ネンキンに関心あり、の巻 [折々散歩]
サボテン様のブログに、こんな記事がありました。25. 皇位継承
カーラジオで皇家が話題になっていました。「今、悠仁様は『年金』に強い関心をお持ちです。」というナレーションが流れ、「オッ、秋篠宮家でもきちんと年金払ってるんだ!」とびっくりしていたら、『粘菌』の間違いでした。このやんちゃそうな悠仁様が、のびのび成長できればいいなあと心から思います。同感です。
ところで「ネンキン」問題。我が家でも、最近同じような聞き間違いを経験しました。孫とバアバが、深山公園に遊びに行こうかという計画を話している流れで、孫が私に聞きました。「ジイジは何に興味がある?鳥?」「バアはネンキン?」てっきり「年金」と聞きましたが、敢えて自然公園で「年金」でもなかろうと思い返して「粘菌」かと合点しました。そう言えば、何日か前、テレビの自然番組で不思議な生物「粘菌」を扱っていたのを見た記憶が蘇りました。
社会科の話題ではなく、理科の話題だったのでした(笑)
それはそれとして、私、鳥にも興味はありますが、社会科の方の「年金」にも興味がないわけではありません。
実は、今週は年金づいているのです。26日(土)には、年金者組合地元支部の「例会」が催され、参加してきました。最初、今年度新たに県本部委員長になられた近藤劭さん(はしごもさすがに2軒が限度?の巻の記事やイッキイッキ!の巻の記事で紹介しました)が挨拶。年金問題をめぐる情勢や年金裁判の状況などについて、詳しく解説してくださいました。
近況や日頃の問題意識を自由に語りましょう、という場面では、健康のこと、墓じまいや終活のこと、来し方・行く末、生きがいのこと、など、親しく懇話することができました。
そして今日28日(月)、午前中は「年金裁判を支援する会」の総会、午後は「年金一揆」が実施されました。その概要については、こんな過去記事をご参照下さい。
悪いマクロと良いマクロ?の巻
イッキイッキ!の巻
マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?
「年金裁判」は何に貢献するか?の巻
午前中はみっちり学習、午後は、今年一番と言っていいほどの、爽やかな秋晴れの空の元、集会とデモが繰り広げられ、快い疲れを味わいました。
若者も高齢者も安心できる年金制度を!の思いをつよくした一日でした。
さてこれは、今朝の夜明け頃の写真です。
続いて昨日の朝散歩のスケッチ。年金切り下げのトリックである「マクロスライド」には大反対ですが、朝散歩でのマクロ写真です。
ホトケノザの花。
ナズナの花。
センダングサの花。
朝顔がまだ咲いています。
露を宿すコスモスの花。
今年はセイタカアワダチソウが、心なしか例年以上に元気なように感じられます。
隆盛を誇ったこの外来植物は、みずからの分泌物質のために「自家中毒」し、往時の勢いを失って衰微したと言われていました。ネット上にこんな資料がありましたので、pdfファイルを一部コピーさせていただきます。
セイタカアワダチソウとススキ - 中部地方整備局 - 国土交通省
あるいは、衰微の時期を経て、また回復・隆盛の時期を迎えているのでしょうか?
田園風景は広角で写します。
「昨日こそ早苗取りしかいつの間に」という古歌は、はや稲穂の実る季節になったという感慨を歌ったものですが、はやその季節を超えて稲刈りが終わる季節になっています。
毎年毎年、飽きもせず撮影する田園風景ですが今年もご紹介させていただきます。
今日はこれにて。
雨のち晴れ、、、の巻 [折々散歩]
今週は、久しぶりの雨で、傘が必要な日がちょっと続きました。
23日(水)は、ほぼ毎週、旭川沿いを歩いて教育相談ボランティアの部屋へ通っていますが、こんな晴れ間がありました。
その前後関係がはっきり思い出せませんが、雨の中、近所のスーパーまで歩いて買い物に行くことで歩数を稼ごうと考えて、傘を差して歩きました。必要もないのに、カメラを巾着袋に入れて出かけ、買い物袋と一緒にぶら下げての帰り道、ちょっとした弾みで手が滑り、アスファルト道路の上にカメラを落下させてしまいました。慌てて拾い上げて電源を入れると、ちゃんとスイッチが入り、駆動はするのですが、画面(液晶もビューファインダーも)が真っ黒で、撮影も再生もできません。万事休す。
よりによって、そのカメラというのが、先日の高知行で活躍してくれ、改めて愛着が湧いていたFUJI FINEPIX S1だったのです。雨の日散歩のお供に、もっと使う機会を増やしてもいいかなあと考えていた矢先の、予期せぬ災厄。じわじわとショックが募ります。
ところで、小6の孫は、関西方面への修学旅行でした。4年生の途中頃から、ほとんど教室には入れず、保健室登校、それも昼までで帰宅ということが多い彼ですが、修学旅行には行きたいというので、周囲も固唾を呑んで成り行きを中止していました。ところが、出発日の24日(木)の早朝ママに送ってもらって、集合時間までに学校までは行ったのですが、足が動かないと、車から降りることができず、置き去りの形で一行のバスは出発していった由。あとを車で追いかけて、新幹線乗り場で合流できればと、ママは期待したのですが、やはりそこでも、足が動かなくて、いったん家に引き返したのでした。
やはりそれでも、本人の参加したい気持ちが強いので、ママが急遽休暇をもらって、母子2人、新幹線で京都へ向かい、夕方の見学予定地で本隊と合流しようというスリル満点の作戦。ありがたいことにこれが成功し、雨の京都で見事に合流できて、見学地での集合写真にも笑顔で収まり、そのあとの旅行日程をすべて無事にこなすことができたそうです。「楽しかった」と笑顔で帰宅。律儀にお土産も買って帰ってくれました。本人も家族も、忘れられない修学旅行となりました。
孫の修学旅行中の金曜日、私は、ちょいと用事でお出かけしたついでに、久しぶりに雨の後楽園を訪ねてみようと、雨の日モードで出かけました。例の受難のFUJI FINEPIX S1亡き後、雨に耐えられる装備として、PENTAXk-30にsmcPENTAX50-200EDWRという簡易防滴のレンズを用意して出かけたのでした。
が、到着した頃には雨も上がり。傘も要らない状態になっていました。さらに、思惑外れが重なって、後楽園の年間パスポートが9月末で切れていたことに気づきませんでした。更新するだけの持ち合わせがなく、周縁の遊歩道をぶらり歩いて帰りました(トホホ×2)
雨は上がっていますので、防塵防滴レンズの用はないのですが、装着して来た行きがかり上、使用します。
木の葉が、少しずつ色づき始めています。
鈴なりのセンダンの実です。
カタツムリを見つけました。後楽園遊歩道のカタツムリは、過去記事でも何度か話題にしました。
かなしみを背負うたるらし冬蝸牛(ふゆかぎゅう)
持ち合わせていたマニュアルレンズSmc pentax 50mm f1.4を着けてみました。
このレンズは、PENTAXQに装着するつもりで持ってきていたのです。
50mmレンズが、PENTAXQに着けるとこんな望遠レンズになります。
報道では、そろそろモミジが色づきはじめだそうですが、園内を確かめることはできませんでした。周縁遊歩道のモミジは、まだ青々としていました。
先週の記事ダイジェストでした。今日はこれにて。
江ノ口川異聞、の巻 [折々散歩]
前回、前々回と、江ノ口川の写真を、続けて記事にしました。駅からホテルに向かう道すがら、同窓会場に向かう時にも、朝散歩の折にも、沿道を通り、また橋を渡る機会がかさなりましたので。
この江ノ口川について以前こんなことを書いたことがありました。
悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り)(2014-01-28)
P 人生に早や疲れたる人のごと
うらぶれて吾は受験に旅ゆく
Q 飽くほどの長き道程(みちのり)たどり来て
汽車は土佐路に我をはこびぬ
R 「地の果て」と溜め息もらす友もあり
南国高知は雲厚くして
S 高校の先輩と名乗る人あまた
宿訪ね来てしばし和みぬ
T 快く土佐の言葉は耳うてど
異邦人(とつびと)我の孤独いや増す
U この土を
維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや
V 帰り来ていよよ土佐路は恋しかり
再び見んことなしと思えば
W 幾たびも間違いならんとたしかめぬ
我が名宛なる祝い電報
X これしきのことにと恥づれど
我ならず「ゴウカク」の文字霞み見えたり
Y 呪われの受験生の名の解けし日よ
イヌノフグリの花の愛しさ(中略)
P~Y は、国立大受験記。
四国の高知。最初の印象は、空気が臭いということ。実は当時、反公害の運動の歴史の中でも注目される「高知パルプ」という製紙会社が、工場そばの江の口川という小川に、工場排水を垂れ流し、そこから高知市内の中心部を流れて浦戸湾に至るまでの川水を真っ黒に汚染していたさなかのことでした。
当時は、今の中国の状態ほどではないものの、全国で野放しの公害垂れ流し状態がありました。そのため、工場地帯に近い大都市には住みたくないという心情が、当時の私などには根強くありました。それだけに、都市から遙かに離れたこの地方で、まさかこんな公害に出会おうとは思っても見ませんでした。その意味で、私の第一印象は、かなり気が滅入るものでした。でも、受験を終えて帰宅した後になって、土地にまつわる歴史や文化、風土を、改めて認識するにつれて、憧憬する気持ちが強くなっていきました。Wの歌の「我が名宛てなる祝い電報」というのは、私大入試で結果がわからずやきもきした経験から、今度は合否電報を依頼していたのでした。今なら、ホームページ上に合格者の受験番号が発表され、発表時間と同時に合否が確認できるわけで、時代は変わったものです。
もう50年も前、受験生として高知駅に降り立ったときの第一印象は、鼻をつく悪臭による不快に尽きるものでしたが、全国的な公害反対運動、そして地元の住民運動の成果として、高知パルプの廃液垂れ流しはストップされ、現在では美しい流れが蘇っていることを感慨深く思います。
朝日新聞デジタルの記事(2016年2月11日)を少々引用します。
45年前、川に廃液を流していたパルプ工場の排水管に、怒った市民が生コンを流し込んで操業を止めさせた。公害史上に残るこの「高知パルプ生コン事件」について、東京の出版社が資料集の刊行準備を進めている。今月1日には大阪市立大名誉教授で公害研究の第一人者・宮本憲一さん(85)が高知を訪れ、当事者らに話を聞いた。
廃液で汚染された高知市の江ノ口川。魚は死んで浮き上がり、住民は悪臭や健康被害に悩まされた。そこへ立ち向かったのが工作機械会社の社長だった山崎圭次さん(故人)。「浦戸湾を守る会」会長として会社に抗議、行政にも訴えたが事態は改善しなかった。1971年5月31日には会社側が会談を拒否すると通告。「実力行使」に出たのはその9日後のことだった。
東京の出版社「すいれん舎」は「高知パルプ事件資料」の今春発刊を予定。編集委員を務める宮本さんと安田常雄・神奈川大特任教授(69)が高知を訪れ、生コン投入実行者の一人だった吉村弘さん(68)や山崎さんの長男の広一郎さん(68)らに話を聞いた。
(以下有料記事)
さて、その江ノ口川にまつわるもう一つのエピソードを、去年の8月の記事で紹介しました。
高知の街散歩、の巻
高知県立文学館発行の「土佐れきぶん散歩」
などのマップ片手に、まず目指したのは、高知駅近くの史跡。
その第一は、「槇村浩誕生の地」です。
槇村浩については、その詩碑を訪ねた記事を夏の終わりの高知行、の巻(その5)
で書き、そこで詩人槇村浩に触れた次のような過去記事を紹介しました。そこでも書いたように、まだ彼の墓を尋ねていないことが心残りですが、「誕生の地」もまた未踏です。
◆サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻
◆「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◆槙村浩と三月一日
◆ビクトルハラをカーラジオで聞くの巻
◆もうひとつの911
◆懐かしき便り嬉しき聖夜かな(中略)
この美しい川は江ノ口川でしょうか?1970年代は「高知パルプ」の工場廃液のために、ヘドロで汚れて、激しい悪臭が町を覆っていたことが強く記憶に残っていますが、昔日の感があります。
目的の槇村浩誕生の地は、この江ノ口川沿いだそうですが、それらしい場所を探しても見当たりません。よくよくマップを見ると、(碑なし)とありました。なあんだ。
そして、今年の2月には、こんな記事を書きました。
ある新聞投稿、の巻
「高知新聞」にこんな文章を投稿しました。
高知は、学生時代を過ごした第二の故郷ですが、滅多に訪問の機会がありません。維新の志士や民権運動の史跡などどともに、夭逝の反戦詩人槇村浩(まきむらこう)ゆかりの地を、折あれば訪ねてみたいと常々思ってきました。
「思い出はおれを故郷へ運ぶ---」二〇歳の頃の作品「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節です。「おれ」は、日本の侵略支配に抗し、身を挺して民族の独立をたたかいとろうとするパルチザンの若者であり、反戦と国際連帯の思いを込めた作者の想像が生んだ鮮烈な造形です。
高知県立海南中学校四年生の時、軍事教練反対運動を組織した彼は放校となり、縁あって、わが岡山県の私立関西中学に編入学します。異郷の地にあって、彼の胸中には故郷高知の思い出が去来したに違いありません。
自宅があったという帯屋町2丁目の「ひろめ市場」辺りや、高知刑務所跡の城西公園に建つ詩碑などは、以前も訪ね、詩人の短かすぎる青春を偲びました。市内にあるという墓地にも、いつかお参りしてみたいと思っています。
ところで、彼の生誕の地は、高知県高知市廿代町とされています。去年の夏、会合で高知を訪れたついでに、マップ頼りに界隈を散策してみました。しかし、残念ながら、案内掲示や碑の類を見つけることもできず、心を残して引き揚げたことでした。聞けば、いま貴地では、「槇村浩生誕碑」建設の気運が起こっているとの由。運動が成就し、碑完成の暁には、是非再訪してみたいと願っているところです。それが今朝の朝刊に掲載されていると、高知市在住のN先輩が知らせて下さいました。Nさんは、文中の、「槇村浩生誕碑」建設の運動にも携わっておられます。当ブログの過去記事でも、槇村浩については何度か話題にしてきました。
そのNさんは、今回の同窓会の世話役を、いつもの通り担ってくださったのでしたが、二次会での歓談のなかで、このたび、市から「槇村浩生誕碑」建設の許可が出たこと、募金その他で建設資金も集まり、11月には除幕式の予定との最新情報を教えてくださいました。嬉しいことです。
今回のこの記事を書くに当たって、ネット検索していますと、ウィキペディアの記事に、こんな一文が付け加えられていることに気がつきました。
2019年3月18日、平和資料館・草の家の馴田正満研究員が、記者会見を開き槇村の生誕地である廿代町八十九番屋敷の現在地を公表。高知民報同年4月14日号から3回、生誕地について連載。
何を隠そう、「平和資料館・草の家の馴田正満研究員」こそ、わが先輩Nさんその人なのです。
さらにネット検索を続けていますと、高知文学学校のHPに、2019年4月4日~同年7月25日毎週開講された第65期課程の案内が掲載されていますした。その一部にこんな記事が、、、
- 講 義 題 と 講 師 -
第65期 課程(2019年)5/16(木)
1
地中から知る歴史の真実
土佐史談会会長
宅間 一之2
槇村浩・七つの謎に迫る
平和資料館・草の家研究員
馴田 正満
講義日の直後にお目にかかった際、「槇村浩・七つの謎に迫る」と題した講義の内容を詳述するレジュメを、私にも下さいました。廿代町八十九番屋敷」の生誕地を調べ上げる過程が、丹念・緻密で、スリリングとも言える見事さです。
同窓会前の9月の初め、そのNさんが、つぎの新聞記事を紹介してくださいました。「しんぶん赤旗」9月3日付けの囲み記事「朝の風」です。
文字に起こしておきます。
3日は高知の詩人・ 模村浩の没後81周年に当たる。1931年、プロレタリア作家同盟高知支部に加わり、反戦活動で捕らえられ、38年に獄中での拷間・ 虐待がもとで26歳で病没した。
短くも激しく生きた生涯は、土佐文雄「人間の骨」、大原富枝「ひとつの青春」ほかで描かれてきた。いずれも読み応えのある小説だが、この夏、地域の「平和のための戦争展」で 上映された「人間の骨」(木之下晃明監督、78年)を見て、映像による生々しさで槙村像 が迫ってきた。フィク ションの力を生かした
土佐文雄の作品が原作。「不降身、不辱志」(身を降さずんば、志を辱めず)とうたった自身の詩のように節を
曲げず生きた、佐藤仁哉扮する槙村が新鮮で、南田洋子の、獄の内と外にある息子を守り続けた母丑恵役が慈愛深く心に残る。
会場に張られた「間島パルチザンの歌」に見いる人もあった。
「…おれたちのどのひとりが/一九一九年三月一日を忘れよう ぞ!」と三・一独立運動に蜂起した朝鮮人の. 不屈の闘志をうたいあげる詩。亡き詩人・宮崎清は「革命的なロマンチシズムとリアリズムを見事に統一した」とこの詩を評した。氏もまた槇村の生涯に魅せられた一人だ。革命詩人の志は多様な形で伝えられ続ける。(響)
朝散歩で、城西公園を通りましたが、今回は詩碑を訪ねることはできませんでした。
今日はここまで。
桂月誕生の地を訪ねてみた、の巻 [折々散歩]
私のブログには、お料理写真が滅多に登場しません。撮影前に、食欲に負けてしまうからです(笑)
ただ今回は、せっかくの高知。当然のことながら、鰹のたたきをいただきました。記録のために写しておきました。
そして握り鮨も。
でもこのあと、乾杯の音頭があり、お酒と歓談がすすみ、また、与えられた写真記録係の役目が意識を捉えるようになると、お料理を撮影する余裕がなくなってしまいます。新鮮な海の幸ばかりでなく、牛ステーキや、フルーツなど豊富に用意されていたのですが、まったく撮影してません。
一次会が熱く盛り上がり、誘われるままに二次会にも参加、あっと思う間もなく夜も更け切りました。三次会に向かう人もありましたが、そこは辞退し、ホテルに着いたのは、10時過ぎだったでしょうか?10月というのに、熱帯夜?エアコンを効かせて寝みました。
20日早朝、まだ暗いうちにホテルを出て散歩した記事は昨日も書きました。
高知城方面に向かって歩いていると。足もとに鯨がいました。
こんな道標がありました。
山内容堂生誕の地は、以前来たときにも、碑を写真に残しています。もう一つの矢印、大町桂月生誕の地は、学生時代に通りかかったかもしれないといううっすらとした記憶があるだけで、ちゃんと確認したことがなかったので、訪ねてみました。江ノ口川に近い民家のほとりです。
「桂月」は「月の名所は桂浜」にちなんだ号だそうです。
「桂月」は美酒です。
大町桂月について、高知県立文学館は、HPでこう紹介しています。
高知市生まれ。作家。学生時代より、能文家として知られる。博文館に入社後、評論などを執筆。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を批判し論争を呼んだ。旅と酒を愛し「十和田湖」などを紹介するすぐれた紀行文を書いた。青森県の蔦温泉で没。
<おもな著作>『美文・韻文 花紅葉』など
与謝野晶子との論争について、ウィキペディアの解説を引用します。
1904年(明治37年)9月に『明星』に発表された与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」に対して、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と『太陽』誌上で非難している。これに対して与謝野晶子は『明星』11月号で「ひらきぶみ」を発表し、「歌はまことの心を歌うもの」と弁明している。
現在、大町桂月の評価が低いのは、こうした当時としては「常識的」で「多数派」であった発言が、後年の目から見れば国粋主義的に写ることから来ている面もある。しかし、この騒動以前は桂月は晶子の才能を認めており、親交も深かった歌人であった。晶子は57歳で病没した桂月に「横浜貿易新報(現在の神奈川新聞)」に追憶をよせている。
少し歩くと、高知県立美術館が見えました。開館は9時からだそうですから、まだ2時間以上先です。こんな看板が見えました。
少しズームアップしてよく見ると、、、
「高知に縁のある、土佐日記の一節や、寺田寅彦の名言とともに、大月桂月のこの一句が書き付けられています。
「文章は人格なり、己を欺くなかれ」
早朝の高知城を散歩したりなどしているうちに、次第に明るくなってきた江ノ口川界隈です。
このあとホテルに戻って、朝食。バイキング料理が、空腹に美味しうございました。
高知の旅日記、次回に続きます。
高知の雨は上がっていた、の巻 [折々散歩]
高知へ行ってきました。昨日(19日)の夕方から開催された、学生時代のサークルの同窓会に参加のためです。この会については。退職直後、ブログを始めたばかりの頃に書いたこの記事夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)が第一回目でした。
「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。
1950年代から1970年代まで、50名参加の大盛況で、旧交を温めたり、大先輩の経験談に耳を傾けたり、懐かしい、エネルギー充填のひとときは、瞬く間に過ぎました。
その後も、開かれるたびに出席し、その都度記事にしてきましたが、今年も、東は神奈川、南は九州から、世代を超えて老若男女が出席。沖縄在住の方からは、泡盛の差し入れも戴いたそうです。
会合の写真係を命ぜられていました。日暮れの室内のことですから、①比較的明るいレンズ、②旅先ですので軽量コンパクト、③それでもストロボの準備は必須、、、などと考えて、どんな機材が必要か、あれこれ検討して、メインはPENTAXk-r+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALという軽量セット。これにバウンス撮影が可能なストロボとしてAF-360FGZを用意していきました。
ただこれだけでは単焦点で撮影の幅が狭められることを懸念して、予備の機材として、画角の異なるレンズを用意しようか、ズームレンズにしようか、迷った末に、一応の組み合わせを準備していたのでしたが、天気予報はどうやら雨。
できれば、自由時間には屋外の散策写真も楽しみたいので、急遽機材変更を断行!明るいレンズ、・軽量コンパクトという条件を覆して、「防塵防滴」の一点からFUJIFINEPIXS1を持って行くことにしました。結構重く嵩張るリュックを背負って、高速バスを降りたころには、高知の雨はほとんど上がっていて、、結局、「防塵防滴」の出番はなくなりました。これなら、最初考えていた軽量コンパクトなセットにしておけば良かったなあ、と悔やまれました。
