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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第9回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第9回目。

 


 

郷愁という名のメルヘン

カルロス爺さんの思い出

 連載第9回

くもった眼鏡をはずして、袖口で何度もこすりながら、話をつづけた。
「わしはそれから、何も忘れた人間のように、何もなくした人間のように、何日間も何もしないで、暮らした。
わしは、泣くことも笑うことも、怒ることも忘れてしまっていた。
わしは死のうと思った。一日中銃を見つめていたこともあった。しかし死ねなかった。
ヘンニィルのことを思い出した。ヘンニィルは神父さまの所へ預けてあった。わしが引き取りに言った時、 ヘンニィルは遠くからわしを見つけて飛びついてきた。わしは生きねばならぬと思い始めた。わしは生きることができそうな気がしてきた。
そしてその日、わしは神父さまにわしの罪をざんげした。神父さまは、何度もうなずいて聞いていらしたが、わしが話し終わるのを待って、こうおっしゃった。
「あなたは生きなければなりません。あなたの罪はあなたを苦しめるでしょう。しかし逃げてはいけません。あなたが、今、私に打ち明けて下さった数々の哀しい出来事は、あなたのせいではなかったかも知れません。確かに、世界中が狂っていたのです。狂った群狼の前の一人の人間に何ができたかとおっしゃるかも知れません。
しかし、あなたは、怠ってはいなかったでしょうか。あなたは一体何をなさいましたか。あなたは、諦観と自虐をして、あなたの理性を慰めさせようとなさいました。
あなたは、戦おうとはなさいませんでした。そればかりか、あなたは、自分の弱さを恥じて死のうとなさったという・・・。あなたは、逃げてはいけません。もうこれ以上逃げてはいけません。あなたは生きなければなりません。苦しくても、――――苦しいに違いないのですが、――――生きなければなりません。
幸い、あなたには、ヘンニィルという可愛いお子さんがある。ヘンニィルのためにも、あなたは強くおなりなさい。
神のため、つまりはあなた自身のために戦える人間におなりなさい、
神を愛する人間、つまりあなた自身を愛せる人間におなりなさい。
神に愛される人間、つまりあなた自身に愛される人間におなりなさい。
逃げてはいけません。まして、自分の弱さに甘えてはなりません。」
わしは生きようと思った。
ヘンニィルを立派に育てようと思った。
ヘンニィルには、強くなってほしいと思った。
より敬虔で、自分自身に忠実な人間になって欲しいと思った。
わしのようには、なって欲しくはなかった。
戦さの光景を思い出すたびに、わしは   その残虐性を知らぬふりをしていた自分を、そして、そのうえ、その残虐な狂人になりきってすましていた自分を憎悪した。
H村での、行為を思い出すたびに、わしは身震いを禁じ得なかった。
あの村人達のことを思うと、わしは生きていることを苦しいと思った。生きることはこんなにも辛いと思った。
しかし、逃げてはいけないんだ。負けてはいけないんだと、言い聞かせた、ヘンニィルのために生きよう。いや、ヘンニィルのためにわしは強い人間になろう。ヘンニィルが、己の親父を世間に恥じなくてもいいように、わしはより善く生きよう。
わしは、地主さまの小作人として働いた。貧乏したが幸福だと思った。ヘンニィルはすくすくと育った。
ヘンニィルは優しい少年だった。
いつもわしのことを思ってくれた。わしはヘンニィルを誇りに思った。わしの唯一の生きがいでもあった。


寒さがつのります。

 

これは、寒風に舞うミサゴ。一昨日の撮影です。

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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第8回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第8回目。


郷愁という名のメルヘン

カルロス爺さんの思い出                            

連載第8回


しばらく続いた銃声がふとやんだ時、わしは見つけた。村の入り口の道に立ちすくんでいる少年の姿を。
彼は、そこまで駆けてきたための、耳のあたりを激しく打つ脈拍と、ゼイゼイという息切れを忘れたかのように、息を殺して、しばし呆然と立ち尽くしていた。
そしてしばらくその状態でいた後、彼のひざは、力を失ってへなへなとくずれた。
彼は、左手の4本の指を強く噛みしめて、嗚咽の漏れるのをこらえた。
黒っぽい緑色をした涙が、ほゝを伝い、乾いた地面にぽとぽとと落ちた。
そしてついに、こらえかねて、彼はしゃくり上げながらつぶやいた。
「あくま・・・」
一発の銃声が響いた後、また陰険な静寂が訪れた。
倒れ伏す少年の胸に抱えられていた包みから転がり出たものを見て、わしらは全てを悟った。
《この少年は、ただ町の市場まで、食物を買い入れに降りていたにすぎないのだ。しかも、わしらをもてなすための食糧を仕入れるために。そんな早朝から。一里もある町まで。》
わしらは、自分らで巻き起こした悪夢を忘れるために、頭をかゝえて転げ回った。
ガンガンと自分の頭をなぐって、嗚咽した。
終戦の知らせは、その包みの中に、少年が気をきかせて買ってきた新聞によってもたらされた。
わしらは何を呪っていいのかもわからないまま、その村を去った。
少年より少し遅れて村に帰った老僕は、涙を流さずに一つの大きな穴を掘った。
狂気の終焉を知らせながら、大きな真っ赤な太陽が西の空に沈んだ。」

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爺さんは、そこで話をやめて歯を食いしばり、何度も十字を切った。
「アーメン。許し給え。どうか、許し給え。」
そして爺さん目を上げて、今度は全く抑揚のない調子で、また続きを語り始めた。
「わしらが、自分の国へ帰り着いたのは、そしてわしがこの村へ帰ってきたのは、それから一週間の後だった。
わしの家は焼けて、跡形もなかった。
わしの妻は、一人息子のヘンニィルを残して死んでいた。何も何も、戦争のせいなんだ。
はっはっは・・・、馬鹿な男は、自分の女房や子供を守るために戦争に行った。敵を殺し、味方を死なせ、罪のない人々までも殺し、幾度も死にかけてようやく生き永らえて帰って来たら、愛する者は死んでいた。」
爺さんそう言って、むりやり笑おうとしたがだめだった。
眼鏡の奥の、愛嬌のある小さな目が、なんどもしばたたくのを、ぼくは見つけた。

つづく

 


