SSブログ
<

水母哀歌   木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だと思う。前述の、黒表紙の活字版の冊子ではなく、確か文化祭に向けて作成した、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載したと思う。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸していたが、今では所在も不明になってしまった。

この詩は、以前、 ワープロ「書院」(懐かしいひびき!)で活字化していたから、テキストファイルに変換して、今も目にすることができる。

この冊子には、他にも、思い入れのある作品が掲載されていたはずだが、あいにく手元に見あたらないのが残念だ。


       水母(くらげ)哀歌(えれじー)  木下透
どす黒い光のうねる空間に
ふうわりふわり漂うている
半透明の生臭い
ぬらぬら不気味な寒天質の
《たらたら流れる粘液の》
へえへえ おいらは哀しいクラゲ

月の光が体腔(からだ)を透し
いよいよ蒼く皓皓と
《しかし光になりきれない》
波のうねりが体腔(からだ)を洗い
ゆらり浮かんで飄々と
《しかし海にはなりきれない》
気ままな風が体腔(からだ)を吹いて
空(くう)の寒さの深々(しんしん)と
《しかし風にはなりきれない》
そうとも おいらは かなしい くらげ

おいらの魂(こころ)はどこへ行っちまった
おいらの肉体(からだ)はどこへ行っちまった
おいらのどこが おいらなのか
生命(いのち)をなくしたぬけがらだけが
かれこれこうして百億年も
いやいやもっと数京年も
とにかく時など忘れるほどに
気の遠くなる永劫を
何も想わず 何も語らず
ふうわりふわり漂うていた
いかにも おいらは 哀しいクラゲ

これから先の数億年を
いやいやもっと百京年
生命(いのち)を持たぬぬけがらが
おいらはいつからクラゲだったか
おいらはいつまでクラゲだろうか
などとも思わず 少しも語らず
いよいよ蒼くこうこうと
ゆらり浮かんでひょうひょうと
空(くう)の寒さのしんしんと
決して生命(いのち)のもえることなく
ふうわりふわり漂うことさ
おいらは いつまで 哀しいクラゲ

AUT_0358.JPG
 
AUT_0357.JPG
このクラゲの写真は、長女が高校生の頃、 確か「海遊館」だったろうか、どこかの水族館でで写してきたものだ。
なかなか面白い気がして、ストックファイルに残してあった。
 詩の中の水母の虚無感に比べると、ファンタジックで好ましいと思う。

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

木枯らしを知らぬがに舞うミサゴかな [折々散歩]

 
 昨日今日と、ツイていません。
昨日は、「大荒れの天気」との予報で、自粛していたのですが、昼過ぎても薄日が射していたので、車で玉野市深山公園へ出かけました。(クルマのドアウィンドゥは、修理できて、動きもなめらかです。 )
鴨などの水鳥が集まっている池近くの駐車場には 来園者のクルマが並んでいます。
一応雨傘は持ってきましたが、天気は落ち着いているようなので、車内において、散歩コースを歩くことにしました。
そろそろ色づき始めた紅葉等を楽しみながら歩く道半ばで、ポツポツ雨粒を感じます。まだ大丈夫かなと、足を伸ばします。
雨の方は、小降りになったり時々勢いを増したりで、すれ違う人、追い抜く人も、傘をさした人が目につくようになります。
もう少し歩けば中間地点、というあたりで雨脚が強まり、東屋で雨宿りとします。

_IMG2876.jpg
 
_IMG2858.jpg
屋根の下で雨をよけながら、紅葉などを写していましたが、風も雨もおさまらないどころか、「激しい」と形容してもいいレベルになってきました。先日の当時のびしょ濡れ事件が想い出され、傘をクルマに置いてきたことが、つくつく悔やまれます。
何人かの散歩客が通り過ぎる時間、そこで雨宿りしてみましたがラチもあかず、仕方なく雨の中を引き返すことにしました。
所々は木々の茂みが雨を遮ってくれますが、それでも上着はぐっしょり濡れ、髪からも水が滴ります。
クルマに帰って、濡れた服は脱ぎ、髪を拭いて、少し鴨たちを見て帰ることにしました。傘を差して、何枚か撮りましたが、鴨たちは、羽毛の威力か、寒そうではありませんでした。


