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桜咲いた、の巻 [折々散歩]

梅の写真も掲載予定でストックしているのですが、今日は、それに先んじて桜の写真をアップします。


先日歩いた半田山植物園にこんな花が咲いていました。


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表示がありませんが、案内地図によればハナモモでしょうか?


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早咲きの桜の代表格と言えば、河津桜。例年ですと、3月の初め頃には記事にしていますが、今年は、そろそろ咲き始めたという情報を聞き、今日は曇りでイマイチの天気でしたが、様子を見に行ってきました。


三分咲きといったところでしょうか?


PENTAX Q7+標準ズームレンズ(02 STANDARD ZOOM)で写しました。スマートエフェクトを「さくらほのか」に設定してみました。


咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg 咲き始めた河津桜(2019阿部池)


続いてPENTAXK5Ⅱ+DA55-300の画像です。
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg 咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg


咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg


咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg


咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg


次は、OLYMPUS E-PL7にフォーサーズアダプターを介して E-PL7ズイコーデジタル 35mm F3.5 Macroで撮影。


咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg


RICOHGXR MOUNT A12に、オールドレンズのタクマー50mmf1.4(m42マウント)を装着してみました。


ウン千円で買った中古レンズですが、おもいがけず良い色が出ます。


咲き始めた河津桜(2019阿部池)
咲き始めた河津桜(2019阿部池) posted by (C)kazg 




今日はこれにて。


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思いがけずセツブンソウに会う、の巻 [折々散歩]

先日(2月の半ば)、M師からいただいたメールにこうありました。

さてインフルエンザも流行しておりますので、なるべく人混みには出ずに山野を動き回っております。
鳥の写真が中心ですが、今日は家内の要求で美作市南の節分草の撮影にゆきました。
今の寒い時期からいち早く花を咲かせて春の到来を感じさせてくれます。

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さらに、自然保護センターなどで撮影された小鳥の写真なども添えて下さっていました。


上はルリビタキ、下はサンコウチョウです。


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そしてこう書いて下さっていました。


実家へ行かれるついでに寄られてはいかがでしょうか。着いた時に鳥の姿がなくても20分も待てば何かやって来ます。


それ以来、何度か実家には行きましたし、たった今日も行って畑の耕耘を済ませてきましたが、なかなか自然保護センターに立ち寄るチャンスにも、セツブンソウ群生まで足を伸ばすチャンスにも恵まれませんでした。


そう言えば、セツブンソウについてはずっと以前(2014-03-07)こんな記事を書いたことがありました。


故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう)


大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバー七人が、落ち合って、故郷の自然探訪を楽しみました。

はじめに美作市河会(かわい)地区のセツブンソウ群生地。盛期は、実際の節分の頃だったそうですが、まだけなげに咲いていました。

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五弁が基本だそうですが、六弁、八重などの変異もみられます。

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小さな固まりの群生が、そこここにみられます。

盛期には、あたり一面を真っ白な花が覆うのだそうです。

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(中略)

湯郷温泉近くでの、心配りの行き届いたコース料理の昼食を挟んで、少し離れた田殿(たどの)地区を訪ねました。

田殿神社(清滝神社)近くのセツブンソウ群生地は、こちらの方が北に位置するせいか、今が盛りといった感じでした。雪花が舞う天候で、節分の頃にもひけをとらない寒さゆえ、むべなるかなとも思えましたが。

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この記事で河合地区と書きましたのは、旧い呼び名です。ウィキペディアにはこんな解説がありました。


河会村(かわいそん)は、岡山県英田郡にあった

現在の美作市上山、北、滝宮、中川、南、横尾に当たる。


セツブンソウ群生地は、このうち「南」地区に位置します。


地元放送KSBTVでも このようなニュースが流れていました。


春告げるセツブンソウ見頃 岡山・美作市の自生地

02月21日 11:02 生活・話題

岡山県美作市で、春の訪れを告げる花、セツブンソウが見頃を迎えています。
美作市南の栗林では落ち葉の間からセツブンソウが小さな花をのぞかせています。
セツブンソウはその名の通り「節分の頃に咲く」とされていますが、今年は厳しい寒さの影響で開花が1週間ほど遅れました。
今は、見頃を待ちわびていた山野草の愛好家たちが連日のように訪れ、その白く透明感のある花をカメラに収めています。
美作市の里山に春の訪れを告げるセツブンソウは2月いっぱい楽しめるということです。


そのセツブンソウのことはすっかり忘れていたのですが、昨日、久しぶりに半田山植物園に出かけたところ、窓口でこんな案内地図をもらいました。


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何気なく見ると「セツブンソウ」の生育場所が案内されています。


入り口から正面を見あげるとこんな景色が見えます。


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この階段を上って、真っ先にセツブンソウに向かいます。


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階段右側に花盛りなのは、ニホンスイセンです。


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セツブンソウは、自生ではなくて植栽されているようでした。「群生」というには、やや小規模ですが、可憐な花がいじらしく咲いています。


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マクロレンズで近くから写します。ただ、立ち入り禁止のロープが張ってありますので、腕を精一杯伸ばさなければなりません。


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フクジュソウも見頃。


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黄色繋がりで、タンポポ。


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これはギンヨウアカシアでしょうか?


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赤い椿。


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信号機じゃありませんが、青い花。


オオイヌノフグリです。


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一面に群生しています。


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季節はずれのアヤメ?


カンザキ(寒咲き)アヤメと言うそうです。


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続きは回を改めます。今日はここまで。


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あまりに軽い「真摯に受け止める」の言葉、の巻 [時事]

沖縄県民投票の結果について、yahooニュースには、「沖縄タイムズ」2/25(月) 1:35配信の 記事が掲載されています。


辺野古埋め立て「反対」が7割超え 知事の得票上回る43万票 沖縄県民投票、投票率は52.48%

沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票が24日、投開票された。3択のうち、埋め立てに「反対」は43万4273票に上り、投票総数の71・7%を占めた。県民投票条例で定める知事の結果尊重義務が生じる投票資格者総数の4分の1を超え、昨年9月の知事選で新基地建設反対を訴えて当選した玉城デニー知事が獲得した過去最多得票の39万6632票も上回った。「賛成」11万4933票で、反対が賛成の3・8倍に達した。「どちらでもない」は5万2682票。投票資格者総数は115万3591人で、投票総数は60万5385人。注目された投票率は52・48%だった。

県民が新基地建設のみに絞って直接賛否を示す初の投票で、昨年の知事選などでも示された新基地建設反対の民意がより明確に示された。菅義偉官房長官は投票結果に関わらず工事を進める方針を示しており、政府の対応次第では県民の反発がさらに強まることは必至だ。

県民投票に法的拘束力はないが、条例では3択の中で得票の多い方が4分の1に達したときは知事は結果を尊重し、首相や米大統領に通知すると定める。

県民投票の条例制定を請求した「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表は「沖縄の人の『うむい』(思い)を重く受け止めてほしい」と訴えた。


安倍首相は投票結果を受けて「(今回の)県民投票の結果を真摯(しんし)に受け止め、これからも基地負担軽減に向けて、全力で取り組んでまいります。日米が普天間基地の全面返還に合意してから、20年以上実現されていない。もうこれ以上先送りすることはできない」と述べたといいます。またまたお得意の「真摯に受け止める」ですな。


東スポWeb の2019年2月25日 11時1分付記事に、こんな指摘がありました。まったくです


辺野古「真摯に対応」安倍首相の発言に批判相次ぐ 小沢一郎氏「真摯に受け止めたためしがない」

これを受け、自由党の小沢一郎共同代表(76)はツイッターで「総理は『真摯に受け止める』と言って、真摯に受け止めたためしがない。『無視する』が真実」と指摘。

「政府からは『関係なく工事を進める』とか、そんなコメントしか聞こえてこない。尊い民意を無視し、踏みにじる。美しい国が聞いてあきれる。愚かで醜い政治には『鉄槌』が下されなければならない。国民の手で」と批判した。

また、経済学者の金子勝氏(66)はツイッターに「また『真摯』の安売り」と題して投稿。
「またアベは沖縄県民投票の結果を『真摯に受け止める』という。真摯に受け止めるとは,辺野古新基地建設工事を即時中止すること。立地ミスの税金浪費公共工事を続けるのは『県民投票を無視する』と言います。アベは日本語も破壊する」と苦言を呈した。

ジャーナリストの津田大介氏(45)は「『真摯に受け止め』てないし、『基地負担軽減に向けて全力で取り組』んでないし、『沖縄県民と対話を重ね』てないし、『今後県民と理解求めて全力で対話』するそぶりも見られないし、何というかコメントの全てがウソなのすごいと思う」と皮肉を交えて一刀両断にした。

東スポWeb


そして朝日新聞デジタル 2019年2月25日 12時24分付記事


県民投票の翌朝「辺野古NO」を強制排除 反対7割でも 


米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり、名護市辺野古の埋め立てに「反対」が7割を超えた県民投票から一夜明けた25日、玉城デニー知事は「はっきりと民意が示されたと思う」と述べた。

一方、辺野古沿岸部にはこの日も土砂が投入され、米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、座り込む人たちが強制排除され、大型車が資材を運び込んだ。


「沖縄の人の『うむい』(思い)を重く受け止めてほしい」(「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表)の言葉を、重く受け止めてほしいものです。


今朝の夜明け。


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沖縄の夜明けも、そぐそこ、と思いたい。


先日の岡山後楽園散歩の記事、追加です。


シロハラがいました。


岡山後楽園のシロハラ
岡山後楽園のシロハラ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシロハラ
岡山後楽園のシロハラ posted by (C)kazg


これはシメ。岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg


二羽でしめしめ。


 岡山後楽園のシメ
岡山後楽園のシメ posted by (C)kazg


お後がよろしいようで。




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託児所業務は今日も繁盛、の巻 [家族]

フェイスブックには、時々、過去の同月同日の投稿記事を思い出させてくれるサービスがあるようです。


先日、こんなのが出てきたので、ちょっと懐かしくてシェアしてみました。


2015年2月22日

昨晩、というか、今朝未明、私にとっては五人目になる孫娘が誕生しました。
兄妹も、産院を訪ね、手足の大きさを較べています。

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これをご覧いただいたお友達の何人かが、お祝いのメッセージを下さいました。あるいは新たに孫が誕生したと錯覚されたかも、と気がとがめました。


この赤ちゃんは、四歳になりました。


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従妹が同じ2月の誕生日で、つい先日三歳になりましたから、ほんの数日同い年だったのですが、漸くまた「お姉ちゃん」になりました。


昨日の土曜日、その従妹を我が家で預かりました。お母ちゃんが、持ち帰りのできない仕事を職場で終わらせなければならないのだそうで。


近くの公園で遊んだり、お絵かきやハサミチョキチョキで、何とか時間がつぶせましたが、託児所業務はなかなか多忙です。


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今日は、上の中学生を除く三兄妹が、遊びに来ました。お弁当を持て公園に出かけたいというので、深山公園に行ってきました。


水鳥に餌をやるのが楽しいので、食パンをちぎって入れた袋を手に手に持って、池に向かいます。大勢の客が、同じようにパンをちぎってやっています。見れば、沢山のパン切れが、食べきれずにぷかぷか浮かんでいます。餌やり今日の人数が多いこともあるのですが、水鳥の数がずいぶん減っているように思えます。暖かくなって、旅だった群れも多いのでしょうか。


