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昨日は海へ、今日は山へ、の巻 [家族]

おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは山に柴刈りに出かけるのは、おなじみ桃太郎の昔話。

どんぶらこどんぶらこと、川上からおおきなサツマイモが流れてくるのは、落語のネタです。おじいさんに内緒で芋をふかして食べたおばあさんは、ついつい粗相をしてしまう。山で柴刈りをしていたおじいさんは、柴を刈らずに草刈った(臭かった)というオチ。

ところで 岡山在住の民俗学者・民話研究家立石 憲利(たていし のりとし)さん 編著の「桃太郎話」には、各地で採話した、いろいろな「桃太郎話』が収められています。

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桃太郎話

桃太郎話

  • 作者: 立石 憲利
  • 出版社/メーカー: 吉備人出版
  • 発売日: 2002/03/30
  • メディア: 単行本


その⑯に、県内新見市で採話されたこんなオハナシがあります。


桃太郎16  新見市
なんと、なんと昔があったそうな。昔々お爺さんとお婆さんと暮らしょうったそうな。お爺さんが山ぇ柴刈りぃ行く、お婆さんは、ある日のこと、川で洗濯ぅしょうったんだそうな。そうしたところが上から、ドンプリコッコ、カッシャンコーいうような音がしだえたそうな。伸(の)って見たところが大きな桃が、ドンプリコンプリ流りょうったそうな。せえで、その婆さんは、
「桃さん、桃さん、こっちぃ来え。婆さんの手元ぇ寄っとくれえ」
いうて言ようったそうな。そうしたら、いい按配に婆さんの手元ぇ寄って来たそうな。こりゃあええ思うて、珍しい大きなんじゃなあ思うて、その桃を拾うて、どっこいしょ思うて提げたんだそうな。
そしたら、大きなおならがでたそうな。プーッいうて出た。
せえから、重たえ桃を腰う屈めて自分方ぇ持って去んだんだそうな。そうしょうったところが、おならが山ぇ聞こえて、山ぇ柴刈りぃ行っとった婆さんは、柴ぁ刈りどころじゃあなぇ、くさかった、くさかった、ほんにくそうてかなわんのだそうな。こりゃあ柴ぁ刈らりゃあせん、去なにゃあいけん思うて、
「やれやれ、くさかった、くさかった」
いうてとんで去んだんだそうな。


はてさてどうなりますことやら。


昨日は、爺も婆も、川ではなく海に行ってきました。暑さの故に屋内に閉じこもり放しで退屈そうな、小学生の孫と一緒にです。

県内有数の海水浴場である「渋川海水浴場」は、台風の影響で遊泳禁止になっているそうな。それが理由というわけではありませんが、いつもの最寄りの砂浜で、水と戯れて帰りました。

駐車料金がかからないのもありがたいことです。


台風の影響か、海岸にたくさん打ち上げられているこれは?

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クラゲですね。例年、盆過ぎにはクラゲが増えて、遊泳に適さなくなると言いますが、海水浴シーズンまっただ中の今からこれでは、あぶなくて水にはいれませんね。
このヨット、かなり浸水しているように見受けられます。
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泳がなくても、砂浜も磯辺もあって、飽きずに遊べます。
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生き物も豊富です。
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景色もちょっとした景勝地みたい。
インスタ映えしません?
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日中は容赦のない暑さですが、早朝のわずかな時間だけは、涼味を感じます。
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玄関先の朝顔が花をつけました。
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いつの間にか、軒先のツバメが巣立ちました。
今日は、爺と婆は早朝家を出発して、郷里の田舎に向かいました。
山へ柴刈りに、、、ではなく、草刈りに。
涼しいうちに作業をしたかったのですが、途中思わぬ渋滞にぶつかり、2時間半もかかって、到着が9時を過ぎました。それからの作業なので、汗だくです。
一休みして、町に出かけて昼食ついでにショッピングしていると、店内で思いがけない人に出会いました。
忘るべからざる「故旧」、学生時代の共通の友人、イチローさんとアキコさんご夫妻です。
過去記事で何度か紹介したとおり、私は、年に一度か二度はお会いしているのですが、こんな場所でばったり会おうとは、何という偶然。婆は学生時代以来の出会いではなかったでしょうか。縁というのは摩訶不思議なものですね。
大阪の孫、産院から無事退院とのこと。めでたし。
きょうはこれにて。



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7人目の孫、の巻 [家族]

逆コース、暴走、迷走、、、、というと現内閣の話題に及びそうですが、今日はそちらには向かいません。

台風12号が、これまで経験したことのないコースを通って日本列島(西部)を横断しています。大きな被害がなければと祈ります。

一昨日の夜、東海地方のママの実家へ車で向かうはずだった孫一家は、途中で引き返してきたそうです。孫の1人が体調を崩し、長旅が不安になったためです。従姉妹達や、母方のジイジバアバとの再会と、恒例の夏休みのイベントを楽しみにしていただけに、がっかりですが、ちょうど台風の針路と一致し、雨風にたたられたさんざんな長旅になりかねなかったかと思えば、ものは考えようで、あきらめもつくというもの。また、ママは市職員ですので、いつ災害対策がらみの呼び出しがあるかもわからないというタイミングだけに、また時機を改めて、今度は新幹線で行こうかなどと相談しているようです。

一方、大阪在住の次男に、二人目の子が生まれました。昨日、バアバの午前中のパート仕事が終わってから、新幹線で日帰り訪問してきました。

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台風の影響も少しはあるらしく、雲に覆われて薄暗い上に、この画像は、夕方6時半頃の大阪駅ですので、鮮明な写真にはなりませんが、旅の記念に写しておきました。

行く道々、「私らよほど大阪に縁があるね」と妻が言います。そう言えば、大阪の大学へ行った長男の、アパート探しから、引っ越し荷物運び、入学式出席等などに始まって、何度も車で通いました。

ママとの出会いも学生時代の縁からで、結婚式も大阪でしたし、、。

思いもかけない成り行きで、私の脳動脈瘤治療のため、地元病院の紹介で入院・手術をしていただいたのが大阪の病院。退院後も毎年、検査のために入院や通院を続けてきました(今年の冬で卒業できましたが)。

そうこうするうちに、今度は次男が大阪の企業に就職し、縁あってそこで結婚生活をはじめ、姫も4歳になりました。そして今度は、弟が生まれたという次第。

家族構成を細々と自己紹介するつもりもないのですが、これで孫が7人目になりました。

そう言えば、昔、子どもの頃のTVドラマに「7人の孫」というのがあって、よく見ていました。

テレビドラマデータベース「7人の孫(1)」にこんな記事が掲載されています。


七人の孫(1)
「ただいま十一人」とともに第二期ホームドラマの代表作といえる。いしだあゆみ、悠木千帆(現・樹木希林)ドラマデビュー作。悠木と森繁久彌とのアドリブを交えた場面が人気を呼んだ。放送当時の新聞ラテ欄では「源氏鶏太原案」ではなく「源氏鶏太原作」と記載されているものがある。プロデューサーの逸見稔氏は本作を後年以下のように回顧している。「1963年の夏、例によってドラマ企画のネタ探しにTBS近くの金松堂書店のたなを眺めていた。『七人の孫』という四文字が、私の目に飛び込んできた。たなの隅っこに置かれてだいぶ経つらしく、背表紙はやや色あせたような感じで、著者を見たら源氏鶏太さんだった。立ち読みしたらすらすらと読めて面白かった。なによりも『七人の孫』という題名と、その人物構成に魅かれた。主人公は北原亮作という七三歳の老人である。亮作役は森繁久彌さんしかいないと斜め読みしながら思い込んだ。買って帰って、制作スタッフの宮武昭夫ディレクターに読んでもらった。「いいんじゃない」ともかく森繁久彌さんのところへ行って出演をお願いした。(中略)森繁さんは私を部屋に呼び、北原亮作役を引き受けると言ってくださった。私はほっと肩の荷を下ろした。「その代わり、頭の一分を私にくれ」これが『七人の孫』の冒頭の森繁トークとなった。森繁さんが日ごろ思っていることを、七三歳、白髪の北原亮作の口を通して語る。あるときは世相を痛烈に切り、ときには皮肉交じりに流行を揶揄する。普通なら角が立つところだが、森繁おじいちゃんの言葉として語られるとものすごい説得力がある。これが大いに人気を集め、話題となった。(後略)
 

子ども時代の事ですので、内容もほとんど覚えていませんし、森繁さんの冒頭トークなるものも、どのようなものだったか記憶にありません。ただ、田舎娘然とした垢抜けないお手伝いさんの存在感を、好ましく印象深く見ておりましたし、悠木千帆という名前も記憶していました。(後に「悠木千帆」の芸名はオークションで売りに出し、「樹木希林」を名乗るようになったそうですね)。

いずれにせよ「7人の孫」などという代物は、現実性の乏しい絵空事とおもわれましたし、ましてやそのような事態が、我が身の上に降りかかろうとは、夢想することもできないことでした。



孫も7人目ともなると、見慣れたはずですが、、やはり摩訶不思議、実に小さくて、精妙な生き物です。


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姫は、お姉さんの自覚たっぷりです。
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手の大きさがこんなに違います。
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ところでこの産院は、地下鉄長堀鶴見緑地線の沿線にあります。

駅前を歩いていて、ふとこの近辺に見覚えがあることに気づきました。

真田家ゆかりの三光神社が近くにあったはずです。

NHK大河ドラマ「真田丸」放映中に、熱心に視聴していた妻が、見て帰りたいというので、帰りに少し訪ねてみました。
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そう言えば、以前、こんな記事を書きました。

これより引用。


ところで、孫の住まいは地下鉄鶴見緑地線の沿線にあります。大阪城に向かおうと、最寄りの地下鉄駅構内を歩いていると、NHK大河ドラマ真田丸ゆかりのスポットの観光ポスターが貼られていて、玉造駅下車すぐの三光神社、心眼寺などが紹介されていました。気ままなぶらり一人旅の気軽さで、にわかに思い立って、ここをたずねてみることにしました。
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三々五々道をゆく観光客について、行き着いた三光神社には、真田の秘密の抜け穴なるものがありました。

s-_K527211.jpg(中略)

次の目的地、心眼寺は、少し距離があり、途中道にも迷いつつ、ようやく到着。
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お寺のたたずまいは、城壁の面影を残しているようです。
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幸村の墓もここにありました。
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現在の私立明星学園のグラウンドあたりが、真田丸が置かれた跡地だと言われます。
グラウンドを背に真新しい顕彰碑が建てられていました。
 
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引用終わり。
今日はこれにて。


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はしごもさすがに2軒が限度?の巻 [雑話]

goo辞書にこうありました。
ウィキペディアには『はしご酒』をこう解説してあります。
本来は、梯子を1段ずつ登っていくように、なじみの店を1軒ずつ尋ね歩いて飲むということであった。植木等の『スーダラ節』で歌われるように、サラリーマンらが帰宅前に数軒訪れることも多い。
「はしご酒」という言葉を覚えたのは確かに「スーダラ節」からだったかも知れません。
チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
酒は飲まず、まじめ一方の植木等さんが、当初この歌を歌うことに抵抗を覚え、郷里の父植木 徹誠(てつじょう)さんに相談したところ、浄土真宗の寺の住職だった徹誠さんは、「『わかっちゃいるけどやめられない』は親鸞の教えに通じる」と助言したそうです。大ヒット曲「スーダラ節」誕生にまつわるエピソードです。若かりし頃より労働争議に参加し、部落差別や戦争に反対する言動から治安維持法違反にによる投獄も経験し、戦後も民主主義や人権をまもる運動に取り組んだ徹誠さんの人間観の深さが偲ばれます。
ところで、今日話題にする「はしご」は、その「はしご酒」ではなく、「転じて、いくつかの場所を続けてわたり歩くこと。」のほう。
午前中は、年金者組合の支部のあつまり、午後は、一風変わった教育講演会。さらに夜は,演劇鑑賞の予定が入っていたのですが、さすがに3つのはしごはハードに過ぎ、演劇鑑賞はチケット代金を棒に振ることにはなりますが、諦めることにしました。
さて、午前中の年金者組合のあつまり。
まず、県本部副委員長の近藤劭さんからの報告と、担当弁護士のお一人清水加奈子さんによる講演をもとに、年金問題・年金裁判についての学習を深めました。
近藤さんがまとめてくださった報告レジメが,端的でわかりやすいと思いましたので、許諾を得て掲載させていただきます。(小見出しはkazg)
年金者組合岡山市南区支部定期総会にあたって
年金裁判運動についての報告 2018年7月27日 近藤 劭


