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もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 [健康]

 今話題の2013年問題とは、2013年4月以降、60歳の定年で退職する人には、給料も年金受給もない収入の空白期間(無収入・無年金)が生じるという問題です。私は今年61歳ですから、比例報酬部分はかろうじて支給を受けていますので、上記の問題の直接の該当者ではありません。
 私の2013年問題は、別にあります。2013年の正月(正式には1月2日)、私は、「退職」という人生の区切りに当たる今年の幕開けをすがすがしく迎えたいと、早朝の散歩に出かけました。
 家の玄関を出て、大きく深呼吸をしていつもの散歩道に足を踏み出したその時です。そこは芝草の生えた土手道で、少々下り坂になっているのですが、表面に霜がおりて白く輝いているのに気がつきました。いや、ふと気がついた気がしたまでで、次の瞬間には、足を変な具合にねじった状態で、滑り転んでいたのです。

私の「2007年問題」 病気自慢その1 [健康]

 同年代の親しい者同士が寄ると、病気自慢に花が咲きます。
 私も、若い頃はほとんどお医者さんには縁がなく、医療費を使わなかったご褒美として、健保組合から折りたたみ傘とか、健康器具とかの記念品を、何度かいただいた記憶があります。結婚して子どもができると、伝染病やら怪我やらで、自然と、お医者さんにかかる機会も増えましたが、私自身は依然として、小さな風邪や虫歯の治療などが年に1~2回あるかないかのレベルでした。
 それが、いつの頃から大小取り混ぜてたくさんの病名をもらうようになりました。肝嚢胞、脂肪肝、十二指腸潰瘍、胃潰瘍、高血圧、血液検査の異常など、検診毎に色々指摘され、経過観察で過ぎてきたものもありますし、精密検査やら治療指示を受けた病気もあり、年齢相応の病気体験を重ねてきました。なかでも 極めつけは、2007年の暮れの未破裂脳動脈瘤の手術です。
 ご記憶の通り、当時「2007年問題」が騒がれました.もちろん団塊の世代の大量退職という社会問題を意味しますが、私には、もう一つの「2007年問題」がありました。
 その年の、1月1日に、飼い犬が19歳で天寿を全うしました。人間に換算すると90歳あまりと言われる長寿で、家族皆、覚悟はできていましたが、喪失の痛みはぬぐえませんでした。
 そして、夏には敬愛する先輩が退職まもなく癌で亡くなりました。新任の地での同僚(先輩)で、独身時代、飲み屋や互いの下宿その他で、夜昼ない交流を重ねたものでした。私の結婚式では、無理に司会をお願いした間柄でもありました。
 相前後して、幼なじみの同級生が病のため死亡しました。私のアルバムには、小学校入学式の日でしょうか、今ではとっくに廃校となったその小学校の校門の前で、彼とツーショットで写った写真が貼ってあります。
 何か、この世とあの世の境目が隣り合わせに感じられる気がする出来事が重なったその年の秋、私自身、前々から経過観察していた脳動脈瘤が、放置できない状態に肥大しているということで、手術に踏み切ることになりました。
 実はこの病気は、たまたま、必要があって3分間写真で顔写真を撮りましたら、どうも左目がふさがった状態で映るのが気になって、眼科に相談にいってみたことがきっかけで発見されました。花粉症のせいか、あるいは又、眼瞼下垂かという予想を立てておりましたが、医師は、眼科の領域外の病気も疑われると、脳神経科か神経内科への受診を勧めて下さり、紹介状も書いていただきました。それを持って総合病院の神経内科を受診すると、念のためにということでMRIの検査を受けました。その結果、動脈瘤が目の神経を圧迫しているらしいということになり、脳神経外科にかかることになりました。 
 ところで、脳動脈瘤というのは簡単にいうと脳の血管にこぶが出来るわけですが、多くの場合は、二股に枝分かれした箇所の弱い部分がふくれるもので、これは破裂しやすいが、発見さえできれば治療方法も確立していて、手術の成功率も高いようです。私のは、それとは違い、紡錘型といってちょうど古い水道ホースの痛んでいる部分がぷくっとふくれるように、血管本体がふくれているものでした。それが、椎骨という、脳幹・延髄などと近接するデリケートな部位にできているので、直ちに破裂ということは考えにくいが、治療も困難だということでした。手術する場合としない場合のリスクを照らし合わせて、急に大きくなるようなことがなければ様子を見ていきましょうと、数年経過観察をしてきていたのです。
平衡感覚を司る延髄を、瘤が圧迫していることから、自覚症状としては、ふらつき、めまい、手足のしびれ、二重視などに悩まされました。直ちに生命の危険を伴うものではないが、このまま緩慢たる死に近づいていくのかという不安も、抑えがたいものがありました。
 そのようなとき、MRI検査で、本来ボールペンの先ほどの細さの血管が、直径3cmほどへと急に肥大してきていることが確認されたので、緊急に手術という運びになりました。
 11月に入院し、クリスマスの頃は集中治療室で過ごし、正月はほぼ寝たきり状態で迎えました。
 瘤のできている血管の両端に、カテーテルを用いてコイルを充填して血流をせき止めるという最新の手術で、ダメージも少なく、手術は基本的に成功しました。ただ、瘤の肥大によって、延髄など、周辺の、神経が密集している部分がかなり圧迫を受けて変形しているため、その影響は一定残るだろうということでした。また、手術の際に血栓が飛んで、軽い脳梗塞も起こったという影響もありました。ふらつき、平衡感覚の乱れ、ものが二重に見える、手足が麻痺して自由に動かない、ものが飲み込みにくい、嚥下障害と密接に関連があるらしいのですが、思うように発声ができないなどの症状がありました。
 手術後のリハビリでは、作業療法士の先生の指導でまっすぐに線の上を歩く練習、ふかふかのマットの上でバランスを失わないで立つ練習、指先をつかいこなす練習(箸でおはじきを運んだり、それが大豆になったり、リングを棒に通したり)、指先のつまむ力や、握力をつけるための筋トレ、言語聴覚士の先生の指導により発声練習などを続けました。 私たちは加齢とともに、「以前できていたことができなくなる」という経験を重ねてきましたが、リハビリの過程の中で、「できなかったことができるようになる」という喜びを、改めて味わうことができたのは、久々のうれしい体験でした。
 昨年末で、手術後5年が経過して「完治」と見なせる段階にあり、身体的な違和もほとんど緩和していますので、私の「病気自慢」は、今では皮肉なことに鼻持ちならない「健康自慢」の響きを帯びてしまいます。失礼!
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アマガエルサイズのトノサマガエル? [折々散歩]