ですが、多少嵩張ることを我慢すれば、FINEPIXS1はさすがに便利な万能機です。散歩写真にはうってつけと実感しました。
高知駅前の坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の3志士像。発泡スチロール製だそうですが、とにかく大きなものなので、余裕のあるズーム機能が役に立ちます。
啄木父子の碑も、再度、写しておきました。
駅前広場に植えられているシマトネリコの実。見あげる高さですが、ズームが役立ちます。
用水路に鯉が何匹も遅く泳いでいました。
これはナマズです。
曇りの午後の江ノ口川眺望。広角撮影が似合います。
下は、今日の早朝散歩での江ノ口川。
今朝(未明)の空には、こんな月が浮かんでいました。
少し歩くうちに次第に明るくなってきました。
ノートリミングで、この大きさに写ります。
会場内での撮影も、メインのつもりのPENTAXk-r+smc PENTAX-DA 35mmF2.4AL+AF-360FGZが、ストロボの不調で不満な写真が多かったのに比べて、FINEPIXS1は内蔵ストロボだけで結構健闘していました。「内蔵ストロボ ディフューザー」を道具箱の奥から探して持ってきていたのが、結構いいあんばいに役立ちました。
ETSUMI ポップアップストロボデュフューザー 3色入り E-6217
- 出版社/メーカー: エツミ
- メディア: Camera
今日はここまで。
近況メモ、の巻 [折々散歩]
東日本を中心に未曾有の被害をもたらした台風19号の影響は、わが地方にはほとんど及びませんでした。
12日の散歩情景です。風は強く曇り気味ではありましたがコスモスが咲き誇っています。
ほとんど雨が降りません。
14日(月)郷里の畑を耕耘しましたが、土がカラカラでかちかちでした。
柿が熟しています。収穫して帰りました。
昨日、今日と、ようやく、小雨が降りました。
前回の「これなあに」の小鳥はコサメビタキだそうです。M師が教えてくださいました。
昨日の散歩は、小雨の中、防塵防滴のFUJIFINEPIXS1を持ってある来ました。カイツブリ。
畑仕事の途中、アマガエルに会いました。雨が、嬉しそうです。
ほどほどに、平均して降ってくれれば有り難いのですが。
防災についての感想、意見は、いろいろ思うところがありますが、今日はこれにて。
このあと、高知まで小旅行に出かけます。ではまた。
久々の「今日のこれなあに?」の巻 [今日の「これなあに」?]
台風19号が接近中です。大きな被害がないよう、祈ります。
今日の日中は、まだ、影響と言えば、むしむしとした時ならぬ暑さと感じる程度でしたが。
国会中継。これまた、不快指数を高めます。野党の追及、襟を質して耳を傾ければ、いま目の前にある危機を打開する処方が提示されていると聞きましたが、聞く耳持たない政府の不遜。聞かれたことに答えず、言いたいことを時間をかけてだらだら述べるいつもの安倍答弁。それをお手本とした閣僚答弁。そして、攻勢とはとても言えない報道の劣化。
でも、それらに幻滅して、政治不信、政治離れに陥ったのでは、アノヒトたちの思うつぼですね。
晴れている間にと、今日も自然環境体験公園を歩きました。
芙蓉です。
サルスベリがまだ咲いています。
アベリアの白い花に、ホウジャクが吸蜜中です。
メジロ。
カワラヒワ。
池のカイツブリ。何か加えています。これなあにその1.
少しずつ秋色が広がっています。
ハナミズキの赤い実と紅葉。
わずかに色づいたモミジ。
いつの間にかドングリの季節です。
児島湖方面も散策してみました。
湖面に映る常山の眺望です。
ホオジロ。
セキレイ。
飛ぶアオサギ。
バッタ。
ヒメアカタテハ。
モンシロチョウ。
さて本題の、今日のこれなあに?
昨日深山公園で見ました。
今日はこれにて。
今年も晴れた10月10日、の巻 [折々散歩]
今日は、10月10日。
ウィキペディアにこんな解説がありました。
「10月10日が東京の晴れの特異日であったことから、1964年の東京オリンピックの開会式の日に選ばれた」と言われているが、10月10日は統計的に晴れが多い日とは言いがたい。1959年発行「気象学ハンドブック」によれば、10月の特異日は14日とされており、事実、1971年から2000年までの30年間のデータをみても、雨が全く降らなかった日で10月9日が17回、10日が19回、11日が14回と、大きな差はないと読める。
また、2012年4月5日放送の『ビーバップ!ハイヒール』では、以下のエピソードが紹介された。1959年に日本オリンピック委員会から気象庁の大野義輝に「日本の戦後の復興を世界に見せるために、絶対に晴れる日を開会式に選びたい」との依頼があり、秋晴れの10月がまず選ばれた(5月の五月晴れではヨーロッパの選手が寒い時期に調整となるため配慮された)。大野の調査結果では10月に最も晴れる確率が高いのは15日、次点が10日であった。日本オリンピック委員会は1964年は10月15日は木曜日と平日なのに対し、10日は土曜日であることを重視し、10月10日に決定した。10月10日は「特異日」というほど晴れが多いわけではないが、日本オリンピック委員会の絶対に晴れにしたいという思いから、晴れる確率ができるだけ高い日が選ばれたと考えられる。
「特異日ではない」というものの、晴れやすい日であることは間違いなく、今日も晴れています。
ところで、アメリカでのテレビ放映の御都合から定められたという、来年の真夏の東京オリンピック・パラリンピックのお天気はどうなりますかねえ。
