「劣化」考、の巻 [時事]
少なくとも、以前は、たとえば、このような用法が頭に浮かぶだけだったでしょう
世界大百科事典 第2版の解説
れっか【劣化 degradation】 |
ですが、最近、人間に対しても「劣化」の表現が当てはまる場合があることを、再認識しているところです。
憲法くんは七〇歳、わが老父は九〇歳、いずれも五月生まれ、の巻の記事でも触れましたが、思想家・武道家の内田樹さんが、こんなことをおっしゃっています。
いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延(まんえん)している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。 (中略) 日本人は心のどこかで「属国であること」を深く恥じ、「主権の回復」を願っている。けれども、それは口に出されることがない。だから、その抑圧された屈辱感は病的な症候として表れる。安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。 けれども主権回復のための戦いを始めるためには、まず「日本は主権国家でなく、属国だ」という事実を受け入れるところから始めなければならないが、それはできない。痛苦な現実から目をそらしながら少しでも屈辱感を解除したいと思えば、「大日本帝国」の主権的なふるまいのうち「今でもアメリカが許諾してくれそうなもの」だけを選び出して、政策的に実現することくらいしかできることがない。それが対外的には韓国や中国に対する敵意や軽侮の表明であり、国内における人権の抑圧、言論の自由や集会結社の自由の制約である。 (中略) 改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイデアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして「国民に対してだけは主権的にふるまう」ことで国家主権を持たないストレスも部分的に解消できる。 自民党改憲草案は近代市民社会原理を全否定し、むき出しの独裁政権を志向する病的な政治文書だが、それが全篇(ぜんぺん)を通じて「決してアメリカを怒らせないような仕方で対米屈辱感を解消する」というねじれた政治目標に奉仕しているのだと思えば、理解できないことはない |
昨日付の地元紙『山陽新聞』にこんな記事がありました。
「劣化」以外の何ものでもありません。
同じ日の「しんぶん赤旗」の記事。
これも、一部をトリミングします。
思い出すだにおぞましい、身内の『不祥事』がこんなに相次ぐ政権。「劣化」としか言いようがないですね。もはや、メンテナンスの時季を超えていいるようで、新規更新が唯一の打開策といえそうです。
よく降りました。
県内でも、地域によっては大雨・洪水などの警報が出されたところもありました。
ほとんど一日家に閉じこもって、デスク仕事などをしていました。
庭の鉢植えの紫陽花。長く元気に咲き続けています。
パセリの葉っぱが食い荒らされていると思ったら、、、キアゲハの幼虫でしょうか?
体長2cmほどの小さなカマキリです。
新しいいのちは、初々しく、生気に溢れています。
昼過ぎには青空がのぞきました。
世の中も、こんなふうにすがすがしい青空が訪れて欲しいものです。
興味深いのは、投票日が迫った都議選挙です。
gonntan様が、先日のこの記事(イエスマンの課題は)で、こう書いておられました。
都議選の応援演説でジミントウのシモムラ幹事長代行が 「都知事のイエスマンばかりが当選したらどうしますか?」なんてぶってましたが
まさに今のジミントウの課題をわかってらっしゃる鋭い発言だなと感心しました。
都議会だって国会議員だって、イエスマンばかりでは駄目ですね。
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きょうはこれにて。
トカトントン再び、の巻 [時事]
もっと激しく、もっと荒々しくもっと手厳しく、もっと完膚なきまでに、とことん罵倒し、なじり倒す言葉が欲しいものです。アベ政権の、卑劣、卑怯、下劣、姑息、横暴、無法、陰湿、愚劣、醜悪、不義、暴挙、凶暴を、どう形容してみても、陳腐に過ぎます。
大相撲で、横綱が立ち会いで変化してみたり、「猫だまし」などの奇手を食らわせたりすると、大ひんしゅくですよね。四十八手の相撲ルールにもとづく取り口であっても、天下の横綱には、相応の品格と風格が求められるわけで、それは相撲愛好家のみならず、市井の一般人の良識(コモンセンス)に適合する美意識、倫理観だといえるでしょう。
しかるに、わが国政界のトップは、「猫だまし」どころか、法度お構いなしの禁じ手を次々と繰り出したあげく、「私が総理」「ルールはボクチャンが決める」と、の横紙破りを平然と正当化し、批判者を恫喝する始末。この内閣によって、繰り返し見せつけられた手法だけに、もうそろそろ慣れてもよいところでしょうけれど、やっぱり今度の共謀罪国会の凶暴さには、愕然とさせられました。
15日朝、委員会審議を省略して、本会議で中間報告の後、採決?朝のTV報道で知ったときには、口アングリ!でした。
それからほど経ずして、文科省の調査で文書の存在が発覚かとその日のニュースで報道されるにつけ、やっぱりその追及をおそれて幕引きを急いだのだろうと、容易に推察できました。
でも、伝えられるところによると、この幕引きを主導したのは、公明だとか?参院法務委員長のポストを握る同党にとって、都議選を前に「強行採決」はイメージダウンが避けられまいとの思惑が働いたのだそうで、裏には裏があるものですな。
そういえば、賛成討論にたつ公明サンのテンションの異常さ、木村草太さんも指摘しておられましたね。
このラジオ番組の国会ダイジェスト、必聴です。
https://www.tbsradio.jp/155800
「右翼」論客として知られるの小林よしのりさんも、この記事で木村颯太さんを褒めていましたね。
共謀罪についての木村草太の発言に感動した。
今日の「報道ステーション」の木村草太氏は凄かった! 実に痛快だった。 「共謀罪はテロ対策ではない」ということを、明確に断言して、現行法でも予備罪と共謀共同正犯との組み合わせで、テロ対策になるから、今のままでパレルモ条約に参加できると言ってくれた。 共謀罪が「テロ対策」だというのは、政府の嘘だから、最初にこのことをマスコミや有識者は見抜いて、国民に伝えるべきだったと、木村氏は言う。 木村草太氏は、最後に恐るべきことを言ってのけた。
あのクールな口調で、言ってることの辛辣さは凄い! |
以前(2004年)、こんな文章を、ある教育系雑誌に投稿したことがありました。「10年ひとむかし」と言いますがそれ以上の昔の話です。でも、読み返してみて、今なお、根本的な変化(改善)は、認められないと思えましたので、ここに再掲させていただきます。
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先日 様が「ブログ倦怠期」と書かれていて、ふと共感してしまったのは、案外このどんよりとして始末の悪いシラケ感のせいかもしれません。ここ数日、ブログ更新を怠っていますのは、灰色のデスクワークやら、パソコンとプリンターのトラブルが相次いだこともありますし、孫とのデートで「充実」した日々を送っていたことなども影響していますが、なによりも得体のしれない徒労感に襲われて、ブログ発信の意欲気力がわかなかったことは、否めません。
そうするうちに、ストックしたまま放置している画像がたまり、日の目を見ないまま終わりそうです。
自然保護センターに立ち寄ったのは何時だったでしょうか?
EXIFによると、このカワラヒワにあったのは5月23日のことのようです。
同じく、キセキレイがこんな姿を見せてくれたのは、6月10日です。
そうそう、思い出しました。草刈りのために郷里を訪ねた帰り、長福寺三重塔を見て、その足で自然保護センターに立ち寄ったときのことでした。
山深い田園風景の中の長福寺を、もう一枚載せておきます。
一昨日も、草刈りに行ってきました。ついでがあったので、長女と一歳の孫も一緒に田舎の空気を吸ってきました。元気いっぱい大いにはしゃいで遊びました。ジャガイモ掘りデビューも経験しました。(画像なし)
草刈り作業は、畑だったところが今や草ぼうぼう、笹ぼうぼうで、少々の作業では埒があきません。燃料を満タンにした草刈り機で作業し、燃料切れになるまで作業したものの、焼け石に水状態です。また日を改めて続きをやらねばなりません。
それにしても、はびこった笹が厄介で、戦意がくじかれます。
ところで、前回、6月10日の自然保護センターでは、ササユリの花を見ました。
この優美なユリは、その葉が笹の葉に似ているところからササユリの名があるそうです。このようなササは歓迎ですが。
さすがに、当然の成り行きとは言え、直近の世論調査ではどれも軒並み、内閣支持率が、激減しています。国民も、いつまでも愚かにだまされはしない。その推移に期待し、気を取り直しつつ、とりとめもないブログ記事を書き継いでいくことにいたします。
今日はここまで。
「無限の後悔と恐怖」は御免こうむりたい、の巻 [時事]
調べてみると、第七夜です。
自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。しかし捕まえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。 そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。 |
時は経て、確か30代の頃、妙な夢を見たことがあります。
朝方か夕方か判然としませんが、どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。「ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ」と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた、という夢だったように思います。何かの機会に、雑談でこの夢の話をしたところ、原水爆禁止運動にながく取り組んでこられたKさんに、「kazgさんも疲れてるなあ」と同情されました。
時は、SDI(戦略防衛構想=スターウォーズ計画)を掲げて宇宙的規模での核軍拡を強めるアメリカレーガン政権と、泥沼のアフガニスタン侵攻をつづけながら核軍拡を進めるソ連(当時)アンドロポフ→チェルネンコ政権との対決姿勢が激化し、米科学誌 Bulletin of the Atomic Scientists の表紙を飾る「世界終末時計」の針が三分前を示した1980年代前半のことでした。
「一億総被爆死」というフレーズが、絵空事ではなく説得力を持ちました。
余談ながら東欧・ソ連崩壊を経て、1990年代に一七分前まで押し戻された針が、地球温暖化の進行、フクシマ原発事故、核軍拡などの情勢を踏まえてふたたび刻々と終末に向かい、いま、トランプ政権の登場を受けて二分三〇秒前まで進められたことは、嘆かわしいことです。
不吉な相似はこれにとどまりません。
レーガンと熱い抱擁を交わし、「ロン・ヤス」と睦まじくファーストネームで呼び合うつナカソネヤスヒロ首相は、対米忠誠の証に「日本列島を(アメリカのための)不沈空母にする」と公言していました。「戦後政治の総決算」を掲げて、「自主憲法制定」を柱としながら、国民のいのちとくらし、民主主義を犠牲にする「臨調行革」を強行し、大規模な軍拡を進めました。「草の根保守」の運動を組織・育成しながらその路線を推し進めていくのもお得意の手法でした。
さて、現下の情勢については、多言を労する必要はないでしょう。より稚拙に、より戯画的に、そしてより乱暴に、事態が進んでいるように思えてなりません。
「週間朝日」のこの記事、室井佑月サンに大賛成です
室井佑月が政府の北朝鮮への対応に「さもありなん」?
おどろおどろしい音楽に乗せて、米軍の巨大な原子力空母や、北朝鮮の軍事パレードなどがテレビで頻繁に映し出される。ミサイルの種類の説明をやってたり。 ほんで、安倍首相が出てきて、 「いかなる事態でも国民を守り抜く(キリッ!)」 みたいなCMよ。 安倍さん、この台詞好きよね。あたしが知ってるだけでも、自民党の役員会と熊本の陸上自衛隊で発言しておる。んでもって、カメラの前でキリッ。決まった、って感じなのだろうか。 報道じゃなく、CMだ。そこで、「どうやって守るんだよ?」という子どもでも考えられそうな簡単な質問も出て来ない。 {中略) もしこの国めがけてミサイルが発射されたら甚大な被害が出るわけで、安倍さんがいう「いかなる事態でも国民を守り抜く」なんて発言は、ただの軽々しい言葉でしかない。 万が一、そういう事態があったとして、マスコミは安倍さんと共に責任を取れるのか? 「いかなる事態でも国民を守り抜く」というその気持ちがほんとなら、最悪なその万が一を絶対に回避するような外交をしているわな。 ISISのテロに狙われる可能性が高くなったのも、北朝鮮のミサイルが飛んで来る確率が高くなったのも、誰のせいじゃ? そういうことをきちんと論じる報道はほぼ皆無。危機を煽れば煽るほどCM効果で、政権支持率は高くなる。馬鹿らしい。 |
NHKのミサイル落下で取るべき行動は 内閣官房のサイト アクセス急増という記事がこう伝えています。
北朝鮮をめぐる緊張が高まる中、弾道ミサイルが落下した際に取るべき行動についてまとめた内閣官房の「国民保護ポータルサイト」へのアクセスが急増していて、国民の関心の高まりをうかがわせています。 内閣官房によりますと、「国民保護ポータルサイト」の閲覧件数は、1年余り前は月10万件前後でしたが、その後は徐々に増えたあと、今月に入って急増し、23日までに570万件を超えています。 このサイトでは、武力攻撃を知らせる特別なサイレンの音を聴くことができるほか、ミサイルが落下した際に取るべき行動について、屋内にいる場合や屋外にいる場合など3とおりの対応を説明しています。 たとえば屋外にいる場合、近くにあるできるだけ頑丈な建物に避難し、そういった建物がなければ、物陰に身を隠したり地面に伏せて頭を守ったりするよう呼びかけています。 また、屋内にいる場合は爆風で窓ガラスが割れることなども考えられるため、できるだけ窓から離れ、できれば窓のない部屋に移動するよう呼びかけています。 内閣官房では、「いざというときに取るべき行動について知ってもらい、万が一、ミサイル落下などがあった際の適切な行動につなげてほしい」と話しています。 |
momotaro様のこの記事リアリティない弾道ミサイル退避マニュアルと「共謀罪大反対!」、さきしなのてるりん様のこの記事 2017-04-27 北朝鮮さんざ煽って我外遊でもご紹介くださっているとおり、日刊ゲンダイ4月26日付け記事が、ばっさり斬っています。
軍事ジャーナリストの世良光弘氏がこう言う。 「発射された北朝鮮の弾道ミサイルが日本に着弾するまで8~10分。発射情報は米軍経由で日本側に届くため、Jアラートが警報を鳴らすのは早くても5分後。つまり、国民が行動する時間は3分しかありません。内閣府のポータルサイトには避難施設も出ていますが、東京都だけでPDFで60ページ。これでは避難施設を探している間にミサイルが落ちてきますよ。それにサリンやVXガスの場合、空気より比重が重いため、政府の言うとおりに地下街などに逃げ込んだら即アウト。(退避マニュアルは)オソマツ過ぎます」 安倍が叫ぶ「万全の態勢」なんて、しょせんはこの程度である。 |
初夏の麦畑です。
ミサイルが飛んできても逃げられません。
国会中継観察日記、の巻 [時事]
前回記事では、籠池証人にたいする、自公の恫喝の異常性について感想を述べましたが、維新のそれには触れそびれていました。
という記事にはこうありましたが、もっともなことです。
3日午後に開かれた森友学園の籠池理事長に対する衆院予算委員会の証人喚問において、質問に立った日本維新の会の衆院議員、下地幹郎(しもじ・みきお)氏の発言にツッコミが相次いでいる。 質問にたった下地氏は、籠池理事長が小学校の設置認可取り下げをめぐり、同党の代表で松井一郎大阪府知事に「はしごを外された」と訴えていることに言及。下地氏はこの件について「松井さんは、あなたの学校ができるようにはしごをかけて」「はしごは外されたのではなく、あなたが自らはしごから落ちた」と声を張り上げた。 まるで「はしご」があったかのようにも捉えることができるこの発言。思想家、コラムニストで神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は自身のTwitter上で、「維新の議員は壮絶なバカですね」と切り出すと、この発言を引用し、「認可に府知事が介入したって自分で証言しちゃっいました」(原文ママ)と指摘した。 さらに、渦中の籠池理事長の独占インタビューに成功し、一躍注目を浴びた著述家で、『日本会議の研究』などの著書がある菅野完(すがの・たもつ)氏も、同様に「『松井さんはしごかけた』って言うてしもうてるがなw 」とコメントしている。 |
備忘のために下地語録、記録しておかねば。
「きょうの答弁はあなたの人生にとって非常に重いものになると思いますよ」 |
この人たちにとって証人喚問は、真相解明のためと言うよりは、都合の悪い証言封殺のためなのですね。
3月23日夜、日本外国特派員協会でも記者会見で、籠池氏は、こう発言しておられます。
「私人を証人喚問するのは、ある意味で異常事態。総理を侮辱したというだけで私人を国会で喚問するなんて、どこの国なんでしょうか。悪口も、ちょっとした陰口も言えなくなるんですか」 「嘘をつくなと、もしもちょっとでも嘘をついたら偽証罪で留置所にいれるぞという脅かしが常にあったという認識をしております」 「さらにそれをテレビジョンで流すことにより、『あいつは何か隠してる悪いやっちゃ』いうような印象操作をかなりしていたんではないかなと思っております」 |
まったくおっしゃるとおりと思います。
昨日は、森友学園への国有地売却交渉時の財務省理財局長だった迫田英典・国税庁長官と、近畿財務局長だった武内良樹財務省国際局長を参考人招致しての質疑が行われました。ま、あんまり期待はしていませんでしたが、一方は偽証罪の縛りがある証人喚問で、一方は参考人。まったくアンフェアです。アンフェアと言えば、名指しを受けた疑惑の主、安倍夫人や、夫人付き秘書、松井大阪府知事の国会招致を拒む自公の態度は、ご都合主義そのものでしょう。
きのうの国会中継でも、こんなやりとりがありました。
安倍首相:なぜ籠池さんが今回証人に呼ばれたかと言えば、
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なんか勘違いしてらっしゃるようです。
もう一つ昨日の国会中継のハイライトシーン。
産経新聞web版は、こう伝えています。
麻生太郎財務相が24日の参院予算委員会で、学校法人「森友学園」の問題に関して答弁した際、野党の質問に色をなして反応した。ふだんは野党の厳しい批判にも余裕の表情を浮かべていることが多い麻生氏だが、共産党議員に「偉そうに」と発言し、山本一太委員長から注意を受けた。 共産党の辰巳孝太郎氏が森友学園への国有地払い下げをめぐり、自民党麻生派に所属する鴻池祥肇元防災担当相の事務所の面談記録について事実関係を麻生氏にただした。 これに対し麻生氏は、共産党の小池晃書記局長が1日の参院予算委で鴻池氏の面談記録を明らかにしたことを念頭に、「訳の分からないところから『メモを取った』と偉そうにいっていた」と発言した。 「偉そうに」発言に野党側が答弁をさえぎるように激しく反応すると、麻生氏も声を張り上げ、「俺は偉そうに聞こえたんだからしようがない」と応戦。さらに、人を指で指すしぐさを交えながら「いつも人をこうやって指さしてワンワンしゃべってる。偉そうに。失礼だろ、それは」とたたみかけた。 最後には野党側から抗議を受けた山本委員長が「答弁のご表現はお気をつけください」と注意した。 |
私の目には、質問中ニタニタと横柄に笑いながら、ぺちゃくちゃ私語を交わしているアベ・デンデンと、アソー・フシュウコンビの行儀の悪い態度の本がよほど偉そうにみえましたがね。アソー・フシュウの明言は、他にもこんなのがあるそうで、なかなかユニークでいらっしゃる。
未曽有 (みぞうゆう) ← みぞう
踏襲 (ふしゅう) ← とうしゅう
頻繁 (はんざつ) ← ひんぱん
破綻 (はじょう) ← はたん
低迷 (ていまい) ← ていめい
詳細 (ようさい) ← しょうさい
焦眉 (しゅうび) ← しょうび
希求 (ききょう) ← ききゅう (YAHOO知恵袋より)
3月ももう下旬。
今日のハクモクレンの花です。
コブシも花盛りです。
今日の付録は、ちょっと季節外れになりそうなストック写真の紹介です。
早春のカワラヒワ posted by (C)kazg
早春のカワラヒワ posted by (C)kazg
早春のカワラヒワ posted by (C)kazg
早春のカワラヒワ posted by (C)kazg
タイワンフウの枝に止まるカワラヒワ posted by (C)kazg
タイワンフウの枝に止まるカワラヒワ posted by (C)kazg
梢の先のカワラヒワ posted by (C)kazg
梢の先のカワラヒワ posted by (C)kazg
鈴なりのカワラヒワ posted by (C)kazg
今日はこれにて。
追悼は命じられてするものでもないでしょう、の巻 [時事]
地元紙「山陽新聞」、今日付朝刊の、一面にこんな「政府広告」が掲載されていました。
人間にとって、格別に心の奥深く、内面の最も大切な部分に属するはずの「人を悼む」という心の働きまでも、政府が命じて統制しようというのでしょうか?政権トップのあの方の傲慢さがダブって見えて、強い違和感を禁じることができませんでした。
ところで、話題のあの偏向幼稚園は、物心がつくかつかないかの子どもたちに教育勅語を暗唱させ、「テンノウヘイカバンザイ」ならぬ「アベシュショーガンバレ」と唱和させることも、いかにやすやすと可能であるかを実践的に証明しました。そればかりか、「大人の人たちは日本が他の国々に負けぬよう、尖閣諸島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・韓国が心改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ、安保法制国会通過よかったです」という長大な宣誓を唱和させる見事さ!