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アマガエルサイズのトノサマガエル?が用水の葉陰で涼んでいました。
ツチガエルはしょっちゅう見ますが、大きさは似ていても姿は違うと思います。
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早朝から暑くて、病人には散歩もこたえます。(7/28記)
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退院翌日の朝散歩 [折々散歩]

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この娑婆は 炎熱地獄や 肺灼くる
 ↑昨日の昼下がり。

遠慮げに 孫ら諍う 夕餉かな
 ↑昨日の夕食。いつもの情景ですが、多少私を気遣っている様子。

第三の人生という語を知りぬ
 ↑長男が「第三の人生」という語をメールで言うてきた。なるほどごもっとも。
「不摂生をせず」といらぬ一言が余計ですが。

月齢表によると、手術した夜(23日)が満月だったようです。明るい月でした。
週末の今日の早朝、空に浮かぶつきはかなり欠けています。天文の運行は,着実ですね。
しっかり体を動かして、肺を広げなさい(欠損部分を補うように)。というわけで、涼しいうちに散歩してみました。日の出前の時間帯ですが、それでもかなり汗ばみます。今日も暑くなりそう。 (7/27記)
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これでまた病気自慢に箔がつき [健康]

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開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。
選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。
東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。

さて、私は、今日の午後入院、明日が手術です。
明易や さも遠足の朝のごと
入院手術を前に、日常から非日常へ足を踏み入れるわくわく感を覚えている、なんて言うと不謹慎で罰が当たりそうですが、強がりばかりでもない、不思議な心境です。(7/22記)


昨日は丑の日でしたか。入院の初の食事に鰻の蒲焼き二切れが供されました。明日に向けて暫し絶飲食ですから、噛みしめていただきました
入院の祝いか土用鰻かな
夜はにわか雨、明るい満月、ひっそりとした夜景と,病室の窓はの外は様々な表情を見せてくれました。

病室の窓一面に朝焼ける(7/23記)


昨日の手術は約4時間かけて無事終わりました。といっても,私が覚えてえいるのは、手術室に入って麻酔の注射を打ってもらっている場面と、「終わりましたよ」と看護師さんに呼び掛けられた場面だけ。間はぐっすりねていました。
医師によると内臓脂肪が邪魔で苦労したが、手術は大成功。すぐに退院できるだろう、とのこと。

またひとつ拾うたいのち夏の宵

あれこれの管や機器に縛りつけられた窮屈な「重症患者」の一夜が明け、今朝は、胸の患部に挿入した管を抜き、尿をとる管も抜き、点滴だけの自由な体になりました。たち歩きも、もうできます。回復順調で、この調子だと、退院も早い、とのこと。