_IMG2965.jpg
 
_IMG3012.jpg

 
さて、今日は、MさんFさんという先輩方が釣りに出かけるというので、誘って下さっていました。喜んで早めに出かけ、大体の目当ての場所付近を少々散策し、ゆとりの心で、Mさんの携帯電話に連絡。ところが、不通。
ピラカンサが見事でした
s_img3061.jpg
瀬戸内海の眺望
s_img3060.jpg


しばらくしてもう一度電話。すると、不審げな応答。間違い電話と発覚しました。
携帯電話の番号を間違えて電話帳登録していたのです。
慌てて、今度はFさんに電話してみますが、不通。繰り返し掛けても不通。不審に思ってよくよく電話番号を見ると、自宅電話しか電話帳登録してませんでした。
時代に遅れていて、日頃携帯電話を使いませんから、こんな時失敗します。
悲嘆のママ、おにぎりだけは食べて、自宅に引き返し、正しい番号でMさんにご報告しました。お二人は、丁度釣りを開始したところだそうで、ハマちゃんならずとも口惜しさが募ります。

牡蛎筏なども見えます。泳ぐ魚の群れも、、、見えます。
 
s_img3064.jpg
 
今日一日を棒に振った穴埋めに、「ヤケTV」。こんな時のために録画してある連ドラを、何本か見ました。「相棒」「安藤ロイド」「クロコーチ」。
それでも時間があるので、寒風覚悟で、お決まりコースの散歩に出ました。
岸辺に憩う鴨の群れ
s_img3123.jpg
 
 
木枯らしを知らぬがに舞うミサゴかな

s_img3199.jpg
 
s_img3197.jpg
 
_img3195.jpg
 
_img3167.jpg
 
大空の旋回とホバリングまでは見ましたが、 水中ダイビングによる採餌は見届けられませんでした。
風が寒くて、あきらめました。
 
 
遠山に 日のあたりたる 枯野かな   高浜虚子
 
一面に広がる枯野ではないのですが、川の中州の薄原、茅原がさびさびしい情景に夕暮れていくなか、遠くの山にはまだ明るい日の光が射していて、虚子のこの句を想い出しました。
 
_img3230.jpg
 
_img3231.jpg
 
 
 

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。




nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

あるバラード 第二章 (2) (3)  木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

詩「あるバラード」の続きである。前回に続いて第二章(2)間奏詩=(希望)、(3)モノローグ を掲載する。なお、詩「あるバラード」はこれで完結する。


 あるバラード   木下透
第二章
(2)間奏詩=(希望)
灼熱したエネルギーの結晶体が
巨大な赤い炎をもって
地上のあらゆる憂いを
焦がしつくした。

s_img7599.jpg


青い無限の空間は
様々の涙を溶かし込み
なおも透明な ノスタルジアを
醸し出していた。
------------そして数刻-----------

あれほど燃え盛っていた炎も
ようやく衰え
残り火が 驚くほどの紅さで
終焉を色どっていた。
「少し寒くなったかな」
又三郎がそうつぶやいて
ソォッと通り過ぎた。
カエデが冷たい炎を上げて
てらてらと燃えている。
ポプラもプラタナスも
すでに黄金の衣をまとっている。
銀杏の一葉(ひとは)がくるっと舞って落ちた。
 そしてその木下にはあの白い道が一筋続いていた。



Pc053453.jpg
 
Pc054136.jpg
 
Pc054142.jpg
 
Pc054143.jpg

 



(3)モノローグ
この道は 何処まで続くのか。
あの紺碧の世界で
俺を待つものは 一体何。
完成か。
破滅か。
それとも輪廻か。
俺は果たして 報いられるのか。
今までの歩みは一切
無に帰してしまうのでは。
いや そんなことはどうでもよい。
俺はただ歩み続けるさ。
決して俺は悔いはしない。

