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朝顔とカキツバタと八つ橋と、の巻 [文学雑話]

今朝の朝顔です。

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鴻鵠のこころ知らずも春のどか [文学雑話]

 昔、漢文で「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という句を習いました。
「えんじゃくいづくんぞこうこくのこころざしをしらんや」と読みます。
「燕雀」とは、燕と雀。取るに足りないちっぽけな存在の象徴です。
鴻鵠」とは、「鴻(おおとり)」と「鵠(くぐい)」だそうです。
同じく「おおとり」と呼ばれる「鵬」(ホウ)、「鳳」(ホウ)「凰」(オウ)が、伝説上の霊鳥をさすのに対して、「鴻(コウ)」は、一般的に「大きな鳥」を意味するようです。オオハクチョウをさしたり、ガンの一種の「ヒシクイ」をさすこともあるそうです。
「クグイ」は、聞きなじみがありませんが、白鳥の古名だといいます。

従って、「鴻鵠の志」とは、大きな鳥の大きな志、つまり、大人物が抱く気宇壮大な志のことを指します。 

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クイナです。 [文学雑話]

去年の2月20日付ブログで、
初めて遭ったベニマシコ
という記事を書きました。
その場所に今年もベニマシコが飛来しているとの情報をお聞きし、二度ほど出かけてみました。

私にとっては、チョー珍鳥ですので、気合いを入れて、finpix s1のほかに、pentaxk5Ⅱ+sigma120-400mmという「フル装備」で臨みました。
時折、橋の上を新幹線列車が走ります。
その下を川が流れていて、かなりの規模で川原が広がっています。

_K526077.jpg

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いまさらに君死に給うことなかれ [文学雑話]

今朝の朝ドラでは、終戦の「玉音放送」が流れ、暗く悲惨な戦争の日々が終わりを告げます。

一方、花子の労作「ANNE of GREEN GABLES」の翻訳が、ようやく完成します。いわく「『神は天にあり。世は全てよし』と、アンはそっとささやいた」。

ところが、「蓮様」のもとに、長男純平の戦死公報が届きます。終戦のわずか四日前、鹿児島で爆撃を受けて戦死したというのです。とても信じることが出来ない「蓮様」は、衝撃と悲しみの余り一夜で髪が真っ白になってしまいます。

この場面は、モデルの柳原白蓮=燁子の実際のエピソードに基づいているそうです。

以前もこの記事で触れましたが、柳原白蓮=燁子の愛息の香織氏は、早稲田大学政経学部在学中に学徒出陣し、1945年(昭和20年)8月11日、所属基地が米機の攻撃を受け、機銃掃射により戦死します。享年23。終戦のわずか4日前でした。

柳原白蓮は、その悲しみを、こう詠んでいます。

たった四日生きていたらば死なざりし
いのちと思ふ四日の切なさ

幼くて母の乳房をまさぐりしその手か軍旗捧げて征くは

英霊の生きて帰るがあると聞く子の骨壷よ振れば音する

写真(うつしえ)を仏となすにしのびんや若やぎ匂ふこの写真を 

 先ほどのこの記事にも書きましたが、「蓮様」が、意に染まぬ結婚話への悩みを抱えて花子の実家を訪ねた場面で、軍人志望の吉太郎に、与謝野晶子「君死にたまふ事なかれ」の載った『明星』を渡す場面がありました。

皮肉なことに、 吉太郎は憲兵として白蓮夫妻を排撃する立場になり、最愛の息子は、彼女がかくも厭うた戦争によって命を奪われます。無数の白蓮、無数の母たちの嘆きを、今の世に再現させることがないように、「君死にたまふ事なかれ」を再録し、ちょっと現代語訳を試みてみました(グリーンの文字が原詩、灰色文字が訳詩)。

「君死にたまふ事なかれ」

あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや


ああ、わたしのおとうと!あなたのためにわたしは泣くわ。
あなた、しんじゃだめ!
すえっこのあなただから、
とうさまもかあさまもあなたをとてもかわいがったわ。
そのとうさまやかあさまはあなたに軍刀を握らせて、
ひとをころせとおしえたかしら?
ひとをころしてしねとおもって、あなたを二十四歳までそだてたかしら


堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

じゆうなまち堺の商人の、
代々ほこりたかい旧家のあるじで、
あととり息子のあなたなのだから、
あなた、しんじゃだめ!
ロシアの旅順がほろびても、
ほろびなくてもかまわないわ。
あなたはしらないでしょうね!商人の
わがやの掟にはないことよ!


君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ

あなた、しんじゃだめ。
へいかはいくさに、
ごじしんではおいでになりませんが、
おたがいにひとの血をながして、
あさましいけものの道でしね、とか、
しぬことがひとの名誉だ、とかは、
へいかの慈愛はふかいので、
もとより、どうしておぼしめしましょうかしら?


あゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

ああ、わたしのおとうと!
あなた、しんじゃだめ!
そのむかし、いとしいとうさまに、
さきだたれなさったかあさまは、
深いかなしみなげきの上に、
わが子をいくさに召し上げられて、ひとりでいえをまもりぬき、
安泰と聞くご治世なのに、
かあさま白髪が増えました


暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はで 別れたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ


お店ののれんに隠れて泣く、
可愛い若いにいづまを、
あなたお忘れ?それとも愛してる?
わずかとつきの新婚ぐらし、はなればなれに引き裂かれた
おとめごころを思ってご覧。
この世にひとりのあなたをおいて、
ああ!他のどなたを頼りにしよう。
あなた、絶対、しんじゃだめ!


この記事や、この記事も、改めて思い出したことでした。

今日の写真は、平和のキジバト。今朝、我が家の窓から写しました。

P916268320140916_98_R.JPG

 

 500mmレフレックスレンズ(ミラーレンズ)で、まずまずピント合わせができましたので、報告(自慢)がてら、掲載します。


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棄てかねしフォルダにあまたのファイルあり ふるき切なき恋文のごと [文学雑話]

昔(二〇世紀です)、夜間定時制高校に務めていた頃、4年生(最上級学年)で出題したテスト問題を、ファイル庫から見つけました。18歳もいれば、成人もいる多彩な顔ぶれでした。定型詩の調べは、彼らの胸に響くようでした。
相当昔のこと故、個人情報とか、「学習指導要領」との整合性などなど、ややこしいことは、もう「時効」でしょうし、なにか特段の差し障りはないものと思い、紹介することにします。

  次のA~Fの短歌を読んで後の問に答えなさい。

A 髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ        1   

B 夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖の静けさ       島木 赤彦

C 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ                                
  花を買ひ来て
  妻としたしむ                                                                  2  
                         
D 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ    俵  万智
                                               
E 牛飼ひが歌咏む時に世の中のあらたしき歌大いにおこる       伊藤 左千夫

F おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落ち葉深く      長塚  節

問一  空白部 1   2  に作者名を漢字で入れなさい。
問二 ア次の説明文は、のどの歌の作者についての説明文ですか。解答欄に、記号で答えなさい。
      イ空白部  ~  にあてはまる語句を、後のア~オから選んで番号で答えなさい。
 
(1)
初め政治家を志し、明治法律学校に入学したが、眼病のため中退し、やがて牛乳搾取(さくしゅ)業を始めた。この頃から和歌を志していたが、明治33年正岡
子規(まさおかしき)の「歌よみに与ふる書」に感動して初めて子規を訪ね、門人となった。子規の写生的詠法を発展させ、短歌の本質は「叫び」、すなわち全
精神を傾けた忘我(ぼうが)の表現にあると主張。主情的な中に荘重味(そうちょうみ)のある歌風を示した。歌誌「馬酔(あしび)木」、その後「」を主宰
(しゅさい)し、斉藤茂吉、島木赤彦らを育てる一方、小説も著(あらわ)した。
        
(2)明治31年に正岡子規の「歌よみに与ふる書」を読んで傾倒(けいとう)し、子規の教えを受けた。子規没後、伊藤左千夫らと「馬酔木」を創刊、「」にも参加し、短歌や歌論を発表したが、彼は左千夫とは対照的に「冴(さ)え」を主張し、清澄(せいちょう)な自然観照(しぜんかんしょう)が歌風である。純粋な客観写生を重んじた多くの短歌作品
のほか、長編小説「土」などがある。
        
(3)昭和三七年生まれ。大学二年生で歌誌「心の花」に参加。第一歌集「サラダ記念日」は青春の感覚と新しい愛・風俗を大胆な口語的発想で表現し、空前のベストセラーとなった。
        
(4)長野県で教師をしながら写実的な歌を作り、雑誌に詩を発表したりしていた。歌誌「馬酔木」「」に参加し、伊藤左千夫の指導を受けた。左千夫の死後は上京し「」を編集した。諏訪(すわ)湖をはじめ、彼が終生(しゅうせい)愛した故郷=長野県の自然に題材をとった写生の歌も多い。彼は、内面描写(ないめんびょうしゃ)を写生の中核とし、東洋的な清澄美を重んじた。 
        
(5)大阪堺(さかい)の商人の家に生まれ、少女時代から古典、特に源氏物語を読みふけり、雑誌「文学界」などを通じて文学に触れた。鉄幹と出会い、激しい恋に落ちた末、実家の反対を押し切って、彼のもとに走る。大胆、奔放(ほんぽう)に恋愛を賛美し、人間の本性を肯定(こうてい)した自我解放の喜びを歌い上げることによって、近代歌壇に強烈な影響を与えた第一歌集「みだれ髪」は、この頃発刊されたものである。夫鉄幹とともに雑誌「」の中心として活躍した彼女は、豊富な語彙(ごい)や比喩(ひゆ)を用いた巧
みな技巧と、流れるような美しい調べによって浪漫的(ろうまんてき)な心情をうたい上げ、唯美的立場から古い封建道徳や因習(いんしゅう)に対抗した。日
露戦争出征中の弟の無事を祈念した長詩「」は、国を挙げての戦争遂行気運のなか、率直な人間的真情から非戦を歌い、非難・共感の論争を呼んだ。
        
(6)本名は一(はじめ)。岩手県に生まれる。岩手県日戸村の曹洞宗常光寺の住職の子として生まれる。父が渋民村(しぶたみむら)の宝徳寺に転じたので、彼もこ
こで成長し、渋民小学校を経て盛岡中学校に入学。在学中、上級生のⅣ  らに刺激され雑誌「Ⅱ」に傾倒(けいとう)、詩歌を志す。一六歳の秋中途退学して上京するが、病で帰郷。渋民小学校の代用教員をしながら小説「雲は天才である」などを書くが、免職(めんしょく)となり、北海道に渡る。函館、小樽、釧路などを転々とした後上京、小説などを書くが成功せず、朝日新聞社の校正係となる。生活苦・結核の進行などの現実の中で、初期の浪漫的傾向から、実生活の感情を日常語で歌う生活派へと変貌した。第一歌集「Ⅴ」は、上京以後の短歌551首を収録。自然や季節の描写といった、それまでの短歌形式から離れ、故郷の渋民村や北海道生活の感傷的回顧、窮乏生活の哀感、時代への批判意識など、生活に即した実感が三行分かち書きという新形式によって表現されている。死後に出版された第二歌集「悲しき玩具(がんぐ)」は、貧困と病苦、生後間もない愛児の急逝(きゅうせい)、重苦しさを深める時代・社会状況など、深刻な現実を見据えながら、「新しい明日」の到来を願う思いを歌った。彼の歌は、そ
の平明さと切実さによって広く親しまれ、今も愛唱されている。