高齢者の実収入は低下、負担は増大--社会保障のあり方が問われている

いま高齢者の家計収入が悪化し、(唐鎌教授の分析による と)この 14年間で月額 1 万8714 円も実収入が低下。世帯年収に換算すると14年間に22万5千円の低下。実収入が低下した最も大きな理由は社会保障給付費(年金給付額)です。 つまり社会保障政策(主として年金政策)を通じた、 政府に主導された実収入の低下なのです。
実収入が低下する中で、直接税と社会保険料負担は14年間で月額6,000円も上昇し年間7万4千円余の負担増。私たちは年金の減額そして税金・健康保険料・介護保険料などの諸負担を引き上げられ、収支両面から挟み撃ちにされ、 消費税増税でさらに追い打ちをかけられています。
税金を国民一人一人の幸せのために使うのか、 それとも戦争する国造りのために使うのか。社会保障のあり方がいま問われています。
政策形成訴訟としての年金裁判---3年余の歩み
年金裁判は最低保障年金確立のための政策形成訴訟、年金削減を進める今の政治を変えさせる役割を担う裁判です。
私たち年金者組合が2015年5月29日に56人で「年金引き下げ違憲訴訟」 を提訴して3年2か月が経過しました。
岡山県では第一次(憲法に反する特例水準の解消による減額処分)が56人、第二次(マクロ経済スライ ドを適用した年金減額は意法違反)が203人で原告数は重複もあり217人です。
2018年6月26日 第一次9回第二次6回口頭弁論が開かれ、その都度90人の仲間が参加。公正判決を求める署名(裁判の併合審査を求める署名も含め)7,966筆を提出しています。
年金裁判を支援する岡山の会も2015年9月26日に結成され県労会議、人権連、新婦人、浅田訴訟、生保訴訟の原告、社保協など、66団体281人が参加し20l7年11月には3回目の総会も開催されました。
弁護団は則武透、古謝愛彦、原幸徳、清水加奈子、吉村清人の5人の弁護士が参加され、27回の弁護団会議も開催され、 年金裁判をわがことのように受け止め全面的な指導を得ています。
全国的には44都道府県5168人が提訴し史上最大の社会保障裁判になっています。(全国の弁護団は300 人を超える)
憲法訴訟としての年金裁判 ---その争点は
この年金裁判は憲法訴訟です。憲法25条、l3条、29条が問われている裁判です。国の立場は年金生活者がどのような生活をしているか、暮らしをしているかということより、年金制度をとにかく形だけでいいから維持する、 莫大な積立金は維持するという立場です。
年金だけで生活できない人が数百万人いることは認めるものの、 憲法25条は年金だけで保障されるものではない、 いざとなったら生活保護があるから、年金だけで健康で文化的な最低限度の生活ができなくても問題ないと主張。 年金を下げるのは 「公的年金制度への不信・不満が高まり、 国民年金の納付率が下がっている。 この不信解消のために払いすぎている年金受給者に対する年金を下げなければならない」 という本末転倒のもの。
裁判闘争の今後
裁判では原告からは今後さらに学者の意見書も提出し、国との論争点を明確にして立証活動に入っていく流れになります。
原告の陳述書は72人が提出し、6月26日の口頭弁論では、陳述書をまとめた準備書面を提出しました。 次回10月2日は100号法廷(岡山地裁で最大の法廷、傍聴席が100ある)でパワーポイントを活用した弁護団の陳述が行われます。是非この口頭弁論にご参加ください。午後2時半に集合し、入廷行進後3時~ 口頭弁論です。
今後、原告の陳述書づくりをさらに進めます。そして原告側から総論立証、学者、現役世代、若者からの証人をたて、 年金制度と社会保障をめぐる本質的対立点を法廷で議論し、 安心できる年金制度の確立は可能であることを明らかにしていきます。
これからの裁判運動は、年金減額するな!最低保障年金をつくろう!裁判所は憲法にのっとって公正な判決を行え!年金は毎月支給しろ!の宣伝・署名を旺盛に進め、年金パンフを活用しさらに広い団体の協力を得て世論と運動を広げることが大切です。
そのためにも、裁判を支える募金活動も今年も1人500円を目途にすすめますので、 この面でもご協力をお願いします。

午後は「シカゴ&岡山教育交流のつどい」と題して、アメリカ・シカゴから訪日されているサラ先生に、アメリカの教育事情をうかがう企画。


学力テストの成績を学校統廃合に結びつける動きに、広範な教職員、市民、生徒達が立ち上がりました。運動の先頭に立った若い女性教師サラ・チェンバース先生らは、当局ににらまれて馘首されますが、、、、。
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実は,この企画、以前書いたこの記事で紹介した、山本由美先生の紹介で実現したもの。

月日のたつのは、の巻

「子育て教育のつどい」に参加し、山本由美先生(和光大学)の「みんなで子どもたちを育てよう いま求められる、本物の教育力」と題する記念講演を聴きました。

「全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育などの現代の新自由主義教育改革について批判的なスタンスで調査研究し、それらが子どもに与えるダメージについても研究対象に」(和光大学HP教員紹介のページより)しておられる立場からの、豊富な資料と克明な分析により、私たちが、目の当たりにしている学校状況の重苦しさやしんどさ、日頃うすうす感じていた疑問や不満が、どんな背景・どんな力によってもたらされたものか、腑に落ちた思いがしました。
サラ先生たちのことは、こんな本にも紹介されています。
学校を取り戻せ!   シカゴ、足立、貧困と教育改革の中の子どもたち

学校を取り戻せ! シカゴ、足立、貧困と教育改革の中の子どもたち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
教育改革はアメリカの失敗を追いかける  学力テスト、小中一貫、学校統廃合の全体像

 

教育改革はアメリカの失敗を追いかける  学力テスト、小中一貫、学校統廃合の全体像

  • 作者: 山本 由美
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2015/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
サラさんは断言されました。
「日本でも、必ず同じような事態が起こるでしょう」
「日本の人たちは、礼儀正しく従順だと聞きます。しかし、この(学力テストの成績を教師の評価と結びつけ、(公立)学校を潰していく)攻撃は、従順なだけでは食い止められません。肝心なのは、その攻撃が、学校、生徒にどのような害をもたらすかを明らかにし、父母、生徒、市民に広く知らせ、ともに立ち上がることです。」
最後にサラさんは参加者全員に起立を促し、次のCHANTをみんなで唱和しました。
They say cut back.
We say fight back!
They say cut back.
We say fight back!
彼らは「削減する」という。
我々は「反撃する」という。
彼らは「削減する」という。
我々は「反撃する」という。
とても刺激的な、しかも楽天的で痛快なお話でした。元気をもらいました。
でも、午前・午後の学習会のはしご、結構エネルギーを要します。さすがに、夜の演劇鑑賞までは余力がなく、今日の行事はこれにて終了。
最後に身辺メモ。
○昨日、大阪在住の次男に二人目の子どもができました。私にとっては7人目の孫です。明日にでも顔を見に行くつもり。
○今夜、近所に住む孫一家が、ママの実家に里帰りです。
○台風接近中とか。
○火星も接近中とか。
今日はこれにて。

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言うまいと思えど、の巻 [雑話]


高校時代、英語の時間にこんな一文を習いました(うろ覚えですが)。

You might say, but today's at fish .

「言うまいと思えど今日の暑さかな」と言うのだそうです。

ちなみに冬になると、「some fishes.」=「寒さかな」となるのでしたっけ。


今日は、退職同業者親睦組織の打ち合わせ会があり、午前中参加してきました。

F先輩は、豪雨災害のあと、二週間、ずっと、倉敷市真備町で被災された大先輩Kさんのお宅へ、復旧のお手伝いに張り付いておられた由。他にも、お手伝いしなければならないはずの方が何人もおられるはずだが、敢えて連絡を取ることもしなかったとのこと。人手を欲しがっておられるのは間違いないが、身体は一つしかないのでーーーと。

元同僚で、新任時以来、大変お世話になったTさんも、お宅が2階まで冠水。今は、お子さんのお宅に身を寄せておられるらしいと、風の便りに聞きます。

他にも、それぞれの同僚や知人の被災が話題にになります。

我々高齢者も、少しでもお手伝いにはせ参じたいところだが、返って厄介をかけることになっても、と、だれもが躊躇しています。F先輩に寄れば、真備町は、救急車がひっきりなしに走り回っている。その多くはボランティアと。

熱中症による搬送、16日~22日に全国で2万2647人との由。うち死亡が65人。もはや非常事態ではないですか。

人類の英知のすべてを費やして、全力で対応すべき事態といえるでしょう。
snsにこんな投稿がありました。
まったくその通りです。
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あとはカンパでよろしく、あとはボランティアでよろしく----。確かに多くの国民は、お人好しですので、カンパもやります。ボランティアもやりましょう。、、、、が、竹槍でB29に立ち向かうような無力感を、少しでも和らげ励ますには、思い切った財政措置と、十分な人材や重機、物資の投入が、最低限必要でしょう。

現地をはげますという点では、これなどは、一服の清涼剤でしょうか。渡海先生、やりますな。


「嵐」二宮さんが岡山県に義援金 真備の避難所で被災者を激励


西日本豪雨の被災地支援のため、人気アイドルグループ「嵐」の二宮和也さん(35)が23日、岡山県庁に伊原木隆太知事を訪ね、県に義援金5千万円を贈った。

 二宮さんは義援金の目録を知事に手渡し「報道を最初に見たときは、現実だと受け止められなかった。嵐として、一人の人間としてできることをすぐにやろうと決めた」と話した。避難支援グッズ960セットも贈呈。これに知事は「応援の気持ちを形にしていただき、本当にありがたい。みんなで前を向いて頑張りたい」と述べた。


ところで、今日の最高気温のデータはこんな具合(気象庁最新データ)。恐るべき酷暑です。

津山市 津山(ツヤマ)* 37.4 ] 13:39] +6.1 +0.8 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 新見市 新見(ニイミ) 35.2 ] 13:58] +5.6 -0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 北区 福渡(フクワタリ) 36.6 ] 13:20] +4.3 +0.4 最も暑い時期を上回る  
岡山県 和気町 和気(ワケ) 37.1 ] 14:05] +5.7 +0.6 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 高梁市 高梁(タカハシ) 38.7 ] 14:52] +6.2 +0.9 最も暑い時期を上回る 今年最高
岡山県 北区 日応寺(ニチオウジ) 37.0 ] 14:14] +6.4 +2.0 最も暑い時期を上回る 観測史上最高今年最高
岡山県 北区 岡山(オカヤマ)* 38.1 ] 15:45] +5.5 +0.5 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 瀬戸内市 虫明(ムシアゲ) 35.5 ] 15:09] +4.5 +0.5 最も暑い時期を上回る 今年最高
岡山県 倉敷市 倉敷(クラシキ) 35.7 ] 15:37] +4.0 +0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 笠岡市 笠岡(カサオカ) 35.5 ] 15:39] +3.2 +0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 玉野市 玉野(タマノ) 36.9 ] 16:33] +5.8 +0.4 最も暑い時期を上回る 今年最高


2020オリンピック、打ち水で対処しようとは、風流に過ぎますな。

今朝は、朝早くからいろいろな鳴き声が騒がしく聞こえて来ました。

まず日の出と競い合うように、蝉が鳴きます。

シャンシャンシャンと大声を上げて無数のクマゼミの声が、うねりながら耳に響いてきます。1/fゆらぎのリラックス効果もあるのでしょうけれど、それより、そのけたたましさと、じりじりと照りつける熱射のせいで、いらいら感がつのります。

未明の頃から、鳥の賑やかなさえずりも聞こえます。いつもの朝のように、スズメもしきりにさえずっていますが、それとは別に、聞こえるのは、複数の小鳥のさえずりです。

ツバメが何羽も集まっています。


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巣の中で、大きな口を開けて餌をねだっていたヒナも、その姿はもう幼鳥と言って良い成長ぶりです。
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先に巣立った仲間たち、兄姉たちが、旅立ちを促しているのでしょうか?
以前、4月に書いたこの記事で、我が家の玄関での今年一回目の巣作りを紹介しました。
その写真をご覧くださったM師が、こんなールをくださっていたことを思い出しました。
日本野鳥の会では福島の原発事故後白斑のあるツバメや、尾羽の長さに差のあるツバメが観察されたため断定はできませんが被曝の影響かと調査がされておりました。普通に部分白化することもあります。kazgさんの写したつばめには全部に白化が見られます、注意深く観察してみてください。
健康に健やかに育ちますように。、、、。