開会日の7月24日にはこんな統計があるようです。
https://weather.goo.ne.jp/appearance_ratio/p0018/0724/
https://weather.goo.ne.jp/past/662/00000724/
こう見ると、晴れるかどうかは五分五分と言ったところのようですが、考えようによっては、晴れない方が酷暑が避けられて、選手・観客の生命・健康にとっては良いのかも知れませんね。
それにしても、急に涼しくなりました。ここ2~3日、朝の気温は。13℃~14℃です。長袖でないと寒いです。体育・スポーツには、今の時期こそ好適と思えます。ですが、それにしては、この時期に運動会・体育会を実施する学校が減っているように思えます。高校では、入試日程や就職活動の日程の都合から、夏休み明けすぐのまだ猛暑の盛りの時期に実施したり、梅雨に脅かされる5月・6月実施のところも多いようです。小中学校でも、わが地方では5月・6月実施のところが多いようです。
保育園はというと、我が家の孫たちは、その居住地によって週違いではありますが、この時期次々に運動会があります。
近所に住む孫の保育園は、10月5日が運動会でしたが、この日はちょうど、ジジ・ババとパパが、葬儀のために見学できませんでしたので、あとでビデオを見せてもらいました。
その埋め合わせというわけでもありませんが、翌10月6日(日)には近所の公園までお付き合いしました。昼間は良い天気で、公園には水遊びする子どもたちも見かけるほどでした。
でも、冴えた青空を切り裂くような、モズの高鳴きを、どこででも聞くようになりました。我が家の窓から見えるこの電線は、彼の定位置のようです。
トリミングします。
次は今日のモズ(自然環境体験公園にて)
柿メジロ(自然環境体験公園にて)。
トリミング画像ですが、これではまだ見つけにくいですね。
もっとトリミングしてみます。
カイツブリの親子(自然環境体験公園にて)
今日のカモ(深山公園にて)
深山公園では、ヒヨドリバナが群生する場所に、アサギマダラがいくつも舞っていました。
もちろんヒヨドリも、元気です(笑)
冬の足音が聞こえてくるような気がします。
今日はここまで。無常の風に誘われて、の巻 [家族]
息災を肴に汲まん花見酒(2015-04-02)
長男のお嫁さんの実家は静岡県ですが、昨日、お父さんお母さんと、妹さん夫婦、そして生後10ヶ月の赤ちゃん、弟さんの次女である保育園児らが、自動車で遙々訪ねてこられました。生後一ヶ月になる赤ちゃんの顔を見るために。昨夕は、夕食を共にし、美味しくお酒を酌み交わしました。
このお酒というのが、大阪に住む次男の、お嫁さんのお父さんが、蔵元で並んで買って送ってくださった、限定販売の幻の名酒「三光ひのくち朝しぼり 無ろ過生原酒」と、同じく蒜山の名酒美保鶴。
前者は、一人ちびちびと嗜んでいて、一升瓶が半ばほどになっていたものと、後者は栓を開けずにおいていたものを、勢いづいて鯨飲し、愉快なひとときを過ごしました。(中略)
大阪に住む次男の赤ちゃんが、今日、保育園の入園式。
夫婦で出席してきた様子を、写メで知らせてくれました。
また、夜には、久しぶりに電話もくれ、元気そうな様子が知れて安心しました。お嫁さんには、ジャストタイミングでお酒のお礼も言えて、よかったよかった。
そしてこんな記事も、、、。
炎昼のなかを孫らと墓詣で(2016-08-14)
G地点には、大阪の孫のママのお父さん(孫から見ればもう一人のじいじ)の実家があり、お母さん(ばあば)は現在旅行中で、じいじはここに滞在中なので、お盆休暇の後半はそちらですごします。急なアクシデントで車が使えなくなったので、私の車で送っていくことにします。
蒜山(ひるぜん)高原という、鳥取県境にほど近い冷涼の地です。お家は、高速道路(米子道)の出口のほど近くにあります。ご挨拶がてら、初めてお宅までお邪魔しました。「今日は、墓掃除をしたら暑かった」とおっしゃいますが、「下界」に比べると、過ごしやすい暑さです。
「道の駅」が近くにあります。名産品の野菜、果物や乳製品が、お手頃価格で販売されています。
ここに出てくる地名「蒜山(ひるぜん)」は、県外の方にとっては難読地名であるかも知れませんが、岡山観光webのサイトにはこのように紹介されています。
蒜山高原は雄大な自然と多彩な観光スポットが集まる西日本屈指の高原リゾート。ジャージー牛の放牧と牧場体験ができ、レストランやショップを併設した「ひるぜんジャージーランド」、自家製ぶどうで作られたワインやジャムなどが購入できる「ひるぜんワイナリー」、ラベンダーなど約200種類のハーブや四季折々の花が栽培されている「蒜山ハーブガーデン ハービル」など見所スポットがたくさんあります。レンタサイクルや1周29kmのサイクリングロードも充実しており、サイクリングにも最適なリゾートです。ジャージー牛乳を使ったスイーツやひるぜん焼そばやジンギスカンなど高原グルメも満喫できます。
さて、その蒜山で、今日は葬儀がありました。上の記事で話題にした、大阪に住む次男のヨメさんのお父さんが亡くなられたのです。70歳をわずかに超えたばかりの早すぎるお別れでした。悪性の病気が転移・再発して、ステージが進んで来ているとのことを、夏の段階で聞いてはいましたが、こんなに早い展開とは思ってもいませんでした。悲しい限りです。
国体に何度も出場し、入賞経験も持つスポーツマン。つい最近まで、指導者として選手団長を勤められていました。入院・闘病の最中にも、スクワットや筋トレを続けて、回復への努力をされていたのに、病の進行につれ筋力も衰えを隠せなかった由。痛ましいことでした。1歳になった男孫の成長を待って、手ほどきをする楽しみを味わうことがないまま逝かれたことも、さぞや心残りもおありだったと思います。
