彼岸過ぎのヒガンバナ、の巻 [折々散歩]
ヒガンバナは、毎年お彼岸の頃に決まったように咲いてくれ(これはほとんど全国一斉なのでしょうか?)、毎年のように写真に撮り、毎年のようにブログ記事にさせてもらっています。
一番古いところでは、続 今日の「これなあに?」(2013-09-16)
ヒガンバナというと新美南吉の「ごんぎつね」のワンシーンが浮かびます。「ごんぎつね」は南吉の17歳の時の作品といいます。
「ああ、葬式だ」
と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お昼が過ぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんの陰に隠れていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根瓦が光っています。墓地には、彼岸花が、赤い布のように咲き続いていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、白い着物を着た葬列の者たちがやって来るのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。葬列は墓地へ入って来ました。人々が通った後には、彼岸花が踏み折られていました。
ごんは、伸び上がって見ました。兵十が、白い裃をつけて、位牌を捧げています。いつもは赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、今日は何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんは、そう思いながら、頭を引っ込めました。(「ごんぎつね」より)
- 作者: 新美 南吉
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 1986/10/01
- メディア: ハードカバーメディア: 大型本
彼岸の時期に咲くこと、墓地の周辺に群れ咲くことが多いなどから、死人花、地獄花、幽霊花などの不吉な別名も与えられています。剃刀花、狐花、捨子花、はっかけばばあなどの名も、wikiでは紹介されています。
その妖しい不吉さを北原白秋はこう歌います。
曼珠沙華 北原白秋
GONSHAN.(ゴンシャン). GONSHAN..何処へゆく
赤い御墓(おはか)の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数(かず)。
GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
ひとつ摘(つ)んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故(なし)泣くろ。
何時(いつ)まで取っても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐(こは)や赤しや、まだ七つ。 (「思ひ出」より)
仏典に由来する「曼珠沙華」の名も一般に普及しています。法華経が説かれるとき天から訪れる「天上界の花、赤い花」をサンスクリット語で「マンジューサカ」と呼ぶそうです。
曼珠沙華と書いてマンジュシャゲと読むと思っていたら、山口百恵ちゃんは、マンジュシャカと謳いました。
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 1990/09/15
- メディア: CD
この記事は、後にも何度か引用しましたっけ。
私の居住地のすぐ近くに、そのヒガンバナが、たくさん植栽されている場所があります。三年ほど前のこの記事でもご紹介しました。
児島湖花回廊のヒガンバナ、の巻(2017-09-23)
ほとんど地元ですのに、これまで行ったことがありませんでした。(中略)
ところで、上の記事にある「DOWAホールディングス」(旧社名「同和鉱業」)の前身が「藤田組」であり、児島湾干拓の担い手であったこと。岡山県南の「藤田」の地名もこれに由来すること。県内屈指の渡り鳥の飛来地「阿部池」も、その干拓の産物であること。現在は一部が埋め立てられてゴルフ場となっていることなどを、過去の記事でも折に触れて話題にしてきました。
岡南逆さ富士、の巻
縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻
阿部池に師走の雨やミコアイサ
ムルデルの干拓堤防、の巻
ムルデルの樋門など、ご近所の干拓遺跡、の巻
縁は異なもの(2) 鉱山縮小・閉山の余波
病室雑話 2 縁は異なもの、の巻
病室雑話 藤田という地名
その「花回廊ゴルフコース」内の「自然緑地」に約40万株のヒガンバナが植栽され、見頃の時季に一般公開されているのだそうです。
今年の9月24日付地元紙「山陽新聞」では、55万株と報道されています。
児島湖近くの花回廊ゴルフコース(岡山市南区築港栄町)に隣接する緑地でヒガンバナが咲き始め、赤い花が秋風に揺れている。26日から一般公開が始まる。 4千平方メートルほどの緑地に、約55万株が育っている。今年は猛暑のため、例年より1週間以上開花が遅れ、20日ごろに咲き始めた。満開は今月末ごろに迎える見込みという。 DOWAホールディングス(東京)や地域住民でつくる「児島湖花回廊サポーターズクラブ」が児島湖を花の名所に、と2012年から育てている。
先日、年金者組合の県本部の新聞に、古くからの知己であるSさんがこの地のヒガンバナについて投稿されており、また、SNSでも話題にされていたので、今日私も行ってみました。
今年は、検温、手指消毒、住所姓名の記入、マスク着用など、入念なコロナ対策を施した上で入場できます。ありがたいことに、駐車料金も入場料も無料です。
ようやく秋らしい、すがすがしい晴天のもと、真っ赤な絨毯が見事でした。所々に純白な花も群生し、またクリーム色のものなども混じっています。大勢の見物客が、皆さん、カメラを携えて楽しんでおられます。
しかしそれにしても、いつ写しても、ヒガンバナは難しい。枚数ばかり重ねますが、なかなかものになりません。
マクロレンズで狙ってみたり、、
ワイド系レンズで接近撮影してみたり、仰角で狙ってみたり、
景色全体を鳥瞰してみたり、