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夏の風物詩あれこれ、の巻 [折々散歩]

今日もまた、暑い一日。

朝6時前に外に出ると、もう暑い。ラジオ体操が始まる頃には、じりじりという音が聞こえるほど。2020年のオリンピック、7時にマラソン歩開始したからと言って何の気休めにもなるものか。沿道にミストの設備を張り巡らすそうだが、その費用と効果はどんなあんばいなのでしょう?試しに、被災地で実験してみて欲しいと思います。

オリンピックに限らず、高校野球、インターハイ、いずれも酷暑の競技、考え直すべきだと、先日友人と話したところです。オリンピックも夏の高校生競技も、いっそ、全種目ナイターゲームにするか?そういえば、私、夜間定時制高校に勤めていた頃、夜の運動会はなかなかいい感じでした。でも、夜間といえども、真夏は活動には適さなかったですがね。

昨日は、3歳児の保育園の「夕べのつどい」があり、兄弟姉妹勢揃いで参加してきました。ママは保護者会の役員で手が離せませんし、パパも仕事がすぐには帰れないので、ジジババもフル稼働です。

園長先生の挨拶が「こんばんわ」で始まるのですが、夕方といえどもかんかん照りで、とても夕涼みの気分になれません。今年は、室内にエアコンの効いた控え室が設けてありました。

かき氷が大人気です。

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空を見あげると、月。
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これは、玄関のツバメのヒナ。大きくなりました。
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最近家の前の電線に、何羽ものツバメが揃って止まり、我が家の方を覗いています。先に孵った兄姉達が、ヒナの巣立ちを待っているのいるのでしょうか。
こちらは、飼育ケースの中のカブト虫。
時間差で、ほとんどが孵ったようです。
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先日オス4匹を、郷里の山に放しましたが、新たに生まれたのは、オスが1匹メスが4匹です。
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近所の公園に逃がしてやることにしました。
日当たりの良い自然環境体験公園。酷暑を覚悟して出かけましたが、、、、
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スプリンクラーで芝生に散水中で、涼しいこと。孫達は大はしゃぎです。

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クヌギの林に逃がしてやることにしました。
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私たちが帰ろうとしていると、子ども連れの客が、カブト虫たちを放した林の方角に歩いて行くのとすれ違いました。ひょっとして見つかって、採集されてしまうかも知れないと、少々気がかりでした。
帰りに畑に寄って、スイカを取ってきました。
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いい感じです。
今日はこれにて。



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猛暑日の涙、の巻 [時事]

連日猛暑日が続きます。
留学生相手の授業で、その日の最高気温が35℃を越える日を猛暑日といい、30℃超の日を真夏日、25℃超なら夏日、という、などと蘊蓄を語り、連日36℃、37℃という体温レベルの猛暑日が続くね、というようなことをしゃべりました。こんな話題を導入に、夏を題材とする教材を読もうとしたのですが、後ろの方で、ベトナム人留学生の一人が「ベトナムはもっと暑いよ。60℃」などと言っています。日頃、軽口をたたく傾向のある人物ですので、冗談だろう?とやり過ごそうとしますと、真顔で「59℃」などと繰り返します。あるいは真実か?と思わされて、「外で活動してはいけないね」と応じておきました。

昨日は、教育相談のボランティアの担当日です。いつものように離れた場所に駐車して、20~30分のウォーキングで会場に向かおうと歩き始めますが、朝9時台というのに、焼け付くほどの日射です。青息吐息で、ほぼ中間地点にあたる県庁前を通りかかりますと、なにやら人だかりがしており、さらに三々五々、人が集まってきている様子です。遠くから様子を伺うと、宣伝カーやら色とりどりののぼり旗やら横断幕らしき物が見えます。
これは?と目を凝らすと、平和行進の出発集会が始まろうとしているらしい様子です。そういえば、岡山県内の平和行進日程では、この日県庁を出発して市内中心部を歩き、岡山市役所南の大供公演で終わる日程となっていますね。

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そうとも知らず通りかかったついでに、しばらく出発集会に参加してみることにしました。
岡山県庁からも歓迎と激励の挨拶がありました。(写真のマイクの方)
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下の写真。マイクは、全国通し行進を続けておられる方です。真っ黒に日焼けしていらっしゃいます。京都の出身だとおっしゃっていました。
まず水害のお見舞いを述べられ、命の大切さを語り、核兵器廃絶・核戦争阻止の切実さを訴えられました。また、苛酷な炎天下の行進での、健康への留意を呼びかけられました。
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あとでこの記事を確かめてみると、お名前は南友佳子さん。通し行進出発に当たってこんな決意を寄せておられました。
決意:
私は被爆2世・3世でもない京都で生まれ育った。人間です。今回応募したのは、昨年の出来事が大きかったからです。昨年、京都府内の通し行進をやらせていただいている時の7月7日に「核兵器禁止条約」が国連で採択され、その喜びは私を含めて歩いている皆さんにも大いに励ましになりました。核兵器を使うこととなった理由は戦争。誰かの命を脅かすだけでなく、その人の個性も奪われてしまいます。過去を繰り返してはいけないと、京都でもおこなっている「ヒバクシャ国際署名」にも参加しております。被爆者に寄り添い、そして多様性を持って生きられるように、全国の皆さんと一緒に歩いて広げていきたいです。
出発集会の模様。バックは県庁舎です。写真は、個人情報を配慮してやや加工しています。 


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行進が出発。「一歩でも二歩でもご一緒に、、。」と呼びかけがありましたので、少し遠回りにはなりますが、途中まで一緒に歩くことにしました。
朝から、強い日射しです。
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アーケードを通ると、日陰である上に、商店からクーラーの風も流れてくるせいでしょう、少し涼しい感じがします。それでも汗は噴き出ます。隣を歩いていたT女子が、時々団扇であおいでくれますが、生き返るような涼しさです。
平和行進の通過に合わせて、募金を用意して待ち受けてくださる商店主の方々、にこやかに手を振ったり、拍手して迎えてくださる方々もありました。
アーケードでは、ちょうど毎年行われている「平和七夕まつり」の飾り付けが、市民や高校生、小中学生の平和への願いを思い思いにアピールしているところでした。
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私の行き先はこの商店街の一隅にありますので、行進を途中抜けして本来の持ち場に向かいました。
心洗われる話をもう一つ。
facebookでA先輩がシェアしてくださった記事です。
「さいきんの若いもんは?凄い(o^^o)」とコメントされています。
全部引用したいところですが、ちょっとだけご紹介します。
西日本豪雨で甚大な浸水被害を受けた岡山県倉敷市真備(まび)町で、多くの住民が取り残される中、「どげんかしたらないかん」と、水上バイクで約15時間にわたり、約120人を救助した町出身の若者がいる。「町のヒーローじゃ」。救助された住民たちから命の恩人として感謝されている。

「おかんが真備の家に取り残されとる。どうにか助けてもらえませんかね?」

7日昼前、岡山県総社(そうじゃ)市の建設業、内藤翔一さん(29)は、同じ真備町出身の後輩で岡山市に住む上森圭祐さん(25)から電話で頼まれた。「すぐ行っちゃるわ」 水上バイクを友人から借りて、出発した。

 (その奮戦ぶりが感動的なのですが、思い切って省略します)

 「助けて」「こっち回って!」

「次行くけ、待っとって」と伝え、最初に上森さんの母親を救出した。

取り残されている人々の多くが高齢者。自力でバイクに乗ることができず、抱きかかえる必要がある。途中から地元の後輩にも手伝ってもらった。助け出した人々は、高台にある森泉寺まで運んだ。
(中略)

近くの岩田忠義(ただよし)さん(73)夫婦も内藤さんたちのバイクに助けられた。(中略)近づいてきたのは水上バイク。内藤さんから「子どもを先に運ばせてな。絶対戻るけん、絶対間に合うけん、頑張って」と励まされ、ほっとした。

しばらくして、約束通り内藤さんは来た。バイクに乗りながら「じいちゃん、命がけで助けたんじゃけ、長生きしてよ。絶対で」と肩をたたかれた。
うれしくて、涙が出た。(以下省略)

読んで涙が出ました。

同じ涙でもこれには、悔し涙が収まりません。NHKニュースからです、

野党6党派 内閣不信任案を衆院に提出

国会は20日、事実上の最終日となり、立憲民主党など野党6党派は「安倍内閣の政権運営は傲慢かつ無責任で信任できない」などとして、内閣不信任決議案を衆議院に共同で提出しました。
会期末を22日に控え、国会は20日が事実上の最終日となり、立憲民主党、国民民主党、共産党、自由党、社民党、衆議院の会派「無所属の会」は、国会内で党首が会談しました。
立憲民主党の枝野代表は「豪雨災害を受けて、政府と国会が一丸となって、対応にあたるべきだと申し入れたが、急ぐ必要のない法案審議のために、全力を傾けなかった姿勢は許し難い」と述べました。
そして、「安倍内閣の政権運営は傲慢かつ無責任で信任できない」などとして、内閣不信任決議案を共同で提出することで一致しました。
このあと野党6党派の国会対策委員長が、大島衆議院議長に安倍内閣に対する不信任決議案を提出しました。
(中略)

公明党の山口代表は党の参議院議員総会で「被災地の皆さんの苦労を思う時に、野党側の対応はさまざまな決議案などを連発して、いたずらに時間を遅らせているように映る。もう少し反省してほしい」と述べました。



野党6党派提出の内閣不信任案 否決

立憲民主党など野党6党派が提出した安倍内閣に対する不信任決議案は、衆議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党と日本維新の会などの反対多数で否決されました。

(中略)

自民党の金田幹事長代理は討論で「未曽有の大災害に、国民一丸となって、困難を乗り越えなければならない最も大切な時だ。大切なことは、政治の安定を図り、国民とともに、政治を前に進めて行くことだ」と反論しました。
(中略)
与党側は、このあと参議院本会議を開き、カジノを含むIR=統合型リゾート施設の整備法案を可決・成立させる方針です。

 

いもじくも「リテラ」7月19日付にこう指摘していました。まったくです。

避難勧告・指示が十数万人に出されている最中に安倍首相が「赤坂自民亭」に参加してどんちゃん騒ぎを繰り広げただけでなく、8日まで非常災害対策本部の設置もせず放置するなど、今回の西日本豪雨は安倍首相の初動の遅れが際立っている。この初動がもっと早ければ救えた命があったかもしれないのだ。

 しかし、そのことへの反省は微塵もなく、最優先すべき被災者支援の議論はそっちのけで、カジノ法案の審議を推し進めてきた。そして、いま成立しなくても誰も困らないカジノ解禁のための法案を強行採決したのである。これはもうはっきり言って、「国民見殺し政権」と呼ぶべきだ。

 安倍応援団や冷笑主義者からの「災害時で内閣不信任決議案を出すとは野党は不届き者」などという現実を見ない不当な批判など、野党は無視をすればいい。実際、カジノ法案の強行採決直前、参院内閣委員会では、山本(太郎引用者注)議員が西日本豪雨における死亡者と行方不明者の年齢やどこで被災したのかなどを丁寧に読み上げ、初動対応への批判と冷酷な法案審議の実態、安倍政権の欺瞞を、委員長に強制的に止められるまで訴えつづけた。安倍政権がいかに国民の生命を守る気がないか本会議でもしっかり強調し、野党には徹底抗戦してもらいたい。

最後にこんなマンガを紹介させていただきます。

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まんがイラスト ぼうごなつこのページからお借りしました。

今日はこれにて。



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久々の後楽園散歩補遺、の巻 [折々散歩]

西日本に大災害をもたらした大雨が上がり、梅雨明けが報じられて間もない7月14日(土)、実に久しぶりに後楽園を歩きました。豪雨による狼藉の痕にも気づかぬほど、端正な庭園のたたずまいです。