式の終り際、式場スタッフのしみじみとしたナレーションに「無常の風に誘われ」の一節がありました。型どおりの常套句なのでしょうが、まさしく至言。胸に沁みました。
葬儀へは、長男の運転する車に、私と妻が同乗。別途、長女のムコ殿は、午後には避けられない予定がありながら、律儀に駆けつけてくれました。
よく晴れた秋空をあおぎながらのドライブでした。個人の導きでしょうか。途中立ち寄った休憩場所では、こんな風景に出会うことができました。
今日はこれにて。
トホホも積もれば山となる、の巻 [日録]
トホホの話題はこれまで何度も書きましたし、読んで楽しい話題でもなく、我ながら執筆動機が疑われるところですが、詮ずるところ、愚痴を垂れ、鬱憤を晴らしたいのでしょうね。でも、今回ほどに重なると、鬱憤が晴れるどころか、気落ちして自己不信が募るばかりですが、「反省文」「始末書」のつもりで最近のトホホを箇条書きにします。
(1)秋を控えて全面修繕に取り組んだわが愛車(自転車)は、元のままで使えそうと判断した前輪タイヤも、やはりパンクしてました。(トホホ)
チューブを自転車から取り外して、パンク修理を試みましたが、穴がかなり大きく、ムダなあがきに思えましたので、やっぱりネットでチューブを取り寄せて、先日購入していたタイヤとあわせて、一気に交換しました。チューブ代金1000円余りですから、自転車屋さんでパンク修理して頂くのと出費は大して変わらないことになります。
(2)倉敷に出かけた日、駅前の銀行に寄り、念のために資金を調達しておこうと、キャッシュコーナーに立ってカバンを探るに、カードケースにキャッシュカードが入っていません。あれ、またかと自己嫌悪にとらわれます。この日に限って、いつもと違うバッグを持ってきていたので、中身の入れ替え時に置き忘れてきたのだろうと思いながらも、あるいはどこかに落としはしなかったかと気が気でなく、せっかくの楽しいお酒の味が減殺されてしまいました。(トホホ)
家に帰りついたのは深夜に近かったのですが。そのあと、別のカバンやズボンのポケット、思いつく場所は根限り探しましたが見つかりません。念のために、よく落とし物を見つけたことのある自動車の運転席や助手席のシートの下部を、懐中電灯で照らしながら探しましたが、やっぱり発見ならず。翌朝、もう一度念入りにあちこち探すも、皆目見当たりません。そう言えば、以前こんなことがありました。
結果オーライ?ま、いいか、の巻
クレジットカードを使用して給油し、そのあとコンビニ店内のATMを利用して現金を引き出すことにしました。行事の参加費1000円の手持ちがなかったので。
銀行営業時間外の早朝でしたので、別途手数料を取られましたが、1000円札5枚を引き出し、ついでにペットボトルのお茶を購入してクルマに戻ります。いざ会場に向かって出発。その前にもう一度、念のために忘れ物がないか点検、、、してみますと、オヤ?さっき使った銀行カードはどこへやったかな?カードケースにも、バッグにも、胸ポケット、ズボンのポケット、どこを探しても見当たりません。いつもの失敗の教訓から、座席のシートの間、ダッシュボードの小物入れなどなど、あちらこちらを何度も探しますが、徒労です。
しばらくの間そうしてジタバタした挙げ句、さっきの買い物の際に落とした置き忘れたに違いないと結論して、もう一度店内に入り、店員さんに尋ねてみると、「届いておりません」との返事。これは、客の誰かが拾得して、ネコババしたか、はたまた警察に届けるかしてくれるのかと推理し、あの人かこの人かと、老若男女の挙動を観察してみますと、どれも怪しく見えます。
これは、大変。悪用された場合のことも想定し、銀行に連絡して利用中止手続きをする必要があろうかと判断。銀行の電話番号や、通帳の口座番号を確かめるために、いったん帰宅して、銀行に電話で相談しました。
電話口のお嬢さんが仰るには、「カードの解約手続きをしますと、見つかった場合、そのカードは使えなくなります。そのようなケースがよくありますが、もう一度よくお探しになった上で、後刻もう一度お電話いただくこともできます。直ちに解約もできますがどうなさいますか?」とのこと。電話口で悩んだ私は、「もう一度探してみる」という、当てのない選択肢を選ぶことにして電話を切りました。(中略)それでも念のためにと、再探索を試み、助手席のシートの下辺りをのぞき込んでみますと、そんなところに落ちてました。な~んだ、呆気ない。
いくら何でも、柳の下にそうそうドジョウはいません。今度こそは、いよいよ覚悟を決めて、銀行の営業開始時間を待って電話し、口座ストップの手続きをお願しました。電話受付でカードをストップするが、再発行手続きのために窓口で書類を作るよう言われました。ちょうどその日は、パートタイムの仕事でしたので、仕事外終わった後窓口を訪ねようと、重たい気分で仕事を終えました。
仕事場の駐車場に駐めた車のドアを、助手席側から開けました。重い仕事カバンや持ちものを積み込むためです。その時ふと、助手席のシートの下辺りに、輝くもの見つけました。カード君でした。何気ない風に、落ち着き払って寛いでいます。昨日見たときには気づかなかったのに、日中の光の中で、姿を現したのです。白日の下にさらされる、とはこういうことを言うのでしょうか。なんとも狐につままれたような幕切れです。
銀行窓口でカードを示すと、無効の処理をしたので再発行の手続きは必要で、ただし、元のカードがあったので手数料は無料。何日後かに書留で送られてきますとのこと。
被害甚少ですみましたが。トホホ感と消耗感にさいなまれます。