独身時代、妻に読ませたら、この場面が変に印象に残ったと言っていた。今で言う「トラウマ」みたいな影響を与えたらしい。
「郷愁という名のメルヘン」というかわいらしい標題にそぐわぬ残酷場面と言うことになる。「看板に偽りあり」、偽装表示も甚だしい。
こどもたちに平和を愛する心を育てるには、子どもたち自身が、平和で穏やかな環境のもとで健やかに育てられるよう、心を砕くべきだという。優しく、柔らかで、美しいものや思いやりの心に囲まれて、温かくヒューマンな情操を育てることが、肝要だという。
その意味では、残虐な犯罪や猟奇的な事件が毎日のように報道され、一方では希望を失って自死する人の数が記録を更新しつづける、こんな殺伐とした世相に、慣れっこになって欲しくはない。
だからといって、「はだしのゲン」の描写が残酷だからと、図書館から撤収して子どもたちの目から遠ざけるという「教育的配慮」は、まったくナンセンスだろう。歴史の中で、現に人間が為した「悪魔的行為」を、未来において繰り返しも繰り返されもせぬためには、事実を正確に知り、冷厳に受け止めることは、決定的に必要であるはずだ。
私の作品の殺戮場面は、もちろん「歴史の事実」というわけではなく、あくまでも想像に基づく創作である。ただ、その着想のきっかけには、「ソンミ村事件」があったと、今ふり返ってみて思い至る。「カリー中尉」ほか、当事者の証言によって、この虐殺事件が明るみに出たのだが、さしずめ「特定秘密法」なんかでは、国家の威信を傷つける秘密みたいなことになって、話した兵隊さんも、報道機関も、関係省庁の役人も、みんな罰せられるんじゃないかと心配なんですが。


 

 



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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第7回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第7回目。

 

 


 

郷愁という名のメルヘン

カルロス爺さんの思い出

連載第7回木下 透

 


その時だった。
わしらの仲間のうちに、何か緊張したざわめきが起こった。
例の下僕と少年がいないというのだ。
わしらの背に一様に戦慄が走った、
怖れていた一つの言葉が脳裡を過ぎった。『密告!』
わしらは気が狂ったようにわめいた。
「ヤツをどうした、じじいをどうした。」
村人達は、ただオロオロするばかりだった。
わしらはまるで、手負いの獣そのままだった。
わしらはたしかに気が狂っていた。わしらの頭の中は、意味のない恐れのために、正常ではあり得なくなっていた。
《それは、あり得ないことではない。そうだ。たしかに、ここは敵地なのだ。そして奴らは敵国民なのだ。敵の部隊がこの近くに潜んでいないととは、誰に言えよう。おれ達は戦っているのだ。おれ達はいつでも敵と向かい合っているのだ。》
わしらは、銃を持ち出してわめき散らした。
「じじいとガキをどうした。おまえ達、だましたな。さあ言え、おまえ達の仲間はどこだ。おまえ達を守ってくれる勇敢な軍隊は、どこまできているんだ。さあ言え、この山も向こうか。それとも、隣の村までか。」
そう叫んで、仲間の一人が銃を発射した。
それまで呆然としてわしらのことを見ていた村人達は、散り散りに家にの中に逃げ込んだ。そして、がっしりとした体格の若者が、わしらに飛びかかってきた。
わしらは続けざまに発砲した。銃弾は彼らの胸を、頭部を、脚を、貫いた。
わしらは口々にわけのわからぬことをわめき散らし口からはよだれを垂らし、目は血走り、脚は小刻みに震え、小水を漏らしながら、撃ちまくった。
逃げ惑う村人達を、一人残らず狙い撃ちにした。
わしの手の傷に、自分の手拭いで包帯をしてくれた、あの娘の死体を踏みつけながら、次の獲物を狙った。
よろめいて転んだ老婆をも、容赦なく撃ち殺した。
倒れている母に取りすがって泣きじゃくる子供達を、台尻でなぐり殺した。


昨日は、岡山市半田山植物園を散歩してみました。
紅葉は、少し時期を過ぎていましたが、色々な花が咲いていました。ひときわあでやかなのは、色とりどりの薔薇の花。
それぞれに立派な品種名を戴いて、誇らかに咲き匂っておりました。品種名表示をメモして帰れば良かったと悔やまれます。
 
花ごとに名さへゆかしき冬の薔薇
 
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温室のハイビスカス
 
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ここにも、水仙が咲いています。
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スモークツリー
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これは?サンシュユ
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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第6回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第6回目。

 


 