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遠く岡山城が望めます。
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岡山城は、その漆黒の外壁から烏城(うじょう)または、金箔を施したシャチホコから金烏城(きんうじょう)とも呼ばれます。
そんなことを何回か書きました、たとえば2016年秋のこの記事。
岡山城は、漆黒の壁にちなんで「烏城(うじょう)」とも、シャチホコの金を会わせて「金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれます。

カラスにちなんで、こんな写真はいかがでしょう。







ハシブトカラスのようです。

「ガーガー」と濁った鳴き声のハシボソカラスとは違い、「カー、カー」という澄んだ鳴き声で鳴きます。もともとは森林地帯に生息していたのが、いまは、都市部において急激に分布を拡げ、ハシボソカラスを駆逐するいきおいだそうですね。
性懲りもなく、またまたカラスを撮影してきました。
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これまた同工異曲ながら、「金烏城」らしいたたずまいを、いろいろな角度から写しておきました。
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きょうはこれにて。

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今年のハスの花、の巻 [折々散歩]

連日体温近い酷暑で、お散歩も尻込みしています。

「朝夕の涼しいうち」はない、と、天気予報でも言っていました。げんに夜中の室温は、エアコンが切れると30℃を超えてしまいます。

避難所生活の寝苦しさは想像に余りあります。日中の片付け、復旧作業で体調を壊す方が続出とのことで、何人も救急車で搬送されたというニュースもあとを絶ちません。

長女のムコ殿も、この間、ボランティアで復旧作業に出動の由。頭が下がります。その故もあって、昨日の午後は、2歳児が我が家に滞在。子守がてらショッピングセンターに出かけ、母ちゃんは買い物、ジイジは孫のお相手です。エアコンのよくきいた店舗内を歩き回ったことで、散歩の歩数にかぞえることにしました。

今日もまた、スーパーの店舗内を歩いただけで一日が終わっていきます。

ところで、毎年この季節、ハスの花を話題にすることが多かったのですが、今年はまだでした。

先日の大雨が上がった日、近所の蓮根田周辺を車で通ってみました。


激しい雨と溢水にいたぶられたあとですが、清楚かつ優美に花を咲かせていました。


7月14日(土)には、まったく久しぶりに後楽園を訪ねてみました。

過去に何度も書きましたが後楽園では、井田の大賀ハス(古代蓮)と、正門付近の一天四海(大名ハス)が目を楽しませてくれます。

後楽園の古代蓮

今年の大賀ハス(岡山後楽園)

少々引用します。
正門近くの花葉の池に白い大輪の「一天四海」が咲いています。別名「大名ハス」とも呼ばれる豪華な花です。
強い陽射しを受けて、白い花がまぶしく、涼しそうです。
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(中略)
 
 
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白い蓮と言うといえども紅ほのか(パクリです)
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ところが、ことしは、「花葉の池」は泥水に浸かったあとも痛々しく、「一天四海」の花弁は一輪も残っていませんでした。

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大賀ハス(古代蓮)の方は、わずかでしたが花を咲かせていました。

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たくさんのチョウトンボが舞っていましたが、暑さの中でカメラを構え、マニュアルでピントを合わせるだけの集中力と腕前とが足りず、早々に諦めました。pentaxk-5+sigma APO 120-400mm F4.5-5.6という組み合わせで、こんな被写体をAF撮影することは、私には難しいのです。



真夏の後楽園、さすがに人影もまばらです。


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正面に岡山城を望みます。
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紫陽花がまだ見頃でした。
これが、後楽園の紫陽花、今年の初撮りです。
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今日はこれにて。


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臍をくくる、の巻 [折々散歩]

先週日曜日(7月8日)、退職同業者の親睦会の今年度総会が開かれました。

今日は7月10日付け記事の続きを書きます。
開会の冒頭、副会長のGKさんは、「『戦争』・『暴力』の反対語は何でしょう?」と会場に問いかけます。出席者の1人の「対話」という回答にうなずいて、暉峻 淑子著「対話する社会へ」を紹介し、「『戦争・暴力』の反対語は『平和』ではなく『対話』。対話に向かう世界政治の流れを、さらに推し進めよう」と訴えました。
対話する社会へ (岩波新書)

対話する社会へ (岩波新書)

  • 作者: 暉峻 淑子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/21
  • メディア: 新書

続いて挨拶に立ったEK会長は、「憲法9条の問題は軍事・外交の問題ととらえられがちだが、それだけではない。私たちは『憲法・教育基本法の遵守を誓った誓約書に署名して、教職に就いた。その教育基本法は、すでに、第一次アベ内閣によって改悪されたが、今憲法9条の改悪を許せば、教職員は、その改悪憲法に従って、教え子を戦場に送る教育を進めなくてはならなくなる。このように、改憲問題は、すぐれて教育の問題でもある。」と強調し、「退職教職員連名アピール」のとりくみをはじめ、アベ9条改憲NO!の運動の推進を呼びかけました。

ついで、事務局から、この1年間の経過と決算、活動計画と予算案について報告され、満場の拍手で承認されました。
討論では、活動計画を深める立場から、「年金引き下げ違憲訴訟」をはじめ年金制度の改善を求める運動、「ゆきとどいた教育を求める全国署名」のとりくみ、県北での米軍低空飛行問題や日本原演習場での米海兵隊単独訓練に反対する現地のとりくみなど、多彩な話題が具体的に報告され、設定時間が足りないほどでした。
昼食を挟んで、午後は、学習と交流の時間。高教組書記長の松本太さんが「高校現場の教師と生徒たち」と題して問題提起。最大のブラック職場とも言うべき長時間労働の常態化、高止まりする教職員の休職者数、「賃金リンク」制度の導入、職場のチームワーク・協力関係の成立しにくさ、組合組織率の低下など、現在の高校現場のなまなましい実態を聞いて、「聞きしに勝る」「想像を絶する」様変わりぶりに改めて驚かされるとともに、退職教職員として、また一市民として、学校現場の教職員と子ども・生徒たちをどう応援し、力づけていくことが可能か、いたく考えさせられました。


話は変わって、昨日から、ある人名がどうしても思い出せませんでした。

よくあることです。

私版 備忘のためのおすすめ記事、の巻

でこんなことを書きました。
物忘れを嘆く記事を、何度も書いています。
たとえば、夕焼け その2の記事は、一昨年の秋に書きました。
一部を引用します。
 ショックです。
いたく落ち込んでいます。
自分の記憶の曖昧さ、でたらめさに、改めて気づかされ、「老人力」がついたなどと笑い流す余裕もありません。
(中略)
最近しょっちゅうこんなことがあります。先日は、テレビでチラリと顔を見た女優さんの名前が浮かびません。もと夫の方のお名前は浮かび、周縁のエピソードはあれこれ浮かぶのですが、名前が思い出せないのです。
あいうえお、かきくけこ---わをん。と、何度も繰り返して、これにつなげて名前を思い出そうとしますが、無理です。ほとんど二日半、この努力をしましたが、断念。ネット検索で確認するまで思い出せませんでした。
その女優さん、大ファンというわけでもないですけれど、デビューの頃からどちらかというと好感をもって見てきて、最近は、円熟味の増した演技に魅力も感じるし、レパートリーの広い歌での活躍にも注目していて、CDを買ってカーオーディオで聴く数少ないお気に入りアーティストの一人といってもいいのに。
現実の交際でも、こんなことがしょっちゅうあり、「名前を忘れた人」リスト作って、二度と忘れないようにしようと思ったりしますが、それも面倒で、二度目三度目の忘却に直面して愕然としたりするのです。トホホ。

白状します。この、名前が思い出せなかった女優さんというのは、大竹しのぶさんのことでした。もちろん、「もと夫の方」はサンマさんです。
 この話題を、現代の高校生にしましたら、「IMALU」さんの父母、としてインプットされているようですネ。
wikipediaでは、こんな紹介がありました。
 『いまる』は父親であるさんまの座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からと、一方大竹は「いまをいきる(今を生きる)」から命名したと述べている。


今度思い出せなかった人名は、私にとって、もっと切実な存在で、思い出せないことなどあってはならない人なのですから、余計にショックでした。
たとえば、子どもや孫の名前を呼び間違えることはしょっちゅうありますが、名前を思い出せないという経験はいまのところありません。でも、近い将来そんな耄碌が襲ってくるかも知れないと思うと、こころ穏やかではありません。
思い出せたときのアハ体験が大切と聞きますが、自力で思い出せない場合には、外部記憶を頼るしかありますまいか。
余りに気がかりで夜も眠りが浅いので、今日の早朝と言いますか未明に、パソコンのスイッチを入れ、検索したらすぐにわかりました。たしか、エスパー魔美に登場する男友達の名前だったよなあ、などと取りとめもない思いをめぐらしていたのはまさしく正解で、高畑さん!高畑勲さんでした。
事の発端は、小5と小2の孫を乗せて、郷里の老父母宅まで片道60km。時間にして2時間を、どうやって退屈を紛らすか?しりとり、なぞなぞ、などなど思いつく限りの時間つぶしを、子どもたちも工夫するのですが、それにも飽きて沈黙が訪れます。
そんな帰り道、ふと話題になったのがいくつかのアニメのことでした。
そもそもそのきっかけはと言うと、老父が地元新聞に投稿予定の記事を、孫2人が読ませてもらいました。「B29」「焼夷弾」「酷い」などの意味や読み方を確認しながら、帰りの車でもう一度2人で声に出して読み、兄が言います。「いちばんよく出てくる『戦争』という漢字は読めるだろ?3・4年生になったら「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」が教科書に出てくるで。」とそのあらすじを語って聴かせます。妹は、担任のM先生が、「火垂るの墓」が悲しすぎて二回目は見たくないと言ってた。などの会話をしているので、「火垂るの墓」の話題に参加してみました。原作の野坂昭如さんを論じても始まらないので、アニメの作者を話題にしようと思って頓挫してしまったのです。
子どもたちは、正しくも「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」や「かぐや姫の物語」を上げます。それらの作品の監督、高畑勲さんのお名前がどうしても思い出せないのでした。
宮崎駿さんはすぐに思い出せたのに、なぜでしょう。

一筆啓上仕り候、の巻(その2)

など、高畑さんのことは何度も書いていますのに。
さて、その高畑勲さんの短い手紙、いやはがきの一節が、「リテラ」のこの記事に紹介されています。

引用元 高畑勲監督が遺した安倍政権への無念の言葉


去年の年賀状にしたためられたという高畑さんの「願い」だそうです。

〈皆さまがお健やかに
お暮らしなされますようお祈りします
公平で、自由で、仲良く
平穏な生活ができる国
海外の戦争に介入せず
国のどこにも原発と外国の部隊がいない
賢明強靭な外交で平和を維持する国
サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です〉


この願いが叶う姿を見届けられないまま亡くなられたのは、残念至極です。

同じ「リテラ」の記事から、こんな文章も引用させていただきます。(見出しは引用者)


「火垂るの墓」は戦争を食い止めることはできない?

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」
「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」
2017年4月三上知恵監督とのトークイベント

ズルズル体質の歯止めのなさ。

「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」
「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」
武蔵野市での講演会(15年7月)

「 絶対的な歯止め」としての9条。

『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)
こんな記事を書き留めていたことさえも忘れていました。忘れたら何度も紐解いて、思い出すしかありません。ここはあきらめて、臍を括ることにします。
きょうはこれにて 


追伸

長い長い記事を書き終えて、いざタイトルをどうしようかと考えあぐね、文末の「臍を括る」を使うことにしました。「ほぞをくくる」と読むつもりです。UPして何時間かたって、なんだか落ち着かない違和感が襲ってきました。

「腹を括る」という言葉はあるけれど、「臍を括る」っていうかしら?第一、どうやっておへそをくくればよい?