    【語句】

①平凡  ②明星  ③アララギ  ④奥の細道  ⑤君死にたまふことなかれ     ②失楽園  ⑦羅生門  ⑧一握の砂  ⑨金田一一 ⑩金田一耕助    ⑪金田一京助  ⑫金田正一  ⑬金田正太郎  ⑭明智小五郎  
                                          
問三 次の鑑賞文はA~Fのどの歌についてのものか、記号で答えなさい。
   ア 音のない色彩の動と静を対照させて、まるで印象派の絵を見るような一首。
   イ 自負心とはうらはらの羨望と悲哀を感じる日の一ときのなぐさみと安らぎの歌。
   ウ 女性賛美、青春の純潔性を誇示したもので、大胆率直な自己陶酔の歌。

問四 次の歌は、それぞれA~Fのどの歌の作者の作品か。記号で答えなさい。
   ア その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
          やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
          清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
      イ 東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹とたはむる
          たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
          己(おの)が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術(すべ)なし
          はたらけど はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽(らく)にならざり ぢっと手を見る
          わが抱(いだ)く思想はすべて 金なきに因(いん)するごとし 秋の風吹く
          真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児のあり
          かなしくも 夜明くるまでは残りゐぬ 息きれし児の肌のぬくもり
          猫を飼はば、 その猫がまた争ひの種となるらむ。 かなしきわが家。
          子を叱る、あはれ、この心よ。熱高き日の癖とのみ 妻よ、思ふな。
          その親にも 親の親にも似るなかれ-- かく汝(な)が父は思へるぞ、子よ。
          児を叱れば、泣いて、寝入りぬ。口少しあけし寝顔にさはりてみるかな。
          ひとところ、畳を見つめてありし間の その思ひを、 妻よ、語れといふか。
           呼吸(いき)すれば、胸の中にて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音!
          病院に来て、 妻や子をいつくしむ まことの我にかへりけるかな。
          新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど-
   ウ  「また電話しろよ」「まっていろ」いつもいつも命令形で愛を言う君
        今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
        「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
         ぎこちない父との会話 茶柱が立てばしばらく茶柱のこと
        男とはふいに煙草をとりだして火をつけるものこういうときに
        「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

  あなたの好きな短歌を一首書き、鑑賞文を書きなさい。なお、その際、右の問題文中の短歌、及び次の参考資料の中から引用してもよろしい。また、「好きな」短歌がない場合も、いずれかの歌についての鑑賞文を書くこと。
   【正岡子規】
くれなゐの二尺伸びたる薔薇(ばら)の芽の針やはらかに春雨のふる
   【斉藤茂吉】
みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる
しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼(まなこ)はまたたきにけり
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
   【佐々木信綱】
ゆく秋の大和の国の薬師寺(やくしじ)の塔の上なる一ひらの雲
牛かひて庭鳥かひて諸共(もろとも)にわれも住まばや君が山里
   【木下利玄】
街をゆき子供の傍(そば)を通る時蜜柑(みかん)の香(か)せり冬がまた来る
牡丹花(ぼたんか)は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
   【前川佐美雄】
胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし
あたたかい日ざしを浴びて見てをれば何んといふ重い春の植物
   【北原白秋】
昼ながら幽(かす)かに光る蛍(ほたる)一つ孟宗(もうそう)の藪(やぶ)を出でて消えたり
春昼のあめふりこぼす薄ら雲ややありて明る牡丹の花びら
   【若山牧水】
白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青海のあをにも染(そ)まずただよふ
幾山河(いくやまかわ)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
   【近藤芳美】
傍観を良心として生きし日々青春と呼ぶときもなかりき
いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ
   【栗木京子】
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
春浅き大堰の水にこぎ出だし三人称にて未来を語る
卵白を泡立てること上手くなり結婚の日は具体となりゆく
   【松平盟子】
君の髪に十指差し込み引き寄せる時雨の音の束のごときを
ただ一度我が名を呼べよ奪はるるもっとも浄きものと思へば
   【河野裕子】
青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか
我が頬を打ちたるのちにわらわらとなきたきごとき表情をせり
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし君が血の音
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす
   【小池光】
アパートの隣は越して漬物石一つ残しぬたたみの上に
遮断機のあがりて犬も歩きだすなにごともなし春のゆふぐれ
こずゑまで電飾されて街路樹あり人のいとなみは木を眠らせぬ
   【佐々木幸綱】
なめらかな肌だったけ若草の妻と決めてたかもしれぬ掌(て)は
泣くおまえ抱けば髪に降る雪のこんこんとわが腕(かいな)に眠れ
俺らしくもないなないなとポストまで小さき息子を片手に抱いて
父として幼きものは見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ

解答はまたの機会に、気が向きましたらアップすることにしたいと思います。

 今日のオマケ。「ゆとり」時代の反動からか、孫たちの夏休みは、宿題が豊富です。

「計画を立てることが苦手」(本人談)で、マンガ三昧(マンガは我が家の3人の子が残していった本棚に、どっさりあります。)で時間が過ぎる小5の孫が、今日も我が家にやってきて、今日はドリルの他に、家庭科の宿題を片付けることにしました。調理の実習です。
パスタに挑戦。アシスタントは私。
いただきもののズッキーニを切ります。あと、ニンニク、タマネギ、なすび、をいっしょに炒めます。

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スパゲッティをゆでて、秘伝の味付けでできあがり。

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 結構美味しくいただきました。

 


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桑の木がなくては成らぬ桃花源 [文学雑話]

 理想郷を意味する「桃源郷」という言葉の起こりとして、陶淵明の「桃花源記」が知られています。

【原文】

   桃花源記
 晋太元中、武陵人捕魚為業。縁渓行、忘路之遠近。忽逢桃花林。夾岸数百歩、中無雑樹。芳草鮮美、落英繽粉。漁人甚異之。復前行、欲窮其林。林尽水源、便得一山。山有小口、髣髴若有光。便捨船従口入。
 初極狭、纔通人。復行数十歩、豁然開朗。土地平曠、屋舎儼然。有良田美池、桑竹之属。阡陌交通、鶏犬相聞。其中往来種作。男女衣著悉如外人。黄髪垂髫、並怡然自楽。
 見漁人、乃大驚、問所従来。具答之。便要還家、為設酒、殺鶏作食。村中聞有此人、咸来問訊。自云、「先世避秦時乱、率妻子邑人、来此絶境、不復出焉。遂与外人間隔。」問、「今是何世。」乃不知有漢、無論魏・晋。此人一一為具言所聞。皆歎惋。余人各復延至其家、皆出酒食。停数日辞去。此中人語云、「不足為外人道也。」
 既出、得其船、便扶向路、処処誌之。及郡下、詣太守、説如此。太守即遣人随其往、尋向所誌、遂迷不復得路。南陽劉子驥、高尚士也。聞之欣然規往。未果。尋病終。後遂無問津者。
(『陶淵明集』) 

 【書き下し】

晋の太元中、武陵の人魚を捕らふるを業と為す。渓に縁りて行き、路の遠近を忘る。忽ち桃花の林に逢ふ。岸を夾むこと数百歩、中に雑樹無し。芳草鮮美、落英繽粉たり。漁人甚だ之を異とす。復た前行し、其の林を窮めんと欲す。林水源に尽きて、便ち一山を得たり。山に小口有り、髣髴として光有るがごとし。便ち船を捨て口より入る。
 初めは極めて狭く、纔かに人を通ずるのみ。復た行くこと数十歩、豁然として開朗なり。土地平曠、屋舎儼然たり。良田美池、桑竹の属有り。阡陌交通じ、鶏犬相聞こゆ。其の中に往来し種作す。男女の衣著悉く外人のごとし。黄髪垂髫、並びに怡然として自ら楽しむ。
 漁人を見て、乃ち大いに驚き、従りて来たる所を問ふ。具に之に答ふ。便ち要して家に還り、為に酒を設け、鶏を殺し食を作る。村中此の人有るを聞き、咸来たりて問訊す。自ら云ふ、「先世秦時の乱を避け、妻子邑人を率ゐて、此の絶境に来たり、復た出でず。遂に外人と間隔す。」と。問ふ、「今は是れ何れの世ぞ。」と。乃ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し。此の人一一為に具に聞く所を言ふ。皆歎惋す。余人各復た延きて其の家に至り、皆酒食を出だす。停まること数日にして辞去す。此の中の人語げて云ふ、「外人の為に道ふに足らざるなり。」と。
 既に出でて、其の船を得、便ち向の路に扶り、処処に之を誌す。郡下に及び、太守に詣り、説くこと此くのごとし。太守即ち人を遣はして其の往くに随ひ、向に誌しし所を尋ねしむるに、遂に迷ひて復た路を得ず。南陽の劉子驥は、高尚の士なり。之を聞き欣然として往かんことを規る。未だ果たさず。尋いで病みて終はる。後遂に津を問ふ者無し。

【解釈】

昔々、晋の国の太元年間に、武陵出身のオッサンが魚を捕って暮らしておった。あるとき、谷川沿いに漁をしながら進むうちに、どこをどう進んだかわからんようになって、道に迷うてしもうた。突然桃の花が咲く林にぶち当たった。林は川を挟んで両岸はるかにつづき、桃以外の雑木は混じっていない。エエ匂いのする草が鮮やかに美しく生え、花びらが散り乱れている。漁師のオッサンは不思議に思って、さらにすすんで行き、その林がどこまで行き着くか確かめようとした。林は水源のところで終わり、目の前に山があった。山には小さな入り口が開いており、ぼんやり光っておるようじゃった。そのまんま、船を乗り捨てて入り口から中に入った。
 初めはエライ狭く、やっと人一人通ることができるだけじゃった。さらに数十歩進んだら、ぱかっと目の前が開け、明るくなった。土地は平らで広々、建物がきちんと並んでおる。手入れの行き届いた田畑や立派な池があり、桑や竹が生えておった。あぜ道は整備されて四方に通じ、鶏や犬の鳴き声があっちっこちから聞こえてくる。村人が行ったり来たりして、種をまき耕作している。その衣服はまったく外の世界の人とかわりがない。老人も子供も、みんな喜び楽しんでいる。村の人らは、ぜひにと家に迎え、酒席を設け、鶏をしめてご馳走をつくってもてなした。ほかの人たちもこのことを聞きつけて、みんなやってきて挨拶をした。村の人がいうには、「先祖が秦の時代の戦乱を避け、妻子や村人を引き連れて、この世間と離れた場所にやってきて、二度と外に出ませんでした。そのまま外の世界の人と隔たってしまったのです。」ということじゃった。村人は、「今はいったい何という時代ですか。」とたずねる。なんと漢の国があったことも知らんのや。ましてや、魏・晋を知らんのは言うまでもない。この漁師のオッサンは、一つ一つ詳しく答えてやった。村人は、みんな驚いてため息をついた。他の村人もそれぞれ漁師のオッサンを自分の家に招待して、酒食を出してもてなした。数日間とどまって別れを告げて去ることとなった。村の人は、「外の世界の人に対してお話になるには及びませんよ。」と口止めした。
 やがて外に出て、自分の船に乗り、もと来た道をたどって、至る所に目印をつけておいた。郡の役所のあるところにたどり着き、郡の長官のもとに参上して、見てきたままを説明の道を見つけることはできなかった。南陽の劉子驥は志の高い高潔な人である。この話を聞いて喜び楽しんで行くことを計画した。まだ実現していない。やがて病気を患って亡くなってしまった。その後はそのまま渡し場をたずねようとする者もいない。

 

この隠れ里は、 戦乱と争闘のない、平穏な自足の社会で、老子の思い描いた理想社会像=「小国寡民(しょうこくかみん)」の姿とあい通うものです。
【原文】「小國寡民」
小國寡民。使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徒。
雖有舟輿。無所乘之。雖有甲兵。無所陳之。
使人復結繩而用之。甘其食。美其服。安其居。樂其俗。
鄰國相望。鷄犬之聲相聞。民至老死。不相往來。

【書き下し】
小国寡民、什伯の器有りて用いざらしめ、民をして死を重んじて遠く徒らざらしむ。
舟輿有りと雖も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所無し。
人をして復た縄を結びて之を用い、其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居に甘んじ、其の俗を楽しましむ。
隣国、相い望み、鶏犬の声、相い聞こえて、民、老死に至るまで、相い往来せず。

【解釈】

小さな国に少ない住民。
いろいろな文明の利器があっても安直に用いさせないようにし、人々に生命を大切にして遠くに移動させないようにする。
舟や車があってもそれに乗ることはなく、武器はあってもそれを並べたてて使用するようなことはない。
人々に小ざかしい文字や言葉に頼ることなく、今ひとたび太古の昔のように縄を結んで約束のしるしとさせ、己れの食物を美味いとし、その衣服をすばらしいとし、その住居におちつかせ、その習俗を楽しませるようにする。
かくて隣の国はお互いに眺められ、鶏や犬の鳴き声が聞こえてくるほどに近くても、人々は年老いて死ぬまで他国に往き来することがない。そのゆえ、いくさや争いごとが起こることもない。これが理想の国だ。

 老子の心には、しばらく前までこの世に存在し、今は廃れてしまった「原始共産制=原始共同体」社会への郷愁をはらんだ憧れがあったでしょう。「小国寡民」は、人間の小ざかしい知恵=文明が、人間同士の争いを生み、差別を生み、不幸を生む元凶であるとみなし、その対極に理想を求めようとしているのでしょう。

ですが、「桃花源」は、いささか違いがあるように思えます。それは「清く、貧しく、無知無欲」のただただ消極的な原始社会ではないようです。そうではなくて、豊かな「良田・美池」によって食が満たされ、「桑竹之属」によって、絹織物や竹細工など、衣類・調度も上等な嗜好が満たされ、衣・食・住の全般、および人間同士のかかわり方についても、洗練された快適なたしなみが感じられます。村全体を、桃の花のあでやかな色とかおりが包み、実が熟したら、甘い果実をみんなで分け合って味わうような、高度な文化社会と思えます。

桑の木がなくては成らぬ桃花源

理屈っぽい句ですので、理屈っぽい解説を付加します。

桑の木があって、桑の葉が採取できて、蚕が飼育できてこそ、桃花源の人々が身にまとうおしゃれな絹織物が供給できたのですから、「桑の木がなくては成立しない桃花源の暮らしであることよなあ」と、解釈しておきましょう。お粗末。


 

3日前(6月5日)のおカイコ様。

 

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今日(6月8日)のおカイコさま
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比較対象物がないので、大きさを比べることは難しいですが、みるみる大きく育っています。食欲は旺盛。

絹糸を吐くお方だけに、どことなく気品がありますが、拡大すると間違いなくモスラ(子モスラ)ですね。

 

 


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今日のテーマ クイズで発見! THE夏目漱石 [文学雑話]

最近始めたアルバイト仕事の副産物をシリーズで紹介します。(目下鋭意作成中)


今日のテーマ クイズで発見! THE夏目漱石

Q1 千円札のこの人は誰?

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こたえ:聖徳太子


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こたえ:伊藤博文

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こたえ:夏目漱石      
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こたえ:野口英世

    
Q2 この写真は何ですか

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 こたえ 愛媛県( 松山 )市の 道後温泉駅前にある(坊ちゃん)カラクリ時計



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こたえ
( 愛媛 )県( 松山 )市内を走り、観光客を楽しませている「(   坊ちゃん  )列車」。( 道後温泉に停車中)

Q3 これは何ですか?

 

Q4  夏目漱石のデビュー作は?
  友人の俳人高浜虚子が編集する雑誌「ホトトギス」に連載して、評判を呼んだ「(        )」 。
こたえ:吾輩は猫である


Q5  夏目漱石     の名前の秘密
    その1 本名は?
     ア石五郎 イ岩之助 ウ金之助  エ龍太郎  オ悠真
こたえ:


②「漱石」の意味は?

こたえ:下の記事参照

そうせき-ちんりゅう【漱石枕流】
  意味  自分の失敗を認めず、屁(へ)理(り)屈(くつ)を並べて言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。▽「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕する」と常用され、夏目漱石の号「漱石」の由来として有名。「枕流漱石(ちんりゅうそうせき)」ともいう。
 出典  『晋書((しんしよ)』孫楚伝(そんそでん)   句例    ◎漱石枕流のごとき言い訳
 故事   中国西晋孫楚は「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事から。参考goo辞書

 
③「漱石」の名付け親は?    友人の(     )が自分の号として使っていたものを譲ってくれた。
こたえ:正岡子規


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人様の都合にお構いなしの雪 [文学雑話]


筑紫の国で憤死した道真は、神(怨霊?)となって、京(時平の周辺)にいろいろと災いを起こしたと言われます。人々は、道真のたたりとして畏れたと言うことです。
恨みを残して死に、死後この世にたたりをなしたということで、この菅原道真と、平将門、崇徳天皇の三人を、後の世の人は日本三大怨霊と呼んで畏れました。

 

そのたたりを鎮めるために、道真は太宰府天満宮(福岡県太宰府市)や北野天満宮(京都市上京区)、 平将門は、築土神社(東京都千代田区)や神田明神(東京都千代田区)、 崇徳天皇は、白峰宮(香川県坂出市)や白峯神宮(京都市上京区)に、神としてまつられることになります。

さて「大鏡」の「時平と道真」の続きは、こんな具合です。
また、北野の神にならせ給ひて、いと恐ろしく神鳴りひらめき、清涼殿に落ちかかりぬと見えけるが、本院の大臣、大刀を抜き放けて、「生きても、我が次にこそものし給ひしか。今日、神となり給へりとも、この世には、我にところ置き給ふべし。いかでかさらではあるべきぞ。」とにらみやりてのたまひける。
一度は鎮まらせ給へりけりとぞ、世の人申し侍りし。
されど、それは、かの大臣のいみじうおはするにはあらず、王威の限りなくおはしますによりて、理非を示させ給へるなり。


【あやしげ関西弁風現代語訳】
 また、(道真公が)北野の神サンにおなりやして、えろう恐ろしう雷が鳴り、稲光りがして、あわや清涼殿に落ちかかるかに見えたんどすが、本院の大臣はん(時平公)は、太刀を抜き放って、「(あんさんは、)生きてはる時も、私の次の位でおましたなあ。今日、雷神とおなりやしても、この世では私に、ご遠慮しはるのんが当然と言うもんどすやろ。どないして、そうでない状態でおられますかいな(いや、遠慮なさるべきですがな)。」と雷の方をにらみやって言わはったゆうことですわ。
その時だけ、いっぺんはお鎮まりやしたと、世間の人は、申しましたわな。
ほやけど、それは、あの大臣(時平公)がお偉うておいでやしたゆうわけやおまへんで。せやのうて、天皇はんの御威光がごっつうご立派であられるよって、(道真公の霊が、)道理に合うか合わんかの区別(官位の順序を乱してはならんゆうこっちゃ)を示しなはったんですがな。

この昔話を語っている大宅世継が、つまり、作者自身が、道真に強い共感と同情を寄せていることがうかがえます。一事が万事、この作者は、栄華を誇る藤原氏にたいして、概して批判的で、しばしば辛辣に皮肉っています。ただ、唯一、藤原道長という巨人についての扱いは、別格ですが。


今日は、予報通り、朝から大変な雪です。
桜並木の雪景色。

 
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後方の巨樹は楠です。
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 辛夷の枝にかかる雪。
 
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私の散歩道。
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キンモクセイの枝にかかる雪。
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孫は元気に登校していきました。
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大阪から次男が帰ってくる予定なんですが、どうでしょうか?