その「道徳教育」を小学校にまで及ぼそうという壮大な実験は、ひとり籠池某(日本会議幹部)なるアナクロはねあがり経営者の突出にとどまらないのではないでしょうか?余りにもがめつく醜悪で、みみっちい金銭問題がクローズアップされて、累が及ぶことを懸念した面々は、トカゲの尻尾切りで幕を下ろしたいご様子ですが、森友学園の「教育」(こんなもの教育じゃない!)が、「安倍教育改革」の端的で戯画的な実物見本であることは、もはや覆い隠すことはできないでしょう。
「私人」と言い逃れようが、妻と自分は別人格と強弁しようが、いったんは名誉校長を引き受け、総理夫人の肩書きで、HPにもこんな文章を寄せていたんですよ。
「籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。 瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。 そこで備わった「やる気」や「達成感」、「プライド」や「勇気」が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。 |
この事実は、たとえ、問題発覚後にこっそり削除してみても、相手方が勝手にしたことと強弁しよてみても、なかったことには決してできませんよね。
また、 「リテラ」のこの記事(稲田朋美が森友学園のため文科省を恫喝)には、塚本幼稚園の偏向教育とイナダさんとの深い関係が、こう紹介されています。
籠池氏と面識があるか問われ、「面識はありますが、ここ10年お会いしておりません」「か、ご、い、け?やすのり?さん」とたどたどしく読み、「面識はあるが、どういった機会で会ったか定かではない」などと曖昧な答弁をしていた。塚本幼稚園を知っていたかについても、「聞いたことはありますけれど、その程度でございます」と答えていた。 しかし「聞いたことがある程度」とは笑わせるではないか。実は、稲田防衛相は過去に、塚本幼稚園をめぐって、文科省に圧力をかけていたことがあるのだ。文科省が塚本幼稚園の教育勅語暗唱を「適当でない」とコメントしたのに対し、「なぜいけないのか」と恫喝していたのである。 実は、この事実は稲田防衛相が自ら認めていることだ。「WiLL」(ワック)2006年10月号の新人議員座談会で稲田は自慢げにこう語っているのだ。 「教育勅語の素読をしている幼稚園が大阪にあるのですが、そこを取材した新聞が文科省に問い合わせをしたら、「教育勅語を幼稚園で教えるのは適当ではない」とコメントしたそうなんです。 そこで文科省の方に、「教育勅語のどこがいけないのか」と聞きました。すると、「教育勅語が適当ではないのではなくて、幼稚園児に丸覚えさせる教育方法自体が適当ではないという主旨だった」と逃げたのです。 しかし新聞の読者は、文科省が教育勅語の内容自体に反対していると理解します。今、国会で教育基本法を改正し、占領政策で失われてきた日本の道徳や価値観を取り戻そうとしている時期に、このような誤ったメッセージが国民に伝えられることは非常に問題だと思います」 |
そして、「文春」オンライン(http://bunshun.jp/articles/-/1658)の記事。
稲田朋美防衛相(58)の夫・龍示氏が、森友学園の弁護士を務めていたことが「週刊文春」の取材でわかった。 稲田氏は昨年10月、防衛大臣名で森友学園の籠池泰典理事長(64)に感謝状を贈っている。稲田氏は以前、小誌の取材に「籠池氏が長年にわたり、自衛隊の部隊との交流等を通じて、防衛基盤の育成と自衛隊員の士気高揚に貢献された」と説明していたが、国有地問題が国会で追及されると「取り消しを検討する」と態度を一変させた。 |
国会での追及に、「私が弁護士時代に森友学園の顧問であったということはありませんし、また法律的な相談を受けたこともありません。」と大見得を切ったイナダさん、夫の龍示サンの行動は、ご自身に関わりないことなんですかね?「私人である夫の弁護士活動について逐一お答えする立場にありません」(週間文春)だそうです。オヤ、また「私人」だ。便利な言葉です。
お気に入りの教育勅語には、こんな徳目が書いてあるのですがね。過去記事(◇小豆島の旅(2)岬の分教場の巻)からの引用です 。
ウィキペディアは、教育勅語のポイントを「12の徳目」としてこのようにまとめています。 12の徳目 1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう) 2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう) 3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう) 4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう) 5.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう) 6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう) 7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう) 8.以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう) 9.德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう) 10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう) 11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう) 12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう) |
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
などは、口先だけの建前に過ぎず、12の、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」だけが肝要と割り切っておいでなのでしょうか。
そういえば、籠池理事長の認可申請取り下げの記者会見とほぼ同時刻に、アベ首相が「緊急記者会見」を開いて、南スーダンからの自衛隊撤退を表明しました。この撤退は、遅きに失したとは言え、国民の意思に合致したものであることはたしかでしょう。しかし、理由は曖昧なまま、なし崩しでコトをすすめるお得意の手法は、相変わらずです。
なし崩しと言えば、東日本大震災の発生翌年の2012年から3月11日に合わせて開いてきた首相記者会見を今年で打ち切りました。震災から6年となり、「一定の節目を越えた」(政府関係者)と判断したとのこと。政府主催追悼式で式辞を朗読するが、会見は行わないのだそうです。森友学園問題での質問が浴びせられることを避けたのだろうともっぱらの噂ですが、他に理由が見当たりませんよね。
さて、冒頭紹介した本日付地元紙「山陽新聞」では、コラム「滴一滴」(http://www.sanyonews.jp/article/499985/1/?rct=tekiitteki)に、シンガー・ソングライター斉藤和義さんの歌が紹介されていました。
シンガー・ソングライターの斉藤和義さんには、CDに収めていない人気曲がある。自らのヒット曲の題名の「好き」を「ウソ」に変えた「ずっとウソだった」である。福島第1原発の事故を目の当たりにして作った▼事故直後にはネットの動画サイトで話題を集めた。教科書もCMも原発は安全と言っていた。うそでだまして想定外と言い訳している―。そんな歌詞で安全神話の崩壊を歌う。 |
私はこの斉藤さんのことも「ウソ」という歌のことも、この記事で初めて知りましたが、興味をそそられて、ユーチューブで確かめてみました。
https://www.youtube.com/watch?v=lY4j9KoEtA0
「ひょうひょうとした中にも強いメッセージが伝わってきた」(前述コラム記事)という紹介の通りでした。カクサンしたいです。
ウソでしたごめんなさいと、しっかりケリをつけて欲しいものです。
桃の節句のウソ
これは今日の散歩で見かけたケリ(鳧)です。
次は、昨日見かけたタゲリ(田鳧)です。遠いので色が不鮮明ですが、頭の飾りがおしゃれです。
三寒四温とはよく言ったもので、寒暖の差が大きいです。朝は薄氷が張っているかと思うと、昼間が陽射しが暑いほどです。
これは河津桜でしょうか?近くの公園(自然環境体験公園)に咲いていました。
マンサクもしっかり咲いています。
梅です。
シロハラ。
物陰からヒヨドリ。
物陰からシメ。
はなはだ失礼、不完全画像です(汗)。
シメで締めくくりそびれたので、ジョビ子ちゃんにトリをつとめていただきます。
今日はこれにて。
不時着と言うには無残!オスプレイ [時事]
オスプレイの事故を、so-netニュースから引用します。(出典はTBSニュース)
(http://news.so-net.ne.jp/article/detail/1327789/?nv=c_article_related_text
朝のニュースでは、「オスプレイが不時着」と聞きました。「不時着」と「大破」では印象がずいぶん違います。たまたま今回は海上でしたが、民家や商業施設の上空、病院や学校、保育所の上空だったら、どんな悲劇が起こらなかったとも限りません。
オスプレイについては、過去に記事にも何度か書いてきました。
2014年1月の記事。
◇はつはるや とりどりの鳥 撮りました
ミサゴは、英語でオスプレイと言うそうです。 沖縄はじめ、日本への配備が問題となっている垂直離着陸機のニックネームですね。 天空から猛スピードで思いっきりよく海中に突入し、勇猛果敢に獲物を捕らえるこの猛禽の、颯爽とした美しさ、勇ましさにちなんだ名づけでしょうか? でも、その、航空機のオスプレイの方は、あまりにも事故が多くて、ウィドウ・メーカー( widow maker, widowmaker)=「後家製造器」「未亡人製造器」と揶揄される欠陥機だそうな。 折しも、一月八日付の「琉球新報」web版に、「第15回北方領土返還平和条約締結促進全国誌上川柳大会」(北方領土川柳社主催)で、県川柳協会会長の大田かつら(洲鎌恵子)さん(66)= 豊見城市=の作品「沖縄の平和遠退(とおの)くオスプレイ」が特選に選ばれた、という記事が載っています。 大田さんは、昨年末の仲井真弘多知事の辺野古埋め立て承認について、 人間のエゴがジュゴンの海奪い ジュゴンすむ海札束で売った知事 と詠んで批判したとも記されています。全くもっともなことです。 安全性も確認できないまま、世界でもまれな大量配備を強行するのは、アメリカが、いまだに日本を属国と見下し、とりわけ沖縄を準「占領地」と見なしていることのあらわれですか? いやそれよりも、安倍さんを筆頭に、歴代日本政府とオエライさんが、沖縄県民を初め日本の国民の思いに、いささかも心を寄せようとせず、ジャイアン親分の鼻息ばかりうかがってきたことの延長線でしょうかね。 そんなとき、同じ「琉球新報」今日付WEB版に、米国やオーストラリアなどの世界的に著名な文化人や識者ら29人が7日(日本時間8日)、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を中止し、即時返還を求める共同声明を正式に発表した、と報道されています。声明の呼び掛け人には言語学者のノーム・チョムスキー氏、アカデミー賞受賞の映画監督オリバー・ストーン、マイケル・ムーアの両氏、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイア氏、ピュリツァー賞受賞者のジョン・ダワー氏ら29人が名を連ねた、とあります。 さて、どうする?日本人! |
◇沖縄の方々の気持ちにより添うってどういうこと??
昨日は、カーラジオから流れてくる安倍さんの施政方針演説を、聞くともなく聞いていました。 第168回国会の代表質問を前に、突如辞任された第一次安倍内閣の頃に比べて、お声にも張りがあり、若々しく、お元気そうで何よりでした。 あの名護市長選挙で、保守候補の応援に立った元官房長官の野中さんの発言が、こんな記事に紹介されていました。 「沖縄の人たちを札束でしばき、踏みつけるような手法を取ってはならない」。野中広務元官房長官は18日、沖縄県名護市で街頭演説し、安倍政権の米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題への対応に苦言を呈した。 このような政友からの「ブレーキ」にも、まるで斟酌の様子もなく、話題は安全・安心の問題に及び、自衛隊員の献身性への慰労、感謝、激励、賛美の言葉が続きます。続けて、「積極的平和主義」「集団的自衛権」などの持論が展開され、日米同盟・在日米軍の重要性が強調されます。その文脈の中で、沖縄問題が語られるのです。 在日米軍再編については、抑止力を維持しつつ、基地負担の軽減に向けて、全力で進めてまいります。 でも、安倍さん。「沖縄の方々の気持ち」とは、「沖縄の苦難を他の地方に押しつけない。」、「沖縄を二度と侵略の足場にさせない。」 、「核も基地もない緑で平和な、自然豊かな沖縄をまもる」、「札束で心は売らない。」ということではなかったでしょうかね? そして、「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」というなら、先の戦争が、他国に対しては侵略の、自国民に対しては抑圧と暴虐の歴史に他ならなかったこと、そして唯一戦場とされた沖縄の悲劇の大本はその点にあることを、まず真摯に認める所から出発しなければならないのではないでしょうかね? |
オスプレイはウィドウ・メーカー( widow maker, widowmaker)=「後家製造器」「未亡人製造器」とよばれるほどの事故多発機で、危険であるだけでなく、耐え難い騒音で迷惑千万、という当然の住民感情を尻目に、日米政府は、高江ヘリパッド工事強行をはじめ、沖縄、本土へのオスプレイ導入をはかっています。先の熊本地震でも、災害支援物資の運搬のためにあえてオスプレイを投入し、PRにつとめました。
政府と御用言論家は、「オスプレイは安全」と、まことしやかに言いつのっていますし、ネットを探ると、そうした論がかなり幅をきかせているようですね。
そんな話題を検証する上で、こんな記事が参考になりましたのでご紹介しておきます。
◇オスプレイ事故率 「民間航空機より低い」 産経サイト、一部記述を削除
【GoHooレポート4月22日】産経新聞は4月20日、ニュースサイトに「一部メディアのオスプレイ叩きに被災者から批判の声 『露骨な政治的パフォーマンスでは…』」と見出しをつけた記事を掲載した。当初、この記事には、オスプレイMV-22の事故率が海兵隊平均より低く、「この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという」と記されていたが、同日中にこの部分を含む一部記述が削除された。サイトには、この記述を削除したことや訂正文は記されていない(参照=産経新聞ニュースサイトの記事)。 〔中略) この記事は、熊本地震で在日米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイMV-22が支援活動に当たったことについて、複数の日本メディアが批判的に報じたことを問題視したもの。削除された部分は「米当局が明らかにしたMV22のクラスA事故率は1・93で、海兵隊の平均事故率2・45を下回る。この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという」と記載されていた。この「クラスA事故率」とは、10万飛行時間あたりの「クラスA」の事故率で、防衛省が2012年に米側資料に基づいて公表されている。米軍独自の基準で、被害総額が200万ドル以上あるいは死亡等の重大な結果を引き起こした場合が「クラスA」とされている(参照=防衛省の2012年9月発表資料)。 一方、民間航空機については、たとえば国際ビジネス航空協議会(IBAC)が10万飛行時間あたりの事故率を公表しているが、米軍の「クラスA」と同様の方法で事故率が発表されている事実は確認できなかった。そのため、MV-22の「クラスA」の事故率が「大韓航空や中華航空よりも低い」という指摘は、裏付けとなるデータがなかった可能性が高い。 産経の記事は当初、20日午前7時26分ごろにニュースサイト上に掲載された後、同日正午ごろに差し替えられたとみられる。記事は22日正午現在、産経ニュースサイトで過去1週間のアクセスランキング1位となっている。Yahoo!ニュースに掲載された記事も、同じ箇所が削除され更新されていたことを確認した。 産経の記事で削除された記述は、以下のとおり(削除されたのは太字部分)。 一部メディアのオスプレイ叩きに被災者から批判の声 「露骨な政治的パフォーマンスでは…」 …(略)… そもそも、日米同盟がある以上、被災地支援に利用できる米軍の航空機を使用するのは当たり前で、政治的な判断を必要とするのも当然だ。オスプレイ投入を政治利用と腐し、自衛隊の存在そのものに否定的な勢力の論法だと、自衛隊の災害派遣も、自衛隊を正当化する政治利用だということになりはしないか。 こうしたメディアが振りかざすオスプレイの危険性も事実からは遠い。 米軍は事故について、死者や200万ドル(約2・1億円)以上の損害が出た事故をクラスA、より軽微な事故を順番にクラスB、Cとランク付けしている。 米当局が明らかにしたMV22のクラスA事故率は1・93で、海兵隊の平均事故率2・45を下回る。この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという。 これまでもオスプレイは沖縄県の普天間飛行場への配備時など、執拗な批判にさらされてきた。しかし、物資輸送をはじめ、災害発生間もない被災地のさまざまな需要に応じるため、オスプレイを活用しない理由はない。主力輸送ヘリCH46と比べ、速度は約2倍、航続距離は約4倍で、積載量も約3倍といずれの性能も上回るからだ。 救援活動での活躍は、ことさらオスプレイの危険性を強調し、過剰ともいえる議論をリードしてきた一部メディアにとっては“不都合な真実”になりかねない。しかし、露骨な反対運動のアピールは、逆に被災者や関係者の怒りや失望を買うだけではないか。 (産経新聞ニュースサイト2016年4月20日07:26掲載) |
「米当局が明らかにしたMV22のクラスA事故率は1・93で、海兵隊の平均事故率2・45を下回る。この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという。」と、鬼の首を取ったような論が、ネット上でも繰り返されています。
これに対して、琉球新報の次の記事は、完膚無き反駁となっています。
◇<社説>オスプレイ事故率 重大事故の危機自覚せよ
政府や米軍が喧伝(けんでん)する「安全性」は信用に値しない。即刻、沖縄の空から去るべきだ。 垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの10万飛行時間当たりのクラスA(重大事故)の事故率が、普天間飛行場に配備された2012年の1・93件から、15年末時点で3・69件に増加したことを米海兵隊が明らかにした。 わずか3年余でクラスA事故率が約2倍になった。政府は「一般に飛行時間の増加に伴い(事故率は)低減する」と説明してきたが、それとは逆のことが起きているのだ。 民間機ならば同型機の飛行を止めるような異常事態だ。バッテリー発煙トラブルを起こしたボーイング787は原因を究明するために4カ月間、飛行停止した。これが航空機の安全運航を維持する上でのルールであろう。 しかし、在沖米海兵隊は重大事故が起きてもオスプレイの飛行を続けてきた。政府はこのような無謀な飛行を見過ごしてはならない。住民の安全を守る観点から、飛行停止を米側に求めるべきだ。米軍機を特別扱いする理由はない。 ところが、そのような強い姿勢が政府には皆無だ。そればかりか、オスプレイの安全性や事故率に対する関心の薄さが露呈した。 防衛省が15年5月に公表したクラスA事故率は14年9月段階の2・12件であり、14年10月に北アラビア湾で発生した重大事故を反映した数値は公にしていない。同省は、既に発表したものから更新された数値は把握していないと答えている。事故率公表に及び腰では、「安全性」を説く資格はない。 オスプレイをめぐっては隠蔽(いんぺい)や偽装が付きまとってきた。 10年にアフガニスタンで起きた空軍のオスプレイ墜落事故で、「機体に問題があった」とする調査報告を「人為的ミス」に改めるよう軍上層部が圧力をかけていたと米誌が報じた。整備記録のミスなどの不適切な整備作業も米国防総省監査室の調査で判明した。 配備に関しても、防衛省はSACO(日米特別行動委員会)の交渉の時点(1996年)から辺野古新基地へのオスプレイ配備計画を把握していたのに、16年間も事実を隠した。 政府と米軍が住民の安全確保を軽視したままオスプレイの飛行が続けば、悲惨な事故が起きかねない。住民が重大な危機にさらされていることを厳しく自覚すべきだ。 |
「政府と米軍が住民の安全確保を軽視したままオスプレイの飛行が続けば、悲惨な事故が起きかねない。住民が重大な危機にさらされていることを厳しく自覚すべきだ。」という指摘が、改めて現実味を帯びてきています。
沖縄タイムスも、衝撃的な事実を伝えています。
◇米海兵隊オスプレイ、アフガンでの運用率1% 事故率は41倍(2016年1月15日 11:27 沖縄タイムス)