それを言うなら「臍を固める」でしょ。気がついて臍を噛んだことでした。ヘソが茶を沸かすたぐいのお粗末でした(汗)

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今日のあれこれ、の巻 [折々散歩]

梅雨明けが報じられた頃から、蝉の姿を見るようになりました。

これは昨日訪ねた後楽園の庭園で見つけた空蝉です。

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今朝などは日射しとともにけたたましい蝉時雨が、並木の枝を包んでいます。
朝の散歩も結構な暑さで、早々に退散してきました。


見るともなく眺めていた朝のテレビに、注意を引かれました。

NHKドキュメンタリー - 目撃!にっぽん「政治家 野中広務の遺言~追い追い求めた“真実一路”~

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そう言えば、以前、ソネブロmajyo様の記事で何度か野中さんを話題にしておられました。たとえばこの記事。

老兵は死んだ・野中広務

少しだけ無断引用させていただきます。
今日は亡くなった野中さんの事を書きたいと思ったが時間が無い
昨夜、Twitterにて投稿した短い文章をご紹介したい

野中広務氏が亡くなられた。下記の三冊を読んでいると思うが彼をダーティーな鳩と思う。冷厳さと優しさを併せ持つ人だがその出自から麻生太郎は言う。あんな部落出身者を日本の総理にはできない。その後、野中は多くの人の前で 君に人権啓発なんて出来ない。絶対に許さん!と言った
魚住昭の自叙伝的ノンフィクションの中にある。出自に関して家族を悲しませたことをわびた。本人にも辛い本だったようだがそれがよりリアリティーに感じる。惜しい方が亡くなった
(中略)
今から何年前だろうか
HPをやっていた私は小泉時代にイラク派兵に反対していた。
その時に自民党で声を上げていたのが野中さん
政治に疎かったし、野中さんにはダーテイーなイメージを持っていたが
この人は芯がある。すごい人だと思うようになった。
今朝のNHK番組でも、そのイラク国会の時の行動が、当時の映像で紹介されていました。他にも、基地問題での沖縄県との対応、ハンセン病問題解決への尽力、大政翼賛化への危惧、改憲の動きへの懸念など、「みずからの戦争体験から一貫して反戦を訴え、弱者に対するまなざしを大切にする政治家」としての実像が、実際の映像や各界の人々の証言を通して浮き彫りにされていました。
これに触発されて、少々ググってみると、こんな記事もありました。
NHK政治マガジン2018年4月18日 特集記事 野中広務とは 何者だったのか
一部分を引用します。
野中氏は、その政治姿勢から、与野党問わず、幅広い政治家にファンがいたことで知られています。現在、兵庫県宝塚市長を務める中川智子氏は、社民党の衆議院議員時代から親交のあった1人です。平成9年に、野中氏が、衆議院本会議での委員長報告で、「大政翼賛会にならないよう若いみなさんにお願いしたい」と呼びかけたのがきっかけでした。
「感動のあまり、矢も盾もたまらず、野中事務所に走った。ちょうど野中さんも自室にいて会うことができた。『今日の野中さんの発言に涙が出た。あなたみたいな政治家に会えてよかった。本当に素晴らしかった』と話した」
当時、社民党の1年生議員だった中川氏は、その夜、議員宿舎に帰って驚きます。野中氏から、「これから困ったことがあったら何でも相談しなさい」というメッセージと、携帯電話の番号が書かれたメモが、郵便受けに入っていたのです。
それから、野中氏は、ハンセン病や、薬害ヤコブ病をめぐる問題などで、中川氏の活動に党派を超えて、力を貸したといいます。
「私が、いつも『手伝ってもらってばかりですいません』と言うと、『君は、票にもお金にもならないことに必死で取り組んでいる。本来政治家はそうあるべきだ。政治の光が当たらなければならない人を助ける議員が少なすぎる』と。『君を手伝うことは大事な仕事だと思っている』と言ってくれた」

野中氏が政界を引退した後も交流は続き、1年に数回は会って食事をしながら意見交換していた中川氏。1年に3日だけ、どうしても野中氏と会えない日がありました。野中氏が自治大臣・国家公安委員長として対応にあたった阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と、JR福知山線の脱線事故が起きた日でした。
「野中さんは、『必死だったが救えなかった命はある。体が動かなくなるまで、この3日は欠かさず、お参りすると決めている』と。生涯を貫き、自分が関わったことを忘れずに亡くなった人たちと向き合う。自分に対して非常に厳しい方だった」
政治の裏も表も知り抜いた保守政治家ながら、ポリシーと気骨を持った、アッパレな政治家であったことは間違いないようです。
ネット上では、こんな新聞記事に出会うこともできます。しんぶん赤旗2009年6月27日付です。

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長くなりますが、一部引用します。
25歳で郷里の町会議員になり、衆院議員引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。

■議員引退の訳

 国会議員を退いて5年8カ月。私は全国各地で、ざっと300回の講演をしてきました。招かれる先にはあなた方と親しいグループや団体、また憲法9条を守ろうという会もあります。
 いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに小泉内閣の5年は、短いことばで国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して、日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私は、こんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員を退いたのです。
 私自身は、軍隊経験は6カ月だけですが、あの戦争の時代とその後を体験した人間として、今日ほど日本の人々が、この国の進路を誤らないように明治以後の歴史を振り返り、平和を考えなければならない時はないと思います。

■大政翼賛会に

 01年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、私は、本会議場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会議場を出て棄権しました。この法案が自民党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、ぼくと野呂田芳成さん、谷洋一さん(ともに元農水相)の3人だけ。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といっていました。
 正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。
 このできごとに先立つ1997年4月、衆院本会議で僕は、日米安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長としての「沖縄駐留軍特措法改正案」審議報告で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。…国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自分の思いをつけ加えました。国会ルール違反と批判され、議事録から削除された経験があります。
 しかし、そのあと、特措法を積み重ねて自衛隊は地球の裏側まで出かけていけるようになってしまいました。
 私は、振り返って今も3つの特措法に対する自分の当時の判断は間違っていなかったと思っています。

戦争に加担しない道を

 最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭塗(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(中略)
 日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。

■憲法

 たしかにいまの憲法にはいろいろ矛盾はあります。しかし、わが国は日本国憲法の掲げる「戦争放棄」「恒久平和」の理念を1つのよりどころにして、自衛隊を海外に出したりすることを「卑怯(ひきょう)者」といわれても避けてきました。憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。このことが戦後64年の平和につながったんです。1つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の1つ1つが物語っています。
 私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則(のっと)って国際平和に貢献すべきだと思います。
 私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。

■戦争の傷跡

 私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。
 僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ、血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されてきた朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。
 戦後64年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。
 北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。中国に日本軍が遺棄してきた化学兵器や中国残留孤児の問題もあります。多くの未解決の傷跡をみるとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任が取れていないと思います。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷になっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです。

■歴史に学ぶ

 幕末から明治にかけて、「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革であったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、と思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
 私は、子どもたちにしっかりと近現代史を教えてこなかったツケが、田母神俊雄・元航空幕僚長のような暴言を吐く人間が出てくるような、悲しい、いまの日本の狂ったような状況に拍車をかけていると思います。
 シビリアンコントロールが効かない状況が起きているのを、政治がどのようにチェックし、正常化していくのかというところにも力を置かないと自衛隊内部からの暴発によって日本の平和が脅かされる危険性があると思います。
 国の根幹を決めなくてはいけない政治家たちが、しっかりした歴史認識にたって、再び誤った道へ走っていく流れにブレーキをかけなくてはならないと思います。
     ◇
 去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義国家になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。
 そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。

政治的立場に違いはあっても、今の日本の危機をどうとらえるかについては、まったく同感で、次代に語り継いでいかなければならない
ならないと強く思ったことでした。



今日は,小5,小2の孫と一緒に田舎に帰ってきました。

途中、堤防決壊の痕など、まだ洪水被害の爪痕が癒えない地域も通りかかりました。

撤去中の瓦礫の様子も瞥見しました。エアコンを効かせた車の中でも汗が引かない猛暑の中、気が遠くなるような後片付けのご苦労は、なみひととおりではありません。作業中に、熱中症で搬送される方々が、各地で多数報告されています。

こちらはと言えば、のんきな用事で申し訳ない限りですが、先日いただいたカブトムシの幼虫が、ついに羽化し、狭い飼育ケース中で争い合うので、何匹か田舎に逃がしてきたらと、ばあばが言ったのが事の起こりです。

オスばかり。四匹連れて行きました。


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裏山にクヌギの木があるので、そのあたりに放してやることにしました。
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元気に旅立って行きました。
今日はこれにて。

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夢の形見!の巻 [雑話]

加藤剛さんの逝去を知り、いろいろな物思いをしています。
おおやけになったのが、西日本災害の時機であったため、意識の大半がそちらへと向かい、悼む思いに現実味が備わらないまま、記事にする余裕もありませんでした。
そんなとき、今日の地元紙「山陽新聞」に、ペリー萩野氏による追悼記事が掲載されていました(おそらく共同通信系の各紙にも掲載されていたのでしょうか)
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ペリーさんが、「常に姿勢が正しく、言葉を丁寧に選ぶ人だった。」「あまりにも規則正しい生活をするので加藤さんを見ていると時間がわかる』とさえ言われていた。」「まじめ一本でこちらがふざけて放したこともまじめに受け取られてしまって、謝ったこともある。そうした人柄も素敵だった」「何をやっても加藤さんの役になる。折り目正しく、正義感がある。」と書いておられるそのいずれもが、まさに腑に落ち、まったくそうだったに違いないと確信されるのでした。
もちろん、私にとっては、テレビや映画を通してしか知る機会のない俳優さんでしたが、中・高校生頃に熱心に視聴した「三匹の侍」(平幹二朗さん、長門勇さんと、絶妙ののコンビネーションでした)、「大岡越前」(竹脇無我さんとの、相互に敬しあう友情と、無欲の処世の潔さに、清涼感を与えられました)など、役柄そのものの高潔さを疑うことはありませんでした。映画「砂の器」で演じた天才音楽家の陰影深い哀しみも、人間洞察のなせるわざと感じました。
その加藤剛さんについて、日刊スポーツはこのような記事を寄せています。
加藤剛さんが6月18日、落語家桂歌丸さんが7月2日に亡くなった。剛さんは80歳、歌丸さんは81歳だった。2人が歩んだ世界は違ったが、ある共通点がある。それは戦争体験があり、反戦への思いが強かったことだった。

 加藤さんは、木下恵介監督の映画「この子を残して」で長崎の原爆で被爆し、子どもを残して亡くなった医学博士の永井隆氏を演じ、舞台「コルチャック先生」ではユダヤ人孤児院の院長で、子どもたちを救うためナチスによってガス室に送られたコルチャックを演じ、何度も再演を重ねた。 加藤さんは戦争で身内を2人も亡くしている。1人は軍医だった義兄で、南方の島で戦死した。2番目の姉は結核を患い、戦後の食糧難の中で満足な治療も受けられず、28歳の若さで亡くなった。

 だから、改憲に走る安倍晋三首相に批判的だった。「憲法は、戦争で命を奪われた人たちの夢の形見だと思っています。多くの犠牲の上に、今の平和な世の中がある。だから私たちには、子どもたちのために憲法を守る使命があると思います」。

 歌丸さんも、戦時中の空襲で横浜の生家が焼失している。千葉に疎開し、道端の草やサツマイモばかり食べていたため、戦後になっても「私はね、サツマイモが食えねえんだよ」と話していた。

 加藤さんと同じく、安保法制をめぐって議論が沸騰した当時、テレビの報道番組のインタビューに対し、「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなと言いたくなるんです。戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろって言うんです。戦争っていうのは良い物なのか悪い物なのか、この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです」と熱く話していた。

 毎年8月には浅草にある「はなし塚」法要を欠かさなかった。戦時中、時局に合わないとして、「明烏」など53の落語を高座にかけることを禁止された。当時の苦い経験を風化させないようにと、「はなし塚」が建立され、歌丸さんも「そのまま封印しちゃいけない。できる限り(法要を)続けていく」と使命感を持っていた。

 知性ある端正な演技で魅了した加藤さん、怪談噺で円熟味を増していた歌丸さん。その演技、芸をもう見られない喪失感がある一方で、戦時中に少年時代を過ごした数少なくなっている戦争体験者で、反戦を発信してきた2人の切実な思いを忘れてはいけないだろう。      【林尚之】

加藤さんも歌丸さんも、「しんぶん赤旗」に何度か登場しておられました。
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ひとまず今日はこれにて。

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梅雨明けて朝の涼しいうちさえもない、の巻 [折々散歩]

梅雨明けとなったら、律儀なことに大変な暑さです。少しは、ほどほどに手抜きをしたらどうなの?
豪雨災害でなくなられた方が、今日現在、岡山県内で59人に及び、さらに行方不明・安否不明が多数報告されています。今日の夕刊で 、志望者のお名前が 初めて公表されました(40人分)、高齢の方が多いのが特徴です。自宅から避難できず、2階への垂直避難もままならず、せっかく弔辞に恵まれながら、「溺死」という信じがたい最期を迎えるとは、ご本人もご家族も、無念としかいいようがありません。
無事避難された方々も、酷暑の中の避難所生活、片付け・復旧作業は、想像を絶する困難を伴うでしょう。ボランティアの皆様の奮闘ぶりも伝えられていますが、熱中症対策等、健康に留意されますよう祈ります。