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春浅き鄙の野辺にも花だより [文学雑話]

今朝も零下。日中も気温が上がりません。

さて、前回ご紹介した「大鏡」の一節は「時平と道真」の前段でした。
右大臣菅原道真に嫉妬した左大臣藤原時平の讒言(でっち上げの告げ口)により、醍醐天皇が道真を大宰府へ左遷し、子供や縁者をも左遷・流罪にした事件にまつわるエピソードが大宅世継の昔語りとして語られました。この、901年(昌泰4年)に起こった事件は、昌泰の変(しょうたいのへん)と呼ばれます。


道真はそのまま筑紫の国で、恨みを残して死にます。

「大鏡」の前回の続きを見てみます。

道真と時平(つづき)

やがてかしこにて亡せ給へる、夜のうちに、この北野にそこらの松を生ほし給ひて、渡り住み給ふをこそは、ただ今の北野の宮と申して、荒人神におはしますめれば、おほやけも行幸せしめ給ふ。いとかしこくあがめたてまつり給ふめり。
筑紫のおはしましどころは安楽寺といひて、おほやけより別当・所司などなさせ給ひて、いとやむごとなし。
内裏焼けて、たびたび造らせ給ふに、円融院の御時のことなり。工ども、裏板どもをいとうるはしく鉋かきてまかり出でつつ、またの朝に参りて見るに、昨日の裏板に、もののすすけて見ゆるところのありければ、梯に上りて見るに、夜のうちに虫の食めるなりけり。その文字は、
      造るともまたも焼けなむすがはらやむねのいたまの合はぬかぎりは
とこそありけれ。それもこの北野のあそばしたるとこそは申すめりしか。かくてこの大臣筑紫におはしまして、延喜三年癸亥二月二十五日に亡せ給ひしぞかし、御年五十九にて。

【年寄り語訳】 
(道真公は、)そのまま、かの地(筑紫)で亡くなられたのじゃ。その夜のうちに、この北野(現在の京都市上京区)の地にたくさんの松を生やしなさって、筑紫から渡り住みなさったのを、ただ今の北野天満宮様と申しあげてな、霊験あらたかな神でおわしますようじゃ。それゆえ、帝も行幸なさるのじゃ。たいそう畏れかしこみ、尊崇申しあげておられるようじゃのお。
筑紫での道真公のお住まいは、安楽寺といって、朝廷から、別当や所司などを任命なさってな、たいそう尊いお寺ですじゃ。
 内裏が焼けて、たびたび御造営になったんじゃが、これは、円融院様の御代のことじゃった。大工の者どもが、屋根の裏板をたいそう、ぴかぴかに鉋をかけて退出しては、また次の朝、参上して見ると、昨日の裏板に、なにやらすすけて見えるところがあったんで、はしごをのぼって見ると、夜のうちに虫が食うて(文字になって)いるのじゃったそうな。その文字は、
  (内裏をいくら)造り直してもきっとまた焼けてしまうであろう。菅原の棟の板間(この無実の罪の「胸の痛み」)が、しっくり合わない(傷口がふさがらない)かぎりは。
とあったということじゃ。それも、ここの北野(天神道真公)がなさったことじゃと世間では申すようでしたなあ。こんな風なあんばいで、この大臣(道真公)は、筑紫にいらっしゃって、延喜三年癸亥二月二十五日にお亡くなりになったのじゃよ。御年は、五十九歳で。



憤死した道真の怨念は、すさまじいものがあったようで、各地の天満宮は、その魂を鎮めるために菅原道真を祭神としてまつったようです。

その話題は、また改めまして。

太宰府天満宮の梅の花も、今頃は盛りでしょうか?

私の散歩道の路傍の梅の木は、思いがけない雪に見舞われて、多少なりともしもやけを起こして黒ずんでいますが、一輪、また一輪と花を開かせています。

 

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オオイヌノフグリの花もコバルトブルーに輝いています。
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タンポポの花
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ロウバイはまだまだ盛りです。
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この花は?コマツナの花のようです。
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花壇の花ですが、、品種名を知りません。
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↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


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日々に楽しまざらんやのココロだ! [文学雑話]

先日の記事で、徒然草の一五五段を紹介しました。

そこでは、特に「春暮れて後(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来(く)るにはあらず。春はやがて夏の気を催し---」というような、物事の連関と継続・発展という面に着目して「動」的にとらえる「ものの見方」について、話題にしてみました。
もちろん、この段は、世の無常をわきまえた上で、どのような心構えと生死観をもって、現世を生きるかという点に主眼を置いた文章でした。その側面については、機会を改めてまた触れてみるつもりでおりました。

つい先日、敬愛するRさんが不慮の災いに遭遇され亡くなられたと聞きました。実はニュースで、その災害については報道されていたのですが、被害者があのRさんだとは、思いがけもしなかったのです。
M先輩が、その葬儀に参加された模様とともに、私のブログ記事に触れて感想をくださいました。

そして、「今日の生あるを楽しまざらんや」というフレーズを教えてくださいました。

とっさには確認できなかったのですが、ありました!
徒然草93段です。原文では、「存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」とあります。



「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛を取らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。

これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、生あるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵝毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふ。

また云はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危く他の財を貪るには、志満つ事なし。行ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。もしまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲る。

【地方語訳】
「牛を売りょうるもんがおったんじゃ。牛を買おう思うたもんが、明日銭を払うて引き取りますらあゆうとったんじゃ。

その夜の間に、牛ぁ死んでしもうたんじゃ。牛を買おう思うたもんは得したけど、牛を売ろう思うたもんはえろう損したゆうことじゃ」と言うもんがおったんじゃ。近くで聞きょったもんが「牛の持ち主は、ちょっと見、損をしたようにみえるけど、ほんまのところはえろう得したんじゃ。何でか言うたら、生きとるもんは、死が近いゆうことがわからんゆうのは、この牛と同じじゃ。人間も同じことじゃが。思いもせんことで牛は死んで、飼い主は生き残った。一日の命は、おおがねよりも重てえんじゃ。それに比べたら、牛の値やこう、ガチョウの羽より軽い。一日生き延びたらおおがねを手に入れたと同じ事じゃけえ、牛代のもうけを失うたぐらいで、損をしたとは言えん。」と言うた。そしたら、周りのみんなは、ばかにして、「その理屈は、牛の飼い主だけのことでもあるめえ」ゆうて笑うたことじゃ。

そのもんは続けて「死をいやがるなら、命を大事にせえ。生きとることの喜びを、その日その日でどうして楽しまんゆうことがあろうな、そりゃあ、楽しまにゃあおえんぞな。アホなもんは、この命があるゆうことの楽しみを忘れて、ご苦労さんなことにほかの楽しみを追い求め、この命いう宝もんを忘れて、危ない目に会うても金に溺れるんじゃあ、望みが果てるゆうことがねえんじゃ。生きる事を楽しまずにおって、死が間近になってから死を怖れる。生きとる事を楽しめんのは死を怖れんからじゃ。いや、死を怖 れんのじゃあねえ。いっつも死が近づいとる事を忘れとるだけじゃ。もし、自分の生死なんかどうでもええ言うんなら、ほんまもんの悟りを得たといえるじゃろうなあ」と。それを聞いて、みんなはいよいよ嘲り笑うたんじゃ。

【註】
・「かたへなる者」:傍らにいた者。

・「既にしかなり」:「すでに…なり」まさに…だ、現に…であるの意。「しかなり」は「然なり」。そうである、そのようである。その通りである。

・「はからざる」:思いがけず。意外にも。「はかる」は、推し量る、量る、測る。思いめぐらす、考える、の意。

・「一日の命、万金よりも重し」:命の価値は「万金」=莫大な価値を持つ金銭よりも尊いというたとえ。

・「鵞毛よりも軽し」:「鵞毛」は、ガチョウの羽毛で、きわめて軽いもののたとえ。

・「楽しまざらんや」:「~ざらんや」は、打消の「ず」の未然形「ざら」+推量の「む(ん)」+反語の「や」がついたもの。楽しまないでよいものだろうか。いや、たのしむのがよい。「楽しむ」は心の充実を感じる意。
推量の「む」は、推量、意志、家庭、婉曲、適当、勧誘などの用法がある。受験生は推量、意志、仮定、勧誘、婉曲、適当のそれぞれの頭文字を取って「スイカカエテ」等と覚えるらしい。見分けのポイントとして、主語が一人称なら意志、二人称なら、適当、勧誘。三人称なら推量。連体形なら仮定・婉曲と見分けよ、などと受験参考書には書いてある。でも、例外はある、ということを知っておく方が人生にはプラスかも知れない。
ここは、「(私が)たのしむつもりだ」ともとれるし「(あなたが)楽しむのがよい。楽しみましょうや。」ともとれる。どちらも、対して違いはないとも言える。私は、適当に(エエカゲンに)、適当で訳してみた。

・「いたづがはしく」:ご苦労なことに。「いたつく」は、骨をおる。苦労する。

・「この理あるべからず」は、その理屈が通るはずはない。生を楽しむから死を恐れるのであり、生を楽しまないのに死を恐れるのは矛盾しているということ。
「べからず」は、推量の「べし」+打消「ず」。推量の「べし」には、辞書によっては、九~十幾つの意味分類を立ててある。若い頃、本気で覚えようとしたこともあったが、アホらしくなってやめた。
受験生は「スイカトメテ」(推量、意志、可能、当然、命令、適当)と覚えるように命じられる。大学時代の哲学専攻の友人は、ドイツ語のSollenになぞらえて、「当為」という言葉を教えてくれた。「べし」の本質を「当為的推量判断」と解説する場合もある。(サダメとして)きっとそうなるはず、きっとそうなるに違いない、そうするのが当然、(だから)やろう、やるつもりだ、、、というような、強い確かな、確信に満ちた推量判断や意志を表す言葉だと、理解しておくのがよいはずだ。

 


この文章は、登場人物である「かたへなる者」が、周囲の状況や相手の気分感情などにはおかまいなしに、自己の信念を論じ立てるという滑稽さ、「場の空気が読めない」ちぐはぐさが醸し出すおかしみをあつかった笑話と考えられます。

 

それは確かにそうなのですが、この「かたへなる者」の言い分は、しかし、兼好法師自身が常に強調してやまない「真理」であったに違いありません。しかも、「死を見つめることから生まれる生の貴重さへの自覚」というゆるがせにできない境地も、日常に埋没し、世俗の利害にまみれている人々から見ると、嘲りの対象でしかないという悲哀を、皮肉交じりに嘆息しているのかも知れません。

兼好にこっそり尋ねてみたわけではありませんが、彼は、この世は「諸行無常」であるから、生きることはすべてむなしいとは考えていないらしく、 どうせ限りのある人生、しかもいつ不意に終わるとも知れぬ生であればこそ、一日の命を貴重なものと気づき、一瞬一瞬を大切にして充実させたいと考えていたようです。


父親が、肺炎で入院して二週間目になろうとしています。

回復は遅々とはしているものの、酸素吸入装置も取り外すことができ、点滴の回数も減りました。何よりも、食欲が戻り、熱も下がって、快方に向かっている様子がうかがえ、少し安心しています。
寒波襲来といえども、今朝は、こんな青空でした。

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病院を訪ねる頃には、次第に雪雲が広がり、不穏な雲ゆき。

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実家付近の山も、 雲に覆われて、、、
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だんだんこんな具合に、、、
 
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そんな寒さの中、イヌノフグリらしきつぼみが、コバルトブルーに輝いていました。

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今日のハクモクレン
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寒の中つぼみは用意されていた [文学雑話]

徒然草にこんな文章があります。

徒然草   第155段

 世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし。序(ついで)悪(あ)しき事は、人の耳にも逆(さか)ひ、心にも違(たが)ひて、その事成らず。さやうの折節を心得べきなり。但し、病を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪(あ)しとて止む事なし。生(しやう)・住・異・滅の移り変る、実(まこと)の大事は、猛(たけ)き河の漲(みなぎ)り流るゝが如し。暫しも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏み止(とゞ)むまじきなり。
 春暮れて後(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来(く)るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾(つぼ)みぬ。木(こ)の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下(した)より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下(した)に設けたる故に、待ちとる序(ついで)甚だ速し。生(しやう)・老・病(びやう)・死の移り来(きた)る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来(きた)らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来(きた)る。沖の干潟(ひかた)遥かなれども、磯より潮(しほ)の満つるが如し。