いろいろやってはみるのですが、魅力を十分伝えるのは至難のワザ。今日はこの辺で諦めます。ではまた。
コロナのもとの運動会、の巻 [日録]
小学校の運動会がありました。
去年は台風のため延期、ということだけ書いて、延期して実行されたはずの運動会の記事は書いていないようです。一昨年の記事が見つかりました。
雨のち晴れ、されどびしょ濡れ、の巻(2018-09-23)
予定されていた小学校の運動会を実行するか、延期するのかの判断は、AM6時に学校からのメールで知らされることになっていたそうです。結論は、予定どおり決行ということで、教職員、PTAの皆さん、早朝からグラウンド整備などの準備に大忙しのようでした。(中略)
綱引き。
玉入れ。
例年と同じように、賑やかに繰り広げられた運動会でしたが、何か足りない気がします。
上の二枚は、一昨年の秋晴れの運動会。
これは去年の薄曇りの運動会。
今年は、雨模様のお天気のせいか、万国旗が見当たりません。
それともう一つ、去年の運動会までは、競技や応援に元気いっぱいの姿を見せてくれていた男の子(現在小5)が、冬頃から学校に行き渋るようになって、まだ完全回復しておらず、この運動会への参加も心理的負担が大きかったようです。(後略)
今年も、一昨日から昨日にかけて、かなり本格的な雨が降りましたので、グラウンドの状況も懸念され、運動会の実施。不実施は今朝6時頃、保護者てのメールで知らされることになっていたそうですが、実施されました。ただし、コロナの影響と、雨の影響の二つが重なって、種目を厳選して午前中2時間弱の実施でした。ですから、万国旗は飾られませんし、綱引きも玉入れもありません。観客席はまばらですし。声を出しての応援も自粛で、静かでいささか寂しい運動会でしたが、児童達は元気いっぱいです。
そしてもう一つ特記すべきは、上の記事で小学校高学年のあいだ不登校気味で保健室登校を常としていた男の子が、中学生になってからは休むことなく登校し、運動部に属して朝練、休日練習、試合etc.と大忙しの毎日を送っており、今日は妹たちの運動会の見学に、家族で参加です。まだ、これからも行きつ戻りつでしょうが、エネルギーは蘇ってきているようです。
午前中の早い時間に運動会見物が終わりましたので、私は、ちょっと車を走らせて、自然環境体験公園をあるいてみました。運動会撮影用のカメラとは別に、鳥捕り用のカメラが車に乗せてあるのが不思議です(笑)。
Pentaxk5Ⅱ+AFBORG 60EDという組み合わせはおなじみなのですが、今日は細かいところをちょっと「カスタマイズ(?)」しています。BORGの望遠鏡レンズをpentax機でAF化するため、F AFアダプター1.7Xを使用するのですが、このアダプターはF値が明るくないと作動しません(推奨はF2.8以上)。そこで、ケンコー製のクローズアップレンズをレデューサ(焦点距離を短くするためのレンズ)代わりに使用することで、F値を稼ぐのですが、これまでは、NO5のクローズアップを使用するのが常でした。f7.2のミニBORG45EDを利用する場合、これが実用的と思われるからです。しかし、60EDは、F5.8といいますから、度数の弱いクローズアップレンズでも必要な明るさが確保でき、その分望遠応力も高まる理屈なのです。いえ、もちろんこれまでに試したことがないわけでもないのですが、改めて実験してみたくなったのです。
曇り空で、余り光量がありませんが、この組み合わせでも、十分合焦するようです。
いずれもトリミング画像です。
コサメビタキでしょうか?
セグロセキレイ。
葉陰に光沢ある塊のようなものが見えたような気がしました。目を凝らすと、やはり見間違いではなかったようです。
トリミングします。
同じような姿勢ですが、沢山写しましたのでご披露しておきます。
そう言えば、先日後楽園を訪ねたのは9月15日頃でした。
ここでも、久しぶりにカワセミに会ったのでした。
どこからか飛んできて、蓮の葉に止まりました。慌ててカメラの準備をしているうちに、またどこかへ飛んでいきました。神出鬼没です。
この「花葉の池」には、真夏が開花のシーズンである一天四海(別名大名ハス)が咲いていました。
後楽園ネタは、もう少しストックがありますので、またの機会に。今日はこれにて。
家族の日、の巻 [家族]
先日の敬老の日は、郷里の老父母のもとを尋ねました。さすがに大阪在住の孫一家は合流できず、後でテレビ電話で対面したのですが、後の二家族が、都合がついたものだけが合流。コロナのもとで、自粛を続けていた家族の集合を、久しぶりに実行しました。外食も考えに入れていたのですが、保育園児・幼稚園児のふたりは「お子様ランチ」を所望し、小・中・高生は回転寿司を希望して折り合いがつかず、ママの提案で回転寿司屋のテイクアウト商品を持ち帰り、自宅でパーティと決定。お子様ランチに付属のオマケ相当のオモチャも買ってもらい、幼女も大満足でした。敬老の日ですが、会計は、いつものように老父母が持ってくれました、ごちそうさまでした。
じっとしていられない幼女達は、駆け足で、山腹のお墓までお参りしました。彼女らが写真でしか知らない老犬チロの墓もここにありますが、殊勝に手を合わせてくれていました。
この、小さい方の幼稚園児が、こんなメッセージカードをくれました。左の扉の下には、彼女の写真を貼ってくれています。
この墓の直近に、栗の木があります。中学生と栗狩りを試みましたが、収穫量はまだわずかでしたが、美味でした。
敬老の日は、嬉しい家族の日になりました。
今日はこれにて。
暑さ寒さも,の巻 [折々散歩]
この連休、何の祝日だったっけ?と、首をひねりました。
21日が『敬老の日』、22日が『秋分の日』であることから、それに隣接する土・日をあわせて、4連休なのですね。私の頭の中では、『敬老の日』というと、9月15日と、長く記憶されてきました。「三省堂 大辞林 第三版」には、こうありました。
国民の祝日の一。9月第3月曜日。多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日。1966年(昭和41)に制定され、当初は9月15日に定められたが、2003年(平成15)より現行の日程に変わった。
2003年ですか?その当時の記憶があいまいです。
先日、保育園年長組の孫が,かわいいハガキをくれました。
「敬老の日」を控えての,保育園の行事の一環でしょうか?