それを思えばのんきなものですが、朝の涼しいうちにと、プチ散歩してきました。6時台でも相当な暑さです。
これは、カラスウリの花。

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芙蓉。

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ムクゲ。

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朝食を済ませて、借りてる畑の様子を見て来ました。
掘り残しのジャガイモが、大雨に浸されて、全滅?と思いきや、無事なものもかなりありました。無惨に腐りかけているものもあって残念でしたが、掘りあげて帰りました。草取りも試みますが、汗が噴き出て、身動きするのも億劫なほどです。
雑草まみれの中に、スイカが実っていました。一週間ほど前(洪水前9に一つ、採って帰ったのですが、その時はまだ薄いピンク色で、ちょっと早すぎました。

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洪水のあと、散歩道のスイカを見ますと、雨にやられて腐りかけているものも目につきます。腐らせてしまってはがっかりなので、とりあえず一個だけ採って帰ることにしました。
学校から帰った小5生が、いみじくも「今日はスイカを取りに行きたい」と言います。ぴったりのタイミングでした。


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十分な熟れ具合で、嬉しい甘さでした。

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トマトやナスも、被害がなく、収穫できました。

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小2の女の子の、本読みの宿題は、ここ何日か、「スイミー」です。

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

  • 作者: レオ・レオニ
  • 出版社/メーカー: 好学社
  • 発売日: 1969/04/01
  • メディア: ハードカバー

「レオ・レオニ作  たにがわしゅんたろうやく スイミー」

孫のパパや叔母・叔父たちも、小学生の時、この作品を、大きな声で本読みしていた記憶があります。
当時、自分の知らない作品だなあと思っていましたが、ウィキペディアの解説によると「1963年に出版された。谷川俊太郎が訳した日本語版の正式な題名は『スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし』。光村図書出版が発行する小学校2年生用の国語教科書に1977年から載録されている」そうです
ところで、前回記事でもちょっと話題にした映画「万引き家族」で、第71回カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを獲得した是枝裕和監督が、日本外国特派員協会での記者会見(6月6日)で次のように語っているそうです。

ーー実際に釣り竿を万引きした家族のことが報じられましたし、脚本を執筆するにあたって、どのような研究をしたり、人に会ったりしましたか。

是枝:実際の事件をもとに作ったというわけではありませんが、ここ数年の間に家族を巡って起きたいくつかの事件を参考にはしました。

今回の作品では血縁=血の繋がりではない繋がりを持っている家族を描こうと思い、そこから"犯罪でしか繋がれなかった家族"というアイデアが生まれました。そして年金詐欺、年老いた親が亡くなった後、その年金を頼りに子どもたちが暮らしているという状況をベースにしてみようと。さらに、その家族が優しさで集まっているのではなく、お金目当てで集まっている。最初のモチベーションをあまり優しいものにはしないようにしようと思って、そうしました。

 

 もうひとつは、家族で万引きしたという事件の裁判が始まったというニュースがありました。なぜ捕まったかというと、盗んだ物の中で釣り竿だけ家に置いてあったからだと記事に2、3行書いてあって、それがすごく引っかかっていたんです。多分、これは釣りが好きで、きっと盗んだ親子で釣りをしたんだろうと思いました。釣具店さんには申し訳ないんですけど、盗んだ釣り竿で釣りをしているイメージが最初に浮かびました。結果的にストーリー上、シチュエーションは変えましたが、映画の中で親子が釣り糸を垂らしているシーンは、最初に浮かんだそのイメージです。

 

 それから今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。

 

 朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。

 

ーー政治指導者からのお祝いの言葉が無かったということですけれども(笑)、監督の頭の中に、観衆として政治を生業にする皆さんや官僚の皆さんのこともありましたか?

 

是枝:ありませんでした。

 テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。

 今回は...今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。





ツバメが、スズメの襲撃に邪魔されながら、一回目にヒナを孵した巣は放棄して、場所を変えて二度目の巣作りに励んでいましたが、豪雨災害にもめげず、ようやくヒナが姿を見せ始めました。親鳥はかいがいしく餌を運んでやっています。

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ヒナたちは、いつもはじっと巣の奥の方に潜んでいますが、親鳥の気配を感じると競い合って自分の存在をアピールします。
大きな声で「スイミー」を読む小学生のように。
親鳥は等しくそれを受け止めて、順に餌を分配します。
親子の情愛の厳かさを感じるひとときです。
今日はこれにて。

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けさの倉敷川ほか、の巻 [折々散歩]

当ブログの執筆動機は、そもそも、家族・友人知人への安否情報と、私個人の備忘録的記録が主なものでした。
2015年8月のこの記事に、いみじくもこう書きました。
私のブログ開始は、正確には、退職の瞬間から即時というわけではなく、いくらかタイムラグがありまして、癌手術を経てのリハビリ過程で、退屈しのぎのすさびごととして始めたというのが、経過です。
その時漠然と期待したのは、①忘れっぽい自分の備忘録(紙に書く日記は,続けられないので)、②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、③自分自身の何らかの存在確認、などの雑多な要素を、お気軽に満たしてくれそうだという点。今、三年目を迎えられていることをみれば、この予感は、まんざら外れてはいなかったようです。
もちろん、当初は予期してさえいなかった、「読者」の皆様や、「ブロガー」仲間の皆様方からの、閲覧、ナイス、コメントなどなど、多大な励ましをいただいたことが,継続の最大の支えでした。
何やら、「終わりの挨拶」みたいな流れになってきましたが、そんなことはありません。まだまだ、細く長く、続けるつもり、ひきつづき、よろしくお願い申します。
昨今、時に流されて、その備忘録の記録がおろそかになっています。
小学生の夏休みの宿題さながらに、最近数日分の日記を書き溜めておきます。
5日(木)は、発熱の保育園児の保育(記事に書きました)。
6日(金)は、作品展の店番8これも記事に書きました)。
この日、入れ替わりに午後を担当してくださった方の一人は、新見在住で、早めに切り上げて帰宅されたタイミングがきわどくセーフで、180号線も水没、高速道路も通行止めになる寸前の最後の通行者だったそうです。小中学生はこの日から臨時休校。孫らは、午前中はおとなしく子供らだけで過ごし、午後はちらほら遊びにきた子もいました。
7日(土)は、午前中の早い時間に溢水状況をカメラに納めました(記事にしました)。
まもなく、ママが、災害に伴う用務多忙で、職場から呼び出しを受け、保育園児だけを私に預けていきました。この日はいつになく聞き分けよく、途中から姉も合流して穏やかに雨籠りをしたことでした。
お昼ご飯は残りの小中学生も招いて、じいじ特製焼きそばを振る舞うなどするうちに、一日がくれました。何度も防災メールが着信し、消防車がサイレンを鳴らして、なにやら放送を流しながら走る物々しい雰囲気はありました。
8日(日)は、朝方まだ雨は残り、各種警報も出されていましたが、毎年この時期に開かれる退職同業者の親睦組織の総会に出席。JRも不通、高速道路など主要道路の多くが通行止めという悪条件で、やむなく欠席された方もありながら、遠路悪路を厭わずの出席で、熱気ある会となりました。
一番の遠方は、近年埼玉に移住されたTさんで、例年通りの常連参加ですが、今回は新幹線は動いたが在来線全面ストップのあおりで、駅で一泊されての出席とか。「避難勧告」どころか「避難指示」が出されている地域からの出席も少数ではなく、総会終了後、夜に計画されている懇親会もよていどおり「決行」されました。(勝手ながら、私は、失礼しましたが。)
開会に先立ち、例年のようにHさんのアコーディオン演奏で、「鐘の鳴る丘」を合唱。
緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
と始まるこの曲ですが、結びの部分の歌詞に、感慨を覚えました。
昨日にまさる 今日よりも
明日はもっと幸せに
みんななかよく おやすみなさい
「歌声喫茶のび」このページに、midi音源が紹介されており、こんな記事も掲載されています。
戦争が終わった時に、戦争孤児は12万人とか。
この物語のきっかけは、アメリカ駐留軍のカトリック的な施策。
1917年にカトリックのフラナガン神父によってアメリカで「少年の町」が創設されます。
「この世に悪い子はいない。愛を持って接すれば、非行少年も必ず立ち直る」というその精神を、菊田一夫が日本人向けにアレンジしたものが「鐘の鳴る丘」。
菊田一夫は、さらに「戦災孤児は誰が作ったのか、彼らがカッパライをするのは生きるためではないか」というメッセージも込めています。


戦争が終わり、国中が貧しい中でもどこかに希望が存在していた時代。その希望の根拠が憲法に集約されていたはずの時代。そういう明るさを湛えた歌が、眩しいほどに愛おしく思われました。

「万引き家族」が話題を呼ぶなか、「『万引き家族』の主人公一家が現在の日本で決して特殊な存在でない」(是枝監督)だけでなく、そのような人々が、貧困バッシングにさらされる現代の陰湿さをおもうにつけても、是枝監督の次の指摘を、改めてかみしめたことでした。

「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

総会の模様は、また機会を改めて紹介する予定。

総会終了後、作品展会場を片付けて、作品を持ち帰り、一つの行事が終わりました。

9日(月)午前中、留学生相手のアルバイト。小中学校は休校が続き、おとなしく家に閉じこもっていたようです。

夕方、水位の下がった用水路で、小魚掬いをしてみました。エビや各種の小魚が捕れました。小5の孫はオタマジャクシを掬いましたが、これは逃がしてやりました。

10日(月)。

朝コンビニまでパンを買いに行きました。品揃えが薄いです。

その足で、倉敷川を見てきました。

水は引き。いつもの穏やかな表情を見せています。

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暑い一日です。避難所生活は大変だろうと思いながら、クーラーを効かせた部屋で、TVや録画を見ながらうとうとしていました。子どもたちは、やっと日常に戻り登校。プールも楽しんで帰ったようです。




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梅雨明けの報らせ恨めし爪の痕 [時事]

大変な被害に驚愕しました。見覚えのある場所がすっかり濁流に呑み込まれ、屋根の上に避難している方、ゴムボートで救出される方の映像が、フィクション映画さながらに何度もTV画面に流れます。知人の安否も気になります。
災害から一夜明け、当地も梅雨明けが報じられています。水も徐々に引き、被害の様子がよりあきらかになるにつれて、爪痕の凄まじさが迫ってきます。岡山県では、9日午前8時現在36人の死亡が確認され、79人の死者を出した1945年の水害に次ぐ戦後2番目、平成になって最大の犠牲者を出しました。今なお、水びたし、土砂流入に見舞われた家屋の復旧の見通しもたたず、避難者の方々の健康状態も懸念されます。
そんななか、majyo様の記事でも紹介されていますが、無神経な宴会の様子が公にされ、ひんしゅくを買っています。
おら、こんな国いやだー!!

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片山さつき議員のツイッターでも、こんなツイートともに写真が掲載されているそうな。


今日は27回目の @議員宿舎会議室、若手議員との交流の場ですが、 初のご参加で大変な盛り上がり!内閣からは#上川法務大臣 党側は 、我々中間管理職は、若手と総理とのお写真撮ったり忙しく楽しい!

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日刊スポーツweb版7月9日付が、事情を知らせてくれています。。

記録的な被害が出ている西日本豪雨に関連し、各地で被害が出始めつつあった今月5日夜、自民党の中堅、若手国会議員が、安倍晋三首相や党幹部を交えて「赤坂自民亭」と呼ばれる恒例の飲み会を議員宿舎で開いていたことに9日、批判が拡大した。

 同会は、党中堅、若手議員と党幹部の懇親会的な意味合いで、月に1回、飲み物や食べ物を持ち寄り、議員宿舎の会議室で開催しているという。

 当日は数十人の自民党議員が参加した。複数の議員は参加にとどまらず、楽しそうに飲んだり、くつろぐ会の様子の写真を、自身のSNSで紹介している。結果的に、このSNS発信が今回、批判を浴びるきっかけとなった。

 気象庁は5日午後2時からの臨時会見で、すでに今後、記録的大雨の恐れがあるとして厳重警戒するよう、全国に呼び掛けた。そんな状況では危機に備えるのが政権政党のはずが、結果的に危機管理のなさを露呈してしまう形となった。SNS上では「マトモな政党なら自粛」「怒りが収まらない」などと、批判の指摘も出ている。

 会には首相のほか小野寺五典防衛相や、自民党の岸田文雄政調会長、竹下亘総務会長のほか、松本智津夫元死刑囚らの死刑執行を翌日に控えた上川陽子法相も参加していた。

 首相の参加は初めてで、9月の自民党総裁選をにらんだ対応とみられている。

料亭好きのこの方達の豪華宴会に、もはや驚く気もうらやむ気もしませんが、国民的災害が進行しているこのタイミングで、誇らしげにSNSに浮かれた画像を発表する感覚は、完全に麻痺してます。
それに勝るとも劣らない感覚麻痺が、こちらにも、、。
地元選出の国会議員あいさわ一郎さんのツイート。豪雨災害まっただ中の7月7日のツイートです。
JR西日本「Belles montagnes et mer〜 〜」です。JR高岡駅です。橘慶一郎衆議院議員らと乗ってみました。べるもんたは城端線 氷見線を走ります。車窓から自然豊かな富山を満喫できます。素朴な散居村 山々を、そして美しい海外を。観光客にも好評。海外からもわざわざ。いいね。

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「べるもんた」は一両編成。車内はこんな感じ。食事が出来る。酒も飲める。お土産も買える。駅に着くと大歓迎の横断幕が。 が出迎えて下さいました。感激 恐縮です。様々な創意工夫です。知恵を出して地域振興です。そこにしかない地元の資産を活かしたい。そして おもてなし。

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そのあと、おくればせながらこんなツイートが続きますが、とってつけた感は否めません。
「晴れの国おかやま」ですが、この度の集中豪雨で岡山県下各地でも甚大な被害が。災害の全貌は未だ明らかになっていませんが、亡くなられた方、行方不明の方も。浸水など被災された方も多数。心よりお悔やみ お見舞い申し上げます。また西日本など多くの地域が被災。救援 復旧に全力を尽くします。



今日7日午前防衛省官房長官に電話。岡山県各地の豪雨被害への対応を要請しました。「岡山県津山市 奈義町の陸上自衛隊日本原駐屯地の隊員に加えて愛知県の部隊から隊員を岡山に投入する」との回答を頂きまさた。緊急度の高い地域を優先です。二次災害に気をつけながら、全力で救助 救援です。
ところで、逢沢さんと言えば、山陽新聞7月2日付記事には、こうありました。
国会議員の2017年所得報告が2日、公開された。山陽新聞社のまとめでは、岡山県関係15人(衆院9人、参院6人)の平均所得は6683万円で、前年(2279万円)より約3倍増となった。逢沢一郎氏(自民、衆院岡山1区)が保有株式や不動産の売却などで全国でも最高額の7億1193万円となり、平均額を大幅に引き上げた。
 前年比プラスは4年連続。衆院議員は平均で7386万円増の9778万円、参院議員は11万円減の2041万円だった。
 逢沢氏は県関係国会議員でトップだった前年(4616万円)より6億6577万円増。親族が経営するアイサワ工業(岡山市北区)の株式を売却して3億2564万円、東京都港区南青山の土地を売って2億5473万円を得た。事務所によると、いずれも16年3月に死去した元衆院議員の父英雄氏から相続した資産で、売却額のおおむね全額を相続税に充てたとしている。
 2位は厚生労働大臣の給与などを含む加藤勝信氏(自民、衆院岡山5区)の2948万円、3位は17年8月まで同副大臣だった橋本岳氏(同、衆院岡山4区)の2230万円で、自民が上位を占めた。
庶民感覚とずれていても、何の不思議もないって事ですか?

贅を尽くした豪華宴会や、庶民感覚から遊離した美食を、うらやみやっかむ気持ちなど毛頭ありませんが、旬の恵みを愛おしむ気持ちは人後に落ちません。
実は7月6日(金)、強い雨のなか、郷里の老父がトウモロコシや旬の野菜を取り入れて、宅配便で発送してくれていました。しばらク都合がつかず、帰郷の機会がないことを察して、新鮮なうちに届けてくれようとしたわけです。
配達指定は、翌7日(土)の午前中としたそうですが、あいにくの大雨被害で、交通網が寸断された影響か、いつまで待っても荷物が届きません。netで追跡番号を追っても、最寄りの営業所から「発送」の記録だけは表示されますが、そのあとが変化なし。生ものだけに気が気ではなく、しびれをきらして8日(日)の夜、サービスセンターに電話で確認をしました。電話が非常に混雑しているらしく、なども試みてようやくオペーレーターとの通話ができ、しかじかと事情を言うと、調査の上、翌日担当ドライバーから連絡するとのことでした。
翌9日(月)は午前中勤務ですので、午後の連絡を希望しておきましたところ、約束通りに地域担当のドライバーさんから電話がありました。
しかし、どう探しても品物が見つからないとのこと。集配所がパニック状態で、他の荷物の間に埋もれているのかも知れないと、「個人的推測」を語ってくれるだけで要領を得ません。引き続きよろしくお取りはからいを要望して時を待ちますが、NET上の追跡でも「発送」時刻と営業所が表示されるだけで変化なし。サービスセンターへの電話も回線混雑で、コンピューター音声で、「お掛け直しください」がくりかえされます。
万策尽きて、弁償請求に切り替えようかと思いかけていた夕刻、ようやく到着しました。
生ものだけに、腐敗を覚悟で箱を開けてみましたところ、トマトなど一部のものはさすがに傷んでいましたが、トウモロコシ、キュウリ、ピーマンなどは、みずみずしいまま。豪雨をくぐり抜けて我が家に届いた旬の味を、早速楽しみました
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以上取り急ぎ、ご報告まで。

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大雨の七夕、の巻 [今日の暦]

今日は七夕ですが、大変な大雨が続きます。

ようやく、先ほどから少し雨脚が弱まった感じです。

 「6日(金)19時40分に岡山県に発表されていた大雨特別警報が7日15時10分に解除されました。(ウェザーニュース)」とあります。土砂災害への警戒はさらに続けるように、とのことです。
大変な大雨で、被害も甚大のようです。以下、地元紙「山陽新聞」の記事です。
西日本を中心に7日、記録的大雨で土砂崩れや水害が相次いだ。岡山県では土砂崩れで住民と連絡が取れなくなったほか、川の決壊、増水などで人や車が流されたとの通報が相次いだ。県や消防によると午前11時現在、1人が死亡、7人が行方不明。各地で取り残された人が多数おり、警察や消防、自衛隊が捜索や救助に向かっている。被害はさらに拡大する恐れがある。(中略)
県のまとめでは、住宅の損壊、床上・床下浸水が相次ぎ、約13万1900世帯の約30万人に避難指示・勧告が発令され、26市町村の365カ所に避難所が設置された。道路関係では土砂崩れなどで160路線が全面通行止めとなった。
交通機関では、JR在来線は県内を走る全線で運転を終日取りやめ、山陽新幹線は新大阪―小倉間で始発から運転を見合わせた。高速道は山陽、岡山、中国自動車道とも県内区間は全線通行止めとなった。(中略)
岡山地方気象台が7日午前11時までにまとめた48時間雨量は、岡山県鏡野町富416・0ミリ▽真庭市久世400・5ミリ▽新見市新見392・5ミリ▽笠岡市335・5ミリ▽岡山市307・0ミリ▽倉敷市260・0ミリ―に達し、全25観測地点のうち20地点で観測史上最大を記録した。8日午前6時までの24時間雨量は多い所で北部200ミリ、南部150ミリと予想している。
こんな被害が報告されています。
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緊迫性を伝える動画がupされています。
ご心配をいただきましたが、我が家はみんな無事。また美作の老父母も無事、特に被害もなくてすんだようです。
不謹慎ですが、朝散歩がてら、近所の水の様子を見てきました。
いつもの散歩道からの眺めです。この水は、おなじみの小川(農業用水路)なのですが、見慣れない溢水状態です。
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車で少し移動して、コンビニに駐車。倉敷川方面に歩いてみます。
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流れは比較的穏やかですが、水かさが尋常ではありません。
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右手前に、澪標(みおつくし)があります。鵜が止まっています。
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さて今度は、自動車を玉野市方面に動かして、鴨川近辺の様子を見てみます。
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小川の水が溢れそうです。
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鴨川の流れが、いつにない濁流になっています。
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堤防沿いの歩道。
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なんとこの歩道に、川の水が流れ込み、、、大きな鯉が紛れ込んでいました。
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捕まえて帰って鯉の洗いでもつくろうかと、一瞬思いましたが、オウムの7人もの死刑が同じ執行された翌日だけに、さすがに殺生は思いとどまりました。
オウムの犯罪、その非人道性、反社会性、残虐性は、坂本弁護士(一家)への襲撃・殺害事件一つをとっても、決して許されるものではありません。しかし、その動機・意図・真相は謎のままです。その後の一連の奇怪な犯罪の真相も、同様で、死刑執行によって、もはや解明されるチャンスは失われました。なにより、犯罪への改悛も、被害者への謝罪もないままに、恨みを残して首を括られた極悪非道の犯罪者は、悪鬼となってこの世に災いをなすにちがいないではありませんか?この大雨も、あるいは、その怨念の表れかも知れませんね。いえ、あくまでもこれは比喩です。何が何でも政府憎し、アベ憎しの偏った言説と、決めつけないでくださいね、ネトウヨのミナサマ。

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泣く子と自然の猛威には勝てぬ?の巻 [家族]

昨日は、教育相談のボランティアに顔を出す予定でしたが、同一市内ながらちょっと離れた土地に住む長女が、早朝電話をかけてきて、2歳児が高熱を出して保育園で受け入れてもらえないので、救援を依頼してきました。たまたまバアバもパートが休みだったのですが、迎えに行って連れて帰るだけでも結構な時間が掛かるし、託児業務もなにかと人手が要りますので、無理を言って相談室の方はキャンセルさせていただきました。
熱は落ち着いて37℃台と見えますが、元気いっぱいで遊んでくれ、これなら安心と気を許すと、外出先で急に機嫌を壊し、往生させられることもありました。
「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざを、またまた思い出しました。
そう言えば、この記事で書いたのは、別の「泣く子」のことでした。いやはや、やっぱり、泣く子にはかないません。

泣く孫と地頭には勝てぬ。の巻

めざす鳥には会えないが、の巻

泣き叫ぶ子を無理矢理車に押し込んで(傍目には幼児拉致班と見えたかも?)、当てもなく車を走らせると、いつの間にか泣き声が小さくなり、そのまま寝入ってしまいました。お昼寝から冷めると、またまたもとの天使に戻ります。かにかくに、不思議な生き物ではあります。
気分が穏やかなときには、庭の蝶やトンボを指さして、飽きずに見守ります。
イチジクの葉陰で、雨を避けています。
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夜になって迎えに来たお母ちゃんの車に乗り、ニコニコと笑いながらさよならをして、激しい雨の中を帰って行く姿を見送っていると、託児所をまた引き受けてもよい気持ちにさせられます。


激しい雨が続いています。
全国的にも「記録的な大雨」「かつてないような災害が起きる可能性」が、警戒されていますが、私の居住地付近でも、「対岸の火事視」はできない状況のようです。

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今日の午後二時過ぎのNHKによる情報をコピーしておきます。
NHK ONLINE

テレビ画面に表示している災害等に関する字幕情報をまとめてご覧いただけます。

[2018年7月6日 14:20]
全国一覧
大雨情報(岡山県)
北部で激しい雨
きょう夕方~あす朝 記録的な大雨のおそれ 土砂災害に厳重警戒
6日午後2時までの雨量 新見市194ミリ
6日午後1時までの雨量 笠岡市184.5ミリ
6日午後1時までの雨量 津山市184ミリ
6日午後1時までの雨量 玉野市167.5ミリ
里見川 浅口市・金光水位観測所で「避難判断水位」を超えた
砂川 赤磐市・正崎水位観測所で「避難判断水位」を超えた

