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ムナグロに遭う、の巻 [折々散歩]

「古い資産の活用」といえば聞こえがよいですが、タイミングのよい切り替え、更新ができないまま、ガラクタを持て余している状況は、何度も話題にしてきました。


カメラ業界ではマイナーな、しかも鳥撮りの分野では不適格とさえみなされるPENTAXを常用している私は、離脱のきっかけを失したまま今日に至っています。というより、AFボーグという選択肢の故に、むしろ満足して踏みとどまり続けるでしょう(健気!)


が、一時の気の迷いから手を出した(今となってはシステム自体過去のものとなってしまいましたが)フォーサーズシステムからも、足抜けできないでいます。


このシステムは、撮像素子がAPS-Cに比べて小さめであることから、結果として望遠撮影に有利と言えます。例えば300mmのレンズで撮影すると、換算で600mm相当の効果を示すことになります。これを当てにして、中古で買ったzuiko70-300mmが、値段の割りには写りもほどほどによくて、有効活用したい思いが捨てきれません。


カメラとしては、OLYMPUS E-3との組み合わせが快適で、満足感も高かったのですが、古い機種だけあって画素数が1010万画素とやや貧弱だし、意外に重いので、樹上を狙って手持ち撮影などしていると腕が疲れる、などの不満から結局手放し、コンパクトな機種を手元に残していますが、使用頻度は著しく少なくなっています。


時代はマイクロフォーサーズへと移り(いや、それさえも風前の灯ですが)、最低限度のレンズは手に入れないわけにはいきませんでしたが、高額な望遠系レンズを揃える余裕はありません。そこで、アダプターを介してフォーサーズレンズを使う試みを重ねてきましたが、背部液晶を利用しての撮影は、大変苦痛。やむなく、かなりの出費を伴ってEVF(エレクトリックビューファインダー)に頼ることになりますが、測距システムの限界から、不満が残り、これも出番が減ってます。


そんな中、2013年に登場したOM-D E-M1という機種は、先行するOM-D E-M5の持つEVFー内蔵、防塵防滴性能というメリットにくわえて、「マイクロフォーサーズ初の像面位相差AF」とやらで、旧フォーサーズレンズが実用速度で使えるらしい、、、。が、気軽に手の出せる価格ではないので見て見ぬ振りをしてきたのですが、時日が経過し、世代が変わってマーク3の時代になって、初代機なら、小遣いを貯めれば入手できる、、、、というわけで、中古購入。かなりの快適さです。


以下、その「作例」。


OM-D E-M1+ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macroで今朝写した我が家の庭先の花。


アマドコロ。


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ブルーベリーの花。


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プランターの花々


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先日の記事で「これなあに?」とお尋ねしていた鳥について、M師がメールをくださいました。


これはなんでしょう、の巻


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タカブシギだそうです。


負け惜しみではありませんが、最初に脳裏をよぎった鳥の名がこれでした。でも、こんなに端正な鳥だったかなあと、疑念が湧くとわからなくなってきたのでした。


M師は付け加えて、この場所には、見かけが似ている別の珍鳥も来ているそうだと、情報を教えてくださいました。


午後の用事のために出かけるついでに、寄り道してみました。


OM-D E-M1+zuiko70-300mmを持って、車内から狙います。


コチドリです。


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タシギ。


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ケリもいました。


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エレガントなこの鳥。


あちこちにいます。


やはり、タカブシギのようです。


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気持ちよく撮影していたさなか、突然画面が真っ黒になりました。


フォーサーズレンズ+リアテレコン+フォーサーズ→マイクロフォーサーズアダプターと、いくつかの機材を連結しているせいで、接触の具合かなにかで電気信号がうまく伝わらなくなるといったトラブルなのでしょうか?以前にも別機種で経験したことがあります。マイクロフォーサーズレンズをつないでみると、トラブルは解消したのですが---。いざというときに信頼できないのは、強いストレスです。


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zuiko70-300mmを、バッグに入れていたE-pm1につないでみますと、黒くなったり解消したりではありますが、なんとか撮影できました。


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満足して帰りかけたとき、通りすがりの別の田圃に、この鳥がいました。ムナグロ。M師に教えていただいてはいましたが、初めての出会いです。想像していたより大柄な鳥でした。


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機材の不調でせっかくのチャンスを逃しかねないところでしたが、交換カメラをバッグに入れていたことがラッキーでした。でも、こんなことが起こると、やっぱり念のためにPENTAXの一式は用意しとかねばならないのかなあ、と思い至ったところでした。


日付をまたいでしまいました。


今日はこれにて。


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見あげたもんだよ、の巻 [折々散歩]

フーテンの寅さんの啖呵売。その流麗で小気味よいテンポとともに、脳裏に刻まれたセリフが、ふとした機会に口をついて出てきます。


たんか‐ばい【啖呵売】

〘名〙 口上を述べて商売をする者をいう、てきや仲間の隠語。

※わが新開地(1922)〈村島帰之〉「それから客を味噌糞の様に言ったり、おひゃらかしを云ったりして、いろんな品物を売るのをタンカバイと云ひます」

出典 精選版 日本国語大辞典

渥美清全曲集~男はつらいよ・渥美清の啖呵売~

渥美清全曲集~男はつらいよ・渥美清の啖呵売~

  • 出版社/メーカー: 日本クラウン
  • 発売日: 2014/07/02
  • メディア: CD

童友社 男はつらいよ 寅さんの啖呵売シリーズ 寅次郎皿の叩き売り いか焼き屋 屋台付

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  • 出版社/メーカー: 童友社(Doyusha)
  • メディア: おもちゃ&ホビー


今日の口上は、「見あげたもんだよ」


 


時により「見あげたもんだよ、風呂屋の煙突」となったり「見あげたもんだよ屋根屋の○んどし」となったりするようです。これに続くセリフが「たいしたもんだよ、蛙(カエル)のションベン」。別バージョンに「蝗(イナゴ)のションベン」というのもあるらしい。「大したもんだよ」と「田へしたもんだよ」とをかけているそうな。


実は今日の記事には「見上げてご覧」というタイトルを思いついていたのですが、この発想は過去記事で使い古していたことに気づきました


見上げてご覧(2015-01-28)


見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)(2015-07-04)


上を向いて歩いていたら、の巻(2017-05-13)


そしてまたこんな記事も。


さらにもう一つの11月3日、の巻(2015-11-03)


ところで、「教え子を戦場に送る」とは、単に彼らを戦闘の恐怖や戦死・戦傷の脅威にさらすことのみを意味しているわけではないことを、私は最近のニュー
スから改めて考えさせられています。5月20日付山陽新聞に、顔写真入りで7人のアメリカ人兵士が紹介されています。

ジェレミー・シビッツ技術兵(24)
ペンシルベニア州出身。軍用車両の修理 が専門、全裸のイラク人収容者がピラミッド状に折り重なった虐待写真を撮影したなどの疑い。
ジャバル・デービス3等軍曹 (26)
メリーランド州出身。高校時代は陸上競技のスター選手。信仰心の厚いキリスト教徒との証言もある。収容所の手や足を踏みつけるなど6件の虐待に加担した疑い。
リンディ・イングランド上等兵(21)
ウェストバージニア州出身。高校卒業後気象学者を志し、大学で勉強するための補助がえられる軍に入隊。全裸の収容者の首に巻いたひもをひいたり、くわえたばこで全裸の収容者を指さす写真が世界中のメディアで報道され、虐待事件の”象徴的存在”に。
サブリナ・ハーマン技術兵(26)
バージニア州出身。ピザの宅配などをやりながら、大学入学を目指して入隊。全裸の収容者がピラミッド状に折り重なった背後で、グレーナー技術兵と笑っている写真が報じられた。 (以下略)

もし、戦争さえなかったら、才能にあふれた、まばゆいほどに頼もしい若者として、家族からも周囲からも、愛と誇りを持って遇されたはずの彼らが、人間と
して恥ずべき残虐行為に手を染め、今、決してぬぐい去ることのできない悔恨に身を灼いていることは、同世代の子供を持ったり、同世代の教え子を社会に送り
出してきた者としては、痛ましさを禁じ得ません。
収容所の連想から、私は、「戦争というものは、欠点ばかりを増幅させるものだ。」というの映画「シンドラーのリスト」の中のセリフを思い出さずにいられ
ません。同時に、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」に登場する、ミステリアスな女主人公ハンナが、強制収容所の看守としての行動を戦
争犯罪として裁かれる法廷で、繰り返し裁判官に問いかける「あなただったらどうしましたか?」という言葉も、決して人ごととは思えません。
奇しくも同じ名を持つ政治学者ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を通して「ホロコーストの残虐な実行者が、上司の命令に忠実なありきたりの官吏であったという『悪の陳腐さ』」の問題を鋭く追及しましたが、彼女が投げかけた「組織の中の個人の責任」という問題は、現代の私たちにとっても、決してさけては通れない問いかけだと思います。


ハンナつながりで、3人目のハンナの話題を添えたいと思います。無声映画で活躍し、トーキー隆盛の中にあっても頑なにサイレント映画製作にこだわり続け
てきたチャップリンが、初めてつくったトーキー映画が「独裁者」でした。チャップリンは、ヒットラーをモデルとした独裁者ヒンケルと、うだつの上がらない
ユダヤ人床屋の二役を演じていますが、そのユダヤ人床屋がヒンケルに間違われて、大群衆に向かって演説をしなくてはならない状況に追いやられます。最後の
5分間と呼ばれるこの演説は、「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し」と恋人ハンナに放送で呼びかけるところから始まります。このメッセージを世界の
人々に届けたかったために、チャップリンがあえてトーキーを選んだとも言われています。

「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いている 明るい光がさしはじめた 新しい世界が開けてきた 人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ 人間の魂は翼を与えられて やっと飛び始めた 虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって 輝かしい未来が君にも私にもやって来る。 我々すべてに! ハンナ、元気をお出し… ハンナ、聞いたかい 顔をお上げ、ハンナ…」
「私たちは、みんなお互いに助け合いたいと望んでいる。人間というのは本来そういうものなのだ。他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きた
い。人間というのは、本来そういうもので、憎みあったり、軽蔑しあったりしたくはないんだ。----」

このメッセージを、しっかりと、子どもたちの胸に届くように語ることこそ、大人たちの、なかんづく私たち教職員の役目ではないでしょうか?


ぐずついた天気が続いていましたが、今日は見あげると青空でした。


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電線のツバメは、我が家の玄関先に巣作りしているつがいのようです。


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畑仕事の途中、道路沿いの電柱から、聞き慣れない笛の音のような鳴き声が聞こえてきました。


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いえ、このトビが止まっている電線の端がつながっている電柱のてっぺんからです。


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さっきのトビよりかなりい大きい体格で、頭が白い猛禽類です。


ズームでのぞくと、足もとに魚をつかんでいます。


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大きな魚です。


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食事中のミサゴは、以前、この記事でもご紹介しました。


霜の朝ミサゴの展望レストラン(2015-12-18)


掲載していた写真が、一部見えなくなっています。(ssブログに移行してからのトラブルでしょうか?しばしばこの現象に遭遇します)


「デジタルテレコン」を使って拡大撮影した画像を載せておきます(ノートリミングです)。


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今日はこれにて。


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積み残し、の巻 [折々散歩]

前回記事での積み残しを少々。

「桜蘂降る(さくらしべふる)」という晩春の季語があるそうです。そんな季節になりました。

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深山公園はソメイヨシノも沢山植えられていますが、ヤマザクラも見事に咲いています。花と柔らかい葉の色が相まって。目を楽しませてくれます。

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この桜の種類はなんでしょう?

