「なんくるないさー」のTシャツの女の子、の巻 [家族]
高知旅行から帰った26日(日)の夕方、花火をしようとお呼びがありました。
小学生の孫達は、翌月曜日は登校日、絵や作文など宿題を持って元気に行ってきました。
下校してきたときは汗だくで、喉が渇いたと、飲料水をがぶ飲み。無理もありません。お昼御飯は、ジイジ特製のスパゲッティ・ナポリターナでした。ニンニク・バジルなど、自家製野菜の味と香りは、ピカイチのはずですが、たまたまあり合わせの鶏胸肉や、なすび、玉ねぎ、シメジタケ、ハクサイなどの具が多すぎて、期待ほどには食が進まない様子でした。
今日は「なんくるないさー」のTシャツを着て、熱にも動じず元気(?)です。先日、研修で沖縄へ行ってきたお父ちゃんのお土産でしょうか?
きれいさっぱり新規インストールで光明みえたとおもったが、の巻
沖縄方言の「なんくるないさー」につて、「にこにこ大百科」にはこう解説されていました。
なんくるないさーとは、琉球方言で「何とかなるさ」という意味である。
概要
言語学的な概要
現在では標準語の「何とかなるさ」等とほぼ同義に使われることが多い。
語源に照らせば「自然と、ひとりでに」を意味する『なんくる』(< 汝(なれ)から)に「成る」を意味する『ない』(<成り)と放言(方言?引用者柱)の終助詞『さー』(< さ)がついたもので、「自然と(あるべき様に)なるものだ」というのが本来の語義である。つまり、音の並びは似ているものの「何とかなるさ」や「72(は肩が)凝らないさ」との直接の繋がりは無い。
元々は「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」という定型句を構成する言葉であり、その意味するところは「真そーけー=(人として)正しい行いをしていれば」「なんくるないさ=自然と(あるべき様に)なるものだ」、つまり「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る」ということであり、儒学者胡寅(こいん)著『致堂読史管見』に由来する諺「尽人事而待天命=人事を尽くして天命を待つ」や英語の諺 "Do the likeliest, and God will do the best." に相当する言い回しであった。
「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る」 沖縄の人たちが、踏まれても踏まれても、くじけることなく、辛苦に耐えて自然体で明日に向かって希望を失わないでいられる大本には、このような揺るがぬ世界観・人生観が確として存在するのでしょう。翁長さんの生き様もしかり、翁長さん亡き後の後継づくりの過程もしかり、毅然と立って揺らぐことのない玉城デニーさんの潔さもしかり、それを渾身の力で推す「オール沖縄」の県民の皆さんの不屈の頑張りもしかり、と、改めて思います。
とはいえ、「なんくるないさー」のTシャツの女の子は、さすがに食欲がなく、ジュースやお菓子を少々口にするだけで、つくった昼食もほとんど食べようとしません。
午後はバーバがパートから帰って、少しはゆとりも生まれ、さらには、先ほどからお昼寝もしてくれたので、パソコンに向かってブログを書く余裕もできました。
動物園へ行った、の巻(3) [家族]
鳥類
数字は点数(頭、羽、匹)
ダチョウ目
ダチョウ科
ダチョウ 1
オウム目
インコ科
ボタンインコ 49
ベニコンゴウインコ 2
パタゴニアイワインコ 1
キエリボウシインコ 1
フジイロボウシインコ 1
オウム科
コバタン 1
キバタン 1
オオバタン 1
コキサカオウム 3
シロビタイムジオウム 6
カモ目
カモ科
シナガチョウ 4
シロガチョウ 5
アイガモ 3
マガモ 1
シロアヒル 1
コールダック 16
オシドリ 7
キジ目
キジ科
チャボ 5
ハッカン 4
ニホンキジ 1
コウライキジ 1
ベニジュケイ 2
キンケイ 2
オウゴンキンケイ 1
インドクジャク 3
コウノトリ目
サギ科
アオサギ 1
トキ科
アフリカヘラサギ 4
ショウジョウトキ 4
ワシタカ目
タカ科
トビ 2
ツル目
ツル科
マナヅル 1
ホオジロカンムリヅル 3
ハト目
ハト科
シロクジャクバト 3
フクロウ目
フクロウ科
オオコノハズク 1
ホンドフクロウ 2
シロフクロウ 2
フラミンゴ目
フラミンゴ科
ベニイロフラミンゴ 9
チリフラミンゴ 42
ヨ-ロッパフラミンゴ 19
ペンギン目
ペンギン科
マゼランペンギン 12
ペリカン目
ペリカン科
モモイロペリカン 2
動物園へ行った、の巻(2) [家族]
池田動物園(岡山市北区京山)は16日、インドゾウのメリー(雌)が14日に死んだと発表した。約半世紀にわたり、同園の人気者として親しまれてきたが、数年前から両前足の傷の治療を受けるなど体調が悪化していた。
同園によると51歳。14日午前8時ごろ立てなくなり、同午後8時ごろ死んだ。腹ばいになって荒い息を繰り返していたが、最期は眠るようだったという。
8年前に両足の膝がひび割れ、5年前から前足裏などが化膿(かのう)して消毒治療を続けていた。死因は不明だが、「老齢に加え、傷が影響したのかもしれない」と同園。
2歳だった1967年5月、タイから来園。体高2・7メートル、体重約3トンで、園の出入り口の正面にあるおりで暮らし、園の“顔”として知られていた。節分を前にした今月2日には、野菜と果物で作った恒例の「恵方巻き」のプレゼントを受けるなど13日までは入園者に姿を見せていた。
18日からおりの前に献花台を設け、写真などを飾る。同園の赤迫良一総務部長(57)は「多くの方に愛された存在で沈痛な思い。長い間動物園を支えてくれて『ご苦労さまでした』と言いたい」と話した。