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水鳥と池の鯉たちへの餌やりをひとしきり楽しんだ後、おにぎりを食べ、遊具で遊んだり冒険ごっこをしたりで、たっぷりと屋外遊びを楽しみました。


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それでも飽き足りず、帰ってから、近所の公園や空き地で夕方まで遊んでいました。よい気候になりました。




ところで、世界が注視するなかで実施された沖縄の県民投票は、どうやら辺野古基地移設反対の民意をキッパリと示したようです。


毎日新聞2019年2月24日 20時00分(最終更新 2月24日 20時17分)から一部引用しておきます。


米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、埋め立ての賛否を問う県民投票が24日、実施された。毎日新聞と琉球放送による出口調査や取材などから総合的に判断すると、3択のうち「反対」が「賛成」や「どちらでもない」を上回って多数となることが確実となった。 また、「反対」は投票資格者総数(115万3591人、24日見込み)の4分の1に達する見通しで、県民投票条例に基づいて玉城(たまき)デニー知事に結果の尊重義務が生じ、玉城知事は首相と米大統領に結果を通知する。


予期通り、順当と言えば順当な投票結果ですが、その重みは絶大。


沖縄県民のみならず、日本国民にとっての歴史的な記念日になるべき日と言えるでしょう。


「沖縄の心に寄り添う」と言いながら、民意無視の上にも無視を重ねてきた現政権と言えども、明々白々たるこの民意の表明は、決してないがしろにはできないはず、と、強く思います。


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漸くに失せ物出でて梅見かな [折々散歩]

昨日書きかけた記事が、なにかの操作ミスで、またまた消失してしまいました。たいした内容でもないので復元する意欲はありませんが、「失せ物」に関する話題でした。そうしたら、その記事自体「失せ物」になってしまった、というオソマツ。笑えません。


ただ、記事の方は、「失せ物」が出てきたというお話ですので、まあプラスマイナスで相殺することにいたしましょう。


というのは、木曜日の教育相談ボランティアの帰り、後ろポケットに入れているはずの財布が見当たらず、中には免許証もカード類も入っているので、肝を潰しましたが、翌朝推理通りの場所で見つけ出すことができたのでした。


そう言えば、以前もこんなできごとがありました。  


ミクロサイズのトホホ、の巻


夕方駐車場所まで歩き着いていざポケットを探ると,どうしたことでしょう。キーホルダーの様子がヘンです。その日乗ってきた車のキーはありましたが、我が家の玄関ドアの鍵や、妻が乗る軽4のスペアキーなどがついた鍵束が見当たりません。バッグやポケットの中を探るも,見つかりません。どうやら,何かの弾みではずれて、落としてしまったのかも知れません。心当たりは?と考えると,一番滞在時間の長かった教育相談室の事務所が疑われます。

(中略)日曜日の夜は、懇意な友人達との飲み会を予定していました。どうせ、懇親会場まで交通機関を使って行くのなら、途中下車して教育相談の事務所に立ち寄り、鍵の行方を探してから懇親会場まで歩いて行くことにしました。
一所懸命心当たりを探した結果、私が腰掛けていたソファの、クッションの下に紛れ込んでいるのを発見。ほっとしました。そのあと、小雨の中を懇親会場まで歩き、心地よい歓談で時の経つのを忘れました。解散後、寄り道もせずにバス停に向かいましたが、日曜日のこととて、最終便がもう終わっていました。トホホ。


今回財布を見つけたのも、まったく同じ場所でした。ほっと安堵はしましたが、同じ失敗の繰り返しは、情けないことでした。その上、翌日の記事は、タイトルまでソックリでした。


失せ物あらわる、の巻


そんなあるとき、そのDATA通信用のスマホがどこへ行ったかわからなくなりました。
入念に思い出してみると、この日までは確かにありました。
スズメ、その他、の巻

5月15日(水) かかりつけ医に、血圧の薬をもらいに行こうと、近所のATMで、お金を下ろそうとしたら、キャッシュカードがはじかれます。窓口へ行くよう指示されますので、銀行窓口に行って相談すると、磁気のせいで読み取れなくなっているので、再発行するが、1~2週間掛かるとのこと。あたふたします。

キャッシュカードやクレジットカードをはじめ、何種類かのカード類を挟んだケースと、ガラケー、スマホを、全部同じバッグに入れていたのです。銀行窓口の方が、「磁力の強いものの近くに置いたりすると、データが読み取れなくなることがあります。たとえば携帯電話とか」とアドバイスしてくださったので、バッグを入れ替えたのがその時です。
そのあと、スマホだけが見当たらなくなったので、落としたり置き忘れたものが悪用されても困るので、早速解約の手続きを済ませました。それ以来、どこを探しても出てこなかったものが、ほんの先日、たまたま探った車の助手席の,物入れの陰に収まっていました。

そう言えば、最近もこの記事で、大慌ての遺失物騒動を書きました。


あらまほしきものは、の巻


「この旅行中、私を苛(さいな)んだ悲劇」について書きます。(中略)会計係さんに今回の参加費を支払う段になって、パニックに見舞われました。バッグのどこを探ってもお財布が見当たりません。昨日確かに現金も準備し、バッグの一番取り出しやすいポケットに入れたことは覚えています。駐車場で自家用車から降りて、待ち合わせ場所でバスに乗り込むまでの間に、バッグから滑り落ちたでしょうか?中には、運転免許証も健康保険証もキャッシュカード・クレジットカードはじめ各種カードも入っています。困ります。
望むらくは、駐車場で車から降りるとき、あわててお財布を何かの弾みに座席に置き忘れたのなら、、、、うれしさこの上もないのですが、、、。
それはそれとして、とりあえず、参加費支払いというこのピンチを切り抜けなければなりません。(中略)お隣の座席のOさんが、「一緒に払っておくよ」と快く立て替えてくださいました。
「持つべき者は友」と昔から言いますが、まことにつくづくそう思いました。
(中略)
そして結末は、はてさてどのようになりましたでしょうか?
集合場所=解散場所の総社駅前でバスを降り、車を停めた駐車場に向かいます。そばを歩くMさんにも顛末を話し、「もしも財布が見つからなかったら、駐車料金を貸してね」と、半ば冗談、半ば本気でお願いしたら、彼の自動車からずいぶん離れた場所に駐めていた私の駐車場所まで一緒に歩いてくれるのでした。またまた「持つべきは」と胸が詰まりました(ホントです)。


先日来話題にしている高知でも同工異曲の騒動を体験しました(汗)


恥は掻き捨て三連発、の巻


TVのスイッチをつけたちょうどその頃、ドアのノックの音が聞こえます。

??

いぶかしい思いのままドアを開けて覗いてみると、ホテルの従業員の方です。

「これを落とされませんでしたか?」
差し出されたものを見ると、確かにいつも手帳に挟んである私のカードホルダー。中には銀行のキャッシュカード、クレジットカード、保険証、運転免許証、いくつかの病院の診察券、電器店の会員カード、などなど。

「どこにありました?」と聞くと、自動販売機コーナーだとのこと。

小銭を取り出すため、バッグの中身を探ったときに、大事なカードホルダーをポロリと落としてしまったのですね。ああ恥ずかしい。
と同時に、ご親切に感謝感謝の大チョンボでした。


そして翌日も、、、。


冷や汗も恥も掻き捨てひとりたび、の巻


【旅の恥 極めつけ】

こんな写真を撮れたからまあいいか、と満足してホテルに向かう途中、はたと気づきました。シャツのポケットに入れていたはずのホテルの部屋のカードキーがない!慌てて、バッグの中もひっくり返して探してみますが、見当たりません。これは、城歩きの途中、シャツを一枚脱いで、しばらく手に持って歩いていました(そのあとバッグの中に入れました)が、その時に落としたに違いない。と思い当たりました。


何だか面白おかしく記事を書くために、演出しているかのような失敗の連続ですが、注意力の「劣化」は覆うべきもありません。


ところで、昨日の記事に「深山公園の、ほころび始めた桜の花を、RICOHGXR+a12+インダスター61(廉価ロシアレンズ)にクローズアップフィルター(+3)をつけて撮影してみました。5000円のレンズとは思えない描写ではないですか?」と書きました。


大間違いでした。


正しくは「RICOHGXR+a12+ SMC PENTAX Macro100mm F3.5で撮影してみました。」と書くべきでした。


SMC PENTAX Macro100mm F3.5は、中古で買った旧世代のレンズですが、一応メーカー純正のマクロレンズです。しかもAF機能を搭載したPENTAX機で使えば、ちゃんとAF撮影ができます。(もちろん、RICOHGXRに装着したらMFになりますが、マクロ撮影の場合手動ピント合わせはむしろ通常なので、十分利用価値があります。


ただ、マウントアダプターを介して装着したレンズの情報は、EXIFに記録されませんので、うっかり使用レンズを錯覚してしまうことがよくあります。


そこで、「RICOHGXR+a12+インダスター61(廉価ロシアレンズ)にクローズアップフィルター(+3)をつけて撮影してみました。」の記述に背かない写真を移すため、後楽園を訪ねてみました。失せ物は見つかるし、空は晴れて暖かいし、絶好の散策日和でした。


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こんなニュースが流れたばかりです。


後楽園のHP記事です。恒例行事「松の菰焼き」 平成31年2月20日(水)


"越冬のために松の枝から地中に下りてくる"という虫の習性を利用した、昔ながらの害虫駆除方法です。

前年秋(平成30年10月17日)に松の幹に巻き付けた菰を取り外し、菰の中で越冬している害虫ごと焼きます。

菰焼きが終わると後楽園にも春がやって来ます。


地元紙山陽新聞にもこの記事がありました。


後楽園「松のこも焼き」 越冬した害虫を駆除

松から外したこもを燃やす作業員

岡山市の後楽園で20日、越冬した害虫を駆除する「松のこも焼き」が行われ、多くの観光客らが春を迎える風物詩を見守った。
害虫がわらのこもの中で冬を過ごす習性を利用し、こもごと焼き払う伝統行事。作業員がアカマツやクロマツなど約240本の幹に巻かれたこもを取り外し、沢の池近くで集めたこもに火を付けると、パチパチという音とともに炎が上がった。
この日、岡山県内は南からの暖かい空気に覆われ、朝の最低気温は、岡山市中心部10・2度(平年1・8度)、玉野市11・4度(2・1度)など、各地で平年を10・9~8・0度上回り、4月中旬~5月上旬並みとなった。


また数日前、恒例の芝焼きが行われたことも、この記事で紹介しました。春浅きsの一字の欠如かな、の巻


クローズアップレンズを外して写します。


岡山城。


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後楽園の園内風景。


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梅が満開状態です。


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クローズアップレンズを装着してみます。


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椿も咲いています。



どうでしょうか?5000円のレンズとは思えない描写ではないですか?(リフレイン)


今日はこれにて


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忘れてました、の巻 [今日の暦]