郷愁という名のメルヘン

カルロス爺さんの思い出 

木下 透

連載第6回

その夜、ぼくはまた爺さん家(ち)を訪ねた。
爺さんはこんな話をしてくれた。例のゆりいすに背をもたせ、つま先で床をとん、とんと鳴らしながら。
「これは少し難しい話だが、わかるだろうねえ。ぼうやも、もう大きいんだから。」
そう前置きして、それはそれは真剣な目つきでぼくの目を見入って、語り始めた。
「坊や、知っているだろうかな。Hという小さな村を。そう。前にも話したことがあったけかな。
国境をへだててこの村から十里ほども離れた、山奥の本当に小さな村じゃ。
わしらが疲れ果ててその村に着いたのは、もう夜になってからだった。
今でもよく覚えているが、その日は、雨あがりの月が、こうこうと地上を照らしておった。森のかしやひいらぎや、緑の濃さを増した木々の若葉が風に揺れて、何かこう神秘的に輝いていたっけ。
わしらは、飢えと渇きで、もうくたくただった。その村の灯りを見た時は、ほんとうにほっとしたものだった。そして、しかし同時に、ここは敵地で、村に住んでいるのは敵国民なのだと言うことを思いだし、再びキリキリと神経質に身構えねばならなかった。
 しかし、わしらは、これ以上戦う気力はなかった。とにかくわしらは疲れ、弱り切っていた。脚や手、顔面の傷口から流れ出た血が、衣類、そで口にこびりついて固まり、そしてまた、その下から新しい血がにじみ出ていた。
三日前のたたかいは壮絶だった。わしらの仲間達はばたばたと倒れた。
立ち上がって「進め」の号令をかけた隊長が、頭を打ち抜かれて倒れた。
銃の台尻で、わしのあごをなぐったことのある軍曹が、わしの隣でもんどりうって倒れた。
わしと仲のよかった炊事兵が、腕を吹き飛ばされてうめいている。
十八歳の少年兵が、母親の名を呼ばずに死んだ。
騎馬の兵が、馬をかばって撃たれた。馬も流れ弾に当たって死んだ。
いつも陽気だった二等兵が、そいつはわしと同じ部屋で寝起きしたこともあったが、「オレはまだ死にたくない。」と言って死んだ。
「戦争は嫌いだ」というのが口癖だった若い士官が、故郷の妹を思いながら死んだ。
耳をつんざく爆発音、皮膚の焦げる異様なにおいが、細かい埃に混ざって口の中に入りこむ。とびしきる血が乾いた砂にどす黒く染みこむ。
戦いが終わった時、わしら二百人もいた部隊のうち、生き残った者は、実にわずかだった。
とにかく、わしは生き残った。そしてそれから三日間、わしらは歩き続けた。何のためでもなく、ただ、生きるために、わしらは歩いた。わしらが、兵士という名を得て以来、上官の命令なくして為した、唯一の行為だった。一つの、巨大な、狂った機械の一部分が、初めて人間になろうとして、歩いた。死ぬために戦地に送られたわしらが、生きるために、歩いた・・・・。
そしてようやく、この小さな村にたどり着いたのだった、途中でまた、三人が死んだ。 けがをして歩けなかった五人は見捨てた。
生き永らえたのは、わずか十人足らずだった。
わしらが銃をかまえて、その実びくびくしながら、村に入り込んだのを見つけたのは、四、五人の村の子供たちだった。
おびえて、門戸のかげにかくれている村人達の間から、村長らしい男が、二三人の若者を従えて現れた。
言葉はどうやら通じた。
彼らはかなり友好的だった。
村人達もしだいに警戒を和らげて、わしらに近づいて来た。彼らは素朴で、人なつっこい笑顔さえ浮かべていた。
実際、この村までは、戦争は及んでいないらしかった。
この山奥の、住民が三十人もいない小さな村には、何かその時のわしらには不似合いな平和が漂っていた。
彼らは、その夜の宿と、食事を約束した。
わしらは一軒の百姓家に案内された。
村長の妹だという女と、二人の子供、それに年老いた下僕が、そこにはいた。
十六歳の姉は、長いまつげと美しい瞳をもっていた。
十四歳の弟は、こわいもの知らずの、しかしもの寂しい、少年期特有のきびしさを、その横顔に秘めていた。
母は、小ぶとりの善良な百姓女だった。夫を最近失ったのだという。
下僕は、白髪の、やせた、しかし何かしら威厳をたたえた朴訥さを感じさせる老人だった。彼らは、わしらを、賓客のようにもてなしてくれた。
けがの手当をしてくれる少女の長い髪が、わしらの手に、ほゝに触れる時、わしらは、忘れていた郷愁を感じずにはいられなかった。
わしらは、久しぶりに安らげた。
そして、その落ち着いた、なごやかな雰囲気は、わしらを涙ぐませさえした。
わしらは、戦のことを、その不本意な暴力のことを、しばし忘れてさえいた。
その夜、わしらは、久しぶりにぐっすり眠った。
そして、目覚めた時、庭先の木々には小鳥がさえずり、透明な風が、快くうなじをくすぐった。

つづく


 昨夜の晩餐
長女が、婿殿が漁師さんからいただいたのでお裾分けだと言って、山盛りのエビ・カニを届けてくれました。
孫達親子も呼んで、総勢八人で、ごちそうになりました。贅沢な話ですが、一晩では食べ切れませんでした。
 
瀬戸内海産ガラエビ。
もちろん、偽装表示ではありません。 
ぷりっぷりで、身がたっぷり入っています。

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ワタリガニ。
ガザミとも言います。
 塩茹でして下さっています。
このまま殻を剥がして、濃厚な身とカニ味噌を食べる醍醐味に、孫達も大はしゃぎでした。
濃いオレンジ色の卵も、絶品でした。
鍋の具にもたっぷり使い、 今朝も残りの汁でカニ雑炊に。

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リメンバー パールハーバー お互いに [今日の暦]


1941(昭和十六)年(=当時は皇紀2601年と言ったかも知れません)の今朝、ラジオから緊迫した声が流れた(そうです)。
 
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
   大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。
 
太平洋戦争の開戦を告げる臨時ニュースです。
その同じ日に、続けざまに、次の大本営発表があったといいます。(青森空襲を記録する会 の、こちらの記事から引用させて戴きました。)


大本營陸海軍部發表(十二月八日午前六時)
    帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり


大本營海軍部發表(十二月八日午前十一時十分)
    一、帝國海軍は本八日未明ハワイ方面の米國艦隊並に航空兵力に對し決死的大空襲を敢行せり
    二、帝國海軍は本八日未明上海においてイギリス砲艦「ぺトレル」を撃沈せり、アメリカ砲艦「ウエーク」は同時刻我に降伏せり
    三、帝國海軍は本八日未明シンガポールを爆撃して大なる戰果を収めたり
    四、帝國海軍は本八日早朝「ダヴァオ」「ウエーク」「グアム」の敵軍事施設を爆撃せり


大本營陸軍部發表(十二月八日午前十一時四十分)
    我が軍は本八日未明戰鬪状態に入るや機を失せず香港の攻撃を開始せり
 

大本營陸海軍部發表(十二月八日午前十一時五十分)
    我が軍は陸海軍緊密なる共同のもとに本八日早朝マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し着々戰果を擴張中なり

 

大本營陸海軍部發表(十二月八日午後一時五十分)
   本日必要の區域に防空の実施を下令せられたり
 

陸海軍省(十二月八日午後三時同時發表)
    本日陸海軍大臣を宮中に召させられ、左の勅語を賜りたり

 勅 語
曩ニ支那事變ノ發生ヲ見ルヤ朕カ陸海軍ハ勇奮健鬪既ニ四年有半ニ彌リ不逞ヲ膺懲シテ戰果日ニ揚ルモ禍亂今ニ至リ尚収マラス朕禍因ノ深ク米英ノ包藏セル非望ニ在ルニ鑑ミ朕カ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ解決セシメムトシタルモ米英ハ平和ヲ顧念スルノ誠意ヲ示ササルノミナラス却テ經濟上軍事上ノ脅威ヲ增強シ以テ帝國ヲ屈服セシメムト圖ルニ至レリ
是ニ於テ朕ハ帝國ノ自存自衛ト東亞永遠ノ平和確立トノ爲遂ニ米英兩國ニ對シ戰ヲ宣スルニ決セリ
ハ汝等軍人ノ忠誠勇武ニ信倚シ克ク出師ノ目的ヲ貫徹シ以テ帝國ノ光榮ヲ全クセムコトヲ期ス


