。

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 一緒にしないで!と山茶花がむくれているかも知れません。

今日の山茶花のあでやかさ

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地面に花びらは降り敷いています。
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正岡子規の句を2つ
山茶花を雀がこぼす日和かな
 山茶花のこゝを書斎と定めたり


サザンカというと、「たきび」(作詞:巽 聖歌     作曲:渡辺 茂)の歌を思いだします。

サザンカサザンカ咲いた道
たき火だたき火だ落ち葉焚き

確かに北風ピープーの季節に似合っていますね。
wikiによると、この歌も受難の歴史があるようです。

12月9日と10日の「幼児の時間」で楽曲が流された。当初は12月9日から3日間の放送で流すことを予定していたが、12月8日に太平洋戦争が勃発したために、初日に放送されると軍当局から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」とNHKに批判があり、11日の放送は戦時番組に切り替えられた。

さて、サザンカを漢字で書くと「山茶花」です。この字は漢字検定などでも出題される難読漢字の定番です。
これは音読みで「サン」+「チャ」もしくは「サ」+「カ」の組み合わせで、「サザンカ」ではなく「サンザカ」と読む方が自然ですよね。実際に、関ヶ原の合戦の頃に刊行された『日葡辞書』には、「サンザカ」という読みが記録されているそうですから、元々そう呼んでいたものが、「音位転換」を起こして「サザンカ」となったものらしいですね。

「音位転換」した後の言葉が定着して一般化した例。
新(あらた)し→新(あたらし)しい
秋葉原: アキバハラ → アキハバラ

違和感はあるが頻度高く用いられる例。
シミュレーション→ シュミレーション
舌鼓: シタツヅミ → シタヅツミ
茶釜:チャガマ→チャマガ

若者世代にかなり浸透しているらしい例。
雰囲気:フンイキ→フインキ


今日は少し暖かでしたので、妻も伴って深山公園を散歩しました。でも、彼女は私を置いてさっさと歩きますので、「一緒に散歩」とは言いかねます。

昨日も今日も、立派な望遠レンズが際だったカメラをそれぞれに携えた一団をお見受けしました。鳥撮りでしょうか。そおっと様子をうかがってみると、この鳥を狙っておいででした。

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昨日は、傍からパチリと狙ってみましたが、装着レンズが貧弱でしたので、絵になりません。
今日はリベンジのつもりで、探して歩いたのですが、見つからないまま、すごすごと帰る帰り道、ちらっと姿を見せました。

 慌ててぱちぱちやりますが、敏捷ですぐに枝影に隠れます。まずまず形を捕らえられたのがこの写真。

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他にコゲラも見ました。
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いつものジョウビタキ
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ヤマガラ
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キジバト
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深山公園散歩の主目的、紅葉狩りの話題が二の次になりました。「見頃」と報道されるだけあって、この寒さで鮮やかさが増していました。
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源氏物語第7帖「紅葉賀」(もみじのが)の一節を、与謝野晶子訳「源氏物語」(青空文庫)から引用します。主人公光源氏の18歳の秋から19歳の秋までの1年の出来事です。
 
源氏物語「紅葉のが青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心
は下に鳴れども      (晶子)

 朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮(こうきゅう)の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝も藤壺の女御にお見せになることのできないことを遺憾に思召して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
 源氏の中将は青海波(せいがいは)を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将(とうのちゅうじょう)だった。人よりはすぐれた風采(ふうさい)のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山(みやま)の木というより言い方がない。夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに冴(さ)えて聞こえた。同じ舞ながらも面(おもて)づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽(かりょうびんが)の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖(そで)が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬(ほお)が染まって常よりもまた光る君と見えた。東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。
「神様があの美貌(びぼう)に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」
 こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。
 藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。その夜の宿直(とのい)の女御はこの宮であった。
「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
 宮はお返辞がしにくくて、
「特別に結構でございました」
 とだけ。
「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手(じょうず)であっても、無邪気な艶(えん)な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉(もみじ)の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」
 など仰せになった。
 
あでやかな紅葉の紅に映えて、 源氏舞う青海波はこの世のものとも思えぬ美しさだったそうな。
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 紅葉というと、この歌ですか。
 
千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
   からくれなゐに 水くくるとは

         在原業平朝臣(17番) 『古今集』秋・294
 
落語では、吉原の千早という女に振られた相撲取りの竜田川が、千早の妹の神代にも相手にされず、相撲を捨てて故郷に帰り豆腐屋になったところ、うらぶれた千早が店の前を通りかかり、ひもじいので「おから」でもめぐんでくれとねだるが、竜田川が「おから」をくれないので、世をはかなんで、そばにあった井戸に身投げし、水を潜るという、破天荒なホラ話が展開し、ばかばかしくて可笑しいですね。
本当は、竜田川に紅葉が浮かび、真っ赤に括(くく)り染めにされているという比喩です。
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 このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
   紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに

             菅家(24番) 『古今集』羈旅・42
 
菅原道真の歌です。このたびの旅は(駄洒落です) 急なお召しだったので、幣の用意もできませんでしたので、色鮮やかな紅葉の葉を幣として神様に手向けることに致します。というような意味。幣は、御幣、幣束(へいそく)ともいい、通例、白い紙を竹または木の幣串に挟んだものですが、白だけでなく五色の紙や、金箔・銀箔が用いられることもありました。
 
 
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紅い椿 白い椿と 揺れにけり (ぱくり) [折々散歩]

赤い椿白い椿と落ちにけり  碧梧桐(へきごとう)
河東碧梧桐は、愛媛県松山市生まれの俳人。同郷の正岡子規の門人として、高浜虚子とともにその双璧と言われました。この句は、明治29年、碧梧桐 24歳の時の作品で、子規は「印象明瞭な句」の見本として高く評価しました。
後に碧梧桐は虚子と袂を分かち、新傾向俳句運動を展開して、五七五の定型からの離脱を試みます。これが、後の無季・自由律の流れへと繋がっていきます。