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山吹も今が盛りです。

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桜の枝に止まるツグミ。

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樹上のツグミ。

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草原で採餌中のツグミ。

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採餌中のシロハラ。

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ヤマガラを探して深山公園を歩いたのでしたが、会えずじまいでした。

・・・・しかし、ちょっと気になる音が聞こえてきました。コツコツコツとリズミカルに木をつつくような音です。辺りを見回してもそれらしい鳥の姿がありません。

しかし、どうも気になるので、時間をかけて周囲を観察してみると、ちょっと怪しいものに目が止まりました。

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一部を拡大します。

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この穴、どうも気になって、ちょっと執念深く見守っていますと、、、

こんなものが顔をのぞけたり引っ込んだり、、、

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翌日も同じ場所へ行ってみました。(ところが、うっかり素通りして、どこだったかわからなくなってしまいました。キツネにつままれたような気がしました。たしかに、タヌキにはこの辺りで出会ったのでしたが、、、。キョロキョロ探しながら遠くまで歩き、ほとんど散歩道道を一周した後で引き返して、ようやく確認できました。

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かわいいコゲラです。

昨日、4月12日(月)は小学校の入学式。新一年生になった孫が、大きなランドセルを背負った姿を記念撮影しておきました。

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今日はこれにて。


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ニュウナイスズメと花と鳥、の巻(1) [折々散歩]

フェイスブックの7年前の投稿(2014年3月31日)に、こんな写真を載せていました。


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2,3日前の桜並木はこんな具合でした。


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今日の散歩では、ほとんど満開状態になりました。


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風に舞う花びらが、蜘蛛の糸につなぎ止められたりしています。


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(つづく)


注 記事を分割したら、投稿順序が逆になりました。続きは、「前の記事」にさかのぼってご覧ください。


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ニュウナイスズメと花と鳥、の巻(その2) [折々散歩]

あちらこちらに、無傷のまま道端に転がっている花があります。


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桜の蜜を求めて枝から枝へと戯れる、ヒヨドリやスズメたちの仕業と思われます。


ヒヨドリ。


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スズメ。


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これは、アトリ?


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ところで、桜並木を見あげて、目を凝らしてようやくお目当ての鳥を見つけることができました。でも、顔が隠れてはっきり見えません。


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実は3月の初め頃、M師からメールでいただいていた「野鳥情報」のなかに、こんんな一節があったのでした。


ニュウナイスズメ 近くの砂川土手で 桜の木にいました。Kazgさんのお宅の近くにも桜並木がありましたね。その気で探すと いるかもしれません。頬が黒いのは普通の雀です。頬が白くてオスメスで色が違う雀。

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これはオスです。

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これまでにも、何回かお目に掛かったことがありますが、、、久しぶりです。


花盛りニュウナイスズメも来てござる(2016-04-05)


ふと桜の枝陰を見ると、小柄な小鳥の群れが、、。
これは?ニュウナイスズメではありますまいか?




今日の付録、その他の花と鳥です。


ヤグルマソウ。


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柿若葉。


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桜とモズ。


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桜の花びらとツグミ。


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タンポポとムクドリ。


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ツバメ。


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さらに、付録の付録。


3月も末なので、3月の写真はできるだけサッサと消化しておくことにします。深山公園のカワセミです。


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今日はこれにて。


注 記事を分割したら、投稿順序が逆になりました。この記事は、「次の記事」のあとに続きます。


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年々歳々、の巻 [折々散歩]

カモたちが次々と北へ旅立って、めっきり姿を減らし、一方、上空を飛ぶツバメの姿をよく見るようになりました。


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「行く鳥来る鳥」というフレーズを思いつき、気が利いてる感じがして喜んでいましたら、ずっと前、使用済みのギャグでした。進歩のないこと(汗)


行く鳥来る鳥、の巻(2016-04-03)


年度の初めは、別れと出会いの時期でもあります。
この季節、よく、劉希夷「代悲白頭翁」の一節が引かれます。

  年々歳々花相似 歳々年々人不同
〈書き下し〉年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず
〈解釈〉
「毎年毎年花は同じように咲く。人の世が変化するのに対して,自然が変化しないことのたとえ。 」と、三省堂大辞林にあります。


3月27日(土)付の朝刊に、教員の人事異動の記事が発表されています。退職後八年も経つと、見知ったお名前がわずかになりました。一方、退職者の名前の中には、私が新任当時に授業を担当した生徒だった人が二人も載っていました(先日、県下の「退職予定者のつどい」でお目に掛かったので、知って排他のですが)。改めて月日の経つのは早いものと実感させられます。


今日は、退職教職員の親睦交流組織の世話係が集まり、入会のお誘いを発送する作業がありましたので、お手伝いに行ってきました。一方、我が家には、春休みを迎えた孫たち(上は高校生、下は一歳児のいとこたち)が集まり、楽しい一日を過ごしました。黄砂・花粉の影響で、ひどく霞んでいる屋外で、走り回るのも平気の平左。大いに楽しむことができたようです。私も、短時間ながら、ゴーグルとマスク完備(笑)でお付き合いしましたが、初夏の暑さに少々疲れました。





「年々歳々鳥相似たり 」なのは、行く鳥でも来る鳥でもなく「いる鳥」たちですかな。


ヒヨドリ。


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スズメ。


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カワセミ。


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ツグミ。


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ヒバリ。


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ムクドリ。


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コサギ。


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この辺りまで午前中書きかけて、出かけました。


行き先は、裁判所。


気が進みませんがその報告も、メモしておきます。


NHKのWEBニュースから引用します。


岡山地裁 年金引き下げ訴訟で原告の訴えを棄却

03月30日 17時23分

国が年金の支給額を段階的に引き下げたのは、最低限度の生活を保障する憲法に違反するとして、岡山県内の受給者が引き下げの取り消しなどを求めた裁判で、岡山地方裁判所は原告の訴えを退けました。
国民年金や厚生年金の支給額が法律の改正で、平成25年から段階的に引き下げられたことについて、岡山県内の受給者およそ200人は「健康で文化的な最低限度の生活を保障した憲法に違反する」などとして、国に対し、引き下げの取り消しや引き下げ前の支給額との差額を支払うよう訴えていました。
30日の判決で、岡山地方裁判所の野上あや裁判長は「健康で文化的な最低限度の生活は、国の財政事情を考慮したうえ生活保護など社会保障制度全体を通じて保障されるべきものだ」とした上で「少子高齢化が進む中で、現役世代の保険料や税の負担能力は減少する一方で、支給する年金は増えることが予想されるため、年金額を引き下げるという措置は、不合理ではなく憲法に反するとはいえない」などとして原告の訴えを退けました。
原告の弁護団によりますと、同様の裁判は全国39の裁判所で起こされていますが、これまでの判決は、いずれも原告側の訴えが退けられているということです。
判決のあと、弁護団の則武透弁護士は「岡山の市民の主張にまったく耳を傾けておらず、国の主張を全面的に受け入れた判決だ。司法の役割を放棄しているといわざるを得ない」と述べ、控訴する意向を示しました。


入廷人員は制限されますから、私は、正門前歩道上で待機。固唾をのんで見守る中---実際は、久しぶりに会う知人、友人と旧交を温めながらおしゃべりしてたのですけど(汗)---「不当判決」の垂れ幕が掲げられました。無念。


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別会場で報告集会がありました。


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弁護団、原告の皆さんの、怒りを込めた発言のひと言ひとが胸にしみます。


弁護団長の則武透弁護士が引かれた、教科書検定裁判原告の家永三郎さんの歌が心に残りました。



かちまけは さもあらばあれ たましひの自由をもとめ われはたたかふ 家永三郎


この報告集会の模様を「年金者組合岡山県本部」のFB投稿から、一部引用します。


岡山の裁判では、女性の立場から年金削減の不当性を訴え、津山地域を例に年金の地域経済財への効果などを明らかにしながらの闘いでしたが、「国の裁量権」という権力を擁護する内容でした。違憲性についても私たちの主張について、正面から向き合う判決とは到底言えません。

判決後の集会で、弁護団の説明を受けながら、参加者217名は直ちに控訴の意思を表明しました。

集会で、弁護団長の則武弁護士は4つの争点を再度分析しながら①マクロ経済規定について、判決では何が憲法違反になるのか?の物差しが緩く、国が示した年金運用の基準を容認し、明らかな裁量権の逸脱でありながら、国有利の緩やかな物差しを認めたこと。女性に厳しい年金制度になっていることにも触れていない。

②年金を収めながらも、明らかに減額されているのは財産権の侵害だがこれも認めた。世代間の公平性についても200兆円の積立金は将来世代のためだと言いながら、株への投資を認めている矛盾がある。

③ILO102号条約違反は批准しても加盟国は自由に制度をつくれるという国の主張を取り入れた暴論。

④違法性、損害補償についても国の主張に沿った判決であり、司法の役割を放棄している国の準備書面を読んでいるようだった、と批判しました。

集会では年金者組合員5人が発言しました。この中で東団長は「今日の裁判長は何を言ったのかが分からなかった。裁判所はお粗末な権力の防御装置になっている。10万を超える署名を集めたがもう一回り大きな運動で、意義を唱えたい。政権を変えるためには選挙に勝たなければいけないが、お互いに力を発揮し会おう」と話しました。

玉野市の元公務員だった有信さんは「予想はしていたが悔しい。年金額は国が保障しますと言って集めたが、自分は国の手先になった覚えはない」と怒りを表明しました。

則武弁護団長からも「あきらめずに闘ってほしい」と激励をうけ、組合員は最後に毛利副団長の音頭で「団結頑張ろう」と闘いの意思を示しました。


「体力も頭も自信がないが」(笑)、さらに新たなたたかいに向けて「団結がんばろう」を唱和したことでした。


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今日の速報でした


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弥生の空は、の巻 [折々散歩]

去年の春、こんな記事を書いてます。


日々の桜、の巻


山陽新聞3月24日はこう伝えました。

岡山地方気象台は24日、岡山市で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。同市・後楽園にある標本木で、約10輪が咲いているのを確認した。平年(29日)より5日早く、昨年(27日)より3日早い。

その日の散歩道の桜は、こんな具合でした。

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今年はそれよりもさらに早く、3月21日(日)に開花したようです。


3月21日の、近所の桜はこんな具合でした。


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それから一週間経ちました。日々のスケッチを残しておきます。


3月21日(日)散歩道の桜。


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3月22日(月)我が家の玄関先。


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3月23日(火)郷里の野道のオオイヌノフグリ。


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3月25日(木)


朝は雨。


地元年金者組合の春の行事のための下見にいってきました。待ち合わせ場所にたどり着くのに苦労して、慌てましたが、よい場所でした。


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午後、晴れたので深山公園を歩きました。


ミモザが満開。


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山法師の花。真っ白い中に幽かに混じる紅に惹かれます。


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この桜、品種は何でしょう?


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3月26日(金)


小学生、中学生の春休みが始まり、カバンに勉強道具を詰めて、我が家に登校してきました。


一通りその日の勉強が終わったそうで、外で遊びたいと桜並木のほとりへ出かけました。小4女児は自転車で、中1男児は歩いて。


彼らが持って出たコンパクトカメラにこんな写真が写っていました。


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後を追って歩いた私の写真はこちら。


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夕方、もうひと歩きしてみました。


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3月27日(土)


朝散歩。時系列順。


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これはカリンの花でしょうか?


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日が高くなってから、深山公園へも行ってみました。


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今日は雨です。


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イヌノフグリの写真ほか、の巻 [折々散歩]

イヌノフグリの写真が必要になり、過去のストックを探してみましたが、なかなか満足できるものがありません。過去の記事でも、何度もこの花を話題にし、繰り返し写真も載せているのですが、、、。


そこで、昨日郷里の父母の元を訪ねたついでに、田舎の野に咲くオオイヌノフグリの花を撮影してきました。


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私にとって、この花への特別の感慨は、受験の年の春の記憶につながっています。後に、こんな歌を詠んでみました。


呪われの受験生の名の解けし日よ
   イヌノフグリの花の愛しさ


それについては、これらのこの過去記事でも話題にSDいています。


江ノ口川異聞、の巻(2019-10-22)


悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り)(2014-01-28)


その頃の心情を、後に振り返って、再現ドラマ的に歌にしてみたことがありました。
今から二〇年ほども前に勤務していた高校の、受験を控えた生徒達に、担任としてのメッセージのつもりでプリントにして配ったものです。

遥かなる日々
A 京の街の路面電車の女生徒の  白き歯並びゆかしかりけり
B 地下街の人ごみの中さまよいぬ 前途(みち)急ぎ行く人装いて
C この街の幾千人の雑踏の ただの一人も我を知るなし
D 自害せし三島由紀夫の一冊を 繰りつつ受験の宿に眠れず
E 受験場のダルマストーブのゴウゴウと 燃える音のみ耳にさわりて
F 英文字は目に踊れども意味なさで 脈音痛くこめかみをうつ
G〃熱のせい〃の言い訳をすでに準備してるその心根のうとましいこと
H 合格者の名の並びたる新聞に あるはずもなき我が名捜しをり
I 発表の日は過ぎたるを 習性(さが)のごと郵便受けを探る未練よ
J かばかりのことに動ずる汝(な)なるかと問えど鏡のわれは黙しをり
K はじめから覚悟してたと涼しげに 笑うつもりの顔がこわばる
L 本当は僕の心はズタズタです 助けてくれと叫びたいです
M 劣等のそしりに深くうなだれて おっしゃるとおりと泣かましものを
N 学歴にとらわれる人を醜しと言い来(こ)し言葉も強がりに似ん
O “どこへ行くの”とこだわりもなく問う人の言葉の端も我を鞭打つ
P 人生に早や疲れたる人のごとうらぶれて吾は受験に旅ゆく
Q 飽くほどの長き道程(みちのり)たどり来て汽車は土佐路に我をはこびぬ
R 「地の果て」と溜め息もらす友もあり南国高知は雲厚くして
S 高校の先輩と名乗る人あまた宿訪ね来てしばし和みぬ
T 快く土佐の言葉は耳うてど異邦人(とつびと)我の孤独いや増す
U この土を維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや
V 帰り来ていよよ土佐路は恋しかり再び見んことなしと思えば
W 幾たびも間違いならんとたしかめぬ我が名宛なる祝い電報
X これしきのことにと恥づれど
我ならず「ゴウカク」の文字霞み見えたり
Y 呪われの受験生の名の解けし日よ イヌノフグリの花の愛しさ

注 A~Oは、関西の私大受験に失敗した顛末。38度を越える発熱のせいと言い訳をしながらも、ショックは大。辛うじて合格をくれた一校は、第3志望ゆえに、「行こうか浪人しようか、不本意ながらもやっぱり行くんだろうな」という、忸怩たる思い。 近所のおばさんの、「あんた、どこへ行くん」の言葉にも、心は傷付くのでした。
P~Yは、国立受験の顛末。当時は1期校・2期校の時代ですから、いよいよ3月の話。都落ちのつもりで受験したそこに、是が非でも入りたい気持ちになっていただけに、合格は、正直うれしかった。       
5年ばかり前の現代文の授業で、短歌を扱った機会に、当時の高校生に短歌を創作させました。その際の動機づけとして、私がつくってみたのがこれです。受験生であった頃の自分を、ほろ苦く、また甘酸っぱい懐かしさとともに思いだすような、中年男の感性が交じっているかも知れませんが、極力、誇張や美化は避けて当時の自分を客観視してみたつもりです。
いま、その「受験生生活」真っ只中にある諸君に、説教や教訓話を垂れることがどんなに空々しいことかを、私は十分知っているつもりです。当事者自身の痛みや重苦しさは、当事者自身のものでしかないことを、私自身忘れてはいないつもりだからです。
そうであればこそ、しっかりそれを引き受けて、へこたれずに頑張ってくれ、と、私は過去の自分に呼びかけるようなつもりで、皆さんに「頑張れ」を言いたいのです。
また、すでに努力の甲斐あって自己の進路を確定した諸君には、改めて「御苦労さん、おめでとう」と言いたいのです。そして、これからこそが、君自身が独り立ちして切り開いて行くべき人生本番だということ、それに向かって自分を値切らず、心おきなくぶつかっていって欲しいということを、お願いしておきたかったのです。


今年は桜の開花が早いです。


近所の散歩道の桜並木も、このまえの日曜には、もうこんな具合になっていました。


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次は鳥の話題です。


岡山飛行場の近く。見あげると、、、


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こんなのに混じって、、、


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精悍な猛禽類の姿も見えます。


大空高くから舞い降りてきたこの鳥は、、、ヒバリです。


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ツグミ。


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オオバン、珍しく地面を歩いています。


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カイツブリ。


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冬の間、大勢群れていたカモたちの数がずいぶん減りました。北へ向かって旅立ったのでしょう。


マガモ。2月頃はもっと沢山泳いでいたのですが、少なくなりました。


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こちらは、ハシビロガモのようです。久しぶりに見ました。


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手前はカモ、向こうはカメです。


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おあとがよろしいようで、、、。


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芸術写真志望(その2)、の巻 [折々散歩]

岡山後楽園のソメイヨシノの開花は3月20日だったようですが、まだ見てません。

先日、後楽園を歩いたのは、いつだったっけと、写真データのEXIFを確かめてみると、これは3/1でした。RICOH GXR (LENS S10 24-72mm F2.5-49)での撮影です。

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同じような天候でしたが、こちらは3/11。同じカメラです。ちょっと、芸術写真みたいなのを狙ってみたくなって、、、。

ずっと昔、フィルムカメラ時代に、こんなアングルで写した記憶があります。塀と小径と光と木陰、ちょっと惹かれます。

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水をふんだんに生かした庭園ですので、こんな光景を写していると際限がありません。

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で、これまであんまりご紹介したことがない場所を写してみます。森の小道のようなこの景色、じつは、ちょっと好きです。

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今日の付録。

この花なんだろうと、調べました。

予想通り、アオキでした。

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今日はこれにて。


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鳥三昧、の巻 [折々散歩]

岡山県が全国ニュースの題材となることは、さほど高い頻度とは言えませんが、このたび、全国に流れたこのニュースは、まことに不名誉。後進県の面目躍如たるものがあります(決して自虐趣味はないのですが)。


地元紙「山陽新聞」(web版)を引用します。


岡山県議会は19日、選択的夫婦別姓の導入に反対する国への意見書案を自民党県議団などの賛成多数で可決した。全国都道府県議会議長会によると、同制度に反対する意見書は2010年に岡山を含む21県議会で採択されたが、11年以降はないという。
(中略)
採決に先立つ討論で、民主・県民クラブ、公明党、共産党の3会派は採択に反対の立場から「旧姓の通称使用を選ぶ人も多いが、行政手続きや渡航の際に混乱が生じている」「若い世代が望む結婚観や多様性のある社会を実現するため、選択的夫婦別姓の導入を進めるべきだ」などと述べた。


日本会議主導の、こんな動きにいち早く呼応したものでしょうかね。


夫婦別姓「賛同しないで」 丸川担当相が連名、自民有志が地方議会に要望書(「東京新聞」2021年2月24日より引用)


自民党の国会議員有志が一部の地方議員に対し、選択的夫婦別姓制度導入に賛同する意見書を地方議会で採択しないよう求める文書を送っていたことが24日、自民党関係者への取材で分かった。1月30日付。丸川珠代男女共同参画担当相も、担当相就任前だったが名を連ねていた。
(以下略)

 


 


時事問題はこのへんにして、今日のお散歩写真の紹介です。かかりつけ医で、いつもの血圧の薬をもらい、その足で深山公園を散歩しました。


山の桜が花盛りです。


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これはソメイヨシノでしょうか?


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桜の枝に、青い鳥を見つけました、


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青色が濃く、お腹のオレンジも鮮やかなので少し印象が違いましたが、ルリビタキ♂でしょうね。


同じヒタキですがこちらはジョウビタキ♂。


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高枝に群れているのはエナガです。


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コツコツというリズミカルな音と、ギーギーという興ざめな鳴き声の方を探ってみると、、、コゲラです。


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アオジ。


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シロハラ。


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今日の付録です。


白い中にほんのり牛紅色が優美な、山法師の花。


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トサミズキの黄色い花。


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同じく黄色い山茱萸(さんしゅゆ)


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ミモザ。


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第一稿は、相変わらず冗長すぎたので、少し削りましたが、まだ長い記事ですね(汗)


今日はこれにて。


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速報、の巻 [折々散歩]

今日の記事でお知らせする速報の内容は一都三県の緊急事態宣言解除の話題ではありません、


玄関あたりに、しきりに鳥の鳴き声がするので、何の鳥だろうと訝しく思って見あげてみると、、、


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ツバメを今年はじめて見ました。


ブログ更新を怠っているうちに、いろんな写真が時節遅れになってしまいます。


例えば、ちょっと前帰郷したときにハクモクレンを写しました。


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今週はもう、一枚二枚と大きな花びらを落としています。


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沈丁花も上の写真の時に比べると、すっかり満開になってあまい香りを振りまいています。


近所の散歩道の花木も、週初めののこの写真の状態から、日々に咲き広がっています。


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早咲きの河津桜は、もう、満開。花びらが風に舞っています。


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ヒヨドリの嘴が、花粉で真っ黄色です。


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そんなことを書き留めておこうと思ううちに、何と、散歩道のソメイヨシノがほころび始めているのに気づきました。


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速報でした。


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芸術写真志望、の巻 [折々散歩]

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先週、ここまで書きかけて、ストップしてます。


公私にわたって所用がいろいろ重なり、ブログ更新に手が回りませんでした。気鬱なものの代表は。確定申告でしたが、ようやくそれも、例年なら締め切り日の昨日すませました(汗)。今年は4月15日までだそうで、気が緩んでいたせいもあって、先延ばしにしてしまっていました。


そう言えば、フェイスブックがご親切にも教えてくれて思い出させてくれる過去の投稿に、こんな7年前の記事がありました。


2014年3月12日 

昨日は、ほぼ午前中いっぱいかけて確定申告を終えてきました。

大変な行列でした。

その足で、午後の後楽園をぶらり。

春の気配が漂っていました。

今日のブログはこちら

http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-03-12

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ほぼ同じ時期に後楽園を歩いた記事を書こうと思ったのですが果たせませんでした。代わりに、あるサイトに投稿した記事をコピーしてご紹介しておきます。


当ネットワークのホームページに、「相談ネットワーク通信30年間の足跡」(全3冊)に所収の過去記事を、できるだけ豊富にご紹介していきます。
「ネットワーク通信バックナンバー」のページを増補・拡充し、あらたに、「ネットワーク通信」バックナンバー1990-2000、及び、「ネットワーク通信」バックナンバー2001-2009のページを作成しました。今後、さらに充実をはかります。ご期待下さい。
一気に暖かくなりました。
各地の河津桜はとっくに満開になり、今は桜吹雪となっていますし、岡山県庁中庭の醍醐桜の開花がニュースになっていました。
高松ではソメイヨシノの開花が確認されたそうです。
岡山のソメイヨシノの開花は、後楽園内の標準木で確認するそうですが、ことしは、例年よりもかなり早い開花が予想されているようです。コロナ禍のもと、例年のような花見の宴会は自粛が求められるのでしょうが、、、、。
先週の後楽園スケッチをご紹介しておきます。桜はまだとボミが固い状態でしたが、枝に咲く椿、足もとに落ちた椿が、苔むした庭園を鮮やかに彩っています。
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椿の蜜を求めて、メジロがしきりに花から花へと遊んでいます。
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梅の花も、蜜の宝庫です。
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ジョウビタキのオスが、人怖じせずに、愛嬌を見せてくれます。
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ウグイスの声も聞き、姿も見かけたのですが、ピンボケ写真しか写せませんでした。まずはご報告まで。


今日はこれにて。


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春めいてきました,の巻 [折々散歩]

一雨ごとに春めいてきました。

いつの間にか、オオイヌノフグリの花が咲いています。

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タンポポ、菜の花と、黄色い花が、目に明るく飛び込んできます。

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畑の麦も,ずんずん背丈を伸ばしています。

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空を見あげると、けたたましくさえずりながら、ヒバリが高く舞い上がっています。

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と、急にストンと落下するように、地面に向けて勢いよく急降下していきます。

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この季節ならではの,田園の光景です。

冬の鳥、モズの姿も健在です。

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ヒヨドリが止まっている枝には、コブシの蕾がふくらみかけています。

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ジョウビタキ♂。

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ジョウビタキ♀

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こちらは、今日、深山公園で見かけたジョウビタキ♀。

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コゲラもいました。

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今日もクロジを見ました。

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今日はこれにて。


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行きがけの駄賃、の巻 [折々散歩]

一昨日の「小鳥の森」訪問は、郷里の父母をたずねる道中、寄り道してラッキーな出会いを得たわけで、文字通り『行きがけの駄賃』でした。

小学館デジタル大辞泉の解説を引用しておきます。

行きがけの駄賃

馬子(まご)が問屋に荷物を取りに行く途中に、他の荷物を運んで得る駄賃。転じて、事のついでに他の事をすること。いきがけの駄賃。

ルリビタキとの遭遇こそ、何よりの駄賃でしたが、そればかりでなく、他にも良い出会いがありました。

梅が見頃を迎えかけていました。

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鶯宿(オウシュク)という品種です。

フェイスブック友だちのH様が、裏山にウグイスの初音を聞いたと投稿しておられました。7年前、私も、こんなウグイスの写真を投稿したことがあったと、フェイスブックが親切に教えてくれました。

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この日、小鳥の森にウグイスは見当たらず、無主の宿ばかりが、見事に咲いておりました。

ずっと前にこんな記事を書きました。そしてその後も、何度か同類のネタを話題にしたことが何度かありました。

お名前は? 鶯宿、紅さし、そして南高(2014-03-17)

梅の品種名は優美なものが多いようです。

その筆頭は鶯宿でしょうか?ウグイスの宿と書いて「おうしゅく」と読むようです。

辞書に、こんな説明があります。

1 村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之(きのつらゆき)の娘紀内侍(きのないし)の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したという、拾遺集・大鏡などにみえる故事。また、その梅の木。
2 梅の一品種。香りがすぐれ、花は白、または紅・白まじって咲く。《季 春》 (デジタル大辞泉)

「大鏡」の該当部分はこうです。

(中略)

     例のウルトラ2老人の一人、夏山繁樹の思い出話として語られています。

夏山繁樹はこちらの過去記事(梅の花匂いおこすや海越えて2014-02-11)でも紹介しました。

《あらすじ》
清涼殿の梅が枯れたので、代わりの木をさがすようにと、 帝の命令があり、
蔵人は「若い者ではわからんだろう」と、夏山繁樹にこれを命じた。
京の都中探して見つからなかったが、西京のどこそこの家に、  花も枝振りも美しい梅の木があったので、掘り取ったところ、 家の主人が、梅の枝に手紙を結んで持っていくように言う。
梅を宮中に運んだところ、帝は手紙をご覧になった。
手紙には、女性の筆跡で
「帝のご命令なので恐れ多いことだ。鶯が、私の宿はどうなったのと  尋ねたら、なんと答えたらよいでしょう」
和歌を書いた家の主人は、紀貫之の娘だった。
帝は、無風流なことをしたと恥ずかしく思い、 夏山繁樹も、ほうびをもらったが、後味がわるく、 「人生最大のチョンボでしたなあ」、と苦笑いしながら語る。

「八郎」という品種もありました。懐かしい私の旧友の名前と一緒です。

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ハナカミ?先日の馬鹿陽気でスギ花粉の飛散が一気に活発になり、目のかゆみとくしゃみに苦しんでいるときだけに、この命名には苦笑いでした。不謹慎な言いがかりですが、、。

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「豊後」とは大分県の旧国名ですが、、、

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「豊後梅」は大分県の県花・県木に指定されているそうで、県のHPにはこんな解説がありました。

豊後梅の歴史

豊後梅は、その名の示すように豊後(大分県)に発祥し、古くから豊後の名産として知られていました。
徳川初期の1681年に出た水野元勝の「花壇綱目」にその名が見られ、当時から相当広く世に知られていたと考えられます。
また、豊後杵築藩主松平家から毎年将軍家に大梅の砂糖漬が献上されており、その美味なことと、果実の大きいこと、更に花の優美なことで非常に珍重されました。

豊後梅の特性

豊後梅は他の梅と異なる次のような特性をもっています。
イ、豊後梅はウメの一変種であって、一般に大型の果実をつける、いわゆる「大梅」の一種として知られています。
ロ、開花期は普通の梅より20日ないし30日遅く、おおむね3月の上旬から中旬にかけ、八重咲き(重弁)のみごとな花をさかせ、大輪で淡紅色をおびています。その花は清そでかつ優美であり観賞用として広く県民に愛されています。
ハ、果実は1個40~60グラム、直径4~5センチで、果肉厚く種子が小さい。食用として酸味が少なく、梅干のほか菓子その他に加工して珍味です。しかし、豊後梅は他花受粉であり、かつ花粉が少ないので結実が乏しく生産量は少ないです。
ニ、枝条が太く、また、古木になると主幹の下部に様々の形をした瘤ができます。

「晩成の梅」とあるとおり、まだつぼみが膨らみ始めたばかりでした。

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サンシュユの花。

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ミツマタの花。

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今日の付録、郷里に実家の庭のアセビの花が咲き始めていました。

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まだまだ長くなりそうなところを、これでも短く縮めたつもりです(汗)

今日はここまで。


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記事は短く、の巻 [折々散歩]

「記事は短く」、と最近自分に言い聞かせるようにしています。

一つ目の話題。

菅さんのご子息が介在しての接待問題、どんどん燃え広がってますね。トカゲのシッポ切りで事を収めたのでは、モリカケ疑惑の二の舞になります。これぞ、ジャーナリズムの真価が問われる事態と言えましょう。

そんなとき記者の質問を遮り、「時間ですから」と政府会見を仕切る役割に『辣腕』を発揮してきた内閣広報官山田真貴子サンまで、総務審議官当時一人あたり七万円超の豪華接待を受けていた件も浮上。首相出演番組でのキャスターの質問がお気に召さず、NHK幹部に「首相起こってますよとクレーム電話をかけ、それがもとでキャスターの降板に結びついたという件もクローズアップされています。

この一連の接待疑惑、問いただすべき点が山積ですが、この人にあくまで広報官を続投させるとなれば、「時間ですから」と会見打ち切りで逃げ隠れするおつもりでしょうかね?

この件はこれにて。


二つ目の話題。

昨日は、郷里の父母を訪ね、山腹の畑の耕耘に励みました。よく晴れて、仕事がはかどりました。予報通り、夜から降り始め、今日もかなり本格的な雨が降り続いています。昨日の耕耘は、よいタイミングでした。

朝、帰郷の途中、寄り道してみました。

小鳥の森です。

運良くルリビタキ♂♀にあいました。

先ずはメス。

複数の個体を発見。

枝の上。

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樹の幹。

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地面。

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跳びます。

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食べます。

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♂も現れました。

見晴らしのよい場所での撮影に成功したのはこの1枚。FUJI FINEPIX s-1で写しました。

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そのあと、PENTAXK5Ⅱ+AFBOORG60EDをバッグから取り出そうとしているうちに見失ってしまいました。

♀はじっくり撮影させてくれたのですが、♂は枝影に隠れたまま、わずかに動く姿が見えるだけ、、、。

そんななか、わずかに姿を捉えることができたのが下の画像。

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証拠写真としてご紹介しておきます。

今日はこれにて。


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続すっかり忘れてました、の巻 [折々散歩]

先日の記事で朝日茂さんの『人間裁判』を話題にしました。これへのgonntan様のコメントに「この国では上級審にいくほど低級に、裁判官があからさまに国におもねるようになるという事実。自らの出世しか見えなくなるんでしょうね。それでいて、被害者に寄り添っているように言葉を弄する。良心に恥じる気持ちがあるんでしょうけど・・力にはならない。」といただきました。まったく同感と申し上げるしかありません。残念なことです。

朝日訴訟の浅沼(武)判決(1960年10月)、家永訴訟の杉本(良吉)判決(1970年7月)、そして近年では「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」と明言して大飯原発(福井県)の運転差し止めを命じた樋口(英明)判決など、正義と公正に根ざした勇気ある判決が思い浮かびますが、それらは概して下級審の判決であって、上級審になるにつれて姿勢が後退しがちであることはよく知られています。しかも、このような勇気ある判決を下した裁判官の多くは、「見せしめ」的に左遷され後に続く者たちをすくませる材料にされるというのも、どうやら、かの業界では常識としてまかり通っているそうな。この国の情けない一断面というしかないですね。

公正と真実はとりあえず飾り棚の上に置き、まずもって「上」の意向を忖度すること、政治的力関係を『わきまえ』ることを至上の価値とし、出世と保身に汲々とするヒトタチからすれば、青臭く、融通がきかず、気に触るにちがいないこの勇気ある判決が少数ながらも存在するからこそ、司法への国民の信頼と希望のかろうじて保ち得ていることは、間違いのないところでしょう。

朝日訴訟における浅沼裁判長の判決を一部引用します。

「最低限度の生活」、すなわち「健康で文化的な生活水準」は、単なる生存の水準でなく、複雑な生活の基準であるから、算数的な明確さをもつて明らかにされる性質のものではないけれども、社会的、経済的な意味では客観的、一義的に存在するものというべきであるし、又それは時と場所をこえて絶対的に存在するものとまではいえず、各国の生活様式や生活水準により、あるいは年々の時代的、歴史的な発展段階に応じて相対的に決定されるものではあるが、さりとて変転常ならず一義的には決せられない性質のものではなく、特定の国の特定の時期的段階における生活状況の中ではやはり客観的、一義的に存在し、科学的、合理的に算定可能のものと考えられる。したがつてそれは年々の国家の予算額や政治的努力の如何によつて左右されるべきものでないことは当然である。しかして被告の定めた保護の基準によると、原告のように入院入所3ケ月以上の要保護患者は生活扶助として、1カ月当り金600円を最高限度とする日用品費が支給されることになつているが、1カ月当り金600円では後述の補食費を日用品費から除外するとしても、原告ら要保護患者の健康で文化的な生活の最低限度を維持するに足る費用を著しく下廻り、要保護者の年令別、性別、その他保護の種類等に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものとはとうていいえないのであるから、右基準は生活保護法第3条、第5条、第8条第2項に違背するものというべく、右基準に基いてなされた本件保護変更決定は違法である。

素人の私の胸にもストンと落ちる、血の通った判決です。ネット上に、朝日訴訟も家永訴訟も弁護団の一人として担当され、「人間裁判」という名称の考案者・名付け親でもあるた新井章さんの証言が、NHKのアーカイブスの中に収録されています。浅沼氏ら東京地裁の三人の裁判官が、遠く岡山県・早島町の療養所まで臨床尋問に訪問したときのことが印象的です。

その浅沼さんたちと一緒にちょうどこれは朝日さんの部屋ですから、3年ぐらい前に最初に訪ねた時の朝日さんの証言の最後の段階は、最後のステップでは、裁判長がいろいろ裁判に関わるお堅い内容の質問を朝日さんにして、彼が証言したあとに、朝日さん今何か欲しいものがありますか、あるとすればどういうものが欲しいですかって、ちょっとそれまでの堅い質問に比べると最後の柔らかい質問をしてくれたんですね。したら朝日さんがちょっと意外だという顔をして、そんな優しい丁寧な質問、ゆるやかな質問をしてくれるのかという顔をして、「そうですな、たまにはバナナとかうなぎのかばやきを食べてみたいですな」って、そういう証言をしたんですよ。私今日のためにね、この書物も記録も読み直してきたけれど、さすがにね、バナナとうなぎという言葉は証言記録の中にはとってくれてなかったようですけれどね。ただこの場にいたもの、それから窓からのぞいてこの様子を見ていた多くの患者さんたちは、その最後の朝日さんの非常に悠揚迫らざる、「許されればバナナとかうなぎのかばやきなども食ってみたいですな」っていう、その言葉に感銘を受けたんですね。つまりそのぐらい日々の生活保護患者の生活っていうのはつましいし厳しいわけですよ。バナナなんていうのは夢のまた夢、うなぎのかばやきなんていうのも頭の中をかすめて通る存在。もし裁判長が本気であんた何か私の原告、朝日茂のために骨を折ってくださるとすれば、例えばそういう栄養価の高い少年の頃から夢だったバナナとかかばやきを食べてみたいってそういうふうに言ったんですよ。っていう話はね、多くの人が記憶しているんですね。

文字通りの「人間裁判」---裁く側の裁判官も、誠実な生身の人間であったのだと、胸を打たれるエピソードです。

ところで、この新井弁護士は、私たちの教職員組合運動においても顧問弁護団の一人としてお世話になった方で、若い頃(私は30歳前後の青年の頃で、新井先生も確か50歳そこそこの壮年でした)、しかるべき会議の場などで近い場所でお目にもかかりお話しも交わしたことがありました。すっかり忘れていましたが、今この懐かしいお名前に接し、ひそかに感慨を覚えているところです。

ネット検索ついでに、このような記事に遭遇しました。

(デジタルライブラリー)人間裁判10年 - 株式会社旬報社

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「紙の本」ではもはや入手が難しいものを、こうしてたやすく閲覧できるのは有り難いことです。その第三部「死と生をかけた人間 朝日茂の遺業」に、 あの右遠俊郎さんが「人間・朝日茂の生涯」という文章を寄せておられます。朝日茂の生い立ちから始まり茂の生涯を克明にたどった文章で、前回も紹介した『小説 朝日茂』のダイジェスト版とも呼べる力のこもった文章です。

その中から、印象深い一節を引用させていただきます。

判決の結果だけが問題なのではない、と彼は自分自身にいいきかせていた。が、彼の心の片すみには、現地公判のときに残していった浅沼裁刊長の言葉が焼きついていた。
「憲法は絵にかいた餅ではない」と浅沼裁判長は、そのときいったのである。

ひげを剃ることさえはばがられるような気持ちで、朝日茂は判決の日を迎えた。朝から地元の新聞記者や放送記者が、彼の病室に詰めて待機していた。
勝訴の報が入ったとき、彼は思わず破顔一笑した。(中略)
録音マイクを向けられたとき、彼の顔はもう厳しい表情に閉じられていた。彼は早くも、あとにつづくたたかいに備える姿勢になっていたのである。彼は勝利の美酒に酔いしれて、たたかいの有効な武器を取りにがすほど甘くはなかった。彼の真意をより多くの人に訴える願ってもない機会であった。彼は感情を抑えた声で勝利の感想をのべた。
「ありがとう。みなさんのおかげです。私は心では、民主憲法の理念からいえば、勝つのが当然だと思うとりました。しかし、正面きってそういえば虚勢に聞こえるのでいままであまりいいませんでした。この当然のことが勝ったんです。憲法の前文からみればこのことはわかります。今の憲法が、人間の基本的人権を守ることであることを、 裁判官が正しく理解し、ものごとを、まじりけなしに純粋に考察し政治的考慮をぬきにすれば当然勝つはずだったんです」(『人間裁判』)。
だが、朝日茂の訴訟日々は滑かなものではなかった。年賀状が生存通知だという彼の療養生活のなかでも、この「四年のあけくれ」は「朝目が覚めたら、ああ、今日も生きとったか」というような日々をもふくんでいた。
それだけに、判決の日に彼の命が間にあった喜びは大きかったであろう。しかも、勝ったのだ。
≪血を喀きつつ今日の判決待ちわびぬ我れに久しき四年のあけくれ≫

(中略)

たたかいのなかで、彼目身変わりつつあった。裁きを待つだけでなく、裁判官を裁く目をもちはじめたことも、彼の大きな成長の一つであった。
もちろん、「勝つのか当然だ」といいきる朝日茂も、「純粋に考察し」て判決を出した浅沼裁判長に、敬意を表することを忘れなかった。階級社会の法則につらぬかれた裁判所のなかで、「政治的考慮をぬきにす」る判断が、きわめて困難なことを彼は知っていたからである。
≪真実をふかく見きわむ浅沼裁判長四年の審理に我は謝すぺし≫
浅沼裁判長への彼の感謝は、「真実を『ふかく見きわ』めた判決そのものと同時に、その論証にも向けられたものであった。彼は「胸か熱くな」るような感動でもって、「ぼう大な判決理由を何度も何度も読みかえした」といっている。
そして彼はそこから多くのことを学んだ。その「健康で文化的な最低限度の生活」を「人間に値する生存」と規定し、それはむしろ国家予算を「指導支配すべきもの」という判断は、朝日茂にまた新たな開眼を与えた。彼が訴えの当初から見つめようとしていた政治の深部との接点が、そこにありありと探りあてられでいたからである。
VⅢ
判決からわずか一三日目に厚生省は控訴した。判決の趣旨を慎重に検討する時間があるはずはなかった。短かい時問のあいだに、自民党政府は陣容を立てなおし、控訴のための形式論理を準備した。黒を白といいくるめるための技術、彼らに必要なのはそれだけであった。政府は彼らに必要な判決を奪回するために、その政治生命をかけて控訴せざるを得なかったのである。
「人間裁判」といわれた朝日訴訟は、自民党政府にとっては、当初から「政治裁利」であった。第一審判決の全面実施を申しいれた朝日がわの代表者たちに対して、厚生大臣中山マサは、現行の生活保護基準についてうぎのように答えた。
「たとえそれで生きてゆけようがゆけまいが、とにかく六〇〇円でももらえないより、もらえたほうかいいのだから感謝すぺきたろう」(『人間裁判』)。

結果、浅沼判決は、行政権力のメンツのために、泥手で覆されたのでした。前回記事でもふれましたが、第2審の東京高裁は、本件の月額600円という保護基準は「すこぶる低額」ではあるけれども違法とまでは断定できないとして、地裁判決を取り消しました。朝日さんは上告しますが、最高裁でのたたかいのさなか、1964年2月14日、朝日さんは病状の悪化により、志半ばにして亡くなったのでした。養子となった健二さんが相続人として裁判を引き継いだものの、1967年5月24日、最高裁は、「朝日さんの死亡によってこの訴訟は終了した」との判断を行いました。

しかし、確かに裁判では負けたけれども、この朝日訴訟は、法的権利としての「生存権」論の形成に影響を与えるとともに、結果として1960年代から70年代にかけての福祉政策の見直しに貢献するという点で、結果として「政策形成」に大きく寄与したのでした。

80年代以降の新自由主義政治の横行のもと、社会保障の冷酷な切り捨てが各分野ですすんでいますが、「人間に値する生存」に相応しい「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべき行政の責任を問うていくとりくみがあらためて求められていることを痛感します。

マクロ経済スライドをはじめとする政府の年金切り下げ政策を、憲法25条に照らして、問う年金訴訟が全国でとりくまれています。、岡山での裁判は既に2月1日に最終弁論が終わり、3月30日に判決言い渡しが予定されています。

年金者組合岡山県本部のfacebookに次のような記事が登校されていました。

東都支男原告団長の意見陳述(要旨)

―希望をもって余生を送れるような判決を―

口頭弁論では5分間ですが、東原告団長が原告の代表として意見陳述を行いました。「私たちは特例水準の解消がマクロ経済スライドに道を開くものとして行政不服審査請求を行った。しかし、『不服をのべている』との一言で却下された。マクロ経済スライドは将来にわたって年金価値の水準を自動的に低下させるシステムであり、私たちが甘んじてこれを受忍するならば孫子の代への禍根を残すとの思いから、最後の手段として司法に訴えた。提訴して5年8か月が経過したが、年金制度拡充への転機を次世代への贈り物にしたいと今日ここに立っている。いまから60年余り前、当地ゆかりの朝日訴訟の判決が出された。この時、浅沼判決でしめされた『人間に値する生存』という理念は、その後の施策を前進拡充させた。裁判官にお願いしたい。過去の判例にとらわれることなく憲法と良心のみに基づいて司法権の役割を果たしてほしい。望をもって余生を送れるような判決をいただきたい」と述べました。

「過去の判例にとらわれることなく憲法と良心のみに基づいて司法権の役割を果たしてほしい。」私自身の切なる願いでもあります。これをかなえるためには、裁判官の耳に市民・国民の率直な声を届けることで、その、人間としての理性と判断力を励ましていくこと、具体的には公正裁判を要求する署名を残りの短期間に高く積み上げること、だと痛感しています。

前回記事を書いたときに、すっかり忘れていたのが、写真の掲載です。冷え込みがぶり返し、朝散歩も気が進みませんので、寒気到来前の朝散歩の写真を載せておきます。

マンサク、どんどん開花がすすんでいます。

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ホトケノザ。

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麦の葉の露。

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コサギ。

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モズ。

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今日はこれにて。


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ちょっとピンボケ、の巻 [折々散歩]

折に触れ、このタイトルが頭をよぎります。


もちろん、これは、「元祖」戦場写真家ロバート・キャパによる世界的なベストセラーの題名。この本は、キャパが第二次世界大戦に従軍して、死線をさまよいながら命がけの撮影を続けた日々の見聞録です。



ちょっとピンぼけ

ちょっとピンぼけ

  • 出版社/メーカー: ダヴィッド社
  • 発売日: 1980/01/01
  • メディア: 単行本



ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/02/14
  • メディア: 文庫



松岡正剛さんのブログ「松岡正剛の千夜千冊」には、こう紹介してありました。


https://1000ya.isis.ne.jp/0148.html


本書のクライマックスはノルマンディ上陸のDデイ前後にある。キャパはこの史上最大の作戦を、まったく俯瞰的な目も歴史的な目も加えることなく、地べたの目で観察しつづけた。「ザ・ロンゲスト・デイ」を視覚的に捉えた世界でたった一人の男、それがキャパだった。それもそのはず、キャパは多くの戦士たちとともに真っ先にノルマンディ上陸を敢行し、敵の砲撃を雨あられと受けた先頭部隊員だったのである。「ちょっとピンぼけ」とは、そのときの写真のことをさしている。キャパの手は震えていたのであった。


もちろん、その時代、オートフォーカスカメラなど存在しませんから、ピント合わせは完全手動。「ちょっとピンぼけ」ちっとも恥ずかしいことではないでしょう。


一方、この私、せっかくのAFカメラを持ちながら、ピンボケ量産。恥ずかしいやら情けないやら、、です。


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ある珍鳥を狙って、山深い滝の辺りを訪ねました。お目当ての鳥は、幽かに前方をよぎったような気もしましたが、はっきりとは確かめることができませんでした。それとは別に、遠くの方に、コバルトブルーの姿を見かけたので慌てて写してみたのですが、、、、岩しか確認できませんね。大幅にトリミングすると---。


ruribitak


期待したとおり、ルリビタキ♂のようですが、残念なピンボケ・手ぶれでした。写しなおす暇もなくすぐに飛び去ってしまいました。


私にとっては最高級機材であるPENTAXk5Ⅱ+AFBORG60EDなのですが、暗さと距離には敵いません。


ピンボケその2。


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昨日歩いた山道で、向こうの木の枝に飛んできてヒョイと止まった鳥が、なんだか珍鳥のように見えました。慌ててカメラを用意して写しましたが、、、残念至極のこの結果。


トリミングします。


toratugum


トラツグミではないかと思ったのですが、これでは証拠にもなりません(トホホ)


この時持っていたカメラは、FUJI FINEPIX S1。ピッタリ合焦すればなかなかの写りなのですが、合焦させるのが難しい、、、。


アトリ。


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ビンズイ。


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ヤマガラ。


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シロハラ。


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ジョウビタキ。


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ヒドリガモ。


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オナガガモ。


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ノートリミングでこれだけ大きく写せるので便利なんですがねえ。


ところで、「ちょっとピンぼけ」のロバート・キャパが、どんなカメラを使っていたか、ちょっと気になり、調べてみました。


ロバート・キャパは、本名フリードマン・エンドレ(フランス語読みでアンドレ・フリードマンとも)というユダヤ系ハンガリア人で、学生時代、左翼運動に加担したとして逮捕され、釈放後ドイツに渡るも、経済的困難から暗室助手兼雑用係として働きます。これが、写真の道を歩み始めるきっかけとなります。彼が最初に使ったカメラは、その頃上司に渡された「ライカ」。彼の本格的なデビュー作となった1932年のトロツキー演説の撮影もこのカメラでした。銃を警戒して大型カメラを嫌う警備陣の隙を突いて撮影に成功したのは、小型の『ライカA型』のおかげだったと言われます。


 


パリに活動舞台を移したアンドレ・フリードマンは、ゲルダ・タローという女性と出会い、愛をはぐくみます。架空のアメリカ人写真家「ロバート・キャパ」はアンドレ・フリードマンとゲルダ・タローの合作として歩み始めたのでした。この頃、アンドレは「ライカ」、ゲルダは「ローライフレックス」を主に愛用していたといいます。


ゲルダが、1937年、スペイン内戦の取材中に、事故で死亡したあと、キャパは、小型カメラとともにゲルダ愛用の「ローライ」をも取材に用いるようになったと言います。(小型カメラも、「ライカ」に換えて、「コンタックス」を使用することが多くなったそうです)。「ローライ」は、腰のあたりに構えて撮影する中型の二眼レフカメラで、ポートレートの撮影に好適と言われます。機動性が求められる戦場においては、身の危険を伴う選択とも言えたでしょうが、前述のノルマンディー上陸作戦の取材で、キャパは2台のコンタックスとローライを携えたと伝えられます。


キャパの最期を、ウィキペディアはこう伝えています。


1954年4月に日本の写真雑誌『カメラ毎日』の創刊記念で来日、市井の人々を取材した。程なく東京で『ライフ』から第一次インドシナ戦争の取材依頼を受け、北ベトナムに渡る。5月25日、午前7時にナムディンのホテルを出発、タイビン省のドアイタンにあるフランス軍陣地に向かう。午後2時30分ころドアイタンに到着。2名の後輩カメラマンと共にフランス軍の示威作戦へ同行取材中の午後2時55分、ドアイタンから約1キロの地点にある小川の堤防に上った際に地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡した。


このとき、彼が使っていたのは、『コンタックス』と『ニコンS』だったそうです。『ニコンS』のワケは、『毎日新聞』による招待旅行が「提供される日本製カメラでの撮影」という条件つきだったからですって。


福島・宮城を襲った大規模地震、森喜朗元首相の問題発言騒動、実効あるコロナ対策などなど、コメントすべき重大事が数あるなかで、「ちょっとピンボケ」の今日の話題、、、大変失礼致しました。


今日はこれにて。


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サクラサク、の巻 [折々散歩]

近所の散歩道の紅梅が咲き誇っています。

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先日の半田山植物園では、咲き始めた紅や白のシダレウメがよい香りを漂わせていました。

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桜も、咲いていましたよ。

コブクザクラ。花一輪につき2~3個のサクランボがなることから、子宝に恵まれたものとして「子福桜」と名付けられたのだそうです。

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そして10月桜。

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控え目で質素な桜、というイメージを持っていましたが、艶やかなピンク色の花を咲かせていました。

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これらは、冬桜の仲間ですので、寒風のなかで咲いていても別に驚きませんが、こちらは、より春を感じさせます。

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昨日阿部池畔で見かけた河津桜です。

古い記事をひもといてみますと、こんなことを書いています。

◇牡丹雪や遊ぶタゲリにミコアイサ(2014-02-06)

昨日は、所用で出かけたついでに、岡南飛行場・阿部池の方面を歩いてみました。
岡南飛行場は、以前は地方空港として、旅客機も発着しており、私も一度だけ、まだ幼かった子ども達と妻と一緒に、ここから東京行きのYS11に乗った記憶があります。正月の移動に、ほかの交通機関の予約が取れなかったせいでした。

あたかも、360ccくらいのエンジンの旧タイプの軽四で高速道路を走るような、振動とエンジン音、風切り音をとどろかせて、頑張って飛ぶYS11を、いとおしく感じたものでした。

今では、軽飛行機やヘリコプターなどの飛行場として利用されており、隣接する阿部池と相まって、季節の野鳥の姿を見ることのできるエリアとなっています。

(中略)

飛行場の敷地内に、タゲリがいました、

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タゲリの群れです

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(中略)

岸辺に植えられている早咲きの河津桜 は、さすがにつぼみが堅いですが、わずかにほころびかけている様子にもみえます。でも、この冷たさには驚いているでしょう。

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昨日の阿部池畔の河津桜も、ほとんどが蕾状態でしたが、日当たりのよい場所の1・2輪が咲き始めていたのでした。

特別に珍しい鳥hakkenできませんでしたが、いろいろな鳥に会いました。

オオバンの群れ。これだけいると壮観です。

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マガモの群れも、ひなたぼっこしたり悠々と泳いだり。

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メジロも活発に枝から枝へ渡っています。

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ジョウビタキ♀

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こんな鳥も飛んでいます(オマケ)。

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帰り道、ほとんど我が家の近所に帰り着いた頃、田圃に見覚えのある鳥影を見つけました。実に久しぶりのタゲリです。未練は残りますが、運転中の事ですので、カメラを向けるわけにも行かず、そのまま見過ごしました。

が、やはり心残はいかんともしがたく、昼食後、改めてその方面へ午後の散歩に出かけてみました。有り難いことに、見当をつけたあたりに、それらしい姿を見つけることができました。近付くと飛び去り、遠く離れた場所に舞い降りる、の繰り返しですが、なんとか証拠写真を残すことができました。

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そしてやっぱり、この鳥たちにも会いました。

メジロ。

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ジョウビタキ♀

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ジョウビタキ♀

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そして、オシマイは、スズメ咲く。

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今日はこれにて。


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とりくらべ2,の巻 [折々散歩]

前記事のこの鳥は、ビンズイのようです。皆様、ご指摘ありがとうございました。

ビンズイと言えば、なぜか地面を歩きながら採餌している姿ばかりが思い浮かび、木の枝に止まっている姿はイメージできませんでした。小鳥ですから、木枝に止まるのは当然ですのに、、、。

以前、こんな記事を書いたことがありました。

ビンズイ探訪、の巻(2018-01-05)

ところで、ビンズイは、英語ではOlive-backed Pipit(オリーブ色の背中のセキレイ)と呼ぶそうですね。セキレイ科の小鳥だそうですから、実に直截な命名で、わかりやすいです。(味も素っ気もないとも言えますが、、)
一方、和名の「ビンズイ」の方は、どういう意味があるのか、とっさには思いつきません。
今から10数年も前、鳥についてはまだまったくの初心者で、スズメとツバメとカラスとハト位しかとっさには見分けられなかった頃、たまたま写した鳥の名を、職場の同僚であった生物教師のKさんに教えてもらったなかに、シロハラ、アオジ、キビタキなどと混じって、ビンズイの名もありました。そのときも、「ビンズイ」の名前に、意味的要素を見いだすことは困難でした。
それもそのはず。「ビンズイ」は鳴き声を「ビンビンツイツイ」と聞きなしたことによるそうです。漢字で便追とも木鷚とも書くそうです。前者は音を当てたもの。キヒバリ(木雲雀)という別名もあるそうですね。このビンズイ(キヒバリ)と、タヒバリ(田雲雀)との見分けは、チョー難しいですね。
過去記事にも、ビンズイは時々登場します。