(3)先日の夜間高校生の同窓会、私は、どのカメラを持って行こうかと、詮なき葛藤に時間を費やし、結局、倉敷の街角散歩のスナップ撮影にOLYMPUS E-pl7+LUMIX G VARIO 14-42mm/F3.5-5.6を、同窓会場での室内撮影用にpentaxq7+単焦点01レンズをセレクトしたのでした。軽くてコンパクトが第一条件、併せて画質を考えて。
LUMIX G VARIO 14-42mmは、旧世代の廉価レンズ(しかも中古)ですが、明るい場所で撮影した倉敷街角写真は、それなりに満足の出来でした。問題は暗い場所での撮影ですが、pentaxq7にセットした01レンズは、F値1.9の明る差に期待したのですが、居酒屋の薄暗い照明の下では待った機役立たずで,被写体諸君にわれるほどのブレブレでした(トホホ)仕方なく、E-pl7+LUMIX G VARIO 14-42mmを取り出してみますが、これはビューファインダーをつけるとストロボがつきません。街角写真を念頭に、ストロボは外して家に置いてきていました。ですので、手持ち撮影ではコレもブレブレ。いよいよ最後の手段は、pentaxq7の内蔵ストロボ。味も素っ気もないてかてか写真になりましたが、それでもこれが一番ましでした。20年ぶりの思い出写真が、近接ストロボ赤目写真、、、トホホですが、大切な写真が撮れました。
(4)他にも、出勤したら、その日は試験前で学生が休みで、すごすご引き返したばかりか、その日の学習内容を前提に考えていた試験問題が不適切になったので作り直し、改めて印刷しに出勤したり、、、9月の終わりにかけて、いろいろトホホは続きましが、ここまでは、いずれも、自己嫌悪を誘うチョンボによるトホホの数々でした。
が、おしまいは、降って湧いた10月1日のトホホ。原因はあちら様の事情にあり、それで四苦八苦させられたわけでした。
前号記事の通りです。「Open Live Writter(投稿ソフト)」の設定が、新SSブログに対応できず、この記事もあらかた書いていたものを、仕上げて投稿しようとするとアウトになります。
いったんは、デフォルトの『新規作成』画面を用いるしかないかとあきらめたのですが、それでもこれまでなじんだ編集方式が名残惜しく、投稿ソフトの設定をSSブログに対応させるべく、設定をいろいろ試しておりましたら、どうやらうまくいったようです。
と言うわけで、今日の更新は、Open Live Writterによります。
先ほど、文章のみの掲載は成功しました。
次に写真のUPを試してみます。
倉敷散歩の写真のうち、前回なぜか縦長スタイルのものが横長に回転してしまって投稿に失敗していたのですが、このソフトで再度投稿してみます。
今日はここまで。
倉敷街並散策その2 [折々散歩]
10月になって、困ったことが2つあります。
1つは、言わずと知れた消費税引き上げ。悔しいので、10%課税の品目は、まだ買っていません。まだ二日目ですが---。
2つめは、このso-netブログが、ss-blogに移行したのに伴って、10月1日の日中は、メンテナンス作業のためかブログ記事にアクセスすることすらできず、メンテナンスが終了したと思われる夜の段階では、ログインできないまま、深夜まであれこれ悩まされました。これは、so-netブログのIDからSSブログIDに移行するための設定が必要だと知り、指示通りに、設定しようとしますが、途中でにっちもさっちもいかなくなり、何度試みても「IDかパスワードが間違っている」、「このアカウントは利用できません」とはねつけられることの繰り返し。
この記事に早く気づくべきでした。
【重要】名称およびドメイン変更のお知らせ [pickup]
■SSブログへのID移行について
ID移行の段階で確認メールが送付されますが、迷惑メール扱いされる場合がございます。
メールが届かない際は、迷惑メールフォルダにメールがないか、ご確認お願いします。(10月1日付け)
SSブログへのID移行時の登録確認メールについて [pickup]
SSブログをご利用いただき、誠にありがとうございます。
So-netブログからのSSブログへのID移行作業時に登録確認メールが届かない等のお問い合わせがございますが、以下の原因が考えられます。
●迷惑メールフォルダもしくはゴミ箱に自動振り分けされている
迷惑メールフォルダもしくはゴミ箱にメールが届いていないか、ご確認ください。(10月2日付)
結局これでした。迷惑メールに仕分けされていた該当メールを拾って、その指示通りに手続きを済ませて、ようやくログインできるようになりましたが、昨日はその段階でダウン。
さて今日は、夕方、教育相談ボランティアから帰って、常用しているOpen Live writerというソフトで下書きのほとんどできていた記事を、しあげていざ投稿、、、と思った時に行き詰まりました。以前の設定が役に立ちません。では新しい設定をどうやれば良いのか?分かりません。試行錯誤に疲れ果て、既定の『新規作成』画面で再編集して投稿することにしたのが下の記事です。10月最初の投稿です。
倉敷の街並みの魅力は,一つには路地の魅力です。
人影がなくても絵になりますし、行き交う人の姿も絵になります。
和装の女性、外国人観光客、若いカップル、、どれも町に溶け込んで、倉敷らしい風情を彩ります。
江戸情緒漂う白壁の蔵、両岸を柳並木が彩る倉敷川、美観地区の定番です。
観光客を乗せた川舟が、風情をそそります。
明治の産業を支えた倉敷紡績所(現クラボウ)の跡地を利用したアイビースクエア。「ホテル・文化施設をあわせもつ複合観光施設」(アイビースクエアHPより)です。いましも、観光客を乗せた人力車がゲートの中へ進もうとしています。
突如、周りの空気感から浮いて感じられる、派手派手しく華やかな色彩世界が目に飛び込んできます。
「いがらしゆみこ美術館」---コメントは控えます。
今日はここまで。