あっけないと言うてはあかん罰当たる(NHKぼやき川柳もどき)(7/24記)


最短記録で明日にでも退院できる見とおし。さすがに傷口の痛みは、夜中には気になりますが、昼間は平気、病室の窓越しに見下ろすと、なにやら人だかり、、、朝のラジオ体操でした。
見下ろせば路地裏にラジオ体操の夏(7/25記)

昨夜は、痛み止めを使わないで眠れました。
朝の散歩で廊下を歩いて見ると、さすがに息切れはするし、痛みや突っ張りががあって自分の体じゃないみたい。そのうち慣れるでしょうけれど。
入院中、用意してきたものの多くを、使わないまま持って帰ります。本も、何冊も持って来たのに、一ページもめくることがありませんでした。学生時代の長期休業明けの心境でしょうか。あと、落語のcd,dvdは、有用でした。
それに引き換え、テレビは、番組表もなしに漫然と眺めていると、退屈しごく。

何となく心残してシャバに出る

シャバが変換できません。(7/26記)

これでまた病気自慢に箔がつき





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子どもの夏 [折々散歩]

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西瓜が採れました。
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ウチワヤンマは、ヤンマトンボの仲間ではなく、サナエトンボ科だそうですね。尾の先の突起が団扇に見えるといいますが、立派なヤンマトンボに見えます。
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久しぶりにトノサマガエルに会いました。孫は、トノサマバッタとトノサマガエルの共通性について考察していました。
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炎昼や 子ども時代の ワンシーン(7/21)
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いのち新たや 夏の庭 [園芸]

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トカゲの卵ではないか?と妻が言います。庭掃除中の発見です。近くに、セミの幼虫(脱皮前の)も活動中でした。
かにかくに いのち新たや 夏の庭(7/18)
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逆さ児島富士 [折々散歩]

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児島湖に常山(児島富士と呼ばれる)が映って、逆さ富士が現出します。
真夏の空がまぶしい季節です。(7/6撮影)
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こちらは、水田に映った逆さ児島富士です。
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富士の世界文化遺産登録が話題を呼ぶ中、「○○富士」が脚光を浴びています。
常山は、かつて児島半島が瀬戸内海に浮かぶ島であった時代、海に面して聳える小高い山でした。戦国時代、ここには山城が築かれ、城主は幾代かにわたって交代しましたが、女軍の戦で知られる「常山合戦」は、現地の案内板には次のように記されています。



常山合戦案内
ここ常山城は、常山女軍が戦った城として知られています。
天正3年(1575)6月7日、城主上野肥前守隆徳の守る常山城は、毛利・小早川隆景の大軍に包囲され落城の時を迎えていました。
本丸直下のこの二の丸付近に迫った敵将浦宗勝の軍勢に対し、領主隆徳の妻鶴姫以下34人の侍女達は最期の戦いを挑みました。
しかし、女軍達は次第に討ち取られ、鶴姫は本丸に引き上げ自刃したと伝えられています。
昭和12年(1937)、城主一族と女軍の冥福を祈って40基の墓石と墓碑が建立され、戦国の世の人々は今、桜木や広葉に囲まれて静かに眠っています。

         平成15年11月11日   玉野市教育委員会         「常山合戦案内」板より



連休、久々の雨が続き、今週はまた真夏の様子。
クマゼミが早や競い鳴く朝八時
皆様お達者で(7/16記)

 


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原爆忌の朝 [折々散歩]

今日は原爆忌。
その日の朝も、今朝のように静かに美しく明けたのでしょう。
「リトルボーイ」を抱きかかえた「エノラゲイ」が、テニアン島からゆっくりと近づいていることを知らずに、子どもたちはその日の今時分、朝食を済ませ、「行ってきます」と家を出たのでしょう。いつもの通りに。
でも、そのわずかの後、一瞬にしていつもの当たり前の世界は消滅し、誰一人夢想すらしなかった「非現実」の地獄絵が現出したのでした。
今日が何の日であるかピンと来ないという人も増え、他方、「戦争を悲惨に描きすぎるな」と平和教育や平和教材にクレームをつけ、「屈辱の記憶」「屈辱の歴史」を清算したい動きも、なんだか勢いを増してる感じで、居心地悪い今日このごろです。たとえにわか平和主義者と言われようとも、せめて今日だけでも、全国民が平和の使徒になる日でありたいと切に念じる朝です。

この日だけの祈念というとも原爆忌

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昨日の朝のHさんの朝の光景の写真に刺激され、私も今朝の朝景色を写してみました。ところが、カメラにメモリーを装着しないで出かけたため、内蔵メモリーに数枚保存できただけでした。残念。

 


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フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA