自然環境体験公園と児島湖の水鳥たち、の巻 [折々散歩]
自然環境体験公園の池には、カルガモの姿が沢山見えました。
オオバンも増えたみたい。
奥にいるのはハシヒロガモ♀でしょうか。
ちょっと児島湖畔まで足を伸ばしてみると、数え切れないほどの水鳥の群れです。
オオバンの数が多いように思えますが
ホシハジロも混じっているようです。
キンクロハジロやユリカモメも、一緒にいます。
保育士の長女が、今日が出勤なのだが、家庭事情で我が子の保育園送迎ができないので、ジジババのもとに預けたいと言って、昨晩はお泊まりして、早朝出勤していきました。先週もそうでしたが、最近、従姉妹で遊ぶ機会が続いています。
お昼は、近所の公園でお弁当です。
気温は低いのですが、陽射しがあるので、楽しいひとときです。
ここでも、モミジが鮮やかです。
今日はこれにて。
冬晴れの自然環境体験公園、の巻 [折々散歩]
冷え込みが続きます。朝は霜が降りていました。玄関先の温度計は、3℃の表示でした。
昨日とは違って、太陽の明るい光が眩しい朝でした。紅葉を訪ねて、足を伸ばしてみたいところもありましたが、散歩の歩数を稼ぎたい気持ちもあって、近所で済ませることにしました。
自然環境体験公園のモミジも今が見頃です。
PENTAXK30+SIGMA50mmMACRO(1:2.8)で撮りました。
色づいた落葉樹の葉も、風情があります
トリを写すつもりで用意したPENTAXK5Ⅱ+AFBORG(60ED)で写したモミジ。
これは、マユミの葉でしたか?
枝のヒヨドリ。
カワラヒワ。
モズ。
ジョウビタキ♀
ヤマガラ。
トリミングします。
寒いのに、水浴びしてました。
今日の歩数、8000歩余り。結構汗を書きました。それと、何だか顔がひりひり、、、。時ならぬ、日焼けのようです。
追伸 中曽根康弘氏(101歳)逝去のニュースが流れています。人の死は厳粛なものですから、改めて生前の業績を偲ぶ、というのは自然のこと、、、しかしメディアの扱いは、ちょっと行きすぎじゃありません?良好な日米関係の基礎を築き、日本の繁栄に寄与した英雄、国民にとっての恩人、、みたいなヨイショぶり。下手すると、信じこまされそう、、ですね。
中曽根臨調(臨時行政審査会)こそ、「行政改革」の美名を弄して、国民へのサービスをとことん削り、その上にアメリカの要請に添った軍備拡大と、大企業優遇の徹底という、今日の日本の歪みの基礎を作った元凶ではなかったでしょうか?「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合う日米蜜月関係は、アメリカ絶対の「運命共同体」に日本国民を引きずり込むものでしたし、アメリカのための「不沈空母」とはあけすけな狙いの吐露でした。そして、今日、アベ内閣の元で、これらの路線はいっそうあらわに進行しているわけで、いまある国民の苦難の大本を免罪するわけにはいかないのでは?と思います。
今日はこれにて。
もっと光を!の巻 [折々散歩]
各地で、この冬一番の冷え込みだそうです。昨夜からの雨が朝方も残っている様子なので、防塵防滴のFUJIFINEPIXS1を用意して出かけようと思っていましたが、ちょっと用事があって、妻と車で外出。帰宅後、久々のご近所散歩に出ました。
歩数計を見ると、昨日は1300歩、一昨日は3000歩、その前日は6600歩と、ほとんど歩けていません。それぞれに、かけがえのない時間を過ごしたのでしたが、会議室の中でしたので、血流の滞っているのが自覚されます。寒さのせいもありますが、手足が重だるく、気分も冴えません。
と言うわけで、今日の歩数は、辛うじて7500歩。どんよりとした曇りの天気ですが、結構汗をかく運動になりました。
散歩道の路傍のバラ。ご近所のかたが、手入れされているようです。
ダイサギが、少々寒そうでした。
ツグミの群れを、よく見るようになりました。光量不足で、はっきり写せません。
上空を見あげると、渡り鳥の群れが飛んでいました。体形から、鴨のように見えますが、種類までは判別出来ません。
鋭い鳴き声が聞こえたと思うと、勢いよく遠くへ飛び去っていく鳥影が見えました。行き先を追ってみると、水辺の枝に、カワセミを見つけました。
遠いのと暗いのとで、はっきり写せませんが、証拠写真にはなります。FUJIFINEPIXS1を持って出たのは正解でした。
田園風景も、冬の装いです。
今日の付録は、我が家の庭の紅葉と南天。
RICOHGXR+A12+BORGp25(ペンシルボーグ)で写してみました。
今日はこれにて。
紅葉も銀杏も今が盛りの後楽園、の巻(その3) [折々散歩]
先週の土曜日(23日)に歩いた後楽園の様子を、続けてご紹介しています。変わり映えしませんが、撮影機材による微妙な違いを,備忘のために記録しておきたいという、勝手な動機からです,お付き合いいただき,申し訳ありません。
OLYMPUS pm1+lumix f2.5 14mm。実に軽量コンパクトで、ポケットに入れておいても邪魔になりません。
RICOHGXR+A12+Smcpentax m50mmf1.7。レンズは、比較的コンパクトな方ですが、フィルム時代の金属鏡筒オールドレンズですので、かなりズシリときます。しかも、必要な接続用アダプターを加えると、結構かさばります。マニュアル露出、マニュアルフォーカスで、注意深く撮影しても、思い通り写っているとは限りません。でも、そこにフィルムカメラみたいな味わいがある、といってみると、いっぱしの趣味人のようですな(笑)
さてもう一台、PENTAX K-r に、SmcPENTAX FA100mmMACRO(f3.5)。なぜこんあなレンズを持って行こうと思いついたか説明が難しいですが、紅葉の中望遠撮影も面白いかなと思った次第。しかも、このレンズ、意外にもずいぶん軽くて持ち運びが苦になりません。
後楽園内からの岡山城も、場所に寄ってはアップで写ります。
芝生の上に和傘が並べられ、池にも写っています。
望遠マクロは、紅葉の撮影にも好適です。
紅葉に刺さる松葉が、かんざしのよう。
ツタの葉。
光をまとったイチョウ。
ところで一昨日の日曜日は、兄姉や親たちが忙しいようなので、ジジババは三歳と四歳の孫(従姉妹)のお供がてら、郷里までドライブしてきました。
山の木々が色づいています。
見る人もない紅葉が、華やかに装いを凝らしています。
空き家の土塀に絡まるツタも、季節相応に色づいています。
大はしゃぎの従姉妹同士。
鈴なりの柿も、主は不在です。
ひいじいちゃんと記念撮影をして、さようなら。
今日はこれにて。
紅葉も銀杏も今が盛りの後楽園、の巻(その2) [折々散歩]
今朝の未明、ラジオから流れてきた句が、耳に残りました。
どうにもならぬこと考えていて夜が深まる
NHKラジオ深夜便で時々聴く「絶望名言」というコーナーです。
はて誰の言葉だったっけと聞いていると、住宅顕信(すみたくけんしん)の自由律俳句だと言います。
引用は、このコーナーを担当されている「文学紹介者」の頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)さん。
文庫 絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ: 文豪の名言対決 (草思社文庫)
- 作者: フランツ カフカ
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2018/06/05
- メディア: 文庫
「今回は、不眠症をテーマに、10人の不眠に関する名言をご紹介したい」という趣旨の番組だそうで、それぞれの名言を、興味深く聴きました。
https://ameblo.jp/kafka-kashiragi/entry-12548113538.html
聞き手の川野一宇アナは、文学や言語を初め、文化への造詣の深い方ですが、住宅顕信を知らなかったとおっしゃっていました。私は知っていましたよ。エヘン。
私が、毎週のように徒歩で通行する、旭川沿いの土手道(以前,この記事で旭川の岸辺散歩、の巻漱石の句や、鳥人幸吉の碑を紹介しました。)に句碑が建てられています。写真も写していますが,どこかにしまい込んで、すぐには見つかりません。刻まれているのは、この句だったはず。
水滴のひとつひとつが笑つている顔だ
住宅顕信について、ウィキペディアにはこう紹介されています。
住宅顕信(すみたく けんしん、1961年3月21日 - 1987年2月7日)は、日本の俳人。本名・住宅春美(すみたく はるみ)。
【経歴】
岡山県岡山市に生まれる。
(中略)
1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔。
(中略)
1987年2月7日23時23分、永眠。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。
(中略)
2019年6月、顕信の生涯を描いた映画『ずぶぬれて犬ころ』が公開された[2]。監督は本田孝義、顕信役は木口健太が演じる。
番組でも紹介されたこんな句をはじめ、印象深い句が多いです。
若さとはこんな淋しい春なのか
一昨日の後楽園。PENTAXK30+PENTAX レンズ DA35F2.4ALでも写しました。
銀杏。
紅葉。
紅葉と池と庭。
庭と和傘。
今日はこれにて。
紅葉も銀杏も今が盛りの後楽園、の巻 [折々散歩]
昨日は久しぶりに後楽園を歩いてみました。
久しぶりとはどのくらい久しぶりかというと、この記事にこう書きました。
雨のち晴れ、、、の巻(2019-10-27)
私は、ちょいと用事でお出かけしたついでに、久しぶりに雨の後楽園を訪ねてみようと、雨の日モードで出かけました。例の受難のFUJI FINEPIX S1亡き後、雨に耐えられる装備として、PENTAXk-30にsmcPENTAX50-200EDWRという簡易防滴のレンズを用意して出かけたのでした。
が、到着した頃には雨も上がり。傘も要らない状態になっていました。さらに、思惑外れが重なって、後楽園の年間パスポートが9月末で切れていたことに気づきませんでした。更新するだけの持ち合わせがなく、周縁の遊歩道をぶらり歩いて帰りました(トホホ×2)
この時は入園しないで周縁を散歩しましたが、実際に園内を散歩したのは,7月の終わりだったようです。
マンネリながら、まだ続く、の巻
大賀ハス(古代ハス)が咲いているだろうかと、岡山後楽園へ行ってみました。7月27日でした。
残念ながら、大賀ハスはもう終わっていました。
白い大きな「一天四海(通称:大名ハス)」は、健在でした。
期限切れの年間パスポートを,更新しました。
以前は現金しか受け付けてもらえなかったのですが、クレジットカードも利用できるそうです。ですので、一時間一〇〇円也の駐車料金さえ所持していれば、愛でたく更新して入園できたのでした。ちなみに年間パスポートの料金は、大人: 2,080円、シニア(65歳以上): 830円です。
PENTAXQ7+02 STANDARD ZOOMの画像を掲載します。
よく晴れていました。
夜間の「幻想庭園」では、この和傘の内側から照明が加えられ、文字通り幻想の世界が演出されるらしいです。
「見頃」の紅葉が鮮やかに燃えていました。
イチョウも、陽を浴びて、眩しいほどの黄金色に輝いています。
今日はこれにて。
深山公園の出逢い(その2)の巻 [折々散歩]
ぽんぽこに出会ったあと、赤松池の水鳥を見て帰りました。
おなじみのヒドリガモ♂。
ヒドリガモ♀。
これらの群れの中に、見慣れない顔が混じっています。
アメリカヒドリだと思うのですが、いかがでしょう?
以前早とちりした↓この鳥よりは,それらしく思えるのですが、、、。
動転のち仰天、終わりよければオールラッキー、の巻
そして、このヒドリガモの群れの中に、少し色合いの異なった個体が混じっていました。
M師が以前教えてくださったアメリカヒドリではないかと思うのですが、どうでしょう?
ps.ヒドリガモとアメリカヒドリの交雑種とみるのが正しいようですね。
深山公園のアメリカヒドリ交雑種 posted by (C)kazg
散歩道を提げて歩いた ペンタックスK5Ⅱ+SIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMは、重いけれども役に立ちました。
いったんこれを車において、別の実験用カメラを持ち出しました。
性懲りもなく、ミラーレンズ(レフレックスレンズ)500mm F6.3 DX の実験です。
Olympus pl7に装着すると、35mm換算1000mmの超望遠になります。オナガガモ♂。
望遠効果は絶大ですが、 ピント合わせは至難です。曇り気味で光量もなく、シャッター速度も稼げないので、手ぶれ被写体ブレも合わさって、ひどく歩留まりが悪くなります。
RICOHGXR+A12にPENTAXマウントアダプタを介して装着してみます。
ヒドリガモ、オナガガモがほとんどの群れの中に、ヨシガモらしいのがわずかに混じっていました。
ナポレオンハットがよく目立ちます。
「リングボケ」を表現効果として活用する技量はありませんが、光源を避ければ目立たなくすることはできそうです。これくらいに写せれば、実用になるでしょうか?近くの比較的大きな被写体なら、ピントも合わせやすく,写りもまずまずの感があります。ただし、遠くの鳥を写したい、という肝心な願望には、容易には応えてくれないようですが、、、。
今日はこれにて。
嗚呼!ぽんぽこ,の巻 [折々散歩]
昨日ほどではないですが,冷え込みました。ちょっと重ね着をして,深山公園を歩きました。山道を歩いていると、すっかり汗びっしょりになりました。
携行カメラは,ペンタックスK5Ⅱ+SIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSM。1640 gという重いレンズですが,今日は気合いを入れて、これだけを提げてあるくことにしました。
ズームが効くので、このカメラだけでも、紅葉も写せます。
エナガがいましたが、400mmでも遠すぎます。トリミングします。
公園内には、沢山の猫がいて、恒常的に餌を与えている人(複数)があるようです。その餌置き場らしい場所にいたこれは、、、、猫ではなさそうですね。
近づいても逃げません。人慣れしているようです。
妻や孫も、このあたりを散歩中に、タヌキを見かけたことが、何度かあるそうです。カメラにも収めたそうですが、そのカメラが最近行方不明で、確認できないでいます。
それ以来、私も、遭遇を期待して歩くのですが、残念ながらこれまで空振り続きでしたが、やっと目にすることができました。孫たちは、子連れの姿も目撃したと言いますし、人に会っても逃げることなく、どうやら、猫の餌によって「餌付け」状態にあるらしいです。
内容(「BOOK」データベースより)
タヌキが化け学を駆使して、人間に戦いを挑む。タヌキだってがんばってるんだよォ。
今日はこれにて。
トリトリカメラについてのトリとめもなきつぶやき、の巻 [折々散歩]
17日(日),深山公園でヤマガラを写していました。(by FUJI FINEPIX S1)。
同じくコガモです。
18日(月)、児島湖眺望(by PENTAX k30+sigma 50mm macro)
今日も,児島湖方面へ出かけてみました。18日は自転車で走りましたが,今日は最低気温4度C、最高気温15度Cという冬の寒さでしたので、ちょっと自転車は遠慮して、車で。でも,陽射しがあるので、歩いていると汗をかきました。
RICOHGXR+A12+インダスター61(廉価ロシアレンズ)で写してみました。慣れないマニュアルフォーカスです。
近くの自然環境体験公園にも寄ってみました。
FUJIFINEPIXS1は、こんな広角撮影も好ましい絵になりますし、、、
上の中央辺りにあるこんもりとした木の梢を狙って思い切るズームすると、、、
ジョウビタキが確認できます。
トリミングしてみると、、、
後ろ向きでしたが、、(笑)
モミジもいい感じ。
ですが、対象によってはピント合わせが苦手な条件があるらしく、情けない写りになることも多いです。先日、S師のメールに「林の中の撮影や上空を飛ぶ鳥の撮影などの時フォーカス が富士はモタモタしてシャッターチャンスを逃すことがあったので、下取りしてもらってCanonPowerShotSX70HSに買い換えました」とありましたが、まったく身につまされます。ただ、せっかく故障機の代替として中古で買い換えたこのカメラ、もう少し使ってみることにいたします。
今日は、久しぶりに、pentaxk5+AFBORG(60ED)も、持って出ました。
逆光は苦手ですが、風景写真も写せます。
カイツブリ。
モズ。
セキレイ。
コサギ。
ケリ。
バラを尋ねて,の巻 [折々散歩]
ところで、先日、半田山植物園を久しぶりに訪ねましたが、最大のきっかけは、KINYAN 様のこの記事、秋バラの季節がやってきました(^o^)に触発されて,バラを見たいと思ったためでした、
そう言えば去年の11月にも、同じような行動をしてます(笑)
リンカ-ンを生んだ国、の巻(2018-11-07)
先日半田山植物園を訪ねた動機の一つは、秋バラを楽しむことでした。
薔薇撮影を想定して準備した機材は、pentaxk5Ⅱ+SIGMAMACRO 50mm F2.8 EX DG。
でも、時期が早いのか遅いのか、咲いているバラは思ったより少なかったです。天候の影響があるのでしょうか?
バラの花は、これくらいで、こちらはバラ科のスイートブライヤーだそうです。実が赤く熟れています。
ユッカの花。マクロレンズで写す必要もありませんが、、、
楷の木が色づいています。。
解説板があります。
楷の木については,以前こんな記事を書きました。
再生の象徴 楷の葉は緑(2015-09-22)
去年のこの記事閑谷学校の楷の木、の巻(2018-11-15)にも引用しました。
先日、so-netブログのmajyo様の9月19日付の記事「国会前へピクニック」のなかで、憲法制定50周年に記念植樹されたという櫂(楷)の木(カイノキ)が、平成25年の台風で倒壊したけれど、残された種子から後継樹が育っていると紹介してくださっていました。
(写真、お借りしました。 )
そこで、majyoさんはこう書いておられました。日本国憲法は、改正されてはいませんが
一内閣で大きく変えました。戦える国にです
しかし、倒れたこの木のように、また私たちはこの国を再生させなくてはなりません。まことにその通りと、心を胸を打たれました。
ネット検索すると、奇しくも同じ日の「東京新聞」のコラムにこんな記事を見つけました。国会議事堂の前庭に、一本の若木がある。憲法施行五十周年を記念して、参議院が植樹したという「楷(かい)」の木だ▼楷は紅葉が美しいウルシ科の落葉樹で、
孔子の墓に弟子が植えたとの伝承がある。文人が好んで庭に植えたため「学問の木」とも呼ばれる。楷の字には、「正しく、規範となる」との意があるから、な
るほど立法府が植えるにふさわしい木だろう▼さて、国会での安保法制の審議と採決のありようは「楷」に恥じぬものであったろうか。多くの法学者らが「違憲
だ」と言うだけでなく、研究室から国会前に駆けつけて廃案を訴えた▼憲法学の泰斗・樋口陽一さん(81)も先日、マイクを握って議事堂に向かい、「みなさん一人一人が歴史に責任を持っている。自分の良心に照らして投票を」と呼び掛けたが、多数の力で押し切る与党の姿はまるで、「学問の木」を切り倒すかのよ
うであった▼ただ樋口さんは国会前で声を上げ続ける市民らを見て、こうも語っていた。「(政権は)憲法のみならず、これまで積み重ねられたあらゆるものを
壊そうとしているが、壊れないものを私たちはもうつくった。何があろうとも壊れない、壊させない。それが、ここにいる人たちとの絆です」▼実は国会前庭の
楷の木は二年前の台風で倒れてしまったが、しかと再生したという。たくましき楷は国会の外で大きく育っていくはずだ。正確には、majyo様の記事の通り、種子から苗を育成したようですが。
ところで、楷の木は、孔子の死を悼んで、その墓(孔子廟)に弟子の子貢(しこう)が植えたとされます。「学問」、「規範」のシンボルとされる木だそうで、科挙(官吏登用試験)の合格祈願木ともされたそうです。楷書の「楷」もこの木にちなむとされます。
まことに憲法を象徴するにふさわしい木といえます。暴虐の嵐にいったんは倒れることがあったとしても、必ず不屈に再生させることができるのだと、勇気づけられるエピソードです。
過去記事をひもとくたびに,故majyoさんを思わぬ時はありません。
今日は,ピンクのバラを手向けさせていただきます。
https://majyo1948.blog.ss-blog.jp/
ツマグロヒョウモンのマクロ撮影にチャレンジしましたが、なかなか近づけません。
こんな対象には、ワーキングディスタンスなるものが稼げる望遠系マクロの方が便利ですね。同時携行していたFUJIFINEPIXS1だと、これだけ寄れます。
その日は、広角撮影用に、OLYMPUS E-PM1+M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8も携行していました。
相も変わらず、携行機材の選択に悩みは尽きません。いっそ、重さ大きさお構いなしに、あれもこれも、キャリアカーにでも載せて歩こうかと思ったりしてしまいます(爆)
今日はこれにて。
サワジリタイホ?キョーミないんですけど、の巻 [折々散歩]
NHKが沢尻エリカ一色です。
「桜を観る会」問題で、ホテルニューオータニを独自取材するなど、そのジャーナリズム精神みなぎる動きに期待しかけていた矢先、いつもの首相案件と同様、すっかり後景に押しやられてしまいました。私は,どちらかというと比較的NHK贔屓で、あの籾井前会長時代も含めて、NHK番組の視聴の比率は高い方だと思います。
ですが,現時点でのトップニュースは、沢尻逮捕じゃないでしょ!と思ったので、NHKの「ご意見・お問い合わせ」コーナーに,メールで,こんな問合せをしておきました。
国民の受信料で成り立っている貴局は、社会の公器としての責任の大きさを、特別に深く自覚すべきではないですか?沢尻なにがしの逮捕のニュースが、連日、毎時のトップに伝えられるべき重大事案だとお考えですか?首相が国税を私物化して、みずからの支持者を盛大に供応する「桜を観る会」の報道こそ,国民と国家にとっていま特別に重要なテーマだと思います。こうした問題にこそ力を割いて国民(視聴者)に真実を伝えるべく努力してこそ「NHKだからできる放送」が可能なのではないでしょうか?外的圧力に揺るがず、公共放送としての存在意義にかけて「社会の木鐸」としての役割を発揮されますよう、強く期待するものです。
宛先はこちら。
https://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
大勢の声を寄せるべきでしょう。
さて、今朝未明の月。
予報では昼過ぎから天気が崩れるそうなので、午前中、自転車で児島湖堤防辺りまで行ってきました。
沢山の水鳥です。
マガモ?
カルガモ。
キンクロハジロ。
オオバンとスズガモでしょうか?
オオバン。
カンムリカイツブリ。
まだまだ見飽きませんが、天気が怪しくなってきたので,これにて退散。夕方三時頃から、予報通りの雨が降り始めました。
今日はこれにて。
改めて憲法九条と戦争体験を考えた,の巻 [日録]
12日(火)は、普通にアルバイト出勤したのですが、なにやら喉に違和感、鼻水くしゃみも出て不快でした。13日(水)、教育相談ボランティアの室へ行くには行ったのですが、鼻水と咳に耐えかねて,申し訳ないがお昼でおいとましました。たいして重症ではないのですが,時折発作のような咳がしつこく、痰が絡んで苦しく、微熱もあるようなので、医者へ行くよう妻が勧めるので,そうしました。実は前週の土曜日,インフルエンザのワクチン接種を受けたばかりの同じ医院を訪ね,診察を受けます。念のためインフルエンザの検査もしてもらいましたが陰性。薬をもらって帰りました。
状態はすぐには改善されず、いくつかの約束を断ったりなどもしたのですが、金曜日はちょっと大事な予定が入っていました。
というのは、私が所属している年金者組合の地元支部が主催して、憲法学習会があったのです。今回はその第四回目で、二回目からは、憲法条文を逐条的に学習してきたのですが、今回のテーマはいよいよ焦点の九条。欠かすわけには参りません。
今回の学習会で、特に印象に残ったのは、こんなやりとり。
講師のOさん(元高校教師・年金者組合の役員でもあります)が、古賀誠氏(自民党元幹事長)の著作「憲法九条は世界遺産」や、「戦争体験世代の役割として『憲法9条をまもらなあかん』」と、生前よく口にしていた野中広務さんなど、保守派の政治家たちが、改憲へと進む安倍政治を憂えていることを紹介し、戦争を知らない(安倍など)世代が政治を執るようになることを憂慮しているという話題を提供した時のやりとりです。
Aさん(男)天皇代替わりで、平気で万歳を叫ぶのは若い人。九六歳の母は、決して「天皇陛下万歳」とはいわない。空襲で焼かれた死体を探って、顔を確かめながら人を探した体験がある。いまも頭のなかには教育勅語がある。
Aお母さん(介護のため車椅子で同行中) 小学校低学年のころ、校長が奉安殿から取り出して読み聞かせられ、意味も分からず暗唱させられた。「チンオモウニワガコーソコーソー」と。いまでは、自分の年も忘れるほどで、ぼんやりしているが、、。
Aさん(女)戦争を知らない世代とは、具体的にはどんな世代?
