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新顔、の巻 [趣味]

自宅での滞在時間が増えると、いきおいパソコン机に向かう時間が長くなり、目も疲れるし血行の滞留が気になります。長時間イスに座る生活は命を縮めるなどと、何度か健康番組で言っていました。
それと、空いた時間に、外出先でもどこでも、ちょこちょこっと文章やメモを残しておきたい欲求が昔からあります。
古くは、持ち運びのできるノート型のワープロ「書院」。仕事にもプライベートにも、かなり長い間お世話になりました。重量は結構あって、決して携帯性が良いとはいえませんが、今でも使い続けたいほどの優れものだと思っています。しかし、残念なことに、ワープロそのものの存在が、この世から姿を消しました
パソコン普及の波には抗えず、NECの98NOTEを、遅ればせに入手しました。そう言えば、以前こんな記事を書いたことがあります。  


家庭内LAN外伝


私が最初に買ったノートパソコンは、NEC 98NOTE(きゅうはちノート)のPC-9821Ndという機種でした。残念ながら、これは液晶ディスプレイがDSTN方式で見づらく、目への負担が苦しく、TFT液晶を積んだ上位機種のNe2(中古)に買い換えました。cpu:486SX-33、hdd:340MB、OS:Windows3.1といったスペックでした。これをwindows95にアップグレードする事が、初心者時代の私に与えられた「ミッション」でした
最大のネックは、CDドライブがないということ。残念ながら当時は、外付けhddドライブも持っていませんでした。インストール用の差分フロッピーディスクという物もあったはずですが、改めて買うというわけにもいきません。
そこで、思いついたのが「ZIP」の利用。これがまた、語るも涙の物語になるのですが、簡単に端折ってあらすじのみ。まずscsiカードを購入し、苦労してscsi経由でZIPを認識させ、別機種でwin95のインストールCDから要所のみzipメディアにコピーし、noteにインストール。dos、win3.1、win95と、それぞれscsiとzipのドライバーをその都度入れてやる必要があって、苦労した覚えがあります。


そのあとは、DOSV機の進出に目がくらみ、SHARPメビウスという製品を購入。そのスタイル性と引き替えに、FDDもCDDも外付け、しかも接続口が独特で、汎用品が使えない、、、と不便さ満載で、すっかり振り回されました。その後、いくつかのノートパソコンを、中古やジャンク、または子どものお下がりで手に入れ、使ってみましたが、パソコンとしての使い勝手ではデスクトップ機に及ばず、いずれも、携帯して使うには大仰すぎて、使いこなすことにはなりませんでした。  
SHARPテリオスという「Windows CE 機」も使ったことがあります。スイッチオンですぐ起動。使い終われば直ちに電源OFFで大丈夫。往時のワープロ専用機に似た使い勝手で、しかもカラーTFT。これなら申し分なし、、、と思ったのですが、あいにく老眼の始まった私の目には画面の文字表示が小さすぎて、耐えがたい苦痛を覚えました。いろいろ調べても、文字表示の拡大方法がわからず、これではまったく使い物にならず、次第に使う機会がなくなりました。
あと先は忘れましたが、キーボード付きの「DOCOMOシグマリオン」という「Windows CE搭載ハンドヘルドPC機」をネットオークションで入手。すぐに開閉部分が壊れたのでまた購入、、、。このヒンジ部分のもろさが、この製品のほとんど唯一の欠点といえるくらい、よくできた製品で、今でも使い続けたいほどですが、これも時代とともにこの世から消滅しました。
スマホの元祖とも言うべき、WILLCOMのWZEROシリーズともつきあいました。そんな話題を、過去にこんな記事で書いています。


手術記念日


2007年の脳動脈瘤手術のための入院生活の無聊を慰めようと、当時学生だった末っ子(二男)が、私に見舞いを持ってきてくれました。
手足や身体の麻痺が残り、本を読むためにページをめくるのも億劫だった私のために、ニンテンドーDSに添えて「DS文学全集」と「脳トレ」のソフトを買ってくれたのでした。
今なら、タブレット端末とか、スマホがあれば、十分、読書も音楽も動画まで楽しめて簡便な退屈しのぎができたでしょうが、当時のこととて、すでに時代遅れの「シグマリオン」(PDAとして用いるためヤフオクで入手していました)を持って入院していましたが、元々通信機能は契約もしていないので、ダウンロードしてためていた青空文庫のデータや、音楽データなどを再生させることは可能でしたが、面倒くさくて使う気にならず、せいぜい日記入力機器として時々使うだけでした。
ベッド脇のテーブルにおいていますと、若い男性看護師さんが「シグマリオンですか?ぼくも使っていますよ」と、親近感を示してくれたりしました。
退院後、次の入院がもしあった場合の備えのために(笑)、WILLCOMの「zero3」シリーズ(今日のスマホの黎明期の端末といえるでしょうでしょうか?)を何世代か、しかもその都度、型落ちで値崩れした頃に、買い換えて使いましたが、いずれも「帯に短したすきに長し」で、不満が残りました。
最初に使ったのは「WZERO-3」二代目に当たる「ws004sh」という機種でした。今のスマホに比べると分厚く重い無骨さはありますが、収納式のキーボードや無線LANまでついていてよくできた機種だと思います。ただ、ホストUSB機能を持たないので、拡張性に難がありました。
そのあと、いろいろ「進化」が喧伝されるたびに、目移りして乗り換えてみましたが、極端に画面の文字表示が小さかったり、入力操作にストレスがあったり、通信感度が低くて電波を拾えなかったり、大変不便を感じました。「W-SIM」と呼ばれるSIMを転用できるので、通話用には「9(nine)」シリーズや、「nico」というシンプルな通話とメール機能だけの機種を用い、必要に応じて「WZERO-3」を使う、というスタイルを長く続けました。「WZERO-3」の各機種のうちで、やはり私の用途に適していたと思えるのは、「ws004sh」でした。
ただ、前述の拡張性の問題と、やはり、旧機種ですので、CPU性能の見劣りは覆うべくもありませんでした。
などなど。脇道にそれているうちにふと、古い記事で似たようなことを書いたことを思い出しました。


【注】この記事に書いた「当時学生だった末っ子(二男)」は、今大阪に住んでいますが、今連休で、お嫁さんと孫2人を連れて一昨日から帰省中。従兄妹姉妹たち遊びにもやってきて、我が家は時ならぬ人口増を迎えています。


  繰り返し述懐してきたとおり、どれも帯に短したすきに長しで、それは携帯通信機器としての制約上、入力・編集の便利さはある程度犠牲にせざるを得ないのでしょうが、スマホ(またはタブレット)で文字入力することの苦痛は、できれば避けたい思いがつのります。
そんな中で出会ったキングジム社の「ポメラ」は、特筆すべき存在です。


再発も転移もなかりき蝉孵る


3時間近くの待ち時間の間、kingjimのポメラで、この記事の原稿を書いたりして時間を費やしました。

キングジム デジタルメモ 「ポメラ」DM25 DM25

キングジム デジタルメモ 「ポメラ」DM25 DM25

  • 出版社/メーカー: キングジム
  • メディア: エレクトロニクス

私の機種は、DM20ですが、今年になって思いつきで買いました。これはよくできた文房具だと思います。

実売価格は、昔のエントリータイプの万年筆よりも安いのですから、コストパフォーマンスは絶大です。

これでネット検索やメール機能が利用できればベストですが、そうなるとスマホに近づいて独自性を失いますね。
ファイル管理は、microUSBも使えますし、パソコンとUSB接続すれば、外部記憶装置同様に使えますから、TEXTファイルのやりとりなら、自由自在です。わずか1mbあまりのフロッピーディスクで文書を管理するポータブルワープロを、ありがたがって使っていたいた時代からすれば、予想だにできない便利さです。あの頃のワープロは、一番のエントリータイプで10万とか20万という価格でしたから、なおさらです。

でも、今日、もう少しリーズナブルな価格設定で、再び当時レベルの性能のワープロが普及すれば、買うのにな、という気持ちは常々ありました。印刷機能を省いたモバイルワープロと思えば、ほぼ正しいのではないでしょうかね。

私、スマホも持たない旧時代人ですから、普遍性がないことはしょうちしておりますが、、、。


とはいえ、この機種は、変換速度も遅く、あきれるような誤変換も多く、それをストレスと感じない割り切った諦観が求められました。また経年劣化により、プラスチックの表面加工部分がベトベトになってしまう欠点もありました。それでも、表面をクレンザーで磨いたりして使い続けるつもりでしたが、DM100とかDM200とかの新機種は、もっと進化しているらしい。でも高価。という葛藤の中で数年経ちましたが、このたび意を決して、旧機種のDM100を中古で買うことにしました。新式DM200に比べて、コンパクトであること、乾電池が使えること、起動時間が早いこと、中古ならば価格も安くなっていることなどから、この機種を選ぶことにしました。


最近何度か、このツールで記事を書いています。結構快適です。


ただし、単純にテキストファイルの作成・編集に特化した使用法になりますので、画像を含む編集は、別途方法を講じる必要があり、ブログの投稿を完了するには、ポメラで編んだテキストをコピペして、これまでと同じ手順を踏むことになります。でも、ブログのためにパソコンに向かう時間は少しは軽減されると思います。


きょうのタイトル「新顔」は、ポメラDM100でした。



キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック

キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック

  • 出版社/メーカー: キングジム(KINGJIM)
  • メディア: オフィス用品



きょうの付録


深山公園のルリタテハ


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深山公園のカナヘビ


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今日はここまで。


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ちひさきもの発見、の巻 [今日の「これなあに」?]

先日歩いた深山公園で、不思議なものを見ました。


山(丘)の中腹に展望のよい四阿(あずまや)があります。


この記事で、お弁当を食べた場所です。


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すももももも、の巻


今日は、高一と小六の男子をつれて、深山公園へ行きました。

桜も少し残っていて、ツツジが満開です。

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そこまで登る階段状の坂道の途中の地面に、小さな穴がありました。行きがけは、穴の存在には気づいた程度で、気にも留めずに通り過ぎました。帰り道に、何気なく見ると、中で何かが動く気配があります。蟻の穴にしては大きく、モグラの穴にしては小さすぎ、はてなんだろう?と怪訝な気持ちで観察してみると、、、


これは何?


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下の方に映り込んでいる桜の花びらと比較して、大きさを推定して下さい。


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左側に、別の影が、、、


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向きがかわって、、、


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   トリミングします。 

生まれたばかりの赤ちゃん亀のようです。ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)でしょうか?


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こんな角度からも撮影してみます。


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以前この記事で書いたのは、少し離れた別の場所ですが、共通して、小高い山(丘?)の中腹です。下に池はあるのですが、人の足でも息を切らして登らねばならない場所です。


初対面です、の巻


午前中、ちょっとだけ、玉野市深山公園を散歩しました。
昨日の記事では鶴が登場しましたので、同じくめでたいところで、亀です。


巨大なミドリガメです。ミシシッピアカミミガメでしょうか?産卵のためか、山肌に穴を掘ってじっとしています。


特定外来生物の繁殖は迷惑ですが、「小さきものはみなうつくし」と思えてしまいます。


以前こんな記事を書きました。


かにかくに小さきものはうつくしき


枕草子の有名な章段に「うつくしきもの」があります。

古語の「うつくし」はbeautiful(美しい) よりも、pretty(可愛い)に近い語感だと言われます。

うつくしきもの 枕草子(第一五一段)
うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねずなきするにをどりくる。二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひくる道に、いとちひさき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などにみせたる、いとうつくし。頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほへるを、かきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。
おほきにはあらぬ殿上わらはの、装束きたてられてありくも、うつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきてあそばしうつくしむほどに、かいつきてねたる、いとらうたし。
雛の調度。蓮の浮葉のいとちひさきを、池よりとりあげたる。葵のいとちひさき。なにもなにもちひさき物はみなうつくし。

【解釈(桃尻語訳風)】
可愛らしいもの、といえば、すっきりと形のいい瓜に描いた、ちっちゃな子の顔よね。可愛くて、食べたいくらい。

スズメの子が、チュッチュッと舌で鼠の鳴き真似をすると、こちらに向かってヒョイヒョイと跳び跳ねながらやってくるの。とっても、愛くるしいわ。

二、三歳くらいの幼児が、座敷の植えなんかを、急いではいはいしながらこっちに向かってやってく途中に、とっても小さいゴミがあったのを、めざとく見つけて、とってもかわいらしい指でつまんで、近くにいるオトナの女房などに見せているのは、とってもかわいらしいわ。

髪の毛は、尼さんの髪型のようにおかっぱの幼児が、目に髪がかっかているのを、手でかきやることはしないで、顔を傾けてものを見たりなどするのも可愛いわ。
大きくはない殿上わらは(行儀見習いのために宮中に出仕する少年貴族)で、立派に着飾らさせれてあちこち歩き回るのも、かわいい。

上品でかわいらしい幼児で、ほんのちょっとと抱っこして、遊ばせてかわいがるうちに、そのまましがみついて寝ているのは、とってもかわいらしいったらないわ。

雛人形の道具。

蓮の浮葉でとっても小さいのを、池からひょいと取り上げたのは、可愛い。

葵のとっても小さいの。

何もかも、小さいものはみんな可愛いわ。



またこんな記事も。


年金訴訟と朝日訴訟についてのおもいつくまま


昨日の記事でご紹介した退職同業者親睦団体の「作品展」には、枯れ木も山の賑わいと、私も出品させて戴きました。
「ちひさきものはみなうつくし2016」

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亀の住む池に、季節の花々が映って目を楽しませてくれます。


ピンクの花はツツジ。白いのは?