すっかり満足して帰ろうとしかけた頃、像のお食事タイムがはじまりました。インド象のメリーさんは、50歳だそうです。長い間この動物園の花形スターをつとめてきました。
天皇陛下の姉で、昭和天皇第四皇女の池田厚子さん(86)が園長を務める池田動物園(岡山市北区)が存続の危機に立っている。入園者数の低迷で経営が苦しく、累積赤字は2億円を超える。旧岡山藩主・池田家の当主が1953年に開園した由緒ある動物園を守ろうと、地元住民らが公営化を求める署名活動を展開している。同園は将来像を検討する有識者会議を月内にも発足させ、株主でもある市も参加する。【林田奈々】
岡山市民ら公営化求め署名活動
動物園(約8万平方メートル)の入り口をくぐると、すぐそばに空っぽの獣舎がある。園の顔だったインドゾウのメリーがいたが、2016年2月に死んだ。ライオンやレッサーパンダなど112種類の動物を飼育する園の獣舎は、開園当初から使っているものが多く、さびや塗装のはげが目立つ。長女(1)を連れて訪れた近所の主婦(30)は「以前に比べて寂しくなった。子どもたちのためにも何とか続いてほしい」とつぶやいた。
池田動物園の前身は、池田家の第16代当主、故池田隆政さんが営んでいた牧場だ。隆政さんは1952年に厚子さんと結婚し、牧場内に新居を構えた。翌年、トラやライオンを加え、動物園と改称。自身が初代園長に就いた。
昭和天皇や天皇陛下が来園されたこともあり、88年にジャイアントパンダが一時来園した際には年73万人の来場があった。隆政さんは2012年に亡くなり、厚子さんが園長となった。
レジャーの多様化もあって、00年度以降の年間入場者数はほぼ10万人前後にとどまる。昨年2月期の事業報告書によると、入園料などの収入約1億4400万円に対し、人件費や動物の餌代などで約1億5600万円の支出があった。1200万円余りの赤字となり、累積赤字は2億5000万円に膨らんだ。厚子さんが私財を投じて何とか穴埋めしている状況だ。大型動物の高齢化も進み、16年のゾウに続いて17年には国内最高齢のベンガルトラが死んだ。
地元住民らは16年5月から公営化を求める署名活動を始め、昨年2月に約6万7500筆を市に提出した。ただ、市は「公営化ありきではない」との立場で先行きは見通せない。
自治体が補助すべきかどうか、そのための予算支出が無駄遣いかどうかが、問題になっているようです。バブル期のあれこれの「箱物」に比べて、公益性では決して劣らないと思いますがね。
まとめると、ざっとこんな感じだろうか。
当初の防衛省発表価格
[→] 1基800億
去年12月
[→] 2基2000億円
今月7月22日
[→]?2基で2500億円
翌日7月23日
[→] 2基で6000億円超 ← 今ここ
2500億?
当初の発表の3倍以上に価格が上昇した場合、
あなたはその商品を購入するだろうか。
例えば1,600万円で提示のマンション、
それが半年後に6,000万円といわれた場合の話だ。
それでもカネ出すバカがいたら教えてほしい。
?ところで、動物のお値段はいかほど?
動物園へ行った、の巻 [家族]
孫と歩いた動物園、の巻(第3回)
大人…1080円入園料(税込)
高校生…864円
小・中学生…648円
3歳以上の幼児…324円
65歳以上…540円(年齢を確認できるものを必ずご提示ください)
※お得な前売り入場券(20%割引)は全国のコンビニエンスストアでお取扱いしております。
●各種障がい者手帳割引
身体障がい者手帳 3級まで…無料 4級以下…通常料金より半額
療育手帳 A級判定…無料 B級判定…通常料金より半額
精神障者福祉手帳 無料
(※ご本人様のみ割引。施設・病院等の付き添いの職員の方は半額)
続瞬く間の盆休みメモ、の巻 [家族]
瞬く間の盆休みメモ、の巻 [家族]
かえってみればこわいかに、の巻 [家族]
昔昔(むかしむかし)、浦島は
助けた亀(かめ)に連れられて、
龍宮城(りゅうぐうじょう)へ来て見れば、
絵にもかけない美しさ。
乙姫様(おとひめさま)の御馳走(ごちそう)に、
鯛(たい)や比目魚(ひらめ)の舞踊(まいおどり)、
ただ珍(めずら)しくおもしろく、
月日のたつのも夢の中(うち)。
遊(あそび)にあきて気がついて、
お暇乞(いとまごい)もそこそこに、
帰る途中(とちゅう)の楽しみは、
土産(みやげ)に貰(もら)った玉手箱(たまてばこ)。
帰って見れば、こは如何(いか)に、
元(もと)居た家も村も無く、
路(みち)に行きあう人々は、
顔も知らない者ばかり。
心細(こころぼそ)さに蓋(ふた)とれば、
あけて悔(くや)しき玉手箱、
中からぱっと白煙(しろけむり)、
たちまち太郎はお爺(じい)さん。
家族3題(代)噺、の巻 [家族]
若者に絶対駄目と願いたい○○○○ 91 (美作市)年を重ねても昔のことはよく覚えている。 「欲しがりません勝つまでは」と教育された。国民学校高等科2 年で卒業して、東京の軍需工場へ就職した。 先輩の指導を受けて、油だらけになり懸命に働いた。会社には私立の青年学校があり、ほとんどが軍事教練だった。
戦争は激しくなり、東京の空には毎日のよぅに米軍機が偵察に来るようになった。19 45年3月10日、東京大空襲があり10万人以上の人が命を失つた。 5月25日の大空襲では、庭の防空壕に避難したのでみんな助かった。が、工場も寄宿舎も丸焼けになったので命からがら田舎へ帰った。
8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろぅと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。
そもそもそのきっかけはと言うと、老父が地元新聞に投稿予定の記事を、孫2人が読ませてもらいました。「B29」「焼夷弾」「酷い」などの意味や読み方を確認しながら、帰りの車でもう一度2人で声に出して読み、兄が言います。「いちばんよく出てくる『戦争』という漢字は読めるだろ?3・4年生になったら「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」が教科書に出てくるで。」とそのあらすじを語って聴かせます。妹は、担任のM先生が、「火垂るの墓」が悲しすぎて二回目は見たくないと言ってた。などの会話をしているので、「火垂るの墓」の話題に参加してみました。原作の野坂昭如さんを論じても始まらないので、アニメの作者を話題にしようと思って頓挫してしまったのです。
子どもたちは、正しくも「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」や「かぐや姫の物語」を上げます。それらの作品の監督、高畑勲さんのお名前がどうしても思い出せないのでした。
宮崎駿さんはすぐに思い出せたのに、なぜでしょう。
島尻安伊子・沖縄北方領土担当相が2月9日の記者会見で、北方領土の一つである「歯舞(はぼまい)群島」を読めない場面があった。共同通信が報じた。
会見で島尻氏は、元島民でつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」が1日〜7日、「北方領土ネット検定2016」を実施したことを紹介した。このとき島尻氏は団体名が読めず、「元島民の皆さまでつくる、千島ハボ…えー、何だっけ…」などと、言葉を詰まらせ、大臣の側にいた秘書官が「はぼまい」と伝えた。
ライフパーク倉敷科学センター - 倉敷市
昨日は海へ、今日は山へ、の巻 [家族]
なんと、なんと昔があったそうな。昔々お爺さんとお婆さんと暮らしょうったそうな。お爺さんが山ぇ柴刈りぃ行く、お婆さんは、ある日のこと、川で洗濯ぅしょうったんだそうな。そうしたところが上から、ドンプリコッコ、カッシャンコーいうような音がしだえたそうな。伸(の)って見たところが大きな桃が、ドンプリコンプリ流りょうったそうな。せえで、その婆さんは、
「桃さん、桃さん、こっちぃ来え。婆さんの手元ぇ寄っとくれえ」
いうて言ようったそうな。そうしたら、いい按配に婆さんの手元ぇ寄って来たそうな。こりゃあええ思うて、珍しい大きなんじゃなあ思うて、その桃を拾うて、どっこいしょ思うて提げたんだそうな。
そしたら、大きなおならがでたそうな。プーッいうて出た。
せえから、重たえ桃を腰う屈めて自分方ぇ持って去んだんだそうな。そうしょうったところが、おならが山ぇ聞こえて、山ぇ柴刈りぃ行っとった婆さんは、柴ぁ刈りどころじゃあなぇ、くさかった、くさかった、ほんにくそうてかなわんのだそうな。こりゃあ柴ぁ刈らりゃあせん、去なにゃあいけん思うて、
「やれやれ、くさかった、くさかった」
いうてとんで去んだんだそうな。
7人目の孫、の巻 [家族]
七人の孫(1)
「ただいま十一人」とともに第二期ホームドラマの代表作といえる。いしだあゆみ、悠木千帆(現・樹木希林)ドラマデビュー作。悠木と森繁久彌とのアドリブを交えた場面が人気を呼んだ。放送当時の新聞ラテ欄では「源氏鶏太原案」ではなく「源氏鶏太原作」と記載されているものがある。プロデューサーの逸見稔氏は本作を後年以下のように回顧している。「1963年の夏、例によってドラマ企画のネタ探しにTBS近くの金松堂書店のたなを眺めていた。『七人の孫』という四文字が、私の目に飛び込んできた。たなの隅っこに置かれてだいぶ経つらしく、背表紙はやや色あせたような感じで、著者を見たら源氏鶏太さんだった。立ち読みしたらすらすらと読めて面白かった。なによりも『七人の孫』という題名と、その人物構成に魅かれた。主人公は北原亮作という七三歳の老人である。亮作役は森繁久彌さんしかいないと斜め読みしながら思い込んだ。買って帰って、制作スタッフの宮武昭夫ディレクターに読んでもらった。「いいんじゃない」ともかく森繁久彌さんのところへ行って出演をお願いした。(中略)森繁さんは私を部屋に呼び、北原亮作役を引き受けると言ってくださった。私はほっと肩の荷を下ろした。「その代わり、頭の一分を私にくれ」これが『七人の孫』の冒頭の森繁トークとなった。森繁さんが日ごろ思っていることを、七三歳、白髪の北原亮作の口を通して語る。あるときは世相を痛烈に切り、ときには皮肉交じりに流行を揶揄する。普通なら角が立つところだが、森繁おじいちゃんの言葉として語られるとものすごい説得力がある。これが大いに人気を集め、話題となった。(後略)
ところで、孫の住まいは地下鉄鶴見緑地線の沿線にあります。大阪城に向かおうと、最寄りの地下鉄駅構内を歩いていると、NHK大河ドラマ真田丸ゆかりのスポットの観光ポスターが貼られていて、玉造駅下車すぐの三光神社、心眼寺などが紹介されていました。気ままなぶらり一人旅の気軽さで、にわかに思い立って、ここをたずねてみることにしました。
三々五々道をゆく観光客について、行き着いた三光神社には、真田の秘密の抜け穴なるものがありました。次の目的地、心眼寺は、少し距離があり、途中道にも迷いつつ、ようやく到着。引用終わり。今日はこれにて。
泣く子と自然の猛威には勝てぬ?の巻 [家族]
熱は落ち着いて37℃台と見えますが、元気いっぱいで遊んでくれ、これなら安心と気を許すと、外出先で急に機嫌を壊し、往生させられることもありました。
「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざを、またまた思い出しました。
そう言えば、この記事で書いたのは、別の「泣く子」のことでした。いやはや、やっぱり、泣く子にはかないません。
泣く孫と地頭には勝てぬ。の巻
めざす鳥には会えないが、の巻
夜になって迎えに来たお母ちゃんの車に乗り、ニコニコと笑いながらさよならをして、激しい雨の中を帰って行く姿を見送っていると、託児所をまた引き受けてもよい気持ちにさせられます。
全国的にも「記録的な大雨」「かつてないような災害が起きる可能性」が、警戒されていますが、私の居住地付近でも、「対岸の火事視」はできない状況のようです。
テレビ画面に表示している災害等に関する字幕情報をまとめてご覧いただけます。
[2018年7月6日 14:20]
全国一覧
大雨情報(岡山県)
北部で激しい雨
きょう夕方~あす朝 記録的な大雨のおそれ 土砂災害に厳重警戒
6日午後2時までの雨量 新見市194ミリ
6日午後1時までの雨量 笠岡市184.5ミリ
6日午後1時までの雨量 津山市184ミリ
6日午後1時までの雨量 玉野市167.5ミリ
里見川 浅口市・金光水位観測所で「避難判断水位」を超えた
砂川 赤磐市・正崎水位観測所で「避難判断水位」を超えた
土砂災害警戒情報
気象台と岡山県は次の市町村に土砂災害警戒情報を出しています
岡山市、倉敷市、玉野市、津山市、真庭市、美作市、
笠岡市、井原市、総社市、浅口市、早島町、里庄町
鏡野町、奈義町、美咲町、吉備中央町、西粟倉村
避難指示
早島町 早島地区で土砂崩れ 1世帯4人に避難指示
避難勧告
岡山市 北区の建部学区に避難勧告
岡山市 南区の灘崎小学校迫川分校区に避難勧告
岡山市 あわせて2193世帯 4974人に避難勧告
津山市の避難勧告… 小桁、金屋、押渕、荒神山、一方地区
津山市の避難勧告… 津山口、井口、大谷、南町1丁目
津山市の避難勧告… 昭和町1丁目と2丁目、横山、八出地区
津山市 あわせて2870世帯 5509人に避難勧告
総社市の避難勧告… 秦、槙谷、見延、宍粟、美袋、日羽地区
総社市の避難勧告… 原、影、中尾、下倉、種井地区
総社市の避難勧告… 延原、宇山、槁地区
玉野市の避難勧告… 日比、和田、渋川、御崎、向日比地区
玉野市の避難勧告… 深井町、羽根崎町、明神町地区
玉野市 あわせて4398世帯 8961人に避難勧告
浅口市の避難勧告… 市内全域の山沿いの住民に避難勧告
奈義町の避難勧告… 皆木、小坂、馬桑地区
奈義町 あわせて124世帯 298人に避難勧告
美咲町の避難勧告… 北、南、中、里、西垪和、西川、西川上地区
美咲町の避難勧告… 中垪和、東垪和、上口、小山、栃原地区
美咲町の避難勧告… 江与味、西地区
美咲町 あわせて1035世帯 2464人に避難勧告
里庄町 町内全域の4476世帯 1万1169人に避難勧告
鏡野町 富東谷地区の一部 4世帯7人に避難勧告山市南区 第一藤田、第三藤田、曽根、彦崎学区に避難準備
北七区、西七区、西高崎、川張地区に避難準備
岡山市 あわせて7235世帯、1万8668人に避難準備
倉敷市 全域に避難準備情報 小中学校や公民館30か所に避難所
総社市 秦、昭和、池田、宿、岡谷、下林、赤浜地区に避難準備
総社市 昭和小、昭和中、維新小、池田小、
山手公民館、東公民館、サントピア岡山総社に避難所開設
赤磐市 正崎、五日市、尾谷地区に避難準備
赤磐市 正崎コミュニティハウス、山陽ふれあい公園に避難所開設
高齢者や体の不自由な人など移動に時間がかかる人に避難呼びかけ
大雨洪水警報… 岡山市 吉備中央町 赤磐市 倉敷市
大雨洪水警報… 総社市 笠岡市 井原市 浅口市 里庄町
大雨洪水警報… 矢掛町 高梁市 真庭市 津山市 鏡野町
大雨洪水警報… 美咲町 美作市 勝央町 奈義町 新見市
大雨警報… 玉野市 瀬戸内市 備前市 和気町 早島町
大雨警報… 新庄村 久米南町 西粟倉村
気象台 土砂災害や河川の増水、低い土地への浸水に警戒呼びかけ
交通情報
山陽自動車道 備前IC~西条IC 上下線通行止め
山陽自動車道 早島支線 早島IC~倉敷JCT 上下線通行止め
岡山自動車道 岡山JCT~岡山総社IC 上下線通行止め
岡山自動車道 北房JCT~有漢IC 上下線通行止め
山陽新幹線 午前10時 運転再開
JR宇野みなと線、津山線、桃太郎線 全線の上下線で運休
JR姫新線 新見~上月 上下線で運休
JR因美線 津山~智頭 上下線で運休
JR芸備線 新見~備後落合 上下線で運休
JR山陽線 和気~上郡 岡山~三原 上下線 運休
JR赤穂線 岡山~播州赤穂 上下線で運休
JR伯備線 岡山~上石見 上下線で運休
JR瀬戸大橋線 茶屋町~宇多津 上下線で運休
特急「やくも」「しおかぜ」「南風」「うずしお」終日運休
JR瀬戸大橋線 快速マリンライナー 終日運休
特急「スーパーいなば」 終日運休
山陽線 瀬戸大橋線 伯備線 1時間に1本程度運行
水島臨海鉄道 平常通り運行
井原鉄道 午後1時前に全線の上下線で運転取りやめ
昨日の下校時刻ごろからずっと各種の警報が出ていますから、小中学校は今日は休校。昨日、「明日休みだったら良いのに」とつぶやいていた小学生の願いは叶いましたが、退屈な一日だったことでしょう。
通常ならジイジが子守を請け負うところですが、今日は午前中、退職同業者の作品展の会場当番が当たっていて、お世話ができません。希望者は同行しないか?と誘ってみましたが、兄弟3人、家でのお留守番を選びました。そりゃそうでしょうね。
下の妹は保育園に預かってもらい、夕方、雨の中を迎えに行ってきたところ。ジジババも、すこしはお役にたっているでしょうか?