Mさん(女)七〇年代、「戦争を知らない子どもたち」というフォークソングが流行った。北山修は、戦争に反対する思いでこの歌を作ったが、現にベトナム戦争など、同時代に戦争があるのに、「戦争を知らない」と言えるのか、という批判もあった。
Oさん 戦後生まれで、直接には戦争を経験していない。ただ、戦後食糧難のなかで、その空腹感は身にしみている。
Aさん(女)新潟県長岡の出身。戦争の悲惨も、食糧難による苦労も、直接には体験していない。ただ、暑い夏の夜、空襲で長岡の街が真っ赤に燃えていくところを、自宅から茫然と見ていた記憶がある。日本三大花火の一つである長岡花火は、その長岡空襲犠牲者への慰霊の思いから始まった。
憲法についての思い出は、「新しい憲法の話」の授業を校長がしてくれた。他の先生方が、校長のことを「マスター」と呼んでいたことなど、楽しい記憶として懐かしく思い出す。
Kさん(女)満州からの引き上げ時、幼い弟二人を亡くした。母が自分の手で土に埋めた。陸だったから、埋めることができたが、船で死んだら、海に捨てられた。
それぞれのお話をお聞きしながら、「9条には戦争遺族の血と汗と涙が込められている。戦後不戦を貫いた9条の力は世界遺産だ」と強調する古賀誠氏の言葉が、改めて痛切に心にしみました。
まだまだ話題が尽きないうちに終了時間となりました。もっと知りたいことも残っているので、次回も、もう一度九条の学習をしたいという声もあり、2月21日に再度実施することになりました。
風邪の影響もあってしばらく身体を動かすことがなかったので、16日(土)は、半田山植物園、今日は深山公園を歩いてみました。季節が一気に進んでいました。
青空の下の半田山植物園。空気が澄んでいます。
温室のサボテンです。夏だと暑さに閉口する温室が快適に感じます。
緑色のモミジの枝に、桜モミジが引っかかって、アクセントとなっています。
足もとの落葉。この季節ならではのどれも風情を感じさせます。
モミジ情報では、「色づき始め」ということですが,まだ緑が多く残っているようです。
こちらは今日の深山公園。ここも「色づき始め」という案内ですが、徐々に紅葉が進んでいます。
鈴なりの山柿の姿も、この季節ならでは。
モミジバフウの木立。ここ数日で、一気に葉が舞い落ちていくでしょう。
独特の形状の実が,目を引きます。
今日の付録
15日の朝の月。
満月の頃は、体調のせいもあって,カメラを持つゆとりもありませんでした。
今日はこれにて。
槙村浩生誕地案内板の除幕式、のこと [文学雑話]
高知在住の、大学時代の先輩Nさんから、今日、お手紙をいただきました。、地元高知新聞の切り抜きを同封してくださいました。
少し文字起こしをしておきます。
反戦詩人槇村浩に案内板
生誕地近くに設置 高知市
昭和初期の反戦詩人、槙村浩(1912 ~38年)を顕彰する案内板が高知市廿代町の生誕地近くに設置され、有志らが除幕式を行つた。
槙村は、満州事変の翌年の32年、反日武装闘争をする中国東北部 の商船族を題材にした「間島パルチザンの歌」を発表し、軍隊でビラを配るなど反戦還動を展開。高知刑務所に留置され、拷問の末に病気となり、26歳で亡くなった。
その生涯は戦後、大原富枝の「ひとつの青春」などで小説化され、広く知られるようになった。高知でも75 年に県内の有志が槙村浩の会」を結成し、墓前祭を行うなど長く槙村を顕彰している。
模村の没後80周年を迎えた昨年から、同会が準備を進めて完成した案内板は、高さ141 ㌢、幅69センチ。廿代町の生家跡地から約100m北の高知橋南側にある遊歩道脇に設置した。槙村の写真や来歴のほか、同市内にある槙村の詩碑など周辺の史跡も紹介している。除幕式 には会員ら約 30人が出席して「間島パルチザンの歌」の朗読などが行われた。同会の馴田正満代表(71) は「日本と朝鮮の人々の連帯を訴えた槇村。 現代の東アジアの国々との関係を考える意味でもその思いを引き継ぎたい」と話している。
実は、除幕式の当日の夜も、Nさんは電話を下さり、あらましを教えてくださっていたのです。「先輩Nさん」と紹介したのは、実は、上の記事中の「同会の馴田正満代表(71)」のことです。最近では、こんな記事でも紹介しました。
江ノ口川異聞、の巻(2019-10-22)
今年の2月には、こんな記事を書きました。
ある新聞投稿、の巻
「高知新聞」にこんな文章を投稿しました。
高知は、学生時代を過ごした第二の故郷ですが、滅多に訪問の機会がありません。維新の志士や民権運動の史跡などどともに、夭逝の反戦詩人槇村浩(まきむらこう)ゆかりの地を、折あれば訪ねてみたいと常々思ってきました。
「思い出はおれを故郷へ運ぶ---」二〇歳の頃の作品「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節です。「おれ」は、日本の侵略支配に抗し、身を挺して民族の独立をたたかいとろうとするパルチザンの若者であり、反戦と国際連帯の思いを込めた作者の想像が生んだ鮮烈な造形です。
高知県立海南中学校四年生の時、軍事教練反対運動を組織した彼は放校となり、縁あって、わが岡山県の私立関西中学に編入学します。異郷の地にあって、彼の胸中には故郷高知の思い出が去来したに違いありません。
自宅があったという帯屋町2丁目の「ひろめ市場」辺りや、高知刑務所跡の城西公園に建つ詩碑などは、以前も訪ね、詩人の短かすぎる青春を偲びました。市内にあるという墓地にも、いつかお参りしてみたいと思っています。
ところで、彼の生誕の地は、高知県高知市廿代町とされています。去年の夏、会合で高知を訪れたついでに、マップ頼りに界隈を散策してみました。しかし、残念ながら、案内掲示や碑の類を見つけることもできず、心を残して引き揚げたことでした。聞けば、いま貴地では、「槇村浩生誕碑」建設の気運が起こっているとの由。運動が成就し、碑完成の暁には、是非再訪してみたいと願っているところです。それが今朝の朝刊に掲載されていると、高知市在住のN先輩が知らせて下さいました。Nさんは、文中の、「槇村浩生誕碑」建設の運動にも携わっておられます。当ブログの過去記事でも、槇村浩については何度か話題にしてきました。
そのNさんは、今回の同窓会の世話役を、いつもの通り担ってくださったのでしたが、二次会での歓談のなかで、このたび、市から「槇村浩生誕碑」建設の許可が出たこと、募金その他で建設資金も集まり、11月には除幕式の予定との最新情報を教えてくださいました。嬉しいことです。
今回のこの記事を書くに当たって、ネット検索していますと、ウィキペディアの記事に、こんな一文が付け加えられていることに気がつきました。
2019年3月18日、平和資料館・草の家の馴田正満研究員が、記者会見を開き槇村の生誕地である廿代町八十九番屋敷の現在地を公表。高知民報同年4月14日号から3回、生誕地について連載。
何を隠そう、「平和資料館・草の家の馴田正満研究員」こそ、わが先輩Nさんその人なのです。
もっと昔の、この記事でも触れたことがありました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)(2016-09-02)
さて、昨日までの記事で、思わせせぶりに先のばしてきた、今回の高知行の第2の目的とは?