今日も冷え込みが厳しく、多少の降雨も予報されていて、迷いましたが、陽射しも出ているので、冬用の防寒衣を用意して、玉野市深山公園に出かけました。
「紅葉が見頃」と新聞やテレビでも言いますし、この前出かけたときには途中で雨に降られて、さんざんでしたので、リベンジがてらに。
道の駅から公園中心部に向かう遊歩道に、色々な種類の椿が咲いていました。
立ち止まり立ち止まり、あの花にもこの花にもカメラを向けますが、風が強くて、花が揺れてぶれぶれ写真の大量生産でした。
紅い椿
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白い椿
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淡桃色の椿も
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 まだ入り口ですが、続きはまた今度 。


 

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病院の日はまな板の鯉になる [健康]


今日は病院の予約日。
肺癌手術をして戴いた外科は、先月「卒業」を宣言して下さり、 呼吸器内科の主治医のもとに戻されて、最初の診察。
11時半の予約ですが、10時半には病院に行き、待合で待ちます。レントゲンを撮る時以外は、ずーっとイスに座って、時間の過ぎるのを待ちます。
若い頃なら、必ず文庫本でも用意して、一瞬のロスも惜しむように、むさぼり読んだかも知れません。「読むべき本」と「読みたい本」最低一冊ずつは用意して、交互に読んだでしょう。でも、最近は、視力と集中力の衰えで、 そんな習慣はどこかに行ってしまいました。
最近の若い人なら、スマホでも片手に、それなりに時間を費やすのでしょう。でも、私、スマホ持っていません。最近、PHSからガラケーに「乗り換えた」ばかりです。
ですので、病院の日は、私はまな板の上の鯉になって、無念無想で時間の流れに身をゆだねます。 何かを考えるともなく、あれこれと、とりとめもなく浮かんでくる思念は、蟹のあぶくのように、はじけてどこかへ消えていきます。
予約時間を30分以上も過ぎた頃、診察の順番が来て、経過は順調、今後継続的に、転移はないか、経過を観察することで、今日の診察終わり。
お昼をとっくに過ぎているので、一旦帰宅し昼食をすませてからとこかへ出かけてみようか。冷え込みはきついけれど、よく晴れているので。
________________________________________
ところが、帰宅して、郵便ポストをのぞくと、携帯電話のW社から封書が来ています。私は、十何年、この社のPHSの愛用者でしたが、少々不満が溜まったので、この夏別の社の携帯電話に乗り換えたところでした。
元お得意様に、何か特別セールの案内か?と明けてみたら、全く思いがけない手紙。一部引用します。
さて、先般Wホームアンテナレンタルサービスの解約のお手続きをさせていただきましたが現時点でレンタル機器のご返却が確認できていない状況でございます。
まだご返却がお済みでない場合については、平成25年12月31日までに、同封させていただいております着払い伝票にてご返却いただきますようお願い申し上げます。(中略)返却の確認できない場合、違約金30000円(税込み)をご請求させて戴く場合がございますのでご了承の程お願いいたします。(後略)
寝耳に水の通告で、私としては不愉快きわまりなく、憤懣やるかたない思いに襲われました。こればっかりは、「まな板の上の鯉」
などと、すましてはいられません。
それは、以下のような事情によるものです。
1.w社PHS電話解約の際、最寄りの店舗を尋ねましたら、解約日によって違約金等が発生すると説明され、違約金が発生しないタイミングを知らされたので、その場は手続きをキャンセルし、引き返しました。 (その際、ホームアンテナの話題は一切提示されませんでした。)
2.解約違約金が発生しないタイミングまで、時間の経過を待って、改めて、解約手続きのために店舗を尋ねました。(当然その間の契約料金は支払い続けたことになります)その手続きの最後になって、 ホームアンテナの返却を要求されました。事前に聞いていなかったので、手続きは中途でキャンセルし、すごすごとその場は引き返しました。
3.自宅に戻って、家捜しをし、ホームアンテナを探しましたがすぐには見あたりませんでした。その理由は、場所により電波状態が非常に悪く、ホームアンテナによっても有効な改善が見られず、長い間現実には使用していなかったためです。
4.もう一度販売店に赴いて無駄足になるのも負担なので、サポート電話に電話し、オペレーターに事情を説明しましたら、それではこちらで処理しますとの返事で、解約手続きが終了しました。(その際、ホームアンテナ紛失を伝えましたが、違約金3万円等という説明はありませんでした。もし聞いていたら、無理に解約したかどうかは疑わしいでしょう)
5.それは、丁度肺癌の入院手術を間に挟んだ7月下旬のことでした。 それから、何ヶ月経ちましたか?いまのタイミングで、一方的にこの通告は、心外と言わなければなりません。
6.ホームアンテナは、当時最新のスマートフォン的要素を持つ「HYBRID W-ZERO3 」という機種が、電波状況に弱い傾向がありましたので、多少なりとも改善するかと、無料レンタルのアナウンスがありましたので利用させていただいた次第です。しかしながら、上記の通り、使用に耐えませんでしたので、現実にはほとんど使わないままお蔵入りとなっていました。
7.代わりに、電話、メールのみの利用には、以前使用していた、nineやnicoを使用することが多く、スマートフォン的利用が必要なときには、W-ZERO3(二代目WS004SH)もしくは、アドエスに、w-sim を差し替えて使うことがほとんどでした。(これらの機種は、w-simと呼ばれるsimを装着することで、通話・通信できるもので、同一のsimを差し替えれば、使い分けることが可能でした。sim-styleと名づけられたこのシステムは画期的なものだったと思いますが、すでに商品展開は終了しているようです。)
8.そうこうするうちに、旧機種のWS007SHを廉価で購入する機会がありましたので、これを使うことが多い状況でした。
9.これらの機種の使用感を主観でまとめると
① WS004SH は、液晶もある程度大きく、良い出来でしたがホストUSBが使えない点が不自由でした。「重く分厚い」のは、許せます。
②アドエス(WS011SH)は、携帯ライクな大きさで、非常にコンパクトなスマホといえますが、老眼の目には文字が小さすぎ、最大限拡大しても使い物になりません。
③WS007SHは、アドエス(WS011SH)に先行するモデルですが、使い勝手は良かったです。ただ、スペック的に貧弱でモタモタ感にストレスがありました。また、裏蓋など全体にチープで、強度的に長くは使えない筐体でした。
④「HYBRID W-ZERO3 」(略称ハイブリ)は、携帯超小型PCという面で、現行のスマホの先駆け的な存在ですが、同社PHSの別機種なら通話できる場所でも電波を拾わないし、ましてやネット接続は問題外です。
⑤にもかかわらず、DDIポケット時代からのPHS利用者としては、過去への郷愁もあり、ある種のFAN意識もあって、他社携帯をもたないまま最近まで来ました。
⑥その間、キャンペーンごとに「お得」感を刺激され、契約面でも色々おつきあいをしてきました。もしw社のw-simスタイルの「スマホ」の完成度が今少し高かったならば、
2台持ちキャンペーンに魅力を感じることはなかったでしょうが、現実は上述の通りでしたので、電話とメールは専用機で利用しようかと、 2回線利用をしばらく経験しました。ただ、実際には煩瑣な使い分けを使いこなしていないことが自覚されたので、解約を申し出ましたら、かなり多額の違約金を提示されました。損得勘定で言うと違約金を払うよりは、2回線使用の契約を続けていた方が有利だったかも知れませんが、不必要なものを維持し続けることを潔しとしない思いから、違約金を支払って解約しました。その商法に接して、W社への親愛感は、大きく揺らいだ感が否めません。
10.またまた違約金、しかも3万円かと、暗い気分にさいなまれながら、午後は一生懸命家捜しをしました。あきらめ半分の、気の重い大掃除でしたが、日暮れ頃、奇跡的に見つかりました!早速送り返すことにしますが、 不毛の時間の浪費に、消耗感は癒しがたいところがあります。
というわけで、今日は散歩が不発でしたので、今日の写真は、昨日見た鴨川の鴨。カルガモの家族ですか?