実はこの孫、田舎の曾祖父母にもハガキを送ってくれたらしく、老父母がいたく喜んで、彼女に電話をよこしていました。
私としては、「敬老の日」と言えば、「老人を敬愛し、長寿を祝う」側の意識でいましたが、今やれっきとした「祝われる側」と改めて自覚したことでした。最近、ある場所で孫の人数を聞かれて、とっさに「7人」と応えたのですが、正しくは今年の春生まれた男児を加えて8人なのでした。年上の孫たちも、保育園の頃、同様にお祝いのメッセージをくれたはずでしたが、これまでは私自身が現役意識が強かったせいでしょうか、今回ほどには実感が伴いませんでした。文字通り「長寿」を祝われる老後を送りたいものと,切に思います。
それにつけても、スガ新総理は早速(将来の)消費税増税に言及し、国民の苦難には、まず「自助」で対処せよとおっしゃる。それで困ったら「共助」でやれ。いよいよ最後の「セーフティネット」の役割をのみ「公助」が担う,,,のだそうです。
これって、「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利を保障した憲法25条を、はなから問題にしてないですよね。「セーフティネット」、つまり、生物的な生存が脅かされる場合のみ、お上のお慈悲を下されるという,前時代的な救貧・救民の考え方というしかありませんね。
さて、22日は『秋分の日』。これを真ん中に挟む七日間が「彼岸」です。「暑さ寒さも彼岸まで」の諺言のとおり、一気に涼しくなりました。(「諺言(げんげん)」の読みがうろ覚えで、漢字変換に戸惑いました(恥))。
昨日の朝散歩の写真です。
虫に喰われて傷んだ柿の果汁を求めて、ヒメジャノメがお食事中です。
キバナコスモス
色違いでしょうか?
モンシロチョウがいました。
センダンソウに止まるモンシロチョウ。
キアゲハ。
ちょっと控えめな画像ばかりですので、今日の午後、散歩に出ました。7000歩余り歩きましたが、快適で,心地よい汗を掻きました。
コスモスの季節です。
イトトンボも涼しそう。
ニラの花にモンシロチョウ。
ニラの花にイチモンジセセリ。
ニラの花に、ツマグロヒョウモン♂。
よく見間違うのですが、これはヒメアカタテハでしょうか?
それから、これは?ええと、、、図鑑によれば,ウラナミシジミでしょうか?
ナミアゲハ。
ランデブー?それとも争いごと?
こちらは,仲良しのヒメジャノメ・
締めくくりは,サギです。
まずは,すぐに目につくアオサギ。
左の後ろの方にいるのは、コサギでしょうか?
稲田の中のこれは、ダイサギでしょう。
ゴイサギにトリを勤めていただきます。
今日はこれにて。
コットン水車もまわってる,の巻 [折々散歩]
後楽園の水路を水車が回っていて、涼を感じさせてくれます。
ところで、ここを通るといつも「コットン水車もまわってる」というフレーズが,口をついて出てきます。「もずが枯れ木で」の歌の一節です。古いところではこんな記事を書いたことがありました。
ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。(2013-09-29)
元職場では、廊下で出会った時など同僚のSさんと、百舌の鳴き声を確認しあうのが、この季節の習わしになっていました。Sさんは音楽にも秀でた方で、洋楽のレパートリーも豊富なのですが、「『もずが枯れ木で』が好きなんです」とおっしゃったことがありました。
私もモズを見ると、この歌を想い出します。
もずが枯れ木で
【作詞】サトウ ハチロー
【作曲】徳富 繁
もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる
みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ
兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ(中略)
「兄さ」は徴兵により、凍える満州に送り出されていきました。
サトウハチローの作詞が昭和10年(1935年)、徳富繁の作曲が昭和13年(1938年)だそうです。
軍国主義華やかなりしこの頃、人為による「兄の不在」、「愛する者の不在」を、こうも切々と訴えた詩が生まれたことは、驚きです。この時代、反戦や民主主義を目指す思想や運動には徹底的な弾圧がくわえられ、ありとあらゆる芸術、文化、言説が、「戦意高揚」へと駆り立てられていきました。
石川達三の「生きている兵隊」(『中央公論』1938年3月号)が発行禁止処分を受けるなど、表立って「反戦」を唱えなくとも、少しでも戦争の悲惨を伝え、戦意喪失させるような作品は、発売禁止にされました。そんなご時世に、「鉄砲が涙で 光っただ」なんて、日本男児にあるまじき「女々しい」歌が検閲を免れ、地方の民謡として歌い継がれたことは、希有な奇跡だったかも知れません。.
まったく牽強付会の、文章展開ですが(汗)、「もずが枯れ木で」の歌詞には、「綿びき車は おばあさん コットン水車も 廻ってる」とあります。「綿引き車」「コットン」と二つも綿に関わる言葉が出てきますので、きょうの話題は「綿」に決めました(汗)。
綿の話題は、今月初めの記事で書きました。
棉から綿へ、の巻( 2020-09-05 )
今日はその続きになります。
昨日今日と、少しまとまった雨が降りました。
綿花は、雨に濡れると品質が落ちるようなので、雨になる前に収穫できるものは収穫してきました。これまで収穫したものとあわせるとかなりの分量になります。
綿花の固い殻から、種のついたままの棉を取り出します。
種と繊維(綿)とを分離すルために使われる「綿繰り機」は、簡単なものでもかなり高価なので、その代用として製麺機をもちいてみたという話は前にも書きました。
小4の孫が手伝って(遊んで?)います。種のついた実をほぐしながらローラー部分に挟み、ゆっくりぐるぐる回します。
取り除かれた種です。このザルの上に乗っているのは、1600粒ほどだと言います。最初10粒購入したものが、100倍以上に増えたと、妻は威張っています。来年もこれを蒔いてみたいと思っているようです。
これが取り出された綿です。
この綿の繊維を梳いてほぐし、繊維を一定方向に揃える作業がこれにつづきます。
下の写真、左側のオレンジ色のハンドカーダーと呼ばれる道具(2対)を用います。細長いまとまりを「プーニー」と呼ぶそうです。日本では、地方によって“じんき”とか“撚り子(よりこ)”などとも呼ばれるそうです。
この「プーニー」から糸を紡いでいく道具がスピンドルですが、妻はこれを段ボールと菜箸を利用して手作りしたそうです。
今日はここまで。
後楽園スケッチ、の巻 [折々散歩]
前回話題にした岡山後楽園散歩記事の続きです。
最近、妻が、お友達とおしゃべりする場所として後楽園を利用することがしばしばあります。コロナ禍のもと、人出も少なく混雑することもないし、戸外でのおしゃべりなので、密も避けられる、という点に加えて、そのお友達も、スケッチや絵画を楽しむ方だそうで、時間を費やすにはうってつけのようです。私が教育相談ボランティアに出かける日に、一緒に妻を乗せて後楽園に下ろし、午後一緒に帰ることにしています。そのため妻も、年間パスを購入し、既にモトは取ったようです。逆に、私は送り迎えが主で、実際に入園するチャンスがなかなか取れなかったので、先日の園内散歩は、久しぶりでした。
そんないきさつで描いた妻のスケッチを、ご紹介させていただきます。
後楽園の正門近くにある休憩所です。
ネットで調べて見ると「観射亭」と呼ばれるお店だそうです。そのホームページはこちら。
一部を引用します・
休憩所となった弓場で、花に囲まれ古きを偲ぶ園内の正門をくぐってすぐ、園路を左手に進むと見えてくる、木造平屋建て、瓦と銅板葺きの建物が「観射亭」です。第二次世界大戦の戦災で焼失しましたが、詳細な資料や絵図に基づいて、1960年に往時の姿そのままに復元されました。その際、備前焼の人間国宝・山本陶秀が手がけた陶蓋が、銅板葺きの屋根の頂点の覆い(天蓋)として用いられています。
隣接する弓場には、「観射亭」同様に復元された屋根付きの射場や、的を置く的場があります。射場から的場までの距離は十四間(約25m)。的場の傍らには、射られた矢の判定をする人が座るために造られた、石囲いの矢見塚が残っています。
遠景を写してみました。中央右側に見えるのが射場、左が観射亭でしょうか。
アップで写すと。
違う方向から見てみます。
次のスケッチは、八橋。
最近ではこの記事で話題にしました。。
梅雨の後楽園追記、の巻(2020-06-14)
先日,妻のアッシーついでに早足で見学した後楽園の写真の追加です。
曲水と呼ばれる水路の途中に橋が架かっています。
「八橋」と掲示があります。この橋のことは,たびたび話題にしました。最近編集したkindle版ブログ本にも、こんな初期の頃の記事を載せています。
- 作者: 木下 透
- 出版社/メーカー:
- 発売日: 2020/05/22
- メディア: Kindle版
お名前は?しらん!(2014-05-07)
下の写真は、昨年、岡山市後楽園で写したものです。「八橋」と案内表示がありましたので「カキツバタ」なのだろうと勝手に推測しています。
もとネタは、伊勢物語の有名な「東下り」の段。
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水行く河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ。」と言ひければ、よめる。
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。【解釈】
昔、男がいたんだってさ。
その男は、自分を世の中の役に立たない不要人物だと独り決めに思い込んで、「都にはもういねえつもりだ。オイラみたいのものでも受け入れてくれる住みよい国を求めて、遠く東国地方を訪ねていこうじゃないか。カールブッセも”山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、、、”と歌ってるじゃないか。」と言って、旅立って行ったってさ。
古くからの友人、一人二人と一緒に、行ったんだってさ。道を知ってる人もいなくて迷いながら旅して行ったんだって。
そうするうちに、はるか愛知県は三河の国の八橋というところに到着したんだ。そこを八橋と言ったわけは、流れる川が四方八方に分かれて蜘蛛の手のようだったから、橋を八つ渡していたんで、八橋と言ったんだってさ。
その水辺のほとりの木の陰に馬から下りて腰を下ろして、携帯用乾燥メシを食ったんだ。。その水辺にかきつばたがチョーイイ感じに咲いていたんだなあ。それを見て、ある人が言うのに、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ。」と言ったので、男が詠んだ歌がこれなんだ。
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ(唐衣を繰り返し繰り返し着て、糊がとれて体にぴったりなじんだみたいに、慣れ親しんだ妻が(都に残って)いるので、着物をピンと「張る」のと語呂が同じ、はるばる(遙々)、三河くんだりまで、着物を「着た」みたいに「来た」旅の長い道のりを、しみじみ思って感無量だよ。)
と詠んだもんだから、居合わせた人はみんな、携帯用乾燥メシの上に涙を落として、乾燥メシがふやけてしまったんだってさ。塩味がきいて、さぞおいしかっただろうよ。とっぴんぱらりのぷぅ。
注「から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」の歌は「修辞」に凝った歌です。
①まず「縁語」。
「衣」に縁のある言葉を揃えています。
衣 → き(着) → なれ(糊がとれて柔らかくなり身体になじむ) → つま(褄) → はるばる(張る) → きぬる(着ぬる)
②「掛詞(かけことば)」一種の駄洒落、親父ギャグのルーツでしょうか。
き(着・来) 、なれ(糊がとれて柔らかくなり身体になじんだ・慣れ親しんだ)、つま(褄・妻)、 はるばる(張る・遥々)、 きぬる(着ぬる・来ぬる)
③「唐衣」は「き(着)」の枕詞(まくらことば)=五文字の飾りの言葉。
④「唐衣きつつ」は「なれ」を導くための序詞(じょことば)=任意の長さの飾りの言葉。
⑤五・七・五・七・七の各句の頭に「か・き・つ・ば(は)・た」が読み込まれています。このようなのを、「折り句(おりく)」の歌と呼びます。言葉遊びの部類ですがね。(中略)
後楽園の「八橋」がこの「東下り」の逸話にちなんだものであることは、公園自体の案内文に記述してあることを確認しましたので、間違いありません。そして、この「八橋」のたもとに植えてあるのが杜若(カキツバタ)であることも確認できました。
ただ、冒頭の写真の八橋は、この記事のものとは違い、かけ直されたものであることは、朝顔とカキツバタと八つ橋と、の巻(2015-09-02)の記事に書いたとおりです。
追記
去年のこの記事で紹介していた「八つ橋」は、今年の春には新しく架け直されていました。
下は一昨日の撮影です。
曲水の流れの中にアオサギの姿。
曲水のほとりにカラス。
雀もアップで。
今日はこれにて。
秋ですね、の巻 [折々散歩]
気がつけば、9月も15日です。さすがに、秋を感じます。昨晩から、夏布団に代えて、冬用掛け布団を出しています。
昨日は、郷里の畑の耕耘をしてきました。
見あげる空は、深い色でした。
雨が少なく土が硬いので、一苦労でした。この畑に植えてあったサトイモの葉は、食欲旺盛な鹿によって、すっかりむしり喰われてしまったそうです。家の前の菜園場に植えたサツマイモのツルも、シカによる食害で全滅です。
今では山に飲み込まれている元の畑では、栗の毬が大きく太っています。もう一週間もすると熟した実が、ぽろぽろと落ちてくるはずです。真っ先にイノシシが収穫にやってくるので、隙を見ておこぼれを頂戴できれば有り難いです。
コロナとの共存も困難な課題ですが、野生生物との共存もまたしかりです。
今日は、妻のアッシーで岡山市街地方面へ行きましたので、待ち時間の間に、ついでに後楽園へ寄っててきました。良い光、良い空気の下で、何もかもが美しく映えて見えます。
秋空に聳える岡山城です。
旭川に映る天守。
木々の間から見あげる空が、透明度を増しています。
クスノキの大樹。
イチョウの大樹。
あおもみじ。
実績を見る前からケチをつけるのは失礼なことと、一般には言えなくもないでしょうが、スガ内閣のバヤイは、その指摘は当たりません。なぜなら、「憲政史上最長在任」の記録を打ち立てたアベ首相のもとで、官房長官としての在職日数歴代トップを誇るスガさん。アベ悪政のれっきとした「共同正犯」なんですから。そして、「安倍継承」を最大のウリにして、自身は無派閥ながら諸派閥の圧倒的支持を取り付けたわけで、彼の存在意義は本来そこにある(失礼ながら)ワケですから。党内人事やら、組閣の動きなどが刻一刻と伝えられていますが、鼻白むまでに、「安倍継承」と「派閥バランス」に徹したスカ内閣ですな。(こんなこと指摘しても、ちっとも面白くもありませんが)
「病気引退のアベさんお気の毒」「苦労人でたたきあげのスガさん」「意外に親しみやすい令和オジサン」「パンケーキ大好きのお茶目ぶり」etc.のストーリーづくりが効を奏してか、自民党支持率が、この間一気にアップですとな?
「日本国民は阿Qになり下がったか」という前川喜平さんの嘆きも「ムベるかな」ですな。
きょうはこれにて。
雑録、の巻 [日録]
昨夜は、窓の外ではかなり激しい雨音がしていました。しっとり湿って涼しい朝でした。朝の空は、夏空のようにも秋の空のようにも思えます。いずれにしても、ひところの真夏の空気とは、少しずつ様子が変わってきています。
朝散歩で出会うのは、いつものようにアオサギ。
ダイサギ。
ヒバリ。
ハート型(?)のイトトンボ。
午後も、自然環境体験公園を歩く事ができるほどの凌ぎやすさです。
ヤマガラ。
逆光ですが、、。
メジロ。
くすんだ色に写るのはなぜでしょう?
シオカラトンボ。
あと、ギンヤンマ、赤トンボ、コゲラ、カワセミなどに会いましたが、写せませんでした。
ここ数日、アベリタイアと、その跡継ぎづくりの大騒動が、姦しく報じられています。言いたいことがないわけではないので、ちょっと書きかけましたが、気分が乗らず、文章がまとまりませんので、今日は止めときます。また日を改めて書くかもしれません。
大坂なおみさんの活躍と快挙。そして臆することのないアイデンティティの勇気ある表明。憂きことの多い日々のニュースの中で、一服の清涼剤でした。
岡山では県知事選挙が始まっています。地元百貨店経営者出身の現知事、パフォーマンスはお得意だが、庶民・弱者には冷たい限り。
県民本位の県政への転換をめざして、「民主県政を作るみんなの会」から、森脇ひさきさんが出馬。
大いに期待したいです。
追伸 こちらのブログに詳しい政見や日々の活動が紹介されています。
https://hc3.seikyou.ne.jp/home/moriwaki/
今日はこれにて
ようやく田園に秋の気配、の巻 [折々散歩]
台風20号が去ってから、適度なお湿りがあり、朝夕は9月らしい涼気を感じるようになりました。ここ何日かは、夜中にエアコンなしで寝られます。朝の散歩も、出かける頃は快適です。
小川に映る朝焼けの雲。
日の出時刻も最近は6時近くになり、夜明けが少しずつ遅くなりました。
電柱に止まっているのは鵜(ウ)、飛び立ったのは烏です。
烏2羽。
鵜も飛びます。
どちらも真っ黒です。
次はシラサギですが、影になって黒いですね。
稲田のシラサギ(ダイサギ)。
稲田のアオサギ。
飛ぶアオサギ。
続けざまですが、ゴイサギです。
飛ぶゴイサギ。
今朝もカワセミに会いました。
今日の付録は、イトトンボ。
ヒメジャノメが群れています。
1時間ほども歩いていると、陽射しも強くなり、さすがに汗を掻き、シャワーと着替えが必要です。雨が降ったりやんだりのいちにちでした。
今日はこれにて。
今朝のゴイサギ、の巻 [折々散歩]
フェイスブックは、親切にも、過去の投稿記事を「思い出」として、時々思い出させてくれます。それによると、7年前の今日9月6日にこんな投稿をしていたそうです。
生き物の名前は片仮名書きされることも多いですが、言葉の響きからだけでは実物をイメージできないこともままあります。
「ダイサギ」からイメージするものは?あるいは「ゴイサギ」ではいかが?
「ダイサギ」が「大鷺」と気づけば「なあんだ」なのですが、、、。「白鷺」にも、様々な種類があり「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」などと分類されるそうですが、素人目には同じように見えてしまいます。散歩中に出会うと、その純白の優美な姿に惹かれ、しばしばカメラを向けますが、果たして「大鷺」か「中鷺」か「小鷺」か、はたまたそれらの亜種か?とうてい識別できず、ギブアップです。
「ゴイサギ」。なんだか居心地のよくない響きではありませんか?子供のころ、「あれはシラサギ、これがゴイサギ」などと呼ばれるのを聞いて、後者には幾段か格下の物に対する軽んじるニュアンスを感じたような記憶があります。
ですが、「五位鷺」と表記され、名付けのいわれを聞けば、少々評価が覆される気もします。
「五位」は、古代の官位で、原則としてこれより上が「殿上人」の資格を得るボーダーで、宮中で天皇に謁見する事が許された、特別な存在です。
なぜ、この鷺がこれほどの官位を名に持つのか?
平家物語に、こんな記載があります。
「延喜御門、神泉苑に行幸あって、池のみぎはに鷺のゐたりけるを、六位を召して、『あの鷺取って参らせよ』と仰せければ、いかでか取らんと思ひけれども、綸言(りんげん)なれば歩みむかふ。鷺羽繕ひして立たんとす。『宣旨ぞ』と仰すれば、平んで飛び去らず。これを取って参りたり。『なんぢが宣旨にしたがって、参りたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ』とて、鷺を五位にぞなされける。今日より後は鷺のなかの王たるべしといふ札をあそばいて、頸にかけてはなさせ給ふ。」(巻第五 朝敵揃)
延喜御門(えんぎのみかど)とは、醍醐天皇のこと。この頃は「宣旨を向かつて読みければ、枯れたる草木も忽ちに花咲き実生り飛ぶ鳥も従ひき」というほど、天皇の威光がすばらしかったというエピソードです。
要旨はおよそ次の通り。---神泉苑(しんせんえん)に天皇が出掛け、池に鷺(さぎ)がいるのを見て、六位の者を呼び、「あの鷺を取って参れ」と命じた。六位は「どうして捕まえられようか」と思うが、勅命なので鷺の方へ歩いていく。鷺は毛づくろいをして今にも飛び立つところだったが、六位が「宣旨である」と声を掛けると、鷺はその場に平伏して飛び立たなかった。これを捕まえて献上すると、天皇は鷺の神妙な態度を誉め、五位の位を与えた。そして木の札に「鷺の中の王」と書いて鷺の首にかけ、空に放った。
成鳥は頭部~背中が青く、胸~腹が白色のツートンカラーの、端正な要旨をしています。「五位」の名もむべなりと感じます。
褐色の体に白い斑模様の鳥は、まるで別種のようにも見えますが、その模様からホシゴイ(星五位)とも呼ばれる若鳥だそうです。
今も昔も、相も変わらず同じようなことを話題にしているものです。
実は今朝も、ゴイサギを探して朝散歩をしてきたのでした。台風10号の影響は、わずかに気流の乱れが感じられる程度で、「嵐の前の静けさ」といった具合です。
散歩道脇のクスノキの大樹。2~3日前、クレーンも使っての大がかりな剪定が行われていました。ずいぶんすっきりと刈り込まれています。
日の出前の田園風景。
不穏な朝焼けです。
カワセミに会いました.何枚も連写したのですが、ピントの合っていたのはこの1枚でした(とほほ)
お目当てのゴイサギ。
朝日が射してくると、さすがにくっきり写ります。オスです。
空にはまだ、明るい月がありました。
台風接近中に呑気な記事で恐縮です。くれぐれも皆様ご無事で過ごされますように、、。
棉から綿へ、の巻 [折々散歩]
以前こんな記事を書いたことがありました。
ふくらみ始めた綿の花(2013-08-05)
庭の片隅で、薄クリーム色の綿の花が膨らみ始めています。
妻が知人からいただいてきた種を、植木鉢にまきました。双葉の頃に何者かにすっかり食われ,ほとんど全滅状態だったのですが、この一鉢だけはかろうじて育ち、健気にもつぼみを成していました。最近は世話もせず、ほとんど放置状態なのに、よくぞここまで育ってくれました。
綿花と言えば、子どもの頃は。故郷の山沿いの畑で、栽培されている姿をよく見かけました。痩せた畑と見える場所で、旺盛に育っている姿が記憶に残っていて、こんなにデリケートな植物とは知りませんでした。2013-08-05 21:21
今日の「これなあに?」 訂正・追加版(2013-09-16)
妻は、今年もまた、綿の栽培にチャレンジしています。
第一報はこの記事に書きました。
6月になりました、の巻(2020-06-01)
昔の記事への感想は,自分で言うのもナンですが,ちょっと初々しいカンジがあります。特に自然の景物や生き物への愛着が、モロに伝わってきます。最近では,散歩に出かけても,カメラを向けることもしないような対象物に,心を動かしているのが,ちょっと新鮮で,初心に帰りたい思いを刺激されました。
と言うわけで,今日は,以前なら喜んで記事にしたような,ささやかな季節の足音に耳を澄ましてみることにします。何しろ今日から6月ですから。(中略)
コロナの外出自粛期間中,畑仕事で気が紛れました。玉ねぎ,ソラマメ,ニンニクは収穫が終わりました。ジャガイモは、最後の土寄せを終えました。花が咲いた株も増えてきて、収穫もそんなに遠い話ではなさそうです。スイカ、カボチャなどのツルが,勢いよく広がりはじめ、ぽつりぽつりと花を咲かせ始めています。気づくと,ズッキーニの苗が大きく育ち,収穫寸前の実がついています。トウモロコシ,キュウリ,ゴーヤ,インゲンなどの苗も大分伸びてきましたし,サツマイモの苗は,ようやく活着した模様です。
ニンニクの後作としてオクラ。隙間に葉物やさい。ソラマメの後作として,茄子。あと,玉ねぎの後に,サトイモとショウガと,欲張りな栽培計画を進めていますが,さてどうなりますか。日照り続きで困ってましたが,昨日は久々の雨で土が湿ってくれたようです。
あと,妻は,「綿」の種を取り寄せて,いま,双葉から少しだけ本葉が覗き始めています。
この記事で、いろいろと作物名を連ねた畑の様子も、九月になった今はすっかり変わり、ズッキーニ、オクラ、ナス、キュウリ、ゴーヤなど、毎日の食卓を楽しませてくれた夏野菜も、そろそろ終わりを迎えようとしています。トウモロコシは、2度目の収穫が終わりましたが、天候の影響でしょうか虫食いや立ち枯れで、貧作でした。スイカも、貧相な出来で、孫たちを喜ばせるにはイマイチに終わりました。日照りにも耐えて元気なのはカボチャです。