高知が生んだ反戦詩人、槇村浩ゆかりの地を訪ねたいという「宿願」を達成することでした。
槇村浩については、これまでこんな記事を書いてきました。
◆サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻
◆「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◆槙村浩と三月一日
◆ビクトルハラをカーラジオで聞くの巻
◆もうひとつの911
◆懐かしき便り嬉しき聖夜かなの記事では、こんなことを書きました。もう一つの郵便物は、高知のN先輩からサークル会誌第11号が同封されたお便り。
N先輩については、去年の八月のこの記事や九月のこの記事で「Nさん」と呼んで紹介しました。
この会誌11号は、ほとんどこのN先輩が中心に編集・発行してくださっています。今号のおもな記事は、 この記事で話題にした「仲間の集い」での大先輩(1958年入学のKさん、及び1965年入学のFさん)のスピーチの記録と、各地にお住まいの同窓生の方々の近況など。
それぞれ時空を越えて、様々な感慨を喚起せずにはいられない文章でした。
巻末の「事務局だより」に、高知県生まれの詩人槙村浩(まきむらこう)の生誕100周年を記念して今年11月に出版された雑誌『ダッタン海峡』10号の紹介があり、別刷りで、雑誌『ダッタン海峡』10号の目次を印刷してくださっていました。
雑誌『ダッタン海峡』は、「ダッタン海峡——ダッタン海峡以南、北海道の牢獄にある人民××革命の同志たちに——」と題する槙村浩の詩のタイトルにちなんで名付けられた雑誌のようです。高知市枡形にある「平和資料館・草の家」のこの記事 が参考になります。
このN先輩は、今回の同窓会の準備運営の中心を担ってくださいました。そして次の記事にも登場します。
◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻今日のもう一つの話題は、同じく治安維持法の犠牲となった文学者槙村浩のことです。
「北の小林多喜二、南の槙村浩」と呼ばれました。
2012年5月12日付の朝日新聞高知版を紹介したWEBページにこんな記事がありました。
北の多喜二、南の槙村浩(こう)――。小説「蟹工船」の小林多喜二と並び称されるプロレタリア文学作家が、戦前の高知にいた。3年2カ月の獄中生活をへてもなお反戦の信念を貫き、精神と肉体を患って26歳で逝った。長い間、故郷高知にさえ忘れられた存在だった。6月1日の生誕100年を前に、その足跡をたどった。(中略)
兵士を、銃を立てかけておく「銃架」にたとえたこの詩(引用者注:槇村浩作「生ける銃架」)は、満州事変翌月の31年10月に作られた。槙村が通った高知市立第六小学校の隣にあり、戦時中の資料を展示する「平和資料館・草の家」(升形)館長の岡村正弘さん(75)は「戦争は人間を魂のない存在にしてしまうというのがこの詩の意味だと思う。槙村は鋭い感性で市民にとって戦争とはなにかという本質を見抜き、告発した」と話す。
(中略)
映画会社「四国文映社」代表の馴田(なれ・た)正満さん(64)は大学時代、先輩に連れられて槙村の墓を訪れた。「厳しい弾圧下でも自分の生き方を通した姿勢に共感した」と振り返る。
墓は平和町の丘の中腹にあるが、戦後長く忘れられていた。同郷の作家・土佐文雄が槙村の生涯を描いた小説「人間の骨」(66年)は、土佐が鎌を手に林に入 り、槙村の墓を探す場面で始まり、「孤独に耐えていた彼の墓をついに見出し」「私の目から涙がふきこぼれた」と記す。関係者らの手で69年に建てられた墓 碑には、「反戦革命の詩人 槙村浩墓」と刻まれる。槙村の代表作は、長編詩「間島パルチザンの歌」(32年3月)だ。中国東北部の朝鮮族が多い地域で抗日運動をする朝鮮人の思いを歌う。
(以下略)
Nさんのお手紙には、「これで、①墓碑(高知市ヒルガ谷)、②詩碑(高知市城西公園)、③生誕地案内板の三点セットが揃いました。」とありました。私は、②詩碑(高知市城西公園)だけは訪問することができましたが、あとの二つは未踏です。今後の高知行きへの楽しみが増えました。
暦の上では冬ですが、の巻 [折々散歩]
9日(土)の朝9時、地域の9条の会が、平和を願うポスターを持ってスタンディングによる宣伝行動を計画されていたことを、すっかり忘れてしまっていました。パソコンデスクのよく目立つところにチラシを貼っていたのに、いざその朝になると、すっかり忘れていたのです。
というのも、前日に小学校の音楽発表会の予定を聞き、発熱した小六生の出欠も気になってましたので、すっかりそれに気をとられてしまっていたのです。しかも、急ぎの郵便物を20通余り発送するために、少し離れた郵便局の「ゆうゆう窓口」を利用し、そのまま小学校へ向かったので、宣伝行動の場所を通りかかることもなく、スルーしてしまったのでした。
さて、音楽発表会の二時間ほどの間、兄姉らの演奏を聞きながら、ぐずりもせずに大人しく(もないですが)していた保育園児の妹は、発表会が終わって体育館の外に出ると、エネルギー全開で、校庭や近くの公園で大はしゃぎでした。
その午後、従妹もやってきて、お泊まりということになりました。
次の日、11月10日(日)は、岡山マラソンがあり、ランナーが近所を走るというので、今年も子どもたちは応援に出かけました。
初回の岡山マラソンについてはこの記事で書きました。
白玉の 歯にしみとほる 出会いかな(意味不明)
そう言えば一昨年の岡山マラソンには、大阪のママが完走したのでした。妊娠中だったことがあとで分かって穂やりとしましたが、その時の赤ちゃんはもう、一歳半です。
ママは「FINISHER」(完走者)、の巻
青空が高く澄んだ秋晴れの一日でした。いや、8日が立冬だそうですから、正しくは「冬晴れ」です。
近所の庭木に、ムクドリが止まっていました。
今朝は、天気が崩れ、久しぶりの雨。かなり強く降りました。
子どもたちの登校の頃、東の空に日が覗き、背中側に大きな虹が架かりました。カメラを取り家まで帰り、よく見える場所まで引き返すうちに、雲がかかり虹は消えました。中途半端な場所で1枚だけ写したのがこの写真でした。