何と美しいのだろう 自然は。
何とでかいのだろう 宇宙は。
そして 何と寒いのだろう
俺の心は-----------。
老いた俺の身体から
肉の破片が一つ一つ消え去り
ただ 前進しようとする意志力のみが残された。
今となっては俺は 何ものをも
怖れはしない。
どんな障害も 俺を妨げはしない。
俺はただ進むのだ。
この一筋の道のある限り
か細い 今にもとぎれそうな
道ではあるが。
俺はひたすら歩むのだ。
この道の導くまま。



↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あるバラード 第二章 (1) 木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

詩「あるバラード」の続きである。第二章は、(1)~(3)まであるが、今回は(1)回想 を掲載する。


 あるバラード     木下透
第二章
(1)回想
ああ俺はどれだけ歩いて来たろう。
俺が歩き始めたのは 確か 柔らかい陽射しが
小さな生命をはぐくみ、
あらゆる物質が目覚め 行動を開始した
そんな春の朝だったようだ。



selP513870120120513_0087.jpg
 
selP4190059.jpg
 
selIMGP6857.jpg
 
selIMGP3516_0001.jpg
 
selIMGP3491.jpg
 
selIMGP3429_0001.jpg
 
selIMGP0999.jpg
 
Imgp101801.jpg
 
IMGP2422.jpg
 
P4204187.jpg
 
selP428066620120428_0503.jpg

 

甘くほのかに漂うエーテルに
俺は そこはかとないなつかしさをおぼえ
しばし子供っぽい涙を流したものだった。

sel_IGP5947.jpg
 
IMGP8079.jpg
 
 
selIMGP2834.jpg
 


しかし いつまでも そんな感傷にふけってばかりはいられなかった。
すぐそこに、全力で立ち向かわなければならない障壁が俺を待ち構えていたのだった。
 それはなんと物憂い季節だったろう。
俺の肉体はすっかりかびてしまい
あらゆる気力を失っていた。
そして 宿命的な 懐疑の芽ばえ。
--------俺は一体-------何故に----------。
ああ 虚無。虚偽-------逃避---------。
-------快楽-------官能---------。
-------------------そして 退廃----------。
--------そうしたうつろな単語が
混乱した俺の意識をかけ巡り
疲れ果てた俺の大脳を
いやが上にも打ちのめすのだった。

IMGP8942.jpg
 
 
P417358020130417_0088.jpg
 
 
P512569820130512_0262_0001.jpg
 
Imgp1562.jpg
 
 
P6162987.jpg
 
P6162980.jpg
 
以下 次回に続く 。

 

 


↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あるバラード 第一章  木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

ところで、ここしばらく気持ちの片隅に引っかかっていて、居心地の悪かった「探し物」が、今朝見つかった!

私は、高2の時、運動部の活動を続けられず、あてどのない「自分探し」の彷徨の過程で、「文芸部」というものの数少ない男子部員になった。その男子部員の一人は、静岡で教師を退職し、今自然保護に関わる施設で働いている。もう1人は、全国的にも有力な教育系複合企業?の社長として、忙しく活躍している。

彼らも含めて、その作品を発表する場として、自作の冊子を発行していた。ガリ版刷りのものと、活字印刷のものに、それぞれ別の作品を載せた。活字印刷の冊子は、漆黒の表紙に「ゆずり葉」と白抜き印刷をしている。これを2年分(高2、高3の時代のもの)、私は所持しているのだが、何処に紛れたか、見あたらなくなっていた。

それを、今朝、発見したのだ。

高2の時代の冊子から一編、転載する。


あるバラード 木下透
第一章
sPb08942520131108_0229.jpg
 
sPb08938920131108_0193.jpg
 
PB07921220131107_0016.jpg
 
 
 
旅人があった。
暮れかけた曠野を
一人行く旅人があった。
遠く連なる山々が 夕焼けた空に
黒く黒く盛り上がっていた。
うっすらと白い一筋の道が、
ゆるやかなうねりをえがいて地を這い
ついには黒の世界へ
溶け込んでいる。
PA30611420131030_0125.jpg
 

sPb08938920131108_0193.jpg
 
sPb08942520131108_0229.jpg

旅人は いつ どこで
生まれたのだったか
いつから 旅を
はじめたのだったか。
---------忘れてしまった。
気づいた時には すでに
歩み始めていた。
彼の父も 旅する人だったかも知れない。
彼はあるいは 母の背におぶさって
旅をしたのだったかもしれない。
しかし 気づいたとき
彼は一人だった。


 
 
PA30610820131030_0119.jpg
 
 
PA30609920131030_0110.jpg
 
PA30609520131030_0106.jpg
 
PA30608520131030_0096.jpg
 
PA30611120131030_0122.jpg
俺は一体 何をしているのかと
暁の空にどなったこともあった。
ぎらぎらと まばゆい太陽の下で
快楽を求め さまよったこともあった。
緑のオアシスに遊ぶ小鳥たちを
羨望したこともあった。

s_img2307.jpg
 
s_img1406.jpg
しかし 旅人は
こうつぶやいて 先を急いだ。
「それはそれで楽しかろう。
しかし俺は進まねばならぬ。
引き返すことは許されぬ。」
P6255064.jpg
 


何処から来て何処へ行こうとするのか。
それは彼自身にも わからない。
ただひたすら 歩みつづけるのだ。
決して急ぎはしない。
同じ足取りで 一歩一歩
歩みつづけるのだ。
夜が最後の安らぎを
与えてくれるまで、
旅人は 休むことなく
この一筋の道を 歩みつづける。
幾多の悩める人々の通った
果てしないこの一筋の道を。
 
PC053460.jpg
 
R0010986.jpg
 
 

高校時代、ほとんど最初に書いた詩のうちの一つだ。
年齢相応の感傷に彩られてはいるが、ポエジーよりもロゴスが勝っていて、「詩」と称するのは気が引けるけれども、私にとっては一つの忘れがたい作品といえる。
読み返してみて、60歳を超えた今も、これを超えていない、というか、これに縛られている、と感じることがある。その意味では、これは、他でもないこの私のアイデンティティそのものだといえるかもしれない。
念のために付け加えておくが、作品の成立は1969年である。
海援隊「母に捧げるバラード」も、「狼のバラード」(五木ひろし)も1973年発表。平井和正に同名の小説作品があるそうで、確認はできないでいるが、70年代の成立と思える。
従って、私の詩の題は、これらの模倣ではない。
また、丸岡秀子の「ひとすじの道 ある少女の日々」は 1971年、彼女をモデルとした映画「丸岡秀子 ひとすじの道」(根本銀二監督・長野映研製作)は2006年制作だ。瀬戸内寂聴「一筋の道 (集英社文庫) 」は1997年。
美空ひばりの歌に「ひとすじの道」(作詞:吉田旺 作曲:井上かつお)があり、この成立年代は未確認だが、彼女の晩年の作品に属するのではないか。
また、日本共産党が創立五〇周年を記念して募集した「党を主題とする歌」に入選したのが、「一筋の道」(作詩 たけいしふもと 作曲 相馬公信)だった。これは、1972年のことである。
若い人のために、その歌詞を紹介しておく。
「ひとすじの道」

ひとすじの道
未来へつづく道
うけつごう
はげしい弾圧に
たえぬいた誇りが
人民の胸から胸へ
刻みつづけた道
その伝統に
新しいたたかいをかさね
いまこそ すすもう
ひとすじの この道を

ひとすじの道
平和をきずく道
忘れまい
たたかいのなかばに
倒れた同志たちが
大空にはばたく自由と
愛をたくした道
そのねがいに
新しいたたかいをかさね
いまこそ すすもう
ひとすじの この道を