ビンズイでした。(2015-01-31)

  M師から、ビンズイでは?とアドバイスをいただきました。 今日も、深山公園に出かけてみました。
すると、いました。ビンズイですね。
深山公園のビンズイ

深山公園のビンズイ posted by (C)kazg

深山公園のビンズイ

深山公園のビンズイ posted by (C)kazg

ところで、とっさに、ビンズイと迷うのが、アオジです。昨日、郷里の父母宅を訪ねる途中で寄り道した「小鳥の森」で出会ったアオジです。

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アトリも、同じような採餌情景を、見せてくれます。

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手前をよく見ると、、、

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シロハラも同じような採餌行動を見せています。

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メジロは沢山いましたが、逆光です。。

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枝から枝へのエナガ。

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ジョウビタキ♂も登場。

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実は下の写真は、一昨日、事前環境体験公園で写しました。「撮り比べ」と言っても、同じ機材ですが、、、(汗)

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「鳥比べ」のラストは、、、

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ルリビタキ♂。辛抱して待ってると、現れました。

今日はこれにて。


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核無き世界兆すかマンサク咲き初むる、の巻 [折々散歩]

昨日は、核兵器禁止条約発効の日。


テレビなどでも、再三にわたり、アイキャン(ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン(かくへいきはいぜつこくさいキャンペーン、 International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)のとりくみや、様々な立場から核廃絶を願う世界各地の人々の姿に注目する番組が、放送されていました。


午前中、誘われて、あるレクリエーションの場(「卓球を楽しむ会」)に参加しておりましたら、会はちょっと予定を早めて終了。昼の時間帯には、条約発効を歓迎し、日本政府の署名・批准を求める街頭行動に参加される由。私は失礼しましたが、全国でも同様の行動が取り組まれたそうです。


momotaro様の昨日付記事No nukes future 核なき世界に向かって に、次のようなコメントを記しましたが、改めて再掲させていただきます。


>Wish you were here. を忘れちゃいけませんよね。
まったくそのとおりです。世界中の誰がなんと言おうと、「ノーモア核被害」の声を、率先して上げ続けなけれまならない我が国の政府が、核保有国の顔色を窺って、グズグズまごまご、みっともない宙ぶらりんの態度を続けてるのは酷く恥ずかしいことですね。次々と、署名・批准を進めてきた世界中の国々と、それを支え続ける人々に、「ありがとう、共に歩もう」と発信するまともな政府を持ちたいものです。


ところで、最近、車の運転中の退屈しのぎに、図書館で借りた朗読CDを聞くのが習慣になっていることは、以前も話題にしました。


もっぱら、池波正太郎、平岩弓枝、藤沢周平などの作品が、巻数も多くて、しかもハズレなく面白く聞けるので、勢い選択が偏るのですが、時々は、傾向の変わったものもと、あれこれ取り混ぜています。そのうちの一つとして、何気なく借りてきたものに、この作品がありました。






井上ひさしは、どちらかというと愛読していて、大抵の作品には目を通しているはずでしたが、これはまだでした。しかも、この作品が映画化された当時、評判も高く、私の周囲でも話題になっていましたのに、なぜか観る機会がなかったのでした。そのうえ、ずっと以前、こまつ座による公演が地元であったはずなのに、どういう都合か、チャンスを逃しています。


未読のまま、勝手にイメージしていた内容とはまったく違っていました。(なぜか、小津安二郎の「東京物語」のような父娘像を想像していたのです)つくづく、知らぬ怖さを思い知った次第です。


アマゾンでの書籍紹介を引用します。



父と暮せば

父と暮せば

  • 作者: 井上 ひさし
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/11/01
  • メディア: Kindle版



昭和23年、原子爆弾を投下され三年後の広島。バラックのような簡易住宅。
「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない――。
「わしの分まで生きてちょんだいよォー」
父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。
著者の言葉
……ここまでなら、小説にも詩にもなりえますが、戯曲にするには、ここで劇場の機知に登場してもらわなくてはなりません。そこで、じつによく知られた「一人二役」という手法に助けてもらうことにしました。美津江を「(しあわせになってはいけないと、自分を)いましめる娘」と「(しあわせになりたいと)願う娘」にまず分ける。そして対立させてドラマをつくる。しかし一人の女優さんが演じ分けるのはたいへんですから、亡くなった者たちの代表として、彼女の父親に「願う娘」を演じてもらおうと思いつきました。べつに云えば、「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。
(「劇場の機知――あとがきに代えて」)
本書「解説」より
かつて私たちは、死者の声に耳かたむけることにあまり疑いをもたない世界に住んでいた。死者の声が聞こえたり、死者が立ちあらわれたりすることに、少しのふしぎもないような世界に暮していた。死者との共生であり、「生きている死者」との対話がすぐそこにあったのである。
「父と暮せば」には、失われてしまった「死者との共生」の感覚が奇蹟のように表現されている。たとえば世阿弥のように、である。
――今村忠純(大妻女子大学教授)
井上ひさし(1934-2010)
山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後、「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同執筆する。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『腹鼓記』、『不忠臣蔵』(吉川英治文学賞)、『シャンハイムーン』(谷崎潤一郎賞)、『東京セブンローズ』(菊池寛賞)、『太鼓たたいて笛ふいて』(毎日芸術賞、鶴屋南北戯曲賞)など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍した。2004(平成16)年に文化功労者、2009年には日本藝術院賞恩賜賞を受賞した。1984(昭和59)年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行った。


この本には、こんな前書き(前口上)がそえられています。


ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。
あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人問の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人問を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人問の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうか御覧になってください。


実際には、その予言はかなえられず、ナガサキをテーマとする作品は、その遺志を継いだ山田洋次監督により「母と暮せば」に結実したのでした。


作品の一節を引用します。


美津江 うちはしあわせになってはいけんのじゃ。じゃけえもうなんもいわんでつかあさい。
竹 造 これでもおまいの恋の応援団長として出てきとるんじゃけえのう、そうみやすうは退かんぞ。
美津江 ……応援団長?
竹 造 ほうじゃが。よう考えてみんさい。わしがおまいんところに現れるようになったんぽ先週の金曜からじゃが、あの日、図書館に入ってきんさった木下さ んを一目見て、珍しいことに、おまいの胸は一瞬、 ときめいた。そうじゃったな。
美津江 (思い当たる)……。
竹 造 そのときのときめきからわしのこの胴体ができたんじゃ。おまいはまた、貸山台の方へ歩いてくる木下さんを見て、そっと一つためいきをもらした。そうじゃつたな。
(思い当たる)……。
そのためいきからわしの手足ができたんじゃ。さらにおまいは、あの人、うちのおる窓口へきてくれんかな、そがいにそっと願うたろうが。
(思い当たる)……。
そのねがいからわしの心臓ができとるんじゃ。


美津江 恋はいけない。恋はようせんのです。もう、うちをいびらんでくれんさい。
竹 造 そがいに強うこころを押さえつけとってはいけんがのう。あじもすっぱもない人生になってしまいよるで。
美津江 もうおちょくらんでくれんさい。うちやあ忙 しゅうしとるんです。


竹造 ……もしかしたら原爆病か。あいつがいつ出てくるかもしれんけえ、そいで人を好いちゃいけん思うとるんじゃな。
美津江 (頷いてから)じゃが、木下さんが、そのときは命がけで看病してあげるいうてくれちゃったです。
竹造 なんな、ずいぶん話は進んどるんじゃないか。(ひらめいて)そうか、生まれてくるねんねんのことが心配なんじゃな。たしかに原爆病はねんねんにも引き継がれることがあるいうけえ、やれんのう。
美津江(頷いてから)そのときは天命じゃ思うて一生懸命、育てよう……、
竹造 そいも木下さんのお言葉かいの。
美津江 遠回しにじゃけど、そがあいうとられとってでした。
竹造 遠回しであれ近回しであれ、そこまで話し合えるちゅうことは……、もう、わしゃ知らんが。
美津江 そいじゃけえ、いっそう木下さんと会うちゃいけんのです。


 


美津江 うちよりももっとえっとしあわせになってええ人たちがぎょうさんおってでした。そいじゃけえ、その人たちを押しのけて、うちがしあわせになるいうわけには行かんのです。うちがしあわせになっては、そがあな人たちに申し訳が立たんのですけえ。
竹造 そがあな人たちいうんは、どがあな人たちのことじゃ。



美津江 うちより美しゅうて、うちより勉強ができて、うちより人望があって、ほいでうちを、ピカか ら救うてくれんさった。
竹 造 ……ピカから、おまいを?
美津江 (大きく頷いて)うちがこよに生きておれる んは、昭子さんのおかげじゃけえの。
竹 造 突飛をいいよる。あんとき、うちの庭にはわしとおまいの二人しかおらんかったはずじゃ。どこに昭子さんがおったいうんかいね。
美津江 手紙でうちを救うてくれんさったんよ。
竹 造 手紙で……
美津江 あのころ昭子さんは県立二女の先生。三年、四年の生徒さんを連れて岡山水島の飛行機工場へ 行っとられたんです。前の日、その昭子さんか ら手紙をもろうたけえ、うれしゅうてならん。 徹夜で返事を書きました。ほいで、あの朝、図書館へ行く途中で投函しよう思うて、うちこよに厚い手紙を持って庭を裏木戸の方へ歩いとった……。
竹 造 わしはたしか縁先におった。一升瓶につめた玄米を棒で突いて白くしとったんじゃが、石灯龍のそばを歩いとったおまいを見て、「気をつけて行きいよ」……。
美津江 (頷いて)その声に振り返って手をふった。そんときじゃ、うちの屋根の向こうにB29と、そいからなんかキラキラ光るもんか見えよったんは。「おとったん、ビーがなんか落としよっだが」
竹 造「空襲警報が出とらんのに異な気なことじゃ」、そがあいうてわしは庭へ下りた。
美津江「なに落としよったんじゃろう、また謀略ビラ かいね」……。見とるうちに手もとが留守になって石灯龍の下に手紙を落としてしもうた。
「いけん……」、拾おう思うてちよごんだ。そのとき、いきなり世問全体が青白うなった。
竹 造 わしは正面から見てしもうた、お日さん二つ分の火の玉をの。

(中略)
美津江 その火の玉の熱線からうちを、石灯龍が、庇うてくれとったんです。
竹 造 (感動して)あの石灯龍がのう。ふ-ん、値の高いだけのことはあったわい。
美津江 昭子さんから手紙をもろうとらんかったら、石灯龍の根方にちよごむこともなかった思います。 


美津江 そいじやけえ、昭子さんがうちを救うてくれたいうとったんです……。
いきなり美津江が顔を覆う。
竹 造……どうしたんじや?

