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葉月晦の薀蓄!! [折々散歩]

8月最後の日です。三日坊主の私が、一月間毎日日記を書き続けました。(15日が、日付変更線を超えてしまいましたが)。まずはご立派と、自画自賛。
月の終わりは、「つきごもり」から転じて「つごもり」と呼ばれ、漢字では「晦」と書きます。
「枕草子」にこんな記事があります。
「八月つごもり、太秦(うづまさ)に詣(まう)づとて見れば、穂(ほ)にいでたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。早苗(さなへ)とりしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂(かも)へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。(二百十七段)

「早苗取りしか何時の間に」は次の古歌を踏まえたもの。

 「昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く」 (読み人知らず 古今和歌集秋上)
ちなみに係助詞「こそ」の結びで、過去の助動詞「き」が已然形「しか」になるのは、おなじみの「係り結びの法則」(法則と呼ぶほどのものですか?)。「こそ―――已然形」で結んで、文が終わらずに続く場合、逆接の条件節になることが多い。というわけで、この歌は、「つい昨日早苗を取ったのに、いつの間にか稲の葉がそよいで秋風が吹くことだよ」の意。

わが地方は、稲刈りは今少し先ですが、もう、稲穂が実を結び始めています。

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台風の影響で久しぶりの雨が降ったたせいか、路傍の草の葉も、ぐっしょり朝露を宿しています。露を白玉になぞらえるのは、「伊勢物語」に限ったことではありません。

「白玉の秋の草葉にやどれると見ゆるは露のはかるなりけり」(後撰集・巻第六・秋中・三一一・読人知らず)
秋の草の葉に真珠が宿っていると見えるのは、露の野郎がだましていやがるんだよな!(そんなにガラは悪くないでしょうが)といった意味でしょうか。

同じ後撰集に、文屋朝康の次の歌も載っており、これは百人一首にも採られているのでおなじみです。
「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける」
草の葉に宿る露の玉に、風が吹きしきる秋の野は、まるで紐で貫き止めた真珠が美しく散り乱れて飛んでいるようだったよ!という具合ですかね?

台風接近と言いますが、今朝はまだ風がなく、玉はしばしの間、草の葉にとどまって輝いておりました。
このクローズアップ画像は、例のリバースアダプタを使って、広角レンズの逆さ付けでトライしています。レンズが、昨日とはちがうSigma28mmf1.8 forPENTAX。明るいレンズですが、デジカメ時代になって出番がなくなっていました。こんな使い方もおもしろいかも?ただ、ピント合わせはやはり難しい。折角のオートフォーカスレンズを、わざわざマニュアルで使う積極的意味はあるの?という感じですね。
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次は、マクロレンズの仕上がり。オートフォーカスで、労力もストレスも軽くて、写す喜びを素直に味わえます。
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果てなきマクロの珍冒険 [趣味]

朝露の写真を撮ったカメラは、三台。最近常用しているpentaxk5Ⅱ+PENTAXDA55-300のコンビと、OLYMPUS E420+zuiko35mmMACRO。そして今日は、リバースアダプターで広角レンズを逆向きに装着するという「裏技」を、通常の散歩スタイルにできないか、実験してみたのです。
これを思いついたきっかけは、いつも目につくところに、一台故障レンズが転がっていて、もう一度活用できないかなどと考えていたところに、マクロ撮影の話題を書いたりしたので、ふと思いついたのでした。
このレンズは、OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6。フォーサーズシステムの廉価版標準レンズで、何の変哲もないありふれたものですが、小さくて軽く、写りも気に入っていました。確か、5000円前後で中古品を買ったもので、e420を持って出る時には、いつも一緒に連れて行ってもかさばらないので、重宝していました。
最近まで現役だったのですが、ある時、散歩中にカメラが落下、丁度このレンズの先端が地面に激突し、カメラとの接合部(マウント)が割れて、分離し、ごろりと転がってしまいました。軽量コンパクトの陰には、マウントのプラスチック化が避けられず、このようなとき痛い目を見るのですね。
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マウントが壊れても役立つ方法はないかなと考えて、ふとひらめいたグッドアイディア。逆さに着ければマクロ撮影が可能だ。というわけで、ここ何日か、道具箱を探して、「リバースアダプター」を見つけだしました。幾種類か持っていたはずですが、見つかったのは、フォーサーズマウント用の、フィルター径49mmレンズを装着するサイズのもの。
ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm  は、フィルター径が58mmですが、それは変換リングを装着すればよいので、無問題。PENTAX用のリバースアダプターが見つかれば、最近休憩中のカメラに使ってみるところですが、あいにくフォーサーズ用です。となると、E420はニューレンズで使いたいので、軽くてコンパクトをコンセプトにするなら、マイクロフォーサーズのE-PM1に、フォ-サーズ→マイクロフォーサーズマウント変換ダプタを使って装着してみよう(ああややこしい)というわけで実験!
だめだ! 最近のレンズには絞りリングがなく、露出調整はカメラ側の信号で制御するらしく、レンズは最大に絞られたまま。これではとうていマニュアルフォーカスでピントを合わせるなど無理。あきらめました。
で、探し出したのが、絞りリング付きの広角レンズで、まずまず明るくてコンパクトなものといえばこのm42マウントのメーカー不明の28mmオールドレンズ。ネットオークションで手に入れ、少しだけ使ってお蔵に入っていました。28mmという焦点距離は、35mmフルサイズカメラなら広角ですが、APS-Cサイズでは変哲のない画角になりますし、おジャンクカメラなりの写りですので。
このカメラのマウント部の一部に、何やら銀紙のようなものが目に入るのは、pentaxAFADを使用して、マニュアルレンズをAF化するには、信号接点部をショートさせてやる必要があるため、アルミテープを貼っているのです。(マニアック?)
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このシステムでの撮影画像は,前項を参照願います。
今ひとつ眠い絵が多いので、多少なりとも改善がはかれるか、PENTAX純正のマニュアルレンズSMCPENTAX m50mm f1.4を使ってみました。
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作例です。
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白玉か何ぞの露に朝日かな [折々散歩]

白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを(伊勢物語第六段)
白玉は真珠などの白い宝石。
主人公の男が、恋しくてたまらない女を密かに連れ出して逃げる途中、夜道に白く輝くものが見えました。女は「白玉かしら?何なの?」と男に尋ねますが、追っ手を警戒する男は、女に答える心の余裕もなく、夢中で先を急ぎます。
ようやく荒れた蔵を見つけ、女をその中にかくまって、自分は戸口で寝ずの番をしながら夜明けを待ちます。ところが、その蔵は、なんと、鬼のすみかだったのです。
女が「あなや」(あれえ!)とか細い悲鳴を上げても、折柄の雷鳴の響きにかき消され、男の耳には届きません。やっと夜明けを迎え、蔵の奥をさぐっても、女の姿はありません。
地団駄を踏んで泣きながら、男は、「こんなことになるのだったら、あのとき「露ですよ」と答えて、自分も露のように消えてしまっていたらよかったのに。そうすれば、最愛の女を守ることもできずに失い、自分だけが後に取り残されて悲しい思いをするようなことも、なくてすんだのに」と、嘆くのでした。
今朝も、稲の葉には露が一杯。そこに、朝日が煌めいています。
望遠ズームではこうなります。最望遠(300mm)で、ほぼ最短撮影距離。
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マクロレンズだと、もう少しアップになります。(トリミングなし)
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今朝のお遊び。リバースアダプタを使って、広角レンズを逆付けすると、よりクローズアップになります。
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ただ、手持ちのレンズの性能が、いまいちなのと、マニュアルフォーカスでピントを合わせるのが、ひどく難しく、歩留まりが低いのが難点です。
この遊びについてのトホホな話題は、別項で。
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今日はネタがないんです。 [折々散歩]

3日ほど爽涼な秋の気配を堪能し、このまま季節が推移してくれるだろうかと期待したのもつかの間、今日はまた残暑のぶり返しです。気温そのものは、一時ほどではないのかもしれませんが、いったん油断した体にはこたえます。台風の影響でしょうか、湿度が高く、これも不快をつのらせます。
朝の散歩のきっかけを失い、日中はちょいとお出かけをしたものの、この暑さの下を歩く気にもなれず、結局夕食を済ませてから、日暮れ道を歩きました。ですから、カメラの出番はなし。
今日の画像は、何もないのも寂しいので、昼間、我が家のブロック塀を散歩していたトカゲ(カナヘビ)をご紹介します。
ついでに、何年か前に写したカナヘビ君達の愛くるしい?表情に癒されてください。
今日のカナヘビです。
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恥ずかしがり屋。
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何か用?
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ばあ。
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やあ、またおあいしましたねえ。
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Sparkyさん。爬虫類・両棲類が苦手のあなたへの、嫌がらせではありません(笑)、あしからず。
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望遠ズームも楽しいな。 [趣味]

最近sigmaAPO70-300mmを装着して散歩したことは、先日書きました。
sigmaレンズは、シャープさで高評価です。このレンズもしかり。ピんトがしっかりあったら、キリッとしまった絵になります。が、時々、背景のボケが美しくないなあと感じることがあります。
同じくサードパーティ製では、タムロンのレンズが双璧ですが、濃密な色合いと、情緒的な描写に惹かれます。ただ、私の持っているレンズに限って言えば、カリッと締まった描写という感じはすくないですね。中古で入手したものがほとんどですので、状態が悪かったり、カビがあったりするせいかもしれませんが。フィルム時代は余り気にならなかったのですが、デジカメになって余計にそんな感じを覚えます。
さて、sigmaAPO70-300mmか、純正のDAL55-300mmか、という先日の話題に関連して、昨日今日と純正DAL55-300mmで出かけてみました。
軽いし、コンパクトだし、できあがった画像も、満足できるものが多いように思います。最短撮影距離、測距性能(速度)などの面において、ストレスは感じるのですが。なお、私の使っているのは、廉価版のDLA55-300mmで、上級のDA55-300mmも、設計的には同等だそうですが、この部分で性能差があるのかどうか、確かめていません。
フィルム時代のFA70-200mm、FA100-300mmなども使ってみましたが、やはりデジタル対応の設計のためか、DAL55-300mmの描写が上回っていると感じます。
次の画像は、8/27,8/28撮影。使用カメラはPENTAXK5Ⅱ、レンズDAL55-300mm。トリミング処理。
ヒカゲチョウ。
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 こんな広葉樹の大木。
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木に登るカエル。また会いました。やはりツチガエルでしょうか?登っているのは、.上の写真の木です。
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野生のヤマブドウ?
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ヘクソカズラの花に吸蜜する蜂雀(ホウジャク)
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草の葉に止まるカワトンボ(ハグロトンボ?)メタリックの光沢が印象的。
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枯れ草に止まるシオカラトンボ
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石に噛みいるムギワラトンボ
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ネコジャラシのある風景と若い雀
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イナゴ?ツチバッタ?
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まだ青い栴檀の実
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野に自生する朝顔
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マクロレンズは楽しいな [趣味]

まだカメラになじみが薄かった頃、炉辺談話にレンズの話題が出て。「以前は望遠がおもしろいと思っていたが、今は広角の方がおもしろい」という方がありました。私は「なるほど」と聞きつつ、自分はまだまだ望遠かな、と思ったりしていました。
50mm単焦点レンズを標準レンズと呼んでいた時代、望遠レンズが欲しくて、思い切って135mmというのを買いました。結局数えるほどしか出番がありませんでした。思い通りのフレーミングが難しいのと、最短撮影距離が長いのがネックでした。まだ子供もいなかったので、運動会や屋内発表会といった場面は想定されず、ポートレート撮影という機会もないので、死蔵したままでした。
その頃、まだ一般的でなかったズームレンズというものにあこがれ、純正レンズよりもf値が明るい上にマクロ機能も内蔵している、第一価格がリーズナブル、というわけで、タムロンの35-70mm f3.5?というレンズを買ったのが3本目のレンズです。
水道橋あたりにあったカメラ量販店でしたっけ。30年以上前のことですから、場所も店名も忘れました。オマケに、カメラ用グッズだけじゃなく、ストッキングやら家庭用品やら、わけのわからない商品をどっさりくれましたっけ。
最初に持った一眼レフカメラは、ペンタックス社のMEという、コンパクトなマニュアル機で、たまたま取りかかった地下商店街でカメラ屋のキャッチセールスを受け、何もわからずに購入しました。確か、結婚直前で、カメラの一台も必要だろうかと、衝動買いしてしまった物です。

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その後長く使いましたが、測光系統の不具合で(電気的故障?)と、内部のモルト(緩衝・遮光用のスポンジ様のもの)の劣化で、修理に出すよりはと、当時登場し始めていたAF機に機種変更しました。
写真は、懐かしさのため後に中古で買ったMEです。コンパクトで、精悍で、操作感も写りもいい感じですが、今、マニュアルフィルムカメラを持ち歩くには、気合いが必要ですね。
そんなわけで、私は、ペンタックス社のSF7という機種を初めてのAF機として購入し、節約のため標準ズームレンズは買わずに、sigma社の70-200mmという望遠ズームだけを購入して、常用レンズにしていました。それ以外には、手持ちのマニュアルレンズを使う覚悟で、AF機を導入したのでした。
当時AF機はミノルタ社の独擅場で、遅れてペンタックス社がSFXを投入。SF7は、確か廉価版の2号機でした。ギューンギューンというモーター音とともに機械がピント合わせをしてくれるのは、感動物でした。でも、苦手な被写体や条件というものはあるらしく、シャッターチャンスに遅れるばかりか、結局迷った末に合焦しないことも、しばしばありました。
時代かわって、世はAF全盛となり、さらにデジタル一色となっていきましたが、、ペンタックスのAFスピードについては、世評も芳しいものではありません。最近新たに入手したk5Ⅱにしても、苦手な条件はあるらしく、迷い始めると収拾がつかず、ストレスが残ります。
でも、ファインダーの見やすさはピカイチですので、マニュアルでのピント合わせを苦にしなければ、名機と言えるカメラでしょう。ただ、老眼のせいで、ファインダーの視度調整を厳密にしたつもりでも、ピンぼけになる不安がいつもついて回ります。ライブビューを活用すべしとの意見もありましょうがどうも両腕を伸ばしてカメラを構える不安定さは、なじめないのです。
話が脱線しましたが、広角レンジか望遠レンズかという話題にもどります。
やはり私が、おもしろいと感じる被写体は、どちらかというと望遠系の物が多いです。
本当は、超望遠の世界にあこがれますが、小遣いの範囲でという大原則に縛られますので、かゆいところに手が届きません。ヤフオクで中古購入の300mm+リアコンバータ、500mmレフレックスレンズ、MF望遠レンズ+AFアダプタなど、いろいろな組み合わせを試してみますが、一長一短です。
受光部のサイズのせいで、望遠に有利なフォーサーズ企画や、悪魔の誘惑に似たPENTAXQなどにも手を出し、最低限のシステムをそろえるためにもまた出費。というスパイラルからは、抜け出すことができません。
それとともに、マクロの世界に惹かれるのも、幼い頃からの性癖ですかね。少年雑誌に掲載されていた通信販売で、光学系の商品を何度も注文しました。望遠鏡と顕微鏡の両用に使えるという簡易なスコープが、お気に入りでいた。見えたまま写したいという欲求は当時からありましたが、機材的にも技能的にも適いませんでした。
その名残でしょうか、マクロ撮影のためには、いろいろの試行錯誤、悪戦苦闘をしてきました。
クローズアップレンズ、もちろん。チュウカンリング、付け替えが面倒。リバースアダプタ、かなりマニア。やっては見るけれど、満足行く結果は出ません。手持ち・無灯撮影では厳しい世界なのでしょうかね。
ところがお立ち会い。ここにとりいだしましたるこのレンズは、ここにあるあそこにあるという、ありきたりのレンズではござらぬ。ほかのレンズとどこが違うかと申すに、①安い(マクロレンズとしては)、②軽い。③写りがよい。
OLYMPUS ZUIKO DIGITAL35mm1:3.5MACROです。(この写真は、1.4倍テレコンバータをつけているので、少し長く見えますが、レンズ本体は、すごくコンパクトです)
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私は、そのコンパクトさから中古でE410を買い、E420にグレードアップして、アダプターを介してPENTAXレンズを装着したりして楽しんでいました。オリンパス機(フォーサーズ、マイクロフォーサーズ)は、35mmフィルムサイズ換算で、焦点距離が2倍になるので、望遠撮影にもマクロ撮影にも有利です。さらに、超音波によるゴミ除去の優秀さにも惹かれて、ユーザーになったのですが、いかんせんMFで使うには、ファインダーが小さすぎてピントが合わせにくい上に、フォーカシングスクリーンの仕様でピントの山がつかみにくいという致命的難点があります。ライブビューを常用しにくい理由は前述のとおりです。かといってAFレンズを調達しようと思うと、純正ZUIKOレンズは商品展開が少ない上にかなり値が張ります。サードパーティ製のレンズがほとんどないのもネックです。その小ささかわいらしさから人気のミラーレス「PEN」シリーズも、事情は同様です。
そういうわけで、最近滅多に持ち出すことのなかったE420に、軽いマクロレンズを装着してみてはどうかという誘惑が頭をもたげ、PENTAX機+トキナー90mmMACROというお気に入りのコンビと競合するシステムに手を染めてしまったのです。
いつもながらに自己嫌悪とともに使い始めたこのシステムでしたが、、、、とてもいいです。
バッグに、もう一台K5Ⅱ+望遠ズームを入れて出かけても、軽装の範囲内です。
肝心の写りは?マクロレンズとしても、標準レンズとしても、申し分ありません。解像度といい醸し出す表情といい、所有レンズのなかでトップクラスと思えます。ここ23日の散歩に持って出ましたので、画像を少し紹介します。
ここまでの、知ったかぶりのウンチクは読み飛ばして、マクロの世界を楽しんでください。
実がはじけたゴーヤです。
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赤ピーマン。鮮やかな赤と緑のコントラスト。

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ウチワヤンマも、こんな写り方をする。
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朝の光線のもとで輝くクヌギの若い実。神秘的なムードが漂いません?
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ネコジャラシのある風景。
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ネコジャラシの穂に止まるセセリチョウ。
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イトトンボも、こんな写り。
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ヘクソカズラの「可憐な」花。名前とギャップがありすぎますね。
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じじばばが競うて遊ぶ夏課題 [家族]

小4の孫が、重い腰を上げて夏休みの自由研究に着手しました。
といっても、日中傍らにいるばあばが、かなり誘導もし、手も出し口も出したようですが。
松ヤニ(画材店でお取り寄せ)を溶かして、中に古代生物もどきを閉じ込めて固めた「琥珀」だそうです。
流し込んだ型から、取り外すのがひと苦労でした。少し衝撃を加えると、すぐにひび割れます。
この研究員、行き詰まると、意欲失墜のご様子。行き詰まったときに工夫して、打開していくのが「研究」で、手引き書通りにやって仮に作れても、「自由研究」とは言えないだろうと、脇から口を出すと、渋い顔。
朝食で「卵かけご飯」に使った殻が目に入り、これを器にして流し込んでみたら、と言うと、その気になって試してみることに。殻をむけば、本体が簡単に取り出せる、、、はずでしたが、なかなか作戦通りにはいきません。
それにしても、仕上がりは、透明感がありl、光沢もあって、装身具としても使えそうです。卵の殻のなめらかな曲線も絶妙ですし、表面がすべすべです。
ただ、もろくて、すぐに欠けたりひび割れがおこります。この先、数億年も土中においとけば、本物になれるかもしれませんね。
閉じ込められている「古代生物」は、まず甲虫の死骸。

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蟻。
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松ぼっくり。
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夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて [友人]

「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。
1950年代から1970年代まで、50名参加の大盛況で、旧交を温めたり、大先輩の経験談に耳を傾けたり、懐かしい、エネルギー充填のひとときは、瞬く間に過ぎました。
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今回のために実行委員の方が手作りしてくださった、特別製の「歌集」をもとに、次から次へと「歌声」の合唱が響きます。カラオケなんか使いません。伴奏もありません。指揮は、学生時代から音楽面でも「頭角」を表していたS氏。某県の労働組合の役員を歴任し、最近まで、ローカルセンターの議長を勤めました。彼は私とは同期の入学で、専門は栽培漁業でした。学者・研究者の道が向いていると、自他共に認める人でしたが、思わぬ方面で活躍することになりました。
この会の司会を務めて下さったM氏も、同期で栽培漁業学科の出身。彼は、専門の道に進み、某府の栽培漁業センターの所長として活躍、この春退職されました。この会を企画・準備してくださった実行委員のメンバーです。
この会の発起人、兼事務局長、兼裏方の、全てを担って下さったN氏は、文科の大先輩。
高知県を中心に活動する映画配給会社の社長です。会社の創設者だった故鎌倉信一郎さんは、映画『虹をつかむ男』の主人公(西田敏行が演じています)のモデルと言われます。「人口の過疎はあっても、文化の過疎はつくらない。」が持論でした。
N氏は、会社の倉庫に眠っていた往年の名画のポスターを、何種類も会場まで持ってきて下さり、「欲しかったら持って帰ってよい」とのこと。初演当時のまま、美しい保存状態のポスターで、全部欲しかったのですが、遠慮して、今井正監督「橋のない川」第一部、森川時久監督「若者たち」、山田洋次監督「同胞」、野村芳太郎監督「砂の器」などのポスターをget。うきうきして、ホテルまで持ち帰り、ベッド脇に大切に丸めて置いたのです。
ところが、なんと、うかつにも翌朝、出発時にホテルに置き忘れてしまいました。朝の散歩の帰りが、雨にたたられ、沈着さを欠いたせいもあるでしょう。置き忘れたことを思い出したのは、高速バスでほとんど瀬戸内海を渡ってしまってからというお粗末。かなり自己嫌悪というか自己不信です。とほほ。

閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。

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もう一枚の写真。真ん中の男性は、参加者の一人で、衆院選挙・参院選挙と続けて、愛媛選挙区から出馬して落選はしたものの、得票を伸ばした植木正勝君(これまた公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、小学校課程出身。別項で紹介した「植木正勝が植木枝盛になるに当たっての労働の役割」の筆者です。

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他にも大勢、学術、研究、教育、実業、家庭などの各分野で、「オンリーワンの花」を咲かせている方々の、輝く姿に接することができました。学生時代に顔見知りの方も、そうでない方もいらっしゃいますが、世代の垣根、歳月の垣根を越えて、心の底から打ち解けてくつろぎ、また胸中に熱くみなぎるものをともに感じたひとときでした。語り続け、歌い続けた4時間近く(現実には、開会2時間ほど前には会場に着いていて、何人かと雑談をしていましたから、およそ半日)が、瞬く間に過ぎ、3年後の再会を約してわかれました。
その後、大概は2次会に向かわれましたが、「病み上がり」の私はさすがに自粛させてもらいました。
夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて
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あれま、動画撮影モードだった。とほほ。 [折々散歩]

滅多にないチャンスを大事にしたいと気負うことってありますよね。
所詮ぶらぶら散歩だし、運がよければいいシャッターチャンスもあるだろう、くらいの軽い動機で歩いてみたんです。食事前の時間つぶしほどの位置づけで。
しかも、朝から曇り空。こういうのを「雨模様」というのだそうですね。本当にはまだ雨が降っていない状態。暗すぎて、私の機材と腕では、どうせ期待できない、と言い聞かせながら、出かけたのです。
ちょうど日曜日で、日曜市の日。まだ早いけれど、ぼちぼち市が立っているかもしれない。という期待も抱きながら---。昨日の高知の朝のことです。
すると、通りのあちらでもこちらでも、あさはやくからせっせと市の準備を始めている「おんちゃん・おばちゃん」(いや「兄さん・姉さん」もおられますよ)の姿が、活気を呈しているのです。それぞれの屋台の店先には、思い思いの色とりどり商品が、今並べ始められています。
これはまたとないシャッターチャンス。高ぶる気持ちを抑えながら、礼は尽くして声をかけます。「写してもいいですか?」すると、どのお店でも、にこやかに「どうぞ」の返事。お言葉に甘えて、ありがたくパチリパチリ。本当は、こんな音しません。コンパクトデジカメを持って出たもので(常に「操作音」は、消してます)。
何枚写したことでしょう。フィルムカメラだと、何回もフィルムの入れ替えが必要だったでしょう。その内何枚かは、見るべきものが写せたはず、と内心の期待と満足感を持って、高知城前まで到着したのです。
「思いがけない収穫を得ることができた、この後お城を写して、旅の記念にしよう」と思って、天守閣の方向へ歩いていったのです。息切れをこらえながら、ゆっくりゆっくり階段道を歩きながら、何度も立ち止まってはカメラを構える。「ウオーキング」とはとても呼べませんが、「散歩」「そぞろ歩き」であることには相違ありますまい。そんなことを思いながら、ふとカメラの調子に違和を感じたのはそんな頃でした。
空模様も怪しくなり、ぽつりぽつりと雨のしずくを感じるようにもなりました。よく見ると、カメラの設定が、動画モードになっているではありませんか。カメラカバンやポケットから取り出す時など、ダイヤル式の設定ボタンが、何かの弾みで回転してしまっていることなどが、たまにはあって、「おや動画が撮れている」と苦笑いする経験も、確かにありました。
でも、こんなに長い時間気づかないなんて。しかも、せっかくのシャッターチャンスに空振り三振なんて。まったく、朝一番のとほほでした。
帰宅後、おそるおそるチェックしてみますと、やっぱり大失敗。動画のつもりで撮影していませんから、画像が流れたり回転したり、目が回りそう。そんななかで、静止画像にキャプチャーしてみたのが、この写真です。
動画を、静止画像に変換する「テクニック」を、今日初めて習得しました。なあに、「プリントスクリーン」のお世話になっただけのことです。

新鮮な野菜。
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手作りの木工品です。
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色とりどりの、宝石のようなお菓子。
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色鮮やかなさつま芋。
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無造作に転がされたスイカ。甘そう。
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芸術作品のような野菜や、いろいろな漬け物など。
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ゴボウも、オブジェとして美しい。
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刃物や工具が、金属光沢を放って並べられていると、見飽きることのない美を感じますね。以前、ベトナム旅行したときに、露天商のおばあさんが、ドライバーとか、ペンチとか、レンチとか、ボルトとかナットとか、、、、何でもない工具や器具を、整然と積み重ねて、そばにぽつねんと座って店番をしながら悠久の時間を送っている光景を、バスの窓から見て心惹かれた記憶がありますが、なにかそれに似た郷愁を覚えます。
日曜市の開かれているストリート沿いには、店舗を構えた商店もあって、市を彩っています。
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あいにくの雨の中、それでも市は賑わい始めています。私もホテルに急いで、朝食です。

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高知の夏は、静かな雨だった。 [折々散歩]

一泊二日で高知市へ行ってきました。
高知駅の真ん前に、見覚えのない巨像が建っています。
コメントは控えます。が、桂浜の竜馬像、室戸岬の中岡慎太郎像、須崎横浪の武市瑞山像等に比べて、周囲の景観に対して違和感が禁じ得ません。広大な太平洋に面して建つこれらの銅像と異なって、余りに俗界に近い駅前広場では、余りに安っぽくて、張りぼてめいて見えてしまうのでしょうか?(材質はプラスチックだそうですが、その質感だけのせいでもないような気がしますねえ。)

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駅前(南広場)の片隅に、石川啄木とその父の歌碑を見つけました。なぜ高知に啄木?というミステリーは、少し好奇心をくすぐりました。

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歌碑に刻まれている歌の紹介掲示です。

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啄木の話題は、又の機会に触れてみたいと想っています。

ホテルに一泊して、今朝薄暮に目覚めました。朝食バイキングは、会場が狭いのでと、時間予約制となっていて、私は七時二〇分~。ゆっくり散歩する時間がありそうなので、高知城方面へ、ぶらりと散歩してみました。
「日本列島大荒れ」の予報は出されていますが、今朝は曇り空。もうすこし光が欲しい気はしましたが、コンパクトを携えて出発。
開店準備中の「日曜市」のテントの中を覗きながらぶらぶら。食品から雑貨まで多彩な品物が、店ごとに、とりどりにうずたかく積まれている様は、ゆっくりとカメラを向けてみたい対象。一応お店の「おんちゃん・おばちゃん」
には「写していいですか?と声を掛けながら写したのですが、なんと、あろうことか、カメラのモードスイッチが「動画」になっていました。使い慣れないカメラのせい(言い訳です)で、折角のシャッターチャンスが不意になってしまいました。かろうじて見られる写真が残っているかどうか、怖くてまだ確かめていません。

高知城を訪れるのは何年ぶりでしょう。でも、こうして、カメラを持ってゆっくり散歩したことはありませんでした。何度も訪れたことのある場所でしたが、国宝高知城天守閣、なかなかの威風です。

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石段の登り口に、板垣退助の像があります。明治維新、自由民権運動といった、「歴史」の出来事が、この地の同じ空気のもとで展開されたのだと、改めて感じさせられます。近代日本の巨大な動輪が、この地の若者達のエネルギーによって大きく前へと転がされたのです。
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昔、大学受験にこの地を訪れたときの心境を、後に歌にしてみたことがあったのを思い出しました。
この土を維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや

中江兆民や植木枝盛など、像を建てて顕彰されてはいませんが、見落とすことのできない思想家達も、この地の懐に抱かれて、自由壮大な進歩思想を紡いだのでしょう。
この前の衆院選・参院選の愛媛選挙に、続けて出馬して奮闘した植木正勝さんは、大学入学当時、「植木正勝が植木枝盛になるについての労働の役割」というダジャレめいた題の小文を、サークルの半ば私的な文集に寄せていたことを思い出します。

堀端に野中兼山の碑が目にとまりました。大原富枝「婉という女」が、映画化されたのが学生の頃でした。苛酷な、そして端然として美しい、婉の人生を想います。濠には、色とりどりの睡蓮が咲いていました。
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城主であった山内一豊が、馬にまたがって槍を構えている像があります。なかなか勇壮な作品ですが、なぜか印象が薄いです。どういう訳か、記憶の中で楠木正成の像と錯覚していたり。
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むしろ、石段を登り切った広場にある「一豊の妻」の像の方が、しっかり記憶に残っています。「内助の功」の美談が、馬と並んで建つ賢妻の図を、自然とインプットさせているのかもしれません。
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このあたりを歩いている頃に雨が降り始めました。傘は、ホテルにおいたままです。仕方がないのでスナップ散歩は切り上げ、早足でホテルに急ぎました。
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久々の雨に潤うアケビの葉 [時事]

久々の雨の音で夜明けを迎えました。
これで少しは涼しくなるだろうかと、のんきなことを考えていたら、島根県を中心に、記録的な豪雨のニュースが伝えられています。全国各地で、「猛烈」に荒れ狂う今年の天候。何事も、ほどほどにしてほしいものです。
今日は高速バスで、高知に向かいます。学生時代のサークルの同窓会です。時間の余裕を見て、ぶらりと散歩したいところですが、雨かぁ、とがっかりしています。そうでなくても、高知の太平洋型の「ますらをぶり」の荒っぽい気候は、瀬戸内海型の「たおやめぶり」に慣れた感覚には、カルチャーショックそのものでした。
高知で「しとしと雨」なんか、経験したことがあったっけ?いつでも、雨傘なんか意味を成さないほどの土砂降りがざーっと来て、足下もズボンの裾もぐしょ濡れ、ということが何度もありました。路面が満面水に覆われ、うっかり足を踏み外すと、用水路にザブン。なんて、トホホも日常的でしたね。
というわけで、今度の旅も、雨にたたられることは覚悟しなくっちゃ。せめて、災害や事故がないことを、願います。
写真は、わが家の庭に植えているアケビの葉です。日照りのために、カラカラでしたが、少しは潤ったでしょうか?
秋に実をつけてくれるかどうか?楽しみです。
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飽きもせず昨日も今日も蜻蛉撮り [趣味]

蜻蛉を撮ろうと思って出かけたわけではありませんが、今日は久しぶりにsigmaAPOmacro70-300fというレンズを、pentaxK5Ⅱに着けて出かけてみました。
pentaxK5Ⅱは、PENTAXの中では上位に属する機種で、我慢できずに退職金で買いました。(といっても、N社やC社の上位機種に比べると、一桁ほども違うリーズナブルさで、コストパフォーマンスはかなり高いと言えるでしょう。といっても、N社やC社の上位機種なんか、使ったことありませんけど。)
レンズは、いくらでも欲しいものがあって限りがないのですが、最近は①よく写る、②コンパクト、③廉価という、巴合戦の中で、たいがい③を優先させて、旧時代の中古レンズを増やしてしまうことに。結局、あちらを立てればこちらが立たずで後悔の連続です。
旧時代の中古レンズは、写りについては、相応の味があって、持って出る愉しみは大きいのですが、たいがい、ガラスも重いし金属部分も重量級ということになり、相当気合いを入れないと持ち出せません。
特に病気後はほとんど出番がなく、むしろコンパクトデジカメや、小型のミラーレス機を使うことが多くなります。でも、時に格別の被写体に出会ったときなどは、「(時には望遠を、時にはマクロレンズを)持ってきておけば良かったなあ」と、悔やむことも多いので、「保険」のために比較的軽量なDAL55-300mmというセットレンズを装着していることが多いのです。
マクロ狙いと定めている時には、中古で手に入れた、トキナー90mm f2.5 ATX macroという古いマニュアルレンズを使うのが好きです。私の写した写真のなかで、気に入った絵は、このレンズで写したものが多いように思えます。マニュアルフォーカス時代のマクロレンズと言えばTAMRON SP90mmが、なんと言っても有名ですが、たまたま手に入れたこっちのTOKINAも、NETなどでの評価も高く、写りは満足です。特に福沢さん1枚プラスアルファで入手したとあれば、なおさらです。
ただ、少々重い。三脚でも使えば別ですが、手持ちで、しかも勢い不自然な体勢で構えていたりすると、重さで、手がしびれてきます。さらに、MFをAF化するという、PENTAXならではの魔法のツール「AFアダプター」なるものを同時に使用すると、いっそう重くなります。
ところで、この、今日久しぶりに使用したSIGMAAPO70-300は、二万円程度の価格に似合わず、APO仕様で、写りにも高評価が与えられています。画角も70-300mmと望遠としては申し分なく、デジカメのAPF-Cサイズでは、35mm換算105mm-450mmという超望遠ズームに相当することになります。おまけ機能ですが、200mm―300mmの画角で、マクロ撮影ができるのが、特筆もの。
フィルムカメラ時代からお気に入りで常用してきたレンズなのですが、経年相応の劣化か、ズームやフォーカスの際の動きがなめらかでなく、特にマクロ撮影の場合などは微妙なピント合わせをMFで決めたいのに、ピントリングの動きがギクシャクしてしまうのはストレスですし、DAL55-300mmに比べると大きく重いためもあって、お蔵入り状態でした。
でも、久々に持ち出してみると、結構使えるかな、という感じ。蜻蛉や蝶や、出会う隣人達のサイズからして、70-300mmmacroは、やはりありがたいです。

このスズメ、朝食のご馳走をほおばっています。
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ツマグロヒョウモンが、花から花へと、蜜を求めてあでやかに舞っています。
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散歩道に群生して、一面を青い花で覆っている、自生の朝顔です。
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モンシロチョウは、春の訪れを知らせる蝶と思いきや、秋の訪れをも知らせてくれているのですね。同様に、シジミチョウの可憐な姿は、春先に見かけることが多いですが、秋の蝶が舞い始めたということでしょうか?食草のカタバミが、必ず近くに咲いています。

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毎朝、色々なトンボたちによく出会います。あちらこちらに、違う個体を見つけます。
飽きもせず昨日も今日も蜻蛉撮り

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肺腺癌という言葉さえ知らざりき 私の病気自慢最新版 [健康]

肺癌手術から、約一ヶ月が経過しました。
予約してありましたので、午前中、病院へ行ってきました。血液検査、レントゲン検査、肺機能検査とスムーズに済ませて、診察を待ちます。予約の時刻より、1時間以上前には待合室にいましたが、なかなかお呼びがかからず、40分ほど遅れて、順番がきました。
手術で切除した肺の、組織検査の結果を知らされました。「肺腺癌」の初期で、リンパへの転移はないとのことで、今後は特別の治療はなく、転移・再発がないか、経過を見ていくことになります。
そもそも肺は、大きく左右に部屋が分かれており(左肺・右肺)、さらに右は上中下の三室。左は上下の二室に分かれていますが、私の病変は左肺下葉に発見されました。
手術前には、CT画像による診断で癌の疑いがあるが、気管支鏡検査および同時に実施した組織検査では、グレーなまま。PET検査(「陽電子放射断層撮影法」=Positron Emission Tomogoraphy)でも、陽性とは断定できません。
一番確実な診断は、実物を取りだして顕微鏡で検査する方法。ただ、うかつに触ると転移しやすいので、2~3センチの影が見つかった左肺下葉を全部摘出し、同時に転移を封じるため周縁のリンパ腺を切除するというのです。当初、病変部位を中心に、多少大きめに切り取るのかなと、安直に想像していましたら、相当大がかりな手術なのです。しかも、肺は、心臓と動脈で直結し、毛細血管が網の目のように張り巡らされているので、それらを慎重に止血しながら摘出するのだそうで、それに伴うリスクはこれこれのものがあります、と説明を受けますが、「じゃ結構です」とも言えず、了承の印をついてしましました。
医師は、画像診断ではほぼ癌に間違いなく、ほかの場合は考えにくいが、絶対に癌だとも断定できないので、「もし間違っていたらごめんなさい」と、冗談めかしておっしゃいます。
患者にとっては、もし間違っていたら、健康な臓器を切除された痛ましさはあるけれど、転移の恐れが解消するという意味で、ラッキーなことです。私も、心の片隅で、その僥倖を期待しないわけでもなかったのですが、やはり事実は冷厳でした。
「肺腺癌」という言葉も知りませんでしたが、①多く肺の末梢に発症する、②発生頻度が高い、③転移しやすい、などの特徴があるようです。あなどれません。
とは言え、想定される範囲での、最上の展開ですので、何の異存もありませんとも。早期発見、早期治療というラッキーに恵まれ、名医の執刀で手術も成功し、人事は尽くした(私は何も頑張っていませんがね)訳ですので、この後どう転ぼうと「天命」とみなすしかないでしょうね。
but、いつも平常心でいられるほど人間ができてはいませんので、まだまだじたばたあがくつもりです。このブログ、いつまで続くかお楽しみ。
写真は、青空の下で実った若い棗(なつめ)。もうしばらくすると、熟れて赤茶色に色づきます。
漢方でいう大棗の原料。癌に効くという情報もありますが、どうでしょう?
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見るものの影すべて濃き秋旱(あきひでり) [折々散歩]

今朝も朝から激しい日差しで、ちょっと歩いただけで汗だくになります。
ただ、空が澄み、空気が冴え、見るものすべての影が濃く、色がことさらに鮮やかに感じられます。
画像を見ると、その限りでは。いささか秋の趣も感じられなくはありません。
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深い空の色は夏空でしょうか秋空でしょうか?浮かぶ雲は夏雲でしょうか秋の雲でしょうか?
芙蓉の花が赤く咲いています。遠く見えるのは例のごとく常山です。
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栴檀(せんだん)=楝(あふち)の枝越しに、見えるのは、麦飯山?
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散歩道の電線に、ツバメの群れが集まっています。まもなく、旅立ちの時期でしょうか。今、朝食中?
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これはキジバトのカップル。ほどよい?間合いは、今朝の暑さのせいでしょうか?
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アオサギも、朝早くから、猟にいそしんでいます。
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いろいろなイトトンボに逢いました。
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これはウチワトンボ(ウチワヤンマ)、大きいのでよく目立ちます。
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自生の真っ白い朝顔が、まぶしい程輝いています。
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道ばたの向日葵。さすがに生命力旺盛です。
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 オクラの花も、青空によく似合います。
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クマゼミの姿を見なくなったと書きましたが、失礼。まだまだ健在でした。
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これはやはりツチガエルでしょうか?朝、アスファルトの歩道を通りかかると、彼らも、思い思いのペースで「散歩」しています。アスファルトに落ちた影法師の黒さが、陽射しの強さを物語っています。

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午後、所用で玉野郵便局に寄ったついでに田井新港を通ってみました。釣りを楽しむ家族連れがちらほら。私の目的は、夏の海と空の風景をカメラに納めておくこと。

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空蝉のなほ登らんとてや見上げたる [折々散歩]

空蝉のフォルムに惹かれます。フィルム時代から、何枚も写した覚えがあります。
すでに本体は、殻を脱ぎ捨ててはばたき、そしてわずか七日間の生命を謳歌して、もはや静かに眠っているのでしょう。でも、脱ぎ捨てられた空蝉は、今なお、樹皮や木の葉にがっしりと爪を食い込ませ、さらに上方を志すかのように、遙か高みを見据えているようにも思えます。
近所の樹林では、いつしかクマゼミの声は聞かなくなり、もっぱら、アブラゼミが鳴いたり飛び交ったりする姿を見かけます。
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「アブラゼミ」の命名は、「ジリジリ」という鳴き声が、煮えたぎる油に似ているからだとか。朝夕の蝉の声は、心なしか、ものわびしく聞こえるようになりました。秋もそこまで近づいている、、、でしょうか?
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濁りなき緑を肺に満たしてん [折々散歩]

依然として、早朝から陽光が照りつけています。
少し歩いただけで、汗だくになります。
でも、目に写る景色は、空も青く澄み、地上は緑が一杯で、自然と深呼吸したくなります。朝の空気を、胸一杯に満たすと、一部切除した残りの肺も、全体でよろこびを感じているようです。
散歩道の進行方向右側に、常山が見えます。常山城址のいわれについては、以前少々書きました。
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眺める角度によって、優美な穏やかな表情と、険しく一種おどろおどろしい表情とを、多彩に見せてくれます。
鴨川という川を挟んで対岸に、均整の取れた二こぶの山が聳えています。
遠くから見るとおにぎりのように見えるところから、麦飯山と書いて「むぎいやま」と読むのが、この山かなあと、私は思っているのですが、確かめることのないまま今日に至っています。
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戦国時代、中国地方最大勢力の毛利氏と、織田信長・羽柴秀吉方についた宇喜多氏との間で戦われた「八浜合戦」は、この地を舞台にしています。当時、麦飯山の頂上には、二つの城があったそうで、今見ても、確かに頂上が、遠目にも平らに見えるように思えます。
麦飯山城は、宇喜多直家の家臣、明石源三郎の居城で、 宇喜多家の支城でした。当時、宇喜多と毛利は同盟関係にありましたが、宇喜多は、戦局を見て織田方に寝返ります。毛利は、中国地方攻めを進めている秀吉軍が、備前に入る前に岡山城を攻めようと考え、その拠点にするため、麦飯山城を奪おうとして攻撃を加えました。
毛利軍2万人が、山の周囲を囲み、兵糧攻めを加えたのに対し、 宇喜多の勢3千人が籠城しますが、山上には井戸がなく、麓の水源もおさえられたため、城から討って出、ふもとの八浜地区で激戦が繰り広げられました。
 城主明石源三郎は、毛利軍の侍大将荘勝資と一騎討ちで戦死。家老の田中源四郎も、戦死して落城します。一方、勝った荘勝資も、明石源三郎の家来に討たれました。
八浜合戦は、1582年。「女軍の戦」で知られる常山城の合戦(1575年)から、数年後のできごとです。
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これは何の花? [今日の「これなあに」?]

これは何の花?
水田の中に、群生して咲いているところがあります。
どの田圃にも生えているというわけでもありません。
毎年、気になりながら、調べることができていません。
ミズアオイとか、コナギとかとは、花の形が違いますよねえ?
名を知らぬ花もゆかしき青田かな
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ダビンチョとは誰のことかと気にかかり [味覚、食材]

「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」(斎藤緑雨)という句がありました。文豪Goetheのドイツ語読みは、なかなか片仮名表記が難しいでしょう。
ところで、「ダビンチョ」なるものの正体をご存じかな?
実は、この春結婚した娘が、嫁ぎ先のご両親から、サザエに似た小型の巻き貝の塩ゆでを、他の、旅行土産と一緒に戴いた由で、お裾分けしてくれました。
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サザエそっくりの食感で、より濃厚な味覚のこの貝の名を「ダビンチョ」というらしい。イタリア系または、イスパニア系の命名に違いないと、密かに推理したのですが、、、。
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気になりましたので、ネット検索してみましたが、どうもピタリとした解説にヒットしません。あれこれ検索するうちに、「スガイ」(酢貝)という貝の別名に「ダビ」というものがあるらしいことにたどり着き、「これだろうか?」と目星をつけたところです。
この貝、カラクモガイ、チョウセンスガイともいい、次のような別名、地方名を持つとか。
アゲシオダマ(上げ潮玉)、イシブタ(石蓋)、ニーナ、アオゴロイソモン、アオニナ、イシコダメ、イシシタダメ、イシズー、イシダビ、イシダメ、イシツブ、イシヅブ、イシツボ、イシナメ、イシニイナ、イシビタ、イシビナ、イシブタ、イシブタニイナ、イシブタミナ、イズビナ、イセヴナ、イセブタ、イソダマ、イソモン、イッコ、ウキンニャ、オオカサザエ、オオクサマンメ、オキツブ、オコドン、オトコガイ、オトコギライ、オトコシタダミ、オトコダメ、オトコツブ、オトコツブン、オトコヅボ、オトコニイナ、オトコニシ、オトコニナ、オトコブキ、オトコマキ、オトコミナ、オトゴダビ、オトコダブ、オンナダメ、カタメ、カナツブ、カブトニシ、ガラマキ、カンチダメ、ギシブ、キミシャン、ギライ、キンキンダメ、クジラニナ、クチブタ、コボイシ、コボイソモン、ゴボサマガイ、ゴロミナ、サザエダマ、サザエノコ(サザエの子)、サゼエノオジゴ、サトージョーモリ、サナックレー、シタダミ、シタミナ、シャーダリ、ジョカツミナ、スナイソモン、スナダマ、スナックレー、スナニナ、スナホリ、スナモグリ、タタキマギ、タツボガイ、ダトウノメ、タニシゴナ、ダビ、タマ、タマイシ、タマッコロ、タマニナ、ダメ、チャンポコ、ツチカムリ、ツブ、ツブガイ、ツブシンナ、ツブン、ヅボ、ヅメガイ、ツンブシミナ、デンデンゴウラ、ドクニナ、ドロカムリ、ドロミナ、ドンザミナ、ニイナ、ニガガリ、ニゲエサザエ、ニシ、ニナ、ニンニャ、ネーラ、ネコミナ、バツッミナ、ハナゴロシ、ハナゴロミナ、ハリガイ、ビイナ、ヒガン、ヒタダメ、ビナ、ブキ、ブケ、ブゼンブキ、フツイソモン、ベーボ、ヘツブサザエ、ベベガイ、ボタボタ、ポッポ、ホンイソモン、ホンダマ、ホンダメ、ホンニイナ、ホンブキ、マイラ、マエダメ、マルゴナ、マルダメ、マルツブ、マルニーナ、マルニナ、マルブケ、ミズミナ、ミナ、ミヤリダマ、メーラダマ、メクイギライ、メクサリダマ、メクサリニイナ、メクサレニーナ、メクサ、メクラサザエ、メクラシタダミ、メクラシタミナ、メクラダメ、メクラツブ、メクラニイナ、メクラニナ、メダマツブ、メックガイ、メックリ、メッチョニナ、メノダマ。
 古事記・万葉の昔から、一般に、巻き貝のことを、「蜷」(にな)と呼んだようで、私なども、川に住む「カワニナ」は、塩ゆでにしたり味噌汁の具にしたりして、美味しく食べた記憶があります。最近では、寄生虫(ジストマ)による健康被害への警戒から、食用にされなくなりましたが。「カワニナ」はむしろ、蛍の幼虫の餌として着目されることが多いでしょうか?
いずれにしても、貝類は高級食材。なかなか頻繁に口にするわけには参りませんが、美味であるだけでなく、栄養価も高く、特に、亜鉛の含有が顕著であることはよく知られています。
亜鉛は、タンパク質の合成や骨の生育、免疫機能の維持に欠かせぬ必須ミネラルで、新陳代謝を良くし、免疫力を高め、たんぱく質やDNA、RNAの合成に関係し、100種類近くもの酵素に関与しているとか。
貝類には、このほかビタミンB、Eやタウリンなど、「アンチエイジング」に効能のある成分が、たくさん含まれているそうですね。
味よし、健康にもよしとくれば、酒の味も格別というもの。
ダビンチョを肴に寿命延びにけり

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夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし) [折々散歩]

やっぱり、今日も散歩することにした。
夕方の5時を過ぎてもまだ、火照りが衰えませんが、ひとときに比べれば、夕方の涼風を感じるようになりました。少々歩いていると、もう、日没の気配です。
国道30号線の倉敷川橋まで歩いてみることにしました。
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陽を呑んで茜に染まる川面かな
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夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし)
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澪標は、航路の安全を図るための標識。澪杭(みおぐい)、澪木(みおぎ)、澪標(みおじるし)とも呼び、古来「身を尽くし」と掛けて、歌にもよく歌われます。
「源氏物語」第14帖の巻名は、光源氏と明石の君が交わした次の和歌に因んでいます。
「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」(源氏)
口語訳:身を尽くして恋した甲斐があって、澪標のあるこの浪速で再び逢うことができる二人の縁は深いのだなあ。
「数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」(明石の君)
口語訳:数にもならない身分の低い私は、思っても甲斐がないことですのに、どうして身をつくしてあなたを思ってしまったのでしょうか。

また、小倉百人一首にも次の2首があります。
「わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なるみをつくしても 逢はむとぞ思ふ」(20番元良親王)
口語訳:これほど思い悩んでしまったのだから、今はどうなっても同じことだ。難波の海にある澪漂ではないが、この身を滅ぼしてもあなたに逢いたいと思う。
 
「難波江の芦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき」(88番 皇嘉門院別当)
口語訳: 難波の入り江の芦を刈った根(刈り根)の一節(ひとよ)ではないが、たった一夜(ひとよ)だけの仮寝(かりね)のために、澪標(みおつくし)のように身を尽くして生涯をかけて恋いこがれ続けなくてはならないのでしょうか。
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紅の燃え鎮まって月涼し
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盆過ぎて夫婦住まいの朝寝かな [折々散歩]

暦の上では秋ですが、と繰り返す毎日でしたが、昨夕から今朝にかけては、窓を開け放つと涼しい風が心地よくなりました。夜中を越えても、むっとする熱気がモアっと攻めてくるような、熱帯夜の連続の中で、やっと一息ついた感じでしょうか。
盆が過ぎ、帰省者を交えて賑やかだった我が家も、夫婦二人の暮らしに。
涼しさ、静けさ、慢性疲労の蓄積etc.からでしょうか、今朝はぐっすり眠れました。外がすっかり明るくなってから目覚め、早や、陽射しのエネルギーもぶり返してきていましたので、今朝の散歩はサボることにしました。
青き毬を纏うて栗の実肥えゆくか(8/17写す)
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カマキリの恍惚として甘露かな(8/17写す)
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笹の葉を揺らすは風かイトトンボ(8/17写す)
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水田にケリの家族が涼しそう(8/17写す)

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