今、すくすくと育っていてほしいサトイモ、ショウガは、水やりを試みてはいますが慢性的に不足らしく、葉が赤く焼けて痛々しい限りです。たくましいはずのサツマイモの葉さえ、今年は赤く焼けていて、尋常でない天候異変を実感します。
そうした中で、妻が管理している棉は、強い日照りと乾燥のもとでも、花を咲かせ実(綿花)を着けました。深く根を張る習性と聞きますが、さすがです。
ところで、「棉」と「綿」の二つの漢字の使い分けは、「棉」は植物としての状態を指し、収穫された種付きの状態まで。これにたいして、「綿」は、種を取り除き繊維としてのワタになった状態を指すのだそうです。
妻の要請により、棉栽培の経過のあらましをまとめておきます。
画像は、妻がスマホで撮影したものです。
こんな種をネットで取り寄せたのが5月の連休のころ(娘が取り寄せてくれました)。
双葉の頃(5月12日)
花が咲き始めました(7月16日撮影)
赤い花(7月16日撮影)。咲いたばかりは黄色だった花が、次第に赤く変わっていくようです。
やがて綿花がはじけたので、摘み取って帰ります。
9月4日、何度目かの収穫。
摘み取って帰った綿花から、種子を取り除く必要があります.その作業が終わってこそ「棉」から「綿」に変わるわけです。
そのためには綿花から種子を取り除く装置=綿繰り機が必要になります。ネットで調べたところ、かなり高額の機械のようです。できるだけ安価なものを探して1万数千円のものを、思い切って買うことにしようかと相談している最中に、製麺機が代用になるという情報を妻が見つけ、そう言えば昔、製麺機を買って何回か使ったきりで物置にしまい込んでいたことを思い出しました。探してみると、各所さびかけてはいるものの、まだ使えそうです。
箱を見ると、メイドインイタリアと書いてあります。ImperiaというメーカーのTitaniaという商品のようです。パスタだけではなく、うどんづくりにも適しているようです。購入動機は、そのうどんづくりでしたっけ。四千数百円の値段シールがはってありました。
麺生地を平たくするためのローラーに、種がついたままの棉を通すと、種が外れて綿が出てきます。想定外の使途ですが、製麺機ならぬ製綿機として、第二の生を歩めそうです。
取り外された種。購入時の何倍の量になりましたか?
できあがった綿。
手製(材料は段ボール)のスピンドルで、綿を撚って糸にしています。
機会があれば、今後の展開についてもご報告できるでしょうか?
今日はこれにて。
久々、の巻 [折々散歩]
久々の更新です。
この間、いろいろなことがありました。
いつの間にか、早や9月第1週の週末となりました。それでも暑さは緩まず、日照り続きで農作物の葉焼け、立ち枯れが深刻です。
一昨日の地元新聞(web版)にこんな記事がありました。
岡山県内は2日、台風9号の接近に伴って午後を中心に雲が広がり、猛烈な暑さが和らいだ。高梁市の最高気温は32・2度で、8月9日から続いていた国内観測史上最長となる連続の猛暑日(35度以上)は24日間で途切れた。
各地の最高気温は笠岡市34・4度、奈義町33・3度、津山市33・1度、真庭市久世32・1度など。観測全16地点で前日を4・8~1・0度下回った。猛暑日は笠岡市が連続8日間、岡山市が同6日間でストップ。岡山、玉野市では日中、1カ月ぶりとなる降雨を観測した。
でも、私の居住地あたりは、降雨といってもわずかで、かえって蒸し暑さが募るばかりです。スーパー台風と噂される10号の接近で、今日になって、ようやく、ちょっと本格的な降りが見込まれそうですが、どうか被害がないことを祈るばかりです。
連続猛暑日、日照り続きの更新ストップは、ひとまずホッとするところですが、もうひとつ、アベ政権の継続記録更新ストップも、何より喜ばしいことです。難病指定の潰瘍性大腸炎が再発したという直接の理由は、立場はどうあれ痛ましいことですが、広く国民諸階層に浸透したアベ政治への不満と批判をそらし、悪政・失政の一切合切をチャラにするための「仕組まれた幕引き」という印象は、拭えませんね。スガさん、キシダさん、イシバさんのどなたが「後継」になったとしても、モリカケや桜を見る会など、アベ政治の「旧悪」をなかったことにしてもらっては困ります。
ここ連日、パソコンに向かって座っている時間は長く、親切にも「少し休んでは?」というメッセージを、PCからいただくことがたびたびなのですが、ブログ更新の余裕がありませんでした。
前回更新時のネタが、ゴイサギでしたが、その後これといった出会いもありません。今週、郷里に帰ったときの、庭先のケイトウとツマグロヒョウモン♀くらいですね。
朝散歩も、しばらくご無沙汰でした。
今朝は、久しぶりに日の出直後のご近所散歩です。この時刻、結構多くの散歩客とすれ違います。コロナ以前に比べると、大きな変化を感じます。
私の散歩の目当ては、やはりゴイサギ。
望遠距離を稼ぎたくて、レフレックスレンズTAMRON sp 500mmを、plympus E-300に着けて歩きました。
確かに近くに写せます。
でも、マニュアルフォーカスで超望遠のピントを合わせるのは、なかなかシビアです。
ゴイサギ♂
幼鳥(ホシゴイ)?
ヒメジャノメ?
ネコジャラシ(エノコログサ)
ニラの花。
アメリカフヨウ。
野生アサガオ。
これなあに?
かくれんぼ中のイチモンジセセリ?
今日はこれにて