美津江 昭子さんは、あの朝、下り一番列車で、水島から、ひょっこり帰ってきとってでした。
竹 造(ほとんど絶句)なんな……。
美津江 夜の補習のために、謄写版道具一揃いと藁半
紙千枚、そよなものがひょっこり要るようになって、学校へ受け取りに来られたんです。
竹 造 ほいで、どうした? まさか……。


こんなところで、地元の地名に出会って面食らいます。確かに水島はこんな過去記事でも述べたように、兵器生産の拠点でした。


 


もう一つの「今日は何の日」(2015-06-22)


ところで、前述の水島空襲の記事に「当時の水島航空機製作所では、日本海軍の一式陸攻や紫電改を生産しており、米軍が日本の軍需産業を破壊する目的で行った空襲であった。」とあります。(中略)
子どもの頃、貝塚 ひろし「零戦レッド」、辻なおき「0戦はやと」などで、子ども達に人気の「零戦」などに比べて、ややレアな感のあった「紫電改」ですが、学生時代になって初めて、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」を友人に教えられて読み、その悲劇性とともに記憶に刻みつけられた機種名でした。

ちなみに、軍用飛行機や艦船、戦車などのプラモデル製作にあこがれながら、気ままに購入できもしない子ども時代、カタログを丹念に眺めて心を躍らせたものでしたが、一番のお気に入りは、そのフォルムの際だつ三式戦闘機「飛燕」でした。独特のフォルムは、空冷エンジンを積載していたためだそうで、爆音も独特のものだったそうですね。
さらにちなみに、たまたまのきっかけで「一式陸攻」のプラモデルを作ってから、この無骨な攻撃機に親愛感と愛着を覚えておりました。ところで、妻の、亡くなった父親は、海軍で戦艦などに乗った軍人でしたが、死線をくぐって生きて復員し、90歳を越える天寿を全うしました。穏やかで、慈愛に富む人柄でしたが、天皇への崇敬と、「大東亜戦争」の「正当性」へのこだわりは、終生、曲げることがありませんでした。また、その弟(妻にとっては叔父)は、少年兵として志願していくさに赴き、10代の若さで戦死されたと聞いていました。仏壇の上の額には、戦闘服・戦闘帽を着けた凛々しい少年の遺影が飾ってあります。その戦死の模様はつまびらかでなく、遺骨も帰ってきていません。
義兄(妻の兄)が、厚生労働省などを通じて調べたところによると、戦死時に搭乗していたのは、この一式陸攻だったそうです。いのちを共にしたその愛機は、あるいは、この水島工場で生産された機体だったかも知れません。


四歳の目に焼きつきし夏の空(2015-06-25)


先日、水島空襲の記事を書きましたら、読んでくださったM先輩からご丁寧なメールをいただきました。そこには、思いもかけない、ご自身の幼時の体験が、生々しくつづられていました。
大変衝撃を受け、感ずるところ大でしたので、不躾ながら当ブログへの転載をお願いしましたところ、快諾いただきましたので、以下ご紹介します。
なおMさんは、私達の世代からすればひとまわり年上の先輩で、同じ職場に働いたことはありませんが、若い頃から今に至るまで、仕事を初め多方面にわたって、「先達」としていろいろな機会に親身に相談・助言に応じてくださっています。そのような関係で、水島地区のご出身であることは、前々から存じ上げておりましたが、このお話は初めてうかがい、なおさらに強く心打たれたのでした。

  70年前の6月22日朝、私は水島が見渡せる連島町大江の自宅の庭に掘られた防空壕(菜園の庭を掘った)の中に家族と居ました。祖母だけは何処に居ても死ぬのは同じだと防空壕に入るのを拒んで入りませんでした。
当時4歳の私は岡山市の空襲は覚えていませんが水島空襲は覚えています。兄が覗き穴から外を見せてくれました。
夏の青い空に幾筋もの真っ白い飛行機雲が入り交じって浮かんでいました。恐らく松山の航空基地から飛び立った源田部隊の紫電改が迎撃戦を挑んだのでしょう。
爆撃が終わり空襲警報が解除されてから、近所の人が隠れていた共同の防空壕がある裏山に上がり水島方面を見るとまだ爆撃による火災の黒い煙が上がっていま
した。その時、東の方から飛行機が二機飛来しドンドンと爆弾か高射砲の発射音かの様な音がしました。飛行機は反転して逃げて行った様に思いました。
大人になってその話しを兄弟にするとそんな事はなかった、4歳のお前にそんな記憶があるはずがないと否定されました。そうかなと思っていましたが、10年程前水島空襲を調べていた日笠先生(引用者注 日笠俊男氏: 岡山空襲資料センター代表)の調査記録に、6月22日姫路空襲に来たB-29二機が残った爆弾を、海上投棄するより有効活用しようと水島に廻って投下したと、米軍の記録に残っているとあるのを発見して、私の記憶が間違いなかった事が判りました。
三菱水島工場では一式陸攻が生産されていましたが、その1号機が完成した時、婦人会の人が日の丸の小旗を持って祝賀に行くのを、姉の自転車の後部座席で見た記憶があると言っても、そんな小さいときの事を覚えているはずが無いととり合ってくれませんでした。
終わり頃には川西の紫電改も作ったが完成したのは数機だったようです。当時三菱に務めていた長兄は川西と三菱では設計図の描き方が違うので苦労したと言っていました。勤めていた工場が壊滅した兄は、その後軍隊に招集されたようです。
昭和20年の夏の終わり頃の夕方、家族が裸電球の暗い部屋に集っていた時、我家に向かう石段を上がって来る軍靴のカッツ!カッツ!という音が響いて来ました。(昔は靴の裏に鉄の鋲が打ち付けてありました)
姉が「あっ!兄さんが帰って来た」と言うとその場がぱっと明るくなったように感じました。その後どのような展開があったかは何も覚えていませんが、兄が復員して来たあの靴音だけは良く覚えています。
兄弟と言っても16歳も年が離れていると、話しをする事はほとんどありませんでしたので、一ヶ月少々の兄の軍隊生活がどんなものだったか全く知りませんでした。最近時々ハガキのやり取りをする様になりました。
兄は定年退職後NHKの短歌教室に入って勉強したようです。その教室の仲間で作った短歌の本が送られて来た時に兄の「軍刀を抜いて我に特攻を迫りし上官あ
り・・・」という歌を目にしました。飛行機は作っていたけれど操縦も出来ない兄に、どんな特攻かと思って質問したら、次の様な返事が来ました。
「8月15日負けたと判った時、中隊長が地上勤務の者、整備兵も含め全員を乗せ、四国沖の米軍攻撃をすると云い、16日に赤飯を食べて出撃のお祝いをしたが、翌日作戦中止命令がきた。九十年生きたが、生きて良かったとは思わない。」と書いてありました。
最後の「生きて良かったとは思わない」という兄の思いを知った時、切ないと言ったら良いのか無惨と言ったら良いのか表現しがたい感情におそわれました。(完)

一読して、生活の隅々にまで戦争が及んだ時代の空気を、改めて間近に嗅いだ思いがしました。耳で聞き、文字で読んで、ある程度は知っているつもりであったそれが、まがうことのない実体として、確かに存在し、今につながっているということの実感は、圧倒的な重みを持って迫ってきます。是非、それを、少しでも広くお伝えしたい、と切実に思ったことでした。


 


「父と暮らせば」の引用に戻ります。


竹 造 もうええが。人なみにしあわせを求めちやいけんいうおまいの気持が、ちいとは分かったような気がするけえ。
美津江 じゃがのう、こうよな考え方もあるで。昭子さんの分までしあわせにならにゃいけんいう考え方が……。
美津江 (さえぎって叫ぶ)そよなことはできん!


竹 造 おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。

生きのこってしもうて亡うなった友だちに申し訳ない、生きとるんがうしろめたいいうて、そよにほたえるのが病状で、病名を「うしろめとうて申し訳ない病」ちゅうんじゃ。(鉛筆を折って、強い調子で)気持はようわかる。じゃが、おまいは生きとる、これからも生きにゃいけん。そいじゃけん、そよな病気は、はよう治さにやいけんで。

美津江 (思い切って)うちがまっことほんまに申し訳 ない思うとるんは、おとったんにたいしてなんよ
竹 造(虚をつかれて)なんな……。
美津江 もとより昭子さんらにも申し訳ない思うとる。じやけんど、昭子さんらにたいしてえっとえっと申し訳ない思うことで、うちは、自分のしよったことに蓋をかぶせとっだ。……うちはおとったんを見捨てて逃げよったこすったれなんじや。


美津江 そいじゃけえ、できるだけ静かに生きて、その機会がきたら、世間からはよう姿を消そう思うとります。おとったん、この三年は困難の三年じゃったです。なんとか生きてきたことだけでもほめてやってちょんだい。


竹 造 (ぴしゃり)聞いとれや。あんときおまいは泣き泣きこよにいうとったではないか。「むごいのう、ひどいのう、なひてこがあして別れにやいけんのかいのう」……。覚えとろうな。
美津江 (かすかに頷く)………
竹 造 応えてわしがいうた。「こよな別れが末代まで二度とあっちやいけん、あんまりむごすぎるけえのう」
(頷く)……。
わしの一等おしまいのことばがおまいに聞こえとったんじやろうか。「わしの分まで生きてちよんだいよオー」


原爆に焼かれて死んだ無数の人々、また原爆を生き延びながら、幸せになることをやましく思わざるを得なかった無数の人々、また、その子どもたち・孫たちの思いを、核兵器禁止条約の発効は、どれほど慰め励ましたことでしょう。さらに願わくば、日本政府も、その思いを受け止めて、この歴史的な歩みに加わってほしいものです。「Wish you were here.」ですね。


竹造=すまけい、美津江=斉藤とも子、ともに真情のこもった朗読は、切々として胸に響き、深い感銘を覚えました。


このお二人とも、いろいろなTV番組や映画などでお目に掛かったことはあるはずなのに、失礼ながらほとんど意識したことがなかったことを恥ずかしく思いました。


実は、これまた、最近図書館で借りた藤沢周平作 山田洋次監修・解説「祝い人助八 」が、すまけいさんの朗読でした。その語り口は、ひとつの揺るぎのない世界を形成していて、いつも以上に藤沢ドラマに引き込まれながら大変面白く聞きました。遅ればせながら、この人のファンになろうと、ひそかに決心したものです。(なお、「祝い人」は「ほいと」と読ませ、古く物乞いをさす言葉です。身なりを構わぬ薄汚れた風体から、そのような蔑称で呼ばれた武士が主人公です。)


ところが、そのすまけいさんは、2013年に亡くなられた由、調べてみて知った始末。残念至極、知らないことの怖さ恥ずかしさに打たれています。


今日は、寒さはゆるみましたが、かなりの雨が降り続いています。傘を差して軽く散歩しました。


ロウバイは花期が長く、雨の中でも甘い芳香を放っています。


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バラの花が雨に濡れて艶を増しています。


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先ず咲くというマンサクが、ようやくほころび始めていました。「春遠からじ」とうれしくなります。


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今日はこれにて。


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