(前略) 事故は全機種平均の41倍 米海軍安全センターが公表した「海兵隊航空機アフガニスタン事故報告書」によると、同国に配備された海兵隊航空機12機種の飛行時間は計12万3645・3時間。これに対し、オスプレイの飛行時間は計723・6時間と極端に低い。 オスプレイの飛行時間を年度別にみると、10年度が15・4時間(ヘリ機能を持つ6機種の合計は1万8509・3時間)で運用率は0・08%、11年度が632・4時間(同2万7562・6時間)で2・30%、12年度が75・8時間(同2万5121時間)で0・30%。3年間で計723・6時間(同7万1192・9時間)で運用率は1・02%となっている。 全12機種のクラスA~Dの事故率(10万飛行時間当たり)は26・69で、3746・8時間に1件の割合で発生。これに対し、オスプレイの事故率(同)は1105・56で全機種平均に対し約41倍、90・4時間に1件の割合で発生。クラスAの事故率(同)は138・19で、12機種平均に対し21倍。ヘリ機能を持つ6機種の平均に対し、30倍となっている。 当地で起きたオスプレイのクラスA~Dの事故は計8件。被害規模が最も大きい「クラスA」(200万ドル以上の損害や死者)は、機内の後部ドアから海兵隊員が転落死した1件で、地上での機体の整備中などに起きたクラスC(5万ドル以上、50万ドル未満の損害や軽度の負傷者)は7件となっている。 機種別ではヘリの事故率が最も高く、2004年に沖縄国際大学に墜落したヘリと同型機のCH53D大型輸送ヘリが6件、米軍普天間飛行場にも配備されているCH53Eが8件。同報告書は総括で「MV22、CH53D、CH53Eの(10万飛行時間当たりの)クラスA~Dの事故発生率は85・16でその他の航空機は11・25」とヘリ事故の高さを強調。また「オスプレイのクラスCに分類される地上での事故が目立つ」と注釈している。 ■オスプレイ「実戦で使えない」 元米国防研究所主任分析官リボロ氏 【平安名純代・米国特約記者】米国防研究所(IDA)の元主任分析官でオスプレイの専門家、レックス・リボロ氏は12日、米海軍安全センターがまとめたアフガニスタンにおける米海兵隊航空機の事故報告書について沖縄タイムスの取材に対し、「現地でのオスプレイの利用率の低さと事故率の高さは驚異的で恥ずべき数字だ。実戦で使い物にならなかったことを立証している」と述べた。 リボロ氏は「同報告書で注目すべきは事故率の高さではなく、利用率の低さだ。これはオスプレイは本来の目的のために使えないことを示している」と強調。「(報告書のなかで)海兵隊のオスプレイ保有数は250機とあるがアフガニスタンでの飛行時間はたったの723時間。一方で、150機のUH1Yヘリの飛行時間は1万6千時間以上だ」と両者の差を指摘。2006年に2機を比較検証した際に、戦地での任務遂行機能に大差がないとのデータを得ていたことを明らかにした。 また、オスプレイの10万飛行時間当たりの事故率が1105・56件となっていることについて「通常、戦地での事故率は平時より高い。平時の事故率が10万飛行時間当たり約6件なのに対し、ベトナム戦時のヘリの事故率は約100件だった。私がオスプレイの機能分析を担当した1992年から2006年時、同機の事故率はおそらくベトナム戦時のものを上回るだろうと予測していたが、1105件という驚異的な数字は想像すらできなかった」と指摘。 02年に当時の海軍長官らに対し、「同機の戦地における事故率は10万飛行時間当たり約100件に達するだろう」と警鐘を鳴らしたところ、「ありえない話だ」と一笑に付されるなど、米軍幹部らが検証結果を軽視していた経由なども説明した。 リボロ氏は、オスプレイがアフガニスタンで運用されなかった理由について「事故発生への懸念」を挙げ、自身が07年から08年にバグダッドに赴任していた際も同様の理由で「ほとんど運用されなかった」と述べ、「残念だが私の過去の予見はすべて的中している。海兵隊は給油が不要な長距離飛行などの特別任務を除き、オスプレイの大半を退かせることになるだろう」と予見した。 |
謙虚に真摯に、「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」べき政権党のヒトたちが、沖縄の心を敵視している以上、いくら「遺憾」を繰り返しても、根本的な反省がないかぎり、事態の深刻さは変わりません。
「反省」どころか、こんな発言を思い出します。
「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」百田尚樹氏発言
自民党議員の質問にこたえたものです。
オスプレイの事故?確率低いので、杞憂です、という論もまことしやかに語られています。
以前、こんな記事を書きました。
◇杞の人の憂いや如何冬菜花(故事成語シリーズ第五回)
杞の人の取り越し苦労を笑える人は幸いです。 今の世の中、空が落ちてこないとは、誰にも言えません。 地面がいつも確かに我々を支えてくれるとも、誰にも言えません。 隕石が原発の上におちてくる可能性はきわめて低く、それは杞憂だと、原発推進派の方々はおっしゃいますし、どこかの国が原発をミサイル攻撃するなどの可能性も考慮に値しないと、その方々はおっしゃいます。「今後も活発な噴火活動が続くと考えられる」という桜島から50㎞しか離れていない川内原発に、降灰が何らかの影響をもたらすなどの心配も、杞憂、、、、。実に、剛胆な、頼もしいお方だすなあ。 せやのに、同じ穴に棲む方々が、「日本を取り巻く安全保障環境は大きく変わり」、集団的自衛権も行使せんならん、憲法九条も実態に合わせて変えんならん、、、と力説なさるのは、杞憂とは言わしまへんのかいな?ほんま、ビックリポンやわ。 (放映中の朝ドラは、視聴率もまずまずだそうですが、個人的にはなぜか今ひとつ感情移入できずに、流し見している程度ですが、上方弁の言い回しだけはなぜか耳に残り、記事を書いてもケッタイナ上方弁の真似っこをしてしまいます。関西の皆様、決して悪意はございません。お許し下さい。) |
午前中、雨は上がっていましたが、強い風がありました。
工場の排煙が真横にたなびいています。
ミサゴ(オスプレイ)が、獲物を運んでいます。
トリミングしてみます。
これは別の個体・
今日はこれにて。
これって脅迫じゃないですか?の巻 [時事]
年金カット法案強行採決時の、アベさんのセリフ。
「私が述べたことを全くご理解頂いていないようであれば、審議を何時間やっても同じですよ」
チンピラヤクザも顔負けですな。
年金法案ばかりか、TPP、カジノ法なども軒並み成立させようと、12月14日まで延長ですと?赤穂浪士討ち入りの日ですか。
一昨日の記事で、吉良よし子議員の参院本会議質問を話題にしました。
日本共産党の「しんぶん赤旗」webペ-ジに紹介記事がありましたのでカクサンさせていただきます。なお、私は、吉良議員のお母さんが学生時代の友人である縁から、その娘のよし子ちゃんのファンです。
一部だけ引用します。
日本共産党の吉良よし子議員は28日の参院本会議で2015年度決算報告への質問に立ち、雇用や社会保障、安保法制の本格運用をめぐる安倍晋三首相の姿勢をただしました。首相は従来の立場に固執して、まともに答えませんでした。 吉良氏は、若者が安心して働き子育てできる社会にしなければ景気もよくならず、「日本に未来はない」と述べ、雇用や社会保障の抜本的な改善を求めました。 雇用について、吉良氏は、大手広告代理店・電通の新入社員が過労自殺した労災事件にふれ、「若者の命をも奪う『ブラック企業』は絶対になくさなければならない」と強調。安倍内閣が法案を提出している裁量労働制の拡大や「残業代ゼロ」制度は、過重労働を合法化したい大企業の要望を取り入れたものだとして撤回を求めました。 吉良氏は、「年金カット法案」について、「公的年金に頼る高齢者に痛みを強い、若い世代の将来不安も増すばかりだ」と批判。廃案を求めました。 (以下略) |
特に年金カット法案の追及のくだり「「公的年金に頼る高齢者に痛みを強い、若い世代の将来不安も増すばかりだ」。よく言うてくれたと目頭が熱くなりました。高齢者と若者世代を対立・分断させといて、両方をひっぱたいで搾り取るアベ流を、若者自身の言葉でズバリ斬ってくれました。
アベさん、こうも言ってのけたそうですね。
「決して皆さんの信用が上がることはないですよ、はっきり申し上げて」
「それで民進党の支持率が上がるわけじゃない」
またまたヤクザか居直り強盗の脅し文句!世界に先駆けてのトランプ詣でを決行して忠犬ぶりをアピールし、元のご主人様のオバマさんからも、世界の心ある人々からもケーベツされていることもご存じなく、国の本当の主人である国民に対しては、傲岸不遜の奢りよう、、、いずれ「過去の人」として歴史の屑籠に棄てられることは間違いないでしょうが、できうれば害悪の少ないうちに、さっさと退場していただきたいものです。
滅多に使うことのないケンコーミラーレンズ400mmを、昨日から持ち出しています。
Kenko 望遠レンズ ミラーレンズ 400mm F8 マニュアルフォーカス フード付 ペンタックスK用 ブラック フィルム/デジタル一眼対応
- 出版社/メーカー: ケンコー
- メディア: Camera
最短撮影距離 1.15 m
最大径x長さ 74x82 mm
重量 340 g
コンパクトさが好ましいです。
ノートリミングで、これくらいの大きさに写るのはありがたいのですが、ピント合わせが難しいのと、f8.0の暗さでは、晴れた日中でないと手ぶれが必至です。コントラストの甘い画質は、価格相応と言うところでしょうか。
午前中、久しぶりにいつもの散歩コースをあるきました。
久しぶりのカワセミ写真です。
トリミングしています。
ジョウビタキ♂もお目見え。
小川(用水路)のコガモの群れ、個体数が増えたようなきもします。
きょうはこれにて。
まわり道してつづき聞くカーラジオ [時事]
2年前のこの記事◇貸切紅葉に、こんなことを書きました。
主治医から、今年も、インフルエンザの予防接種を勧められていました。 去年までは、一度も接種したことがなかったのですが、肺の一部切除という身体状況を踏まえて、去年初めて接種することにしました。でも、その病院では料金が高いので、かかりつけ医にお願いしてはと、看護師さんに勧められ、その通りにしました。 そういうわけで、今年も、 シーズン到来とあって機会をうかがっていたのですが、今日、いつもの薬をもらうついでに終わらせることにしました。 |
この時は、その足で深山公園を散策し、紅葉や冬鳥、カモなどを写して帰ったのでした。今日も似たようなことを思いついて、長めの望遠レンズを用意して出かけました。
昨日、一昨日に下書きしておいたブログ記事の仕上げ二時間を費やした後、かかりつけ医に向かう道すがら、カーラジオから国会中継が聞こえていました。各党代表が短時間質問する参院本会議決算質疑の中継で、ちょうど共産党の吉良よし子さんの質問が始まりました。
以前この記事に書きましたが、吉良さんは学生時代の友人の娘さんですので、その活躍は、他人事とは思えません。
◇これでまた病気自慢に箔がつき
自身の備忘のために古い記事を掲載しておきます。 開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。 選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。 東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。 |
限られた時間に、国民の思いを余すところなくぶつけようとの思いの強さからか、少し硬調で早口の、読み上げ口調ですが、憲法、暮らし、雇用、働き方、年金・社会保障、南スーダン等々の重大問題を、理路整然と、淀みなく、しかも意志強く追及していました。新入社員の高橋まつりさんを自殺に追いやった過労とパワハラの問題、ライフワークのブラック企業、不安定雇用の問題など、若者に未来への希望を持たせない日本社会のあり方への追及は、抑えた口調ながら迫力満点で、要所要所でうんうんとうなずきながら聞きました。涙腺が強く刺激され、視界がかすむこともしばしばでした(アブナイアブナイ)。そのままでは質問途中で病院へ着きますので、あちらこちら遠回りをして終わりまで聞きました。
それにしても、アベ氏の聞く態度も、答弁内容も、いつものことながら、質問者を、つまり国民を軽んじているとしか思えない不真面目なもので、憤慨に堪えません。
数をたのみに、強行採決と会期延長で何でもできるというおごりがそうさせるのでしょうか?
でも、相撲には土俵があり、その中で力を競うので面白い。自分の都合で勝手に土俵を広げたのでは、フェアな勝負は成り立ちません。どんなスポーツも、ルールがあるから楽しめる。負けそうだからとその都度ルールを変えて勝ったところで、誰も勝者とは認めません。審理を尽くさない強行採決も、ほしいままの会期延長も、ルール無用の数の暴力に他ならず、民主主義社会においてはみずからの墓穴を掘る行為だと思い知る時が近いでしょう。
とにかくまあ、予防接種を済ませ、ついでに血圧のお薬もいただいた頃には昼食時間で、散歩する時間的余裕はありません。帰宅して昼食を食べ、パソコンに向かったりしていると、長女がゼロ歳児の姫を連れ、ムコ殿の主張土産を持ってやってきました、今日はムコ殿、夜の会議で帰りが遅くなるとのことで、夕食をこちらで済ますつもり。
それにしても、姫をあやすに、ついつい名前を呼び間違えてしまうのには困ったものです(笑)
一昨日の大阪城の写真を載せておきます。
きょうはこれにて。
この鶴は困りもの。そして、トランプ勝利で問われる「日本の道」、の巻。 [時事]
「見鶴鴨」を、「見つるかも」と読ませ、「見た(会った)ことだったなあ」の意味を表したという話題を、先日の記事で書きました。
しかし、この鶴はいただけません。
TBSニュース機動隊員の土人発言、鶴保大臣「差別と断定はできない」
「朝日新聞digital」2016年11月8日付から引用します。
◇鶴保大臣「土人発言、差別と断定できない」 野党は批判 沖縄県東村の米軍ヘリパッド建設現場付近で、大阪府警の機動隊員が抗議活動をしている人に「土人」と発言した問題について、鶴保庸介・沖縄北方相は8日、「『土人である』と言うことが差別であるとは個人的に断定できない」と述べた。参院内閣委員会で田村智子氏(共産)の質問に答えた。 鶴保氏は「人権問題であるかどうかの問題について、第三者が一方的に決めつけるのは非常に危険なこと。言論の自由はもちろんどなたにでもある」と主張。「その(土人という)言葉が出てきた歴史的経緯には、様々な考え方がある。現在、差別用語とされるようなものでも、過去には流布していたものも歴史的にはたくさんある」と持論を展開した。 この問題が県民感情を損ねているかどうかについては「県民感情を損ねていると、私が断定するものではない。申し上げる立場にない」と述べた。山本太郎氏(自由)の質問に答えた。 土人発言をめぐっては、金田勝年法相が先月25日の参院法務委員会で「土人」は差別用語にあたるとの認識を示した。菅義偉官房長官も「発言は許すまじき行為」と語っている。 (後略) |
◇鶴保庸介沖縄担当相が「土人」発言を擁護!「差別とは断定できない」「昔は差別語じゃなかった」 これは差別の上塗りだ。──沖縄県の東村高江での米軍ヘリパッド建設に反対する市民に機動隊員が「土人が」と暴言を吐いた問題で、鶴保庸介沖縄担当相が信じがたい発言をおこなった。 それは本日、開かれた参院内閣委員会でのこと。共産党の田村智子議員から「土人」発言問題の見解を問われると、鶴保大臣がこう言い放ったのだ。 「(田村)委員はくしくも『土人という発言が差別以外の何物でもない』とおっしゃったけれども、それこそが、申し訳ないけれども、私は判断できるものではないというふうに思っています」 「土人」と人を罵る行為が差別に当たるかどうか判断できない。……まったく見識を疑わざるを得ない発言だが、さらに鶴保大臣は、不敵な態度でこうも述べた。 「過去に土人という言葉の経緯でありますとか、その言葉が出てきた歴史的経緯でありますとか、さまざまな考え方があります。また、現在、差別用語とされるようなものであったとしても、過去には流布しておったものも歴史的にはたくさんございます。そういう意味におきましても、それを土人ということが差別であるというふうには、私は“これは差別である”というふうには断定できません」 鶴保大臣はもっともらしく語ったが、頓珍漢にも程がある。「土人」という言葉が差別的に使用されてきた歴史があるからこそ、「土人」と人に向かって投げつけることは差別行為だと現代社会では見なされている。なのに鶴保大臣は「昔は差別語じゃなかったから」という理由で「差別と断定できない」と言うのだ。「歴史的経緯」と言いながら、鶴保大臣こそそれをないがしろにする張本人ではないか。 しかもだ。鶴保大臣は「土人」発言が発覚したあと、会見で「ことさらに我々が『これが人権問題だ』というふうに考えるのではなくて、これが果たして県民感情を損ねているかどうかについて、しっかり虚心坦懐につぶさに見ていかないといけないのではないか」などと担当相でありながら沖縄県民の気持ちを見くびるような発言をしていたが、本日の同委員会で生活の党・山本太郎議員から“つぶさに見た結果”を問われ、こう答弁したのだ。 「県民感情を損ねていると私が断定するものではありません」 |
「リテラ」は、すでに10月20日付でこんな記事を掲載していました。
◇機動隊員の沖縄差別は「土人」発言だけじゃない!「バカ」「シナ人」…差別意識を助長させる安倍政権 沖縄への信じがたい蛮行が明らかになった。政府によって強行的に米軍ヘリパッドの建設工事が進められている沖縄県の高江で、建設反対派として抗議運動を行っていた芥川賞作家・目取真俊氏に対し、機動隊員が「触るな、土人」などと発言していたのだ。 このときの動画や音声はYouTube上にアップされているが、たしかに機動隊員が巻き舌で「触るなクソ、どこ掴んどるんじゃ、このボケ」と威嚇し、そのあと吐き捨てるように「土人が」とたしかに言っている。 言うまでもなく「土人」は「野蛮」「未開人」という意味で使われる蔑視の言葉であり、差別用語として認識されているものだ。沖縄県警によるとこの機動隊員は大阪府警から派遣された人物で、県警は19日、発言を認めて謝罪した。菅義偉官房長官も慌てて「許すまじきこと」とコメントしている。 しかし、今回の差別発言は、ひとりの機動隊員が「うっかり言ってしまった」という問題ではない。実際、8月の時点から機動隊員が反対派市民に「バカ」「気持ち悪い」「おまえなんか殴る価値がない」などと暴言を吐いていることが確認されており、今回の「土人」発言が飛び出した際にも、別の機動隊員が「黙れ、コラ、シナ人」と発言していたことが発覚しているからだ。 (中略) そうしたなかで、同時に警察が差別発言を平気で口にしていることは、決して無関係ではない。 たとえば、米軍では戦地で躊躇なく人を殺すため、兵士たちに「相手は人間ではない」と教え込むが、そのために現地に住む人々を差別視することを叩き込まれてきた。そして、ベトナム戦争時や、まさに占領期の沖縄で、米兵は住民たちを「Gook」、すなわち「土人」と呼んできたという事実がある。 相手は自分よりも劣った「土人」なのだから何をしても許される。──国家権力は暴力を正当化するため、差別感情を利用し、兵士たちにすり込んできたのだ。いま、沖縄で横行しているのは、これとまったく同じことなのである。 現に、橋下徹とともに安倍首相との距離を縮める松井一郎大阪府知事は、問題の「土人」発言について〈ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。〉などと機動隊員を擁護。よりにもよって差別を肯定したのだ。 また、鶴保庸介沖縄担当相も、沖縄への露骨な差別感情を隠そうとはしない。鶴保沖縄担当相は就任早々「沖縄の振興策と基地問題は確実にリンクしている」「予算額を減らすのは当然。消化できないものを無理やりお口開けて食べてくださいよでは、全国民の血税で使われているお金を無駄遣いしているという批判に耐えられない」などと、沖縄を馬鹿にしているとしか思えない言葉を吐いたからだ。 このような発言に、沖縄タイムスは〈沖縄の人たちを見下すような意識が見え隠れする〉〈「無理やりお口を開けて…」という表現は、県民を侮蔑した例え〉と社説で強く批判、琉球新報も安倍首相の任命責任に言及し〈信頼を失った沖縄担当相の更迭を判断すべき〉と迫った。しかし、安倍首相が鶴保沖縄担当相の発言を問題視することはなく、もはや“失言”とさえ認識していないのだ。 機動隊員による「土人」発言は、安倍政権が民主主義や基本的人権さえ奪って圧制しようとしている沖縄への態度があって、そこから生まれているものだ。つまり、「土人」という差別発言は、政権の心情の発露でしかない。 |
「朝日新聞digital」10月21日付にこんな記事がありました。
沖縄県東村の米軍北部訓練場ヘリパッド移設工事の警備中、抗議する人たちに「土人」「シナ人」などと発言した大阪府警の2人の男性機動隊員について、府警は21日、「軽率で不適切な発言で、警察の信用を失墜させた」として共に戒告の懲戒処分にし、発表した。府警が不適切発言で懲戒処分にしたのは初めて。 監察室によると、男性巡査部長(29)は18日午前9~10時、「どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」と発言。男性巡査長(26)がほぼ同時刻、近くで「黙れ、こら、シナ人」などと言ったという。巡査部長は10日、巡査長は11日から現地で警備にあたっていた。 巡査部長は「(抗議する人が)体に泥をつけているのを見たことがあり、とっさに口をついて出た」、巡査長は「過去に(抗議する人に対して)『シナ人』と発言する人がいて、つい使ってしまった」と説明。2人とも「侮蔑的な意味があるとは知らなかった」と話した、としている。 府警は同日付で2人を監督していた男性警部(41)も所属長口頭注意とした。 高木久監察室長は「誠に遺憾。今後このようなことがないよう指導を徹底する」との談話を発表した。 |
◇「土人」発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が! ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動 (前略) これは2名の機動隊員がたまたま差別思想をもっていたという話ではない。実は、警察組織の中では、こうした沖縄差別、外国人差別は日常化しており、今回の一件はそれがたまたま露呈したにすぎない。全国紙の公安担当記者がこう解説する。 「警察組織内部、とくに警備や公安の間で、沖縄の基地反対派への差別的な悪口がかわされるのは、けっして珍しい話じゃない。彼らは、基地反対派にかぎらず、共産党、解放同盟、朝鮮総連、さらには在日外国人などに対しても、聞くに堪えないような侮蔑語を平気で口にする。我々の前でもそうですからね。これにはもちろん理由があって、警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われるからです。その結果、警察官たちには、彼らに対する憎悪、差別意識が植え付けられていく。軍隊ではよく、敵国の人間を自分たちとまったくちがう下等な生物扱いをして兵隊の戦意を煽るといいますが、それとまったく同じやり方ですね」 実は、こうした警察の“差別思想養成教育”の存在を裏付けるような話をキャッチした。警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」というのだ。 その専門の雑誌というのは「BAN」(株式会社教育システム)。聞きなれない名前だが、警察官しか読むことのできない警察官のための月刊誌だという。 「『BAN』は警察官専用の『29万人のための総合教養情報雑誌』というフレコミで、警官の昇進試験の対策本を出版している警察の天下り会社が発行しています。警官ならば、直接購入もできますが、そのほとんどは各警察署の図書係を通じて購入するシステムです。たしか警察の図書係を通じて買うと、割引になるんじゃないですかね。各警察署で推薦、斡旋もしていますし、いわゆる警察の“推薦図書”“専用雑誌”ですね」(警察関係者) ところがその“警察推薦専用雑誌”の最新号、2016年11月号を調べてみると、とんでもない人物が寄稿していることがわかった。同号は「どうする沖縄 米軍基地の今後」という特集を組んでいるのだが、あの恵隆之介氏が寄稿しているのだ。 恵氏といえば>沖縄出身のジャーナリストを自称しているが、元海上自衛隊で基地反対派に“デマ攻撃”を仕掛けてきた人物。たとえば、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国太子党出身”などとメディアで語っていたが、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、未婚だった。 しかも、今回の機動隊による「土人」「シナ人」差別発言についても、恵氏はFacebookでこんな投稿をしていた。 〈昨年、翁長知事は国連人権委員会で「沖縄人は先住民、自決権を尊重せよ」と自己差別的発言をしました。要するに自らを一種の「土人」とアピールしたのです。 今度は大阪府警の機動隊員が基地反対派左翼に「土人」と発言しただけで「差別」ですって?〉 「土人」の意味を強引にすり替えることで、かえって自身の差別意識をさらけ出している恵氏だが、恐ろしいのは、警察推薦の雑誌がこんなトンデモな言論を放つ人間を堂々と起用していることだろう。 もちろん内容も推して知るべしで、くだんのFacebookで恵氏は「BAN」に書いた記事をこう紹介している。 〈私は幸運にも本日発売の全国警察官雑誌「BAN」沖縄特集にその実態を書きました。要するに恩知らずの左翼をグサリと批判しました。 沖縄に派遣されて基地反対派に罵声を浴びせられながらも必死に国家秩序維持に頑張る警察官諸兄に大きなエールとなると確信します。 恵氏の文章が警察官の沖縄差別、基地反対派への憎悪を煽ることになるのは確実だが、「BAN」のこうした偏向記事は同号だけの話ではない。バックナンバーを見てみると、執筆者や登場人物には、極右、ヘイト言論人がずらり。そのラインナップは「正論」(産経新聞社)や「WiLL」(ワック)と同じ、いや、「ジャパニズム」(青林堂)レベルの“ネトウヨ雑誌”かと見紛うほどなのだ。 (中略) しかし、一番驚かされたのは、06年11月号の特集「外国人犯罪の現場」だ。なんとこの特集に、近年のヘイトデモの中心人物のひとりである瀬戸弘幸氏を登場させ、持論を展開させているのだ。> 瀬戸氏はネオナチ思想に傾倒し、在特会の桜井誠元会長や、主権回復を目指す会代表の西村修平氏らとともに、「行動する保守」を名乗る運動を牽引してきたキーパーソンで、「NPO外国人犯罪追放運動」なるヘイト団体の顧問も務めている。2010年代に各地のヘイトデモが社会問題化するなか、警察はなぜヘイトスピーチの被害者ではなくヘイトデモ隊を守るのかと批判が殺到していたが、ヘイトデモの代表的存在が警察専門誌に登場していたのだとすれば、それも納得がいく。 それにしても、極右言論界とヘイト界隈をごった煮にしたようなこんなトンデモ編集方針の雑誌を、中立公正であるべき公務員の警察が組織をあげて推薦し、図書係を通じて購読を斡旋していたというのは、今更ながら問題の根深さを感じずにはいられない。 |
トランプ勝利のニュースが世界を「震撼」させています。
トランプで、アメリカは、世界はどう変わるのか?
TPP反対、日米安保条約見直し、米軍基地撤退、無責任な放言癖のなせるわざ、威勢の良い口から出任せかも知れませんが、別によろしいですよ、ご遠慮なくおやりなさい。、日本の核武装容認?いらぬお世話です。
移民政策や、社会保障政策、、、、未知数ですのでコメントできる段階にないですが、「世界の警察官」をやめて国内政策を充実させる?その限りではごもっともと思います。
アメリカがアメリカの道を行き、日本は日本の道を行く。日本がそういう決意を固めれば良いだけのこと。日本の道とはもちろん、安保の道ではなく憲法の道ですがね。
長い文章になりました。用意していた写真は大幅に割愛して、最近のジョウビタキのご紹介です。
散歩道のジョウビタキ♀ posted by (C)kazg
自然環境体験公園のジョウビタキ♀ posted by (C)kazg
自然環境体験公園のジョウビタキ♀ posted by (C)kazg
自然環境体験公園のジョウビタキ♀ posted by (C)kazg
自然環境体験公園のジョウビタキ♀ posted by (C)kazg
散歩道のジョウビタキ♂ posted by (C)kazg
散歩道のジョウビタキ♂ posted by (C)kazg
散歩道のジョウビタキ♂ posted by (C)kazg
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今日はこれにて。
明治の日?まっぴらごめん、の巻 [時事]
「文化の日」という曖昧な名前の祝日になっていることについて、ソネブロのお仲間、gonntan様は、当日の記事にこう喝破しておられました。
昭和21年11月3日 今日は日本国憲法が公布された日 なぜこの日が文化の日となったのでしょう 「人権の日」であってしかるべきなのに |
そして、こう続けておられます。
基本的人権の尊重は弱者の希望の灯りです 強者はどのような環境でも自分の都合の良いように変えられ生きていけるでしょうが 弱者は基本的人権の尊重がなければ人として個人として生きることが難しい |
ご指摘、共感いたします。 「文化の日」というとたしかに淡くやんわりとして、主題がぼんやりごまかされたような気がしますね。命名の意図は、そんなところにあったのかも知れませんね。しかし考えようによっては、「文化」というものは本来、人権をも人間の尊厳をも包摂した、人間活動の総体、人間存在の根幹をなすものかも知れません、その文化が見くびられ、不当にないがしろにされ、経済や損得感情に従属されている現状を破って、文化の復権を期する日、と考えようかと、こじつけてみています。 |
そういう深謀遠慮ならば良いのですが、文化を政治的経済的に利用できるものと考えている人たちのやることですから、末恐ろしいことです。 |
考えれば考えるほど、「憲法公布記念日」として祝うか、その意味を込めて「人権の日」と称することがふさわしいのではと思えてきます。
一方で、別の極から「文化の日」の呼称を不適切と考える勢力が動きを増していることにも驚かされます。
「時事通信」の記事を引用します。
「明治の日」制定へ動き=文化の日、改称狙う-歴史に逆行と批判も・憲法公布70年 11月3日を「明治の日」に改めるよう活動する市民団体の集会であいさつする稲田朋美防衛相=1日午後、東京都千代田区 2018年に明治維新から150年を迎えるのを前に、祝日法を改正して11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改めようとする動きが、保守系の市民団体や国会議員を中心に本格化している。戦前の「明治節」の復活を意図しており、識者からは「文化の日は憲法記念日と一対のもので、名称変更は歴史に逆行する」との批判もある。 「日本の近代国家としての立脚の原点は明治。明治の時代こそ大切だったと全ての日本人が振り返る日にしたい」。1日に東京都内で開かれた「明治の日推進協議会」(会長・塚本三郎元民社党委員長)主催の集会。あいさつした自民党の古屋圭司衆院議員は、約140人の参加者に力強く訴えた。稲田朋美防衛相らも駆け付け、超党派の国会議員連盟結成に意欲を示した。 同会は「昭和の日」制定を推進したメンバーらが11年に結成。役員にはジャーナリストの桜井よしこ氏や、安倍晋三首相のブレーンの1人とされる伊藤哲夫・日本政策研究センター代表らが名を連ねる。この日は約63万8000筆の請願署名を古屋氏に手渡した。 11月3日は明治天皇の誕生日で、明治時代は天長節、その後は明治節として祝われていた。しかし、終戦後の1948年に成立した祝日法は明治節を廃止。日本国憲法の公布日とされたため、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ための祝日とした。 同会の相沢宏明事務局長は「本来のあるべき姿に戻したいとの素朴な思いがあるだけ」と話す。政府も10月に明治維新150年を記念する施策を行うと発表し、「追い風になる」と期待を寄せる。(2016/11/02-16:27) |
記事中に紹介されている「明治の日推進協議会」のHPを訪ねてみると、昨年10月22日「朝日」夕刊を誇らしげに掲載してありました。確かに、これを読むと動きや狙いがよくわかります。
【朝日新聞】「明治の日」復活の動き 明治天皇の誕生日11月3日 「文化の日から変更を」(平成27年10月22日夕刊) 11月3日を「明治の日」に――。「文化の日」をそんな名称に改める祝日法改正運動が一部で熱を帯びている。「国家の独立を守り抜いた明治の先人に思いをはせる日に」と訴え、11月には東京で決起集会が開かれる。こうした動きに「戦後民主主義に反する流れ」と警戒する声も上がっている。 運動を進めているのは「明治の日推進協議会」(塚本三郎会長=元民社党委員長)。小田村四郎・元拓殖大総長やジャーナリストの櫻井よしこ氏らが役員になっている。2008年に発足し、文化の日を明治の日に改めることを求める国会請願のための署名集めや、世論喚起をめざす集会を各地で開催している。昨年の集会には、稲田朋美・自民党政調会長らがかけつけた。 今年11月11日の集会は、田久保忠衛・杏林大名誉教授が基調講演する予定だ。事務局によると、明治の日実現のための推進議連づくりを働きかけており、早ければ3年後の法改正につなげたいという。 役員の一人、大原康男・国学院大名誉教授は、明治天皇の誕生日にあたる戦前の「明治節」にちなんで、11月3日を「明治の日」と変える意義について、「明治天皇は近代国家日本をつくった一番の偉人。根拠があいまいな文化の日ではなく、本来の形に戻したい」と話す。 戦前の明治節は、国家の大事な行事、(1)元日の四方拝、(2)神武天皇が即位した日を建国の日とした紀元節、(3)天皇誕生日である天長節とともに、四大節の一角を占めていた。1927年、「明治天皇の偉業を永遠に伝えていくために」などとして制定され、官公庁、学校、軍隊などで盛大な祝賀式典がおこなわれた。 それが戦後、11月3日に日本国憲法が公布され、文化の日となる。11月3日が選ばれた理由については諸説あるが、暦の研究で知られた岡田芳朗・女子美大名誉教授(故人)の回想によると、戦後、再出発にふさわしい祝日を選ぶ際、文化国家の建設を目的とした祝日を加えたい思惑から文化の日が決まった。日取りを検討する中で、気候がよい明治節の日になったという。 なぜ今、明治の日にする必要があるのか。大原氏は明治の光と影を指摘したうえで、世界史的にも大変化をもたらした特筆すべき時代だったと、明治の重要性を強調する。 「中心は明治天皇であり、今の日本が明治の遺産であることを教育現場で教えれば、明治の日はおのずと実現に近づくはずです」 (後略) |
役員の一人、大原康男・国学院大名誉教授の、「明治天皇は近代国家日本をつくった一番の偉人」「中心は明治天皇であり、今の日本が明治の遺産であることを教育現場で教えれば、明治の日はおのずと実現に近づくはずです」という言葉が、この勢力の歴史観、めざす方向を如実に表しているように思えます。
戦前、「明治節」として祝われた祝日について、平凡社「世界大百科」の解説にこうあります。
世界大百科事典 第2版の解説 めいじせつ【明治節】 明治天皇を記念して制定された祝日。1927年1月25日,貴族院,衆議院は明治節制定の建議を可決し,同年3月3日の詔書で,明治天皇の誕生日である11月3日を明治節と定めることが公布された。祝祭日には,国家的な祝い日である祝日と,皇室の祭典を行う日である祭日とがあったが,明治節は新年節(1月1日),新年宴会(1月5日),紀元節(2月11日),天長節(4月29日)とともに祝日とされた。また祝日のうちでも新年節,紀元節,天長節,明治節は四大節として,学校や軍隊では祝賀式が行われた。 |
式では、こんな歌が歌われたそうですね。
明治節(堀沢周安 作詞,杉江 秀 作曲) 一 亜細亜(アジア)の東 日(ひ)出づるところ ひじりの君の あらはれまして 古きあめつち とざせるきりを 大御光(おほみひかり)に くまなくはらひ 教(をしへ)あまねく 道(みち)明(あき)らけく 治めたまへる 御代(みよ)たふと。 二 恵の波は 八洲(やしま)に余り みいつの風は 海原こへて 神のよさせる みわざをひろめ 民の栄(さか)行く 力をのばし とつ国々の ふみにもしるく とどめたまへる 御名(みな)かしこ 三 秋の空すみ 菊の香高き 今日のよき日を 皆ことほぎて 定めましける みのりをあがめ さとしましける みことをまもり 代々木の森の 代々とこしへに 仰ぎまつらん 大みかど http://www.youtube.com/watch?v=EHrdFZZIN50 |
こんな時代を再現されたのではたまりません。
私にとって「歴史」は子どもの頃から苦手分野で、事件の前後関係やら人物名やら年号やら、いつもごちゃごちゃこんがらがり、調べてもすぐに忘れてしまいます。
でも、そんな歴史音痴の私にも、明治と言えば、西欧の列強に伍して近代国家の仲間入りを果たそうと、「富国強兵」と「殖産興業」を呼号して、近代的政治制度の導入と資本主義の発達を急いだ時代だという認識はあります。それは決して、「日本の近代国家としての立脚の原点は明治」「今の日本が明治の遺産」などと一面的に美化されるべき歴史ではなく、「萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とされる絶対主義天皇制が確立・強化され、前近代的とも言える労働者、農民の犠牲の上に、あいつぐ戦争と、軍国主義化への道を突き進む過程だったことは、論を待ちません。
これまた、ソネブロのお仲間、momotaro様が、10月30日付記事◇戦争を待ち望む危険な心理 ③で、日本の参加した戦争史を『経済効果』の側面から、このように概観されています。
戦争は経済行き詰まりの打開策として実行に移されることが多いようです。しかし本当にプラスの経済効果はあるのでしょうか? 明治維新以後の戦争について、簡単に振り返ってみます。 1894年の日清戦争では、朝鮮の独立を認めさせ、台湾、遼東半島などを手に入れ、賠償金2億両(約3億1000万円。当時の日本の国家予算の2倍以上の金額)をゲットします。さらに日清通商航海条約(欧米と同条件の不平等条約)を結ばせました。 わずか8ヶ月の戦争で大儲けしたと言っていいでしょう。 戦争とは儲かるものという印象を、多くの日本人が持ったものと思われます。 しかし、日本が得たものは清国が失ったもので、支配権・利用権が移転したにすぎず、財貨が増えたわけではありません。戦争は破壊競争ですから、戦場(主たる戦場は朝鮮)で多くの死傷者と財貨の破壊があったわけです。日本側の死傷者約一万八千人、清国側の死傷者約三万五千人と言われています。 日露戦争は1904年2月から1905年9月まで、遼東半島と満州を主たる戦場として行われました。当該地域の派遣覇権を巡って激しい攻防戦が繰り広げられました。 当時の国家予算が2億5千万円、戦争遂行のために国債を発行するなどして調達した金額が18億円。そのうち、緒戦で15億円使ってしまい、戦争続行も難しくなり、アメリカの仲介で講和に持ち込みました。そして、日本の韓国における優越権を認めさせ、南樺太、大連、旅順を譲り受けましたが、12億円を要求していた賠償金は得られませんでした。 人的損害は、日本側の戦没者9万人弱、ロシア側の戦没者約5万3千人と莫大です。 次なる戦争は第一次大戦。1914年から1918年。ドイツ・オーストリア・トルコなどの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国が、主としてヨーロッパを戦場として争った戦争。日本は連合国側につき参戦、中国の利権を拡大するなど、大いなる漁夫の利を得ます。 しかし、大戦参加国の多くは国民経済を総動員する国家総力戦を強いられることとなり、それまでの常識をはるかに超える物的・人的被害がもたらされました。 人的損害は、連合国側にあっては、戦死者 553万人、戦傷者 1,283万人、行方不明 412万人。同盟国側にあっては、戦死者 439万人、戦傷者 839万人、行方不明者363万人(wikipedia による) 次なる戦争は、1931年満州事変、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争と相継ぎます。多少の休戦期間はあるものの、あの敗戦へとつながる一連の軍拡時代、15年戦争とも呼ばれる時代です。 主たる戦場は中国と南洋諸島及びその周辺海域ですが、やがて沖縄や本土も戦火にさらされることになりました。 人的損失は、第二次世界大戦全体では5千万から8千万人、日本人については約3百万人と言われています。経済的な利益はあろうはずもなく、「欲しがりません、勝つまでは」私財の供出と耐乏生活を強いられた時代でした。 その戦争の結果は言うまでもなくポツダム宣言の受託。植民地を失い米軍駐留が続くことになります。 |
明治以来の国家が進んだ、「戦争立国」の道程は、このように決してペイするものではなかったことは明らかです。
ここに回帰するような動きを、先日逝去された三笠宮さんならどう感じられるだろうかという思いが、ふと頭をよぎります。
明治天皇のお孫さんにあたる方ですから、個人的に、自然感情として御祖父様の誕生日を寿ぐ思いはおありでしょうが、このような世の中の再来は、断じて容認されないでしょう。
拙ブログの先日の記事◇月の輪古墳と三笠宮、の巻で引用した「リテラ」の記事◇逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍の南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」とには、こんな文章がありました。
長くなりますが、この際ですので謹んで引用させていただきます。
1915年生まれの崇仁親王は、陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1943年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで“南京大虐殺はなかった”という論についてどう思うか聞かれ、このように述べている。 「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号) このインタビューが収録された当時は、羽田内閣の永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」「太平洋戦争を侵略戦争というのは間違っている」などと発言するなど、戦中日本の戦争犯罪を公然と否定する流れが、すでに一部の右派だけでなくかなりの勢いを持ち始めていた時期である。 とくに、日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、論者・研究者によってその人数に20万人から数百人、そして「そもそも虐殺は存在しなかった」といういわゆる“マボロシ論”まで論じられていた。その“数字”をとりたてる流れは現在も続き、現日本政府もまた「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。 だが、崇仁親王はこうした“数字”の論に対して“むごたらしく殺せば人数は関係ありません”と、はっきりと批判したのだ。さらに同インタビューでは、自身の南京での従軍経験としてこうも述べている。 「また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」 言うまでもなく、崇仁親王が戦争犯罪を正視し、歴史修正主義をけん制したのは、再びこの国が戦争をすることがないようにという強い思いがあったからだ。1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。 〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉 〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉 昨年、ユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺」が登録されたことに対して、ユネスコへの分担金を留保するという“報復”に出た安倍首相にこそ聞かせたい言葉だ。だが、そうした誠実な態度を貫き通した崇仁親王に対し、これまで右派は「赤い宮様」などと揶揄し、「左翼」と批判してきた。前述した著書の一部が新聞で紹介されたときには、“これは日本軍を傷つけるものだ”という趣旨の脅迫まがいの手紙が当時品川区にあった三笠宮邸に届いたこともあったという。 (中略) あるいは1966年の「女性自身」(光文社)のインタビューでは、皇室の民主化の停滞を嘆きながら、侵略戦争の認識についてこう述べている。 「太平洋戦争が終わったときには、もうこれで地球上から悲惨な戦争はいっさいなくなったのだと思いましたが、現状をみると、まことにあさはかな考えだったことがわかります。 どんな大義名分をつけても、しょせん戦争は殺人です。人を殺すことは最大の罪悪です。戦争放棄を明記した新憲法の精神は、いつまでも大切にしなければなりません」 しかし、2016年の日本はどうか。安倍政権はメディアに圧力を加え、言論弾圧まがいの行為を繰り返し、さらに憲法を変えてこの国を戦争へと導こうとしている。そして、天皇の「生前退位」についても一代限りの特別法でお茶を濁し、抜本的な天皇や皇族の人権問題には決して触れようとしない。さらには、国民の多くはそんな安倍政権を支持し続け、歴史修正やその強権政治への国内外の批判に対しては、束になって「反日」だと襲いかかる。まるで、みずから民主主義を手放そうとしているかのようだ。 |
ついでのついでに、意表を突く記事を紹介します。
この文章の出典は?