右勅語を拝受し陸海軍大臣は左の如く奉答せり

奉答文         

臣  英  機     

臣  繁太郎
誠恐誠懼謹テ奏ス帝國未曾有ノ難局ニ方リ優渥ナル勅語ヲ賜フ臣等咸激ノ至ニ堪ヘス臣等協力一致死力ヲ盡シ誓テ聖旨ニ應ヘ奉ランコトヲ期ス臣英機臣繁太郎誠恐誠懼陸海軍ヲ代表シ謹テ奉答ス

 昭和十六年十二月八日
       

陸軍大臣     東條英機      

海軍大臣  嶋田繁太郎

   

大本營陸軍部發表(十二月八日午後五時) 
 我が陸軍飛行隊は本八日早朝來比島方面要衝に對し大挙空襲し甚大なる被害を與へたり

大本營陸軍部發表(十二月八日午後五時)
    南支方面帝國陸軍飛行隊は八日早朝香港北方の敵飛行場を急襲し、同飛行場にありし十四機中十二機に低空銃撃を加へこれを炎上せしめたり
    我に損害なし

大本營海軍部發表(十二月八日午後八時四五分)
    一、本八日早朝帝國海軍航空部隊により決行せられたるハワイ空襲において現在までに判明せる戰果左の如し
        戰艦二隻轟沈、戰艦四隻大破
        大型巡洋艦約四隻大破
        以上確実
        他に敵飛行機多數を撃墜撃破せり
        わが飛行機の損害は輕微なり
    二、わが潜水艦はホノルル沖において航空母艦一隻を撃沈せるものの如きもまだ確実ならず
    三、本八日早朝グアム島空襲において軍艦ペンギンを撃沈せり
    四、本日敵國商船を捕獲せるもの數隻
    五、本日全作戦においてわが艦艇損害なし

大本營陸海軍部發表(十二月八日午後九時)
    帝國陸海軍航空部隊は本八日緊密なる協力のもとに比島敵航空兵力ならびに主要飛行場を急襲し、イバにおいて四十機、クラーク・フィールドにおいて五十乃至六十機を撃墜せり、我が方の損害二機



大本營陸海軍部發表(十二月八日午後九時)
    帝國陸海軍は緊密なる協同のもとに本八日午後泰國に友好的に進駐を開始せり

昭和16年12月8日午前3時22分(ハワイ時間7日午前7時52分)、ハワイ攻撃隊総指揮官淵田美津雄海軍中佐は「トラトラトラ」(われ奇襲に成功せり)の電報を発信した。3時25分、急降下爆撃隊53機を率いた高橋赫一少佐の投下した250キロ爆弾がオアフ島中央部に位置したホイラー陸軍飛行場に炸裂した。約4年に及ぶ太平洋戦争の幕あけである。第一次攻撃隊183機、第二次攻撃隊167機が攻撃を行い、次の戦果を上げた。

沈没
戦艦オクラホマ、アリゾナ、カリフォルニア、ウエストバージニア
敷設艦オグララ
標的艦ユタ

損傷
戦艦ネバダ、ペンシルバニア、テネシー、メリーランド
軽巡洋艦ローリ、ホノルル、ヘレナ
駆逐艦キャッシン、ショー、ダウンズ
水上機母艦カーチス
工作艦ヴェスタル

航空機完全破壊
陸軍機96機
海軍機92機
航空機損傷
陸軍機128機
海軍機31機

アメリカ軍戦死行方不明2334名、負傷1023名
攻撃は、フィリピン、香港、上海、シンガポール、グアムにも向けられ、第11航空艦隊の陸攻106機、零戦85機は、台湾南部を発進、フィリピンのクラーク、イバ飛行場を、第4航空戦隊(空母龍驤)の艦上機22機はフィリピンミンダナオ島ダバオの飛行場、水上機母艦プリストンを攻撃した。さらに第2根拠地隊陸戦隊はフィリピンルソン島北方のバタン諸島に上陸。駆逐艦曙、潮はミッドウエー島を艦砲射撃、サイパンを出撃した第4艦隊第18航空隊の水上偵察機5機はグアム島を攻撃、掃海艇ペンギンを撃沈。ルオットを発進した第4艦隊千歳空の陸攻34機はウエーク島を爆撃、第22航空戦隊の美幌空陸攻32機はツドウム基地を発し、シンガポール飛行場を爆撃した。

一方、マレー半島侵攻作戦を担当した陸軍は、ハワイ攻撃に先立つ約2時間前の8日午前1時30分から第25軍(山下奉文中将)をマレー半島イギリス領コタバル、タイ領シンゴラ、パタニに上陸させていた。相互不可侵を規定した日泰友好和親條約に違反するかたちで行われた日本軍の上陸に、タイ国陸軍、警察隊が応戦、日本軍約250人、タイ側約150人の死者を出した戦闘の後、坪上貞二大使はタイのピブーン首相に日本軍の通行権を認めさせ、翌9日日本軍はバンコクに進駐した。しかし、一部地域では日タイ間の戦闘は40時間継続されたという。
コタバル上陸作戦で、陸軍輸送船淡路山丸(三井船舶 9794トン)が空襲により船体放棄、12日全没。船員1名戦死。

戦争の目的は、「自存自衛ト東亞永遠ノ平和確立」と繰り返し説明され、国民は大勝利の報道に狂喜した。
 
 
「大本営発表」というと、現在では「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞になっている、とwikiは書いていますが、全くその通りでしょう。
 真実が知らされず、国民の「知る権利」よりも国家の「知りたくない権利」が優越した時代の一コマでしょう。
「秘密法」の強行が、「いつか来た道」への一歩になりませんように。

 
12月のたんぽぽ
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水辺のアオサギ
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鴨川の冬景色
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木の枝に止まる猫
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松の木の枝に止まるヒヨドリ
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孫と公園に行きました。
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時計台
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山羊
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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第5回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第5回目。