土砂災害警戒情報
気象台と岡山県は次の市町村に土砂災害警戒情報を出しています
岡山市、倉敷市、玉野市、津山市、真庭市、美作市、
笠岡市、井原市、総社市、浅口市、早島町、里庄町
鏡野町、奈義町、美咲町、吉備中央町、西粟倉村

避難指示
早島町 早島地区で土砂崩れ 1世帯4人に避難指示

避難勧告
岡山市 北区の建部学区に避難勧告
岡山市 南区の灘崎小学校迫川分校区に避難勧告
岡山市 あわせて2193世帯 4974人に避難勧告
津山市の避難勧告… 小桁、金屋、押渕、荒神山、一方地区
津山市の避難勧告… 津山口、井口、大谷、南町1丁目
津山市の避難勧告… 昭和町1丁目と2丁目、横山、八出地区
津山市 あわせて2870世帯 5509人に避難勧告
総社市の避難勧告… 秦、槙谷、見延、宍粟、美袋、日羽地区
総社市の避難勧告… 原、影、中尾、下倉、種井地区
総社市の避難勧告… 延原、宇山、槁地区
玉野市の避難勧告… 日比、和田、渋川、御崎、向日比地区
玉野市の避難勧告… 深井町、羽根崎町、明神町地区
玉野市 あわせて4398世帯 8961人に避難勧告
浅口市の避難勧告… 市内全域の山沿いの住民に避難勧告
奈義町の避難勧告… 皆木、小坂、馬桑地区
奈義町 あわせて124世帯 298人に避難勧告
美咲町の避難勧告… 北、南、中、里、西垪和、西川、西川上地区
美咲町の避難勧告… 中垪和、東垪和、上口、小山、栃原地区
美咲町の避難勧告… 江与味、西地区
美咲町 あわせて1035世帯 2464人に避難勧告
里庄町 町内全域の4476世帯 1万1169人に避難勧告
鏡野町 富東谷地区の一部 4世帯7人に避難勧告山市南区 第一藤田、第三藤田、曽根、彦崎学区に避難準備
北七区、西七区、西高崎、川張地区に避難準備
岡山市 あわせて7235世帯、1万8668人に避難準備
倉敷市 全域に避難準備情報 小中学校や公民館30か所に避難所
総社市 秦、昭和、池田、宿、岡谷、下林、赤浜地区に避難準備
総社市 昭和小、昭和中、維新小、池田小、
山手公民館、東公民館、サントピア岡山総社に避難所開設
赤磐市 正崎、五日市、尾谷地区に避難準備
赤磐市 正崎コミュニティハウス、山陽ふれあい公園に避難所開設
高齢者や体の不自由な人など移動に時間がかかる人に避難呼びかけ
大雨洪水警報… 岡山市 吉備中央町 赤磐市 倉敷市
大雨洪水警報… 総社市 笠岡市 井原市 浅口市 里庄町
大雨洪水警報… 矢掛町 高梁市 真庭市 津山市 鏡野町
大雨洪水警報… 美咲町 美作市 勝央町 奈義町 新見市
大雨警報… 玉野市 瀬戸内市 備前市 和気町 早島町
大雨警報… 新庄村 久米南町 西粟倉村
気象台 土砂災害や河川の増水、低い土地への浸水に警戒呼びかけ

交通情報
山陽自動車道 備前IC~西条IC 上下線通行止め
山陽自動車道 早島支線 早島IC~倉敷JCT 上下線通行止め
岡山自動車道 岡山JCT~岡山総社IC 上下線通行止め
岡山自動車道 北房JCT~有漢IC 上下線通行止め
山陽新幹線 午前10時 運転再開
JR宇野みなと線、津山線、桃太郎線 全線の上下線で運休
JR姫新線 新見~上月 上下線で運休
JR因美線 津山~智頭 上下線で運休
JR芸備線 新見~備後落合 上下線で運休
JR山陽線 和気~上郡 岡山~三原 上下線 運休
JR赤穂線 岡山~播州赤穂 上下線で運休
JR伯備線 岡山~上石見 上下線で運休
JR瀬戸大橋線 茶屋町~宇多津 上下線で運休
特急「やくも」「しおかぜ」「南風」「うずしお」終日運休
JR瀬戸大橋線 快速マリンライナー 終日運休
特急「スーパーいなば」 終日運休
山陽線 瀬戸大橋線 伯備線 1時間に1本程度運行
水島臨海鉄道 平常通り運行
井原鉄道 午後1時前に全線の上下線で運転取りやめ

昨日の夜から、今日 午後にかけて、自治体からの「緊急速報メール」が都合5通も入りました。居住地である岡山市と、隣接する玉野市からの、「避難勧告」の情報です。私の居住地そのものは辛うじて免れていますが、近隣の地名が具体的に上げられていて、緊迫感を覚えます。(夜には、数十年に一度と言う災害が差し迫っているという「特別警報」まで発表されました)
昨日の下校時刻ごろからずっと各種の警報が出ていますから、小中学校は今日は休校。昨日、「明日休みだったら良いのに」とつぶやいていた小学生の願いは叶いましたが、退屈な一日だったことでしょう。
通常ならジイジが子守を請け負うところですが、今日は午前中、退職同業者の作品展の会場当番が当たっていて、お世話ができません。希望者は同行しないか?と誘ってみましたが、兄弟3人、家でのお留守番を選びました。そりゃそうでしょうね。

雨が強くて、前が見えません。

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普通の倍もの時間をかけて会場へ。
さすがに客足は鈍いですが、熱心に鑑賞してくださる方もあって、嬉しい限り。
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会場係の「役得」で、じっくり時間をかけて鑑賞できたのはありがたいことでした。

下の妹は保育園に預かってもらい、夕方、雨の中を迎えに行ってきたところ。ジジババも、すこしはお役にたっているでしょうか?



大きな災害がないように祈ります。

きょうはこれにて

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作品展出品候補作品、の巻 [趣味]


今日から始まったこの作品展。

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私の出品作品はこれ。

まずはコマドリ。

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そして、長福寺三重塔を写したこの中から数枚選んで出品しました。

「折々の美作長福寺」

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きょうはこれにて。


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作品展、明日からです、の巻 [趣味]

昨日ご案内した作品展。

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今日、会場設営のお手伝いをしてきました。

あいにくの雨の中、駐車場と会場との行き来も不便でした。

カメラを車の中に置き忘れて、会場風景を撮影しそびれました。

I先輩がfacebookに投稿しておられる写真を無断拝借します。


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私も写真を出展させていただいています。

朝散歩の時には、まだ晴れていました。
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キノコが傘をさしていましたけど、、。
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ツユクサは露を宿していましたし。
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ついでに、一昨日の散歩写真の残りを貼っておきます。
正面は常山です。
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方角を変えて、麦飯山方面。?
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タチアオイ。
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ムクゲ
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ヒャクニチソウにキアゲハ。
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モンキチョウ。この花の名は何でしたっけ。
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サッカーのベルギー戦や、歌丸さんの逝去や、岡山市国道での中学生が運転する車で5人死傷事故など、話題には事欠きませんが、 きょうはこれにて。

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作品展のご案内 [趣味]

7月4日(水)から、こんな作品展が始まりますのでご案内します。

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今日はこれにて。


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7月到来!この頃ニュースあれやこれや、の巻 [時事]

ここ何日か、身辺雑話以外の記事が書けずにいるのは、ネタがないためではなく、余りにいろんなことがありすぎて、まとまりがつかないためです。
ソネブロ仲間の「五十嵐仁の転成仁語」様が、「6月30日(土) ワールドカップの影で強行された働き方i改革関連法案の採決についての『日刊ゲンダイ』でのコメント」で、こう書いておおられます。
以下の私のコメントは、ワールドカップへの熱狂のどさくさに紛れて強行された働き方改革関連法案採決について『日刊ゲンダイ』2018年6月30日付に掲載されたものです。〕

 「労働法制は人の生き死にかかる重要な政策です。過労死を容認するような中身で、多くの問題点が明らかになっているのですから、強行して成立させるような法案ではありません。政府も当初こそ『労働者のため』と言っていましたが、ここへきて経営者の利益が優先されていることも見えてきました。正々堂々と議論できないから、『国民がW杯に気を取られているうちに……』『サーカスに惑わされているうちに……』という姑息なやり方で法案を成立させようとするのでしょう」

 「支持率1%に低迷したままの国民民主は立憲民主とは違うことをして独自性を示したいのでしょうが、与党を利するだけです。『野党の足並みが乱れている』とメディアに報じられ、有権者にも『党利党略』と思われ、結果的に国民民主にとってプラスにならない。支持率も上がりませんよ。どうしてそういうことが分からないのでしょう」(五十嵐仁氏=前出)
まったくです。
『サーカスに惑わされているうちに……』という姑息なやり方で
奇しくも、近所に4年ぶりというサーカス公演が催されています。たまたま今日は、近くを通りかかり、大変な賑わいぶりを感じてきました。

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姑息な強行成立の模様をyahoo!newsは、日テレニュースを動画で伝えています。

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安倍政権が今の国会で最も重視している、「働き方改革関連法」が29日の参議院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立した。一方、家族を過労死で亡くした遺族らは、改めて「働き方改革関連法」への反対を訴えた。

全国過労死を考える家族の会・寺西笑子代表「よもやこうした過労死防止法に逆行するような、また私たちが願っている過労死のない社会づくり、そうした方向と真逆な法律が成立するとは考えてもいませんでした。残念で悔しくてなりません」

また、遺族らは、厚労省が裁量労働制に関するデータ問題や前東京労働局長の不適切発言問題を抱える中、拙速に事を運ぶべきでないとして、法律の撤回を求めている。
過労死遺族が見守る中の、無理矢理の強行です。
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アベ、カトーらのふてぶてしい高笑いが、ネットでカクサンされています。
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くりかえしになりますが、もう一度だけ、先日引用した地元新聞のコラムの一節を再掲します。
父親を過労自殺でなくした小学1年生が「ぼくの夢」という詩を書いている。大きくなったらタイムマシンをつくり、行きたい所があるという。〈お父さんの死んでしまう まえの日に行く そして「仕事に行ったらあかん」て いうんや〉▼「全国過労死を考える家族の会」のホームページで紹介されている。過労による突然死や自殺で大切な家族を失う人をこれ以上、増やしたくない。遺族らは1991年に会を結成し、活動してきた▼その家族の会が強く反対しているのが、政府が今国会での成立を目指す働き方改革法案である。
majyo様の非暴力で喧嘩を!の記事に寄せた,私のコメントを再掲させていただきます。
過労死家族の傍聴者を尻目に高笑い。あの写真は風刺画の傑作として歴史に残りますね。寂しく恥ずかしく悔しい記憶とともに、、、。 


聞く耳持たぬのはこの政権のアイデンティティ?

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寂しく恥ずかしく悔しい思いは、こちらの件にも禁じることができません。

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イギリス在住の友人、sparkyさんが、先日、facebookにこのような記事を投稿しておられました。

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http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44638987

昨日見ました。性犯罪に関する日本の法律、強姦事件への警察の対応、被害者支援の現状などについて私自身よく知らなかったことがいろいろわかりました。
いちばん怒りを感じたのは、女性国会議員がインタビューで語った「伊藤氏に女性として落ち度があった」という意見。彼女はさらに「私自身も女性としてひどい扱いを受け、嫌な思いをすることもあるが、そういうものだ(仕方がない)と思っている」というようなことを言っていて、唖然としました。学校でも夏休み前などに女子生徒に対して「夜間の外出は避けること、肌を露出する服装を避けること」と指導することがあり、どこか違和感を感じていました。「女性がどんな服装をしていようが、酔っぱらっていようが関係ない、決して被害者を責めてはいけない」という考え方を浸透させる必要を感じます。
リンク先の記事。直視するのが辛いです。
suparkyさんは、翌日こんな投稿もされています。

昨日投稿した件に関連して・・・
性犯罪の被害者を責める風潮は世界中にあり、それを正すための取り組みが行われています。


BBC、気骨のある番組多いですね。公共放送の役割をめいっぱい発揮して頑張ってますね。日本の公共放送は?いかが?

もう一つ、カジノ法案の件。
室井さん、同感です。

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さて終わりは、身辺雑話。

先日捕まえてきていたカニやヤドカリ、貝、ハゼなど、海の生物を、逃がしてやるために、午前中海へ行ってきました。日射しは真夏のようですが、海風と波に洗われて、子どもたちは上機嫌でした。

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今日はこれにて。

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