平和と自由を愛した庶民派の歴史学者。27日に死去した三笠宮崇仁(たかひと)氏の自著からは、そんな人物像が伝わってきます▼戦前、皇族男子は軍務につくと定められていたことから1939年、陸軍大学校に。「今もなお良心の苛責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」と述懐します。43年、陸軍参謀として中国・南京に赴任。そこで日本軍の残虐行為を知らされました▼略奪、暴行、放火、強姦(ごうかん)。「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」。驚くのは44年、参謀でありながら日中戦争に疑問を呈し、幕僚に「内省」と「自粛」を促していたことです▼講話のやりとりをまとめた文書の表題は、「支那事変ニ対スル日本人トシテノ内省」。筆者は若杉参謀。三笠宮の別名です。冒頭、言論が極度に弾圧されている中、一般幕僚が大胆な発言をするのは困難なので自分が発言する、と述べています。日本軍の毒ガス使用にも触れ、「聖戦」「正義」と宣伝される時代ほど、事実は逆に近いような気がする、とも▼戦後は新憲法の「戦争放棄」を積極的に支持。50年代後半、「紀元節」復活を目指す動きにも歴史学者として反対しました。「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた。…それは過去のことだと安心してはおれない」▼モットーは、「真実は何か」。残された言葉の重みをいま改めてかみしめたい。 |
日本共産党発行の「しんぶん赤旗」10月31日付コラム「潮流」でした。「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた。…それは過去のことだと安心してはおれない」。重い言葉です。
「文化の日」の11月3日、郷里の老父母のもとを訪ね、畑で採れた野菜や、叔母や従姉から戴いた食材をお裾分けしてもらって帰りました。川辺を散歩してみますと堰のほとりにダイサギが数羽採餌しています。
河原でも採餌中。ここには猛禽はいないのかな?
カワウの群れが、行儀よく並んで水辺を眺めています。川には鴨たちが浮かんでいます。
ホオジロもいました。
空を見上げると、ミさゴがいました。
トリミング画像です。
月の輪古墳が見えました。
今日はこれにて。
月の輪古墳と三笠宮、の巻 [時事]
ライフワークの歴史研究を通して岡山とは縁が深かった。オリエント史研究者として知られ、「学者殿下」と呼ばれた三笠宮さまが亡くなられた▼(中略)岡山県では、1953年に地域住民ら延べ1万人が参加した月の輪古墳(美咲町)の発掘に関わった。現地の教員宿舎に泊まり、村人と同じスルメを昼食にしながらの作業だった▼後に「月の輪古墳の発掘は、私にとって忘れることのできない懐かしい思い出」と書き残している。岡山市立オリエント美術館開館にも力を尽くした。同美術館の名誉顧問も務め、岡山へは度々足を運んだ |
今日の「これなあに?」をもう一つ。 実家付近から、正面の山を遠望しますと、こんな様子です。 父によると、これが月の輪古墳だそうです。 雑木が生い茂って、変哲のない小山に鹿見えない状態であったのが、最近整備が行き届いて、手軽に見学できるようになったようです。 月輪古墳について、久米郡美咲町のホームページには、
また、wikipediaによりますと、
とあります。 子どもの頃、この記録映画を観たことがありますし、中学生の頃には、地元の友達と、飯岡地区からブッシュをかき分けてこの山に登り、雑木の中の古墳あとを見たこともあります。 月の輪古墳の発掘は、全国から学者・研究者・学生・学校教師・生徒・地元住民ら、延べ1万人が参加して行われ、地域住民の参加により郷土の歴史をともに学ぼうという画期的な発掘運動で、「月の輪方式」と呼ばれ、全国的に注目されたということは、のちに学びました。 しかし、自分が育った家でありながら、こんな目と鼻の先に月の輪古墳が見えるとは知りませんでした。 |
子ども時代の淡い記憶にあるこの記録映画について、故近藤義郎岡大名誉教授は、「月の輪古墳(吉備考古ライブラリ1)」の後書きでこう書いておられました。
あとがき 発掘の翌年、 一九五四年に映画「月の輪古墳(製作共同映画社)が完成し、岡山市表町天満屋葦川(いせん)会館を満員にして行われた試写会は感動的だった。映画は、 その年の教育映画祭において最優秀賞を得ると共に、全国都道府県教育委員会による推薦9の栄誉を受けた。また文部省教育映画審議会は特別選定をもって応えようとしたが、時の大達文部大臣は、大衆が発掘という学問に参加している場面は文化財保護の面から間題がある、支配被文配の意識をあおっているので教育上面白くない、といった理由にならない二つの理由を挙げて選定を拒否した。これは当時ほとんどの新間が取り上げ、三笠宮崇仁さん・ 三上次男さん・阿部知二さんをはじめ多くの学者・作家が抗識を行い、審識会の委員のほとんどの方は辞表を出された。そのお陰で映画「月の輪古墳」は全国に知れわたり、各地で移動映写されると共に、その一六ミリのプリントは空前絶後の売れ行きだったとぃう。 同じ一九五四年、発掘開始の八月一五日を村の祭りの日とすることが決まった。飯岡村はそれまで夏祭りがなかったので、村人は以来「月の輪祭り」を続けている。年や天候によって百人ほどから何百人まで集まりの具合は違うが、話、歌、余興、屋台、ビールなどがあり、そしてかならず「月の輪古墳」の上映と「月の輪音頭」が歌われ踊られる。 |
ここに飯岡(ゆうか)村と記述されている旧久米郡柵原町(現美咲町)飯岡には、大叔父の家があり、子どもの頃、夏休みなどには泊まりがけで遊びに行ったことがありました。その時の「月の輪祭り」で、この映画を見た記憶がうっすらと残っているのだと思います。当時は、いさささか退屈な、難しい映画という印象だけが残っています。
前掲の「後書き」のつづきにこうあります。
「月に輪をかく月の輪踊り」に始まる「月の輪音頭」は永瀬清子作詩、箕作(みつくり)秋吉作曲で、東京中央合:唱団によってレコードに吹き込まれた。 これは第一回の「月の輪祭り」に間に合い、永瀬先生や中央合唱団の振り付けの方も来られ、大勢の村人と共に賑やかに楽しい一夕を過ごした。 これまた同じ年に、「月の輪教室」(理論社発行)が刊行された。三笠宮崇仁序文、和島誠一あとがきで、発掘に参加した教師、小学生・中学生・高校生、村人、訪問者、発掘指導者など計六八人が詩や感想や決意を思いおもいに寄せている。 |
以前、こんな記事で、永瀬さんの詩を話題にしてきましたが、思いがけずこんなところでも永瀬清子さんの名前を目にし、感慨を覚えます。
◇美しい国はいづこぞ紅梅忌
◇牧水余談
◇菊の香に蝶もめいていしたるらん
◇もう一つの11月3日、の巻
月の輪古墳発掘運動と三笠宮さんについての、もう少し詳しい紹介が、「山陽新聞」web版「サンデジ」の10月27日付記事にありました。
(前略)戦前の皇国史観が崩れ、真実の歴史を求める機運が高まっていた1953年。地域住民ら延べ約1万人が参加した月の輪古墳(岡山県美咲町飯岡)の発掘調査に、三笠宮さまも2泊3日の日程で参加された。 「専用の宿舎を用意したが、『研究者として来た。語り合いながら勉強したい』と断られた」。中学3年だった角南勝弘さん(77)=元美咲町教育委員長=は、旧飯岡村教育長だった父らに、きっぱりと話された姿を思い出す。結局、発掘を指揮した故近藤義郎岡山大名誉教授らと同じ宿舎に寝泊まりされた。 岡山大生で調査に参加していた神原英朗さん(84)=元建部町教委文化振興室長=は、現場でみんなと一緒に簡素な弁当を召し上がるなど、ざっくばらんな人柄が印象的だったという。「雲の上の人だと思っていたが、こちらが硬くならないよう気遣っていただいた」 79年には岡山大の楯築弥生墳丘墓(倉敷市矢部)の発掘調査を訪問。学生だった乗岡実岡山市教委文化財課長は「近藤先生の説明に聞き入り、熱心に質問もされていた。本当に研究が好きなんだろうなと感じた」と振り返る。 楯築訪問は、岡山市立オリエント美術館の開館式典に合わせたものだった。日本オリエント学会の初代会長を務めた三笠宮さまは、同館の開館に尽力された。(後略) |
逝去後に、次々と発表される追悼記事は、それぞれ、宮の生涯と人柄を浮かび上がらせるものが少なくなく、感じさせられるところ大でした。そのうちの一つ、リテラの記事「◇逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍の南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」と」にこうありました。
崇仁親王の思いが、皇室と国民の垣根を越える“民主主義”にあったことは明らかだ。たとえば1952年の「婦人公論」(中央公論社、当時)2月号に掲載された「皇族と自由」と題した聞き書きのなかで、崇仁親王は、昭和天皇の地方巡幸の際に警官が万歳しない人に対して叱りつけたという話を受けて、「これでは少しも人間と人間との感情が流れてきません。こんなとき号令をかけられた人がなぜ抗議しないのでしょう」「同じ人間同しなのですからハダカとハダカでぶつかり合ってほしい」としたうえで、「これが民主主義の基礎であることはいうまでもありません」と語っている。 |
月の輪古墳発掘運動の中で垣間見せた「庶民性」「気さくさ」のおおもとには、民主主義への確たる思いが横たわっていたのかと、気づかされるエピソードです。
そして、冒頭に引用したコラムはこう続きます。
▼戦後に始めた歴史研究の原点は、自らの戦争体験だったのだろう。以前、NHKのラジオ番組に出演してこう語っていた。「第2次大戦前に陸軍がもう少し科学的な判断を下していれば、歴史もまた違ったと思う。歴史の研究が十分でなかった結果ではないか。やはり歴史の研究は大事だと思う」▼陸軍軍人として中国に赴き、そこで見聞きした戦地の実情を著書などで明かした。軍部を批判すると同時に、戦争の罪悪性を十分に認識していなかった自身への後悔もつづった。その平和への思いをしっかりと受け継ぎたい。 |
同感です。
三笠宮さんの発言や人となりを伝える数々のエピソードにふれ、いろいろと思うところがありましたが、また機会を改めて話題にすることにします。
2才前の保育園児が、身体のあちらこちらに水泡を出し、午前中ママがお医者さんに連れて行き、午後は私が預かりました。妻がパートから帰るのは3時頃ですから、正味3時間、特別の親密な孫守の時間です。お医者さんの診立ては、手足口病だろうということですが、いずれにしても、体中の患部がかゆかったり痛かったりするらしく、すこぶる機嫌が悪くて、ずっと抱っこです。家の中ではすぐに退屈し、抱っこでの散歩、乳母車での散歩、自転車のベビーシートに乗せての周辺巡回、等々、片時も手が離れません。
というわけで、今日は、午前中、ウルトラスーパーのプチ散歩を済ませました。しかも冷たい雨に降られて、早々に退散した次第。
が、そんなときに限って、出会いに恵まれたりします。
雀かと思いましたが、動きが少し違うように思って念のために撮影してみると、、、、
ノビタキ♀でしょうか?