あっという間の連休、の巻 [家族]
いろいろと家族イベントが続き、記録しきれません。最大のイベントは、5月4日、ジイジ、バアバと、子ども夫婦と孫たち、総勢、、え~っと、、、13人が一堂に会して、アウトドアイベントを楽しんだ後、郷里の老父母宅を訪ねて一騒ぎしようという趣向です。
最近、釣り・魚捕りに惹かれている小5生の要望も満たそうとママが探し当てたのがこれ。渓流釣りや魚のつかみどり体験もできるという「右手養魚センター」。
美作市のHPを少々引用します。
源流の郷うて 右手養魚センター
自然の中で渓流釣りや魚のつかみどりを体験しよう!
コテージ村やアスレチック、テニスコートを有する観光施設「トム・ソーヤー冒険村」に隣接する右手養魚センター。
受付をすれば、石積で整備された渓流公園でアマゴ・マスなどを放流しての渓流釣りや、つかみどりが楽しめます。釣った魚をその場でバーベキューにして食べれば格別の美味しさ。
津谷キャンプ場からも近く、日帰りでも宿泊でも気軽にアウトドアレジャーを楽しめます。
岡山県美作市右手(うて)という地区は、木地師の里として知られています。
私の学生時代の先輩である「三郎さん」は、関西在住でしたが、退職後、奥様の実家のあるこの地区に移り住んで「木工みや工房」をひらき、木工工芸品の制作に励んでおられます。
今回は、「三郎さん」が、森の緑濃い右手周辺を案内してくださいました。
トチメンボーの正体知って面食らう、の巻
白く紅く木の花匂ふ森しづか
蛙棲む原生林に蝮草(マムシグサ)
サブローさんは、久賀ダムから間道を通って「秘境」さながらの山道を案内してくださいましたが、今回は、舗装もゆきとどいた主要道を通って目的地にむかいます。
途中、こんな景観も出迎えてくれます。(走行中、助手席からフロントグラス越しに撮影)
山に自生する藤が花盛りでした。
新緑に薫風、せせらぎの音。それだけで、リフレッシュ効果があります。
5月としては気温が低く、肌寒いほどなので、つかみ取り体験は遠慮して、小中学生とその親は、渓流釣り体験に挑みます。
定められた料金(決して安くはありませんが、カジノに比べればまし?)払って、楽しく遊べる程度の魚の放流されたエリアを与えられます。餌・釣り具も、希望によりレンタルできます。
釣れた釣れた。
釣り上げた魚は、手数料一尾あたり80円だかで塩焼きしてもらい、持ち帰ってその日の夕食にお裾分けをいただきましたが、美味でした。
釣りに興味を持たない保育園児達は、隣接の「トムソーヤー冒険村」の遊具で時間を忘れて遊びました。
近くのレストランで思い思いの昼食を摂り、30km離れた郷里の実家へ移動。
負けず劣らずの田舎で、子どもたちは自然に駆け回りたくなるらしい。
従兄妹同士大はしゃぎ。
鯉のいる庭の池で、いつものように餌やり。これはもう一人の従妹と
5日のこどもの日は、近所の公園で遊び、夕食はまたまた13人が集合して、宴会は深夜に及びました。
翌6日、すでに仕事が始まるメンバーもありますし、ラッシュの中を大阪まで帰らなければならないメンバーもあります。
次はお盆休みの再会を約して、いとこ達は別れを惜しみます
今日はこれにて。
春深む、の巻 [家族]
前日までの雨が続く見込みでしたが、思いがけず雲の隙間から日射しが覗く天気となりましたので、思いついて畑の周りを少しだけ草刈りをしました。この間の暖かさで、雑草が勢いを得て大きく育ち始めていたところでした。
孫達も、刈った後の草を集めたり、草陰から飛び出す昆虫を追いかけたり、アマガエルを見つけたりが楽しいようでした。
タンポポ。
シロバナタンポポも
カキドオシの花。
道端にこの花。孫が名前を尋ねます。「スノードロップ」をまず思い出すのですが、「スノーフレーク」という名前がなかなか思い出せません。
川の飛沫が気持ちの良い陽気になりました。
四つ葉のクローバーを探しているのだそうです。
柿の若葉が柔らかく芽吹いています。そこへヒヨドリが飛んできました。ペアでしょうか?睦まじげです。
トリミングしておきます。
山々も、青葉若葉の色が日々濃くなっています。
ヤグルマソウの季節です。
カワウ。
きょうはここまで。
かの川の小鮒はいづこ?水温む、の巻 [家族]
久しぶりに長男一家が、田舎のじいちゃんばあちゃん宅に行く計画を立てました。男の子たちが魚釣りがしたいというので、朝8時頃にはこちらを出発。少し遅れて、ジイジバアバも合流しました。
各人の予定が様々で、なかなかみんながそろうのは難しく、久しぶりに賑やかな集まりになりました。
パパと中2・小4の男子は、到着早々、川に向かったそうです。
様子を見に行ってみますと、やってます、やってます。
下は,2月10日の記事でした。
水面凍結の日々、の巻
その時は、一面、氷に覆われていた川ですが,今日はぽかぽか陽気で、「水温む」といった風情です。
この川でヌートリアを見たのは初めてです。
気持ちよさそうにおよいでいます。
水鳥たちの動きも、いつも以上に活発です。
比較的個体数が多いのは、ヒドリガモらしいカモの群れです。
オオバンのグループもいます。
よく見ると、キンクロハジロのようです。この川では初めて見たような気がします。
近年、カワウの姿が増えています。
野郎ども、
いいか、抜かるなよ。
ヘイ。オヤブン。
ガッテンだ。
チョー気っ持ちいい!
