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啄木かるた補遺、の巻 [文学雑話]

昨日の記事に、古い授業プリントをご紹介しましたが、その冒頭にこんな意味不明な一節がありました。

  授業メモ
*私と啄木  
       ①啄木カルタ
       ②屋根裏の古書
       ③ローマ字日記、金田一京助の啄木伝

少しだけ補足説明させていただきます。
「①啄木カルタ」というのは、これです。

色もあせ、散逸、破損しているのはもっともな話で、大昔の少女雑誌「少女の友」の付録だったものらしいのです。

これの元の持ち主は、妻の亡くなった母親。彼女が少女時代に買ってもらった雑誌の付録を、大切に保管してきて、娘であるわが妻に譲ってくれたものであるらしい。年季が入った「お宝」です。
ネットで確かめてみますと、どうやら、昭和10年代、そしておそらく昭和14(
1939)年1月号のものらしいです。
amazonの商品広告(復刻版)を引用します。該当部分を赤字にしました。

 

昭和10年代前半に、中原淳一の表紙画で黄金期を築いた伝説の少女雑誌『少女の友』。
その創刊100周年を記念して、若き日の中原淳一が企画・デザインした超豪華な雑誌付録5点に、『少女の友』のピークともいうべき昭和13年1月号の完全復刻版を加えたプレミアムセットです。
雑誌の付録とは信じがたい愛らしく手の込んだ品々は、その大半が戦災で失われましたが、奇跡的に残っていたアイテムを使ってオリジナルの世界を忠実に再現しています。
【お宝その1】フラワーゲーム(昭和13年1月号付録)
一枚一枚異なる花が描かれた美麗な48枚の札と、12枚の蝶の札からなる花占いカード。まるで小さな宝石のよう。「札合せ占い」「待人占い」「蝶の占い」「時間占い」の4つの占い方をくわしく解説したリーフレットつき。
お宝その2】啄木かるた(昭和14年1月号付録)
時代を超えて愛される石川啄木の歌と、淳一の見事なコラボレーション。発刊当時、読者から大変な反響があった付録を、当時のケースもそのままの形で復刻しました。

【お宝その3】花言葉枝折(昭和8年10月号付録)
精緻な型抜きが施された、重層的な作りのしおり付きカード。凝りに凝った作りの、驚くべき付録。内側の小さな封筒にはしおり5枚が。雲の模様の部分をめくると、花言葉があらわれます。
【お宝その4】バースデーブック(昭和10年1月号付録)
手のひらサイズのサインブック。家族や親しい方に誕生日の日を選んでサインしてもらいます。「その方々のお誕生日の日にお祝いのお手紙をおあげになればどんなにかお喜びになるでせう」(あとがきより)。北原白秋らの詩72編がページを彩ります。
【お宝その5】青い鳥双六(昭和8年1月号付録)
『少女の友』でデビューした半年後、まだ19歳の淳一が描いた双六。童話「青い鳥」をモチーフに描かれた不思議な魅力が漂う作品。淳一の作風の変化を知る上でも貴重。
【お宝その6】『少女の友』昭和13年1月新年号
《おもな記事》木村伊兵衛(グラビア)「新春」/中原淳一(口絵)「雪の夜」/松本かつぢ(漫画)「お正月漫画アルバム」「くるくるクルミちゃん」/吉屋信子(小説)「伴先生」/ブデル原作・岩下恵美子訳(翻訳小説)「花籠」/横山隆一(漫画)「ポチをさがして三千里」/川端康成(小説)「乙女の港」/山中峯太郎(小説)「聖なる翼」/平井房人(雑記)「宝塚秘話スター生立記 萬代峰子の巻」/吉川英治(時代小説)「やまどり文庫」


啄木かるた

啄木かるた

  • 作者: 中原 淳一
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 単行本
『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション

『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション

  • 作者: 実業之日本社
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2009/03/13
  • メディア: 単行本


すでに日中戦争の戦火は拡大し、がんじがらめの国家総動員体制が敷かれていく過程にありながら、まだ日米開戦前というこの時代。がちがちの軍国調ではない、このようなやさしげな付録が、少女たちを育んでいたことは、むしろ意外な感に打たれます。
それからわずかの年月に、国中が狭量な軍国主義に染め上げられていき、「女々しい」啄木カルタなど潔く放擲して惜しがらない「忠良な」軍国少年、軍国少女たちが育てられていくことになるのでしょう。
この記事に書かれた疎ましい時代が、目の前に待ち受けているのです。
◇溶けそうな暑さすべなく空を見る
◇青空に背いて栗の花匂う

 so-netブログの大先輩落合道人様のブログ「落合道人 Ochiai-Dojin」に、戦時スローガンをあつかった本の紹介記事があり、興味深く拝読させて戴きました。↓
標語「アメリカ人をぶち殺せ!」の1944年
一部を引用させていただきます。
  戦前・戦中には、国策標語や国策スローガンが街角にあふれるほどつくられた。そんな標語やスローガンを集めた書籍が、昨年(2013年)の夏に刊行されている。現代書館から出版された里中哲彦『黙つて働き笑つて納税―戦時国策スローガン傑作100選―』がそれだ。特に、若い子にはお奨めの1冊だ。
 当時の政府が、いかに国民から搾りとることだけを考え、すべてを戦争へと投入していったかが当時の世相とともに、じかに感じ取れる「作品」ばかりだ。それらの多くは、今日から見れば国民を虫ケラ同然にバカにしているとしか思えない、あるいは国民をモノか機械扱いにして人間性をどこまでも無視しきった、粒ぞろいの迷(惑)作ぞろいだ。中には、国民をそのものズバリ「寄生虫」や「屑(クズ)」と表現している標語さえ存在している。
〈中略)
戦時の標語やスローガンというと、「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」などが有名だが、これらの「作品」は比較的まだ出来がいいほうだといえる。そのせいか、新聞や雑誌にも多く取り上げられ、ちまたでも広く知られるようになった「作品」だ。ところが、戦争の敗色が徐々に濃くなり、表現の工夫や語呂あわせなどしている余裕がなくなってくると、なにも考えずにただひたすら絶叫を繰り返すだけの、思考さえ停止したような「作品」が急増していく。
 黙って働き 笑って納税 1937年
 護る軍機は 妻子も他人 1938年
 日の丸持つ手に 金を持つな 1939年
 小さいお手々が 亜細亜を握る 1939年
 国のためなら 愛児も金も 1939年
 金は政府へ 身は大君(おおきみ)へ 1939年
 支那の子供も 日本の言葉 1939年
 笑顔で受取る 召集令 1939年
 飾る体に 汚れる心 1939年
 聖戦へ 贅沢抜きの 衣食住 1940年
 家庭は 小さな翼賛会 1940年
 男の操(みさお)だ 変るな職場 1940年
 美食装飾 銃後の恥辱 1940年
 りつぱな戦死とゑがほ(笑顔)の老母 1940年
 屑(くず)も俺等も七生報国 1940年
 翼賛は 戸毎に下る 動員令 1941年
 強く育てよ 召される子ども 1941年
 働いて 耐えて笑つて 御奉公 1941年
 ▼
 屠れ米英 われらの敵だ 1941年
 節米は 毎日できる 御奉公 1941年
 飾らぬわたし 飲まないあなた 1941年
 戦場より危ない酒場 1941年
 酒呑みは 瑞穂の国の 寄生虫 1941年
 子も馬も 捧げて次は 鉄と銅 1941年
 遊山ではないぞ 練磨のハイキング 1941年
 まだまだ足りない 辛抱努力 1941年
 国策に 理屈は抜きだ 実践だ 1941年
 国が第一 私は第二 1941年
 任務は重く 命は軽く 1941年
 一億が みな砲台と なる覚悟 1942年
 無職はお国の寄生虫 1942年
 科学戦にも 神を出せ 1942年
 デマはつきもの みな聞きながせ 1942年
 縁起担いで 国担げるか 1942年
 余暇も捧げて 銃後の務(つとめ)  1942年
 迷信は 一等国の 恥曝(さら)し 1942年
 買溜(かいだめ)に 行くな行かすな 隣組 1942年
 二人して 五人育てて 一人前 1942年
 産んで殖やして 育てて皇楯(みたて)  1942年
 日の丸で 埋めよ倫敦(ロンドン) 紐育(ニューヨーク)  1942年
 米英を 消して明るい 世界地図 1942年
 飾る心が すでに敵 1942年
 買溜めは 米英の手先 1943年
 分ける配給 不平を言ふな 1943年
 初湯から 御楯と願う 国の母 1943年
 看板から 米英色を抹殺しよう 1943年
 嬉しいな 僕の貯金が 弾になる 1943年
 百年の うらみを晴らせ 日本刀 1943年
 理屈ぬき 贅沢抜きで 勝抜かう 1943年
 アメリカ人をぶち殺せ! 1944年
 米鬼を一匹も生かすな! 1945年

さて、手元の啄木カルタをじっくり見てみます。
上に並べたのが、読み札。啄木の短歌が書いてあります。
下の絵札は、中原淳一の挿絵。

その絵札の裏に、下の句が印刷されています。
これが取り札になります。

戦前・戦時の日本の少女たちに、このような、優美なカルタ遊びを楽しむことができる瞬間があったことが、儚い幻のように痛ましく思われてなりません。
さて、明後日は、72年目の終戦記念日。
この72年間は、少年少女たちの、穏やかなしあわせの記憶が、少なくとも戦争という凶悪な暴力によって、踏みにじられ破り捨てられる事態だけは、辛うじて食い止め続けてきています。そのささやかな幸せの思い出が、これから先も永遠に、いつまでも壊されることなく、彼ら彼女らの心に生き続けますように。そしてその弟や妹、こや孫の代までも、憲法に謳われた平和が、揺るぐことなく引き継がれますようにに、と、願わずにはいられません。

「②屋根裏の古書」、「③ローマ字日記、金田一京助の啄木伝」については
、また改めて触れる機会があるでしょうか?
昨夜は、久々に涼しさを感じ、心地よい眠りを得たせいか、目覚めも快適でした。大阪から帰省している次男が、岡山は涼しい、と連発しますが、確かに今日の午前中のしのぎやすさは特筆ものです。ただ、さすがに日が高くなり、強い日射しが室内に入り込むようになると、エアコンのお世話にならないではいられません。
夕方ちょっと畑に行き、草の茂った様子を確かめ(草抜きをしようとわずかに試みて、すぐに断念)たり、オクラを収穫したりなどしてきましたが、汗の量も着替えが不要なレベルでした。
今日の田園風景です。

正面に見えるのは常山。

正面右の嶺が金甲山、左が怒塚山。

稲はすくすくと成長しているようです。
今日はこれにて。

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