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鳥たちも水と戯る小春日か [折々散歩]

久しぶりに朝の散歩に出かけました。

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いろんな鳥たちに会いましたが、霧が深くて画像は不鮮明。がっかりです。 
朝餉の最中の鵜です。
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これは?
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セキレイ
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ムクドリ ツグミ
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 ムクドリ
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苅田に遊ぶキジバト
 
 
 
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ジョウビタキのメス
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 今年初対面のアオジ
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午後は、「劇団ひびき」による「青木さん家の奥さん」 を観劇。文化の香りを楽しむことができました。

 
青木さん家の奥さん

青木さん家の奥さん

  • 作者: 内藤 裕敬
  • 出版社/メーカー: 冬芽社
  • 発売日: 1993/03
  • メディア: 単行本

 

帰り道、 椋鳥の群れが行水していました。賑やかに楽しそうでした。

 
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このセキレイも行水中 
 
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飛び立つ鳶
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青葉の笛に江戸川柳、そしてお次は蕎麦と鳩 [折々散歩]

「誕生寺ツアー」の記事の追補です。

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御影堂全景

 

 

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正面から見た御影堂
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御影堂の屋根の宝珠は七不思議の一つ
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方丈庭園
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宝物館に収められた涅槃仏
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岡山県久米南町の法然の出生地に、「誕生寺」を建立した蓮生=俗名熊谷次郎直実は、源平の合戦の際、息子の小次郎と同年代と見える公達平敦盛を、心ならずも手に掛けた悔悟から、出家して法然の弟子になったと伝えられます。
その、熊谷次郎直実と敦盛の逸話を読み込んだ江戸川柳のいくつかを、「江戸川柳で読む平家物語 (文春新書)」(阿部達二著 文春新書)から引用してみます。

江戸川柳で読む平家物語 (文春新書)

江戸川柳で読む平家物語 (文春新書)

  • 作者: 阿部 達二
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 新書

 

 

敦盛も討たるるころが声がわり        「武玉川(むたまがわ)」5篇
敦盛は数え年で一六・七歳の少年でした。今でいう中学生か高校低学年でしょう。


世に青葉残し二八の花は散り  「俳風柳多留(はいふうやなぎだる)」52篇


二八は、九九で、十六を意味します。
洒落っ気で九九を取り入れた表現は、古典文学にしばしば見られる遊び心です。
たとえば「万葉集」は、日本語を漢字のみで表記した作品ですが、そのために涙ぐましい工夫が凝らされています。

チョー有名なクイズネタに「山上復有山」をどう読む?というのがあります。
たとえば、笠金村(かさのかなむら)の長歌に、

毎見 恋者雖益 色二山上復有山者一可知美  (巻九。一七八七)

とあります。

これは、「見るごとに恋はまされど 色に出でば ひと知りぬべみ」と読むそうです。
【解釈】
見るたびに恋しい思いはつのるけれども 恋心が表面にでちゃうので 人が知ってしまいそうなので、、、、

 「山上復有山」は、山の上に山がある、すなわち「出」という漢字を戯れ書きしたものなのです。このような頓知に寄る遊び書きを、「戯書」(ぎしょ)といいます。いわゆる万葉仮名のバラエティの一環と言えるでしょう。
では次の戯書の読み方は?