今日はここまで。
雨のち快晴。バーナムの森は動く、の巻 [時事]
昨夜から今朝にかけて、目を見張るうれしいニュースに接し、大いに感銘を受けました。
新潟県知事選挙の結果です。
柏崎刈羽原の再稼働に慎重な泉田知事を引き継ぐことを鮮明にし、野党・市民連合の支援を受けてたたかった米山隆一さんが、自民・公明の押す元長岡市長の森民夫氏を破って、勝利しました。
先日、友人等との会話で、「新潟、勝ちそうだってね」と言って同意を得たものの、内心、ひいき目にみすぎていることを自覚していて、これまでの経験では、善戦健闘、よくて接戦の末惜敗という結末を予想していました。
何しろ、泉田知事の突如の引退、出馬の出遅れ、野党共闘というものの、推薦に名を連ねたのは、政党としては共産、自由(生活・・から改名)、社民のみ。最大野党の民進党は、支持母体の連合新潟が原発推進の東電労組などの意向を受けて森(民夫)支援を決定したため、自主投票という態度。
しかも自民党は、こんな謀略的なビラまで撒いて、県民を恫喝。
古くさい手ですね。京都の蜷川さん、東京の美濃部さん、大阪の黒田さんにたいしても、同じような中傷が行われましたっけね。赤旗ではなくて、建ったのは保育所.病院だった!という反論が印象深かったものです。
新潟県庁に立てられている県旗は元々赤い!という反論も、すこぶる爽快ですがね。
いずれにしても、常識的には、どう見ても、森(民夫)圧倒的有利の図式でしたから。
痛快なことです。現実はドラマを超えますね。
思えば、新潟では、先の参院選挙で、野党共闘の森裕子さんが一人区を制しました(同じ森さんですが、大きな違いです)。これにひきつづく市民+野党共闘の劇的勝利です。
森つながりで、こんなセリフが思い浮かびます。
「マクベスは決して滅びはせぬ、かのバーナムの森の樹が ダンシネーンの丘に立つ彼に向かってくるまでは。」(シェークスピア「マクベス」)
でも、バーナムの森は動いたのです。
アベさんたち、虚飾の「支持率」の上にあぐらをかいて、民心に背きそれを踏みにじりつづけても、まだその地位が安泰だと錯覚しておられるとすれば、イマジネーションの欠如を指摘せざるを得ませんね。全国で、森が大きく動き始める予兆に他ならないのですから。
朝の散歩は曇り空の中でした。
常山が半分以上、霧に覆われています。
実りの秋です。
実りの秋のアオサギ。
実りの秋のダイサギ。
苅田にケリがいました。
ケリはふわふわと飛びます。
雨に洗われて、コスモスに生気がよみがえっています。
今日もホシホウジャクが遊んでいました。
いずれも大きくトリミングしています。
雫も写しておきたいのですが、マクロレンズじゃありません。
遠くでヒヨドリが甲高く鳴いています。
手前のピンク色はコスモスの花です。
朝のうちは曇り空でしたが、日が高くなると明るい晴れ間が見えてきました。
出直し散歩に持ち出したのは、PENTAXk10d+ケンコ-ミラーレンズ500mmです。
トリミングなしで、こんなマクロ効果が得られます。
ピント合わせは、やっかいですが。
午後には、晴れ晴れとした青空が広がりました。
雨のち快晴、世の中の流れも、すべからくこうあってほしいものです。いえ、時経ずしてこうなるは必然です。
またまたシェークスピアに引っかければ、オセロ(ゲーム)のように、盤面の黒石が一気に白石に変わる劇的変化が、いましも起きようとしているに違いないのです。
今日はここまで。
「ぼくちゃん」たちの見苦しい弁明は、美しい日本に似合いますか?の巻 [時事]
といっても、東京都知事の小池百合子さんじゃなくて、日本共産党書記長の小池晃さん。
6日の衆院予算委員会での質問、たまたま点けたカーラジオから流れてくるやりとりに、耳が釘付けになりました。
もちろん国会中継番組は、通勤の行き帰りとか、外出途上のラジオで聞く程度で、あえて家のテレビをつけて熱心に視聴するようなマニアではありません。それでも、たまたまスイッチが入っていたりすると、それなりに聞いてはみます
長々と時間をかけて、アベノミクスだのアベアドバルーンをヨイショする与党議員や応援団勢力の質問も、ここを先途と独りよがりな自己宣伝を蕩々と展開するアベ・マリオ君(マリオってマリオネット=操り人形の意味なんですって?)の答弁も、なにか信念あってのことかも知れないと、極力虚心に公平に、耳を傾けようと試みてはみますが、聞くに堪えないので、数分でスイッチを切るかチャンネルを変えるか、ラジオならば音楽CDに切り替えるかするのが常です。
それにしても、気になるのは、応援団にたいする場合と批判者にたいする場合とで、あまりに掌を返したように態度をがらりと変えるアべ・マリオ君の豹変ぶり。声色や血相までも変わってますからね。彼の情緒はアンダーコントロールにあるのかどうか、心配です。
10月4日付の「リテラ」にこんな記事がありました。
昨日3日の同委員会では、今度は民進党の長妻昭議員が、同じように基本的人権について定めた憲法11条の、《現在及び将来の国民に与へられる》という部分が憲法改正草案では削除されていることなどを挙げ、「自民党の責任者として、なぜこういう改正草案を出されたのか、基本的人権に関わる条文をこういうふうに変更されたのか。それをご説明いただきたい」と追及した。 すると安倍首相は、長妻議員を指差しながら「事実誤認がありました」と言い、こうつづけた。 「その事実誤認というのはですね、私が自民党憲法改正草案を出したと言うが、どこに出したんですか? 世に出したのは私ではありません。谷垣総裁のときに出されたわけでありまして。これは屁理屈じゃなくて」 いやいや、安倍首相本人が「憲法改正草案をベースに議論をする」と言ってきたのに、「谷垣時代のものだから」なんて言い逃れが通用するはずがない。これには長妻議員も「『谷垣総裁のときに世に出したものだから、ぼくちゃん知らないよ』というように聞こえた」と応戦したが、安倍首相はこれに激昂したのか、感情的になったときに必ずみせるいつもの早口で、とんでもない話をはじめたのだ。 「『谷垣さんのときに決めたんだから、ぼくちゃん知らない』なんて、私、一言でも言いました? まったく言っていないことを言ったかのごとく言うっていうのは、これはデマゴーグなんですよ。これ典型例ですね」 「ぼくちゃん知らない」というのは、まるで幼稚園児のような道理の通らない責任逃れをするから「ぼくちゃん」と表現しただけだ。それを「デマゴーグだ!」とがなり立てるとは……。これが宰相の発言かと思うとつくづく情けなくなる。 |
それともう一つ、majyo様の記事へのコメントでも書かせていただきましたが、アベ・マリオ君一流の、「私が話しているんですから、静かに聞いてくださいよ」の名セリフ。人が話している時に、静かに誠実に聞く人間がそう言えば説得力もありましょうが、、。
ところで、この名セリフ、高市総務大臣まで振りかざすのには、笑っちゃいました。
10月6日付朝日新聞デジタルの記事にこうありました。
--高市氏は政治資金規正法を所管する総務相。追及が熱を帯びるなか、議場はヤジと笑いが渦巻いた。 小池氏 だから全く証明できない。今の話でわかるじゃないですか。「私が言っている」「信頼している」「相手を知っている」「だから信じて下さい」。こういうのはね、信頼できないですよ。証明になっていないですよ。領収書じゃないですよ、こんなものは。総務大臣ね、どうするんですか、これ。閣僚の事務所がお互いにこんなことをやっているわけですよ。白紙領収書を日常的に発行して、受け取った側がお互いに金額を書き込んで収支報告書に添付して提出する。政治資金規正法の根幹ががたがたになっているんじゃないですか? 所管大臣としてどうですか。 高市早苗総務相 個別の事案については、具体の事実関係に即して判断されるべきものですから、いま先生がお挙げになった事例について一つひとつ政治資金規正法上の問題の有無についてのコメントは困難ですが、一般論として申し上げますと、政治資金規正法上、国会議員関係政治団体はすべての支出について、当該支出の目的、金額、年月日を記載した領収書、その他の支出を証すべき書面を徴さなければならない。入手しなければならないということです。なお、領収書の発行側の作成方法についての規定はございません。法律上、ございません。 先生がお配り頂いた資料の中にですね、約3年前に開催しました「高市早苗さんをみんなで激励する会」に稲田朋美先生の関係団体から2万円をちょうだいしてますので、あえて申し上げますが、来賓として、スピーチなどをお願いするために来て下さる国会議員のみなさまについては、まず普通、当日の受付の場に封をした封筒に入れた現金を持参される場合が圧倒的に多うございます。その場で開封して金額を確認し、記入していては近接した時間帯に皆さん受付に来られますので、多くの国会議員をお待たせすることになりまして、当然パーティーの前半にスピーチなどの機会が多いですから、パーティーの開始が遅れるなど、その運営に支障を来します。 (ヤジ) 高市氏 ちゃんと静かに聞いて頂けませんでしょうか。 参院予算委員長 ご静粛に願います。答弁中です。 高市氏 よって仮にパーティーに出席した国会議員側において、必要事項を領収書に記載したとしても、領収書の記載等を記載する権限をその発行元であるパーティーの主催団体から了解されているものであれば、法律上、発行者側の領収書作成方法が規定されていないことからも、法律上の問題は生じないものと考えております。 (ヤジ) 高市氏 大切なところですから聞いて下さい。そもそも主催者も来賓として出席したものも、国会議員である場合、双方の事務所によってパーティーの日付、名称、出金額、または入金額が記録されていますから。事実と異なる必要事項の領収書への記入というものはまず発生しないと考えられることから、出席国会議員側による記入を了解する関係というものが成立すると考えられます。ちなみに特定パーティーの報告書ですけれども、対価にかかる収入の金額の横に対価の支払いをした者の数も記載しなくてはなりません。共に政治家の国会議員の事務所ですから、ここのところは出金も、それから入金もお互いに記録をしている。パーティー券もこれは政治資金法に基づいたパーティーであることをちゃんと記した書面を交付しなければならないわけでありますから、それによって、互いに補完しているということから了解される、出席者側による記入を了解される関係が成立すると考えております。 小池氏 総務省の政治資金課が発行している国会議員関係政治団体の収支報告の手引のなかには「後から追記したらいけない」と書いてあるじゃないですか。それを所管大臣が公然と「そんなこと、やらなくてもいいんだ」というのは、とんでもない話だ。こんなことであれば、政治資金規正法なんて、抜け穴だらけということになるじゃないですか。なんで、ああいう答弁をするのか、私はわかりますよ。高市大臣も同じことをやっているじゃないですか。2013年度と14年度の領収書の写しがある。自由民主党奈良県第2選挙区支部の領収書。これもやはり筆跡鑑定を行いました。6人のここにおられる閣僚が全く同じ領収書、白紙領収書を受け取って、金額全部書き込んでいるじゃないですか。総務大臣がこういうことをやっているんですよ。だから、今みたいな答弁をするんだろうと思いますけど。やっぱり根源にはパーティー会費の問題があります。まさに企業・団体にパーティー券を売って、そこからお金を集めて、そのお金でパーティー券を買う。そして政治力を強めていく。そういったことをやってきたんでしょう。これが最大の問題ですよ。 (笑い声) 小池氏 笑っている場合じゃない。これ、国民の皆さんが「こんなでたらめな政治資金の使われ方をしている」と。いま、富山で大問題になっているけども、国会議員がやっていることだって、それ以上にひどい問題ではないか、と私はなると思う。パーティー券を含めた企業団体献金を禁止しなければいけない。このことを改めて申し上げて、質問を終わりたいと思います。 |
「いま、富山で大問題になっているけども、国会議員がやっていることだって、それ以上にひどい問題ではないか」まったくもってその通りではありませんか。
こんなやりとりがあった小池質問についてyahooニュース10月6日付け記事はこう伝えています。
“白紙領収書”で野党追及、資金パーティーで常態化かTBS系(JNN) 10月6日(木)17時56分配信 国会で議員同士が互いの政治資金パーティーに出席し会費を支払った場合、相手方から白紙の領収書をもらい金額などを書き込む行為が頻繁に行われている実態が明らかになりました。「領収書には金額が記載されてなければいけないと、あまりにも当然のことですね。稲田大臣、これは各大臣から白紙の領収書を受け取って金額も稲田事務所で書き込んだ、間違いないですね」(共産党 小池晃書記局長) 共産党の小池書記局長が示した領収書のコピー。いずれも稲田防衛大臣の政治資金団体「ともみ組」宛に出されたもので発行元はさまざまですが、筆跡が似ています。 「政治資金パーティー会費の領収書の中に稲田側で日付宛名および金額を記述したものが存在しており、今、御指摘になったとおりであります」(稲田朋美防衛相) 稲田大臣は白紙の領収書をもらい稲田氏側で金額などを書き込んだものだと認め、政治資金パーティーでは「互いに面識のある主催者と参加者の間では主催者側の了解のもと、参加者側が記載することがしばしば行われている」などと説明しました。 「委託があったら金額は後で書いていいなんていったらもう今ね、聞いている中小企業の社長さんたちみんなびっくりですよ。そんなね領収書がね、通用するわけないじゃないですか」(共産党 小池晃書記局長) 稲田大臣は、「これからどういった形でできるか検討してまいりたい」と述べましたが、同様の問題を指摘された菅官房長官は「政治資金規正法上、政治団体が徴収する領収書に際して発行者側の作成法についての規定はなく、問題ない」などと答弁しました。(06日17:15) |
市議なら辞職ものだが、国会議員なら許される、水増ししていないから問題ない、委託を受けて責任を持ってやっているから信じてほしい、どこにも通用しない身勝手な言い分です。「みんなやってるし、ボクちゃん悪くないもん」と言いつのって、ちっとも非を認めようとしないわがままボウヤやアネゴが、何人も何人も、大手を振ってふんぞり返り、「汚れたカネ」の上にあぐらをかく、、、、日本政界の嘆かわしい図です。
リテラの10/07付記事がこの問題を明快にまとめています。 「まさにその通り」と思える記事の詳細はリンク先を参照していただくとして、薄ら寒い事実を一つだけ紹介させていただきます。
たとえば、きょうの朝刊でこの問題を1面で扱った大手紙は1社もなく、しかも産経新聞は野党の国会戦術紹介に過ぎず、菅官房長官や高市総務相の疑惑には申し訳程度に触れただけ。日本経済新聞も政治面で参院予算委員会のレポートとして「菅氏、白紙領収書認める 参院予算委、違法性は否定」と伝えるに留まり、読売新聞にいたっては政治面のベタ記事で、小池書記局長から質問があったことを伝えただけだった。 一方、テレビのほうも、昨夕のニュース番組で取り上げたのは、『Nスタ』(TBS)と『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)のみで、『みんなのニュース』(フジテレビ)や『news every.』(日本テレビ)は無視。夜もやはり『報道ステーション』と『NEWS23』というTBS、テレ朝の番組だけが触れた。また、NHKも『NHKニュース7』ではスルーし、かろうじて『ニュースウオッチ9』では取り上げたが、国会審議のなかのひとつとしての扱いだった。 |
ことほどさように、マスコミ全体ががジャーナリズム精神を衰退させているとしか言えない現状の中、こんな小さなブログの場を通してでも、たとえとるにたりない小声であっても「ほんとうのこと」を発信していくしかないですなあ。私たち市井のオッサン・オバハン、ジイサン・バアサンが、率先して素人談義の談論風発を盛んにし、国民不在の淀んだ政治状況を大掃除して、国民主権を取り戻すしかないってことですかね。
「民主主義ってなんだ?」「民主主義ってこれだ!」の問答を、このテーマでもよみがえらせる必要があるということでしょうか。
さわやかな秋晴れの記事を書こうと思っておりましたのに、とんだ床屋談義のオソマツとあいなりました。こんなことも、言えるうちに言っておかないと、正直ヤバイよ、と思えますので、、。
今日は孫の保育園の運動会。その応援にいって、午後は泊まりがけで学生時代のお友達と会う予定。まじめな会議も少々交え、夜はお酒も入って、それこそ談論風発の怪気炎が燃えさかる予感、、、。
ですので今日の記事は、朝の内にアップさせていただきます。
昨日深山公園を歩いてみましたら、カモの群れが渡って来始めているようでした。
白鳥やアイガモは、この池に住んでいるのかも知れませんが、夏の間は見なかったオナガガモ、ヒドリガモなどの姿が見えます。長旅お疲れさん。また楽しませてくれます。
今日はここまで。
年金裁判第2回公判傍聴雑感、の巻 [時事]
9月20日付の地元紙「山陽新聞」(web版)が「『マクロ経済スライドは違憲』 岡山地裁へ県内年金受給者が提訴」という見出しで記事を載せていますので、引用させていただきます。
物価や賃金の上昇幅より年金給付の伸びを低く抑える「マクロ経済スライド」の適用は実質的な年金減額に当たり、生存権を定めた憲法に反するとして、岡山県内の年金受給者203人が20日、国に1人千円の損害賠償を求める訴訟を岡山地裁に起 こした。マクロ経済スライドを巡る違憲訴訟の提起は全国で3カ所目。 訴状によると、マクロ経済スライドは2015年4月に初めて適用され、過去3年度分の賃金の伸び率が2・3%だったのに、給付額は0・9%増に抑えられた。さらに、政府が14年に実施した財政検証は、マクロ経済スライドの適用で国民年金部分の削減率は43年度には29・3%になると試算している―と指摘。「健康で文化的な最低限度の生活」を定める憲法25条などに違反するとしている。 岡山地裁では、物価が下がっても年給支給額を減額しないという特例の解消に対する訴訟も起こされており、原告側は両訴訟の併合審理を求めていく。提訴後の会見で岡山弁護団の古謝愛彦弁護士は「高齢者の生活を支える年金制度の意義を、訴訟を通じて社会に訴え、より良い制度づくりにつなげたい」と話した。 厚生労働省年金局事業管理課は「マクロ経済スライドは法律にのっとった仕組みで適法。裁判で正当性を訴えていく」としている。 |
また、毎日新聞2016年9月21日 地方版でも、こうありました。
年金の給付額の伸び幅を物価や賃金の上昇より抑える「マクロ経済スライ ド」の仕組みを適用したのは年金の実質的な減額となり、生存権を定めた憲法に反しているとして、県内の受給者約200人が20日、国に損害賠償を求める訴 訟を岡山地裁に起こした。原告1人当たり1000円の慰謝料を求めている。同様の訴訟は大阪、岐阜両地裁にも起こされているという。 訴状などによると、マクロ経済スライドは2004年の年金制度改革で導入が決まり、昨年6月の支給分から初めて適用された。昨年度の年金給付額は、物価 指数などを基準にする「物価スライド制」によると2・3%増額されるはずが、0・9%増に抑えられ、「年金の価値の維持の放棄」などと指摘している。 また、13年10月以降の減額について、差額の給付を求めて既に起こされた訴訟と併せて審理することも求めた。【林田奈々】 |
激しい雨風のなか裁判所のロビーを目指すと、県北の新見市、津山市と言った遠方の方を含め、次々とお集まりでした。久しぶりにお目にかかる方もおられますし、先日の学習会でお目にかかった方にもお会いし、「連日ご苦労さん」などと声をかけられます。新採用の頃に職場が近くでお世話になった先輩や、また別の職場でご一緒させていただいた先輩など、懐かしい顔もたくさん見えます。
現役時代お手本にして背中を仰いできた方々は、シルバーになっても、なおまだお手本です。そのことは、何の不思議もありませんが、いたく感慨を覚えます。
入廷に当たって、世間へのアピールのために裁判所の周縁道路を、横断幕を掲げてわずかな距離行進するのがならわしです。あの激しい雨風が収まって、うっすらと日差しがのぞくほどの瞬間がありました。これ幸いにと、当初の予定通り、入廷行進をおこなって、法廷に入ります。傍聴席は、今回も満杯です。
14時30分に予定通り始まった「口頭弁論」は、書面の確認や、新しい提訴の扱い、今後の日程など、もっぱら実務的やりとりに終始し、十分ほどの短時間で終わりました。
その後会場を移して「報告集会」が開かれました。
弁護団からの報告を聞いて、もっとも印象に残ったのは、原告側が求めた釈明に対して被告・国側の用意した準備書面が、実に不誠実な答えに終始していることでした。
二つだけ例示します。
その1
改正法の制定にあたり、「年金生活者の生活水準、生活実態、特例水準解消を理由に年金額を低下させることによる」具体的な「不利益の程度・内容」を取り上げて検討を行った記録は存在しない。 |
何が起ころうと知ったことではない、やりたいようにやるだけさ、というわけですな。
その2
現時点において積立金が存在することを根拠に現在の年金受給者の年金額を減額しなかったとしても、将来世代の給付水準は下がらないなどと言った想定は、見通しの甘い非現実的な想定である。 |
あんたに言われたくないよ、という話です。庶民の虎の子の積立金を、リスクの高い国内外の株に投じて、5兆円もスッちゃったのは、さぞや見通しのきく、現実的な、家族泣かせの極道ギャンブラーではないですか。
問題は、ことあるごとに「将来世代」を引き合いに出して、世代間の対立をあおるいつもの手法。そんなに将来世代が気になるなら、安心して「老後」を迎えられる年金制度の確立に心血を注ぐべきでしょう。
「報告集会」で、記者さんの質問に答えて、弁護団から、一次訴訟と二次訴訟の関連、二次訴訟の意義について強調されていました(必ずしも記事には反映していないようですが)。
第二次訴訟の「マクロスライドは憲法違反」という点こそ、この訴訟の眼目。ただ、一次訴訟の段階では、まだ、マクロスライドが未実施だったので、物価低下を口実とする年金額引き下げの是非を争点としたとの由です。一人千円の国家賠償訴訟としたわけは、賠償金額が大きいと印紙代がかさむ(笑)ので、裁判所に違憲判断を迫ることにこそ意義がある。また、国賠訴訟にしたのは、手続きが簡便なため。大いに納得できました。
今日も雨。散歩に出ようかと準備している頃、七ヶ月の女の子を小3生が、傘を差してつれて来ました。長靴をはいて歩きたいのを、サポートして歩いてきてくれたらしいです。
きょうは、予定を変えて、熱帯魚水槽の清掃、ペットショップで新しくチェリーバルブ(小3の兄の選択)、ベタ(5才の保育園児の選択)を買ってきて.水槽に入れました。今日の写真は先日のストック写真です。
和気町自然保護センター、「虫の原っぱ」のばった、
また迷う、キアゲハ?ナミアゲハ?
ニラの花に止まるツマグロヒョウモン♀
これなあに?地面に落ちて、蟻がたかっていました。
ヒメジャノメ。
今日はこれにて。
「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」ことを応援する、の巻 [時事]
昨日の記事で、お化粧直し前の寂びた長福寺の写真をアップするつもりが、失敗していました。あえて掲載するほどのものでもありませんが、記事の整合性のために、少しだけご覧ください。夏と初冬の季節違いのバージョンをご紹介しておきます。
話変わって、伊方原発が12日、無理強いに再稼働しましたが、発電と送電を開始したその15日、山口県で震度3の地震がおき、伊方原発3号機がある愛媛県伊方町でも震度2を観測しました。
8/17付日刊ゲンダイは、こう指摘しています。
愛媛県の中村時広知事は「(伊方原発で)福島と同じことが起こることはない」と断言しているが、何を根拠に言っているのか。武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)がこう言う。 「熊本地震以降、震源地は周辺地域に広がってきています。今回の震源地の伊予灘は伊方原発のすぐ隣にある。非常に怖い場所で起こったといっていい。中央構 造線断層帯沿いは、これまで地震が繰り返され、地震に弱い岩盤が広がっていて、不安要素は多いんです。しかも、福島第1原発事故の本当の原因は、まだ地震 か津波か、はっきりしていない。そうした段階で、伊方原発を『安全』と言い切るのは早すぎるでしょう」 《中略) そもそも、いま危険な「伊方原発」を再稼働させる理由はほとんどない。電力業界は「電力の安定供給に原発は欠かせない」と説明するが、原発稼働がゼロで も、電力は十分足りている。しかも、原油安の影響で火力発電の燃料費も安く済んでいる。「原発のほうがコストは安い」という言い分も、事故対応や廃炉への 費用を考えると、正しい見方とはいえない。 ジャーナリスト・横田一氏はこう言う。 「電力会社が再稼働を急ぐのは、すでに燃料も買って施設もあるからです。初期投資が大きい原発では、なるべく長期で使用したほうが、経営上はプラスにな る。政治家側も、現在は電力会社から直接の政治献金はありませんが、選挙時に運動員を出すという人件費の無償提供を受けている。『脱原発』という候補に は、『応援しないぞ』と脅しをかけるケースも多い。選挙を“人質”に取られ、原発推進にならざるを得ないんです」 |
また同じく8/17付け毎日新聞社説はこう述べています。
そもそも、原子力防災の観点から見ると、伊方原発は、日本の原発の中でも格別に不安材料が多い。 東西約40キロ、最小幅は約800メートルと細長い佐田岬半島の付け根に位置していることが最大の問題だ。原発の西側には約4700人が居住するが、原発事故が起きれば、住民は逃げ道を塞がれかねない。 しかも、原発の沖合約6〜8キロには国内最大級の活断層「中央構造線断層帯」が走っている。四国では南海トラフ巨大地震の発生も懸念される。大地震と原発事故との複合災害が起きてもおかしくない。佐田岬半島は地盤がもろい箇所も多い。 県などの避難計画では、事故発生時、原発の西側の住民は車や船などを使って半島から脱出する。だが、複合災害が発生した場合、陸路も海路も使えない恐れがある。 住民はその場合、自宅や避難所で一定の間、屋内退避をする。被ばくを避けるためだ。 ただし、震度7の揺れに2度襲われた熊本地震のような場合は、自宅に退避し続けることすら難しい。 公設の避難所も万全ではない。伊方町には放射線防護対策施設が7カ所ある。ところが、うち四つは土砂災害警戒区域内にあるのだ。 高浜原発が司法判断で運転停止中のため、伊方原発はウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を使う国内唯一のプルサーマル発電となる。MOX燃料 避難計画の策定義務は自治体にある。内容が不十分でも原発の再稼働が認められるのは、規制委の安全審査の対象外で、再稼働の要件ではないためだ。本来なら、第三者機関が避難計画の実効性を原発の稼働前に審査する仕組みが必要だ。 四電は伊方3号機の稼働による収益改善効果を年間約250億円と見込む。ただ、今夏の全国の電力会社の供給力には余裕がある。電力需給面から再稼働を急ぐ必要はない。 複合災害対策を先送りしたまま、原発に回帰する政府や電力会社の姿勢を認めることはできない。 |
伊方原発関連では、以前こんな記事を書きました・
充実の昨日、鬱々たる今日、の巻
一部を再掲します。
さてM師からいただいたメールに、こうありました。
まだ前期高齢者なのに、小鳥や草花を愛でながらのんびりと暮らそうと考えている私にも、ガ―ンと一撃でした。 |
リーフレットの表紙です
リーフレットの中にはこんなページもありました。
ヒロシマ原爆被爆者でもある原告団長の堀江 壯(ほりえ そう)さんの言葉が胸を打ちます。(前回記事では、Hさんとイニシャルにしましたが、改めて本名でご紹介します。)
リーフレットの内容をすべてご紹介したいところですが、「なぜ私たちは裁判を起こすのか」と訴訟の意義を訴えておられる一文だっけを、伊方原発広島裁判応援団のwebサイトから引用してご紹介し増す。.
愛媛県に立地する伊方原発が、単に四国地方のみならず、被爆都市ヒロシマをはじめ、わが岡山をも含む瀬戸内海地方全域に直接的な影響が及ぶことを、このリーフを読んで改めて痛感したことでした。
できることは限られていますが、応援団には参加させて戴きました。
今日の常山です。
いつもとは違うアングルです。
今日もサイクリングです。
一昨日とは逆方向に向かいます。
こんな公園までいって、ひと遊びして帰りました。
きょうはこれまで。
核兵器先制不使用を拒む被爆国首相の怪!の巻 [時事]
という記事に目がとまりました。
東広島市在住の被爆者飯田国彦さん(74)は、三歳の時、爆心地からおよそ900メートルの母親の実家で被爆し、母親と姉を亡くしました。出征していた父親は沖縄戦ですでに亡くなっていたため、飯田さんは家族をすべて失いました。
記事はこう伝えています。
あの惨状を伝え残したいと、飯田さんは、被爆体験を語る証言活動を始めましたが、途中で気分が悪くなる子どももいました。 それ以来、生々しい描写をためらうようになり、地図を使って、人の被害よりも建物の壊れ方を詳しく語るようにしてきました。 あまり詳細に語ると、子どもたちの中で怖さが先行してしまい、被爆体験が伝わらないのではないかと、みずから歯止めをかけていたそうです。 しかし、本当のありさまを伝えなければならないという思いもあり、飯田さんは葛藤していました。 |
そんな飯田さんは、オバマ大統領が現職米大統領として初めて広島を訪問し、平和公園で語った内容に心を動かされ、特に次の一節に強く共感したといいます。
「私たちはあの日、目にした光景に恐れおののき困惑した子どもたちの気持ちに思いをはせなければなりません。私たちは彼らの悲鳴にも耳を傾けます」
記事のつづきです。
飯田さんもあの日、目の前の光景に恐れおののいた子どもの1人でした。 だからこそ、ためらわず目にした通りの光景をきちんと伝えるべきだと考えを新たにしたのです。 ありのままの惨状伝えたい大統領の広島訪問に背中を押された飯田さんは、早速、原爆資料館のデータベースからあの日の光景がよみがえる絵を選び、証言に取り入れることにしました。 そして、さらに爆心地に近い学校の惨状を描いた絵も紹介しました。 一瞬にして焼けた子どもたちの骨が校庭に並ぶ様子が描かれた絵を、飯田さんは子どもたちにこう説明しました。 「『お母ちゃん、助けて』と言う余裕もなく、一瞬で亡くなって白骨化した。原爆の被害をよく見てほしい。本当の惨状をよく見てほしい」 飯田さんは、まだ幼い小学生には少し控えた表現で説明し、中学生にはなるべく詳細に71年前の被爆の実態を伝えていくつもりです。 証言を終えた飯田さんはこう語りました。 |
記事には、この写真も添えられていました。
オバマ大統領のことばを、最も間近で聞いていたのは、アベさんでした。そのアベさんは、こともあろうに、オバマ大統領の核先制不使用方針に反対したのだそうです。耳を疑いました。彼は、どこの国の首相ですか???
yahooニュースからの引用です.
【ワシントン会川晴之】米ワシントン・ポスト紙は15日、オバマ政権が導入の是非を検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍晋三首相がハリス米 太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として、反対の意向を伝えたと報じた。同紙は日本のほか、韓国や英仏など欧州の同盟国も強い懸念を 示していると伝えている。 (中略) 同紙は複数の米政府高官の話として、ハリス氏と会談した際、安倍首相は米国が「先制不使用」政策を採用すれば、今年1月に4度目の核実験を実施するなど 核兵器開発を強行する北朝鮮に対する核抑止力に影響が出ると反対の考えを述べたという。(中略) 日本政府は、日本の安全保障の根幹は日米安保条約であり、核抑止力を含む拡大抑止力(核の傘)に依存しているとの考えを米国に重ねて伝えている。先制不使用政策が導入されれば、「核の傘」にほころびが出ると懸念する声がある。 【ことば】核兵器の先制不使用 核保有国が、他国から核攻撃を受ける前に先に核兵器を使わないこと。核兵器の役割を他国からの核攻撃脅威を抑止することに限定する。核兵器を使用する ハードルが高くなり、核軍縮への理念的な一歩と見なされる。すべての国が対象だが、核保有国同士の約束の側面が強い。核拡散防止条約(NPT)で核兵器保 有が認められている米、露、英、仏、中国の5カ国の中では現在、中国のみが先制不使用を宣言している。 |
核先制不使用に反対ということは、相手が核攻撃をしてこなくても、アメリカの先制核攻撃を認めるということです。先制核攻撃を加えると言うことは、三歳の飯田さんが体験したヒロシマの悲劇を、そしてそれにひきつづくナガサキの悲劇を、繰り返すということです。「同盟国」の手による新たな被爆者の出現に、進んで加担するということです。「恐れおののき困惑した子どもたち」「彼らの悲鳴」で地球上を満たすということです。
それだけではありません。アジアにおける最大の攻撃拠点はこの日本ですから、必ず報復核攻撃は、日本に(アメリカ本土ではなく)向けられます。米軍による(とくにアジア極東地域における)核先制使用は、必ず日本への報復核攻撃を招き、ヒロシマ、ナガサキ、そして、ビキニ、フクシマにつづく核被害をもたらす、「亡国」の選択に他なりません。
核兵器の先制不使用は、核兵器の不使用ではありません。ましてや、核兵器の廃棄でもありません。「核なき世界」の理想からみれば、きわめて限定的・部分的な措置に過ぎません。これに対して、「抑止力が弱体化」などと賢しらげにクレームをつけたのが、こともあろうに「唯一の戦争被爆国」の首相であることに、驚愕と屈辱を感じないわけにはいきません。
今朝の景色です。
本の短時間の散歩で、引き返しました。
初秋の田園朝景色 posted by (C)kazg
初秋の田園朝景色 posted by (C)kazg
初秋の田園朝景色 posted by (C)kazg
初秋の田園朝景色 posted by (C)kazg
午前中、ここ数日追われていたちょっとしたデスクワークが、やっと片付きました。
午後の暑い盛り、小3の孫にサイクリングの誘いを受けました。抵抗はしたのですが、押し切られました。
かなりの距離を走りました。
景色の変化をご覧ください。
余りの日差しに、影を求めて右側通行。
サイクリングの途中で見えた景色です。見慣れた光景とも言えますが、それでもなぜか新鮮です。
残暑厳しき田園昼下がり posted by (C)kazg
残暑厳しき田園昼下がり posted by (C)kazg
残暑厳しき田園昼下がり posted by (C)kazg
残暑厳しき田園昼下がり posted by (C)kazg
残暑厳しき田園昼下がり posted by (C)kazg
気になる都知事選、の巻 [時事]
都知事選挙の行方が注目されます。東京都という一自治体のみならず、日本の進路を左右する大事な政治戦であることはまちがいないないでしょう。
先日の参院選挙は、徹底した「選挙隠し」(こんな言葉初めて聞きましたが)「争点隠し」の挙げ句、与党とそのお友達勢力がまんまと議席をせしめました。すると、途端に、「改憲勢力が2/3を確保」の大見出しが踊り、隠れていた「争点」が白日にさらされました。その印象さめやらぬうちの都知事選ですから、当然、アベ政治とその追随勢力にたいする鋭い審判の機会にならねばならないし、なるはずです。そうしたもとで、市民と野党が行きがかりやしがらみを超えて、統一候補を掲げて闘うのは、画期的な歴史事件です。
それだけに、これまで猪瀨、桝添と、自ら押し立ててきた知事が2代続けてカネの問題で辞任に追い込まれた自公勢力は、危機感をつのらせ、公認候補と造反候補の「争い」を演出しながら、保守票・浮動票の取り込みに躍起であるようです。
でも、公認候補の増田寛也サンは、岩手県知事時代、1年間で171回も国内外に出張(ファーストクラス利用)、2013年8月には、南北アメリカ訪問で、16日間の渡航と宿泊費383万円。総務相当時には赤坂の高層マンションを約2億円で購入、在任期間中に不動産取引を行うことの自粛を求める大臣規範違反が指摘されています。また、公示日直前まで「東電」の社外取締役を務めるなど、どっぷりと「原子力ムラ」に身をおいてきた御仁。決してクリーンでも有能でもないらしい。
一方、小池百合子サン。「がけから飛び降りる覚悟で」知事選に出馬し、自民都連にいじめられながらも叛旗をひるがえす“平成のジャンヌダルク”を演じていますが、カネには汚いらしい。代表を務める「自民党東京都第十選挙区支部」の政治資金収支報告が話題になっています。それより何より、超タカ派集団「日本会議」の「国会議員懇談会」の重要メンバーとして、改憲策動の先頭に立ってきた人物で、アベ内閣による集団的自衛権容認よりも10年以上前から、「集団的自衛権の解釈変更は国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」(『Voice』2003年4月号)と豪語したり、小泉内閣で環境相時代には「日本の核武装構想について」、「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答(03年11月衆院選候補者アンケート)するなど、異常なタカ派ぶりを発揮してきた人物です。
ネット上に、こんな記事がありました。
【東京都知事選】鳥越氏に対する「病み上がり」発言の小池百合子氏、沖縄選出の国会議員に「日本語読めるんですか?」と差別的やじ!〜生活の党・玉城デニー議員に真相を直撃インタビュー!2016.7.20
一部を引用します。
2013年11月26日、玉城氏は特定秘密保護法が強行採決された直前に開かれた、衆議院国家安全保障に関する特別委員会で質疑に立った。発言中、 議員席に座る小池氏から「日本語読めるんですか、日本語分かるんですか」というヤジが飛んだという。玉城氏は沖縄出身。ウチナンチューの日本人とアメリカ 人の両親を持つ、いわゆる「ハーフ」だ。小池氏のそのヤジは、玉城氏の出自をからかった、明らかな差別発言である。国会でそうした差別的な中傷を浴びたの は、後にも先にも、小池氏からだけだったと玉城氏は語っている。 小池氏は日本最大の右翼団体「日本会議」の「国会議員懇談会」の副会長も務めてきた。大臣在任時には終戦の日に合わせ、靖国神社へ参拝した。さら には、2009年の衆院選では、自公だけではなく幸福実現党とも手を取り合い、選挙戦を闘い、選挙区では落選したが、比例区で復活当選した。2010年に は、在特会(在日特権を許さない市民の会)の「女性部」で講演した過去もある。 「右に偏っている人はどうしても差別的な発言をする傾向が強い」。玉城議員のこの見立てにまさに当てはまるのが、今、都知事選でトップ争いを展開している、小池百合子氏本人なのである。 |
すると心ある都民の選択肢は、鳥越さん以外に考えられない!はずですが、それを許したくないのが権力というものらしいです。
知事選前からリテラのこんな記事が話題になっていました。http://lite-ra.com/2016/07/post-2415_2.html
実際、石原慎太郎元知事にも都知事選に初出馬する少し前に愛人と隠し子がいることを「フライデー」にすっぱ抜かれたし、猪瀬直樹元知事も、選挙期間中に過去のセクハラ疑惑を週刊誌に報道されたが、新聞・テレビはまったく後追いせず、彼らはそのまま無視して知事になり、そのまま居座り続けた。安倍内閣の閣僚や自民党の幹部らも何人も週刊誌に不倫や異性関係を暴かれているが、やはりテレビは完全スルー。女性スキャンダルで役職辞任した閣僚、役員は誰もいない。 しかし、鳥越氏は野党統一候補である。すべてのテレビ局が安倍政権に尻尾を振っている今の状況を考えると、逆に官邸に尻を叩かれて、テレビ局が一斉に鳥越バッシングを展開するという事態も起きかねないのだ。そう、舛添前知事にこぞって襲い掛かったように、である。 鳥越氏周辺は「大丈夫、もう歳だし、書かれて困るようなことはなんにもない」と言っているらしいが、くれぐれも周辺には気をつけてもらいたいと思う。これは、たんに鳥越氏だけの問題ではなく、野党共闘の未来がかかっているのだから。 |
こちらの記事を「拡散」させて戴きます。
「週刊文春」にたいする弁護団の抗議は、理のあるものと思えます。
週刊文春への抗議について |
今朝の散歩の光景はこんな感じ。
この道はいつか来た道 「密告フォーム」の行き着く先、の巻 [時事]
そして、ついにむかえた八月十五日である。濁流がどんないなかのすみずみまでも押しよせたようなさわぎのなかで、大吉たちの目がようやくさめかけたとしても、どうしてそれをわらうことができよう。わらわれる毛ほどの原因も子どもにはない。 |
子どもたちを熱病にうかされたように軍国少年・少女に仕立て上げ、「命は鴻毛より軽し」とばかりに死に急がせたのは、学校でそう教えた教師をはじめ、ほかならぬ大人たちの責任です。
ただ、絶対主義天皇制下の先生支配のもとでは、
自ら好んで流れに身を任せないまでも、その流れに抗ったり押しとどめようとすることは、文字通り命がけの困難を伴いました。
壺井栄の夫壺井繁治も、プロレタリア詩人としての思想と運動の故に、繰り返し検挙投獄され、「転向」を強いられます。
詩人・翻訳家の大島博光さんは、壺井繁治についてこう書いておられます。(壺井繁治と「全詩集」)
比喩にくるんだ風刺 追い続けた蝶のイメージ 壺井繁治と「全詩集」 国文社 大島博光 ファシズムへの批判と嘲笑 戦争前夜の一九三〇年代─ファシズムの風潮がいよいよ高まり、治安維持法という名だたる悪法がわがもの顔にのさばった一九三〇年代。小林多喜二の拷問と虐殺(一九ニニ年)に象徴されるあの血なまぐさい弾圧の時代の暗黒さは、いまの日本ではもう想像もつかない。(だがおんなじ血なまぐさいファシズムが、いま もチリや南朝鮮やスペインで荒れ狂っている。) 詩人壺井繁治は、この一九二〇年代の嵐のなかをコミュニストとしてくぐりぬけなければならなかった詩人たちの、典型的なひとりである。 一九二九年、すでにアナーキズムと訣別してコミュニストとなっていた彼は『戦旗』の発行担当者となっている。そのために、検束、拘留をうけることが日常的となり、一九三〇年と三二年、二度にわたって投獄され、一九三四年、保釈の身となり、出獄している。 詩人が生きたこの時代とかれの体験は、その詩のなかにも反映されている。一九二六年にかかれた『頭の中の兵士』『勲章』などの作品は、こんにちこれを読みかえしてみるとき、あらためて新しい感銘をわたしにあたえる。この風刺的な散文詩は、奇抜なイメージと、なかなか晦渋な比喩によって、当時のファシズムと軍国主義を批判し、これを痛烈に嘲笑している。 ・・・一隊の騎兵は馬首を揃えて進軍した。・・・何処からともなく美しい一羽の蝶が飛んで来た。士官はそれを見つけるや否や、指揮刀を高く振り上げて、「止れっ!」と号令した。「おい、貴様たち!あの蝶を切り捨てて見ろ!見事に切り捨てた奴には褒美として勲章をやる」 兵士達は、この号令に従って、われ先きにと剣を引き抜いて、その美しい蝶をめがけて斬り込んで行った・・・」(『勲章』) ここにすでに、この詩人の愛する蝶というイメージが現われている。このイメージに詩人が何を託したのかは、はっきりとはわからない。読者はそれをいろいろにおしはかるほかはない。しかし、この晦渋さ、難解さが、この散文詩を二重に生かしているのである。ひとつは、平板な自然主義的な描写の目立っていた当時のレアリズム詩のなかにあって、この散文詩はこのようなイメージと比喩によってひときわきわだっていること。もうひとつは、この晦渋さ、難解さによって、当時の検閲の眼をくらますことができたということである。その頃は、ちょっとした革命的な表現や言葉をふくんだ作品でさえ、しばしば発禁処分のうきめに合ったのであった. ″蝶″に託す人間の勝利と希望 さて、拷問、投獄という地獄の体験は生まやさしいものではなかった。投獄されたことを知った詩人の母は、「心痛のあまり発狂(軽症)」したのでもあった。そして詩人は、 ふるさとの母は 愚かだけれど なつかしい という詩句ではじまる『ふるさとの母に』と題する、やさしい、うつくしい詩をかく。詩人はたんたんとほとんど客観的に「泥棒や人殺しだけが」牢屋に入れられると考えている母によびかけている。しかしこの詩の背後には詩人のわめきたいような激情がかくされ、抑えつけられているのである。そのことによって、この作品は詩としての力をもつことにもなる。 おお、なつかしいふるさとの母よ 私の仲間たちは まだ多勢牢屋につながれています そしてこれからもつながれるでしよう けれどもどうか達者でいて下さい どうして私達が そんなに牢屋につながれるかが納得出来る日まで・・・ しかし情勢はますます悪化してゆく。第二次世界大戦が始まる。日中戦争がいよいよ深みにはまってゆく。一九四〇年、詩人は「標本箱に収められながらなお羽根をふるわせる蝶の登場する」詩「蝶」をかく。ここには、幾重にも屈折した詩人の想いが、標本箱の中の蝶というイメージと、胸に抱きしめて「長い冬を凌いできた」蕾というイメージによって描かれている。作者はこの詩を「一種の転向詩」とよんでいるが、この詩のなかの作者はまだ転向しきってはいない。「おお蝶よ/私の胸へ/春の溜息する方へ飛んで来い」とうたうとき、詩人の声は弱よわしいけれども、なお希望をかかげているのである。のちに詩人がみずから表現した言葉にしたがっていえば、この詩はたとえ弱よわしくあろうとなお「人間の希望と勝利へつながるものとしての敗北の歌」ということができよう。 戦後、一九四六年、詩人は「小林多喜二のお母さんへ」という献詞をもつ『二月二十日』をかいている。ここには、多喜二を虐殺したファシズムの残虐さと共産義者たちの人間的な同志愛とが、また戦前と戦後とが、あざやかな対比のうちに描かれており、詩人の抒情がみずみずしく鳴りひびいている。この詩はやはり一九三〇年をつたえる記念碑的な作品である、といっていい。 |
小林のお母さん |
壺井繁治については、私の過去記事でも、こっそり短い詩を紹介しました。
◇きれいさっぱり新規インストールで光明みえたとおもったが、の巻
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下の作品などとともに、好きな詩のひとつです。
黙っていても 黙っていても 考えているのだ 俺が物言わぬからといって 壁と間違えるな |
石 石は 億万年を 黙って 暮らしつづけた その間に 空は 晴れたり 曇ったりした 命は鴻毛より軽し |
◇膾を割くに牛刀を以てす、、あれれ?
◇風よお前は
◇もうひとつの911 その2
このお二人が、戦後、「詩人会議」の設立と民主主義的詩運動の発展にともに尽力した盟友であったことには、うかつにも今まで気づかずににいました。(知ったかぶりの地金はすぐに剝げます(汗)
ところで、壺井栄は、夫繁治をとおして小林多喜二や宮本百合子らのプロレタリア作家との親交をふかめ、百合子の紹介で「大根の葉」を、『文芸』に発表して好評を博し、作家として本格的にデビューしました。宮本百合子は、治安維持法違反で十二年もの間獄中生活を強いられた夫宮本顕治(芥川龍之介を論じた「敗北の文学」で「改造」新人賞を得た文芸評論家で、非合法時代の日本共産党幹部。戦後、日本共産党書記長、委員長、議長として活躍。今日の基盤を築いた)に当てた手紙に、こう書いています。
七月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕 私が病院から帰って来た時分、スエ子は是非私と住みたい心持で、私もそれはやむを得まいと思って居りましたが、この頃ではスエ子が自身の職業をもつ条件や何かでやっぱり国男たちと暮し、後には一本立ちになるプランに変更です。だから私は私で自分の一番よいと思う暮しかたをすればよくなったので大変楽です。去年の六月頃詩人[自注6]である良人に死別した女のひとで、おひささんというおとなしい人がいるのでもしかしたらそのひとに家のことを見て貰うかもしれません、それが好都合にゆけば私は殆ど幸福というに近い暮しが出来るのですが――私の条件としてはね。この頃私は仕事というか文学についての勉強心というか猛烈であって、女学生のようです。 (中略) [自注6]詩人――プロレタリア詩人、今野大力。『戦旗』とプロレタリア文化連盟関係の出版物編輯発行のために献身的な努力をした。共産党員。一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった。のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されている。 宮本百合子「獄中への手紙 一九三六年(昭和十一年)」 (青空文庫より) |
ここで名前が出てくる今野大力について、2007年8月25日(土)「しんぶん赤旗」はこう書いています。
今野大力(こんの・だいりき)は、戦前、天皇制政府による激しい弾圧のもとで、反戦平和と国民が主人公の世の中をつくるために、最後まで命がけでたたかった日本共産党員の詩人です。 今野は、1904年(明治37年)に宮城県丸森町に生まれ、3歳のとき北海道旭川に移住。父母は馬車鉄道の待合所をかねて雑貨店を営みますが、貧しい中で弟や妹を出生間もなく失います。しかし、今野は、逆境にめげず、幼少のころから心やさしく、仲間たちからも慕われました。旭川時代から郵便局などで働きながらも向学心に燃えて独学に励み、17歳のころからは叙情性の豊かな作品で詩人としての才能が認められ、文学活動をつづけるなかで、民衆の生活への社会的関心をつよめていきます。 31年9月、中国東北部への侵略(満州事変)が始まると、今野は、「日本プロレタリア文化連盟(コップ)」(同年11月結成)で同じ共産青年同盟員であった今村恒夫、槙村浩らとともにひるまずたたかいました。 『プロレタリア文学』32年2月号に発表された今野の反戦詩「凍土を噛(か)む」は― おれたちは千里のこなたに凍土を噛む 故国はおれたちをバンザイと見送りはしたが ほんとうに喜こんで見送った奴は 俺達の仲間ではない おれた ちは屠殺場へ送られてきた馬 豚 牛だ!……殺す相手も 殺される相手も 同じ労働者の仲間 おれたちにはいま仲間を殺す理由はない この戦争をやめろ ―と書いています。 32年3月、文化運動の広がりと発展にたいして、天皇制政府は、文化活動家404人を逮捕。今野は駒込警察署での拷問がもとで、人事不省におちいり釈放されます。健康を害した今野は、奇跡的に回復すると、屈することなく、小林多喜二の虐殺、今村恒夫逮捕の後の「赤旗」(せっき)配布などに参加し、33年には野呂栄太郎、宮本顕治の推薦で日本共産党に入党します。しかし、ふたたび結核が悪化し、35年6月19日、31歳の若さで永眠しました。 黙々とたたかう今野の姿は、宮本百合子の小説「一九三二年の春」「刻々」「小祝の一家」にも描かれています。 死の一カ月前に今野が書いた「小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく」で始まる詩「花に送られる」は、療養先だった武蔵野の住まいから江古田の療養所へ向かう寝台自動車の自分をうたい、死を覚悟した決然とした姿が胸を打ちます。 〈参考〉『今野大力作品集』(新日本出版社)(喜) 〔2007・8・25(土)〕 |
文章中の、槙村浩(まきむらこう)の話題も、何度か記事にしました。
◇「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◇里村欣二は日生の生まれ、の巻
◇槙村浩と三月一日
◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻
◇懐かしき便り嬉しき聖夜かな
今野が反戦詩「凍土を噛(か)む」を発表したのと同じ1932年2月、創刊の『大衆の友』に発表した詩『生ける銃架』は、進軍する兵士を生きた銃架にたとえてこう歌います。
『生ける銃架』 槙村浩 (前略) 高粱の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く 銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与へる――血のやうな夕日を浴びてお前が黙々と進むとき お前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢に隠れ お前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だ (中略) 生ける銃架。おう家を離れて野に結ぶ眠りの裡(うち)に、風は故郷のたよりをお前に伝へないのか 愛するお前の父、お前の母、お前の妻、お前の子、そして多くのお前の兄妹(きやうだい)たちが、土地を逐(お)はれ職場を拒(こば)まれ、飢えにやつれ、歯を喰い縛(しば)り、拳(こぶし)を握(って、遠北の空に投げる憎しみの眼は、かすかにもお前の夢に通はぬのか (中略) 生ける銃架。お前が目的を知らず理由を問はずお前と同じ他の国の生ける銃架を射×しお前が死を以て衛(まも)らねばならぬ前衛の胸に、お前の銃剣を突き刺す時背後にひゞく萬国資本家の哄笑がお前の耳を打たないのか 突如鉛色(なまりいろ)の地平に鈍い音響が炸裂(さくれつ)する砂は崩れ、影は歪(ゆが)み、銃架は×を噴いて地上に倒れる 今ひとりの「忠良(ちうりゃう)な臣民(しんみん)」が、こゝに愚劣な生涯を終えた だがおれは期待する、他の多くのお前の仲間は、やがて銃を×に×(ひ、剣を後(うしろ)に×へ自らの解放に正しい途(みち)を撰び、生ける銃架たる事を止(とゞ)めるであらう (後略) |
この頃、共青高知地区委員会のメンバーが高知市朝倉の歩兵44連隊兵舎内に侵入して上海出兵に反対する 「兵士よ敵をまちがえるな」と書いた反戦ビラを配布するが、そのビラを槇村が執筆した。と、ウィキペディアにはあります。
翌33年2月20日、小林多喜二は、特高警察のスパイの手引きで今村恒夫とともに逮捕され、築地署で拷問を受け、その日のうちに虐殺されました。
その一周忌に当たって作られた今野大力の詩を青空文庫から引用します。が
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今日も途中でバックアップできないトラブル。文章を二回書きました。くたくたです。
木槿の花
ひまわりの花。
フヨウの花とキリギリス。
きょうはこれにて
自民HP「密告フォーム」と「二十四の瞳」、の巻(4) [時事]
昨日の消失記事の復元にいどみます。
私はこの記事をホームページビルダーのブログ作成機能を利用して書いていますが、予期せぬトラブルにしばしば見舞われて落胆します。昨日も、この「密告フォーム」シリーズが完結して気持ちよくアップロードしようとしたら、そのまま「プログラムが応答していません」表示が出て、泣く泣く強制終了しました。
昨日の記事の続きに、こんなことを書いたように思います。
「二十四の瞳」の一節です。
人の命を花になぞらえて、ちることだけが若人の究極の目的であり、つきぬ名誉であるとおしえられ、信じさせられていた子どもたちである。日本じゅうの男の子を、すくなくもその考えにちかづけ、信じさせようと方向づけられた教育であった。校庭のすみで本を読む二宮金次郎までが、力ンコの声でおくりだされてしまった。なん百年来、朝夕をしらせ非情を告げたお寺の鐘さえ鐘楼からおろされて戦争にいった。 大吉たちがやたら悲壮がり、命を惜しまなくなったこともやむをえなかったのかもしれぬ。 しかし大吉の母は、 一度もそれに賛成はしなかった。 「なああ大吉、おかあさんはやっばり大吉をただの人間になってもらいたいと思うな。 名誉の戦死なんて、一軒にひとりでたくさんじゃないか。死んだら、もとも子もありゃしないもん。おかあさんが一生けんめいに育ててきたのに、大吉ァそない戦死したいの。おかあさんが毎日泣きの涙でくらしてもえいの?」 のぼせた顔にぬれ手ぬぐいをあててでもやるようにいったが、熱のはげしさは、ぬれ手ぬぐいではききめがなかった。 かえって大吉は母をさとしでもするように、 「そしたらおかあさん靖国の母になれんじゃないか」 これこそ君に忠であり親には孝だと信じているのだ。 それでは話にならなかった。 「あああ、このうえまだ靖国の母にしたいの、このおかあさんを。『靖国』は妻だけでたくさんでないか」 しかし大吉は、そういう母をひそかに恥じてさえいたのだ。軍国の少年には面子があった。かれは母のことを極力世間にかくした。大吉にすれば、母の言動はなんとなく気になった。 (中略) |
じぶんの家でも父が戦争にゆくということで肩身がひろかったのだ。 一家そろっているということが、 子どもに肩身のせまい思いをさせるほど、どこの家庭も破壊されていたわけである。 戦死の公報がはいったのは、サイパンを失うすこしまえだった。さすがの大吉もそのときは泣いた。ひじを胸のほうにまげて、手首のところで涙をふいている大吉の肩を、母はだきよせるようにして、「しっかりしようね大吉、ほんとうにしっかりしてよ大吉」 じぶんをもはげますようにいい、そのあと、小さな声で、どんなに父が家にいたがったかを語った。 「いったらもう帰れないこと、わかってたんだもん。それなのに大吉たち、おおさわぎしたろう。気のどくで、っらくておかあさん……」 しかし大吉はそのときでさえ、なぜ母はそんなことをいうのだろうと思つた。父はよろこび勇んで出ていったのだといってもらいたかった。戦死は悲しいけれど、それだとて、父のない子はじぶんだけではないのにと、そのことのほうをあたりまえに考えていた。 となり村のある家などでは、四人あったむすこが四人とも戦死して、四つの名誉のしるしはその家の門にずらりとならんでいた。大吉たちは、どんなにか尊敬の目でそれをあおぎ見たことだろう。それは一種の羨望でさえあった。 その 「戦死」 の二字をうかした細長く小さな門標は、.やがて大吉の家へもとどけられてきた。 小さな二本のくぎといっしょに状袋に入れてあるのをてのひらにあけて、 しばらくながめていた母は、そのまま状袋にもどして、火鉢のひきだしにしまった。 「こんなもの、門にぶちつけて、なんのまじないになる。あほらしい」 怒つたような顔をしてつぶやき、しょきしょきと米をつきはじめた。米はビールびんのなかでつくのである。 病気で寝ていたおばあさんのおかゆのためで、大吉たちの口にははいらなかった。 〈中略) そしてある日、名誉の門標はいつのまにか火鉢のひきだしから門の鴨居正面にうつっていた。母のるすに大吉がそこへうちつけたのである。小さな「名誉の門標」は、しかるぺき位置に光っていた。「門標」の妻は、しばし立ちどまってそれをながめた。ひとりの男の命とすりかえられた小さな「名誉」を。その名誉はどこの家の門ロをもかざって、恥をしらぬようにふえていった。それをもっともほしがっていたのは、 おさない子どもだったのであろうか。 |
そして、ついにむかえた八月十五日である。濁流がどんないなかのすみずみまでも押しよせたようなさわぎのなかで、大吉たちの目がようやくさめかけたとしても、どうしてそれをわらうことができよう。わらわれる毛ほどの原因も子どもにはない。 |
「ぬれ手ぬぐい」の効あってか次第に熱も冷め、ようやく目がさめていったのが、当時の軍国少年、少女たちのたどった道だったのでしょう。
これらの場面を、これまで私は、重く受け止めていなかったわけでは決してありませんが、とおく過ぎ去った昔のこと、幸いにも克服された解決済みの課題、として読み流していたように思います。今度、改めて再読してみて、これは今現在、目の前に横たわっている危機そのものではないか、と思えてなりません。
つまり、あのとき、「ぬれ手ぬぐい」によって適切に熱を冷まし、覚醒することをし損ねたまま、今なお熱にのぼせ続けているヒトたちや、どこでどう感染したか、自ら熱に浮かされしかもそれを増幅させながら周囲に伝染させている重症者が、こともあろうに戦時権力の中枢に居座っている異常事態。やばいと思えて成りません。
たとえば、半ば陶酔的な「乙女チック」なこんな発言。七十年以上タイムワープした錯覚を覚えます。
↓こんなこともありましたし、
10日放送の「池上彰の参院選ライブ」(テレビ東京系)で、三原じゅん子氏が、神武天皇が実在すると明言する場面があった。 番組では、同日投開票を迎えた第24回参議院議員選挙の開票速報を展開した。自民党現職の三原氏は比例代表から選挙区にくら替えしての立候補で、早々と当選確実の一報が流れた。番組では、三原氏の選挙活動に密着したVTRを放送し、その中で、「党内切っての保守派」と紹介。VTR上で三原氏は「神武天皇の、建国からの、そのときからの歴史すべてを受け入れた憲法を作りたい」との抱負を語っていた。 そんな三原氏に、番組では池上彰氏が中継をつないでインタビューをした。池上氏は、三原氏がVTR上で「神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らなければいけない」との旨の発言していたことに触れ、「どういう意味なんでしょうか? 明治憲法の方がよかったという意味なんですか?」と質問。三原氏は「すべての歴史を受け止めて、という意味であります」と端的に答える。 池上氏はこの回答に「なるほど、じゃあ神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?」と、再度尋ねていく。すると三原氏は「そうですね。いろいろなお考えがあるとかもしれませんが、私はそういう風に思ってもいいと思います」と認めたのだった。 これにはスタジオで「おお…」という声がもれ、池上氏は驚いた様子で「ああ、そうですか!」と発する。学校の授業では神話上の人物だとし、再び「三原さんは神武天皇は存在したと?」と聞き返す。 三原氏は「神話の世界であったとしても、そうしたことも含めて私はそういう考えでもいいんではないかという考えであります」と発言し、池上氏が「なるほど、神話も含めての日本の歴史を大切にした憲法にしなければならないと、そうお考えだということですね?」と補足する。これに三原氏が「そうですね、はい!はい!そういうことです」と認めたところで、中継は終わった。 |
↓こんなこともありました。
自民党の三原じゅん子参院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べた |
さすがに戦争中を経験した年配者は、こんな熱に浮かされた発言はできなかったと見えます。 |
昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明しています。 |
タカ派中のタカ派、ナカソネサンでも、こう言っていましたものね。 |
昭和58年には中曽根康弘総理大臣が衆議院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」との認識を示した |
知らないというのは、つくづくおそろしいものです。
また、恥ずかしいものです。
蓮根田のハスの花が、いろいろな装いを見せています。
雨の日のハスの花 posted by (C)kazg
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風の日のハスの花 posted by (C)kazg
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自民HP「密告フォーム」と「二十四の瞳」、の巻(3) [時事]
悪夢のようにすぎたここ五年間は、大石先生をも人なみのいたでと苦痛のすえに、小さなむすこにいたわられながら、 このへんびな村へ赴任してこなければならない境遇に追いこんでいた。 わが身に職のあることを、はじめてかのじょは身にしみてありがたがった。教え子の早苗にすすめられて願書はだしてみたものの、きてゆく着物さえもないほど、生活は窮迫の底をついていった。不如意な日々のくらしは人を老いさせ、かのじょもまた四十という年よりも七、八つもふけて見える。五十といっても、だれもがうたがおう。 いっさいの人間らしさを犠牲にして人びとは生き、そして死んでいった。おどろきに見はった目はなかなかに閉じられず、閉じればまなじりを流れてやまぬ涙をかくして、なにものかに追いまわされているような毎日だった。 しかも人間はそのことにさえいつしかなれてしまって、 立ちどまり、ふりかえることをわすれ、心の奥までざらざらに荒らされたのだ。荒れまいとすれば、それは生きることをこばむことにさえなった。 そのあわただしさは、 戦いのおわったきょうからまだあすへもつづいていることを思わせた。 戦争はけっしておわったとは思えぬことがおおかった。 原爆の残虐さが、 そのことばとしての意味だけでつたえられてはいたが、 まだほんとうの惨状をしらされていなかったあの年の八月十五日、 ラジオの放送をきくために学校へ招集された国民学校五年生の大吉は、敗戦の責任を小さなじぶんの肩にしょわされでもしたょうに、しょげかえって、 うつむきがちに帰ってきた。 |
思えば、これらの記事で書いた「その時10歳」の方々と、ほぼ同世代ということになるでしょう。◇そのとき十歳の私は、補遺
◇取り急ぎ、岡山空襲の日を走り読み、の巻
◇沖縄慰霊の日に思い出すこと(その3)
少し端折って読み進めます。
あの日、しょげている大吉の心を「なにをしょげてるんだよ。 これからこそ子どもは子どもらしく勉強できるんじゃないか。 ごはんにしょ」 だが、 いつもならおおさわぎの食卓を見むきもせずに大吉はいったのだ。 「おかあさん、戦争、まけたんで。ラジオきかなんだん?」 かれは声まで悲壮にくもらしていった。 「きいたよ。でも、とにかく戦争がすんでよかったじゃないの」 「まけても」 「うん、まけても。もうこれからは戦死する人はないもの。生きてる人はもどってくる」 「一億玉砕でなかった!」 「そう。なかって、よかったな」 「おかあさん、泣かんの、まけても?」 . 「うん」 「おかあさんはうれしいん?」 ' なじるようにいった。 「ばかいわんと!大吉はどうなんじゃい。うちのおとうさんは戦死したんじゃないか。もうもどってこんのよ、大吉」 そのはげしい声にとびあがり、はじめて気がついたように大吉はまともに母を見つめた。しかしかれの心の目もそれでさめたわけではなかった。かれとしては、この一大事のときに、なおかつ、ごはんをたべようといった母をなじりたかったのだ。平和の日をしらぬ大吉、生まれたその夜も防空演習でまっくらだったときいている。灯火管制のなかで育ち、 サイレンの音になれて育ち、真夏に綿入れの頭巾をもって通学したかれには、母がどうしてこうまで戦争を憎まねばならないのか、よくのみこめていなかった。 |
すみません、またまた書きかけの記事が消失しました。ここまではバックアップしていましたので、続きの復元は次回とします。
散歩中に上空を数羽の鴨が舞いました。カメラが間に合わず、一枚だけ証拠写真です。
上のカモと同じかどうかはわかりませんが、前方の小川にカルガモの親子を見つけました。
気配を察知したのか、すたこら陸地に駆け上りました。カメラが間に合ったのは一番しんがりの親ガモの姿だけ。雛(若鳥)たちはさっさとどこかに姿をくらましてしまいました。
今日はこれにて。