こまっしゃくれたチコちゃんに「ぼーっと生きてじゃないわよ」ととがめられるのは不快ですが、確かにとみに注意力散漫で、大事なことに後で気づく事が多いです。


昨日が二月二十日であること、二月二十日が多喜二忌であることはそれぞれ認知しているつもりですが、その二つが結びついたのは、昨日の記事をupしたあとのことでした。遅かりし由良之助です。


当ブログでは、毎年欠かさずこの日の記事を書いてきましたが、先日の「高知新聞」への投稿との関連で、2015年掲載の記事をひもといてみることにします。


多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻


NHKの朝ドラ「マッサン」で、息苦しい戦争の時代のやりきれなさが極まっていきます。前回の「花子とアン」同様、またまた官憲・特高の傍若無人の暗躍が、市民のささやかな幸せを踏みにじっていきます。
スコットランド生まれの妻エリーへの迫害は、戦時の偏狭な排外主義の愚かさを際だたせますが、でも、21世紀の現代の「ヘイトスピーチ」を頂点とする差別主義・排外主義の論理と、あまりにもそっくりですね。

ところで、意に染まぬものを強圧によって押しつぶし排除しようとする権力が、歯止めを失って暴走する時、どんな信じられないことが起こりうるかということを、今日の地元紙「山陽新聞」のコラム「滴一滴」を読んで、考えさせられました。

〈ああ、またこの二月の月が来た/本当にこの二月という月が嫌な月/声を一杯に泣きた
い/どこへ行っても泣かれない/ああ、でもラジオで少し助かる/ああ、涙が出る/眼鏡がくもる〉▼29歳で非業の死を遂げた息子を思い、母が書き残した詩だ。作者は小林セキ。「蟹(かに)工船」で知られる作家小林多喜二の母である▼プロレタリア文学の旗手と呼ばれた多喜二は、1933年2月20日、東京で特高警察に捕まり、拷問を受けて絶命した。治安維持法のもと、思想や言論を理由に拘束され、命まで奪われた。この国で、82年前に起きた出来事だ▼多喜二と親交のあった作家志賀直哉がセキにお悔やみの手紙を送っている。「不自然な御死去の様子を考え、アンタンたる気持ちになります」。まさに暗澹(あんたん)たる時代だった。その年、日本は国際連盟を脱退し、ドイツではヒトラー政権が誕生した。世界は戦争へと向かった▼終戦まで、遺族は多喜二の名前すら口にできずに耐え忍んだ。戦後、セキが語っている。「思想も、言論も、出版も、結社もすべて自由になって…何というありがたいことでしょう」(「母の語る小林多喜二」新日本出版社)▼戦後70年。多喜二の名前は知っていても、その最期を知らない人は多いのではないか。時代を決して後戻りさせてはならない。心に刻む多喜二忌である。 

今日は多喜二忌です。

(中略 )

今日のもう一つの話題は、同じく治安維持法の犠牲となった文学者槙村浩のことです。

「北の小林多喜二、南の槙村浩」と呼ばれました。

(中略)

槙村浩は、明治末の1912年に土佐の高知市に生まれました。幼少期は、3歳のときに医学書をすらすら読む、小4の時、『支那論』を書き、高知を訪れた後続の久邇宮邦彦に「アレキサンダー大王」について御前講義を行う、文部次官が来高してテストをして中学3年の学力があると評したなど、神童・天才ぶりを示す数々のエピソードが残っています。
彼は私立土佐中学へ2年飛び級で入学しますが、そこで体育の時問に先生と衝突して、海南中学校へ編入学します。ここでも軍事教練の学科試験に白紙答案をだすなど、軍事教練反対運動を組織し、放校になります。そのため、岡山の私立関西中学校へ転校し、そこを卒業しています。
関西中学校を卒業して高知に帰郷後、詩作を中心にプロレタリア文学運動に参加し、あわせて労働運動・反戦運動を続けますが、これらの活動のため政府の弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去しました。享年26歳でした。

(中略)

昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。

ちなみに、下の画像は、「草の家」ホームページに紹介されている第9号の写真です。

手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。

冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。

I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。

部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。

これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。

同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。

卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。

最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。

その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。

そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。


先日の新聞投稿につながるウラバナシとも言えるエピソードです。


ところで「愛知に住む古い友人のI君」は、当ブログの別記事では「ハチロー君」という呼び名でも登場します。そのハチロー君も交えて親密なお付き合いをいただいた学生時代の先輩のひとりが、イチローさんです(ややこしい)。偶然にして私と同郷の出身なのですが、大学卒業後、職場の関係から関西住まいでしたが、介護のため、退職後、郷里に生活の比重を移しておられます。


一昨日帰郷の際に、両親の買い物に付き合ってスーパーに立ち寄ったところ、そのイチローさんとばったり出くわしました。実はちょっと前にも同じようなことがあり、縁は異なものと感じたことでした。


この日、イチローさんは、例のメガソーラの件(はたらく自動車?クリーンエネルギー???の巻 ほか参照)で、地域の方と一緒に、市に申し入れに来られての帰りだそうでした。立ち話で新聞投稿の件を伝えると「行く載せてくれたなあ」と感心しつつ、大いにねぎらって下さいました。


今日は、懇意な方々とお会いする機会がありましたので、新聞を数枚コピーして、趣旨を伝えました。


しかし、予期した以上に、槇村浩をご存じでない方がありました。顕彰の必要性を改めて感じています。


深山公園の、ほころび始めた桜の花を、RICOHGXR+a12+インダスター61(廉価ロシアレンズ)にクローズアップフィルター(+3)をつけて撮影してみました。5000円のレンズとは思えない描写ではないですか?


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羊頭狗肉か牛頭馬肉か、はたまた竜頭蛇尾か?の巻 [趣味]

「羊頭狗肉」という故事成語は、学校でも習います。「羊の頭」を看板に掲げて犬の肉を得るというインチキ商法の話題。出典は中国古典の『無門関・六則』の一節だと言います。


ジンギスカン料理は日本で生まれた羊肉料理らしいですが、もともと中国大陸で羊肉は貴重だったのでしょうね。犬肉も食用とされたようですが、やはり羊よりは格が下がるのでしょう。


「狗」が犬を意味することは、「権力の走狗」などの言い方で思い出されます。「天狗」に「狗」の字が用いられるのは、やはり「イヌ」が関係しているらしく、そのわけは、こちらの「語源由来辞典」に詳述されてあります。


それにしても、羊の頭を飾った肉屋って、かなりシュールです、、。


ところで、よく似た四字熟語に「牛頭(牛首)馬肉」という言葉があるそうです。出典は『晏子春秋』。


【本文】

猶懸牛首于門而賣馬肉於内也

【書き下し】
猶ほ牛首を門に懸けて馬肉を内に売るがごとし。

【訳】

(あなたのやり方は)ちょうど牛の首を門にぶら下げて、中では馬肉を売るようなものです。


馬肉よりも牛肉の方が上等と考えられていたのでしょうね。現在では決してそうも言い切れないでしょうが(笑)






「竜頭蛇尾」という四字熟語もありますね。


はじめは竜のように勢いがよかったが、終わりになると蛇のように勢いがなくなることのたとえ。出典は「碧巌集(へきがんしゅう)」


さて、私のブログ、「ブログ村」やら「人気ブログランキング」にエントリーしています。たとえば、面白半分に、これをクリックしてみていただくと、意外な結果が出て参ります。



もしも、レンズ・撮影機材についての高度な話題や蘊蓄を期待して訪問して下さった方には、羊肉と偽って犬肉を、牛肉と偽って馬肉を提供するインチキ商法、また最初だけ竜の見せかけで、すぐにチンケな蛇の正体が露見する看板倒れであることがミオエミエなのですが、なにとぞご容赦下さい。


私の趣味は、たとえれば、百円ショップでおトクそうな日用雑貨を漁ったり、スーパーの閉店間際の半額セールで生鮮成食品を物色する境地に似ております。試しに、当ブログの記事を「ジャンク」というキーワードで検索をかけると。出てくるわ出てくるわ。


最も古い記事はこれでした。


ジャンク命


ゴミ屋敷になるよと、妻に責められます。持てあましてだいぶ捨てましたが、捨てきれないモノもいっぱい残っています。
私の「ジャンク道」のお師匠は、見捨てられたモノにも光るところがある。そこに命を与える醍醐味は、教育も同じ。と含蓄のある教えを下さいました。


ジャンク漁りの対象は、pcオーディオなど多岐にわたりますが、カメラやレンズ関係がかなりの部分を占めます。なかでも頻度高く登場してくるのはこの記事でも取り上げた機材の話題です。


お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を存分に歌へ


今朝の携行品は、PENTAX K10に、Tamron80-210 (1:3.8,1:4.0/210)というオールドマニュアルレンズ。 そして、レンズとカメラの間に、PENTAX AFAD×1.7という装置を挟むことにする。これはMF(マニュアルフォーカス九レンズを、AF(オートフォーカス)化し、同時に、1.7倍のテレコンバータの役割も果たすという「キワモノ」製品だ。

PENTAX F AFアダプター1.7X 30924

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  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス

PENTAX社は、ユーザーが過去の資産を利用し続けられるよう、互換性を保ちながら新製品を開発するというコンセプトを保ってきたメーカーだと言える。フィルムカメラ時代、同社が、Minolta社の後を追ってAF(オートフォーカス) 路線に参入したとき、Minolta社が採用し、後にCANON社はじめ各社も追随した、新開発のマウントにより新たなAFシステムを開発するという路線を取らず、これまでのKマウント・KAマウントとの互換性を担保しながら、それをAF化したKAFマウントというものを開発・採用した。このおかげで、マニュアルレンズとしてなら、旧来のマニュアルレンズも、原則的にこれまで通り使える事になった。さらにありがたいことに、m42(スクリューマウント)レンズという、スーパー級のオールドレンズも、m42マウント→kマウントという、マウント変換アダプターを介しさえすれば、立派に使えるという楽しみを提供してくれている。

PENTAX マウントアダプターK 30120

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さらに、念の入ったことに、 MFレンズをAF化するという、夢のようなアダプタ-をも開発して、ユーザーに提供してくれている。この「AFAD」が、どれくらい市場に流通したものかは知らないが、SF7という初めてのAF機を購入したものの、AFレンズはSIGMAの望遠ズーム一本しか持っていなかった私は、これに早速飛びついて手に入れた。とは言え、所有しているレンズと言えば、昔の標準レンズだったSMCPENTAX 50mm F1.7と、Tamronの35-70mmというズームレンズだけだった。

AFADには、レンズf値が2.8以上の明るさが求められていて、f5.6程度まではかろうじて作動しないものでもないが、Tamronのズームレンズは、ほとんど実用に値しないし、50mm単焦点レンズも、出番が少ない。まさしく、猫に小判・豚に真珠 ・ 犬に論語 ・ 兎に祭文 ・宝の持ち腐れ・無用の長物そのものだった。というわけで、早い時期に手放してしまっていた。

ところが、デジタル時代になり、撮像素子のサイズの関係から、レンズの焦点距離が35mmフィルムカメラに換算して約1.5倍伸びることになり、望遠系マニュアルレンズの使い道が広がった。また中古市場・ジャンク市場には、お手頃価格のオールドレンズがたくさん転がっている。そして、望遠鏡のシステムを利用して超望遠の世界を安価で楽しむ「デジボーグ」とやらいうマニアの世界もあり、PENTAX機では、それが容易にAF化できるらしい、等という情報をちらりと目にし、いずれその道に踏み込むこともあるかも知れないと、とりあえず「AFAD」を買い直したのだった。私の使い道では、Tokina AT-X MACRO 90mm F2.5を装着すると、135mmマクロレンズという有能なAFレンズが生まれるので、これには満足している。(ただ重いという愚痴は、以前書いた。)


ところで、今日持ち出した Tamron80-210(1:3.8,1:4.0/210)は、ジャンクコーナーで、アダプター付きで2000円前後程度だったか、小遣いの範囲で買ったものだ。

Tamron のマニュアルレンズは、アダプターさえ取り替えれば、各メーカーのカメラに装着できるという優れものだ。私は、以前にも書いた通り、 PENTAXのボデイに付属の標準レンズの次に、TAMRONのレンズを購入したので、pentaxkマウント用のアダプターだけは持っていたのだが、 AF時代になってレンズを手放したときに、一緒にアダプターも手放していた。惜しいことをしたと、いつもあとで後悔する。

そのアダプター付きのレンズなので、レンズが使い物にならなくても、アダプターが使えれば良しとしよう、という了見で買ってみて、なかなか使い勝手がよいので、後に、もう少し状態が良さそうなものを見つけて、はずみでまた買った。合計二本持っている。

ズームが、レンズを回転させる方式ではなく、前後に鏡筒を動かす方式で、しかもその操作によってレンズの長さが変化しない、というイイカンジの操作感なのである。嬉しいのは、全域でマクロ撮影が可能だと言うこと。210mmのマクロは、35mmフィルムカメラに換算すれば、210x1.5×1.7=535mm相当のマクロレンズという超絶の世界を楽しむことができる。はずであるが、なかなか満足の行く作品にならない。

(中略)

写りは、TAMRONのレンズらしく、結構発色も良く、ムードのある温かい絵が撮れるので、嫌いではない。ただ、レンズの個性なのか、私のレンズのカビやゴミの影響なのか、シャープさには欠けるし、色も偏りが気になる。


また、この記事の時点から、現在もさしたる変化がありません。


新しい玩具の巻


新しい玩具を入手しました。
早速、ここ2日ほど、遊び心地を確かめています。
前々から気になっていた、BORGという組立型望遠鏡の、対物レンズの部分です。

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喫煙の習慣がやめられなかった頃、「これが最後の一本!」と言って吸ったことが、よくありました。ご多分に漏れず、長くて2~3日、短ければ数時間後には、次の一本に手が伸びたものでしたが、、、。
今度の玩具は、一年間パート仕事を頑張った自分へのご褒美のつもり。これを最後にしようと思います(笑)。

鳥撮影の技法に、「デジスコ」という分野があります。地上望遠鏡=フィールドスコープで見える映像を、デジカメでとらえようという技法です。
先人の教え通りに、ちゃんとした機材を揃えれば、カメラメーカーの巨大望遠レンズに比べればはるかに廉価というものの、これもなかなか物入りになりそうですので、けちけち路線を基本に、ちょっくらかじってみようと思い立ち、あり合わせの道具や、カメラショップのジャンクコーナーに積んであるようなカメラを使ってできないかと、いろいろ試してみたのは、10年ほども前のことでした。
ない知恵を絞り、性能と値段のバランスから、ビクセンの「ジオマ52s」というフィールドスコープ(地上望遠鏡)を買ってみました。これを通して見た望遠の世界は、きわめて明るく鮮明で、とても魅惑的でした。照準あわせの目印もあって、対象物をとらえるのも、それほど苦にはなりません。
でも、これをデジカメに写し取ることが、なかなか一筋縄ではいきません。
フィールドスコープ(地上望遠鏡)を用いてデジカメで撮影する方法には、大きく分けて、望遠鏡の接眼レンズをデジカメ(コンパクトデジカメが推奨される)のレンズ部分を接合して、うまく固定して撮影する方法(コリメート法と呼ばれます)と、望遠鏡を一眼レフカメラの望遠レンズ代わりにして撮影する方法(直焦点撮影と呼びます)の2方式があります。
その両方を、あれこれ試してみましたが、どうにもうまくいきません。
その都度必要な部品や機材が増え、結局けちけち路線に抵触するばかりで、ちっとも成果は現れません。
この記事にも書きましたが、 「生来、自分から問うたり、手ほどきを受けたりすることが、大の苦手というか、とにかく億劫なのです。できれば人に聞かずに、自分で見つけたいのです。」というのが私の流儀。教科書通りに素直に正しい解法に従えば苦もなく解ける問題を、我流で解こうとしてお手上げになることが多いのです。
一事が万事で、望遠鏡撮影の実験もしかり。その失敗と落胆の連続は、本人には重大でも、記事としてはどなたの興味も呼ばないでしょうから、割愛することにします。
ただ、ネット上で紹介されていた「ジオマボーグ」という魔法のテクニックは、長いこと心に引っかかっていました。ジオマの対物レンズ部分を、BORGのレンズと換装することで、飛躍的に画質が向上するというのです。
また、「デジボーグ」というシンプルな方法も、常に心にかかっていました。しかも、PENTAX機だと、AFADアダプターを用いることでAF撮影が可能な「AFボーグ」という方法があるそうです。同性能のカメラレンズよりもはるかに廉価だというのですが、それでも試し買いしてみるには、小遣いのレベルを超えています。
そんなわけで、中古レンズやら、ミラーレンズやら、フォーサーズやQマウントへと、脇道にも進んでみたのですが、いずれも、「帯に短し襷に流し」です。
というようないきさつを、以前、 こんな記事で書いていたことを忘れていました。危うく繰り返すところでした。
ところで、現在私の所有するカメラシステムで、鳥撮影にまずまず使えそうなチョイスは、、、。
1)pentaxk5Ⅱ+smc PENTAX-F ☆ 300mm F4.5 ED[ IF ]
このレンズは、退職記念のつもりで中古で買い、おおむね満足して使っていましたが、落下で真っ二つに折れてしまいました。古い製品でメーカーにも部品がないとのことで、修理不能で返されました。
2)pentaxk5Ⅱ+シグマ DG APO 120-400mm f4.5-5.6 OS HSM製造中止直前のアウトレットを、お手頃価格で購入しました。写りも操作性も満足していますが、重いので、気合いが必要で、時と場合を選びます。
3)OLYMPUSE-PL5+フォーサーズアダプター+zuiko ED 70-300mm F4.0-5.6。場合によっては1.4x Teleconverter EC-14を間に装着しています。
ピッタリ合焦した場合は、満足できる画像が生まれますが、私の技量の故に、対象物をとらえ損ねることが多く、歩留まりが今ひとつです。バランスのせいか、結構重く感じます。
4)fuji FINEPIXS1。
コンデジとしては重くてかさばる部類ですが、携帯性はよく、うまく合焦すれば満足の写りが期待できます。
でも、AFが苦手な対象物もあるようで、いざというときに信頼しきれません。望遠時にファインダー内に対象物をとらえることの難しさも、ストレスです。しかも、現在修理に出していて、まだ返ってきていません。

こんな状況の中で、軽くて、できるだけ遠くのものが大きくが写せて、しかも近距離も撮影できて、対象物がファインダーでしっかり捕らえられ、AF撮影が可能で、目当ての鳥が逃げてしまわない程度には合焦速度が速く、できるだけ画像が鮮明なという、欲張りなカメラ+レンズシステムづくりに、今度の玩具は役立つでしょうか???


このあと、BORG60EDというレンズを中古で購入し、望遠撮影に同伴することが多くなりました。


そんなレンズや機材の話題は、社会的有用性はきわめて低いと自覚しつつも、自分自身の備忘のために記録している次第です。


今日もPENTAXK5Ⅱ+AFBORG60EDを持って深山公園を歩いてきました。


桜が咲き始めていました。品種は何でしょう?


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カワセミに会いました。


ノートリミングで、この大きさです。


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トリミングします。


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ちょうど狙っている辺りの水中から、ぼこっとこいつが浮上してきました。


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カワセミにとっては迷惑でしょうね。


いろいろ場所を変えたり体勢を変えたりして水中の魚を狙っているようでしたが、諦めて飛び去りました。


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足もとまで近づいてくる人なつっこいキジバト。ノートリミングです。


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南(みんなみ)の便り届くや今日雨水 [今日の暦]

今日は暦の上では「雨水」(うすい)。


辞書にはこうあります。


う‐すい【雨水】
1 あまみず。
2 二十四節気の一。2月19日ごろ。水ぬるみ、草木の芽が出始めるころの意。《季 春》「薩埵(さった)富士雪縞あらき―かな/風生」

出典 小学館デジタル大辞泉


朝から暖かい雨でした。特別の用事もありません(雨のため何もできません)が、妻とともに郷里の父母を訪ねてきました。夕方、帰ってみると郵便ポストに、二通の郵便物がありました。差出人は、一つは高知新聞社、もう一つは高知在住のN先輩です。
前者には、2月18日付の「高知新聞」が同封されており、私の投稿が同日付の「声ひろば」欄に掲載された旨知らせて下さっていました。


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後者には、同じ新聞の「声ひろば」欄掲載ページを、同封してくださり、投稿への感謝とともに、「これをきっかけに(生誕地碑建設の)運動を盛り上げたいと心しています」と添え書きしてありました。


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「瓢箪から駒」で、もしも運動が成就して、生誕地碑が建設されるようなことになったら、きっかけの一端を担った一人として、ひそかに鼻を高くしたいと勝手に夢想しているところです。


今日の雨水の写真は撮り損ねました。穴埋めとして、昨日の鳥写真の残りを掲載しておきます。


ヒヨドリ。


_K524092.JPG._thumb


シメ。


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ハクセキレイ。


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メジロ。


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ツグミ。


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今日はこれにて。




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ある新聞投稿、の巻 [文学雑話]

「高知新聞」にこんな文章を投稿しました。

高知は、学生時代を過ごした第二の故郷ですが、滅多に訪問の機会がありません。維新の志士や民権運動の史跡などどともに、夭逝の反戦詩人槇村浩(まきむらこう)ゆかりの地を、折あれば訪ねてみたいと常々思ってきました。
「思い出はおれを故郷へ運ぶ---」二〇歳の頃の作品「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節です。「おれ」は、日本の侵略支配に抗し、身を挺して民族の独立をたたかいとろうとするパルチザンの若者であり、反戦と国際連帯の思いを込めた作者の想像が生んだ鮮烈な造形です。
高知県立海南中学校四年生の時、軍事教練反対運動を組織した彼は放校となり、縁あって、わが岡山県の私立関西中学に編入学します。異郷の地にあって、彼の胸中には故郷高知の思い出が去来したに違いありません。
自宅があったという帯屋町2丁目の「ひろめ市場」辺りや、高知刑務所跡の城西公園に建つ詩碑などは、以前も訪ね、詩人の短かすぎる青春を偲びました。市内にあるという墓地にも、いつかお参りしてみたいと思っています。
ところで、彼の生誕の地は、高知県高知市廿代町とされています。去年の夏、会合で高知を訪れたついでに、マップ頼りに界隈を散策してみました。しかし、残念ながら、案内掲示や碑の類を見つけることもできず、心を残して引き揚げたことでした。聞けば、いま貴地では、「槇村浩生誕碑」建設の気運が起こっているとの由。運動が成就し、碑完成の暁には、是非再訪してみたいと願っているところです。