今日は、郷里へ。雨で何の作業もできないだろうとあきらめていましたが、すっかり上がり、草刈りができました。いや正確には、草刈りというよりは笹苅りです。ご夫婦とも長期入院中の隣家の所有地である畑いっぱいにすっかり生い茂っている笹藪を、刈り払う作業は。なかなか苦労でした。暦の上では冬ですが、大汗をかきました。
前回鹿に出会った裏山の畑にも、柿取りに行ってみました。今日はカメラを持って行きましたが、鹿には会いませんでした。が、鹿の糞はどっさり目撃しました。
今日はこれにて。
とりとめなき日録、の巻 [日録]
連日何かと多忙で、カメラ散歩もままなりません。
5日(火)は、留学生相手のアルバイト。私の受け持ちは「日本語読解」なのですが、彼らは、読み書きより、聞く・話す方が好きらしい。授業の腰を折って、すぐに色んな話題を振ってきます。わたしにとってもそちらの方が楽しいのですが、早々に「読解」に立ち戻らなくてはなりません。だが、私の「読解」授業に、どれほど社会的有用性があるだろうか?いつも疑問です。
6日(水)は、教育相談ボランティア。
落下で故障した個体の代替として、ジャンク扱いで購入したFINEPIXS1を、最近はいつも携行しています。
六〇歳近いという年配の方から、ご自身の相談の電話。精神疾患の発病と、「闘病」、病気と折り合いをつけながら生活を築いていくご苦労を面々と語られます。最後に「聞いていただいてありがとうございました」と感謝の言葉。何のアドバイスも力添えもできませんが、耳を傾けることで、その方の悩みやわだかまりが少しでも薄らぐなら,私の存在意義が少しはあるのでしょうか?
7日(木)退職同業者の親睦組織の運営会義。来年予定の40周年記念の諸行事の相談。歴史の重みを感じるとともに、物故者のお名前に、しみじみと無常を感じます。ちょうどこの日、Nさんが亡くなられたとの由。ショックです。
Nさんについては、たびたび紹介しました。たとえば最近では、
蛟龍を嘆く、の巻
先日小豆島を探訪した旅行行事の企画・立案・案内は、毎回Nさんが毎回中心的に担って下さったことは、昨年秋のこの記事にも書きました。
あらまほしきものは、の巻
この「自然歴史歴史探訪」という行事は、毎年二回ずつ実施され、今年で25年目。今回が第49回で、来年5月には第50回を迎えるそうです。そのすべてに渡って企画・立案に携わり、案内者として貢献してくださったNさんは、今回も周到な資料をご用意くださり、またそれ以外にも、通りかかる場所場所にまつわる「深いいお話」を、ふんだんに紹介してくださいます。
今回で50回目(年二回実施)を迎えることから、Nさんは一応ここで任を降りられ、ご卒業ということになります。
自然歴史探訪の歩みを振り返って一筆お願いしようと相談してた矢先のことでした。
8日(金)午後、年金者組合の会合がありました。その帰り道、国会中継の模様がラジオから流れてきました。聞くともなく耳を傾けていると、とても聞き捨てならない追及が行われていました。
この記事参照。安倍首相「桜を見る会」の税金を使った不正が国会で明らかに!少し引用します。
公選法違反疑惑によって大臣辞任が相次ぐ安倍内閣だが、本日、おこなわれた参院予算委員会では、ついに総理自身の疑惑追及がおこなわれた。そう、「桜を見る会」の私物化問題が安倍首相にぶつけられたのだ。
本サイトでもお伝えしてきたように、「桜を見る会」にかかる支出は第二次安倍政権下で大幅に増えており、予算額は2014年度以降約1767万円で固定されていたのに、支出は年々増え今年2019年度は5519万円と約3倍に。しかも、このことが問題になると、2020年度予算の概算要求で内閣府は「桜を見る会」の関連経費として本年度の3倍を超える5729万円を計上。無駄遣いを見直すのではなく、逆に予算額を増やしてきたのだ。
しかし、そんななかで「しんぶん赤旗日曜版」10月13日号は、安倍首相が地元・山口の後援会員を数百人規模で招待していることをスクープ。都内観光とセットにしたこのツアーは「後援会の目玉行事」となっていたといい、さらには妻・昭恵氏が名誉会長を務めたスキーイベントの実行委員をはじめ、昭恵氏の農業仲間や日本酒をつくる女性のグループなども招待されている事実を突き止めていた。
しかも、きょうの参院予算委員会で質問に立った共産党の田村智子議員は、新たな事実を安倍内閣に突きつけた。それは、安倍自民党全体で私物化している実態だ。
田村議員が読み上げたのは、安倍自民党の大臣や閣僚経験者らによる「桜を見る会」の報告。そこにはこんな記述があったのだ。
稲田朋美・元防衛相〈地元福井の後援会の皆様も多数お越し下さり、たいへん思い出深い会となりました。〉(2014年4月12日「日々の活動報告」)
世耕弘成・前経産相〈『桜を見る会』にて 地元女性支援グループの皆さんと〉(「世耕弘成後援会ニュースKawara-Ban」2016年新年号)
松本純・元国家公安委員会委員長〈選挙のうぐいす嬢の皆様をはじめ後援会の皆様と参加致しました。〉(同上2015年4月18日)
萩生田光一・文科相〈総理主催の「桜を見る会」が催され、今年は平素ご面倒をかけている(編集部注:後援会の)常任幹事会の皆様をご夫婦でお招きしました。〉(「はぎうだ光一の永田町見聞録」2016年4月18日)なんと、稲田氏や萩生田氏、世耕氏といった安倍首相の側近議員たちも、安倍首相と同じように地元後援会も関係者を招待し、もてなしていたというのだ。
さらに、松本元国家公安委員長は、このようにも綴っていた。〈役職ごとに案内状が割り当てられます。参加するにはこの案内状が無ければ入場できません。今回は限られた少数の案内しか入手できず、残念ながら後援会の皆様にご案内することができず、やむなく我が陣営は不参加ということになってしまいました。ご期待いただいていた皆様にはお詫び申し上げます。もっと偉くなりたいですね。〉(「松本純の国会奮戦記」2013年4月20日)
つまりこれは、自民党は党内で役職ごとに後援会や支援者の招待枠を割り振っているということだろう。