 郷愁という名のメルヘン
カルロス爺さんの思い出
木下 透

  連載第5回
と、その時だった。とてつもない大声が、あたりにひびきわたった。
「こら、おまえたち。なにをやっとる。コラ!!」
カルロス爺さんだった。ぼくは、こんなに怒った爺さんを見るのは初めてだった。爺さんは、今まで一度だって怒りを顔にあらわしたことはなかった。そんな爺さんが、これほどものすごいけんまくで――――。
いたずらっ子達は一瞬たじろいで、二,三歩後ずさったが、なまいきなニールスが、口をとがらせて横柄にこういった。
「おい、爺さん、オレにそんなこと言っていいのかい。とおさんに言いつけるぜ。水車小屋の貧乏じじい、だまって引っこんでなよ。」
爺さんはしきりに首を振り、手を振って、
「いやいや、坊さま。たしかにわしは、地主さまにはお世話になっておりますだ。地主さまのためなら、何でもしますじゃ。じゃが、これとそれとは話が別じゃ。坊さま。あんたは今、何てことをなさろうとしているか、おわかりですか。何てことを、なさっているか、おわかりですかな。あんたは、あんたの一時の気まぐれから、一つの、小さいけれど、大切な生命を、奪おうとしてなさるんですよ。我らが主の生みたもうた生命を・・・。どんな小さな生命も、どんなに弱い生命も、強い者の身勝手やわがままで、もてあそんでいいもんですかい。それをあんたのお父さまは、お許しになりますかい?否、たとえお許しになったとしても、わしが許しませんぞ。我らが主が、決してそれをお許しにはなりませんぞ。」
奴らは、口々に悪態をつきながらも、爺さんのけんまくに押されて逃げ去った。
取り残されたぼくは、安堵とともに、こみ上げてくるくやしさに、爺さんの胸にすがりついて泣いた。
爺さんは、優しくぼくの髪の毛をなでながらこう言った。
「ぼうや、こんなことで泣いちゃいけないよ。男は戦わずに泣いちゃいけないんじゃよ、ぼうや。どんなに手ごわい敵でも、とてもかないっこないような敵でも、それがほんとの敵であることがはっきりしたなら、男は戦わなきゃならないよ。負けてもいいんだ、負けたら泣いてもいいんだ。けれど、戦わずに泣いちゃいけない。坊やが戦わねばならないのは、主をけがす敵、それに坊や自身をけがす敵――ぼうや自身をだめにしてしまう敵。わかったね。」
ぼくは、爺さんの胸でしゃくり上げながらうなずいた。たくましい爺さんの胸と腕。ほのかなきざみタバコの匂い――爺さんの匂い。
爺さんは、ぼくの髪の毛にほおずりをしながら、「アッハッハ」って笑った。
ぼくも一緒に、とめどなく溢れてくる涙をこすり上げながら、「あっはっは」って笑った。
幼年期から少年期へ移ろうとしていたぼくの、こまっしゃくれた、大人びた(恥ずべき))打算――地主と水車番、地主の息子と小作人のせがれの関係といった、大人にはつきものだと考えられた思惑――は吹き飛んだ。そして、日曜ごとに教会で教わる神というものへの不信に比して、爺さんの神は、もっともっと身近にあって、それでいてもっともっと高尚で本質的な愛に満ちていた。

 
つづく
 

ジェンダーフリーの発想がまだ一般的でなかった頃なので、
「男は戦わずに泣いちゃいけないんじゃよ」
「どんなに手ごわい敵でも、とてもかないっこないような敵でも、それがほんとの敵であることがはっきりしたなら、男は戦わなきゃならないよ。 」
と、「男の子」へのメッセージというか、自負の表明になっています。
より正しくは、「人間(human)は」と書かれるべきだったでしょうが。
 
 
今日の鳥。
またまた、かいつぶり。今日は大きく写せました。
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ミサゴが上空を輪を描いて舞っていました。
たくさん写しましたが、手ぶれがひどくて、マシなのはこれくらい。
いつの間二か、遠ざかってしまい、採餌の瞬間は目撃できませんでした。
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セキレイ
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ホオジロ?
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バン
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アオサギ
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追伸
今朝は朝刊を見て、落胆した。
「秘密保護法」が昨日深夜に、参議院本会議で強行採決された由。知らずに寝てましたのでね。
「特定秘密法」審議の過程で、安倍さんが繰り返していた「知る権利も大切だが、知られたくない権利もある。」という強弁が、のどに刺さった小骨のように気障りで仕方がなかったことは、以前のブログに書いた。
これは要するに、「国家=為政者には国民に知られたくない権利があり、それは国民の知る権利に優越する」という意味だと気づくまで、うかつにも時間がかかったのだった。でも、今度の強行採決の経過を見届けるまでは、まだまだ、安倍さんの「政治家としての成熟」みたいなものを期待していた。要するに「あまちゃん(文字通り、甘ちゃん)」だった。
安倍さん(たち)の特異なスタンスには、まだ続きがあった。いわく、国家=為政者には、国民の意見を「聞かない権利」、民意の動向を「知りたくない権利」、それでも盾つく国民の声や行動を「テロ」呼ばわりして抑えつける権利がある――。
こんな封建君主も臆するような発想を、主権在民を高らかに謳った日本国憲法下の指導者が、まさか、本気で考えるようなことがあろうなどと、想像することさえ憚られたのは、まさに「あまちゃん」。イマジネーションの不足というものだった。
でも、確か、公務員には憲法遵守義務が定められていたはず。ほらほら、憲法第九十九条にはこうあるではないか。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
あ、そうか、これに違反していることが、肩身が狭いせいで、憲法そのものを自分好みに変えようとしてるのかな?
そう言えば、安倍さん政治姿勢は、お父さんの安倍晋太郎サンよりも、お祖父さんの岸信介サンに似ているというのがもっぱらの噂。第一次内閣の挫折から、少しバランス感覚を身につけたかという世間の期待もあったようだが、参院選圧勝に浮かれて、ついつい地金があらわれたってことか。
お祖父さんの岸信介サンと言えば、戦前、東条内閣の閣僚として日米開戦の詔勅に署名し、戦後A級戦犯として戦争責任を裁かれた人。その後、アメリカの対日政策の大転換により、見事に復活し、「自主憲法制定」「自主軍備確立」などを掲げる「日本再建連盟」を率いて政界に復帰し、石橋内閣を継いで首相に。国論を二分した「日米安保条約」の改訂強行、警察官職務執行法(警職法)の策動、教職員への勤務評定導入など、治安強化と思想統制を特徴とする「ハードポリティクス」を基調に「逆コース」の担い手として君臨し、その後の保守政治に暗然たる影響力を行使した。その足跡は、CIAとの深い関係(資金提供を含む)、黒い金脈、児玉誉士夫・統一教会など右翼勢力との密接なつながりなど、どす黒い汚れにまみれている。
 この岸信介さんを、「敬愛する祖父」とたたえる安倍さんに、いささかでも「主権在民」と「恒久平和」を基軸とする憲法的世界観を求めることは浅はかだった。
「聞きたくない」と思っても、聞かずにいられないほどに、国民の声を圧倒的に大きくしなければならないということか。
 

 
 
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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第4回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第4回目。