  〔地方語訳〕

 世の中に順応していこうと思うもんは、なによりかにより、物事のタイミングいうもんを知らにゃあおえんでな。何でも順番いうもんがあって、せえが案配が悪いと、人の耳にも不愉快に聞こえ、心にもしっくり来んけえ、やろう思ようる事が成就せんのじゃ。そこらあの按配を知らにゃあおえんわなあ。
じゃあけど、病気をもろうたり、子を産んだり、死ぬことだきゃあ、タイミングを測っちゃくれん。順番が悪いからゆうて、それがやまる(中止になる)ゆうことはねえ。生・住・異・滅(発生し、存続し、変化し、消滅する)いう、ほんとにでえじなこたあ、勢いのええ川がごおごおゆうて流れていくようなもんじゃ。ちょっとのまも止まっちゃあおらんで、どんどん進んでいくもんじゃ。
じゃあけえ、仏道修行でも、俗世間のことでも、必ずやり切ろう思うことは、タイミングをあれこれ言うちゃあおれん。なんのかんのと、ためろうたりしとられんし、足踏みをしちゃあおられんのじゃ。
  春が暮れてそのあと夏になって、夏が終わって秋が来るんじゃあねえんじゃ。春はそのまま夏の気配をはらんどるし、夏のうちからもう秋の気配がまぜこぜにあらわれとる。秋はすぐに寒くなるし、寒いはずの十月(陰暦の、冬の初めの月)は、小春日和の天気、草も青くなり、梅も蕾(つぼみ)をつけてしまう。木の葉が落ちるのも、先い木の葉が落ちて、それから芽が出てくるわけじゃあねえ。木の下から芽がきざし、その勢いが進むのに堪え切れんで、木の葉が落ちるんじゃ。新しいことを迎え入れる気が木の内側に待ち受けとるけえ、入れ替わる順番がでえれえ速いんじゃ。生(しょう)・老・病・死(生まれること・老いること・病気になること・死ぬこと)の四苦がやってくることも、また、これ以上じゃ。四季は、速いゆうても、やっぱりまだ決まった順番がある。じゃけど。死期(臨終の時)は、順番順序を待たん。死は必ず前からくるとは限らん。 知らん間に、人の後ろに迫っとるもんじゃ。人は皆、死があることを知ってはおっても、死が急にやってくるとは思うて待ちょうらんのに、不意にやってくるんじゃ。、沖の干潟が遥か彼方まで続いているので安心しとっても、足もとの磯から急に潮が満ちて来るようなもんじゃ。



 仏教的な「悟り」といいますか、「死」や、この世の「無常」をわきまえた上で、どういう心構えを持って生きるかという、 教訓臭のつよい章段ですが、「春暮れて後(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来(く)るにはあらず。春はやがて夏の気を催し---」という部分は、独特で面白いです。同じ仏教的無常観をバックボーンに置いていても、「この世ははかない」「むなしい」と言うだけでなく、一つの季節が次の季節を準備している(一つの時代が次の時代を準備している)という観点は、方丈記などで繰り返される「有為転変」への嘆きとは異なって、一つの終わりの先に新しい発展を見るという、ある種の弁証法を垣間見ることができないでしょうか?

弁証法は、「万物は流転する」ということにとどまらず、変化の先に「発展」を見ます。

木(こ)の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下(した)より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下(した)に設けたる故に、待ちとる序(ついで)甚だ速し。

この観点は、

 冬来たりなば春遠からじ   (If Winter comes, can Spring be far behind?  Percy B. Shelley) ---イギリスの詩人シェリー『西風に寄せる歌』の一節と通じるところがあるように思います。

そして、宮本百合子の次の言葉を想起することもできるのではないでしょうか?

うららかな春は
きびしい冬の
あとから来る
可愛い蕗のとうは
霜の下で用意された

 

 また、同じく戦前の治安維持法下で、反戦川柳作家として活動し、治安維持法違反で逮捕、留置された際、赤痢のため29歳で獄死した鶴彬(つるあきら)の川柳も、闇を一面的に闇とのみ見ないという、弁証法的な見方・考え方をきわめて楽天的に示しています。

 暁をいだいて闇にゐる蕾    鶴彬

 

奇しくも築地署で官憲の暴行を受け惨殺された小林多喜二の享年と同じでした。鶴彬は、ほかにも次のような印象的な句を残しています。

暴風と海の恋を見ましたか

万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た

高梁の実りへ戦車と靴の鋲

屍のゐないニュース映画で勇ましい

手と足をもいだ丸太にしてかへし


 久しぶりに野道を散歩してみると、前には見られなかった野の花が、何気ないふうで咲いていました。

園芸品種でしょうか、道端に秘やかに咲いていました。。

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なずな
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ホトケノザ
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垣根の、これは椿?
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我が家の庭の日本水仙
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最近、妻が百円で買ったポット植えのミニ水仙。
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虫に鳥にも吾は成りなむ? [文学雑話]

 

大伴旅人の話題の続きです。

もののついでということもありますので、「酒を讃むる歌十三首」の、残った九首を載せておきます。

・古の七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせし物は酒にしあらし  (341)




【解釈】昔の「竹林の七賢人」も、欲しがったものは酒であったらしいよ。

 「竹林の七賢人」とは、「百科事典マイペディアの解説」によればこうです。


竹林の七賢 【ちくりんのしちけん】

中国,三国魏(220年―265年)の末期,河南省北東部一帯の竹林で,しばしば集まって,清談(せいだん)を行った7人の賢人。

阮籍(げんせき),嵆康(けいこう),山濤(さんとう),向秀(しょうしゅう),劉伶(りゅうれい),阮咸(げんかん),王戎(おうじゅう)で,阮籍が中心であった。

 

・賢(さか)しみと物言はむよは酒飲みて酔哭(ゑひなき)するし勝りたるらし   (342)


【解釈】かしこぶって物を言うよりは、酒を飲んで酔い泣きするほうが勝ってるらしいよ。

泣き上戸という情けない表現形式ながら、そこには真実味がこもっているというのでしょうか?

 
・言はむすべ為(せ)むすべ知らに極りて貴き物は酒にしあらし   (343)

 

【解釈】どう言えばよいか、どうすればよいかもわからないほどに、この上もなく貴い物は酒であるらしい。
酒は「貴き物」の頂点だというのです。

・なかなかに人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ   (344)

 


【解釈】 なまじっか人間でいないで、酒壺になってしまいたいなあ。(そうしたら)酒に浸っていられるであろう。

「てしかも」は、願望の終助詞「てしか」に詠嘆の終助詞「も」が付いて一語化したもの、といいます。
人間であるより酒壺になりたいなんて、大胆!といおうか、投げやりと言おうか。、

・価(あたひ)なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒に豈(あに)勝らめや (346)



【解釈】値のつけようもない宝であっても、一杯の濁酒にどうしてまさるだろうか、いや、いっぱいの 濁酒に勝る宝などありはしないよ。

山上憶良は、「銀も金も玉も何せむに」 といい、「まされる宝」は「子」が一番だと直球勝負で断言しましたが、旅人は、酒こそ一番だと、フォークボールを投げてきます。本当は、亡き妻を思う気持ちが抑えがたいくせに。

・夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣(や)るに豈(あに)及(し)かめやも  (347)
 

【解釈】暗い夜でも輝く宝玉といえども、酒を飲んで憂さ晴らしするのにどうして及ぼうか。

 「夜光る玉」とは、昔、中国で、暗夜にも光ると言い伝えられた宝玉。「夜光の璧」とも言います。その貴重な宝玉よりも、酒!

・世間(よのなか)の遊びの道に洽(あまね)きは酔哭(ゑひなき)するにありぬべからし(348)


【解釈】世の中の遊びで一番楽しいことと言えば、酒に酔って泣くことに決まっているようだ。
旅人さん、相当の泣き上戸なのでしょうか?でも、酔哭のカタルシス効果は、確かに絶大かも?
 

・今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ(349)


【解釈】現世が楽しくあったなら、来世には虫にも鳥にも私は生まれ変わったってかまわないよ。

 因果応報を説く仏教では、前世の行いが現世に報い、現世の行いは来世に結果すると考えられます。この世でよい行いを積めば、あの世で清浄・清涼な世界に、仏として生まれ変わることができるはず。でも、旅人は、来世なんかどうなってもかまわない、たとえ虫けらや鳥や獣に生まれ変わろうとも、今生きている現世が楽しかったらそれでいい、というのです。なかなか徹底したエピキュリアンではないですか?でも、酒を飲んで酔哭しても、楽しいのはつかの間で、妻を失った悲しみは癒えることはないのです。

 

・生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生(このよ)なる間は楽しくを有らな (350)


【解釈】生れると誰でも結局は死ぬものであるのだから、この世に生きている間は楽しく過ごしたいものだ。
上に同じ。

・黙然(もだ)居りて賢しらするは酒飲みて酔泣するになほ及(し)かずけり (351)

【解釈】黙りこくって賢ぶっているというのは、酒を飲んで酔い泣きすることにやはり及ばないものだ。
またまた酔泣です。

旅人を酔泣させる材料としては、一族の不遇、左遷による田舎暮らしの鬱憤、その他世俗のあれこれの憂いが重なったのでしょうが、やはりなんと言っても、赴任先の太宰府で妻を亡くした痛手が大きいに違いありません。

その愛妻の名は、大伴郎女(おおとものいらつめ)と伝えられています。

ちなみに、旅人の周辺には、 紛らわしいことに大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)という女性も登場します。額田王以後最大の女性歌人であり、万葉集編纂にも関与したとも言われます。万葉集には、女流歌人の中では、最も多くの歌が収録されています。 旅人の異母妹で、波乱の結婚生活や恋愛遍歴を体験しますが、大伴郎女没後は、太宰府の旅人のもとに赴き、大伴家持、大伴書持を養育したといわれます。

 


「虫に鳥にも吾は成りなむ」というのは、もちろん逆説的な表現ですが、こんな鳥にだったら、ホントに生まれ変わってもいいと思うかも?