てな具合で,カワウの群れが思うがままの違法操業によって、この川の魚を乱獲し尽くしたせいでしょうか、今日は一匹も釣れませんでしたトサ、
父の新聞投稿デビューその他、の巻 [家族]
そもそものきっかけは、地元新聞の投稿欄に初投稿した記事が、今月の初め、朝刊に掲載されたこと。掲載されたのは、こんな投稿記事でした。
後日、新聞社から連絡があり、初投稿ということで、投稿者の簡単なコメントと写真を掲載したいと、案内があったのだそうです。昨日は、そのためのスナップ写真を撮影して、最寄りのカメラ屋(10km近く離れてますが)でプリントしてもらいました。
初投稿が掲載されて気をよくした父は、先日、2度目の投稿もしたそうです。
「さようなら2017年」と題して、「今年の漢字」に「北」が選ばれたことから書き起こし、自身の出生地が植民地時代の北朝鮮であったことに触れた上で、生涯のうちに一度は、生まれ故郷を訪ねてみたいと思っていたが、今日の軍事緊張状態ではそれもかなわなくなったこと、せめて地図ででも確かめたいと思っていた出生地の情報が、少し明らかになったことなどを綴ったようです。
その事情は、以前、こんな記事でご紹介したことがありました。
思いがけないプレゼント、の巻
縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻
残念ながら、新聞社編集担当からのお電話では、月内に2本の投稿は掲載されないとの説明があった由。それではと、機を改めて、書きなおしたものを投稿するにしても、まずは、投稿デビューのコメントとして、リハビリセンターの職員の方にも記事が読まれ、喜んでいただいたことなどを書くつもりだそうです。
昨日は天気が崩れる予報でしたので、雨の前に短時間散歩をしたいと思い、郷里に向かう途中寄り道して、例の三徳園・小鳥の森に立ち寄ってみました。青い鳥=ルリビタキを求めて、M氏から教えていただいたスポットを訪ねたのですが、またまた巡り会えませんでした。
その代わり、、、、黄色い鳥に会いました。
今シーズン初のミヤマホオジロでした。
PENTAXK5Ⅱ+AFBORG60EDの写真、(ノートリミング)です。
判別するには、相当のトリミングが必要です。
FUJIFINEPIXs1のデジタルズームノートリミングでは?
やはりこのコンデジ、侮れませんね。
最近訪ねた自然環境体験公園でも結構活躍しています。いずれもノートリミング画像です。
梢のカワラヒワ。
ツグミ。
ジョウビタキ♀。
同じ青い鳥でも、これは、アオジ。
そして、これはカワセミ。
さすがに、逆光は辛い。
光線の向きが変わると少しはましです。
今日は、小学生、中学生ともに冬休み。朝から我が家でお相手させていただきました。クリスマスプレゼントのおもちゃで遊んだり、書店や百円ショップをめぐったり、近所の公園で遊んだり、楽しい一日でした。
百円ショップで買ったフリスビーで、結構遊べます。
こんな季節なのに、公園でテントウムシを見つけました。
最後は兄弟げんかで終わりましたトサ。
夕方、ちょっとした隙を狙ってご近所散歩をしました。すると、またまたカワセミに遭いました。そのご報告はまた今度。
今日はこれにて。
元気な「風の子」、の巻 [家族]
昨日は、一歳児の孫が遊びに来ましたが、寒いのに、公園で遊ぶのが大好きで、なかなか家に戻りたがりません。
夕方の散歩でであったアオサギ。肩を丸めて寒そうです。
コサギのいる情景も、冬の色です。
今日は、バアバもパートがお休みだというので、思い立って、小学生の孫も誘って、郷里の実家に出かけました。途中、峠の付近では、うっすら雪が残っていて、孫たちが雪遊びをしたいとはしゃぎます。
実家周辺には昨日は降ったという雪は、もう残ってはいませんでしたが、寒風は冷たく、肌を刺します。そんな中。孫たちは農作業に精を出しました。
ダイコン、大きなカブ、ハクサイなどを収穫して、畑から家まで運びます。
お墓参りもしました。
お墓の位置からは、こんな景色が見下ろせます。
「小鮒釣りしかの川」にまで降りて見ました。
カモの群れが来ていると老父母は言いますが、この時間帯、どこかへ出張中だったらしく、姿が見えませんでした。少し動き回ると、汗をかいたようで、、上着を脱いで、石投げなどをして遊んでいました。
今日はこれにて。
孫に会う日は入念に髭を剃り [家族]
一昨日、肺炎球菌ワクチンを接種したことは書きましたが、その接種あとが大きく腫れて固くなり、昨日はなにやら頭痛肩こりにも悩まされました。接種の「副反応」というヤツかも知れません。今日はかなり和らぎ、腕を押さえてみると少し固いかなというレベルにまで収まりました。この程度の辛抱で肺炎を防げるなら、良しとしなければなりますまい。
ところで去年の今日は、下部消化管の出血で一週間入院しして、退院したばかりで、こんな記事を書いておりました。
