SSブログ
<

桃尻考、の巻 [あれやこれやの知ったか話]

アジア人留学生相手の日本語学習でこんなプリントを使いました。も

という書き出しからして以前書いた記事とまったくソックリでした(汗)


立春も近いと言うに、、、の巻(1)(2018.01-31)


節分にちなんで、の巻(1017.02-03)


ですので、最初の構想を軌道修正して、昨年の記事を一部分だけ引用してご紹介することにします。


上級者を対象に、過去記事◇福は内 福は内とて 春待たるを元にこんな問題もつくってみました。(注 実際のプリントでは、本文には、ふりがなを振っています)

次の文章を読んで後の問に答えなさい。

節分と言えば、「枕草子二二段」に、「すさまじきもの」という章段があります。

「すさまじ」という古語は、現代語のニュアンスとはかなり異なり、「興ざめだ」とか。「殺風景だ」とか訳されます。くだけた言葉で言えば、「しらける」「ドッチラケル」という感じでしょうか。
すさまじきもの、①昼吠ゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。稚児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。②博士のうち続き女児生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。③まいて節分などは、いとすさまじ。(以下略)
【現代語訳 】 しらけちゃうもの。昼間っから吠える犬。春の網代。(網代は、宇治川などで行われた伝統的な漁法「網代漁」で用いる漁具。川中に立てた杭に、竹や木で編んだ仕掛けを設置し、氷魚(鮎の稚魚)なんかを獲った。これって、ゼッタイ冬のもの!)
三、四月頃に着ている紅梅襲の衣。季節外れでダサイったらありゃしない。
飼ってる牛が死んじゃった牛飼。 赤ん坊が死んじゃった産室。 火をおこさない角火鉢。いろり。 博士が、次からつぎへ女の子を産ませているの。方違えに行ったのにごちそうをしない所。まして節分の方違えにごちそうしない家などは、どっちらけでやんなっちゃうわ。
註 「旺文社古語辞典」にはこうあります。
かたたがへ(方違へ):(名詞)「かたたがひ」とも。陰陽道で、外出する際、天一神 ・太白神・金神などのいる方角をさけること。行く方角がこれに当たると災いを受けると信じ、前夜別の方角の家
(「方違へ所」)に泊まり、そこから方角を変えて目的地に行く。=忌み違へ。「─にいきたるに、あるじせぬ所(=ゴチソウヲシテクレナイ家)」
「あるじす」という言葉は、「主す」。方違え先の主人が、ゲストをご馳走してもてなすという意。「方違え」にまつわる風習であったようです。同じ「旺文社古語辞典」は、「節分違へ」をこう説明しています。
せちぶんたがへ(節分違へ):(名詞)節分の日に行う「方違へ」。平安時代、節分に「方違へ」をする風習があった。「─などして夜ふかく帰る」枕草子298
節分(せつぶん/せちぶん)は、「季節を分ける」意で、もともと各季節の始まりの日=「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしました。立春は1年のはじまりとして特に尊ばれたため、次第に、もっぱら節分といえば春の節分のことをさすようになりました。
問1 ①「昼吠ゆる犬」が興ざめである理由を次の文の( )に適切な語を入れて説明しなさい。
◎犬は( ) 吠えるのが似つかわしいと考えられるから。
問2 ②「博士」の家に女児ばかり生まれるのは、なぜ興ざめなのか、次の文の に適切な語を入れて説明しなさい。
◎その時代、博士は( ) だけが継ぐことのできる官職だったから。
問3 ③「まいて節分などは、いとすさまじ。」とありますが、作者は、節分にはどうあるべきだと考えていますか、簡潔に答えなさい。

「日本語」の習得に役立つかどうかは別として、日本文化への関心は刺激できるかも、と思って、考えたのですが、、、。
一時間目、教室へ行ってみると、席には中国人の男子学生ひとりだけ。春節の時期でもあり、帰省中の学生もあろうかと覚悟はしていましたが、出席ひとりとは想像を超えていました。
ちょっと気落ちして、プリントではなく自分のやりたい自習をするかと水を向けてみましたが、プリントをやるといいます。しばらくして、もうひとり、中国人女子学生があらわれ、このふたりと2時間の授業、節分のプリントにつきあってもらいました。

ひきつづき、別クラスの2時間は、10人ほどをあいてに、同じことを繰り返しました。

費やした労力に比べて、「達成感今少し」の悔やみが残りますので、腹いせにここに紹介させていただきました。 


この記事を書いたこと自体忘れていましたが、ファイルフォルダの中に、過去プリントの原稿が見つかったので、今年も何気なく授業で使ってしまった、という次第です。学生の興味や関心、日本語能力とはかけ離れた、ほとんど私の自己満足に終わりました(汗)


ところで、このプリントでの、ケーハクな「現代語訳」は、お察しの通り、橋本治さんの「桃尻語訳」風のおしゃべり口調をパクって真似たものです。お恥ずかしい。正統の現代語訳が堅苦しくよそよそしくなりがちなところを、読者の感性に近づけることができようかと、当ブログの過去記事でも、時々まねしてみたことがありました。

その橋本治さんが、先日亡くなられたと言います。

数々の追悼文が、ネット上でも寄せられていますが、そのうち特に目に止まったものをメモしておきます。

一つは,内田樹さんの追悼文3編。

追悼・橋本治3

これが一番最近書いた橋本治さんについての文章である。去年の1月に『98歳になった私』の書評を頼まれて書いたものである。 ...

2019-01-29 mardi


追悼・橋本治その2

橋本さんについて書いた文章はいくつかあるけれど、そのうちから三篇を選んで追悼のために採録することにした。 これが二つ目。...

2019-01-29 mardi


追悼・橋本治

橋本治さんが亡くなった。 今日(2019年1月29日)の15時9分だと伺った。 私にとっては20代からのひさしい「アイド...

2019-01-29 mardi


 


こんな文章から始まります。


橋本治さんが亡くなった。 今日(2019年1月29日)の15時9分だと伺った。 私にとっては20代からのひさしい「アイドル」だった。最初に読んだのは『桃尻娘』で、「こんなに自由に書くことができるのか」と驚嘆して、それからむさぼるように、橋本さんのあらゆる本を読み漁った。 何年か前についに念願かなってお会いすることができて、『橋本治と内田樹』という対談本を出すという幸運に恵まれた。 その後、『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞を受賞したときには、橋本さんが選考委員を代表して、「授賞の理由」を語ってくれた。 20代からのあこがれの人が、僕の作品を解説してくれたのである。 謝辞のためにマイクの前に立ったときに「いま、橋本治さんが、授賞の理由についてお話ししてくださいましたけれど、これはアマチュアバンドが自費出版で出したCDが音楽賞をもらったときにジョン・レノンがその曲のコード進行について解説してくれたようなものです」というよくわからない比喩を使って感動を伝えたことがある。 橋本さんにははかりしれない恩義を感じている。


もう一つ興味深いのは、「本と雑誌の知を再発見 literax」のこの記事。



追悼・橋本治が安倍政権と日本会議が語る「伝統」を喝破


今月29日、作家の橋本治氏が肺炎のため死去した。70歳だった。橋本氏といえば、東大在学中につくった「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーの駒場祭ポスターで注目を浴び、女子高生の一人称で綴られた1977年発表のデビュー作『桃尻娘』(講談社)は大きな話題を呼んだ。

小説、評論、エッセイ、さらに古典と幅広く活躍してきた橋本氏だが、じつは折に触れて安倍政権と、その政権運営や安倍首相の発言に疑問を抱かない国民について批判してきた。たとえば、2014年に安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際には、安倍首相の相手の質問に答えない姿勢と、それに対して批判が起こらない状況について、こう言及していた。

〈尋ねられたことに対して向き合わない。その代わりに近似した別の「自分の思うこと」だけを話して、議論は終了したことにしてしまう。なにかは話されたけれども、しかし疑問はそのままになっている。「なんかへんだな?」という思いが残るのは当たり前ですが、どうやら日本人は、そのこと自体を「おかしい」とは思わなくなっているらしい。少し前までなら、「答えになってないぞ!」というヤジが飛んだようにも思いますが、いつの間にか日本人は「答えになっているかどうか」を判断することを忘れてしまったようです。〉(朝日新聞2014年7月8日付)

こうした状況はいまも変わりはないどころか、ますます悪化するばかりだが、さらに橋本氏は、安倍政権や日本会議が語る「日本」や「伝統」についても、痛烈な批判をおこなっていた。

このことについて、本サイトでは2016年2月に記事にして配信した。今回、以下に再録するので、あらためて橋本氏の鋭い指摘を一読いただきたい。
(編集部)

以下略



「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーは、当時の学生たちの心性に深く根を下ろしている、ヤクザ的、任侠的、浪花節的な、ウエットでひとりよがりなヒロイズムを感じさせ、高校時代の私にとっては、なかば惹かれる気持ちとともに違和をも感じさせるたものした。
そのコピーが,橋本さんの作であることは、今回の逝去の報道を通して初めて知った次第で,うかつなことでした。ベストセラーとなった『桃尻娘』(講談社)は、ちょっと迎合的な匂いが鼻について、距離をおいて見ておりましたが、最近ではその「迎合的」 文体を,誇張してパクって使って いるのですから、なにをか言わんやですね(懺悔) 。ここにお詫びして,ご冥福をお祈りいたします。


ところで、「桃尻娘」「桃尻語」の「桃尻」とは、ピチピチと張った、うら若い娘さんのピンク色の臀部を思わせる語として流通しているように思いますが元はずいぶん違った意味の言葉です。


《桃の実の尻(実際は頭)が、とがっていてすわりの悪いところから》

1 馬に乗るのがへたで、尻が鞍の上に安定しないこと。 「―にて落ちなんは、心憂かるべし」〈徒然・一八八〉

2 尻の落ち着かないこと。 「日々に港口へ催促しつつ、―してぞ居たりける」〈読・近世説美少年録・二〉 [補説]近年、本来の意味から外れ、丸く張りのある尻を「桃尻」ということが多くなっている。 (goo辞書より)


1 番の「徒然草」の用例は、高校の教科書でもおなじみですね。


今日は写真がありません。ではまた。


nice!(34)  コメント(4) 

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。