二二
重二
並二

いずれも二が二回で「シ」と読ませます。

では、十六は?
そのとおり、「シシ」と読ませます。

というわけで、二八が十六であることは、おなじみの表現といえます。

そして、「青葉」とは、敦盛が奏した笛の名と伝えられます。前述のように、『平家物語』では、「さ枝」という名が記されていますが、この事情について、前掲の「江戸川柳で読む平家物語」にはこうあります。

「謡曲「敦盛」では、蓮生坊が戦後、一の谷を訪れると草刈りの男たちが笛を吹きながらやってきて、互いに笛の話に興ずる.その中に「小枝蝉折さまざまに笛の名は多けれども、草刈りの吹く笛ならばこれも名は青葉の笛と思し召せ」とある。この謡曲の詞章から出たものと思われる。

文部省唱歌「青葉の笛」の一番は、これをもとにしています。
須佐卓郎さんのサイト「たくろうの名曲玉手箱」からコピーさせて戴き、紹介します。なお、このページでは、懐かしい歌を、MIDIで聴くことができます。

文部省唱歌 青葉の笛

作詞 大和田建樹 (1857~1910
 作曲 田村虎蔵  (1873~1943)
一の谷の 軍(いくさ)破れ
討たれし平家の 公達あわれ
暁寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛

更くる夜半に 門(かど)を敲(たた)き
わが師に託せし 言の葉あわれ
今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵」の歌

「行き暮れて 木下蔭を 宿とせば
      花や今宵の あるじならまじ」

一番は平敦盛(あつもり)を歌った詞
 鵯越えで有名な一の谷の合戦で、海上に逃れようとした敦盛は、熊谷直実に呼び戻された。
 敦盛を組敷き首を刎ねようとした直実は、14歳の敦盛に驚き逃がそうとしたが、敦盛は断りそのまま討たれた。
 その時腰に携えていた笛「名笛小枝」を歌ったもの。

二番は平忠度(ただのり)(薩摩守で無賃乗車の代名詞として使われている)平家都落ちの時、途中から引き返して、和歌の師藤原俊成に詠草一巻を預け立ち去った。
 俊成は鎌倉幕府に遠慮して読み人知らずとして「千載集」に下記の和歌を載せている。

さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを
        昔ながらの 山桜かな

文部省唱歌集~故郷

文部省唱歌集~故郷

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: カメラータ・トウキョウ
  • 発売日: 1996/11/21
  • メディア: CD

 

NHK名曲アルバム 赤とんぼ~美しい日本の歌 名曲30選

NHK名曲アルバム 赤とんぼ~美しい日本の歌 名曲30選

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2008/09/10
  • メディア: CD

哀調青葉の笛/ふるさと慕情

哀調青葉の笛/ふるさと慕情

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: 日本伝統文化振興財団
  • 発売日: 2002/11/10
  • メディア: カセット

青葉の笛 (日本の物語絵本)

青葉の笛 (日本の物語絵本)

  • 作者: あまん きみこ
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 大型本


江戸川柳で読む平家物語 (文春新書)」からもう一句。

二八と聞いて敦盛を打ちかねる    「俳風柳多留(はいふうやなぎだる)」57篇

二八は、二八蕎麦。蕎麦粉八割、つなぎ二割の割合。蕎麦粉の含有率が高いほど蕎麦打ちの難度が上がります。

 「敦盛」は、「熱盛り」と掛けていて、「打つ」は「蕎麦」の縁語です。一六歳の少年と聞いて敦盛を討ちかねた、という表の意味の裏に、二八蕎麦の熱盛りを打つのが難しいという洒落を隠した言葉遊びです。


蓮生が馬上朝日が背へ当たり   「俳風柳多留(はいふうやなぎだる)」82篇
 
蓮生(俗名熊谷直実)は、信仰心が篤く、決して西に背を向けなかったそうです。もちろん、西には仏の住む西方浄土があるからです。蓮生は、東に行くときは後ろ向きに馬に乗ったとか。
 
蓮生の馬子尻へ来て吸付ける   「俳風柳多留(はいふうやなぎだる)」153篇
 
蓮生が乗る馬の馬子(馬引き)は、馬の後ろにやってきて(蓮生の正面にやってきて)、タバコの火を借りるというのです。
ちなみに、 京都寺町と東京銀座に店舗を持ち、お香や文具のお店として知られる鳩居堂(きゅうきょどう)は、熊谷直実から数えて二〇代目の熊谷直心が江戸時代に創立して、今日に至るといいます。鳩居堂のホームページにはこうあります。
屋号は儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)※2の命名です。由来は中国の古い時代の民謡集『詩経』の召南の篇にある「維鵲有巣、維鳩居之」で、カササギの巣に託卵する鳩に、「店はお客様のもの」という謙譲の意を込めたものです。また、室鳩巣の雅号と熊谷家の家紋「向かい鳩」にちなんだ屋号でもあります。
このページやこのページを参照。


鳩居堂 紫陽 しよう 白檀系の香り◆進物用お線香(御供・御霊前・代筆します) ◆法事、お盆

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  • 出版社/メーカー: 仏壇仏具おくむら
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
鳩居堂の日本のしきたり 豆知識

鳩居堂の日本のしきたり 豆知識

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2013/04/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
※メール便発送 茶道具・香 【煉香 梅ヶ香~うめがか~30g】 【炉用】 【鳩居堂】 【徳用袋入】 ご家庭用に♪ 【メール便対応5袋まで】