ひとすじの道
解放への道
かちとろう
限りなき戦列が
祖国のやまなみに
朝あけの太陽を呼ぶ
勝利へつづく道
そのたたかいに
新しいたたかいをかさね
いまこそ すすもう
ひとすじの この道を


私は、これら繰り返し登場する「一筋の道」というフレーズを、半ばくすぐったく、半ば感慨深く聞いたが、私の詩が、決して、これらの「ぱくり」でなく、発表年代が先行していることからも、オリジナリティの所在を敢えて断っておくことにする。
なお、第二章は、次回に譲る。


↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

故郷の古家の庭の日向ぼこ [家族]

長男家の孫達は、写真館で、七五三の写真撮影とか。おめかしを嫌がらず、可愛い写真ができたようです。

じじばばは、故郷に、野菜をもらいに行ってきました。

と、すんなり書く予定が、思わぬアクシデント発生。

最近、少し異音が気になっていた車のドアウインドウが、開け閉めの最中に大きな音がして、ガラスが異常な形で動かなくなりました。見ると、破損したネジ様の部品が隙間に挟まる形でのぞいています。(口では何とも描写できませんね。一枚、撮影しておけば良かったのですが、そんな余裕はありませんでした。)

対処に窮してディーラーに飛び込みますと、営業時間前でしたが応対して下さいました。モーター、部品、ドアガラスなどの交換が必要で、取り寄せ部品もあるので、修理は夕方までかかると言うことで、代車を借りての大がかりな修理になりました。

しめて6万円強の見積もり。マイコンセプトのけちけち路線も、クルマに関しては、なぜか適用除外で、どうにも太刀打ちできません。

 

 


故郷では、庭の日だまりで、住人達が日向ぼっこをしていました。

 

ミカンが色づいています。

sPb09946220131109_0012.jpg
 
「冬」だというのに、アマガエルも顔を出しています。
s_img2688.jpg
 
 
sPb09945320131109_0003.jpg
 
sPb09945120131109_0001.jpg
 
 
ベニシジミと小菊
s_img2817.jpg
 
PB09947420131109_0024.jpg
 
_img2706.jpg
 
このチョウは?
PB09948020131109_0030_1.jpg
 
ツメレンゲが咲き始めています
PB09949920131109_0049.jpg
 
 
ツメレンゲと花蜂
s_img2736.jpg
 
ヒラタアブ?吸蜜中です。
s_img2711.jpg
 
 
 

花の間を飛び交う昆虫たちを見ると、吉野弘さんのこの詩を思い出します。 
 
生命は   吉野弘

 

        生命は

        自分自身だけでは完結できないように

        つくられているらしい

        花も

        めしべとおしべが揃っているだけでは

        不充分で

        虫や風が訪れて

        めしべとおしべを仲立ちする

        生命は

        その中に欠如を抱き

        それを他者から満たしてもらうのだ

 

        世界は多分

        他者の総和

        しかし

        互いに

        欠如を満たすなどとは

        知りもせず

        知らされもせず

        ばらまかれている者同士

        無関心でいられる間柄

        ときに

        うとましく思うことさえも許されている間柄

        そのように

        世界がゆるやかに構成されているのは

        なぜ?

 

        花が咲いている

        すぐ近くまで

        虻の姿をした他者が

        光をまとって飛んできている

 

        私も あるとき

        誰かのための虻だったろう

 

        あなたも あるとき

        私のための風だったかもしれない
 
 
詩画集 生命は

詩画集 生命は

  • 作者: 吉野 弘
  • 出版社/メーカー: ザイロ
  • 発売日: 1996/09
  • メディア: 単行本
吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

  • 作者: 吉野 弘
  • 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
  • 発売日: 1999/04
  • メディア: 文庫

 
 

 
↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。

 

人気ブログランキングへ
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

立冬や 審議に入る秘密法   [私の切り抜き帳]

探しものが見つかりません。

夢の中へ
井上陽水 作詞/作曲
 

探しものは何ですか
見つけにくいものですか
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか

 