最近体調も良いし、週一度のアルバイトでは身をもてあますし、なによりも年金引き下げ、消費税増税という寒風のもとで、懐具合がますます寒さを増すご時世ですので、来春あたりアルバイトの回数を増やそうかと算段しておりました矢先の入院で、ちとわが肉体への不信が芽生えております。上手に駆け引きしながら、末永くつきあっていくしかありますまい。 退院してみますと、ことのほか厳しい冷え込みで、病室の快適さが懐かしい(昨年夏の入院時も、同じような感想を書きましたが)と、罰当たりな感想を抱いております。 それでも、今朝は、ゆるゆると朝の散歩に出かけてきました。 |
「今シーズン一番の冷え込み」は今日も続き、朝方は冷たい雨もパラパラと降っていましたが、アパートに到着する頃にはうっすらと日も射し始めました。
公園にでも連れて行けば気分も紛れて間が持つだろうかと、ボールや砂場道具など一式をバッグに、近所の公園に出かけます。
期待通り、はしゃいで走り回ったり、
ボールを蹴って遊んだり、
シャボン玉であそんだり、
図書館のフロアーを行ったり来たり、、
さすがに外は風が吹いて寒いので、暖房の効いた図書館にはいって絵本を見て遊んだりしているうちに、お母ちゃんが帰ってきました。
お利口にしていたご褒美に、ファミレスでお子様カレーを食べました。
なかなかの食欲です。
ジイジも、子守のご褒美に、美味しいランチをごちそうになりました。ランチの写真を写したつもりでしたが、撮りそびれていました、、、残念。
こちらはもう一方の孫兄妹たち。
ママが仕事から帰るまで、我が家で宿題をしたりテレビを見たりして過ごします。今日は残業で保育園のお迎えを頼まれましたので、総計三人が我が家に集合し、仲良くテレビを見ています。
今日はこれにて。
秋の花火、の巻 [家族]
このあと私は、予約していた自動車の点検のため、ディーラ-に向かいます。タイヤの交換など、予定外の作業が時間を取って、二時間近くかかって帰宅した頃には、ぐっすりお昼寝したらしい一歳児は上機嫌で夕食中でした。
と、外が薄暗くなった頃、なにやら遠くでどどーんと言う音が聞こえます。雷鳴?それとも花火?
どうやらこんなイベントがあるらしい。
近所に住む孫たちの姿が見えないのは、夕方から始まるこのイベントに出かけている模様。昼間、公演周りに人影が多かったのも、あるいは、一部には、このイベントに参加する人たちの時間調整というつもりもあったのかも知れません。
一歳児も、お散歩がてら、花火を見にいくことにしました。といっても、会場近くはは混雑していて車も身動き出来ないでしょうから、会場からは少し遠いですが我が家のすぐ近くの国道越しに眺めたrどうだろう?と、試してみることにしました。
自動車のヘッドライトでてらされて、時々あたりが明るくなります。
広角系のズームレンズですので、花火が小さくしか写りません。
少しトリミングします。
時が時だけに、ミサイル発射が連想されたりして、楽しさに水が差される思いがします。
イラク空爆のニュース画像なども連想したリ、、、
迎撃ミサイルの曳光が思われたり、、、
でも、この際、野暮な連想はほどほどにして、花火を楽しむことにしました。
やはりトリミングしてみます。
花火の撮影は、どうも苦手で、まともな絵になりません。暗いのに手持ち撮影という悪条件は、私の技量を超えています。もう少し近くから写せば少しは改善されるでしょうか?むしろコンデジやスマホの方がうまく写せる気もします。
今日はこれにて。
ふるさとは晴れて眩しい彼岸花、の巻 [家族]
今日は、その代休です。ジイジが面倒を見ることになるのなら、田舎に栗拾いにでも行こうか、と提案しましたら、小1の女の子は歯医者に予約があり、ママが午前中休みを取っているそうです。その後、ばあばが帰ってくるまで三時間ほどは一人でお留守番ができる、というので、小4の男の子だけを連れて行くことにしました。
今朝は、珍しい朝霧で、濃霧注意報が出るほどでした。
モノトーンの朝霧の中で彼岸花の赤が鮮やかでした。
霧の朝のヒガンバナ posted by (C)kazg
霧の朝のヒガンバナ posted by (C)kazg
霧の朝のヒガンバナ posted by (C)kazg
おや雲間に月?と見ましたが、それはオカシイ、先日あんなに薄い眉のようだった月が、急に満月になるはずがない、と思い返してよく見ると、霧に覆われた太陽でした。
スクラップ車がシルエットになって、不思議なムードです。
明るくなってもヘッドライトが必要なほどの濃霧でしたが、通勤ラッシュが始まる頃には、通常の見晴らしになってきましたので、孫と二人のドライブへ出発。
道々、車窓越しに見える景色は、澄んだ明るい光に包まれて、黄金色に輝いて見えます。地域によっては、すでに刈り入れの済んだ田圃も、ようやく稲穂が色づき始めた田圃もあって、多彩な秋の風景が楽しめましたが、あちらでもこちらでも、深紅のヒガンバナが朝日を浴びて輝いています。よほど車を停めてカメラに収めたい衝動に駆られましたが、孫とのドライブですので自制を働かせることにします。
でも、ここ何日か、ヒガンバナヒガンバナと繰り返し話題にしてきましたが、「灯台もと暗し」、でした。
余談ながら、このことわざについての蘊蓄は、こちらの記事で書きました。
灯台もと暗きを知る散歩かな
ヒガンバナに囲まれて、赤さを競い合っているペンキ塗りの看板には「防火水槽」と書かれています。
見覚えありませんか?
そうです。昨日の記事で、保護色のアマガエルがへばりついている写真を写したのは、この看板でした。
短時間、畑の耕耘をしましたが、土手という土手、畦という畦一面、ヒガンバナの絨毯が敷き詰められているのが眺められます。
孫も耕耘機デビューです。
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
IMGP3047 posted by (C)kazg
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
今日はここまで。
思いがけないプレゼント、の巻 [家族]
一部を引用します。
高知大学の卒業生らでつくる高知大学オー ル革新の会は2日、9 月に同大学の朝倉キャンパスで自衛官の採用試験が行われる問題で、同大学と懇談し再検討するよう求めました。. 同会から代表で日本共産党の春名直章県委員長、益善一事務局長、米田稔党県議らが出席。同大学の浅井務財務課長らが応対しました。 春名氏らは「学問の自由が基礎になり、権力から独立していないといけない大学で、なぜ、自衛隊の採用試験を行うのか」などとただしました。 |
夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて
強行採決にまつわる記憶のエトセトラ、の巻
夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)
前略 「ナードサークの四季」 を拝見していたら、 「平安北道江界郡文玉面」 と記された戸籍らしきものがアップされていたので、 少し調べさせていただきました。 ①手元に 『最新 韓国基本地図』 (平成元年発行) なるものがあります。 韓国で発行されたものに、 日本語のルビを振って日本の帝国書院が出版したものです。 韓国は 「北朝鮮」 の行政区の変更を認めていないためか、 行政区が昔のままです。 ②それによると、平安北道にはいくっかの「郡」と「市」があります。そのうち「江界郡」を黄色で塗ってあります。塗ったなかに「文玉面」はありません。 ③「江界郡」のなかに島のような状態で「満浦市」と「江界市」があります。おそらく「江界郡」 のなかの幾つかのムラが合併して 「市」 に昇格したものでしょう。 ④ブログには、近くに鴨緑江があったとあります。したがって、鴨緑江の岸にある今の「満浦市」のなかに「文玉面」が含まれていたのではないかと推察しました。 ⑤そこで、インターネットに「満浦市」と「江界市」を入力して検索すると、次のようなことが分かりました。 1937年、文玉面が満浦面に改称 1940年、満浦面が満浦邑に昇格 1946年、満浦邑が満浦面に 1949年、満浦面ほか4面が新設の満浦郡に編入 1967年、満浦郡が満浦市に昇格 ⑥以上の変遷からみて、 文玉面を中心にして現在の満浦市へ発展してきたものと思われます。 ⑦インターネットによると、 満浦市は国境の要衝で、 鴨緑江を挟んだ対岸の中国吉林省集安と鉄道橋 (l937年建設) で結ばれています。 この橋は大日本帝国の満州支配のための交通路の一つとなりました。植民地時代には、満浦には税関支署や守備隊がおかれ、 1920年ころには満州で活動する抗日パルチザンの攻撃を受けています。 また朝鮮戦争のときは、 中国人民志願軍が集安から満浦に越境したそうです。 鉄道橋は貨物専用ですが、 いまも1日1本国際列車が通過するそうです。「北朝鮮」の幹部が北京に行くときに通るのではないでしょうか (あるいは「将軍様」も…)。 以上、 とりあえずお知らせします。 草々 |
下は,N先輩が注を加えてくださったもの。
少しトリミングして拡大してみます。
N先輩は、大学での専攻は歴史。さすがに考証が緻密で、上質の謎解き小説を読むようにスリリングです。
生まれた育った土地をもういちど訪れてみたい、という思いを父は長く温めていたようですが、政治環境のせいで願いはかないそうになく、攻めて地図で確かめたいということをもらしていたので、素人委考えでいろいろ調べてみた顛末はここで書きました。
縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻
朝鮮半島全図 地図– 2012/6/22
部活から帰る中学生を合わせて3人の孫に昼ご飯(焼きそば。前日のスパゲッティが、具が多すぎて不評でしたので、野菜の分量をセーブしました)を食べさせ、ほぼ業務終了。
クーラーの効いた部屋で録画番組を見ながらうとうととしていますと、長女から電話。父ちゃんが遅いので、夕食を一緒に食べに来ることになりました。食べきれないからと、大きなスイカを持ってきてく入れました。
たまたま近くに住む孫の誕生会で、我が家でみんなで夕食とケーキを食べる成り行きになりました。よく冷えたスイカが、季節感を添えるプレゼントになりました。「みんなで」といっても、パパは仕事でいつも通りに帰りが遅く、小4生は暗くなるまでサッカーの練習(ナイター設備のあるグランドです)で、なかなか全員はそろいませんが、、、。
成り行きついでに、1歳、2歳、小1の三人の女の子を、じいじがお風呂に入れることになりました。従妹同士の女子会の成り行きはいかに?実はもう一人、大阪に3歳の女の子がいますので、お盆には4人の女子会が催されますかどうか?
台風五号の接近の影響か、昨日あたりから風が強く吹いていますが、空気はからからです。豪雨災害被災者の皆様には申し訳ないのですが、少しだけ雨がほしいです。
今朝は、雲が厚く、風も寄り強く吹いていますが、なかなか雨は降りそうにありません。南の地方では、早や強い影響が現れているようですが、被害のないことを祈ります。
朝散歩では、こりもせず朝露のマクロ撮影を楽しんでいます。
気温が上昇すると、息切れはする、汗は目に入る、レンズは曇るで、撮影どころではなくなります。
今朝は、風がここち良くて汗もそれほどではなかったのですが、水玉も吹き飛ばされてか、撮影に成功しませんでした。
2.3日前の写真を載せます。
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
IMGP7450 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
L5019320 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
L5019337 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
稲葉に宿る朝露 posted by (C)kazg
今朝のマクロ撮影は、カボチャの花にミツバチ。
センニチコウ。
雫は見当たりません。
きょうはこれにて。