※メール便発送 茶道具・香 【煉香 梅ヶ香~うめがか~30g】 【炉用】 【鳩居堂】 【徳用袋入】 ご家庭用に♪ 【メール便対応5袋まで】

  • 出版社/メーカー: 鳩居堂製造株式会社 〒604-8091 京都府京都市中京区寺町姉小路上ル 075-221-5861
  • メディア:
呉竹 写経用紙セット

呉竹 写経用紙セット

  • 出版社/メーカー: 呉竹
  • メディア: オフィス用品
 
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ザリガニとトンボとモミジ紅競う [折々散歩]

昨夜から未明にかけて、降りしきる雨音を窓の外に聞きながら、何度か目をさましましたが、何か懐かしく安らかな気分に誘われました。1/fゆらぎのなせるわざでしょうか?
半覚醒の状態の中で、今日の散歩コースをあれこれシミレートしてみました。傘をさして荷物を身軽にして散歩できる場所といえば、公園でしょうか。カメラも軽い方が好ましいので、単焦点レンズでも付けて、雨に濡れた紅葉を狙うことにしようか、などと考えているうちに目が冴えてきて、パソコンを点けてみたりしました。
メールチェックや、ブログのチェックなどをしてみますと、英国在住の友人Sparkyさんからのコメントに、日本の秋の話題があり、今年の紅葉の様子を尋ねておられました。
今年私が出会った紅葉は、総じて、夏の暑さのせいか、台風の影響か、傷んで色あせた葉が目立つ気がして、満足できる写真がありません。これこそ「日本の秋」というような写真が撮れたらなあ、などと思ったりしました。

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今日は、妻のお出かけのアッシーで、手待ち時間の間、何処で時間をつぶすかが問題です。朝の気持ちの趣から言うと、雨の「岡山後楽園」の散策が、有力候補なのですが、運転中にだんだん気分が変わりました。一昨日の「誕生寺ツアー」の対案として候補の一つにあった「宝福寺」や「豪渓」の紅葉を見ておきたい気もしてきたのです。ついでに雨に煙る「備中国分寺五重塔」にも寄ってみようか。

というわけで、丁度、妻のお出かけ先からちょっと足を伸ばせば、国道180号線なので、そのまま北上してみることにしました。
朝方の冷たい雨を計算に入れて、雨傘も防寒用の上着も怠りなく準備し、弁当のお握りも用意して、いざドライブ。
以前通ったことがある道路の記憶と、ずいぶん変容していることに時日の推移を感じたりしながら、広々とした道路をずんずん直進していくと、おや?行き先表示のナビゲーションが、私の想定と違います。
いつの間にか、180号線からそれてしまっていたようです。仕方がないので、さらにずんずん進むと、「井山宝福寺」への矢印があります。不幸中の幸いで、ロスのない路線を選んだらしい。気をよくしてさらに進むと「ヒイゴ池」への行き先表示があります。「ヒイゴ池」は、「ハッチョウトンボ」など多くの、稀少生物や植物が生息する湿原で、傍らを通る高速道路の建設で消滅する予定であったところを、住民の自然保護運動の結果保全された、貴重な財産です。トンボを見たくて、以前、真夏に尋ねたことがあります。地図を見ながら、それでも探し当てるのに苦労した記憶があります。
もう11月中旬ですから、まさかトンボでもあるまいとは思いながら、ちょっと立ち寄ってみることにしました。

「ヒイゴ池」保護運動のいきさつと意義が石碑に刻まれています。

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木立を写して、透明な水が静かに時を刻んでいます。
 
 
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季節外れの訪問ですから、荒れ果てた状態を想像していたところ、端正に草も刈られ、周辺もきれいに整備してあります。板橋の遊歩道に足を踏み入れた直後、早速赤とんぼに出迎えられました。小型の赤とんぼです。マユダカアカネでしょうか。

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これも、湿原の生物です。

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様々な木々が、色とりどりの実をつけています。小鳥たちも、秋の実りを堪能しています。


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これはシジュウカラ。

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こんな大きな鳥も飛んでいます。

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ゆっくりとした豊かな時間を満喫し、昼ご飯のお握りも車中で食べて、「宝福寺」にむかいます。「宝福寺」は、岡山県総社市井尻野にある臨済宗の寺で、室町時代、雪舟がここで修行し、涙でネズミの絵を描いた逸話で知られています。秋の紅葉に映える三重塔は国の重要文化財に指定されています。

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重厚な甍と紅葉の紅のコントラストが印象的です。
 
 
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苔むした地面の落ち葉も、秋の彩りです。
 
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 苔の間にのぞく小さなキノコに目が引かれます。
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雨上がりの青空に紅が映えます。

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お地蔵様と紅葉
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自然の生け花
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可憐な桜も咲いていました。
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川柳を作りたくなる俺がいる [折々散歩]

昨日「誕生寺ツアー」をご一緒した、西宮在住のKさんご夫妻は、深夜、めでたく男のお孫さんを得られたそうです。 まことに、「誕生寺」参詣の甲斐があったのでございましょう。おめでとうございます。

青空に聳える銀杏の高木

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さて、昨日のブログで書き残していた記事を追記いたしましょう。

Kさんご夫妻と「卵かけごはん」の昼食をともにしたあと、YMさん、もう1人のYMさん、そして私の三人は、国道53号をわずかに南下して久米南町の川柳公園 を尋ねました。紅葉が見頃との情報どおり、誕生寺のそれよりは色づきが進んでいて、駐車場から遥かに、鮮やかな紅の錦が望めました。

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誕生寺から「食堂かめっち。」での昼食の頃まで、かなり強く降っていた雨が上がり、明るい光も射して来ます。遠望すると、刈り取り後の棚田のむこうにゆかしい山里の情景が遠望され、視界のあちらこちらに見事に鈴なりの柿の木、たわわに実った柚の「林」、静かなたたずまいの家屋の風情が、午後の光を浴びてくっきりと目に映えます。

 時雨して晴るる山辺の棚田かな

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時雨晴れて麓の家々静まりぬ
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村雨の駆け抜けたりし冬山か
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空晴れてたわわに実る柿の実ぞ

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村中に熟柿の香り横溢す

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とりどりの柿の姿の美しき
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陽を浴びて黄金に光る柚の珠
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柿の木にカメラを向けていると、通りかかりのご婦人が、「今年は柿のなり年なのか、一杯なっとるでしょう」と声を掛けて下さり、「23日は(足王様の)お祭りじゃから、またいらしゃい」と誘って下さいました。足王大権現は、川柳公園の一角に祀られていて、足の病などに効験があるとされます。「泰西寺」の奥の院にあたるようです。この公園がある久米南町は、戦後まもなく「川柳による町づくり」を掲げ、住民あげての川柳と全国への発信を続けているそうです。

 茶の花もしばし枯淡を忘れたる
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淡紅に何恥じらふや寒椿
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艶めいて今咲かんとする木瓜の花
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川柳は、私には難度が高いので、知らず知らず、長く避けてきた感があります。
学生時代、コンパの席で、川柳をたしなむ先輩の指導で、みんなで作句したことがありました。

句のできぬ夜のビールはそっと飲み


わたしの、その場しのぎの作です。
一応のお褒めは戴きましたが、「居候三杯目にはそっと出し」のもじりで、苦肉の策(作)でした。


ところで、学生時代の友人のI君は、変わり種で、言語学の学究者になるべきところ、奔放に飛び跳ねて、高校の教員を途中で捨て、中国やらタイランドやらで、思うままの冒険をしているらしい。その彼が、川柳を本格的にたしなむ人であることを、10年以上前に再会したとき、自身の口から直接聞きました。
彼曰く、(短歌のように)31文字は必要ない、(俳句のように)季語だの格式だのはいらない、(自由律俳句ではなく)定型の枠の中で表現することに緊張がある、、とか。私はなるほどと、かなり納得させられて、自分も作句を試みて見ようかと思ったこともありましたが、挫折した経験があります。川柳の持ち味は機知と風刺、自然体の、無駄のない一言-------大人のたしなみ」という印象が強く、結局、敷居が高い世界でした。
が、この川柳公園の句碑を眺めて見ると、いずれも無理も気取りもない自然な一言が光っていて、文芸としての川柳の魅力に触れた思いがしました。

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もう少し、話題は次回に続きます。

 


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孫殿の誕生待つや誕生寺 [折々散歩]

同郷のY・M女史と、Y・M女史(イニシャルで書くと同じになってしまってややこしいですが)が、紅葉狩りとグルメのドライブを計画したので同行しないかと誘ってくださいました。時々私のブログを見てくださっていて、ネタ拾いに役立たないかという、温かいご配慮です。ほかに、西宮在住のKさんご夫妻も参加される由。否やもなく、ご一緒させていただくことにしました。
ただ、Kさんにはお孫さん誕生の予定があり、タイミングが重なるとキャンセルの可能性もあるし、あまり遠い場所は避けたいということで、当初候補に挙がっていたいくつかの場所は取りやめて、久米郡久米南町の誕生寺を選定しました。
Y・M女史と私はY・M女史の車に乗せていただき(ああややこしい)、昨日に引き続いて、「今年一番の冷え込み」というのですが、道中は澄み切った青空に明るい日射しがあたたかく、「いい天気だねえ」「絶好の日和だねえ」と思わず口に出る、快適ドライブを堪能したことでした。Kさんご夫妻は別途現地で合流、再会を喜びつつ、境内を散策しました。

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が、次第に雲行きが怪しくなり、寒さに身震いしながらの散策となりました。


私はこの誕生寺を、これまで二回訪れた記憶があります。
一回目は、高校時代、文芸部の「自主遠足」で。
記憶のデティル(細部)は欠落してしまっていますが、銀杏の巨木と、「片目川」の伝承については、かろうじてかすかな記憶が残っています。

 

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誕生寺についての紹介記事はこちら

二回目は、4月に亡くなったH氏が企画・引率して実施していた一連の文学史跡巡り(誰言うとなく「眉唾ツアー」と呼ばれていました)の一環として、真夏の誕生寺を訪ねました。宝物館で「八百屋お七」の振り袖をみて、数奇な縁(えにし)に感嘆したものでした。Hさんは、ついでに、宝物館に展示されている涅槃図を前に、流麗な独特の口調で、釈迦入滅にまつわる蘊蓄を語ってくれたことを、今更のように思い出します。

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その記憶が蘇ったので、皆さんを誘い、入場料二〇〇円を出して、宝物館に入館したのですが、どうせ見るならと、Y・M女史の機転でお寺の方にお願いして、解説をしていただくことができました。
それによりますと、誕生寺の「七不思議」というものがあるそうです。

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その七不思議は次の通り。


逆木の公孫樹(境内)
御影堂の宝珠

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秦氏・御鏡(宝物館)

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石仏大師(本堂脇壇)
黒こげの頭(本堂脇壇)

椋の御影(客殿)
人肌のれん木(客殿)


ところで、この誕生寺は、浄土宗の開祖法然上人の生誕地に建立された浄土宗の寺院で、建久4年(1193年)。法力房蓮生が建立しました。

この蓮生は、『平家物語』「敦盛(あつもり)最期」の段に登場し、17歳の貴公子敦盛を討ち取る巡り合わせとなった熊谷次郎が、殺生を性(さが)とする武士の身を厭い、この世の無常を嘆いて出家し、法然の弟子となったのでした。

『平家物語』から「敦盛の最期」(巻第九)の一節を引用します。

いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、「平家の公達たすけ船にのらんと、汀の方へぞおち給らん。あはれ、よからう大将軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くはがたうたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはききりふの矢おひ、しげ籐の弓もて連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍をいてのたる武者一騎、沖なる船にめをかけて、海へざっとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、

 熊谷、
「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふものかな。返させたまへ。」
と扇を上げて招きければ、招かれてとつて返す。みぎはに打ち上がらんとするところに、押し並べてむずと組んでどうど落ち、とつて押さへて首をかかんと、かぶとを押しあふのけて見ければ、年十六、七ばかりなるが、薄化粧してかねぐろなり。わが子の小次郎がよはひほどにて、容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしともおぼえず。
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせん。」と申せば、
「なんぢはたそ。」
と問ひたまふ。
「ものその者で候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
と名のり申す。
「さては、なんぢにあふては名のるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも、首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ。」
とぞのたまひける。
 熊谷、
「あつぱれ、大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、負くべき戦に勝つべきやうもなし。また討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることよもあらじ。小次郎が薄手負ひたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きたまはんずらん。あはれ、助けたてまつらばや。」

と思ひて、後ろをきつと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。
 熊谷涙をおさへて申しけるは、
「助けまゐらせんとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞のごとく候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらせんより、同じくは、直実が手にかけまゐらせて、のちの御孝養をこそつかまつり候はめ。」
と申しければ、
「ただ、とくとく首を取れ。」
とぞのたまひける。
 熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、泣く泣く首をぞかいてんげる。
「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかるうき目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものかな。」
とかきくどき、そでを顔に押し当てて、さめざめとぞ泣きゐたる。

 やや久しうあって、さてもあるべきならねば、よろい直垂をとって、頸をつつまんとしける
に、錦の袋にいれたる笛をぞ腰にさされたる。
「あないとおし、この暁城のうちにて管弦し給ひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛をもつ人はよもあらじ。上ろうは猶もやさしかりけり」
とて、九郎御曹司の見参に入りたりければ、是を見る人は涙をながさずといふことなし。後にきけば、修理大夫経盛の子息に大夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。それよりしてこそ熊谷が発心のおもひはすすみけれ。件の笛はおほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞えし。経盛相伝せられたりしを、敦盛器量たるによって、もたれたりけるとかや。名をばさ枝とぞ申ける。     


【解釈】敦盛(あつもり)の最期(巻第九)


 一の谷のいくさに、平家が敗れていまったので、源氏方の武将、熊谷次郎直実は、「平家の公達が、助け舟に乗ろうとして、波打ちぎわのほうへ落ちて行かれるであろう。ああ、手柄をあげるにふさわしい立派な大将軍と取り組みたいものだ。」と思って、磯の方へ馬を歩ませて行くところに、ねりぬきに鶴を縫い取った直垂(ひたたれ)に、萌黄(もえぎ)においの鎧(よろい)を着て、鍬形(くわがた)を打ったかぶとの緒を締め、黄金作りの太刀を腰にさし、切斑の矢を負い、重藤の弓を持って、連銭あしげの馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者一騎が、沖の舟をめざして、海へざっと馬を乗り入れ、五、六段ほど泳がせている。

 熊谷が、
「そこを行かれるのは大将軍とお見受け申す。卑怯にも敵に後ろをお見せになることよ。お引き返しなさいませ。」
と扇を上げてさし招くと、(平家の公達は)招かれて引き返す。(その公達が)波打ちぎわに上がろうとするところに、(熊谷は馬を)並べてむんずと組んでどうっと落ち、とり押さえて首をかき切ろうと、かぶとを押しあお向けにして、(顔を)見ると、年十六、七くらいの(若武者)で、薄化粧をしてお歯黒をつけている。わが子の小次郎の年齢くらいで、顔立ちが誠に美しかったので、どこに刀を突き立ててよいかもわからない。
「そもそも、どのようなお方でいらっしゃいますか。お名のりください。お助けいたしましょう。」と申すと、
「そなたは誰じゃ。」
とお尋ねになる。
「名のるほどの者ではありませんが、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
と名のり申す。
「それでは、そなたには名のるまい。そなたにとっては、よい敵だ。名のらなくても、首を取って人に尋ねてみよ。見知っているだろうよ。」
とおっしゃった。
 熊谷は、
「ああ、りっぱな大将軍だ。この人一人お討ち申したとしても、負けるはずの戦に勝てるはずのものでもない。また、お討ち申さなくても、勝つはずの戦に負けることもまさかあるまい。(息子の)小次郎が軽い傷を負っただけでさえ、(この私)直実はつらく思っているのに、この殿の父が、(この殿が)討たれたと聞いて、どれほどお嘆きになることだろう。ああ、お助け申したい。」
と思って、後方をさっとすばやく見ると、土肥・梶原が五十騎ほどで続いている。
(もはやお助けすることはできないと判断した)熊谷は、涙をこらえて、
「お助け申そうとは存じますが、味方の軍兵は雲霞の如くにございます。決してお逃げにはなれないでしょう。ほかの者の手におかけ申すより、同じことなら、直実の手でお討ち申し上げて後のご供養をいたしましょう。」

と申すと、
「ただ、早く早く首を取れ。」
とおっしゃった。
 熊谷はあまりに気の毒で、どこに刀をつき立ててよいのかもわからず、目もくらみ気も動転して、呆然としていたけれども、(いつまでも)そうしているわけにもいかないので、泣く泣く首を斬ったのだった。
「ああ、武士の身ほど情けないものはない。武芸の家にうまれなければ、どうしてこのようなつらい思いを見ることがあろうか。情けなくもお討ち申しあげたものよ。」
と繰り返し嘆いて、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣いていた。
 ややしばらくして、嘆いてばかりもいられないので、若武者のよろい直垂を取って、首を包もうとしたところ、錦織の袋に入れた笛を腰にさしておられた。
「ああ、いたわしい。今日の夜明け方、陣の内で管弦の遊びをしておられたのは、この人々でいらっしゃったのだ。現在、味方に東国の軍勢が何万騎かいるだろうが、戦の陣に笛を持ってきている人は、よもやあるまい。身分の高い人はやはり優雅なことよなあ。」
と言って、源氏の大将軍九郎義経にお見せしたところ、これを見る人々で、涙を流さない者はなかった。のちになって聞くと、この若武者は、修理大夫経盛の子息大夫敦盛と言って、当年十七歳になっておられた。このことがあってから、熊谷の発心の思いはますます強くなった。この笛は祖父忠盛が笛の名手なので、鳥羽上皇より賜わった。その後父の経盛さらに敦盛へ伝わったといわれている。名前をさ枝の笛(青葉の笛)と言う。

平家物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2001/09
  • メディア: 文庫

 

平家物語を読む―古典文学の世界 (岩波ジュニア新書)

平家物語を読む―古典文学の世界 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 永積 安明
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1980/05/20
  • メディア: 新書

吉村昭の平家物語 (講談社文庫)

吉村昭の平家物語 (講談社文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/03/14
  • メディア: 文庫


この熊谷次郎直実=法力房蓮生が師と仰いだ法然は、この土地で押領使の漆間時国(うるまときくに)の子として生まれます。勢至丸と名付けられた彼が9歳の時に、父は預所の明石定明によって殺されます。九歳の勢至丸は小弓で敵将定明の右目を射て退散させましたが、父時国は臨終に際して、勢至丸に仇として定明を追うこといましめ、「仏道を歩み、安らぎの世を求めよ。」と遺言したといいます。

法然 (講談社学術文庫 (1326))

法然 (講談社学術文庫 (1326))

  • 作者: 大橋 俊雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1998/04/10
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あなたの知らない法然と浄土宗 (歴史新書)

あなたの知らない法然と浄土宗 (歴史新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2013/10/05
  • メディア: 新書

法然入門 (ちくま新書)

法然入門 (ちくま新書)

  • 作者: 阿満 利麿
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/08/08
  • メディア: 新書



寒さに震えながら境内をさらに奥に歩きますと、満々と清水をたたえた「法然産湯の井戸」があります。

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赤ちゃん誕生を間近にしたKさん夫妻は、「孫の誕生を前に、来たいと思ていた誕生寺に初めて来る事ができて、産湯の井戸まで見られたのはうれしい」と大喜びでした。
誕生寺に隣接した広大な敷地に71基の文学碑・歌碑が建ち並ぶという笛吹川歌碑公園を散策し、色づきはじめの紅葉を楽しんで、誕生寺を後にしました。

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 ここにも野イチゴが実っていました。

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続いて、もう一つの旅の目的「グルメ」を達成するために、一路「卵かけご飯」の店「食堂かめっち。」に向かいます。

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一人前三〇〇円で、味噌汁付き、卵とご飯はおかわり自由。大抵のお客は何杯もおかわりしていますが、メタボ恐怖のなせるわざで、ご飯半杯のお変わりで我慢しました。美味でした。
カメラは持っていたのに、食べることに夢中で、肝心の卵かけご飯の写真は取り損ねました。お粗末。



赤ちゃん誕生を控えたKさんたちは、ここでお別れ。いったん西宮にかえって、明日飛行機で山形のお嬢さんのもとに向かわれるそうです。

残りの一行は、久米南町川柳公園に寄り道し、川柳と紅葉を楽しみました。
その詳細は次号にて。

追伸:このブログ執筆中にネット検索で目に入った情報ですが、誕生寺のご住職が「宗教者九条の会」 および、「岡山県九条の会」の呼びかけ人に名をつらねていらっしゃる事を知り、感銘を覚えました。

九条のめざす理想と、宗教者の抱く理想とが、大局で合致するということは、当然と言えば当然ながら、改めて勇気づけられる想いがしたことでした。


 

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龍ノ口 蛇・猪・蜂の穴惑ひ [折々散歩]

今日は、全国的に、今年一番の冷え込み。朝の気温が、5度Cと、寒い朝でした。
陽射しが出てきたので、弁当をもって妻とお出かけ。
急な計画で、久しぶりに龍ノ口山へ行ってみることにしました。「グリーンシャワー公園」周辺の紅葉を楽しみ、龍ノ口八幡宮の手前あたりまで、ゆるゆる登り、疲れたら引き返す予定で、出発。

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山道は、片肺者にはやっぱりきつい。
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息切れは激しく、途中何度も腰を下ろして休憩しましたが、久しぶりに山頂まで到着。しっかり汗をかきました。

山頂付近の道端には、みずみずしい野いちご。

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標高257m。よく晴れて、遠くまで遥かに見渡せます。

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行き会った登山者の方々の情報では、スズメバチの群れが活発とのこと。巣のある場所を避ける間道を教わり、ぐるりと回って下山しました。
スズメバチは避けられましたが、途中、イノシシらしき足跡や掘り返し跡がたくさんあって、少々肝が冷えました。最近、イノシシによる怪我などの騒ぎが、重なっていますので。それと、道を横切るヘビを、二回も見ました。「穴惑ひ」は仲秋の季語ですが、冬になってもなお「穴惑ひ」ですか?


山では汗をかきましたが、一日中気温が上がらず、ストーブのお出ましです。

 

今夜はおでんで暖まることにしました。

 


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