 

 
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酒讃むる旅人の心に潜むもの [文学雑話]

大伴旅人の話題が続いています。

先日紹介した「酒を讃むる歌十三首」のうちの四首、なかでも、「あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む」の歌に、M先輩が、コメントを寄せてくださいました。

うかつにも、まるで思いの及ばなかった観点のご指摘で、大変刺激的でしたので。勝手ながら無断で一部を引用させて戴きます。ごめんなさいM様。

酒好きが酒を飲んで喜ぶのは勝手ですが、酒の飲めない下戸を猿の顔とは言い過ぎですね。日本人は酒が飲める人8割飲めない人2割ですから多数派の横暴とも言えますが、ひょっとしたら旅人は酔っぱらって醜態を曝しては奥さんにこっぴどく叱られているので、その反撃でしょうか。まあ酔っぱらいの戯れ言として許しましょう。

誠に、スルドイご指摘。ごもっともです。

ただ、旅人に成り代わりまして、少々弁明をこころみますと、酒を詩の題材にするという発想は、中国文学の色濃い影響がある模様です。

土屋文明著『万葉集私注』によると、

この13首の讃酒歌は集中でも、その内容の特異なために種々の論議の対象となるものであるが、旅人がどういう動機からこれらの作をなしたか。旅人は当時としては最高の知識人の一人で、新しい大陸文化も相当に理解していた者であろう。
(中略)
しかしこれらの歌は太宰府在任中、おそらくは妻を亡くした後の寂寥の間にあって、中国の讃酒の詞藻などに心を引かれるにつけて、自らも讃酒歌を作って思いを遣ったというのであろう。中国には讃酒の詞藻が少なくないとのことであるが、その中のいくつかを、彼は憶良の如き側近者から親しく聞き知る機会もあったものであろう。


とあります。


ここにもあるとおり、太宰帥(だざいのそち=太宰府の長官)という地方官として、都を遙かに離れた九州に派遣されていた旅人は、その地で、愛妻を病のため亡くしています。すでに60歳を超えていた旅人は、長年連れ添ってきた老妻をわざわざ大宰府まで伴ったのでした。
それだけに、亡妻を歌った旅人の歌は、切々として胸を打ちます。

世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(793)

【解釈】この世の中が、むなしいものだと思い知る時、いよいよますます悲しいことだなあ!

太宰帥の任期が果てて、都に帰る途中、見るもの聞くもののすべてが、在りし日の妻を思い出させて、心を締めつけます。

我妹子(わぎもこ)が見し鞆之浦の天木香樹(むろのき)は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき(446)


【解釈】私の愛する妻が見た鞆の浦のムロノキは、永久に健在だが、それを見た人(私の愛妻)は、もうこの世にいないのだよ。


我妹子は、「わがいもこ」がなまって「わぎもこ」と読みます。「妹(いも)」、「妹子(いもこ)」は、いずれも男性が愛する女性をよぶ言葉です。血のつながりのある姉妹も、愛する妻も、恋人も、そう呼んだようです。ちなみに女性が、愛する男性を呼ぶ言葉は、「背(せ)」「背子(せこ)」です。背(せ)は、兄(せ)とも書きます。ですから、夫婦を「妹背(いもせ)」といいます。
「鞆の浦」は、現在の広島県福山市にある港町で、鯛の養殖をはじめ、「龍馬のゆかりの地」、映画『崖の上のポニョ』の舞台としても知られます。
杜松(むろのき)は「ネズ」とも「ネズミサシ」とも呼ばれる針葉樹で、その球果は杜松実(としょうじつ)と呼ばれ、リキュールの「ジン」を蒸留するときに香り付けに使われるそうです。

鞆之浦の磯の杜松(むろのき)見むごとに相見し妹は忘らえめやも(447)

  
【解釈】鞆の浦の海辺のムロノキをみるたびに、一緒にこれを見た愛妻のことは忘れられようか!(いや忘れることはできない)。

磯の上(へ)に根延(は)ふ室の木見し人をいかなりと問はば語り告げむか(448)


【解釈】磯の上に根を張っているムロノキよ、太宰府に向かう旅でお前を見た人は今どうしているかと問えば、語り告げてくれるだろうか。

妹と来し敏馬の崎を帰るさに独りし見れば涙ぐましも(449)

  
【解釈】愛妻と一緒に来たときに通った敏馬の崎を、帰る時に一人で見ると涙がそそられることだよ。

行くさには二人我が見しこの崎を独り過ぐれば心悲しも(450)

  
【解釈】行きがけには二人で見たこの崎を、ひとり通り過ぎるので、私の心は何とも悲しいことだよ。



こうして京の都に帰りついた旅人は、こんな歌を詠みます。

人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり(451)

  
【解釈】人もいない空っぽの家は、旅の苦しさにまして苦しいことだなあ。

妹として二人作りし吾(あ)が山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも(452)

【解釈】愛妻と二人で作った私の庭の築山は、再び帰郷するまでのこの数年の間に、木々が高く枝繁く、生い茂ってしまったことだなあ(植えた妻は、帰っては来ないのに)。 

我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽(む)せつつ涙し流る(453)

我が愛妻が植えた梅の木を見るたびに心がむせかえるようで涙が流れる事だよ。
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筑紫の国で、職務上は部下に相当しますが、文学的な交友の深かった山上憶良は、旅人の妻の死を悼んで、心のこもった挽歌(レクイエム)を旅人に寄せています。旅人になりかわって、妻を失った哀しみを、長歌と五つの反歌(長歌に添える短歌)で表現した者です。

  
  
日本挽歌一首、また短歌
  大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫の国に
  泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず
  年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に
  打ち靡き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに
  岩木をも 問ひ放(さ)け知らず 家ならば 形はあらむを
  恨めしき 妹の命の 吾をばも いかにせよとか
  にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離(ざか)りいます(794)
反歌
  家に行きて如何にか吾がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも(795)
  愛(は)しきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべ無さ(796)
  悔しかもかく知らませば青丹よし国内(くぬち)ことごと見せましものを(797)
  妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに(798)
  大野山霧立ち渡る我が嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ち渡る(799)

【解釈】
都から遠く離れた大王の遠の朝廷=天皇の政庁=太宰府へと、筑紫の国まで、親を慕って泣く子のように後を追っておいでになり、ほっと一息つく暇もなく、年月も少ししか経っていないのに、心に思いかけもしないうちに、草がなびくようにぐったりと病の床に臥してしまった。どう言ったらよいのか、どうしたらよいのか、手立ても分からずに、せめて石や木に何か言って心を晴らしたいが、それもできない。奈良の都の家に留まっていたなら、元気な姿であっただろうに、心残りがされてならない妻の命よ。私にどうしろというつもりなのか、かいつぶりのように二人仲良く並んで添い遂げようと語り合った心に背いて、その魂は遠く家を離れてさまよっていらっしゃる。

にお鳥(カイツブリ)

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カンムリカイツブリ
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 <795>
 奈良の家に帰ったら、私はどうしたらいいのか。枕を並べた妻屋が寂しく思われて仕方がないだろう。 
<796>
  いとしいことよ。こんな結果になるだけだったのに、私を慕ってやって来た妻の心が、どうしようもなく痛ましいことよ。
<797>
 悔やまれてならない。こうなると知っていたなら、奈良の国中をことごとく見せておくのだった。
 
<798>
 私の悲しみの涙がまだ乾かぬうちに、妻が生前見た庭の楝(=栴檀)の花も散ってしまったに違いない。
 
<799>
 大野山に一面に霧が立ちわたる。私の嘆息が生み出す風によって、山一面に霧が立ちわたる。 

 


旅人の酒は、この悲嘆を和らげるためのものでした。

 

 
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東風(こち)吹いて白い蕾紅い蕾と春兆(きざ)す [文学雑話]

 1月7日撮影の後楽園の写真をストックしたままでした。

新春の青空の下、岡山城も後楽園も、静かなたたずまいを見せていました。

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ちょっとお遊びの「アートフィルター」をかけてみました。
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二週間あまり経って、昨日散歩した岡山市後楽園は、梅林の梅が、ようやくわずかにほころび始めていました。

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 日本の古典文学で「花」といえば桜をさすのが伝統ですが、それは平安時代以降のことのようで、万葉の時代は、むしろ梅が愛されていたようです。梅は、中国伝来の植物で、当時その花を愛でることができたのは、文化的教養的環境において、相当に恵まれていた立場の人だったでしょう。そんな梅の花を愛でるということは、一種のステータスだったかも知れません。

おなじみの旅人も、多く梅の歌を残しています。

雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも        大伴旅人      巻2-850


【解釈】真っ白な雪の色を奪ったように真っ白に咲いている梅の花!今がまっさかりだよ。(一緒に)みてくれるような人があったらなあ。

我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも           大伴旅人 巻5-822

 
【解釈】私の庭園に梅の花が散る。真っ白にはらはらと、天から雪が流れて来るようだよ。

ついでに、旅人の子、家持(やかもち)の歌も一首。

雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむはしき子もがも       大伴家持 

 
【解釈】真っ白な雪に月光が照り映えているこんな夜は、梅の花を折って贈ってあげるような、愛しい娘がいたらいいのになあ。 


大伴旅人が太宰帥(太宰府の長官)であったことは、すでに話題にしました。
時代は下りますが、平安時代醍醐天皇の時代、右大臣であった菅原道真が、左大臣藤原時平の讒言により、太宰府に左遷されます。
その時詠んだとされる歌が、拾遺和歌集に収められています。


拾遺和歌集』巻第十六 雑春
   流され侍りける時、家の梅の花を見侍て   
贈太政大臣 

 東風(こち)吹かば匂(にほ)ひをこせよ梅の花 主(あるぢ)なしとて春を忘るな


【解釈】(太宰府に)流されました時、家の梅の花を見まして(詠んだ歌) 
(没後)太政大臣の官位を送られた菅原道真
春を告げる東風がもし吹いたならば、私の庭の梅の花よ。遠く離れた九州太宰府まで、そのかぐわしい香りを送ってよこしておくれ!!主人である私が、たとえ京のこの屋敷にいなくても決して春を忘れないでくれよ。

この歌は、その他にも、代表的なものだけでも、「拾遺和歌集」、「大鏡」、「宝物集」「 北野天神縁起」、「源平盛衰記 」、「十訓抄」、「古今著聞集」、「太平記」など、 いくつもの書物に採られています。下の句の、「主(あるぢ)なしとて春を忘るな」が「主(あるぢ)なしとて春な忘れそ」という表現になっているものもあります。「な~そ」は、禁止をあらわします。(入試頻出!)