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トネリコ?アオダモ?


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この日の使用機材は、pentaxK5Ⅱ+SIGMA APO 120-400mmでした。


緊急特別付録


きょうの散歩には、PENTAXK30+玉抜きトキナー100-300mmAF+BORG50(アクロマート)というレアな組み合わせで出かけてみました。


この記事参照。


期待ふくらむ、の巻


持って出たのは、、、、

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一番上(奥)の機材です。

PENTAXK5Ⅱ+玉抜きトキナー100-300mmAF+BORG45EDⅡ。

参考のために手前に、左からOLYMPUS pl7+LUMIX G1:2.5/14、中PENTAXQ7+標準ズームレンズ、右FUJIFINEPIX S1を並べてみました。

先端のこの部分にレンズがついているだけで、そこからカメラまでは、空洞の「鏡筒」です。

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前回は、BORG50(アクロマート)を装着して試用して見たのですが、今日は、写りのさを確かめてみたくて、EDレンズのBORG45EDⅡを装着してみたのです。

下は、メーカーHPによる商品紹介です。

これが45EDⅡ。

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そして、アクロマートの50mm。

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私の持っているのは旧ロットのもので、デザインはもっと地味です。

レンズの大きさはほとんど同じですが、アクロマート50mmは、そのまま玉抜きトキナー100-300mmAFの先端につなげば、無問題で焦点を結びました。


安価なアクロマートレンズですから、描写性能に大きな期待はできませんが、見た目よりも意外に軽くて、ストレスのない撮影ができます。


その写り具合はまたの機会にご紹介することとして、今日は、「これなあに?」の緊急版。


麦畑のほとりで、スズメやヒバリを写しておりましたら、どこからか飛んできた小さな鳥が、あぜ道に降り立ちました。スズメだろうと高をくくっていると、微妙にどこか様子が違って見えます。


焦点距離250mmのレンズにとっては、ちょっと遠いですが、とりあえず写しておきます。


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胸元が赤いんです。


初めて見る鳥です。


トリミングしてみます。


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図鑑を探ると、ノゴマ(♂)でしょうか?


いずれにしても、思いがけない遭遇。こんな時に、ちゃんとした望遠レンズを要してこなかったことが悔やまれるとともに、安価なアクロマート50mmと、おジャンクな玉抜きトキナーが、なかなか頑張ってよい仕事をしてくれたことに感謝もしています。


今日はここまで。


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涙雨、の巻 [日録]

ここ数日、心が晴れません。
雨と風の日が続き、晴れたと思うとまた曇る、鬱陶しい天候のせいもあります。
でも一番の原因は、Iさんの訃報です。とても信じられるものではありません。先週も木曜日にお会いしたばかりでした。そのときは平生と変わりなく、他愛ない話も交わしたものでした。
それより何より、退職同業者の親睦会で、私もともに会報係の一員として編集に携わる間柄で、今回は彼がメインで編集作業をすすめて仕上げてくださったのでした。完成稿を事務局長にメールで送ってくださったのが、翌日の金曜日だったそうです。
そして、土曜日に倒れ病院に搬送、月曜日に亡くなられたと聞きました。思いも及ばぬ急展開。あっけないとはこのことか。
Iさんは、若い頃から病気とは縁が切れず、腎臓移植で健康を取り戻されました。しかし、最近はその腎臓の機能が落ち、高頻度で透析を受けながら、人一倍忙しい日常生活を、文字通り謳歌しておられました。
克明に書けば、「Iさん」とイニシャルにしている意味がなくなるほど、その活動領域と存在感は、彼ならではのものでした。そのあれこれについて言及したい思いがつのりますが、割愛します。    
彼が編集して完成した会報の冊子が、昨日送られてきました。その「編集後記」の一節にこうありました。


  ※O先生が、去る2月27日、享年93歳で永眠されました。教え子でもいらっしゃったTさん(私の恩師)に追悼文を寄せていただきました。


   悼む立場が、たちまちにして悼まれる立場となるという皮肉。無常はこの世の定めとはいうものの、とうてい得心しかねます。
①彼は、私よりも2歳も若い、②私の入院手術の後には、わが家まで見舞いに訪れてくださった、③彼には、近々、いくつかの大切な予定があり、それに向けたとりくみに余念がなかった、、、などなど、ここは、突然逝ってしまわれるタイミングではないでしょう。
○○ロスはどれも、日が経つにつれ、喪失感と空虚感をつのらせるものに違いないでしょうが、このたびのIさんロスは、その極みと実感せずにはいられません。
ここのところの涙雨は、その思いを増幅させずにはいませんでした。   


  なみだあめ
【涙雨】
[名]
(1)悲しみの涙が化して降るという雨。
(2)ほんの少しだけ降る雨。

明鏡国語辞典より


風は残りましたが、ようやく、晴れ間が見えるようになりました。でも、4月も終わりというのに、上着の必要な寒さです。
一昨日(木)は、ちょっとした晴れ間がありました。午前中は少々畑仕事をして、午後は深山公園を散歩しました。


紅葉の若葉がみずみずしい。


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これは松の木。盛んに花粉を飛散させていて、辺り一面薄退路の色のもやがかかっているようです。


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ツツジが満開。


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アゲハです。


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その夕方は、転勤先の仕事が忙しいお母ちゃんに保育園児の迎えを頼まれて、午後7時をめざしてクルマを走らせますが、通勤渋滞の時間帯で、小一時間かかり、数分遅れてのお迎えとなりました。
その母子が、昨夜は我が家にお泊まり。きょうの土曜日、お母ちゃんもお父ちゃんも仕事、お姑さんも手塞がりなので、孫は我が家で預かることになった次第。朝7時までに職場に着きたいと、早朝に出勤しましたので、それから夕方まで、たっぷり、お世話させていただきました。もっとも、近所に住む小学生と保育園児の兄妹も、遊びに来てくれましたので、時間のたつのははやいですが、、、。


冬を思わせる冷たい風の中でしたが、公園の遊具で遊べば、時の流れるのを忘れます。


こんな尖塔の、展望場まで上ってみます。


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見下ろす下界。正面の特徴のある山が九十九山ですか。
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遅い桜も散ってます。


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今日はこれにて。


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カリン [折々散歩]

岩波書店のwebマガジンに、こんな記事がありました。


『図書』11月号 【試し読み】小谷汪之/赤坂憲雄/円満字二郎


その一部を引用させていただきます。


連載 漢字の植物園in広辞苑①

11月、紅葉に深まりゆく秋 円満字二郎

02 カリンをめぐる三角関係

漢字の世界では、「楓」のように、一つの漢字が二つ以上の植物を指していることが、よくあります。それとは違って、同じ一つの日本語が二つの植物を指し、漢字で書くと別の書き表し方になってしまう、ということもあります。「カリン」がその例です。

『広辞苑』で「かりん」を調べると、「下臨」「火輪」のあとに、二つの植物名が並んでいます。一つめは、漢字では「花櫚」と書く、マメ科の高木。二つめは、「榠樝」というむずかしい漢字を使って書き表される、バラ科の高木です。

私たちが知っている、一一月ごろに出回る果実を漬け込んでお酒にしたり、のど飴の原材料になったりするのは、バラ科の「榠樝」。マメ科の「花櫚」は「家具・細工物などの高級材」だと、『広辞苑』には書いてあります。この二つが同じ名前で呼ばれる理由については、調べてみたところ、木目がよく似ているからだ、という説があるようです。

ところで、「カリン」には「花梨」という書き表し方もあって、漢字が簡単でかわいらしいところから、よく使われています。『広辞苑』のみならず、多くの国語辞典では、「花梨」は、お酒や飴になる「榠樝」と同じだ、という説明。ただ、中国の辞書には、「花梨」は「花櫚」だと書いてあります。

実際、孫悟空が大暴れする『西遊記』には、「花梨」の木箱が出てきます。また、一八世紀に才子佳人の恋模様を描いた長編小説、『紅楼夢』には、「花梨」の机が登場します。「花梨」は家具の材料となるのです。

とすれば、「カリン」には、「花櫚」と「榠樝」という二つの植物があるだけではなく、「花梨」と書いた場合には、日本と中国で指す植物が違うという、たいへんややこしい事態になっているわけです。植物の名前と、それを書き表す漢字との関係はかくも複雑で、辞書編集者泣かせなのです。


面白く読ませていただきました。---と言うより頭がこんがらがって、よく理解できません(汗)


著者の円満字さんは、ご自身のHPによるとこんな方だそうです。


プロフィール


円満字 二郎(えんまんじ じろう)
1967年、兵庫県西宮市生まれ。円満字は珍しい姓で、父から聞いた話では、もともと、石川県小松市の郊外にあった円満寺というお寺の土地に住んでいた人が、明治になってなぜか「寺」を「字」に変えて名乗ったらしい、とのこと。神戸に出て来たのは祖父の代。小松の本家の系統と、神戸の分家の系統があるものの、全国を探しても20人くらいしか名乗っていない姓ではないかと思われる。
1986年、大学入学とともに上京。1年生のうちから授業には出なくなり、オーケストラの練習場に入り浸る。ただし、忍耐力に欠ける性格から、楽器の腕は上達せず。4年生以降は、ほとんど下宿で小説を読んで過ごす。
1991年、大学を卒業して出版社に入社、高校国語教科書の担当となる。まったく勉強しなかった学生時代の専攻、中国古代史がここでたたり(?)、漢文の教科書を主に編集。最初は現代文をやりたかったものの、次第に漢詩文のおもしろさに目が向くようになる。
1998年、人事異動により漢和辞典の担当に。「漢字」との縁が本格的に始まる。仕事そのものはおもしろいと感じていたものの、やがて、さまざまな事情から、サラリーマンを辞めることを真剣に考えるようになる。その手段として、「漢字」を素材とした文章を書き始め、幸運にも出版の機会に恵まれる。
2008年、退職してフリーに。漢字や漢詩・漢文、中国史に関係する編集や執筆の仕事をしながら、減っていく貯蓄を横目でにらみつつも、現在に至る。

2018.11.05

著書、著述など、興味をそそられますが、今日はそちらには深入りしません。


自然環境体験公園のカリンの花です。


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そう言えば、いつもの散歩道でもカリンの木に見覚えがあります。2014年の春の記事似、写真を載せていました。


春更けていきものの色深くなる


4月もはや終わりが近づき、季節はゆく春の様相を呈してきました。春の風物をアップしておかないと季節遅れになりますねえ。

(中略)

カリンの花でしょうか?

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その場所を、昨日散歩してみました。


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前夜の雨と風が、花を散らしてしまったようです。


桜の花も、ほとんどしべザクラになりました。


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桜の花びらの上を遊ぶスズメ。風流なものです。


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ツグミ。


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ムクドリ。


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ダイサギ。 アオサギ


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道端にはマツバウンラン。この名前、思い出すのに半日かかります(汗)


 


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ヤグルマソウの季節になりました。


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画面右の方に、何かがあらわれました。


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ヒラタアブです。


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カリンの果実については、過去記事で写真を載せました。


奇遇、の巻


たわわなカリン。

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そういえば、去年の秋に、叔母から、自宅の庭で採れたと大きなカリンをいくつもいただき、蜂蜜漬けと、焼酎漬けにしていました。


蜂蜜漬けの方は、風邪気味で喉が痛い時など、そのまま舐めるかお湯に溶かして飲むと、痛みが和らぎ咳にも効くの出、重宝しました。いつまでも保存が利くものでもなさそうなので、最後は蜂蜜ジュースとして消費しました。


焼酎漬けの方は、地下室(嘘です。床下収納)に保管していたものを、昨日取り出してみました。


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美味でした。もう少し寝かせておくと、もっとまろやかになるでしょう。


今日はここまで。


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すもももももも、の巻(その5) [文学雑話]

桃と言えば、わが地方では、川上から「どんぶらこどんぶらこ」と流れてくる大きな桃が有名です。おばあさんが拾って帰った桃の中から生まれた桃太郎が、鬼を退治するストーリーがよく知られていますが、古来様々な桃太郎伝説が伝わっているようです。
その一端は以前この記事「 昨日は海へ、今日は山へ、の巻」でもご紹介しました。


  おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは山に柴刈りに出かけるのは、おなじみ桃太郎の昔話。

どんぶらこどんぶらこと、川上からおおきなサツマイモが流れてくるのは、落語のネタです。おじいさんに内緒で芋をふかして食べたおばあさんは、ついつい粗相をしてしまう。山で柴刈りをしていたおじいさんは、柴を刈らずに草刈った(臭かった)というオチ。

ところで 岡山在住の民俗学者・民話研究家立石 憲利(たていし のりとし)さん 編著の「桃太郎話」には、各地で採話した、いろいろな「桃太郎話』が収められています。(以下略)


また、こちらの記事秋の吉備路の歴史散歩、の巻(2)では、退治される鬼の側から桃太郎伝説を話題にしてみました。


吉備の中山の、北東麓にある吉備津彦神社は、備前国一宮であり、両社とも、吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祭神としています。その吉備津彦命に退治された鬼=温羅にまつわる伝説を、今日は話題に取り上げてみます。
現職時代、私も所属していた岡山高生研(全国高校生活指導研究会岡山支部)のHP(現在は閉鎖中)に、こんな記事がありました。温羅に関する記事を一部引用させて戴きます。

 


1990年岡山・倉敷市で開かれた高生研第28回全国大会で,現地実行委員会が発行した情宣紙の題名が「温羅太鼓」。
「さりげなく,だが力強く」を現地スローガンに掲げ,明るく楽しいトーンを大切にとりくんだ全国大会が,岡山高生研に残した財産は何だったか?あらためて確認してみたいものです。
なお「温羅」は「うら」と読み,古代吉備の伝説上の人物。近年岡山県では,町おこしの一環として,この「温羅伝説」にスポットライトをあて,「市民参加型のまつり」として「うらじゃ」祭りが盛大に取り組まれています。
このまつりが始まったのが,1994年だそうですから,岡山高生研の「温羅太鼓」のほうが,4~5年も先輩ということになります。自慢するわけではないですが...。(2007年9月記)


No1
1989/8/2 発行
20年ぶりの開催 来年は岡山で会いましょう 現地実行委員長の言葉

アンチ桃太郎
温羅太鼓とは?

この情宣紙「温羅太鼓」は,岡山に伝わる温羅(うら)伝説にちなんでいる。
岡山というと「桃太郎」が思い起こされるが、温羅伝説によると桃太郎の原型は吉備の国を侵略した大和政権の吉備津彦である。「温羅」とは吉備の国の王、百済から渡来し国を豊かに拓き、乞われて王となった。
凄惨な戦いの末ついに温羅は斬首されるが,その怒りの咆哮はいつまでも続き、民人の嘆きの号泣を誘ったという。今に伝わる吉備津神社の御釜殿での鳴釜の神事をはじめたのも、この亡国の人々ではなかったのだろうか。
そして私たちも「現代の温羅」なのである。


No2
1989/8/2 発行
ようこそ岡山へ

吉備の王 温羅を探る
鯉に姿を変えて吉備津彦と戦ったが

昔温羅(うら)という大男が百済から渡ってきて吉備の国の「鬼の城」の山頂に城を築いた。温羅は新しい学問を広め平野を耕し水路をひらき山を拓いて鉄をつくり生産は豊かに国力は大いにふるった。女子供までが敬い慕い温羅は選ばれて吉備の王となった。

侵略軍がやってくる

一方天皇家を長とする大和政権はその頃日本全土を平定しようとしており台頭する吉備の国を討つため兵をすすめてきた。彼らは自らを吉備津彦と名乗り温羅を鬼と呼んで八方に流言を飛ばした。
侵略軍は中山に陣を張って進軍し温羅の軍勢は鬼の城で迎え撃った。吉備津彦が矢を放つと温羅は石を投げ矢と石は空中で火花を散らし戦いはいつ果てるともしれなかった。
この時の故事によってできた「矢喰神社」というお宮がいまだに残っておりちょうど鬼の城と吉備津彦神社の中間に建てられている。

血に染まりながら

戦いにそろそろ疲れが見え始めた頃吉備津彦が2本の矢を射たところ一本は温羅の投げた石にあたりもう一本は温羅の目を射止めた。温羅は傷つき鯉に姿を変えて血に染まった川を下った。今ではこの川を血吸川と呼び下流の地方に赤浜という地名を残している。

首を食いちぎられた

吉備津彦は鵜に姿を変えて鯉を追い詰め温羅はとうとう首を食いちぎられた。この時のことを物語るように「鯉喰神社」というお宮がある。
温羅の首は首村の刑場にさらされたがなおもカッと目をむき真っ赤な口をあけて怒りの咆哮を続けた。その声は野越え山越え国を失った民人の嘆きの号泣をさそって幾日幾夜もとどろきわたったということである。

鳴釜で吉凶を占う
温羅の怒りの声が聞こえる

吉備津神社には古くから「吉凶占い」として有名な大釜がある。この吉凶占いは神主がご祈祷している間に巫女さんが大釜に火を入れて炊き大釜が熱くなってきて鳴り出すとそれは『よい運勢だ」というふうに行われるこれは「鳴釜神事」と呼ばれ,神のご託宣を受ける儀式とされている。

大釜の底に首が

昔吉備の国を征服するため吉備津彦が調停から派遣されこの地方を支配していた温羅との戦いに勝ちその首をはねた。温羅の首はさらし者にされたが何年もほえ続けた。そこで吉備津彦は温羅の首を大釜の底に埋葬することにした首はそれにもかかわらず13年もの間その地方の至る所に響くほどほえ続けた。

夢の中に温羅が

ある夜吉備津彦の夢の中に温羅が現われこういった。
「私の妻,阿曽姫にこの釜で米を炊くように伝えてください。そうすれば私は吉凶占いをして見せます。あなたはこの後神様におなりください。私はあなたの下僕となりましょう。」
吉備津彦はこの後吉備津神社の主神として祭られておりその裏には温羅の魂を鎮めるための「お釜様」がある。

(以下略)


「温羅太鼓」と名付けられたこの情宣紙は、1990年8月2日までに34号が発行されています。私も、当時、情宣係の一員として、この発行のお手伝いをし、大会期間中は会場となっていたホテルの一室にとまりこんで早朝から深夜まで、一日数回発行の速報の編集に携わったことが思い出されます。また、現地実行委員会が提供する文化行事として、「温羅」とその一族に焦点を当てた群読劇にも取り組み、私も演者の末席を汚したものでした。このとりくみの中心を担ってくれたのが、当ブログでも何度か紹介済みの畏友H氏でした。その彼は、早々と文字通りの「鬼籍」に入ってしまわれました。また、現地実行委員長を勤めてくださったYさんは、この行事を「花道」としてこの年退職されましたが、ほど経ずして逝去され、またほぼ時を同じくして、敬愛するM先輩も旅立たれました。(以下略)


その畏友H氏の命日が間近であることを、つい先日友人との会話で気づかされました。H氏への追悼の思いは、これらの記事に書きました。


初盆や逢うて寂しき目覚めかな


自由なる友や何処を旅すらん


思い返せば、私の2007年の脳動脈瘤手術のあと、共通の友人であるU氏と自宅に見舞いに来てくれました。見舞う側と見舞われる側が、こんな風に逆転する場面など、夢想だにしませんでした。何しろ、彼の方が2歳も若いはず。お子さんもまだ学生だし、順番が違うでしょ。と、しきりに悔やまれてなりません。
彼の直接の死因は、肺炎。その背景に、転移した肺がんがありました。
彼を見送った4月の時点では、よもや私に、同じ病名が宣告されようなどと、誰が思いつくことができたでしょうか。でも、私のは、まさしく初期でしてね、あなたの苦痛や不安に比べたら、雲泥の差なのですよ。
ただ、病気が病気だけに、侮ることなく、「終活」の心構えだけは整えておきたいのですがね。なかなか、煩悩に勝てません。たとえば、きゅっと冷えたビール!(正確には発泡酒ですがね)
終活を心に期せど酒旨し


話をモモに戻します。


そう言えばこんな記事を書いたこともありました。
キジにまつわる悔しい記事の巻


ところで、キジは、日本の国鳥でもあり、岡山県の「県鳥=県民の鳥」です(岩手県の県鳥もキジだそうですね)。
郷土の民話、桃太郎の伝説にも登場しますからね。
ちなみに、岡山県の木はアカマツ、岡山県の花はモモの花だそうです。
モモは県の名産品ですし、川上からドンブラコと流れてくることも、珍しくはないかも知れません。
ご存じ「吉備団子」は、岡山の銘菓ですし、桃太郎伝説は、県民にとっておなじみです。

それでは県民の動物は、サルとイヌかというと、そういうわけでもないようです。
以前は、岡山県の「県民の鳥」はホトトギスでした(1964年に
決定)が、ホトトギスの托卵性(ほかの鳥の巣に卵を産み付けて育てさせる)の習性が、「ずるい」「がめつい」という悪イメージにつながるなどの理由から、
県民投票によって、1994年からキジに変更したのだそうです。


岡山後楽園そばの旭川畔に、桃の実を差し上げてたつ男の子は、


「水辺のももくん」。1989年に岡山市制100周年を記念して設置されたそうです。


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川上から流れてきた桃から生まれた桃太郎鬼を退治するストーリーは、しかし比較的新しい脚色であるらしく、古くは、桃を食べたおばあさんとおじいさんが若返り、そのおかげで赤ちゃんが生まれたという若返り伝説であったようです。


桃はそのように、回春、不老長寿の薬としても尊ばれたようです。ウィキペディアにはこうあります。


中国において桃は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれている。桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないとなる。桃の実は長寿を示す吉祥図案であり、祝い事の際には桃の実をかたどった練り餡入りの饅頭菓子・壽桃(ショウタオ、shòutáo)を食べる習慣がある。壽桃は日本でも桃饅頭(ももまんじゅう)の名で知られており、中華料理店で食べることができる。寿命をつかさどる女神の西王母とも結び付けられ、魏晋南北朝時代に成立した漢武故事(中国語版)などの志怪小説では、前漢の武帝が西王母の訪問を受け、三千年に一度実をつける不老長生の仙桃を授かったという描写がある。さらに後代に成立した四大奇書のひとつ西遊記の主人公孫悟空は、西王母が開く蟠桃会に供される不老不死の仙桃を盗み食いしている。

日本においても中国と同様、古くから桃には邪気を祓う力があると考えられている。『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。


 


桃を愛でた詩も沢山あります。まず思いつくのは、古いところで詩経に収められている古体詩「桃夭(とうよう)。


【原詩】

桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有蕡其実
之子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人

【書下し】

桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼たる其の華
之の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の室家に宜しからん

桃の夭夭たる
蕡(ふん)たる有り其の実
之の子于き帰ぐ
其の家室に宜しからん

桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子于き帰ぐ
其の家人に宜しからん

【kazg語訳】

若々しい桃の花。
燃えてるようなその花。
桃の花のようなこの子が嫁いで行くよ。
嫁ぎ先にぴったりの佳い子だよ。

若々しい桃の実。
はち切れそうなその実。
桃の実のようなこの子が嫁いで行くよ。
嫁ぎ先にぴったりの佳い子だよ。

若々しい桃の葉。
盛んに茂るその葉。
桃の葉のようなこの子が嫁いで行くよ。
嫁ぎ先にぴったりの佳い子だよ。


飾らぬ素朴な歌いぶりの中にも、不老不死、一家繁栄につながる幸せの果実のイメージが、温かくほほえましく膨らみます。


以前書いたこの記事も、幸せの果実に繋がります。


桑の木がなくては成らぬ桃花源


理想郷を意味する「桃源郷」という言葉の起こりとして、陶淵明の「桃花源記」が知られています。 (中略)


【解釈】 昔々、晋の国の太元年間に、武陵出身のオッサンが魚を捕って暮らしておった。あるとき、谷川沿いに漁をしながら進むうちに、どこをどう進んだかわからんようになって、道に迷うてしもうた。突然桃の花が咲く林にぶち当たった。林は川を挟んで両岸はるかにつづき、桃以外の雑木は混じっていない。エエ匂いのする草が鮮やかに美しく生え、花びらが散り乱れている。漁師のオッサンは不思議に思って、さらにすすんで行き、その林がどこまで行き着くか確かめようとした。林は水源のところで終わり、目の前に山があった。山には小さな入り口が開いており、ぼんやり光っておるようじゃった。そのまんま、船を乗り捨てて入り口から中に入った。

初めはエライ狭く、やっと人一人通ることができるだけじゃった。さらに数十歩進んだら、ぱかっと目の前が開け、明るくなった。土地は平らで広々、建物がきちんと並んでおる。手入れの行き届いた田畑や立派な池があり、桑や竹が生えておった。あぜ道は整備されて四方に通じ、鶏や犬の鳴き声があっちっこちから聞こえてくる。村人が行ったり来たりして、種をまき耕作している。その衣服はまったく外の世界の人とかわりがない。老人も子供も、みんな喜び楽しんでいる。村の人らは、ぜひにと家に迎え、酒席を設け、鶏をしめてご馳走をつくってもてなした。ほかの人たちもこのことを聞きつけて、みんなやってきて挨拶をした。村の人がいうには、「先祖が秦の時代の戦乱を避け、妻子や村人を引き連れて、この世間と離れた場所にやってきて、二度と外に出ませんでした。そのまま外の世界の人と隔たってしまったのです。」ということじゃった。村人は、「今はいったい何という時代ですか。」とたずねる。なんと漢の国があったことも知らんのや。ましてや、魏・晋を知らんのは言うまでもない。この漁師のオッサンは、一つ一つ詳しく答えてやった。村人は、みんな驚いてため息をついた。他の村人もそれぞれ漁師のオッサンを自分の家に招待して、酒食を出してもてなした。数日間とどまって別れを告げて去ることとなった。村の人は、「外の世界の人に対してお話になるには及びませんよ。」と口止めした。

やがて外に出て、自分の船に乗り、もと来た道をたどって、至る所に目印をつけておいた。郡の役所のあるところにたどり着き、郡の長官のもとに参上して、見てきたままを説明の道を見つけることはできなかった。南陽の劉子驥は志の高い高潔な人である。この話を聞いて喜び楽しんで行くことを計画した。まだ実現していない。やがて病気を患って亡くなってしまった。その後はそのまま渡し場をたずねようとする者もいない。


この隠れ里は、 戦乱と争闘のない、平穏な自足の社会で、老子の思い描いた理想社会像=「小国寡民(しょうこくかみん)」の姿とあい通うものです。 (中略)

【解釈】 小さな国に少ない住民。いろいろな文明の利器があっても安直に用いさせないようにし、人々に生命を大切にして遠くに移動させないようにする。 舟や車があってもそれに乗ることはなく、武器はあってもそれを並べたてて使用するようなことはない。 人々に小ざかしい文字や言葉に頼ることなく、今ひとたび太古の昔のように縄を結んで約束のしるしとさせ、己れの食物を美味いとし、その衣服をすばらしいとし、その住居におちつかせ、その習俗を楽しませるようにする。 かくて隣の国はお互いに眺められ、鶏や犬の鳴き声が聞こえてくるほどに近くても、人々は年老いて死ぬまで他国に往き来することがない。そのゆえ、いくさや争いごとが起こることもない。これが理想の国だ。


老子の心には、しばらく前までこの世に存在し、今は廃れてしまった「原始共産制=原始共同体」社会への郷愁をはらんだ憧れがあったでしょう。「小国寡民」は、人間の小ざかしい知恵=文明が、人間同士の争いを生み、差別を生み、不幸を生む元凶であるとみなし、その対極に理想を求めようとしているのでしょう。

ですが、「桃花源」は、いささか違いがあるように思えます。それは「清く、貧しく、無知無欲」のただただ消極的な原始社会ではないようです。そうではなくて、豊かな「良田・美池」によって食が満たされ、「桑竹之属」によって、絹織物や竹細工など、衣類・調度も上等な嗜好が満たされ、衣・食・住の全般、および人間同士のかかわり方についても、洗練された快適なたしなみが感じられます。村全体を、桃の花のあでやかな色とかおりが包み、実が熟したら、甘い果実をみんなで分け合って味わうような、高度な文化社会と思えます。


今日はここまで。

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すもももももも、の巻(その4) [文学雑話]

梅とともにスモモの近年種に挙げられるアンズの話題の続きです。 

熊大医学部硬式庭球部の学生さんのための、格言・故事成語講座


というサイトから、こんな記事を引用させていただきます。


(その49) 牧童遥かに指さす杏花の村


清明 杜牧

清明時節雨紛紛
路上行人欲断魂
借問酒屋何処有
牧童遥指杏花村


清明(せいめい) 杜牧(とぼく)

清明(せいめい)の時節(じせつ)雨(あめ)紛紛(ふんぷん)
路上(ろじょう)の行人(こうじん)魂(こん)を断(た)たんと欲(ほっ)す
借問(しゃもん)す酒屋(しゅか)は何(いず)れの処(ところ)にか有(あ)る
牧童(ぼくどう)遥(はるか)かに指(ゆび)さす杏花(きょうか)の村(むら)


[口語訳]

春の盛りの清明の季節はよく雨が降る。好季だというのに、
今日もこぬか雨の降る中を野歩きしている。
道行くわたしの心はすっかり滅入ってしまった。
酒でも飲んで気晴らしをしようと酒屋はどこにあるかと尋ねると、
牛飼いの少年の指さすかなたに白いあんずの花咲く村が見えた。
(『自然をよむ』・NHK学園)による。

漱石の次の句は、この詩を踏まえたものといわれています。

ものいはず童子遠くの梅をさす


「遥指杏花村」。質朴そのものの牧童が指さす先をみやれば、はるか遠くにかすむ村一杯に、純白の、あるいは淡いピンクの杏の花が咲き広がっている。のどかな一幅の絵ですね。


牧童とは、牛飼いの少年を言うそうです。


これは、2002年、ベトナムで写した写真ですが、牧童のイメージを思い浮かべることができるように思えます。


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杏の花は、白居易(白楽天)をも魅了したようです。


遊趙村杏花      白居易


    趙村紅杏毎年開
    十五年來看幾迴
    七十三人難再到
    今春來是別花來


   【書下し】

    趙村の杏花に遊ぶ 白居易   
    趙村の 紅杏 毎年 開き
    十五年來 幾迴か 看る
    七十三 人 再び 到ること 難ければ
    今春 來たるは 是れ 花に別れんとして來たるなり。

【現代語訳】

趙村に 毎年紅いアンズの花が咲きひらく。
十五年このかた、何回見に来たことか。
七十三歳の人間であるこの私にとっては、再び見に来ることも難しいので、
この春、ここにやって来たのは、 花に別れを告げるためなのである。

佐藤春夫にこんな訳詩があります。


杏咲くさびしき田舎

川添ひや家おちこち

入り日さし人げもなくて

麦畑にねむる牛あり


紀映淮の原詩はこのようなものです。


 
杏花一孤村

流水数間屋

夕陽不見人

牯牛麦中宿


これに対して、河上肇が興味深いコメントを寄せています。青空文庫から引用します。


「家をちこち」はどうかと思ふ。原詩にいふ数間の屋は、三間か四間かの小さな一軒の家を指したものに相違なからう。古くは陶淵明の「園田の居に帰る」と題する詩に、「拙を守つて園田に帰る、方宅十余畝、草屋八九間」云々とあるは、人のよく知るところ。また蘇東坡の詩にいふところの「東坡数間の屋」、乃至、陸放翁の詩にいふところの「仕宦五十年、終に熱官を慕はず、年齢八十を過ぎ、久く已に一棺を弁ず、廬を結ぶ十余間、身を著けて海の寛きが如し」といふの類、「間」はいづれも室の意であり、草屋八九間、東坡数間屋、結廬十余間は、みな間数を示したものである。杏花一孤村流水数間屋にしても、川添ひに小さな家が一軒あると解して少しも差支ないが、車塵集は何が故に数間の屋を数軒の家と解したのであらうか。専門家がこんなことを誤解する筈もなからうが。


きょうの付録。


しばらく見ぬj間に、麦がずんずん生育しています。


  


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麦畑にねむる牛はいませんが、菜の花にモンシロチョウが舞っています。


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植木鉢のブルーベリーも花をつけました。


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今日はこれにて。


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すもももももも、の巻(その3) [文学雑話]

「桃李」と言えば、以前この記事(桃の節句の蘊蓄)で、「奥の細道」(芭蕉)の冒頭文が、李白(あ、またスモモだ)の「春夜宴桃李園序」を下敷きにしていることを話題にしました。


春夜宴桃李園序 李白

夫天地者萬物之逆旅
光陰者百代之過客
而浮生若夢
爲歡幾何
古人秉燭夜遊
良有以也
況陽春召我以煙景
大塊假我以文章
會桃李之芳園
序天倫之樂事
群季俊秀
皆爲惠連
吾人詠歌
獨慚康樂
幽賞未已
高談轉清
開瓊筵以坐華
飛羽觴而醉月
不有佳作
何伸雅懷
如詩不成
罰依金谷酒數

【書下し】
春夜桃李園に宴するの序 李白
夫(そ)れ天地は萬物(ばんぶつ)の逆旅(げきりょ)にして
光陰(こういん)は百代(はくたい)の過客(かかく)なり
而して浮生は夢のごとし
歡を爲すこと幾何(いくばく)ぞ
古人燭を秉りて夜遊ぶ
良(まこと)に以(ゆえ)有るなり
況んや陽春の我を召すに煙景を以てし
大塊の我に假すに文章を以てするをや
桃李の芳園(ほうえん)に會(かい)し
天倫(てんりん)の樂事(がくじ)を序す
群季(ぐんき)の俊秀(しゅんしゅう)は
皆 惠連(けいれん)たり
吾人(ごじん)の詠歌(えいか)は
獨り康樂(こうらく)に慚(は)づ
幽賞(ゆうしょう)未だ已(や)まざるに
高談(こうだん)轉(うた)た清し
瓊筵(けいえん)を開いて以て華に坐し
羽觴(うしょう)を飛ばして月に醉ふ
佳作有らずんば
何ぞ雅懷(がかい)を伸べん
如(も)し詩成らずんば
罰は金谷(きんこく)の酒數(しゅすう)に依らん
【解釈】
春の夜桃やすもものかぐわしく花咲く庭園で酒宴を催す詩 李白
そもそも天地はすべてのものを迎え入れる旅の宿のようなものであり、
時の流れは、永遠の旅人のようなものである。
しかし人生ははかなく、夢のように過ぎ去っていく。
楽しいこともどれほど長続きしようか?いや、ほんの一瞬の事だ。
昔の人が燭に灯りをともして夜中まで遊んだのは、
実に理由があることなのだ。
ましてこのうららかな春の日、
霞に煙る景色が私を招き、
造物主が私に文章を書く才能を授けてくれたからには、なおのことだ。
桃や李〈スモモ)のかぐわしい庭園に集まって、
兄弟そろって楽しい宴を開こう。
桃李の花の咲きにおう庭園に集まって、兄弟の楽しみごとを次々と行う。
年少の才能にあふれた者たちは、皆(南朝宋の詩人の)恵連のようである。
私自身の詠む詩は、ただ一人(恵連の従兄弟で南朝宋の詩人の)康楽に恥じるばかり(にへたくそ)である。
花景色を静かに褒め称える声はまだなおやまず、俗世を離れた高尚な話題はさらに清らかにつづく。
玉のむしろを開いて花の下に座り、鳥の羽根の飾りの杯を酌み交わして、月に酔う。
優れた作品をつくるとなしには、どうしてこの風雅な気持ちを言い表せようか。
もしも詩ができなければ、その罰は昔晋の石崇が金谷園で催した宴会の故事にちなんで、杯三杯の酒を飲むことにしよう。

酒を愛し、時を惜しんで風雅を享楽する李白とは、少々趣は異なるようにも思えますが、芭蕉もまた、この世は仮の宿り、人は旅人だと断じます。


   

『令和』の出典とされる万葉集「梅花の歌 三十二首、并せて序」の舞台となった太宰府・大伴旅人邸での「梅花の宴」も、同様の趣向といえるでしょう。旅人を初め万葉人が、いかに古代中国文化へのふかい憧憬を抱いていたかがわかります。
また、時代下って元禄の芭蕉が、古代中国の詩人たち(の風雅)を深く敬慕したことを確認するだけでも、日本文化の根底に、色濃く中国文化の影響があることは自明です。いかに「反中」に徹しようとしても、その事実を無視することはでき内でしょう。


ところで、バラ科モモ属に分類される桃よりも、バラ科サクラ属の梅や 杏(アンズ)の方がスモモと近縁なのだそうです。


またまた過去記事の引用です。


お名前は? お玉?お筆?八重?杏?


アンズについて、安直(アンチョク)ながら、wikipediaをコピーさせていただきます。

アーモンドやウメ、スモモの近縁種であり、容易に交雑する。ただし、ウメの果実は完熟しても果肉に甘みを生じず、種と果肉が離れないのに対し、アンズは熟すと甘みが生じ、種と果肉が離れる(離核性)。またアーモンドの果肉は、薄いため食用にしない。 耐寒性があり比較的涼しい地域で栽培されている。春(3月下旬から4月頃)に、桜よりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメによく似た実を付ける。美しいため花見の対象となることもある。自家受粉では品質の良い結実をしないために、他品種の混植が必要であり、時には人工授粉も行われる事がある。収穫期は 6月下旬から7月中旬で、一つの品種は10日程度で収穫が終了する。果実は生食のほか、ジャムや乾果物などにして利用される。種子は青酸配糖体や脂肪油、ステロイドなどを含んでおり、杏仁(きょうにん)と呼ばれる咳止めや、風邪の予防の生薬(日本薬局方に収録)として用いられている他、杏仁豆腐(今では「あんにん」と読まれる事が多くなった)の独特の味を出すために使用される。未成熟な種子や果実には、青酸配糖体の一種アミグダリンが含まれる。
日本には古代に中国から伝えられ、万葉集には「杏人」の原文表記があり、またカラモモともカラヒトともモモサネとも読まれていて定かではない。仮名書きのカラモモは古今集に見える。

以前(かれこれ20年ほどになりますか)、アンズの苗を庭に植えていたことがありました。

何回か春には花を咲かせ、黄色に輝く可憐な果実をつけるまでに育ちました。わずかな実りでしたが、それだけに美味でした。

でも造成地の庭ですので、土が浅くて硬く、十分根を張りきれなかったのでしょうか、台風でなぎ倒されて枯れてしまったのでしたっけ。記憶もあやふやなほど、昔のことになりました。

余り、スーパーなどに大量には出回らないし、買ってまで食べようとも思わないですが、姿、味ともに、好ましい果実の一つです。

室生犀星に「杏っ子」 という作品がありました。「あんずっこ」と読みます。
犀星の自伝的小説で、小説家平山平四郎は作者自身、娘の杏子(きょうこ)実の娘の朝子さんがモデルと言われます。


先日歩いた半田山植物園に、スモモと並んでアンズの花が咲いていました。


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メジロが大好きな花のようです。


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アンズの話題は次回に続きます。


きょうはこれにて。


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すもももももも、の巻(その2) [文学雑話]

俳優の松坂桃李さんの名前には、モモとスモモがついています。


ウィキペディアの解説を引きます。


「桃李」という名前は、中国の歴史家司馬遷の『史記』に書かれた言葉「桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれども、したおのづからこみちをなす)」と、中国の故事「桜梅桃李」の2つに由来する。前者は「徳のある誰からも慕われる人」になって欲しいという父の願いから、後者は「自分らしさを大切に」という母の願いから名づけられた。読みがなは両親のこだわりで「とおり」。


スモモもモモも、古代中国ではその花、果実ともに人々に愛されたものであるようです。デジタル大辞泉の記事を引用します。


桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す

《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。


大辞林第三版の解説には、「徳のある者は弁舌を用いなくても、人はその徳を慕って集まり帰服する。」とあります。


古典に造詣が深くていらっしゃるどこかのソーリは、もちろん十分心がけて実践しておられることと存じますが、、。


スモモは、プラム(ニホンスモモ)や、プルーン(西洋スモモ)として、お店にも並んでいます。が、子どもの頃、高い木に沢山実った小さな赤い実を、背伸びをして手を伸ばしたり竿を使ってかじりしたものでしたが、それはスモモではなくスウメと呼んでいました。味も微妙に違っているように思えます。


酸味が強くて味の濃い、その果物が懐かしくて、 商店の果物コーナーなどを覗いても、スモモはあってもスウメというものを見たことはありません。これはあるいは、方言、地方名の類かとも思っていたのですが、最近、岡山県北の町でスウメが特産品として栽培されていることを知り、「スモモの原種」との説明を見て納得しました。


産経ニュース2015.7.31 付


新たな特産品に期待 岡山・鏡野町の町おこしグループがスウメ収穫開始

スモモの原種とされる「スウメ」の収穫作業が30日、鏡野町上斎原の農園「スウメ園」で始まった。地元の町おこしグループ3団体が、新たな特産品として商品開発を進め、地元の総合案内所「みずの郷奥津湖」で販売する。

ウメの実ほどの大きさのスウメは果汁が多く、甘みもあり、同地域では古くから塩漬けなど保存食用に栽培されていた。同園は約1ヘクタールのスキー場跡地を利用。約20年前に植えられたスウメ約80本があり、今年から本格的に出荷し、商品化に取り組む。

この日は、町おこしグループのメンバー8人がスウメの木を揺すって、鈴なりの実をシートの上に落とし、約80キロを収穫した。今年は花芽がつく5月ごろ、好天に恵まれて大豊作になったという。


この記事、次回に続きます。


きょうの付録。


季節の推移が早いので、ストックしたまま時期遅れになっている写真を掲載させていただきます。


4月9日同じく三徳園小鳥の森で撮影した鳥たち。


アトリ。今年は見る回数が少なかったですが、、、、。_K525366


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ヤマガラ。


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シジュウカラ。


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コゲラ。


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今日はこれにて


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すももももも、の巻 [文学雑話]

幼い子どもたちがいち早く覚えて唱えるおなじみの言葉遊びに、「すもももももももものうち」という句があります。早口言葉として紹介されることもありますが、「も」の重複が目には紛らわしく思えるものの、意味をとらえれば特段早口で発音しにくいという言葉ではありません。
と、10年ほど前までは思っておりましたが、脳血管疾患の手術のあとは、なかなか発声が難しい音の重なりだと痛感するようになりました(汗)。
「もももすももも」という言い方もあるようですが、これでもかと言うほどの「も」の繰り返しの面白さは、冒頭の句が上を行くように思います。



はやくちことばえほん ももも すももも (講談社の幼児えほん)

はやくちことばえほん ももも すももも (講談社の幼児えほん)

  • 作者: 新井 洋行
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/11/22
  • メディア: 単行本



    
紛らわしかった言葉の意味のつながりは、「スモモもモモもモモのうち」と片仮名表記を交えれば、ずいぶんハッキリしてきます。「酢桃も桃も桃の内」と漢字を交えれば、ほとんど誤解の余地はなくなるでしょう。


スモモの漢字表記は、その甘酸っぱい味から「酢桃」とも書きますし、中国での呼び名を当てて「李」とも書きます。中国、韓国・朝鮮、ベトナムで用いられる姓としてもなじみがあるように、中国原産の植物で、日本へは奈良時代ごろに伝えられたようですね。現在流通しているスモモには、中国伝来のニホンスモモ(プラム)と、西洋スモモ(プルーン)に大別されるそうです。


バラ科スモモ属に属し、ニホンスモモ(プラム)は中国原産、西洋スモモ(プルーン)は、コーカサス地方原産だそうです。


桃は同じバラ科でもモモ属に分類され、「スモモもモモもモモのうち」は不正確で、スモモはむしろ、梅や杏と同類とされます。


先日、半田山植物園でスモモの花を見ました。


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すると、3月の終わりごろ、家の近所の散歩道に咲いていたこの花も、スモモでは?と思えるのですがどうでしょう?


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スモモと言えば、アベさんがモリカケ問題に関連して引用した「李下に冠を正さず」ということわざが、一躍クローズアップされたのも記憶に新しいところです。


「(モリカケ問題で)私の妻や私の友人がかかわってきたことなので、国民の皆様が疑惑の気持ちを持たれるのは当然のことなのだろう。李下に冠を正さずとの言葉をしっかり胸に刻んで、今後、慎重に、謙虚に、丁寧に政権運営に当たっていきたいと思っている」


朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」には、こう解説されています。


李下に冠を正さず
実がなっている李の木の下で冠を直さない。実を取ろうとしていると思われるからだ。また瓜の畑でしゃがんで履物をはきなおすこともしない。瓜を盗むと思われるからだ(「瓜田に履を納〔い〕れず」)。君子は疑われるようなことは未然に防ぐもの。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」


君子は疑われるようなことは未然に防ぐもの。疑われても知らぬ存ぜぬを貫いて、白を黒と言いくるめるようなのは、差し詰め「梁上の君子」の同類でしょうな。



小学館デジタル大辞泉の解説
梁上(りょうじょう)の君子
《「後漢書」陳寔(ちんしょく)伝から。陳寔が梁(はり)の上に忍び込んでいる盗賊を見つけて、悪い習慣が身につくとあの梁の上の君子のようになるのだと子供たちを戒めたという故事による》
1 盗賊。どろぼう。
2 ネズミの異称。


お話は次回に続きます。


ここで今日の付録。


今日は、高一と小六の男子をつれて、深山公園へ行きました。


桜も少し残っていて、ツツジが満開です。


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アスレチックで遊ぶのに好適なお天気でした。


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キビタキに会いました。今シーズン初です。


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きょうはこれにて。


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「令和」を前に梅について考える、の巻 [文学雑話]

平成最後の○○、祝令和云々(デンデンではありませぬ)というフレーズが世の中を飛び交っています。「令和」という元号への好感度が70%超えだとか、改元のおかげでアベ内閣への支持率が上がったとか、あのスガさんが、「令和オジサン」のニックネームで人気だとか、、、、世の中信じられないことが多すぎます。


それも言うなら「令和ジイサン」だろう、なんて問題ではありません(汗)


「令和」という元号とその決定過程における違和感について何度か書きました。先日の記事飲み込みが悪くて、、、の巻では、畏友のkenro okada様による5点にわたるコメントを引用させていただきました。そのうち。第2点目を再掲してみます。


②大伴旅人は、大和政権を支えた豪族のひとりですが、藤原不比等を中心とする権力者によって太宰府に追いやられた人物です。梅の花三十二首の序文は、漢籍に出典があります。「万葉集」そのものは国書でしょうが、この部分は漢文です。


アベ内閣は、背後にある日本会議を初めとする「嫌韓」・「嫌中」勢力に背中を押されて、漢籍に出典を求める従来のやり方を変えて、敢えて「国書」由来の元号案だとして「令和」を選定したらしいですね。3月初旬には、委嘱された考案者らによって既にいくつかの元号案が寄せられたらしいのに、3月中旬になって、それらにプラスして万葉学者の中西進氏らに追加委嘱。そうして得た追加文の案の中に「令和」があったそうで、何が何でも「国書」にこだわるアベ内閣の、尋常ならざる固執ぶりが窺われるエピソードです。


でもね、言っときますけどね、「令和」であろうと何であろうと、元号が漢字である限り、中国文化のおかげを否定することなどできません。いっそ、ひらがなの元号にしますか?「ゆめ」とか「しあわせ」とか「たみ」とか、、、、でも、ひらがなだって、もとをただせば漢字の崩し字が起源ですから、純粋にニッポンオリジナルとは申せません。そもそも、「元号」というシロモノ自体、古代中国のマネじゃありません?


「嫌中」に徹するならば、元号自体廃止して、世界標準の西暦に一本化してはいかがです?盟主のトランプ様も、ツイートで批判したりはなさらぬでしょうよ。いや、ニッポン人としてのアイデンティティを尊重する立場から「皇紀」を採用なさいますか?それにしては、「元号は皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに1400年近くにわたる我が国の歴史を紡いできました。」(新元号発表に際しての安倍首相談話)と、さすがに神武以来今年で2679年になるはずの「皇紀」という日本独自の紀元は、採用しないおつもりのようですな。


それにしても、国書由来を鳴り物入りで強調した「令和」という元号、アベさんにとっては思いもかけない誤算であったようですね。


国書のはずの「万葉集」が、漢字・漢文で書かれ、中国の文物・文化を規範とし、模倣したものであることをご存じなかったらしいことは、お得意の苦笑いで済ませることもできましょうが、品田悦一 東大教授のこの指摘は、どうやり過ごすおつもりでしょうかねえ。


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少しだけ引用します。


緊急寄稿
「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ
品田 悦一

新しい年号が「令和」と定まりました。典拠の文脈を精読すると、<権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない>という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。この点にっいて私見を述べたいと思います。なお、この文章は「朝日新間」の「私の視点」構に投稿したものですが、まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目にかけたところ、緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。
「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、『万葉集』巻五「悔花歌三十二首」の序でありました。天平二年(七三〇)正月十三日、大宰府の長官(大宰帥)だった大伴旅人が大がかりな園遊会を主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌をまとめるとともに、漢文の序を付したのです。その序に「于時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。<折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穩やかだ>というのです。これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、全体の理解と部分の理解とが相互に依存し合う性質を持ちます。一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。

(中略)

さらに、現代の文芸批評でいう「間テキスト性intertextuauty」の間題があります。しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、奥行きのある意味を発生させる関係に注目する概念です。当該「梅花歌」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、もっとも重要かつ明確な先行テキストとして王義之の「蘭亭集序」の名が早くから挙がっていました。この作品は書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、「梅花歌」序を書いた旅人も知悉していただけでなく、読者にも知られていることを期待したと考えられます。「梅花歌」序の内容は、字面に表現された限りでは<良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ>とい うことに尽きます。
「蘭亭集序」の語句や構成を借りてそう述べるのですが、この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、原典の文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。

(中略)

「梅花歌」序とそれに続く一群の短歌に戻りましょう。「都見ば酸しきあが身またをちぬべし」のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王

王義之にとって私が後世の人であるように、 今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。 その人々に訴えたい。 どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。 長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。私は年を取り過ぎてしまった--。
これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵假心が潜められている。断わっておきますが、 一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。

(中略)

安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が<権力者の横暴を許さないし、忘れない>というメッセージを自分たちに突き付けてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、 人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。


アベさん、これを読んで「しまったしくじった、末代までの恥となりにけり!」と青ざめているでしょうか?いやいや、ルビを振ってもらっても、中身が読解できないまま、「このような見解をとらない学者も大勢存在する」などとうそぶいているでしょうか?


いいです、いいです。どのような態度をとろうとも、「新年号『令和』が<権力者の横暴を許さないし、忘れない>というメッセージを自分たちに突き付けてくること」は、逃れることのできない定めなのですから、、、、。


それでも念のために、嫌中派の方々にもう一言だけ申し上げておこうと思います。新元号の出典とされている大伴旅人「梅花歌」序で描かれる「梅の花」も、中国伝来の流行最先端の植物。大伴旅人が催した「梅花の宴」も、漢詩の世界を意識した最先端の中国風の文化的遊びにほかなりません。「梅」の訓読み「うめ」すらも、日本古来の呼び方とは言えず、音読み(中国語に倣った読み)  呉音 : マイ、メ、 漢音 : バイの「メ」が転じたものと言われます。この痕跡を隠そうとすることもまた『歴史修正主義』の一変形と言わなくてはなりますまい。


ここで脱線。


新5000円札にあがかれる肖像画が、津田塾大学創始者の津田梅子と決まったそうです。


ウィキペディアの解説に、こうあります。


津田 梅子(つだ うめこ、元治元年12月3日(1864年12月31日) - 昭和4年(1929年)8月16日)は、日本の教育者。日本における女子教育の先駆者と評価される。女子英学塾(のちの津田塾大学)創立者。

初名はうめ(「むめ」と書いた)で、明治35年(1902年)に漢字表記に改めて「梅子」とした。


梅 メ→むめ→うめ の音韻変化が自然さを再確認できます。


ところで、当ブログを『梅子』で検索をかけてみると、たとえばこんな記事がヒットします。


今日も「これなあに?」(2013-10-16-1)


NHK大河ドラマ「八重の桜」は、我が家の録画HDDには全回収まっていて、妻は毎回欠かさず見ているようですが、私は時々横目で見て通るくらいで、あらすじも理解していません。
ですので、ドラマの中でどのように扱われたかの確認はできていないのですが、会津の女性を代表する人物の一人として、大山捨松が登場するようです。
NHKオンラインの記事に、こうあります
「幼名は咲。幼くして家族とともに鶴ヶ城籠城戦を経験する。美貌と知性に秀で、11歳のときに、後に女子教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として1871(明治4)年、岩倉具視の使節団に加わりアメリカに渡る。母・艶は咲という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という切なる思いを込めて、「捨松」と改名させる。帰国後、薩摩の陸軍軍人・大山巌と結婚。美貌と知性を持ち合わせ、鹿鳴館時代の社交界の中心となって、「鹿鳴館の華」とたたえられる。しかし会津の元家老の娘・捨松と仇敵(きゅうてき)・薩摩の大山巌との結婚は、地元・会津にとって衝撃的なニュースで、山川家には抗議の手紙が殺到したと伝わっている。」http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/cast/


さて、この大山捨松について、wikiには次のような記事が載っています。
「大山巌は先妻との間に娘が3人いた。長女の信子は結核のため20歳で早世したが、彼女をモデルとして徳冨蘆花が書いた小説が、「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったベストセラー『不如歸』である。


美しい国はいづこぞ紅梅忌(2016-02-17)


赤ん坊は元気です。
お問い合わせもありましたので、念のために申し上げますと、女の子です。

親もジイジバアバも、一瞬どっちだったっけと、顔を見ていて迷います(笑)。
予定日が梅の咲く頃なので、胎内にいる時は、仮称「梅子」で呼んでいましたが、今年の梅は例年よりも早く咲きましたし、姓とのバランスで角張った文字になりますので、躊躇して、出生届の際には、別の名前になりました。それでも、つい「うめちゃん」と呼びかけることがあります。


鳥も花も愛で呉るるらし宮参り(2016-03-21)


今日は「梅子」の宮参りでした。

(中略)

宮参りと言っても、わが家も、むこ殿のご両親も、しきたりやならわしには淡泊というか疎い方なので、改まった計画も思いつきませんが、写真だけは残しておくことを眼目に、近くの神社にお参りしました。
婿殿も、そして実家のご両親もおそろいで、車で十分の距離をちょっくら参詣し、素人カメラマンで記念撮影してイベント終了です。梅子は「晴れ女」で、退院の日も、一ヶ月検診の日も、その他、外出予定やイベントごとがある時には、よく晴れます。
今朝も、早朝は気温がいくらか低く、風もすこし強い感じはありましたが、出かける頃には、快晴になり、陽射しも穏やかな陽気になりました。レンギョウ、ジンチョウゲ、ハクモクレン、コブシなどが花盛りで、祝ってくれていました。
昼食はわが家で、お弁当を囲み、歓談。まずはめでたい宮参りイベントとなりました。


晦日節性懲りもなき探し物(2017.01.31)



もうすぐ一歳になる孫娘が、午後、来訪しました。
去年の今頃、まだおなかの中にいるころは、「梅」または「梅子」と名づけようかという案もありました。結果的に採用されませんでしたが、ゆかしくかぐわしい花であることは間違いありません。
成長は早いもので、つかまり立ちもできるし、ハイハイも活発です。
表情も多彩で、あれこれと意思表示、意思疎通ができます。
従兄・姉があやすと親愛感をはっきり示し、声を上げて笑います。


きょうはこれにて。

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思いつきの津山城址見学、の巻 [折々散歩]

もう一ヶ月ほどで92歳になる老父が、地元新聞の読者投稿欄に掲載してもらったのを励みに、その後も何度か投稿しているのですが、どうもボツになる回数が多いようです。


たとえば、こんな投稿。もうだいぶ前に書いたものですが、掲載の兆しがありません。


もうボツだろうと踏んで、こっそり当ブログに紹介させていただきます。


高齢者の免許証の返納に悩んでいる
私の住む地区にはスーパーがない。
毎月1回診察して薬を貰いに行く病院が遠いので、どうしても自家用車で行く事になる。 事故をする前に免許証を返納する人が多いけれど、 私は悩んでいる。
今1週問に1度リハビリにいっているので送迎車利用している。何時も助手席に乗せてもらっているので、 職員の運転手さんの技術を隣の席で良く見ている。 それは本当に模範運転である。 制限速度は厳重に守り、急ぐ車には道を譲り、 信号は黄色になる前に停止する位の絶対安全運転を見習えば、 高齢者も事故をしないと信じている。
週に1回か2回位買い物に行っているが、 妻以外の人は乗せない様にしている。 慣れた道でも夜間や雪の日の運転、 飲酒運転は絶対しないで模範運転を見習って、 事故をしない様1日でも長く健康で連転したいと思っている。


高齢者は、できるだけ早く免許返納するよう勧めるのが社会の風潮だから、まだ運転を続けようという投書は載せてもらえないのだろうと、父は解釈しているようです。その父が、免許更新前の高齢者講習を受けることになりました。認知力のテストで、前回よりも何点か下がっていたので、3時間の講習が必要なのだそうです。


示された絵を見覚えて、描いてあったものを思い出す問題で、「ペンギン」という言葉を思い出せなかったこと、トマトを果物に数えたので、「野菜」の数が足りなくて困った、などのことがあったようです。これは、恥ずかしながら、この自分によくある現象なので、他人事とも思えません。


いま、最寄りの自動車教習所では、その高齢者講習の予約が一杯で、免許更新日までに間に合会わないということで、少し遠いですが津山市の自動車学校で講習を受ける予約をしたそうで、初めての場所でもあるので、可能ならば送ってもらえないかと頼まれていたのが、昨日でした。


ちょうど手すきの日でしたので、朝から妻と一緒に郷里まで出向き、老父母を乗せて津山まで送迎する事になりました。


早めの食事を父の奢りで済ませ、予約時間の一時間以上も前に自動車学校まで父を送り、そのあと、4時間ほどを、老母と妻との3人で費やさねばなりません。というわけで、桜の名所で知られる湯山城、鶴山公園を散策してみることにしました。


母の足もとを見ると、「ツッカケ」を履いただけの危なっかしさが気にはなりますが、これで険しい石段の昇降はもとより、踏み段を上り下りしての備中櫓の内部見学や、天守台の見学まで、堪能したことでした。


備中櫓の内部は、靴を脱いで、廊下や階段、座敷を素足で歩いて見学できます。


室内を照らす照明もゆかしく感じられます。


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開け放たれた窓から、畳の上に桜の花が舞い落ちていました。


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矢狭間・鉄砲狭間から下界が明るく見下ろされます。


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津山城、鶴山公園については、当ブログでも何度かご紹介したことがありますが、たとえば去年の4月8日にこんな記事を書いています。


またまた昨日の花見、の巻


鶴山公園(津山城)と言えば、三年前の春、郷里の両親と花見をしたのが一番最近の記憶です。そのことは、これらの記事に書きました。
桜前線北上すの巻
◇達治忌やわが身の影は雨に濡れ
少しだけ引用します。

津山城を築城した初代城主は、信長のお気に入りの小姓として知られるあの森蘭丸(成利)の弟、森忠政です。
彼も、13歳の時、兄と同様信長の小姓として出仕しますが、先輩の梁田弟河内守にからかわれたのに立腹し、梁田を部屋の隅に追いつめ頭を扇で叩いたため、幼すぎると見なされて、信長に親元へ返されました。これが幸いして本能寺の変に巻き込まれることなく、命拾いしたそうです。その後、豊臣秀吉に仕え羽柴姓を授けられますが、秀吉死後は徳川方につき、関ヶ原の戦では徳川秀忠に属して真田昌幸を攻め,その後の大阪の変を経て、美作国18万6000石を与えられ、鶴山に城を築きました。

津山城は、櫓の数の多さでは、広島城、姫路城と肩を並べる、雄大な名城であったそうですが。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却され天守台・石垣のみが残されました。昭和11年(1936年)模擬天守が建てられましたが、太平洋戦争中に空襲の目標とされることを恐れて解体されました。
津山城趾、鶴山公園は、知る人ぞ知る桜の名所です。

この年は、4月2日に花見をしたのでしたが、好天に恵まれてすっかり咲きそろっていました。その点、今年の桜は、少し遅いようです。


県内の桜情報などによると、見頃の時期はかなりすぎていますが、この場所が妻は初めてとあって、是非見せてやりたいと母が言いますので、近くに車を停めて歩いて行くことにしました。


前日の日曜日で「さくらまつり」が終わったところらしく、屋台や売店の後がガランとして寂しく、また、三々五々、片付けが進んでいるようすでした。


まさしく「祭りの後」「後の祭り」そのものでした。


でもまあ、兼好法師も「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」と言ってます。古い記事を引用しておきましょう。


さくらの日(2014.3.27)


鎌倉時代の兼好法師は,こう書いています。

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ。」とも、「障ることありてまからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。 (兼好法師『徒然草』「花は盛りに」)

【解釈】

桜の花いうたら、真っ盛りに咲いとる時だけを、月はくもりのない満月だけを、見るものどすやろか(いやいやそうではおまへん)。雨にむかって、月を恋い慕うたり、スダレを垂れて部屋んなかにとじこもって、春がどこへ行ったのやら、わからへんのも、やっぱり、しみじみ趣深いものでおます。今にも咲きそうな桜の梢や、咲き終わって、花が散りしおれている庭などこそ、ホンマに見所が多うおまっせ。
和歌の詞書にも、「花見に参りましたんやが、もうすっかり散りってしまうておりまして。」とも、「差しつかえることがあって花見に行きそびれてからに」などとも書いてあるのは、「花を見て。」と言っているのに劣っとりますやろか(いや、劣ってはおまへん)。花が散ったり、月が西に傾いたりするのを慕う世のならわしは、もっともなことでおますけれども、特に情趣というもんがわからへんカタブツが、「この枝も、あの枝も、花が散ってしまいましたなあ。もう見所はおまへん。」などと言うようでおますすなあ。

江戸時代の国学者本居宣長は,これに難癖をつけてこう書いています。

兼好法師が徒然草に、「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」とか言へるは、いかにぞや。いにしへの歌どもに、花は盛りなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには風をかこち、月の夜は雲をいとひ、あるは待ち惜しむ心づくしをよめるぞ多くて、心深きも、ことにさる歌に多かるは、みな花は盛りをのどかに見まほしく、月はくまなからんことを思ふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ。いづこの歌にかは、花に風を待ち、月に雲を願ひたるはあらん。さるを、かの法師が言へるごとくなるは、人の心にさかひたる、のちの世のさかしら心の、つくりみやびにして、まことのみやび心にはあらず。かの法師が言へることども、このたぐひ多し。みな同じことなり。すべて、なべての人の願ふ心にたがへるを、みやびとするは、つくりことぞ多かりける。(本居宣長『玉勝間』「兼好法師が詞のあげつらひ」)

【解釈】

兼好法師の徒然草に、「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」なんぞと言うてはるのは、いかがなものですやろか。古い昔の歌々に、花は満開の状態を、月は曇りのない満月を見たんよりも、花のもとで風に不平を言い、月の夜は雲をいやがり、あるいは花が咲き満月が空を照らすのを待ち焦がれたり、盛期が過ぎ去るのを惜しんであれこれ気をもんだりするのを詠んだ歌が多うて、情趣深いのんも、特にそんな歌に多いのは、みな花は満開の状態をのどかに見たいのやし、月は曇りがないんを願う気持ちが切実やからこそ、それが適わへんのを嘆いているんや。どこぞの歌に、桜の花に風を待ち、月に雲を願っている歌があるやろか、いやあらしまへん。せやのに、あの法師が言うてるようなんは、人の心に逆らうてる、後世の利口ぶった心、エセ風流で、本物の風流心やおまへん。あの法師が言うてることには、この類が多い。みんな同じことどす。すべて、おおかたの人の願う心に背反していることを風流とするのは、わざとらしい作為が多いことでんなあ。(本居宣長『玉勝間』「兼好法師が詞のあげつらひ」)


でもまあ、盛りは過ぎても、みどころはありましたよ。


フォト蔵に城や桜の様子をアップしておきました。 さくらまつりの翌日の津山城(2019)
さくらまつりの翌日の津山城(2019) posted by (C)kazg さくらまつりの終わった津山城(2019)
さくらまつりの終わった津山城(2019) posted by (C)kazg さくらまつりの終わった津山城(2019)
さくらまつりの終わった津山城(2019) posted by (C)kazg さくらまつりの終わった津山城(2019)
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さくらまつりの翌日の津山城(2019) posted by (C)kazg



ヤマザクラ、ソメイヨシノは、ほとんど葉桜に変わりかけていますが、見事に満開状態の大木がありました。

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「オオシマザクラ」と品種名の表示がありました。


うっすら記憶にあります。「ソメイヨシノ」は、「エドヒガン」と「オオシマザクラ」との交雑種だとか?


津山市公式観光サイトに、津山城に咲く桜マップというページ(PDF)があり、津山城に植栽されている16種類の桜の品種と。その植栽場所が紹介されています。あらためてその豊富さに驚きます。


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すっかり堪能して、下城しようと歩いていると、石垣にこんな生き物が、、、。


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トカゲのつがいが風流な桜見のそぞろ歩きでしょうか?


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津山郷土博物館は、耐震工事中とやらで、休館でした。ちょうど市議選挙のただ中で、候補者掲示板にポスターが勢揃いしています。


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森本慶三記念館(旧津山基督教図書館) 歴史民俗館を見学してみました。


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今日はこれにて。


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桜の後楽園、の巻 [折々散歩]

参議院議員の吉良よし子さんの事務所のフェイスブックが、彼女の活躍ぶりを伝えてくれています。


地方選挙前半戦の終盤、高知に帰って、応援演説に駆け回った由。


これはお父さんの吉良富彦さん。


画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル、屋外


そして、こちらは、わが学友の米田稔君。


画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル、立ってる(複数の人)、スーツ、屋外


応援ありがとう。おかげさまで七期目当選です。


そして昨日の投稿。


画像に含まれている可能性があるもの:12人、、スマイル


大阪12区の宮本たけしさん、そして、沖縄3区のヤラともひろさん。二つの衆院補選が、ドラマチックで目が離せません。


今日は、後楽園へ行ってみました。


まだ桜が楽しめます。


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ヒヨドリが大活躍。


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紅葉の若葉に、ヤマガラが見え隠れしています。


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真っ赤な椿の巨木。


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今日は、思いつきで、フィルムカメラも持って行きました。シャッターを切る瞬間、独特の充実感があります。すぐには写り具合が確認できないのも、余韻を増します。さて、現像・焼き付けがいつのことになりますやら。とりあえずはデジカメの画像をご紹介しておきます。


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桜並木の向こうに、クスノキの新緑が見えます。


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ところで散歩中、若いアベック、いやカップルが、写真を写してくれませんか?と声をかけてこられました。「写るんです」を手渡されました。


「どちらから?」と尋ねると、「韓国です」との答え。驚きました。流ちょうな日本語です。「写るんです」の、フィルム巻き上げ操作を、一瞬ためらっておりますと、「懐かしいでしょ?」と、即妙な応答。心地よい国際交流感覚を味わえました。


いつものことながら、後楽園の観光客は、国際色豊かで、アジア系、またヨーロッパ系の、様々な言語が飛び交っています。


今日もシロハラに会いました。


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今日はこれにて。


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また桜だ?の巻 [折々散歩]

FNNPRIMEの昨日付記事にこうありました。


数々の問題発言を続けていた桜田義孝五輪相が、4月10日夜、事実上更迭された。
昨年11月5日の国会質問で、五輪関連予算1500億円を「1500円」と発言し、質問者の蓮舫(れんほう)氏の名前を「レンポウさん」と言い間違い。また4月9日には宮城県石巻市(いしのまきし)のことを「いしまきし」と言い間違えていた。
さらに、昨年11月6日には参議院予算委員会の審議後の記者会見で「質疑の事前通告がなかった」と事実と異なる説明をして、発言を撤回し謝罪した。
また「五輪憲章を読んでいない」「パソコンを打たない」など、五輪相としての資質を疑われる発言や国会審議へ遅刻することもあった。


この桜田元大臣については何度か記事で触れましたが、 もう辟易。勘弁して欲しいです。

たまた不適材露見、の巻


招かざる客、の巻


自分で歩き出した道ですもの、の巻(その2)


桜田サンの話題はそれくらいにして、この春の寒さのせいで、桜はまだまだ見事に咲いてます。


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今日プチ散歩した自然環境体験公園のソメイヨシノです。


カワラヒワが活発に活動していました。


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見あげると、ミサゴです。


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シロハラがいました。


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最近シロハラによく会います。


4月8日(月)深山公園で。


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4月9日(火)、三徳園にて。


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今日はここまで。


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花に嵐、の巻 [折々散歩]

昨日の朝の三徳園(小鳥の森)。

どこもかしこも桜が満開でした。

ソメイヨシノ。

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ヤマザクラ。

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ミツマタ。

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ヤマブキ。

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郷里の山も笑っています。

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庭のシバザクラも満開。

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スイセンもいろいろ咲いています。

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タンポポ。

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シロバナタンポポ。

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綿毛。

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タンポポの葉に、ヤマトシジミが飛んできて止まりました。

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昨日は、高校の入学式だったそうで、夕方桜の木の下で記念撮影をしました。

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この好天も昨日の夜まで。深夜から今日にかけて、強い雨と風です。

今朝は、傘差し散歩。強風に煽られて傘をジョウゴにされ、早々に引き揚げました。

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「花散らしの雨」と書きかけて、そう言えばこの言葉、いろいろと話題になっていたことを思いだしました。

気象予報士・気象解説者の森田正光(ウェザーマップ取締役会長)さんが、以前(2016年4月)こんなことを書いておられました。さすが適切な解説と感心しましたので、少しだけ引用させていただきます。

その「花散らし」という表現に対して、ある方から「花散らし」と言うのは、古来は艶っぽい表現で下品な意味を含むので、その言葉を使うのは控えたほうがいいのではとのご意見をいただきました。

では、 その「花散らし」の本来の意味はなんでしょう。

広辞苑には「三月三日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること。(九州北部地方でいう)」と書いてあります。まぁ、現代風に言えば、夜通しで行われた今の時代より自由な合コンのようなものでしょう。

確かにそう考えれば艶っぽいというか、あまり適切でないという意見も分からないではありません。ただ、こうした批判めいた意見を聞くと、経験の浅い気象解説者はその意見にたじろいで、つい自己規制をして無難な表現になってしまいがちです。

しかし、すでに死語と化した本来の意味を持ち出して、現在ふつうに使われている「花散らし」という表現を抑えようとするのは、いかがなものかと私は思います。

言葉は恒に変化し、我々気象解説者にとっては、季節や気象に関する言葉は語源も含めて、慎重に扱わなければならないのは言うまでもありません。

ですが、あまりに本来の意味に囚われると、自由な表現を狭めて息苦しい気象解説になってしまいます。

ちなみにNHKの気象ハンドブックによると、

「もともとの意味は、…略… 旧暦3月3日に海辺で催す男女の酒盛りのことを言ったとされている。最近は桜の花を散らす強風を指して言うこともある。」

となっています。

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もう一つ、私の頭に浮かんだフレーズ。「花に嵐」。

これは、これまで何度も書いておりました。

たとえば、2015年と2016年の4月の同じ時期に、こんな記事を書いています。

満開の花に嵐の無惨かな

毎日が花見の暮らし!雨も佳し

何の新味もありませんが、性懲りもなく、引用再掲させていただきます。

毎年毎年飽きもせず、相も変わらず、同じようなことを考えるものです。 (中略)    

こんなお天気だと、こんなフレーズを口ずさんでしまします。

この杯を受けてくれ
    どうぞなみなみ注がしておくれ
    花に嵐のたとえもあるぞ
    さよならだけが人生だ
  井伏鱒二 『勧酒』

もちろん、原詩は唐代の詩人 于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒 」。

勧酒    于武陵

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
(『唐詩選』) 
【書き下し】
酒を勧む 于武陵
君に勧む金屈巵
満酌辞するを須(もち)ひず
花発(ひら)きて風雨多く
人生別離足る

この「人生別離足る」を、井伏は「さよならだけが人生だ」と圧倒的な訳語を創出しました。

その断言の印象深さの故でしょう、 寺山修司がこれにこだわって、なんとかしてあらがおうと試みています。

    さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
    はるかなはるかな地の果てに咲いている野の百合何だろう
    さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
    やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
    さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
    さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
    さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません。
    寺山修司 『さよならだけが人生ならば』

「花に嵐」も午後にはようやく収まり、小糠雨を残すのみとなりました。「春雨じゃ濡れて参ろう」と洒落込むには寒すぎる「花冷え」に、とうとう我慢できず、何日ぶりかでストーブ用の灯油を買ってきました。暑くなる前に使い切れるかどうか微妙なところですが、、、。

この春転勤した保育士の長女が、今日はお休みだそうで、「桜を見たくなった」と、3歳児を連れてやってきました。

東京ほか、時ならぬ雪に見舞われた地方もあったようですが、それほどではないまでも、寒い散歩になりました。

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でも、元気に大はしゃぎです。

  さよならだけが人生ならば
  また来る春は何だろう     

今日はこれにて.


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花と鳥、の巻 [折々散歩]

先日、孫と出かけた半田山植物園で写した鳥。

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ヒヨドリは、桜の花が大好きですね。

今日、郷里の老父母の元を訪ねる途中、三徳園小鳥の森に寄り道しました。

ここも桜が満開でした。

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アオジがいました。トリミングしてみます。

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地面に降りたアオジ。これもトリミングしてます。

足もとの椿の落花が目を引きます。

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見あげると鮮烈な紅さの椿の花。

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白い椿も存在感では負けていません。

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今日はこれにて。


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夕桜、朝桜、そして昼桜の巻 [折々散歩]

このところのぽかぽか陽気で、散歩道のソメイヨシノが一気に開花しました。


一昨日(土)夕方の、お散歩写真です。


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シモクレンも開花しました。


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我が家のツバメ。


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最近、カメラ機材をもてあまし気味で、散歩時の携行カメラ選びが、いささか億劫になってきたこともあり、断捨離とまでは行かなくても、ちょっぴり整理したくなりました。


こちらの愛着に見合う待遇は、なかなか期待できませんが、カメラショップやリサイクルショップに持ち込むよりは、オークションに出品する方が愛好家に落札してもらえるだろうかと、機材の行く末・幸せを念じながら、いくつか出品しました。晴れて嫁ぎ先が決まったものもありますし、縁談成立しないものもあります。


その中の一つに、OLYMPUS E620があります。最後のフォーサーズ機(アマチュア向け)で、まだ愛していただけようかと、出品したのですが、ショット数を確認してみると、20000を越えていて、尻込みされそうな成り行きでした、ダンピング価格でたたき売ることも考えましたが、いっそ使える間使ってやろうと思い直しました。


それから、zuikoデジタル ED 18-180mm(35mm換算36-360mm)という、フォーサーズ機では数少ないズーム域を持った高倍率ズームレンズ。お散歩用レンズとして手に入れていたものですが、意外に図体が大きく重いため、軽快が売りのOLYMPUSエントリー機(特にE410,420やこのE620)とのバランスが悪く、だんだん出番が少なくなっていました。よい引き取り手が活用していただこうかと、出品してみましたが、E620を手元に残すとすれば、このレンズも残しておこうかと考えた次第。


そのため、最近、連日この組み合わせで散歩しています。


昨日(日)の朝散歩でも携行しました。


日の出前から、時系列順に写真を並べます。


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昨日の朝のツバメ。


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昨夜から今日未明にかけて、かなり本格的な雨でした。一斉地方選挙の開票速報などをパソコンで見ていましたが、大勢が判明する深夜まで気力が続かず、眠ってしまっていました。雨音に目が覚めて、寝ぼけ眼でパソコンに向かうと、すっきりしない結果が出てました。


1)まずは大阪。維新の圧勝、、、とな?大阪府民、大阪市民は、何を期待したのでしょう?そしてその期待は、どうかなえられるというのでしょう???


ネット上の、こんなイラストをお借りしました。


写真の説明はありません。


写真の説明はありません。


写真の説明はありません。


今に地金は剝げるでしょうが、長引けば長引くほど失うものが大きすぎます。


2)北海道知事選、野党共闘実らず。残念。でも、蒔かれた種は今に芽を出す、と信じます。


3)友達自慢その後。


難読お名前クイズだ!の巻


で話題にした友人たちの近況です。


・広島市長選挙に立候補した川后和幸(せんこうかずゆき)君。残念ながら及びませんでした、お疲れ様。


・高知県議選挙高知市区の米田稔君。みごと7回目の当選。ヤッタ!


ちなみに、同じ高知市区選出の同僚議員吉良富彦さんも、四回目の当選。参議院議員の吉良よし子さんのお父さんです。奥さんが、うちのカミさんの友人であることから、親近感を覚えています。よかったよかった。


・京都市議(伏見区)の赤阪仁君も四期目の当選。


日々、ご苦労さま。応援してますよ。


4)自分の居住地の県議選では、立憲民主の新人が落選、共産党現職議員が落選で、3→2議席へと減。朝から気分が晴れません。


今日は、午前中には雨も上がり、小学生はの孫たちは新学期が始まりましたので、ちょっとぽっかり自分の時間ができました。郵便物を出しに郵便局に向かい、ついでに深山公園を歩いてみました。(その話題は今日は省略)


昼帰りの子どもたちに、いつものように焼きそばを食べさせたあと、ちょっくら腹ごなしに近所の散歩道を歩きます。すっかり満開となった桜並木は、強い春風に吹かれて、桜吹雪も舞い始めています。


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夕桜、朝桜、昼桜と、それぞれの風情を味わうことができました。


数年前までは提灯も提げられて、夜桜が楽しめたのですが、「平成の大合併」で岡山市に併合されてから、細やかな住民サービスに関わる予算が次第に削られ、夜桜見物の楽しみも失われてしまいました。


三日月の頃ですので、幽かな月明かりのもとで散歩するのも風流ではありますが、ただ、写真撮影には向きません。


庭のプランターに、黄色いチューリップも咲いています。


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今日はここまで・


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連日の花見日和、の巻 [折々散歩]

保育士をしている長女がこの春、転勤だそうで、年度末は仕事を片付けるために遅くなる日が多く、保育園児の自分の娘を引き取り時間までに迎えに行けなくて、お迎えを代行したことがありました。先日(はっきりした日付が思い出せません)、長男家の小学生の孫兄妹2人を連れて、保育園まで迎えに行き、連れて帰ると途中、その保育園児が、道路脇のバス会社の看板を見つけて、「○○チャン、チャギントン見たよ。何とかミュージアム行ったよ。」としきりに教えてくれますが、よく聞き取れません。


後で長女にきくと、先日「おかでんミュージアム」に行って、チャギントン電車にも乗ったのだそうです。


昨日、その小学生のリクエストで、半田山植物園へ向かう途中、ちょうどチャギントン電車が正面から走ってくるのに出会いました。今度小6になる男の子に写してもらった写真がこれ。


 


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車のフロントガラス越しですが、上手に写してくれました。


半田山植物園は、ちょうど桜の時期とあって、大勢の人でした。駐車場が、私たちが到着した時はまだ何台か空きがありましたが、帰る頃には何台もが駐車場入り口前に連なって、空きを待つ状態でした。この施設がこれほど賑わっている状態に遭遇したのは、初めてです。


ぽかぽか陽気の快晴で、歩き回るだけでも気分が爽快になります。山の斜面に作られた公園ですので、起伏に富み、孫たちも、野山をかけまわる感覚を味わいながら、色んな植物や花々に興味を引かれた様子です。


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彼らにもカメラを預けています。


兄はリコーgx200。


大きな松ぼっくり。


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これは水松(スイショウ)という名の松の一種らしいです。


気根が、何体もの仏像のように見えます。五百羅漢か?


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ソメイヨシノがちょうど見頃。


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こんな見晴らしを楽しみながら、お弁当を食べました。


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妹は、リコーcx2。


ツツジも見頃。


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沢山写してくれましたので、ほんの少しだけ紹介しました。


一斉地方選挙の前半戦。あすが投票日ですが、「おごる平家は久しからず」を実証する結果となるよう、望みます。


きょうはこれにて。


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花見日和、の巻 [折々散歩]

霜の朝が続きます。

2月のうちに、黒マルチシートで覆って植え付けているジャガイモの芽が伸びたので、数日前、発芽して盛り上がっている部分にハサミで穴を開け、日光を当ててやるようにしました。小学生の男子も手伝ってくれました。白くてひ弱だった芽が、翌日には濃い緑色になり、丈夫に育ちそうで期待が高まります。

と思いきや、ここ2~3日の相次ぐ霜や低温で、今朝見ると、無惨にも霜枯れてしまっていました。この痛手を癒やして体力を回復し、また芽を伸ばすことができたとしても、余計な足踏みが必要です。トホホ。

一方、別途、路地に植えていたジャガイモも、僅かに芽を出しています。生育は遅いのですが、なんと霜にもめげず、丈夫な濃い緑色の葉が育っています。4月になってからの想定外の低温障害ですが、低温から保護して新芽を健やかに育てたくてかぶせていたマルチが、かえって苗をひ弱にし、二月以来何度も霜や低温にサラされ続けてきた路地植えの方が、丈夫な苗を育てるとは、とんだパラドックスでした。

今日はこれにて。

新玉ねぎが、結球し始めているので、少しずつ収穫しています。今週になって二度目の収穫です。

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畑の近くの電線に、ツグミがいました。

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よく晴れて、暖かくなりました。

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小川にはコサギが採餌中です。

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道端に群生して咲く菜の花。今を盛りと咲いています。

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我が家のプランターのチューリップ。さすが子どもに人気の花。保育園児が大喜びです。

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お弁当を持って、歩いて花見に出かけました。

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タンポポも見つけました。

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はしゃいでいるうちに、尻餅。

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今日はこれにて。


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飲み込みが悪くて、、、の巻 [日録]

加齢とともに、最近とみに、飲み込みが悪くなりました。嚥下の話題ではありません。いや、嚥下の方も心許なくて、何でもないことでよくむせてしまうのですが(汗)


とりあえず、ここでは、「理解」「納得」のことを言ってます。


特に今、飲み込めないのは、新元号のことです、


新元号の発表は、昨日の午後、孫たちと深山公園を歩いていた時、ラジオから流れてきた菅官房長官の声によって知りました。いみじくも、小学生の男児が「令は命令の令」とバアバに説明したとおり、「令」の基本義は、「命令する」「AをしてBせしむ(使役)~させる」と言ったところでしょう。


小学館デジタル大辞泉にこう記述されてます。


れい【令】[漢字項目]
[音]レイ(漢) リョウ(リャウ)(呉) [訓]しむ せしむ
[学習漢字]4年
〈レイ〉
言いつける。命ずる。言いつけ。お達し。「令状/禁令・訓令・号令・司令・指令・辞令・勅令・伝令・発令・布令(ふれい)・命令」
おきて。のり。「条令・法令」
長官。「県令」
よい。りっぱな。「令色・令名」
相手の親族に対する敬称。「令兄・令嬢・令息・令夫人」
〈リョウ〉
言いつけ。「令旨(りょうじ)」
おきて。「令外(りょうげ)/律令」
[名のり]おさ・なり・のり・はる・よし
[難読]御布令(おふれ)・令史(さかん)・仮令(たとい・たとえ)・縦令(たとい・たとえ)

「4 よい。りっぱな」も、「巧言令色」などという熟語がすぐ思い浮かべられて、決してよい印象の文字ではありません。


それより何より、「令」と「和」の組み合わせは、恣意でしかないでしょう。自分の文章から片言隻句を抜き出されて、「出典」「引用」などと言い出されても、旅人さん、面くらうばかりではないでしょうか?


こんな喩えはいかがでしょうか?


古典的なミステリーでおなじみの、新聞記事の切り抜きを切り貼りした脅迫状。元の記事を「出典」、「引用」と断じられたのでは、新聞社も心外でしょう。


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フリー画像からお借りしました。


こんなことを書きかけていたら、畏友のkenro okada様が、的確なコメントを下さいました。まったく同感。もやもやしていた気分がすっきりしました。かってに引用させていただきます。


「令和」について、違和感を感じている人は少なくないようです。私もそのひとりですが理由はいろいろあります。①出典の万葉集ですが、素朴な古き良き時代の歌集ではありません。権謀渦巻く権力闘争の時代のものです。②大伴旅人は、大和政権を支えた豪族のひとりですが、藤原不比等を中心とする権力者によって太宰府に追いやられた人物です。梅の花三十二首の序文は、漢籍に出典があります。「万葉集」そのものは国書でしょうが、この部分は漢文です。③「令」の意味は、「よい」とか「すばらしい」と解説していますが、中心の意味は、「命令する」「強いる」「人々がひざまずいて天の命令を聞く」です。「よい」の意味の熟語も「令色」(人におもねる作った顔)「令嬢」(上流階級の家の娘)という、決して純粋によいという意味ではありません。「和」も、「平和」のイメージですが、本来は「なごむ」「穏やか」「調子を合わせる」です。④「れいわ」の発音、ラ行音は発音も難しく、聞き取りにくい音です。⑤「令和」には「それぞれの花を咲かせる」などという意味はなく、エイプリルフールのうそです。真意は「民は国家の命令をよく聞いておとなしく従え。」でしょう。元号の発表を選挙の真最中に政治ショーに利用する政権のたくらみです。昨日からもやもやしていたもので、長くなって申し訳ありません。


昨日、孫と行った深山公園。


傘が必要なほどの雨です。


ツツジがいっぺんに咲き始めています。


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しばらくすると雨が上がり、楽しい冒険散歩です。


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口笛を吹いてると、どこからともなくヤマガラがあらわれました。


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男の子が口笛を吹きながら掌を広げて見ますが、残念ながら手乗りにはなってくれませんでした、、、


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ギンヨウアカシア(ミモザ)の花が盛りです。


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数年前、山火事ではげ山になっていた山肌に、ミモザとツツジと山桜が競い合っています。


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来た時は傘が要る天気だったのに、青空が覗いたりします。


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この遊具、ほとんど端から端まで渡れるようになりました。


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今朝はほとんど0℃。霜も降りました。


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散歩道のソメイヨシノ(朝)。


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プランターのチューリップが咲き始めました。


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上は朝の状態。


下は昼の状態です。


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スノードリップ。


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シモクレン。


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きょうの付録


一昨日の日曜日は、孫3人を連れて公園で遊びました。


青空にソメイヨシノのピンクが映えます。


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コガモの姿がまだ見えます。


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この公園の遊具は、大がかりで楽しめます。


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小さな子は裸足になって駆け回っていました。夏には、涼しい水場になります。


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今日はこれにて。


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今日は何の日?の巻 [今日の暦]

4月の番組編成替えで、早朝のラジオ番組も様子が変わったようです。NHKの「「マイあさラジオ」と称していた番組が「マイあさ!」に呼称変更になったのかな?名称は変わっても「今日は何の日」のコーナーがありました。


第一に挙げられたのが、「国家総動員法」公布。1938年の今日のこと。 国民生活の全てが国家の統制下に置かれました。


第二に紹介されたのは、1989年の今日、 初の大型間接税としての消費税導入。3%で始まり、その後5%、8%に引き揚げられ、今度は10%ですと?

エイプリルフールとはいうものの、どちらも悪いジョークですね。


来年以降、「今日は『令和』への改元の日」、という一行が加わるのですか?


さすがウィキペディア。出典についてこんな紹介をしています。


「令和」の出典は『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」にある一文。以下に、原文、書き下し文、現代日本語訳の一例、および、題詞を表す。
《原文》 ※約物は後世に調整された形。※太字は新元号に採用された字。

    于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

《書き下し文》 ※ここでの読みは文語とする。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。

《現代日本語訳の一例》 ※太字は新元号に直接関わる語。

    時は初春の令月(※すなわち、何事をするにも良き月、めでたい月)、空気は美しく(※『初春』の『令月』を受けての解釈では、瑞祥の気配に満ち)、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。

(中略)
上野誠(万葉学者、奈良大学教授)によると、この詩が詠まれたのは、大伴旅人の大宰府の邸宅で催された「梅花の宴」だと言う。それは天平2年1月13日(ユリウス暦730年2月4日)に催され、大宰帥であった旅人の邸宅は、政庁(第二期)の北西にある坂本八幡宮(現・福岡県太宰府市、地図)付近と考えられている。


「平成」は日本人が戦争で殺し殺されることのなかった時代。「令和」もまたそれが続いて、「よき和やかな」時代であってほしいものです。


それにしても、初めて出典として国書を採用した、と話題になってますが、なんとも、こじつけっぽいですね。一文のなかに、この二文字がたまたま出てくるというだけのことで、「令」と「和」との間には何の意味的関連も脈絡もないわけですから、これで「出典」と呼ぶことすらも抵抗を覚えますがね。


大伴旅人については、当ブログでも何度か話題にしたことがありますが、そう言えば、2015年の今日(4月1日)こんな記事を書いています。


貸切の桜並木に春の雨


4月になりました。
年度が変わり、世の中では、新たな生活が始まっている事でしょう。
隠居者の私は、とりあえず朝の散歩に出かけました。
予報通り朝から雨、時折風も出て、「花に嵐」の風情です。

いつもの散歩道のソメイヨシノが、 日増しにほころびを増しています。

春雨に濡れるソメイヨシノ

春雨に濡れるソメイヨシノ

(中略)

去年もこの記事で紹介した大伴旅人と西行の歌碑が、桜の花につつまれています、

ソメイヨシノの花と大伴旅人、西行の歌碑

農業用水が流れる小川の対岸が桜並木。手前には菜の花が自生しています。

春雨に煙る桜並木と菜の花


今年は早くから暖かくなっったので例年よりサクラが早いだろうと言われてましたが、こうして見比べてみると、この年よりも遅いかも知れません。


昨日今日と、ビールの適温よりも冷たい朝が続きます。


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旅人の歌碑がある樋門の辺りは、日当たりがよいせいか、例年通り他の場所より早く開花が進んでますが、、、


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散歩道の桜並木は、全体としてまだツボミがふくらみ始めたばかりの状態です。これは昨日の朝の写真で酢が、今日も冷たい雨風で、大きく進んではいないでしょう。


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今日はこれにて。


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