郷愁という名のメルヘン
カルロス爺さんの思い出  
連載第4回
「ぼくら仲良しだね。ぼくら友だちなのかい?ねえ、おまえ。ぼくんちへおいで。」
そう言って子犬を両手で抱き上げた時だった。ぼくはいやな奴の来るのを見つけた。
いたずらっこのニールスだ。そう、地主の息子で、この辺のガキ大将のあのいやなヤツ。
ぼくより三つ四つ年上で、そばかすだらけの顔には、もう一人前に濃いひげがうぶ毛にとってかわろうとしていた。そして、言葉つきも、ぼくらとはかけ離れて大人っぽくて、ぼくらをふるえあがらせたあいつが、いつもの仲間たち五、六人とやってくるのだった。
ぼくは真底彼らをきらいだった。おそろしかった。彼らはどんないたずらも平気でやった。すごく残酷な――大人たちでも尻ごみするような――行為を平気でした。
たとえば、カマキリに竹串を差し込んで火あぶりにしたり、カエルの腹に火薬を詰め込んで爆発させたり、皮をはいだヘビを生きうめにしたり。――それら善良な小動物のもだえ苦しむのを見るのが、彼らのとっておきの楽しみであるかのようだった。
そのニールス達が、棒っ切れやムチを振り回しながら、いたずらの種をさがしにやってきたのだった、
ぼくはとまどった。とっさに逃げだそうと考えた。両手に抱いていた子犬を、胸におし当てて、背をかがめて逃げようとした。
「おい待てよ
ニールスの仲間の一人が叫んだ。
「おい、何をかくしているんだい。」
「みせろよ。おい」
「おれ達からにげるのかい?」
彼らは、ぼくを取り囲んで、口々にそう言った。ぼくはふるえながら顔を赤くして、泣き声でつぶやいた。
「いえ・・・なにも・・・かくしちゃいません・・・・ぼく・・・。」
「おい、その手に持っているもの、オレタチに見せなよ。さああ。」
ぼくはうつむいて、しきりにしきりに首を横に振った。
「いやだっていうのか。おい、オレタチの言うことを聞けないって。いつからおまえ、そんなにエラクなったんだ?オイ、チビ。」
仲間の一人が、ぼくから子犬を奪い去った。
ぼくは手向かいもできないで、ただ泣きふした。
奴ら、手に持っていた荒縄で、子犬の首をしばり、そこらを引き回した。
子犬はうなりながら、あるいは悲鳴を上げながら抵抗したが、それを彼らは、容赦なくけとばした。
ぼくは何もできず、ただ泣いているだけだった。
「おねがい。ぼくの・・・ぼくの子犬を・・・。」泣きじゃくりながら、そうくり返すだけだった。
ぼくは、奴らの非情さと、それ以上にぼくのだらしなさに腹を立てて泣きじゃくるのだった。
つづく

 昨日の夕日を写しました。
連載第1回の掲載写真に追加してみて下さい。
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今日は、またまた後楽園を散歩しました。今日は、妻も一緒でした。
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猫もくつろぐ昼さがり
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 抹茶を一服
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紅葉も、盛りは過ぎていますが、まだ鮮やかです。
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岡山城(烏城)と紅葉
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岡山城(烏城)と鴨
 
 
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今日の鳥 岡山後楽園にて撮影。
まずは、カルガモ
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コガモ
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オナガガモ
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舟の上のアオサギ
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カイツブリ
 
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シジュウカラ
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 エナガ
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サザンカも花盛り。この色は珍しい?
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地元新聞に後楽園では今年の水仙が咲いているというニュースがありました。
確かに咲いていました。連載第2回の画像として追加してみて下さい。
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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第3回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第3回目。


郷愁という名のメルヘン
カルロス爺さんの思い出
木下透

連載第3回

嶺の雪も溶けて、ぼくらの村にも春が訪れた。
村の小学校での、うんざりする長い授業が終わると、子どもたちは一斉に校門を飛び出した。
さわやかなそよ風が、萌えいずる若草の目をゆるがす。
子供たちの栗色のうぶ毛をゆるがす。
柔らかに額にまといつく髪の毛をゆるがす。
ガタガタ揺れるランドセルと、額を流れる快い汗を楽しみながら、ぼくは、爺さんの小屋まで一目散にかけてゆく。ぼくらの小学校からほんの二百メートルばかりの所にある水車小屋が爺さんの家だ。
小川の土手には、つくしんぼやたんぽぽがそおっと顔を出している。
あんなに固く閉ざしていたネコヤナギや野いばらが、柔らかに芽ぶいていて、それを見つけた少年に、素直で新鮮な驚きに目を見張らせたのだった。
そっと芽を出した芝草に腰を下ろして、健康な早春の生気に酔いしれている時、ボクの右手を何かがくすぐった。
振り向くとそこには、一匹の子犬が――――ほんとに小っちゃくて、そう、ぼくの両てのひらに楽に隠れそうな大きさだったが、それでいて丸々太ってて、黒いまん丸い瞳が利口そうにキラキラしてる――――その短いしっぽをピンと垂直に立てて、しきりに左右にふっていた。
「あれ、おまえがぼくの手をなめたの?」
子犬は首をかしいでぼくを見上げてる・
猜疑を知らぬ無邪気な眼差しが、たまらなく可愛い。
「おまえ、捨てられたのかい?」
四つんばいになってのぞきこんでそう言ったぼくの顔に、ひんやり湿った鼻づらをくっつけてきた、
「ねえ。おまえ。ぼくを好きなの?」
ぼくはなんだかうれしくて、そこら中を駆け回った。
子犬はどこまでもぼくについてきた。小走りに、転げるように、それでも一所けんめい。


今年の春に撮影した、野の花の写真です。

まず、たんぽぽ

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オオイヌノフグリ
 
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ナズナとホトケノザ
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菜の花
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菜の花と桜
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ネコヤナギ
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(追加)今日の夕日と夕焼け 
 
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玉の如き小春日和に散歩かな (盗作) [折々散歩]

穏やかな陽射しがうれしい一日でした。

玉の如き小春日和を授かりし 松本たかし

「大サービス?」で、今日2本目の記事を書きます。

午前中、いつものコースに散歩に出かけました。

鴨川には、コガモの群れがのどかに泳いでいるなかに、かいつぶりも潜水しています。

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かいつぶりさびしくなればくぐりけり   草城

 

 かいつぶりは、古くは「にお」「におどり」と呼ばれ、万葉集にも詠まれています。

 鳰鳥(にほとり)の、潜(かづ)く池水(いけみづ)、こころあらば、君に我(あ)が恋(こ)ふる、心(こころ)示(しめ)さね     坂上郎女(さかのうえのいらつめ)

 

【解釈】 鳰鳥(にほとり)が潜(もぐ)る池水よ、あなたにもしも心があるのならば、私がお慕(した)いする心を示してくださいな。

 

 にほ鳥の 息長川(おきながかは)は 絶えぬとも 君に語らむ 言(こと)尽(つ)きめやも     馬史国人 

【解釈】息長川はたとえ絶えてしまうことしても、あなたに語りたい言葉は尽きることがあるでしょうか、いや決してありはしません。

ミサゴが、捕獲した大魚を運搬しています。

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 アオサギが水面を滑空しています。
 
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センダンの木に白鷺が止まっています。
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アオジ
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 セキレイ
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ジョウビタキのメス
 
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帰途について、ほぼ我が家の直近の用水べりにさしかかった時、久しぶりにカワセミを撮影できました。
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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 木下透 連載 第2回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第2回目。


 

郷愁という名のメルヘン 

カルロス爺さんの思い出

木下透

連載 第2回 

爺さんの手、しわだらけでごつごつしているけど、とってもやさしいんだ。そしてとっても器用なんだ。爺さんなんでも自分で作るんだ。爺さん家(ち)のいすも、ベッドもテーブルも。みんな自分で作ったんだ。
自分で作ったひじかけいすに腰かけて、パイプでたばこをくゆらせながら、爺さんぼくらにお話してくれるんだ。
ぼくらの知らない海や山や、遠い遠い国のお話。ぼくら、胸をときめかせて、じっとそれを聞いてる。
ひじかけいすに腰かけて、脚組んで、とんとん、とんとん、と、つま先で床を鳴らすのが爺さんの癖。

爺さん、時々自慢のスープをごちそうしてくれるんだ。
冬の、雪の降ってる夜だって、部屋の中は暖炉で暖かくて。そして爺さん、こんなお話聞かせてくれた。・・・それは、幼い胸をときめかせる懐かしいメルヘン。

「この村を流れている小川.それをずんずん上っていくと--------------そう、十日も二十日も歩いてやっと行くつけるところに --------------ちいさな森があってのう。昔々、そうわしらのじいさんのそのまたじいさんもまだ生まれていないころ、その森の奥の泉のそばに一人の美しい少年が住んでおった。
泉の水はこんこんと一年中湧き出ておった。真冬にも凍らず、夏になっても枯れないきれいな水が湧き出ておった。
少年はたいそう楽しく暮らしておった。」
森の小鳥や動物たちと・・・・」


ぼく、あったかくて、ついうとうとと眠り込んでしまってた。それでも爺さん、話をやめないで、独り言のように、子守歌のように、・・・つぶやいている。
「優しい心の少年は、泉に映る自分の影に恋をした。美しいナルシスは、・・・」

つづく

 


ナルシスについては、「コトバンク」に次のような解説があります

 

ナルキッソス【Narkissos】 

ギリシア伝説の美少年。その名は〈水仙〉の意。フランス語ではナルシスNarcisse。多くの乙女やニンフのエコーたちから求愛されたが,そのすべてをすげなくしりぞけた。これを恨んだひとりが,彼も恋の苦しみを味わうようにと復讐の女神ネメシスに祈ると,ナルキッソスは泉に映った自分の姿に恋し,想いが満たされぬまま,やつれはてて水仙の花に化したという。ローマ詩人オウィディウスの《転身物語》で有名なこの話は,中世には,うぬぼれを待ちうける運命の教訓として用いられた。―――世界大百科事典 第2版の解説

ナルシスの生まれ変わりとされる水仙

花言葉は
「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」
(日本水仙)「自己愛」
(白)「神秘」「尊重」
(黄)「私のもとへ帰って」「愛に応えて」
(ラッパズイセン)「尊敬」「心づかい」 

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今年の2月の撮影です。

 
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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第1回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だ。

門閥(封建)制度は親の敵(かたき)でござる」と、福沢諭吉は言ったそうだが、「受験制度は親の敵(かたき)でござる」と言いたい思いが私にはある。私の親が受験制度によって被害を受けたわけではないが、私にとっては、恨み重なるにっくき仇と思えたのだ。

当時、「受験戦争」という言葉はすでに存在していて、「四当五落」(睡眠時間を四時間にして勉強に専念すれば合格するが、五時間得ると失敗する)などというス

「スポ根」まがいの檄言がまことしやかに喧伝されていた。

自己の存在の全てのものに超越して、「受験」なるものが君臨し、それへの無条件の隷従が求められる生活。拒みながらも拒みきれない不本意さ。

一方、東大安田講堂事件を頂点とする「大学紛争」の風は、地方の寒村にもかすかに伝わってきてはいた。社会的政治的諸課題とともに、「大学解体」というテーゼも、高校生の情緒を揺さぶり不安定にさせるに十分だった。

そんな中で「自分探し」「自分づくり」にあえぎつつ、かなりの時間を費やして原稿用紙に向かったのは、確かに逃避であり、ある種の防衛規制でもあったろう。

折しも、国語の宿題で、「小説を書け」と命じた人があった。このブログで過去にも話題にした、敬愛する恩師故U先生だ。いわば「自由課題」で、強制的なものではなかったが、今なら、高三の「受験生」にこんな要求をすることは、「無謀」のそしりを免れまい。しかし、高三といえば、「自分探し・自分づくり」の仕上げにかかる時期でもあって、そんなとき、この課題は、「表現」を通して自己と世界(外界)への「認識」を深めるという、有効で得難い体験だったと思う。


郷愁という名のメルヘン
カルロス爺さんの思い出
木下透
連載第1回
 

   君、覚えているかい水車小屋のカルロス爺さん。いろんなお話聞かせてくれた、あのジーベルカルロス爺さんだよ。
  ぼくらが、かくれおにをしていると、一緒になって遊んでくれた・・・大きな身体を丸っこく小っちゃくさせて、リンゴだるの後ろに隠れてたっけ。ぼくら、爺さんのかげに小っちゃくなってしゃがんでるんだ。だから、いつでも一番先に爺さんがめっかるんだ。
  爺さんったら、めっかると「アッハッハ」って笑うんだ。歯のない口を大っきく開けてさ。「アッハッハハハハ」て笑うんだ。
  ぼくらも一緒に笑ったさ。大っきな声で。
  空がほんとに高いんだ。あおくってさ。 西の方がちょっぴり夕焼けてるんだ。
  草の上に寝っ転がると、ひんやりしてさ。誰かが言ったっけ。「秋だねえっ」て。ぼくら、ほんとにそう思ったんだよ。「秋だな・・・。」
丘のポプラの葉っぱも黄色くなってたし、土手の草にだって、森のかえでにだって、もう緑はなくなっているんだ。
汗が冷えると、ちょっぴり寂しくなってしまって、そいで、もいちど笑ったんだ。「アッハッハハハ」って。爺さんも一緒にさ。
妙にしんみり悲しくなった僕らの上を、カラスが鳴いて飛んでった。
山は紅く紅く夕焼けていた。

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爺さん本当に子供が好きなんだね。
僕ら、いたずらして爺さんの眼鏡を隠した時も、爺さん柱におでこぶつけて、たんこぶこさえてたけれど、少しもぼくらをしかりはしなかった。やっぱり「アッハッハ」って笑うんだ.歯の欠けた大きな口あけて。

村の大人は、爺さんのことばかにするけど、それえも、ぼくらは、みんな爺さんのこと好きさ。
貧乏なカルロス爺さん、文字も満足に読めないカルロス爺さん。けれど好きさ。


爺さんの作ってくれた呼子笛。青くてつやつやしている竹を、小刀で器用に削って、爺さんが作ってくれた呼子笛。鳴らすと「ピーピロピピ」と柔らかい音がして、小鳥がいっぱい集まってくる。
爺さん巣箱を作るのも上手だから、爺さん家(ち)のまわりにはたくさん小鳥が集まるのさ。
ホオジロだってムクドリだってツグミだって・・・。ぼくらが近寄っても逃げはしないんだ。
爺さんの優しい心は、小鳥にだってわかるんだねって、ぼくらいつも感心してる。村の悪童もいたずらっ子も、爺さんといるとおとなしいんだ。はじめっから、優しい善良な少年であったかのように。(そして、きっとそうなんだ。)

最近のムクドリ
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去年のホオジロ
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ツグミ
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シジュウカラ
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以下、今日の小鳥 たち。
エナガ
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ヤマガラ
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ジョウビタキのオス
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ジョウビタキのメス
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キジバト
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メジロ
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名残火のなお燃え盛る紅葉かな [折々散歩]

岡山後楽園を散歩してみました。

実は、思い切って「年間パスポート」を2000円で購入しましたので、元は取らなくちゃ。

通常だと、一回400円ですから、5回入園すればペイするわけで、十分可能でしょう。

寒気がゆるみ、暖かい陽射しが快い一日でした。

紅葉が、今なお鮮やかに燃えています。

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ソテツの葉に桜紅葉が一休みしています。
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 後楽園は小堀遠州の造った庭園で、池、曲水、滝、石組みと、植栽の織りなす四季折々のハーモニーが魅力です。

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緑色の藻を揺らす澄明な流れに、色づいた木の葉が映えます。
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目の覚めるような真っ赤な和傘が、水に映って、和の美を引き立てます。
 
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岡山城も陽を浴びて、青空に聳えています。
 
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今日であった鳥たちです。
 
烏。岡山城(烏城)には 必須の鳥?
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ウとサギ でウサギ?
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モズ
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ヤマガラ
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メジロ
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キセキレイ?
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カルガモ
 
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コガモとカイツブリ
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ヒドリガモ
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マガモ
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軍備全廃想う日孫の宮参り [今日の暦]

今日は、軍備全廃の日(コスタリカ)。

1948年の12月1日、コスタリカ大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールが常設軍を廃止したことを記念して、コスタリカでは「軍備全廃の日」と定められました。
かつて、日本が歩もうとした道と基本的に通ずる、人類の英知の道、理性の道を、コスタリカも選択し、紆余曲折を経てそれを維持しぬいて来たことは、 この記事に詳しくを、この記事は教えてくれています。

「(平和)憲法を変えて、(戦争ができる)普通の国になろう」という声が、何やらかまびすしく聞こえてくる現今の日本にとって、本当に軍備を持たない国=コスタリカのこの選択は、新鮮かつ現実的!と言いたいです。


この国の、もう一つの魅力は、国民と憲法との距離が近いということでしょう。憲法が、単なるキレイな装飾品としてではなく、生きた常識として国民の血や肉になっているということですかね?
たとえばこの記事の、「大統領に勝った青年」=ルイス・ロベルトさんの例。
10年前、最高裁の「憲法小法廷」で、大学生だったロベルトさんは、当時の大統領による米国のイラク侵攻支持表明を「違憲」と訴えた。同様の訴訟を起こした個人は複数いて、いずれも勝訴。大統領の方針は違憲とされ、裁判所が撤回を命じた。」

「憲法小法廷に提起される憲法訴訟は、年間1万件超に上る。一個人が国の方針を転換させるという行為にも、ロベルトさんは「われわれにとってはごく普通のこと」と言ってのける。」

 ロベルトさんは言います。

「日本もわが国も憲法を変える必要がない」
 「非武装の国を他国が侵略したら、国際社会の反応はどうでしょう。それは、バットで赤ちゃんを殴るようなもの」

この記事は、戦後まもない1947年に、文部省が中学生向けに発行した「新しい憲法のはなし」という冊子の一節を、私に想い出させます。

六 戰爭の放棄

みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おか えりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろし い、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしい ことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國に は、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、また こんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をする ためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すて てしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、 正しいことぐらい強いものはありません。

 

 このしかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、 正しいことぐらい強いものはありません。」

という言葉以上に説得力を持つ論理は、ほかにないでしょう。地球上の生物を何十回も全滅させることができるという莫大な核兵器が存在する現代、武力の強大さを競うことで守れる平和など決して存在し得ないことは、ほんのわずかな想像力を働かせるだけで、容易に見て取れるはずですから。

真理は実に素朴で、単純なものなのかも知れません。


今日は、最近生まれた孫の、お宮参りの予定。

お嫁さんの実家近くの神社に、お詣りすることになり、朝から高速道路を走りました。

多少「高緯度」の地ですので、雪や凍結の心配をしたのですが、有り難いことに、今朝は昨日一昨日に比べると寒さが和らぎ、 ぽかぽかとした陽射しも暖かでした。

それでも、途中、深い霧に包まれ、視界が閉ざされる所もあって、ひやひやしました。

途中のサービスエリアもこんな霧で、あたりの景色がぼんやりとしか見えません。

 

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平地は晴れていて、青空が現れました。時間調整のために、近所の城跡公園にのぼってみました。
 
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 何週間ぶりかに見ると、どのパーツも大きくしっかりしてきています。
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帰りはもう夕方。天気が崩れ、小雨がぱらつき、気温も冷えてきました。
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