ちなみに、夏目漱石「吾輩は猫である」には、苦沙弥先生の門人で理学士の水島寒月(みずしま かんげつ=寺田寅彦がモデルとされます。)の友人として、詩人の越智東風という、まじめだけれど風変わりな人物が登場します。「東風」という号は、本人によると「こち」と詠むのだそうで、姓名合わせると「おちこち」となります。これは「遠近(をちこち)」という古語に引っかけた洒落だと気づけば、「クスッ」っと笑えます。かの大漱石にしてこの寒いオヤジギャグかと、ギャルたちのケーベツの眼差しを覚悟する必要があるかも知れませんが。

デジタル大辞泉」によると次のとおりです。

おち‐こち〔をち‐〕【▽遠▽近】

    1 遠い所と近い所。あちらこちら。
    「鶏の声も―に聞こえる」〈藤村・千曲川のスケッチ〉
    2 将来と現在。昔と今。
    「またまつく―兼ねて言(こと)は言へど逢ひて後こそ悔いはありといへ」〈万・六七
おちこちびと【遠近人】
あちこちの人。
「信濃(しなの)なる浅間の嶽(たけ)に立つけぶり―の見やはとがめぬ」〈伊勢・八〉

 



 さて、季節は各種入試のまっただ中。受験生諸君は、キットカットをはじめ色々な合格グッズによりどころを求め、

 

ネスレ日本 キットカットミニ 3枚×10個

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あきちゃん 合格祈願 頭脳米 300g(2合)×12袋 「百マス計算」の小河勝先生推薦

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  • 出版社/メーカー: 株式会社AKI INTERNATIONAL
  • メディア: その他

 

合格(5か9)お守りそろばんストラップ 10186

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  • 出版社/メーカー: ダイイチ
  • メディア: ホーム&キッチン

必勝スーパーカイロ 10個入り

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  • 出版社/メーカー: アイリス・ファインプロダクツ
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いりこストラップ(合格入り校ストラップ)黒ストラップ

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  • 出版社/メーカー: 仮説社
  • メディア: おもちゃ&ホビー

マルエス 合格ひとくちあたりめぇ 13g×5袋

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  • 出版社/メーカー: マルエス
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にゃんちゅう《合格V/BL×RD》レディースソックスNHKキャラクターグッズ(女性用靴下)通販

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  • 出版社/メーカー: スモールプラネット
  • メディア: おもちゃ&ホビー

がんばる受験生に贈る『応援★日めくり』

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  • 作者: 長沖 竜二
  • 出版社/メーカー: 自由国民社
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オクトパス 御守り根付ストラップ (黄色)

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  • 出版社/メーカー: 三英貿易
  • メディア: おもちゃ&ホビー

にわか信心を起こして神社仏閣に参詣したりするのでしょうが、なんといっても老舗は、「学問の神様」=天神様=天満宮ですね。太宰府天満宮と京都の北野天満宮に、山口の防府天満宮または大阪天満宮を合わせて、日本三大天神と呼ばれます。

道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」とされ、受験にも御利益ありと考えられるようになりました。また、道真が梅を愛したことから、太宰府の名物として梅が枝餅が代表的なお土産となっています。

太宰府天満宮参道 やす武 太宰府名物 梅ヶ枝餅約70g×10個

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福岡 お土産 梅ヶ枝餅 5箱

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この梅が枝餅にはこんないわれがあるそうです。

 菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され悄然としていた時に、安楽寺の門前で老婆が餅を 売っていた。その老婆が元気を出して欲しいと道真に餅を供し、その餅が道真の好物になった。後に道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始 まりとされている。別の説では、菅原道真が左遷直後軟禁状態で、食事もままならなかったおり、老婆が道真が軟禁されていた部屋の格子ごしに餅を差し入れす る際、手では届かないため梅の枝の先に刺して差し入れたというのが由来とされており、絵巻にものこっている。(wikipediaより引用)

また、道長にまつわる「天神信仰」には、次のようないわれがあるようです。これもwikiによります。
 藤原時平の陰謀によって大臣の地位を追われ、大宰府へ左遷された道真は失意のうちに没した。彼の死後、疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相 次いで病死した。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)。これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を 行った。
清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。元々京都の北野の地には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷はここに北野 天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした(御霊信仰も参照のこと)。道真が亡くなった太宰府にも墓所の地に安楽寺天満宮、のちの太宰府天満宮が建立さ れた。また、949年には難波京の西北の鎮めとされた大将軍社前に一夜にして七本の松が生えたという話により、勅命により大阪天満宮(天満天神)が建立さ れた。987年には「北野天満宮大神」の神号が下された。また、天満大自在天神、日本太政威徳天などとも呼ばれ、恐ろしい怨霊として恐れられた。


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我もまた旅人の宝慈しむ [文学雑話]

先日のブログで山上憶良を話題にし、同じ時期、同じ九州地方で、後に「筑紫歌壇」とも呼ばれる文学サロンを共に構成した大伴旅人に触れました。


「旅人」!ずいぶんモダンな名前じゃありませんか。『大鏡』の夏山繁樹も、近現代の名前と行っても古くないと思いますが、こちらは、フィクションです。

下級役人だった山上憶良に比べて、家柄も地位も、旅人の方が格段に上位であったようですが、こと文学的交友においては、上下の関係にはなかったものと思われます。
大 伴氏といえば、日本神話で天孫降臨の時に先導を行った天忍日命(あめのおしひのみこと)を祖とし、記紀によると、その子孫である日臣命(ひのおみのみこ と)が神武天皇の東征の先鋒を務め、神武天皇即位の際には宮門の警衛を務めます。その裔の大伴武日 (おおとものたけひのみこと)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国遠征に従うなど、代々、大和政権の軍事面を司り、物部氏、阿倍氏、中臣氏らとと もに朝廷を支える有力な氏族であったようです。
そのような家柄に育った旅人が、九州太宰府の長官に任ぜられるということは、急速に台頭する藤原氏との政争に敗れての「左遷」という性格を持つことは容易に推察されます。
そうであるだけに、穏やかならざる旅人の心情も、推して知ることが出来そうです。
その旅人の子家持(やかもち)が、しばしば名状しがたい愁いを抱いた裏には、その没落しつつある一族という背景が潜んでいたかも知れません。私の過去のブログで、この歌を引用しました。

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば  大伴家持

【解釈】うららかに照り輝いている春の陽射しのなかに、ヒバリが高く天に駆け上り、

何となくなくこころがもの悲しいものよ! 一人で物思いにふけっていると。

この歌にも、愁いが漂っています。

淡海(あふみ)の海(み) 夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり) 汝(な)が鳴けば 
こころもしぬに 古(いにしへ)思ほゆ  大伴 家持

【解釈】夕波が寄せては返すはるかに広い琵琶湖の、暮れ方の水辺に、チチチと小さな声で鳴く千鳥よ!

おまえが寂しい声で鳴くと、心もしおれたように弱って、この地が近江京として栄えた頃の昔のことが、しみじみと思われることよ。

 


山上憶良が、この世のあらゆる宝物以上に愛したものは、子どもであり家族でした。    


一方、旅人が、愛したもの。それは「酒」でした。

大伴旅人「酒を讃 むる歌十三首」は洒脱な名作。今日はそのなかから四首ほど紹介しておきます。

験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の 濁れる酒を飲むべくあるらし


【解釈】役にも立たない物思いをあれこれするよりは、さかずき一杯の濁り酒を飲むのが良かろうっていうことらしいよ。
「濁れる酒」は、「濁り酒」=どぶろくですよね。以前、この項で書きました。

酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古(いにしへ)の 大き聖の言の宣(よろ)しさ

【解釈】酒の名を「聖」と仰せになった昔の大聖人のお言葉のよろしいこと!

大吟醸 極聖 720ml 三年連続全国新酒鑑評会金賞受賞

大吟醸 極聖 720ml 三年連続全国新酒鑑評会金賞受賞

  • 出版社/メーカー: 宮下酒造
  • メディア:

 

価なき宝といふとも一坏(ひとつき)の 濁れる酒に豈(あに)まさめやも
 
 【解釈】値段で量れ ないほど無上の貴い財宝でも、さかずき一杯の濁り酒に、どうしてまさることがあろうか?いや、決してまさりはしない。
 
あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
【解釈】ああ、みにくいよ!賢こぶって、酒を飲まない人をよく見るとサ、猿に似てんだよね。
 
あな=ANA=航空会社の写真です。(汗)
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悼みつつ読み返す詩や末の冬 [文学雑話]

詩人の吉野弘さんが亡くなられました。
去年の11月9日付のブログで、「生命は」という詩を引用したことがありました。好きな詩です。

「夕焼け」も、身につまされて好きです。

「夕焼け」   吉野弘

いつものことだが

電車は満員だった。

そして

いつものことだが

若者と娘が腰をおろし

としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って

としよりに席をゆずった。

そそくさととしよりが坐った。

礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に

横あいから押されてきた。

娘はうつむいた。

しかし

又立って

席を

そのとしよりにゆずった。

としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に。

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をキュッと噛んで

身体をこわばらせて---。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持ちで

美しい夕焼けも見ないで



 国語の教科書などによく載っている「I was born」という詩も、忘れられません。

 

 

「I was born」  吉野弘
        
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。


或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれ>ということが まさしく<受身>である訳を ふと解した。僕は興奮して父に話しかけた。

----やっぱり I was born なんだね----
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
----蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。
----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは----。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体----  

 (作者註:「淋しい 光りの粒々だったね」は詩集「幻・方法」に再録のとき、「つめたい光の粒々だったね」に改めました)

 


 最近、「元首相」のあの方この方が、表舞台に登場される機会がいろいろあって、「ああ、そういえばそんな時代があったっけ」などと感慨を覚えることが多いのですが、記憶の向こうに遠ざかった元首相、元民主党の鳩山由紀夫さんが、以前ツイッターでこんなことを書いておられて、ちょっと話題になりました。

私が好きな吉野弘さんの「祝婚歌」にこんな一節がある。「正しいことを言うときは少し控えめにするほうがいい  正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」。外交交渉の要諦はここにあると、昨今の外交案件をみてつくづく思う。外交こそ人間関係そのものである。(鳩山由紀夫氏ツイッター記事より)

鳩山さんが「祝婚歌」をお好きだったとは、偶然の一致でしょうが、私もこの詩が好きです。

「祝婚歌」              吉野 弘 


二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい


この詩については、吉野弘さんと交流の深かった詩人の茨木のり子さんがこんなことを書いています。

 吉野さんの「祝婚歌」という詩を読んだときいっぺんに好きになってしまった。
 この詩に初めて触れたのは、谷川俊太郎編『祝婚歌』というアンソロジーによってである。どうも詩集で読んだ記憶がないので、吉野さんと電話で話したとき、質問すると、「あ、あれはね『風が吹くと』という詩集に入っています。あんまり他愛ない詩集だから、実は誰にも送らなかったの」
 ということで、やっと頷けた。(中略)
 私がそうだから大きなことは言えないが、吉野さんの詩は、どうかすると理に落ちてしまうことがある。それから一篇の詩に全宇宙を封じこめようとする志向があって、推敲に推敲を重ねる。
 櫂のグループで連詩の試みをした時、もっとも長考型は吉野さんだった記憶がある。
 その誠実な人柄と無縁ではないのだが、詩に成った場合、それらはかえってマイナス要因として働き、一寸息苦しいという読後感が残ることがある。
 作者が駄目だと判定した詩集『風が吹くと』は、そんな肩の力が抜けていて、ふわりとした軽みがあり、やさしさ、意味の深さ、言葉の清潔さ、それら吉野さんの詩質の持つ美点が、自然に流れ出ている。
 とりわけ「祝婚歌」がいい。
 電話でのおしゃべりの時、聞いたところによると、酒田で姪御さんが結婚なさる時、出席できなかった叔父として、実際にお祝いに贈られた詩であるという。
 その日の列席者に大きな感銘を与えたらしく、そのなかの誰かが合唱曲に作ってしまったり、またラジオでも朗読されたらしくて、活字になる前に、口コミで人々の間に拡まっていったらしい。
 おかしかったのは、離婚調停にたずさわる女性弁護士が、この詩を愛し、最終チェックとして両人に見せ翻意を促すのに使っているという話だった。翻然悟るところがあれば、詩もまた現実的効用を持つわけなのだが。
 若い二人へのはなむけとして書かれたのに、確かに銀婚歌としてもふさわしいものである。
 最近は銀婚式近くなって別れる夫婦が多く、二十五年も一緒に暮らしながら結局、転覆となるのは、はたから見ると残念だし、片方か或いは両方の我が強すぎて、じぶんの正当性ばかりを主張し、共にオールを握る気持も失せ、〈この船、放棄〉となるようである。 すんなり書かれているようにみえる「祝婚歌」も、その底には吉野家の歴史や、夫婦喧嘩の堆積が隠されている。(中略)

長女の奈々子ちゃんが生まれた時、すぐ酒田から手紙が届き、ちょうどその頃、櫂という私たちの同人詩誌が発刊されたのだが、「赤んぼうははじめうぶ声をあげずに心配しましたが、医師が足を持って逆さに振るとオギャアと泣きました。子供、かわいいものです」
 と書かれていた。私の感覚では、それはつい昨日のことのように思われるのだが、その奈々子ちゃんも、もう三十歳を超えられ、子供も出来、吉野さんは否も応もなく今や祖父。
「祝婚歌」を読んだとき、これらのことが私のなかでこもごも立ち上がったのも無理はない。幾多の葛藤を経て、自分自身に言いきかせるような静かな呟き、それがすぐれた表現を得て、ひとびとの胸に伝達され、沁み通っていったのである。
 リルケならずとも「詩は経験」と言いたくなる。そして彼が、この詩を一番捧げたかったは、きみ子夫人に対してではなかったろうか。(吉野弘全詩集 栞 より)

その奈々子さんの誕生に際して、父親としての思いを綴ったのが、この詩です。

「奈々子に」  吉野弘  


赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。

自分があるとき
他人があり
世界がある。

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。
苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむずかしく
はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ。

 

この「お前にあげたいものは/香りのよい健康と/かちとるにむずかしく/はぐくむにむずかしい/自分を愛する心だ。」 というメッセージを、私はそのまま孫娘に捧げたいと思います。


ご逝去を悼む思いから、吉野さんの詩を何編も、断りもなしに引用しました。著作権問題は気になりますが、私も、この記事に甘えて、「民謡」扱いさせていただくことにします。

【早坂】 吉野さんは「祝婚歌」を「民謡みたいなものだ」とおっしゃっているように聞いたんですけど、それはどういう意味ですか。
【吉野】 民謡というのは、作詞者とか、作曲者がわからなくとも、歌が面白ければ歌ってくれるわけです。だから、私の作者の名前がなくとも、作品を喜んでくれるという意味で、私は知らない間に民謡を一つ書いちゃったなと、そういう感覚なんです。
 【早坂】いいお話ですね。「祝婚歌」は結婚式場とか、いろんなところからパンフレットに使いたいとか、随分、言って来るでしょう。 ただ、版権や著作権がどうなっているのか、そういうときは何とお答えになるんですか。
【吉野】 そのときに民謡の説を持ち出すわけです。 民謡というのは、著作権料がいりませんよ。 作者が不明ですからね。こうやって聞いてくださる方は、非常に良心的に聞いてくださるわけですね。だから,そういう著作権料というのは心配はまったく要りませんから....
【早坂】 どうぞ自由にお使いください。
【吉野】 そういうふうに答えることにしています。
      早坂茂三『人生の達人たちに学ぶ~渡る世間の裏話』(東洋経済新報社)

 


最後に今日の鳥。

オオジュリンでしょうか?

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 飛び立つ
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はばたく
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旋回
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帰巣
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まされる宝鳥にしかめやも? [文学雑話]

昨日の記事で、山上憶良の「貧窮問答歌」を話題にしました。そこでわたしは「社会派」、「生活派」、「人道派」の歌人という呼び名を用いました。
同時に、「家族思い」「子煩悩」という一面も、思い浮かびます。

瓜食めば子ども思はゆ栗食めばまして偲ばゆ 何処より来たりしものぞ
眼交にもとな懸りて安眠し寝さぬ 
                        <万葉集巻5 802>
  銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに 勝(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも
                        <万葉集巻5 803>

地方語訳
瓜を食うたら子供らあが思われてならん。栗を食うたら、いよいよ恋しゅう思えるんじゃ。
子供ゆうもんは、どこからきたもんかのお、
寝よう思うても、まぶたの裏に子供らぁの姿が引っかかってからに、ちっとも安眠させてくれんのじゃ。

銀じゃの、金じゃの、真珠じゃのゆうたりする宝もんも、何にしようにぃ(なんにもならんがな)。
いちばんまさっとる宝ゆうたら、子ども以上のものがありましょうか?ありゃあしませんぞな。

銀=シルバーは、白く光る金属なので白金(しろがね)です。 もちろん、プラチナ=白金(はっきん)ではありません。

黄金=ゴールドは、黄色く光る金属ですから、「きがね」です。なまって「くがね」、「こがね」ともいいます。黄金虫は「こがねむし」です 。

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (岩波文庫)

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (岩波文庫)

  • 作者: ポオ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 文庫

玉は、珠。真珠=パールの類です。 以前、「白玉か何ぞと人の問ひしとき---」(「伊勢物語」)の話題で触れました。
ついでに、赤い金属は赤金(あかがね)=銅で、黒い金属は黒金(くろがね)、つまり鉄です。
「守るも攻めるも黒鐵(くろがね)の浮かべる城ぞ頼みなる」(瀬戸口藤吉作曲の行進曲「軍艦行進曲」)の「くろがね」はこれです。ちなみに岡山市西大寺にある「鉄(くろがね)」は、鉄鉱山に由来する地名だそうです。


憶良の作品に、こんなものもあります。

老身重病年を経て辛苦(くる)しみ、また児等を思ふ歌五首 長一首、短四首
  玉きはる 現(うち)の限りは 平らけく 安くもあらむを
  事もなく 喪なくもあらむを 世間(よのなか)の 憂けく辛けく
  いとのきて 痛き瘡(きず)には 辛塩を 灌ぐちふごとく
  ますますも 重き馬荷に 表荷(うはに)打つと いふことのごと
  老いにてある 吾が身の上に 病をら 加へてしあれば
  昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし
  年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ
  ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く子どもを
  棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ
  かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ(897)
反歌
  慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ(898)
  すべもなく苦しくあれば出で走り去(い)ななと思へど子等に障(さや)りぬ(899)
  水沫(みなわ)なす脆き命も栲縄(たくなは)の千尋にもがと願ひ暮らしつ(902)
  しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも(903)

中でも、899の歌は、庶民の切実な思いが込められています。
【地方語訳】

 どうしようものうて苦しゅうてたまらんけえ、いっそ、家出して逃げちゃろうと思うたりするんじゃけど、そねなことをしたら子供らぁにメーワクがかかってしまうけえのおぉ、なんぼぅにもできんわのぉ。


今日の鳥です。
烏城の烏

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楠の実を食べています。
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烏城
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 シロハラ
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ヒヨドリ
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カルガモ
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お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を存分に歌へ vol2 [文学雑話]

10月2日に書いた記事が冗長で読みづらかったので、分割しました。


 10月に入ったのを機に、昨日から、これまでの敬体(です・ます調)を、常体(だ・である調)に切り替えた。我ながら、傲岸な物言いになっているが、入力の手間を省くのが本意なので、赦されたい。



イヌタデの花。「赤まま」「赤まんま」「赤のまま」などとも呼ばれる。赤飯に見立てて、ままごと遊びに使う。
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 赤ままの花は、おのずと、この詩を連想させる。

歌                  中野重治

お前は歌ふな
お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな
風のさゝやきや女の髪の毛の匂ひを歌ふな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を排斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌へ
たゝかれることによって弾ねかへる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸廓にたゝき込め

中野重治詩集 (岩波文庫)

中野重治詩集 (岩波文庫)

  • 作者: 中野 重治
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/18
  • メディア: 文庫

 

 

 

夜明け前のさよなら (愛蔵版詩集シリーズ)夜明け前のさよなら (愛蔵版詩集シリーズ)

作者: 中野 重治

出版社/メーカー: 日本図書センター

発売日: 2000/02/25

メディア: 単行本

 

 



イトトンボのつがい。かそやかなトンボの羽根の震えも叙情をそそる。

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「赤ままの花」が象徴する幼い日の、穏やかで幸せなりし郷愁の世界も、「トンボの羽根」が導く甘やかな叙情の世界は、作者にとって、快く懐かしい居場所だったに違いない。だが、プロレタリア詩人の道に徹しようとす作者は、その叙情を「うそうそとしたもの」と断じ、これを投げ捨てる努力を、みずからに命じようとしている。

その美しいまでにストイックな、そして一種求道的な意気込みは、読者をして自ずと身を正させる勢いに満ちている。高校時代の私は、この詩を日記帳に書き写し、何度も復唱したものだ。 

彼の小説『歌のわかれ』もまた、感傷的な叙情と決別して、現実世界の変革にたくましく取り組む道を選び取る若者を描いた。

村の家・おじさんの話・歌のわかれ (講談社文芸文庫)

村の家・おじさんの話・歌のわかれ (講談社文芸文庫)

  • 作者: 中野 重治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/03/04
  • メディア: 文庫

 

歌のわかれ (新潮文庫 な 3-1)

歌のわかれ (新潮文庫 な 3-1)

  • 作者: 中野 重治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1950/07
  • メディア: 文庫

だが、その無理な力こぶをゆるめて、 「お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌へ ---すべてのひよわなもの すべてのやわらかなもの 全ての愛しいものを 奪い去る暴虐に 立ち向かふ 真実の優しさを  咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ」とでも、歌ってくれていたら、晩年の、ぎこちなく美しくない振る舞いに、自然のブレーキを掛けることもできたかも知れない、などと、無責任な妄想をしてみる。

大国主義ソ連の乱暴な干渉・介入等という、信じがたい政治の暗雲に翻弄されたとはいえ、その晩節はいただけないと思う。 ないものねだりかもしれないが、「叙情」とのつきあい方は、もっと自然体がいいのだろうと、この頃思う。

 

中野重治「甲乙丙丁」の世界

中野重治「甲乙丙丁」の世界

  • 作者: 津田 道夫
  • 出版社/メーカー: 社会評論社
  • 発売日: 1994/10
  • メディア: 単行本

 

回想の中野重治―『甲乙丙丁』の周辺

回想の中野重治―『甲乙丙丁』の周辺

  • 作者: 津田 道夫
  • 出版社/メーカー: 社会評論社
  • 発売日: 2013/09
  • メディア: 単行本

 


 

スターリンと大国主義

スターリンと大国主義

  • 作者: 不破 哲三
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2007/05
  • メディア: 単行本

 

スターリンと大国主義 (新日本新書 303)

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