何を探していたかさえ、途中で忘れてしまう始末です。

古いMOの中にバックアップしていたかも知れないと、久しぶりにMOドライブを引っ張り出してみると、認識しません。電源ランプはつくのに正しく作動してないようです。

ハー○オフを物色してみましたが、ジャンクの棚にも見あたりません。以前はよく見かけたものなのに、過去の遺物になってしまったのですかね。仕方がないので、ネットで検索したところ、樋口一葉でおつりが来る。思い切って、注文していたところ、今朝早く届きました。

早速PCに接続してみると、無問題で認識。MOメディアの中身も、しっかり読めました。10年近く前の、懐かしいファイルです。でも、目当ての探しものは、見つかりません。まだまだ、続く「さがしもの人生」、、、です。

そのファイルの中に、次の文章を見つけました。以前、あるミニコミ紙(ミクロコミ紙かな?)に寄稿した私の文章です。


「華氏451度」。摂氏に換算すると233度。紙が自然発火する温度だという。書物の「害悪」から社会秩序をまもるため、焚書を徹底する統制社会。レイ=ブラッドベリの描く近未来小説だ▼SF小説の愛好家にとって、ブラッドベリの名前は、特別の感慨があろう。「火星年代記」の叙情と哀調は、少年期の琴線に切なく響く。SFなんか読んだこともない我が家の娘も、ブラッドベリの名前は知っているという。ただし、萩尾望都のマンガから▼マイケル=ムーアの話題の映画「華氏911」にたいし、ブラッドベリが「断りなくタイトルをまねた」と抗議しているそうだ。何かと物議を醸すことの多いムーア氏。「やれやれ人騒がせな御仁だ」との思いも、正直否定できない▼先日、その「華氏911」を観た。「この前映画を観たのはいつ?」と娘に訊ねられて思い出してみると、「あかね色の空を見たよ」以来か。映画や文化とは無縁の衆生が、訳知り顔に論じるのも差し出がましいが、感想を一言▼早口の饒舌と喧噪、断定と揶揄と出しゃばり・・・。好みの分かれるこうしたムーア流の「アクの強さ」を割り引き、価値を半分、いや、10分の1に見積もってさえも、作品のボルテージは圧倒的だ。9・11のすべての犠牲者。「対テロ」戦争で殺されたアフガンの民衆、イラクの民衆。戦場にかり出されたアメリカの若者。愛息、愛娘を失った銃後の父母。この無数の人たちの「なぜ死なねばならなかったの?」という問いかけが、作品を背後から突き動かしているかのようだ。▼それにしても、「戦時」にあって、これだけの批判性を保持しうるとは。アメリカのジャーナリズムの強靱さか---。と考えつつ、ふと青ざめた。ムーア氏が、あれほど、自己顕示的なまでに、映像の中にまで姿をさらして顔を売るのは、あるいは、突然の不自然な「抹殺」を警戒しての、苦肉の防御策ではないのか?「華氏911度は、自由が燃える温度」との言明もむべなるかな、と思えるのだ▼日本での、作品の普及が期待される。

 立冬や 審議に入る秘密法
 
 「華氏911度は、自由が燃える温度」。とすれば、自由が凍る温度は何度でしょうか?
日弁連のページ にわかりやすい説明が載せられていました。それを読むと、背筋が凍るのですが、、、。
 
sPB08939820131108_0202.JPG
美しい残照の中の機影に、少し不吉な心細さを感じてしまいました。
秘密法審議入り。
国の針路過つことなく、とこしえに安全・無事でありますように。
 

 
↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。

 