それが今朝の朝刊に掲載されていると、高知市在住のN先輩が知らせて下さいました。Nさんは、文中の、「槇村浩生誕碑」建設の運動にも携わっておられます。当ブログの過去記事でも、槇村浩については何度か話題にしてきました。最近では、去年の夏の高知旅行をもとに、こんなことを書きました。

高知の街散歩、の巻

徒歩で回れる市内の散歩を、行き当たりばったりで楽しむことにしました。

ちょうど「志国高知幕末維新博」の開催中とかで、ネット上でも、親切な史跡案内が行われています。

また、高知在住のN先輩が、以前送ってくださっていた、高知市教育委員会 民権・文化財課発行の「高知市中心部民権史跡案内図」や、

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高知県立文学館発行の「土佐れきぶん散歩」

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などのマップ片手に、まず目指したのは、高知駅近くの史跡。

その第一は、「槇村浩誕生の地」です。

槇村浩については、その詩碑を訪ねた記事を夏の終わりの高知行、の巻(その5)

で書き、そこで詩人槇村浩に触れた次のような過去記事を紹介しました。そこでも書いたように、まだ彼の墓を尋ねていないことが心残りですが、「誕生の地」もまた未踏です。

◆サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻
◆「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◆槙村浩と三月一日
◆ビクトルハラをカーラジオで聞くの巻
◆もうひとつの911
◆懐かしき便り嬉しき聖夜かな

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むしろ岡山の方が蒸し暑いと思われる、心地よさではありましたが、それでも晴天の南国の太陽を浴びながら歩くと、汗が噴き出ます。

(中略)

目的の槇村浩誕生の地は、この江ノ口川沿いだそうですが、それらしい場所を探しても見当たりません。よくよくマップを見ると、(碑なし)とありました。なあんだ。

引用ついでに◆サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻 から少しだけ引用してご紹介します。

「ダッタン海峡」と題する冊子が、私の手元にあります。
以前この記事で、触れたことがありました。
◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻

高知出身の 反戦詩人槇村浩(まきむらこう)の生誕一〇〇周年を記念して刊行された冊子です。表題の「ダッタン海峡」は、槇村のこの詩にちなみます。

ダッタン海峡
――ダッタン海峡以南、北海道の牢獄にある人民××同志たちに――
槇村浩

(中略)

ネット上に槇村浩生誕一〇〇年(2012年)について述べた記事がいくつかありました。まずは、槇村の出身地高知県の地元紙「高知新聞」の記事から。


『小社会』

2012.06.02 朝刊
きのうは高知市出身の反戦詩人槙村浩(こう)の生誕100年だった。記念の講演会がきょう、同市内で開かれる。槙村は悪名高い治安維持法違反で逮捕され、激しい拷問がたたって26歳で早世した▼生前の槙村と親しかった人を、一人だけ知っている。県選出の社会党衆議院議員だった故井上泉さん。もう20年以上も前に、「槙村浩全集」を贈っていただいたことがある。井上さんは全集の編集・発行人の一人だった▼槙村の最初の反戦詩「生ける銃架」、代表作「間島パルチザンの歌」…。ほとばしる波のように紡がれる言葉の迫力に圧倒された。槙村の早熟の天才ぶりを示すいくつかの逸話も、全集で知った▼井上さんは兄と親しかった槙村の影響で、「プロレタリア文学」などに投稿し始めた。槙村は井上さんを実の弟のようにかわいがり、静かな口調ながら、厳しく原稿を手直ししてくれたという(「遠き白い道」高知新聞社)▼井上さんは同著で「槙村とともに闘った旧友が次々と亡くなる中、今に生きる私が槙村を語るのは、ある意味で努めでもありましょう」と話していた。閃光
(せんこう)のように散った詩人の青春の記憶を、時はいや応なしに押し流す。一方で作品を通じて研究が深まり、再び見直しの機運があるのは喜ばしいことだ▼もし槙村が生きていれば100歳。「神童」とうたわれた若き俊英の命はその4分の1ほどで奪われた。つくづく戦争の愚かさを知る。(高知新聞社)

つぎは、槇村が属し、その故に治安維持法による弾圧の対象となった日本共産党の機関紙「赤旗」の記事です。

文化/反戦詩人・槙村浩生誕100年/「間島パルチザンの歌」に新たな光/高知と朝鮮人民つなぐ

高知出身の反戦詩人、槙村浩。ことしは生誕100年です。日本の支配に抗して蜂起した朝鮮人民をうたった「間島(かんとう)パルチザンの歌」(1932年)。この詩の舞台・間島と高知とのつながりも生まれ、あらためて光が当たっています。
児玉由紀恵記者
〈思い出はおれを故郷へ運ぶ/白頭の嶺を越え、落葉松(からまつ)の林を越え―〉
印象的な詩句から始まる「間島パルチザンの歌」。間島は、現在の中国延辺(えんぺん)朝鮮族自治州にあたる地域。詩は、朝鮮を統治する日本軍に抵抗する抗日パルチザンの青年(おれ)を主人公にしています。
貧窮にあえぐ朝鮮民族の姿や、「大韓独立万歳!」を掲げた19年3月1日の朝鮮全土での蜂起と日本軍の大弾圧。さらに国際連帯を奏でる200行近い長詩が劇的に展開し、終連近くではこううたわれます。
〈おれたちはいくたびか敗けはした/銃剣と馬蹄はおれたちを蹴散らしもした/だが/密林に潜んだ十人は百人となって現れなんだか!/十里退却したおれたちは、今度は二十里の前進をせなんだか!〉
この詩が発表されたのは、プロレタリア作家同盟の機関誌『プロレタリア文学』1932年4月臨時増刊号でした。
多喜二虐殺の時代
前年9月には、「満州事変」が勃発。天皇制の専制政治、アジアへの侵略に反対するプロレタリア文化運動の刊行物などは、発売禁止となり、持っているだけで捕らわれたりしました。33年には、小林多喜二が虐殺されています。
この詩が、発表の数年後には、舞台である間島地方に伝えられていたことが明らかになりました。延辺に住んだ作家の戸田郁子さんが、『中国朝鮮族を生きる』で、そのことを伝えています。戸田さんの恩師、延辺大学の歴史学者が小学生のころ(35、36年ころ)の話。日本に留学経験のあった教師が、授業中に朝鮮語でこの詩を朗読した、というのです。
日本の植民地時代に間島でこの詩が読まれていたとは! 衝撃を受けた戸田さんは2009年11月、高知を訪ねました。
「延辺をたった時は50㌢積もる大雪でした。高知に着いて南国のシュロの木や日差しの温かさに驚き、ここで育った詩人が、あの間島の風景や厳しい冬の季節を描いたのかと、胸に迫るものがありました」と戸田さん。若い日、韓国で歴史を学びながら、槙村のこの詩に民主化をめざす韓国の人々のた
たかいを重ねていました。「戦時中にこれほど朝鮮人に寄り添った日本の詩人はいません。どれほど尊いことかと思います」
2日に高知市で開かれた「槙村浩生誕100周年記念のつどい」。戸田さんは、ここで講演し、槙村の詩でつながった延辺と高知をさらに太くつなぐ「懸け橋になろう」と呼びかけました。
槙村浩の会会長で詩人の猪野睦さんは語ります。「あの時代に槙村の詩が伝わっていた話にはびっくりしました。7年近く前、文学の集いで延辺に行った時、槙村のこともこの詩のことも知られていた。槙村はここで生きていると思いました」
「記念のつどい」の成功に向けて尽力してきた高知市内の「平和資料館・草の家」の館長、岡村正弘さんは言います。「文化的な重みで〝北の多喜二、南の槙村浩〟と言いたい。9月には延辺への旅も計画しています。友好のきずなをさらに強めたいと思います」
「間島パルチザンの歌」が発表された月に検挙された槙村は、獄中での拷問、虐待に屈せず、非転向を貫きました。26歳で病没。「不降身、不辱志」(「バイロン・ハイネ」)と記した志は今も輝いています。
槙村浩(まきむら・こう)は、1912年6月1日、高知市生まれ。本名・吉田豊道。幼時から抜群の記憶力、読書力を示し、「神童」と報じられます。海南中学時代、軍事教練に反対し、30年、岡山の中学校に転校処分。『資本論』を読み、マルクスに傾倒。
31年、高知でプロレタリア作家同盟高知支部を結成し、共産青年同盟に加盟。32年、兵士の目覚めを促す「生ける銃架」、「間島パルチザンの歌」を発表。日本共産党の党員候補に推薦されます。高知の連隊の上海出兵に反対行動を展開し、4月に検挙。治安維持法違反で懲役3年に。拷問などで心身を壊し、35年6月に出所。獄中で構想した革命への情熱あふれる詩「ダッタン海峡」や「青春」「バイロン・ハイネ」、論文「アジアチッシェ・イデオロギー」などを一挙に書き、東京の貴司山治に出版を託します。
36年、高知人民戦線事件で再検挙。翌年、重病で釈放され、38年9月3日、病没
貴司山治に託された原稿は、官憲の捜索や空襲から守られ、64年、『間島パルチザンの歌 槙村浩詩集』刊行の基に。84年、『槙村浩全集』刊行。
(2012年06月24日,「赤旗」)

ところで、この記事の執筆者として「児玉由紀恵記者」と名前がでています。 実はこの方、大学時代の同じ学科・専攻の先輩です。 以前こんな記事を書きました。
防災の日に寄せて、の巻

この「大雨の中を嬉しき宅急便」の記事で、N先輩から送っていただいた宅急便のなかには、このポスターも入れてくださっていました。

懐かしいポスターです。
大学に入学仕立ての頃、同じ専攻の先輩女学生=Kさんのアパートの、室の壁に、このポスターが貼ってあったのが印象的でした。彼女が卒業される時、「形見分け」のそのポスターを無理にせがんで戴いたような記憶があるのですが、実物は見あたりません。
K さんは、大学卒業後上京され、政党機関誌「赤旗」の編集部に「就職」され、今も活躍されています。文化欄の紙面に署名入りの記事が掲載されるたびに、懐かしく励まされたものでしたが、最近は、若手を育てる立場で、自らの署名記事は余り書けないのよと、おっしゃっていました。

実は、そのkさんが、児玉由紀恵記者です。

記事を書いていて、majyo様からどんなあたたかいコメントがいただけるだろうかと、ついつい期待してしまっている自分に気づきます。改めて喪失感の大きさを痛感しています。

今朝は氷点下の冷え込みでしたが、日中は日射しがありました。午前中、眼科に花粉症の目薬、内科にいつもの血圧の薬をもらいに行ったあと、少しだけ農作業(ジャガイモ植え付け)をしていると、汗をかきました。農道にケリの姿がありました。


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今日はこれにて。

 

 