念のため言っておくが、議員の後援会や支持者というのは、「桜を見る会」の招待範囲に含まれていない。税金が投入された公的行事なのだから当然だ。実際、今年1月に閣議で配布された「桜を見る会『開催要領』」にある「招待範囲」には、こうある。
〈皇族、元皇族/各国大公使等/衆・参両院議長及び副議長/最高裁判所長官/国務大臣/副大臣及び大臣政務官/国会議員/認証官/事務次官等及び局長等の一部/都道府県の知事及び議会の議長等の一部/その他各界の代表者等〉
(中略 )田村議員は「桜を見る会は参加無料なんです。会場内で樽酒その他のアルコール、オードブル、お菓子、お土産をふるまうんですよ。これを政治家が自分のお金で行ったら明らかに選挙法、 公職選挙法違反。そういうことを、あなたは公的行事で税金を利用して、行っているんですよ。これは重大問題、まさにモラルハザードは安倍総理が起こしている」と喝破して質問を終えたが、まさにそのとおりだろう。
モラルハザードは安倍総理が起こしている!やっぱりそうだったんだ。
保健室登校が主で、昼前に下校することが多かった小6生が、修学旅行には半日程参加でき、最近は、給食を食べられたり午後の授業に出席できたりするようになっていたのですが、その最大の理由は音楽発表会に参加したいという気持ちから。ところが、その音楽発表会を翌日に控えて、発熱。何かとついてません。
9日(土)今日は小学校の音楽発表会。
小6生も、何とか回復して参加できました。小6・小3の兄妹共々、精一杯頑張りました。
ジョウビタキの姿をよく見るようになりました。
我が家の目の前の電線に止まって高くさえずる♂。
そのお隣は、ホオジロですか。
FINEPIXS1活躍中です。
今日はここまで。
島の始まりが淡路島、の巻 [折々散歩]
NHK土曜ドラマ「「少年寅次郎」が魅力的です。
その感想はまたの機会に譲るとして、ご存じフーテンの寅さんの啖呵売。「物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国、 島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこのオジサン---」その淡路島へ、今日行ってきました。
年金者組合地元支部のバス旅行の行き先が、淡路島でした。
昨日は小雨もぱらつく一日でしたが、うって変わって秋晴れの天気。
明石海峡大橋を渡って、「淡路ハイウェイオアシス」で昼食です。
水道蛇口から注ぐ玉ねぎスープ。美味でした。
駐車場からの眺め。絶景です。
ブラシノキでしょうか、真っ赤な花が咲いていました。
つぎの見学地は、「淡路花さじき」。
サルビアの鮮やかな赤と、淡色のコスモスのグラデーションが、目を引きつけます。
これは、ラベンダー。
果てしない大空と海の眺望がスケール大きく広がります。
つぎの見学地は、「北淡震災記念公園 野島断層保存館」。訪れたのは初めてではないのですが、改めて自身エネルギーの強烈さ、震災の凄まじさを実感せずにはいられません。
胸塞ぐ主意のまま外に出ますと、ヒー、ヒーという聞き慣れた小鳥の鳴き声。
ジョウビタキ♂にこんな場所で出会いました。
帰路は、鳴門を経由して、四国徳島側から瀬戸大橋へ向かいます。
渦潮を目撃するには至りませんでしたが、激しい潮流で、小渦程度は見えた気がします
今日の写真はすべて、落下故障機の代わりに「ジャンク扱い」で購入したFINEPIXS1です。
今日はこれにて。
喪失と復元、そして出逢い、の巻 [折々散歩]
首里城炎焼のニュ-スは衝撃的でした。
幽かな記憶では、子ども時代、切手収集を趣味にしていた頃、守礼門の切手を持っていたことがありました。
はじめて沖縄を訪ねたのは、1980年代の中頃でした。その時、守礼門を見学した記憶はありますが、首里城の再建は1992年だそうですから、再建前だったのですね。再建後の首里城を見ることのないまま消失とは、残念至極です。
いえ、残念でたまらないのは、「宝物、誇りでありシンボルのような存在」(りゅうちぇるさん)を失った沖縄県民の皆さんでしょう。
大切なものを失うという点では。余りにもレベルが違いますが。先日のFINEPIXS1の落下故障。何とか復元のすべはないかと考えあぐねた末、やはりその不在に耐えられず、故障修理ではっかえって費用がかさみそうですので、ネットオークションで、ジャンク扱いの品物ををゲットしました。
夜明け前の細い月(10月31日)
夜明けの光景(10月31日広角撮影)。
隣の家の雀。
今朝の散歩道の白いバラ。
今朝の散歩道のアオサギ。
今朝のモズ。
今朝のジョウビタキ。
今年もよくジョウビタキを目にするようになりましたが、まだ、ちゃんと写せません。
一昨日は、郷里に帰って少々畑仕事をしたのですが、奇遇とも言える出逢いがありました。
(その1)裏山まで、柿を取りに行きました。すると、ほんの五メートルほど向こうに、立ち止まったままこちらをじっと見ている者がいました。子鹿(若鹿?)のようです。1分?5分?かなりの長い時間そのままじっとしていましたが、ゆっくりと山の方へかけ去って行きました。しばらくして、少し離れた茂みから、がさがさと大きな音がしました。どうやら、連れがいたようです。
畑の耕耘をしたとき、沢山の足跡が見えました。小豆、野菜など、しょっちゅう食害を受けますが、最近は、里芋を喰っていったそうです。皮ごと生で食べるとつよいえぐみがあって、かぶれてしまいそうですが、、、。
(その2)お隣の家の草刈りを委託されて、シルバー人材センターの方が数人作業に来られていました。そのうちの1人が、近づいてきて挨拶をされます。何と、幼なじみの同級生N君でした。世間は狭いものです。
この花は?
ラッキョウの花でしょうか?
赤トンボ。
昨日は、自然環境体験公園を歩きました。
肝心のFINEPIXS1を持って出るのを忘れました。
RICOHGXR+A12+Smcpentax50mm m1.7というレアな組み合わせです。
逆光だとハレーションを起こしますが、これも表現効果?
色づきはじめの紅葉です。
ハナミズキ。
モミジバフウ。
ようやく秋らしくなってきました。
今日は保育園児の従姉妹と小学生2人がお泊まりです。
今日はこれにて。