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共通テーマ:日記・雑感

あるほどのバラ投げ入れよ、の巻 [友人]

so-netブログの尊敬するお仲間、majyo様のご逝去の報をに接し、ひどく落胆しています。


みずから選んで、ホスピスにはいられ、静かに冷静に、終末を迎える準備をなさっているご様子をうかがいながら、内心、まだまだゆっくりなさって下さいと、お祈りしていました。でも奇跡は起こりませんでした。


「たいへん穏やかな笑顔を残して旅立たれた」とお聞きし、さもありなんと安心しつつ、やはり、その潔すぎる最期に、胸つぶれる思いを禁じることができません。


日々精力的に更新されるブログでの、ほとんど命を削っての発信の傍ら、拙ブログの駄記事に対しても、いつも懇ろなコメントを頂戴しました。長いお付き合いのように感じておりましたが、探ってみると、最初に誤報もにた抱いたのはこの記事だったようです。


68歳おめでとう、日本国憲法さん、の巻(2015-05-03)


この記事の中から、深紅のバラの花を、手向けさせていただきます。


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漱石に、大塚楠緒子女史を悼んで詠んだこの句があります。


有る程の菊投げ入れよ棺の中


かぐわしい菊に勝るとも劣らぬ、甘くエレガントなバラの芳香こそ、majyo様の手向けにふさわしいのではないかと、愚考する次第です。今は安らかに、ゆっくりおやすみ下さい。貴女が最期の一瞬までもとめてやまなかった、正義と道理の実現に非力ながら力を注ぐ覚悟です。


今日はこれにて。


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春浅きsの一字の欠如かな、の巻 [雑話]

先日こんな記事を書きました。


唯々駄句駄句、の巻


このブログをはじめたばかりの頃、見よう見まねで「にほんブログ村」や「人気ブログランキング」などに登録しました。はじめの頃は、そのカウントの推移をそれなりに注意してウォッチングしていましたが、最近は生地の更新そのものと、so-netブログ内の交流で手一杯で(というよりも自己充足していて)放置したままでした。最近、久しぶりにこれをクリックしてみますと、、、、、


そもそもがアナログ人間の私などには、目に見え、直に手で触れるものを、用途に応じて形を変えたり組み合わせたりして、作り出されたモノには、その仕組みや働きやついて、それなりの想像力を働かせることができます。でも、内部がどんな仕組みになっているのかまったくわからないブラックボックスの類(現代文明機器はほとんどそれですが)は、見よう見まねで操作はしますが、トラブル発生の場合の対処法がわからないので、全幅の信頼を置くことができません。デジタル機器そのものはもとより、いわゆるアプリケーションソフトなるモノも、マニュアルに指示されて操作させられているだけで、ご機嫌を損ねると突如友好関係を遮断され途方に暮れることになります。
ネット上のサービスなどもまったくそれで、この「ブログランキング」というサービスも、どんな仕組みでアクセス数がカウントされるのかもわからないまま今日に至ります。以前は、クリックすると自分のブログの順位と、その前後のブログが表示されていたように思うのに、最近、上位のブログから順に紹介はされるのですが、当ブログにまでたどり着くことができません。これではブログ作成の「励み」になるどころか、訪問して下さった方に対しても何の参考にもならないではないか、などと思ったりしていました。


それが、ふとした機会に重大なことに気がついたのです。


この「ランキング」サービスに登録したときは、so-netブログがまだ「常時SSL化」する以前でした。と言うことは、登録済みのURLはhttpだったので、現在はhttpsに変更しなければならない、、、、のではないか?「s」一文字の不足が思わぬ影響をもたらしていたらしいのです。


早速、訂正してみましたが、効果はどうでしょう?


立春を過ぎても寒い日が続き、「春浅し」を感じます。


今日は午前中、仲間うちのプチ学習会があり、駐車場所から三〇分ほど歩いて参加しました。寒々しい空の下、岡山城が見えました。


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今朝のニュースによりますと、後楽園では、昨日、この時期恒例の芝焼きが行われたそうです。


岡山後楽園のHPを覗くとこんな記事がありました。


恒例行事「芝焼き」 平成31年2月14日(木)

園内に広く敷かれた芝を、順番に焼いていきます。芝を焼くことで、春の芝の芽出しを揃えるのと病害虫の駆除の効果があります。

冬枯れで黄金色になっている芝が、炎とともに漆黒へと変わって行く様子は、この時期の後楽園の風物詩となっています。

炎とともにみるみる内に真っ黒に

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一年に一日だけの景色

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翌日朝には灰を掃いていきます

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こちらもご覧下さい https://www.youtube.com/watch?v=1Ga3wX4zF7U

【開催日時】

  平成31年2月14日(木)

午後1時~3時


今夜は雨で、週末から暖かくなっていくそうです。春はそこまでやってきているようです。




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またまた不適材露見、の巻 [折々散歩]

またまた不適材不適所のお方にスポットライトが当たっています。


@ニフティニュースの記事桜田五輪相が発言撤回、母が白血病だった議員が追及(2019年02月13日 16時50分 日刊スポーツ)から引用します。


桜田義孝五輪相は13日の衆院予算委員会で、競泳の池江璃花子選手の白血病公表について「本当にがっかりしている」「盛り上がりが下火にならないか」と発言した自身の発言を「配慮を欠いた」とし、「おわびをして撤回させていただく」と述べた。「治療最優先で頑張ってほしい」とも述べた。

白血病での闘病経験があり、奇跡的に元気になったという母親を持つ立憲民主党会派の寺田学議員が、白血病と闘う患者と家族の大変さを、とつとつと説明した。

ときおり涙声になりながら「大臣にとって選手はメダルを取るだけのコマなのか」と責任を追及したのに対し、桜田氏は紙を読みながら、反省の弁を述べた。寺田氏は「怒りに震える」と、声をふるわせた。

寺田氏に、「あなたは五輪を担当する資格はまったくない」と辞任を求められたが、桜田氏は「職務を全力でまっとうする」と、辞任要求を拒否した。「今までの分を、挽回できるよう、一生懸命務めたい」と繰り返した。


このお騒がせ大臣、そう言えば、以前、こんな記事で話題にさせていただきました。


桜田大臣、お気の毒です。不適材をテキトーな場所に当てはめられた悲劇。年齢もさほど離れておられないようですので、ITだの電脳だのの世界になじめないのは、よくわかります。同世代でも、私ども下積みの人間は、否も応もなくPCの奴隷として働かされる場面に追い込まれ、周囲にメーワクをかけながらPC作業をこなす羽目になり、今日にいたっています。

その点桜田氏などは、上に立つ身であるので、部下の「作業層」に命じてやらせておけば良かったと言うわけでしょうな。けれども、こと担当大臣ともなれば、事柄の基本知識は押さえておかないと、判断に困ることは自明。ルールも知らずにスポーツチームの監督を勤めるようなもの、というちまたの批判は、至極当然と思えます。と書きながら、若かりし日の苦い記憶が蘇ってきました。高校には生徒の部活動というものがあり、教員は二つ三つ掛け持ちで、「顧問」という仕事を与えられます。得意な分野ならまだしも、いつもそうなるとは限りません。未経験の故に技術指導ができないだけならまだしも、ルールもセオリーも知らないまま、時には試合の引率を任されることもあります。よくできた生徒たちで、選手(キャプテン)がベンチにいる私に合図をよこすので、すかさず審判にタイムを申し出る、と言うようなヒヤヒヤものの試合は、なかなか心臓に応えます、大粒の汗も噴き出ようというもの。桜田サン、お察しします。心身の健康上も、名誉の上からも、不適な部署はお辞めになるのが最善と思いますがいかがでしょう。


この方、一躍海外にも名が売れたようで、J-CASTニュース(2018/11/16 付)「最強のセキュリティー」 桜田五輪相、PC出来なさすぎて海外で「大人気」に、こんな記事が載っていました。


サイバーセキュリティ基本法改正案を担当する桜田義孝五輪相が国会答弁で「自分でパソコン(PC)を打つことはありません!」と断言した問題は、海外メディアでも波紋を広げている。 「驚く」「不可解」といった声が多いが、PCを触ったことがない桜田氏を「システムエラー」「ある種の最強のセキュリティーだ」と皮肉る声も相次いでいる。海外主要紙が相次いで取り上げるなど、「大人気」ともいえる状況だ。 桜田義孝五輪相の発言が国外でも波紋を広げている。

「ハッカーが桜田大臣を標的にしても、情報を盗むことはできないだろう」 ロイター通信は、桜田氏が「東京五輪に向けたサイバーセキュリティー対策の準備の監督責任者であるにもかかわらず」PCを使ったことがなかった、と報じ、ニューヨーク・タイムズ紙は、 「コンピューターを使わない人も多いだろうが、その多くは国家のサイバーセキュリティーを担当してはいないだろう。でも、そういう人が実際にいるのだ」 と、皮肉を交えた。

(中略) 英ガーディアン紙は、見出しで、 「システムエラー:日本のサイバーセキュリティー相、コンピューターを一度も使ったことがないと認める」 という見出しでからかい、記事本文では、ツイッターで 「ハッカーが桜田大臣を標的にしても、情報を盗むことはできないだろう。ある種の最強のセキュリティーだ」 といった皮肉めいた声があがっていることを紹介した。

「驚きの告白」

「軽率な発言をするという、積年の評判がある」 ワシントン・ポストは、桜田氏の発言を「驚きの告白」と紹介。16年に慰安婦について「職業としての娼婦」だと述べて撤回に追い込まれたことを例に、「軽率な発言をするという、積年の評判がある」と紹介。


先日の国会答弁でアベさんが、「悪夢のような民主党政権」とおっしゃいましたが、国民にとって悪夢は、オヤブンをはじめ、揃いも揃った不適材からなアベ政権ではないでしょうかね?


国会中継聞いても、鬱憤がたまる一方ですので、今日もプチ散歩にでました。


ツグミ。


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アオジ。


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カルガモ。


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オオヨシガモ。


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メジロ。


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ジョウビタキ♂。


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さようなら。


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今日はこれにて。


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黒山の頭の影から梅を観る、の巻 [折々散歩]

一昨日の後楽園散歩で、偶然タンチョウヅルの放鳥にでくわしました。そういえば、同じようなラッキーな出逢いが、前にもありました。当時小学校低学年の男の子と、保育園児のあんなの子を連れて入園したところ、たまたま鶴の散歩日だったのです。2015-11-01の記事でした。


孫と歩けば鶴に当たる、の巻


今日は、いつになく、大変な数の入園者。どうしたことでしょう。
カメラを構えた人々の注目先を見てみると、いつもは檻の中に住んでいる鶴が、今日は飼育員の方と散歩をしています。

そして、空を舞う姿も。


この時は、紅葉の季節でしたが、今回は梅が見頃です。


タンチョウを見物する一大集団とは別に、梅園周辺も黒山の人だかりで、ユックリ撮影するゆとりはありません。いつもですと、梅の品種名も合わせて記録しておくところですが、今回は人影の隙間から覗き撮りです。


OLYMPUSpl7+Panasonic LUMIX G VARIO 14-45で写しました。


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下の写真は、リコーGXR+マウントa12(ライカMマウント)+インダスター61(廉価ロシアレンズ)にクローズアップレンズNO3を装着して写しました。










このオールドレンズシステム、なかなか面白いです。


付録は、OLYMPUSpl7+Panasonic LUMIX G VARIO 14-45による岡山城と後楽園のスケッチ。


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椿も咲いていました。


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今日はこれにて。


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門かどに子らの声ある雪の朝 [折々散歩]

どちらかというと暖地に属するわが地方にも、昨夜遅くから雪が降りました。

庭の槙の枝にも、未明にはこれだけつもり始めていました。

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未明から早朝にかけてかなり強い雪で、ちょっと車で出かけるのもこわごわです。

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田園もにわかに雪景色です。

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日が昇る頃には、あちらでもこちらでも、子どもたちの弾む声が聞こえてきます。少子化が進んでいますが、それでも、雪は子どもたちを戸外に誘うようです。

ここで一句。

門かどに子らの声ある雪の朝

声変わりの声も弾むや雪の朝

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エンドウ豆のツルにも雪帽子です。

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昼前に箱の雪も止み、日が射し始めました。

庭の南天の雪も、融けてシャーベット化しています。

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プチ散歩に出かけました。

コガモは元気。

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ダイサギもお変わりなさそう。

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カワセミほか、幾種類かの小鳥に会いましたが、撮影は不成功。

農作物も雪に覆われています。

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雪と紅梅のコラボも楽しめました。

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昨日は、後楽園で観梅と洒落込みましたが、その写真は次回に。今日はこれにて。


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ケラだってリベンジしたい時もある、の巻 [折々散歩]

前回の記事で、いったん後楽園観梅散歩を思い立ちながら、寒さにくじけて引き返し、「螻蛄の水渡り (けらのみずわたり)」ということわざを思い出しました。

でも、あれこれの梅情報を聞くにつけても、心浮き立ち、再度観梅行を試みることにしました。時には螻蛄も、リベンジを試みて対岸まで渡りきろうと思い立つことがあるかも知れません。

昨日は、小学生の孫二人とジイジバアバで、郷里の老父母のもとを訪ねましたので、観梅とは行きませんでした。

近所の川で探鳥です。

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ここには毎年ヒドリガモの群れが飛来すると思っていましたが、どうやらオナガガモも沢山やってきているようです。

川原が荒れています。夏の洪水の影響でしょうか?石投げをして遊びます。鳥を脅しているわけではありません、念のため。

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先日のリベンジのつもりで、寒いけれど後楽園に行ってみました。なぜか、いつになく駐車場が一杯です。まるで4月の桜の時期のような、車の数です。いぶかしい思いで入園してみると、、、この人だかりは何でしょう?

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タンチョウです。はい、タンチョウはタンチョウでも、タンチョウヅル(丹頂鶴)です。

丹頂鶴の「園内散策」というサービスが行われる日だったようです。

後でHPを見て、今日が限られたチャンスだったことを知りました。ラッキーでした。

http://www.okayama-korakuen.jp/2018/08/post-9.html

園内で飼育しているタンチョウを園内に放す"タンチョウの園内散策"

後楽園では、江戸時代からタンチョウをはじめとする様々な鶴を飼育しており、「瑞鳥」として大切にされてきました。

終戦後一時途絶えましたが、昭和30年、岡山の旧制第六高等学校で学んだことのある中国科学院院長の郭沫若(かくまつじゃく)氏からタンチョウ2羽が後楽園に贈られました。

今では、岡山県は全国一のタンチョウ飼育県となりました。

(平成30年7月現在62羽)

タンチョウの園内散策は、従前より毎年元日に行っているほか、平成24年からは秋の観光シーズン等にも実施するようになりました。

後楽園のタンチョウについては、詳しくはこちらをご覧ください。

http://www.okayama-korakuen.jp/info/crane/

(中略)

後楽園では8羽のタンチョウを飼育しています。

普段はケージの中にいますが、下記の日程だけは、ケージから出して園内を散策させます。タンチョウの優美な姿をお楽しみ下さい。

【実施日時】

平成31年・・・

1月1日(火・祝)・3日(木)   11:00~14:00

2月3日(日)・10日(日)        10:00~11:00

探鳥にも成功しました。

カメラマンさんの長いレンズの先をたどると、カワセミがいました。

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当初の目的だった観梅はどうなったでしょうか?

こちらもカメラの列です。

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ホントに今が見頃でした。

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残りの画像は次回ご紹介することにします。

今日はこれにて。


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観梅も近場で螻蛄の水渡り [折々散歩]

昨日までとはうって変わって、凍える寒さが戻ってきました。

先日来、テレビなどで、岡山後楽園の梅が見頃と報じられています。今日は時間が取れそうなので、優雅に観梅と洒落込もうかと、出かけてみました。が、ただならぬ寒さと風の強さが思われて、途中で引き返してきました。こんなことがよくあります。初志貫徹どころか、なんでも中途半端で終わるのが常です(涙)。

こんなことわざがあるそうです。

螻蛄の水渡り
読み方     けらのみずわたり
意味     初めは熱心で、途中でやめてしまうことのたとえ。また、努力しても成し遂げられないことのたとえ。土の中にいる螻蛄は水中に入ると泳ぎだすが、大きな川などは泳ぎきることができないことから。

自画像を見るようで、お恥ずかしいかぎりです。

途中で水渡りを諦めて引き返したケラも、肩身狭く、ひそかに自責にかられていることでしょう。私も、そのまま帰宅するのも心ぐるしくて、経路を変えて自然環境体験公園へむかうことにしました。

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シロハラもお出まし。

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コサギ。

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セグロセキレイ。

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オオバン。

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カワセミも登場しましたが撮影に失敗。

PENTAXK5Ⅱ+AFBORG45EDなのですが、なぜか合焦しにくい、撮影画像も、どこか、ボーグらしからぬぼやけた印象です。不審に思って帰宅後よくよくレンズを点検してみると、ボーグ45EDのレンズ部分を鏡筒に接続する際に、前(対物側)後(カメラ側)の向きを逆にしていました。この結果、レンズの先につけたいるはずの保護フィルターが、レンズの内側(カメラ側)に挟まってしまっていました。(うまく説明ができませんが)どうも、これが画質を低下させているようです。

リコーGXR+ MOUNT A12(lライカmマウント互換)+廉価ロシアレンズ インダスター61 に、クローズアップレンズno3を付けてみました。

マンサクです。

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観梅もできました。

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PENTAXQ+望遠ズーム06。

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今日はこれにて。


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TV電話デビュー、の巻 [折々散歩]

離れて住む孫の誕生祝いのTV電話をかけることが、妻がタブレットを始めた動機でした。今晩、やってみたらうまく通じました。でも、「誕生日は明日だよ」、、、のオソマツでした。

昨日の記事で、メジロを紹介しました。

そばに咲いていた梅と合わせて、ウメジローの話題に持って行こうと考えていましたが、書くうちに忘れてしまっていました。

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それより何より、梅+メジロのコラボは成立せず、ウメジローは撮影できませんでした。

昨日の散歩で他に出会った鳥を追加しておきます。遠いのでトリミングしています。

ヒヨドリ。

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ジョウビタキ♂。

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カワラヒワ。

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アオジ。

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そして、この恥ずかしがり屋は?

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飛びました。

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どうやら、シメでした。

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きょうはこれにて。


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唯々駄句駄句、の巻 [折々散歩]

このブログをはじめたばかりの頃、見よう見まねで「にほんブログ村」や「人気ブログランキング」などに登録しました。はじめの頃は、そのカウントの推移をそれなりに注意してウォッチングしていましたが、最近は生地の更新そのものと、so-netブログ内の交流で手一杯で(というよりも自己充足していて)放置したままでした。最近、久しぶりにこれをクリックしてみますと、「写真ブログ」「写真日記」などのカテゴリーの他、「俳句・短歌」などというジャンルにエントリーしていたことを思い出しました。


そう言えば、毎回、指を折って、五七五(七七)をでっち上げる苦労をしていましたっけ。しだいに、これがハードルになって、ブログ更新そのものが苦痛になり、それより何より「句」そのものが作れず、非才・無能を痛感することが度重なって、いつの頃からか、「俳句・短歌」とは無縁の記事になっていました。


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初心に戻って、久しぶりに「句作」に挑んでみたのですが、、、、なんにも「降りてくる」ものがありません。とほほです。


「唯々諾々 駄句駄句(ただただだくだく)」を書き連ねます。


【節分】


福は内福は内とて豆を蒔く


「鬼は外」敢えて小声の鬼遣らい


追はれたる鬼の子雨に寒かろう


・「鬼は外」を唱えない寺社や地方もあるそうですね。鬼の身内であったり子孫であったり、あるいはまた、鬼よりも圧倒的に強い霊力を持つ寺社であったり,いろいろな事情があるようです。たとえばこの記事節分にちなんで、の巻(2017.02-03)では、こんな記事を書きました。


ところで、豆まきのかけ声について、こちらhttps://allabout.co.jp/gm/gc/220642/) に興味深い記事がありましたので引用させていただきます。

●仏立山真源寺(東京都台東区) →「福は内、悪魔外」
鬼子母神を御祭神としており、「恐れ入谷の鬼子母神」で有名。鬼子母神とは、他人の子供を襲って食べてしまう鬼神でしたが、見かねたお釈迦様が彼女の末子を隠し、子供を失う悲しみを諭します。それ以来仏教に帰依するようになり、子供の守り神となりました。
●鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町) →「福は内、鬼は内、悪魔外」
鎌倉時代の勇将・畠山重忠の館の鬼門除けとして建立したので「悪魔外」。また、金棒を持った鬼が奉納されているので「鬼は内」です。
●元興寺(奈良県奈良市) →「福は内、鬼は内」
寺に元興神(がごぜ)という鬼がいて、悪者を退治するという言い伝えがあります。
●稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町) →「福は内、鬼は内」
「鬼王」として「月夜見命」「大物主命」「天手力男命」の三神を祀っています。
●天河神社(奈良県天川村) →「鬼は内、福は内」
鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされているため、前日に「鬼の宿」という鬼迎えの神事を行い、鬼を迎い入れてから節分会をします。
●金峯山寺蔵王堂(奈良県吉野郡吉野町)→「福は内、鬼も内」
全国から追われた鬼を迎い入れ、仏教の力で改心させます。
●千蔵寺(神奈川県川崎市) →「福は外、鬼は内」
厄神鬼王(やくじんきおう)という神様が鬼を堂内に呼び込み、悪い鬼に説教をして改心させ社会復帰させます。
●大須観音(愛知県名古屋市) →「福は内」のみ
伊勢神宮の神様から授けられた鬼面を寺宝としているため「鬼は外」は禁句です。
●成田山新勝寺(千葉県成田市) →「福は内」のみ
ご本尊の不動明王の前では鬼も改心するとされています。

鬼さん、いらっしゃ~い 【地域編】

●群馬県藤岡市鬼石地区 →「福は内、鬼は内」
鬼が投げた石でできた町という伝説があり、鬼は町の守り神。 全国各地から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節分祭」を開催している
●宮城県村田町 →「鬼は内、福も内」
羅生門で鬼の腕を斬りとった男(渡辺綱)が、この地で乳母にばけた鬼に腕を取り返されてしまったため、鬼が逃げないよう「鬼は内」という。
●茨城県つくば市鬼ケ窪 →「あっちはあっち、こっちはこっち、鬼ヶ窪の年越しだ」
あちこちで追いやられ、逃げ込んできた鬼がかわいそうで追い払うことができないため「あっちはあっち、こっちはこっち」。節分の豆まきは新春(春分)を迎える前日の厄払いであり、昔は新年を迎える前日としてとらえていたので「鬼ヶ窪の年越しだ」と言っていたそうです。
鬼を追い出すと家が困ってしまいます 【家の事情編】

●鬼頭さん、鬼沢さん、九鬼さんなど名字に「鬼」のつく家 →「鬼は外」以外の口上が多い
鬼を追い出してしまったら、縁起が悪いです。
●伝統的な商家 →「鬼は内」
商家では鬼=大荷としてとらえ、大きな荷物が内 (家・お店)に入らないと商売繁盛につながらないため、「鬼は内」というところが多いのです。
●ワタナベさん →鬼を退治する必要がないので、「鬼は外」と言わない(豆まきもしない!?)
平安時代に渡辺綱が鬼退治をしたため、鬼たちがワタナベ一門を恐れ、子孫にも近づかなくなったという説があります。

いずれも「なるほど」ですが、前回記事でご紹介した「おにたのぼうし」もまた、「鬼は外」のかけ声をためらわせます。
おにたは黒鬼の子どもです。


おにたは、きのいい おにでした。きのうも まことくんに、なくした ビーだまを こっそり ひろってきてやりました。このまえは、にわかあめの とき、ほしものを、ちゃのまに なげこんでおきました。おとうさんの くつを ぴかぴかに ひからせておいたことも あります。でも、だれも おにたが したとは きがつきません。
まめまきの おとを ききながら、おにたは おもいました。(にんげんって おかしいな。おには わるいって、きめているんだから。おににも、いろいろ あるのにな。にんげんも、いろいろ いるみたいに。) そして、ふるい むぎわらぼうしを かぶりました。つのかくしの ぼうしです。こうして、かさっとも おとをたてないで、おにたは、ものおきごやを でていきました。


おにたは粉雪の舞う寒い路地をさまよいますが、どの家も玄関に鬼よけのひいらぎが飾られていて入ることができません。とおりかかったトタン屋根の水簿らしい家には柊も飾られて織らず、豆のにおいもしません。その家に住むお母さんは病気で伏せっており、女の子が献身的に看病していました。 おにたはお腹をすかせた女の子のために食べ物を調達し、節分であまったご馳走だと言って、差し入れします。


「あたしに くれるの?」 そっと ふきんを とると、あたたかそうな あかごはんと うぐいすいろの にまめが ゆげを たてています。おんなのこの かおが、ぱっと あかくなりました。そして、にこっと わらいました。

おんなのこが ふっと なにか かんがえこんでいます。「どうしたの?」 「もう みんな、まめまき すんだかな、と おもったの。あたしも まめまき、したいなあ。」 「なんだって?」 「だって、おにが くれば、きっと おかあさんの びょうきが わるくなるわ。」 おにたは てを だらんと さげて ふるふるっと かなしそうに みぶるいして いいました。「おにだって、いろいろ あるのに。おにだって……」 こおりが とけたように、きゅうに おにたが いなくなりました。あとには、あの むぎわらぼうしだけが、ぽつんと のこっています。


恵方巻黙して喰うは至難哉


豆撒きも兄弟げんかの種となり


・孫達は競い合って恵方巻きづくりにチャレンジし、それぞれ見事な仕上がりでした。ですが、鮭の刺身や、イクラなど、稀少な具材を、誰が沢山消費したかといったきっかけで、諍いが始まります。恵方巻き、豆撒きなど非日常の雰囲気に、テンションが高まってか、ささいなことが衝突の引き金になります。


とりあえずは、平和なればこそのこと。ささやかな幸せのあかしでもあるでしょう?


【立春】


春立てば風てきめんにやわらかく


春立つ日窓全開にドライブす


春立つや足腰の痛みやわらぎぬ


疼痛の癒ゆる道理冬果つる


・立春の朝は、未明から文字通り春の暖かさでした。クルマを走らせながらも、窓を開けてみたくなります。吹き込む風もここちよいくらいでした。


身動きしたり、道を歩いたりするだけでも、疼くほどだった身体のふしぶしの傷みが、すっかり緩和しました。「疼痛」の「疼」、「疼く」という文字を、やまいだれに冬と書くことに改めて思い至りました。それだけのことですが、理屈っぽくなって、俳句には不向きでした(汗)


理屈っぽいと言えば、毎年のように話題にしている貫之の歌が思い浮かびます。


◇木蓮のつぼみ柔らに春立ちぬ(2014-02-04)


春立ちける日詠める・紀貫之
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらむ

古今集の撰者の一人、紀貫之の歌です。
「春立ちける日」とは、暦の上で立春になった日、という意味。つまり今日のことです。

学研全訳古語辞典を引用します。

[訳] 夏の日の袖がぬれるまでにして手にすくった水が、冬の間凍っていたのを、立春の今日の風が解かしていることであろう。

鑑賞:季 節の推移を水の変化(水→氷→水)によって巧みに表現して、立春を迎えた喜びを詠んだもの。「むすび」は「掬(むす)び」と「結び」との、「春」は「張 る」との、「立つ」は「裁つ」との掛け詞(ことば)。「結ぶ」「張る」「裁つ」「とく(解く)」は、「袖」の縁語。末尾の「らむ」は係助詞「や」の結び で、助動詞「らむ」の連体形である。

この歌を現代語で解釈しようとすると、理屈っぽくなってしまい、歌としてはどうなの?と突っ込みたくなりますね。

そもそも、歌っている季節は春なの?夏なの?冬なの?

極めつけは、これでもかと言わんばかりの修辞や技巧。「サムイ親父ギャグ」並の言葉遊びですか?

古今集の歌風の特徴をなす、「優美・繊細・理知的」といった傾向は、大なり小なり「理屈っぽさ」と形式重視の頭でっかちに傾きがちで、貫之はといえばその歌風の推進者ですから、無理もないのですが。

でもこの歌、その鼻につく理屈っぽさと言葉遊びの を少々大目に見てやると、こめられている季節感なり歌の調べなりは、なかなか捨てたものでもなさそうです。

「立春」という知的認識がもたらす観念的・論理的連想が、情緒的・体感的な感覚を伴って心象風景となって繰り広げられ、みずみずしいといってもいい季節感を醸しているではありませんか。特に「泉の水」というピンポイントに照準を合わせて、うつりゆく季節の時間的推移が複層的に読み込まれています。

それを図式化してみると、
緑の葉のおい茂る夏のほとばしる清水の冷涼さ(=過去)
→厳しい冷え込みに泉も凍り付く真冬の冷たさ(直前)
→立春(現在)
→そよ風が氷を溶かしているであろう想像上(願望上の)情景(想像上の現在~近未来)

といった具合でしょうか?実際のその目で確かめた春ではありませんが、「立春」であるからには、今頃は、かならずや山の泉の氷も溶けて春が訪れているだろうと、心の中にはありありと、穏やかな春の訪れが「体感」されているのです。 


以上、無理矢理の、「俳句・短歌」ブログでした。


以下「写真ブログ」になります。今日は午後、憲法問題の学習会がありました。午前中、短時間散歩しました。昨日よりは少し気温が下がりましたが、今日も上天気でした。自然環境体験公園で、メジロを写しました。



自然環境体験公園のメジロ
自然環境体験公園のメジロ posted by (C)kazg 自然環境体験公園のメジロ
自然環境体験公園のメジロ posted by (C)kazg 自然環境体験公園のメジロ
自然環境体験公園のメジロ posted by (C)kazg



 自然環境体験公園のメジロ
自然環境体験公園のメジロ posted by (C)kazg 自然環境体験公園のメジロ
自然環境体験公園のメジロ posted by (C)kazg 自然環境体験公園のメジロ
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今日はこれにて


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孫の手作り恵方巻きほか、の巻 [今日の暦]

午後は雨、という予報でしたので,午前中プチ散歩をしておきました。


原因不明の、節々の痛みは昨日よりは、かなり解消しました。雨が降る前にと、ジャガイモ植え付け予定の畑に堆肥や肥料を混ぜ込む作業を、今朝も短時間やっておきました。思えば,最近何度か繰り返しているこの作業が,ある種の筋肉痛を招いたのかも知れません。あるいは、肩にかけたカメラバッグを、よいしょと位置を変える際にも、こわばった痛みを感じますので、寒い中、思い機材を持ち歩いたせいかとも反省してみます。


と言うわけで、今朝のプチ散歩は出来るだけ軽量コンパクトでと、割り切って、PENTAXQ7+標準単焦点レンズ(01 STANDARD )だけをポケットに入れて歩く、、、つもりでしたが、やっぱり望遠系レンズを持っていなかったら後悔するはず、、、と思ったばかりに、手頃な場所に置いてあったPENTAXK10D+DA55-300mmを持ち出す羽目になりました。雨が降り始める前に帰るつもりでしたので、雨対策はしませんでした。


PENTAXQ7+01 STANDARD だと,広角系の写りになります。


散歩道添いの畑の白梅。


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ロウバイも艶やか。


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やはり、望遠系で写したくなりました。


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こちらの紅梅は盛りを過ぎたようです。


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今日の夕食は、孫一家が恵方巻きをつくるというので,お呼ばれしました。


まず小5男子が3本ほど作り、


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妹もチャレンジし、


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負けじと中学生も参加。


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恵方に向かってみんなでいただきました、美味しゅうございました。


小2女児が昼間の間につくった豆まきセット(段ボールづくりの鬼の立体模型と新聞紙を丸めてつくった豆ボール)でひと遊びしながら、市販の福豆をポリポリ食べて、楽しい豆まきでした。


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我が家のピアノの上には、いろいろな絵本が並べて立てかけてあり、なぜか、その中の一冊に「おにたのぼうし」(ぶん/ あまんきみこ え/いわさきちひろ)があります。


 


 



おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)

おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)

  • 作者: あまん きみこ
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 1969/08/01
  • メディア: 単行本



哀しい鬼のお話です。


今日はこれにて。


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マンサク咲く,の巻 [折々散歩]

今朝も氷点下です。島根県の松江市や。鳥取市よりも最低気温が低いなんて、こんなこともあるのですね。

朝、起きてみるとストーブが灯油切れです、そして、ポリタンクも空っぽ。というわけで暗闇の中をセルフの石油スタンドまで買い出しです。

3歳の保育園児が、生活発表会だというので、見学に行きました。駐車場も限られているので徒歩で出かけましたが、ここ何日か、腰、脇腹、背中のあたりに、予期できない痛みが走り、うめき声を漏らしながら歩いています。情けないことです。

寒さで身体が硬直しているせいでしょうか、湿布薬を貼って、少しは緩和したようなのですが、姿勢によってはずきっと痛みます。

何とかたどり着くことができた保育園。満員の観客の中、劇や音楽を、元気に演じてくれました。

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帰り道、マンサクの花が咲いているのに気づきました。

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春よこい,と改めて指おり数えます。

「春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする

【作詞】松任谷由実【作曲】松任谷由実 」


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