人気ブログランキングへ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

訣別(わかれ)   木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。


私が、まだ若い高校教師であった頃、担任の生徒達に、次のようなメッセージを送ったことがある。
いまちょっと評判の、「普通人名語録」(永六輔)に次のような一節があった。
「必死になって泣くのをがまんしててさ、唇なんか噛みしめてさ---そういう男の子の顔って好き」同感だ。もちろん、女の子だって同じだ。つらいよう、苦しいよう、と泣き叫びたいところを、ぐっとがまんして、こらえている。これをこらえることで、その子は、ひとつ強くなっていく。君たちも、何度も何度もそういう経験をくぐり抜けてきたはず。
それが確かに未体験の、自分自身担い切れないほどのつらさやしんどさや悲しみであったとしても、それをあたかも重大事であるかのように大袈裟に吹聴して立ちすくんでしまうメメシサや、初めっから自分を傷つけまいとして困難からスルリと身を避けようとする卑怯な習癖は、決して人を成長させないし、第一、見苦しい。
「いや、何も、好き好んで困難を避けて、安易に流れることを潔しとしているわけではない。でも、何に対して力を注げばいいのか。命をかけても惜しくないような、価値あることに向かってなら、全力でぶつかってもみるのだが、自分にはまだそれがつかめない」という悩みも、大いに道理のあるところだ。
なぜなら、子ども時代、自分が掲げて来た目標(や価値観)は、大なり小なり、親や周りの大人たちに与えられたり、しむけられたりして、自分のものだと思い込んで来た目標(や価値観)だったかも知れないからだ。だが、今、ほかならぬ「自分自身の人生」を選び取らねばならない現段階において、君は、借り物やまがい物ではない、自分自身の価値観に立脚して、自分自身の人生を展望しなくてはならないからだ。
親を喜ばすため、周囲の「期待」に答えるため、自分の虚栄心を満たすため、ヘンサチがどうだから-ー-といった受け身的な動機からだけでは、「自分自身の人生」という気の遠くなるほど重くて荷物を背負い切る勇気は生まれてきにくいかもしれない。掛け値なしに自分自身の価値観に基づく、意欲と決意に裏打ちされた人生の目標を、大いに悩み大いに揺れ惑いながらでも、確立していくことが決定的に求められている。
とはいうものの、これは、口で言うほど簡単なことではない。なぜなら、親も周囲も、助言や相談には応じることができるとしても、代わりに悩んだり決めたりは絶対にできないからだ。どんなに時間がかかっても、どんなに能率が悪くても、自分の頭で悩み、自分の手でつかみ取るしかないのが、君の人生なのだから。

知ったふうに説教を垂れるこのわたし自身、少年・青年期を通じて、自分の生きがいがどこにあるのか、見つけられずに悩んだ。それが見つからない以上、さしあたり、情熱を傾けるべきものも、見いだせない。情熱を傾けるべきものがないから、ダルで満ち足りない日々が重なる。受け身の「勉強」と、逃避としての「物思い」。その結果としての、進路への恒常的な不安。だから、なおさら生きがいがつかめない、という悪循環。
快くわれにはたらく仕事あれ それをし遂げて死なんと思う(啄木)
痛切にそう思った。
そんな高校時代に作った詩のようなものを紹介する。

 
訣別(わかれ) 木下透
少年は散歩なんかしない。少年は森に行くにしたって、盗賊として騎士として、あるいはインディアンとして行くのだ。
 ーーーーーーーーヘッセ『旋風』
PB02618420131102_0050.jpg
 
 
IMGP5881.jpg
 
 
 
 
_IMG0863.jpg
 
_IMG0223.jpg
 
_IMG1513.jpg
 
_IMG1516.jpg
 
 
そっと手折った野あざみの花にも
もはやかつての初々しさはなく
舌先に残る葉っぱの苦さも
今はそれほど幻想的に
少年の胸に広がりはしなかった
指先につままれて しきりにもがいているアゲハも
少年に 以前の興奮をも歓喜をも
もたらしはしなかった
そして そのことは 少年を戸惑わせるばかりで
ゆるめた指の間から飛び去った蝶を
しばらくの間 ただみつめていた
《ひきとめておきたかった》
sImgp4404.jpg
 
sImgp4388.jpg

かつて あれほど少年の胸をときめかせたものの
すべてが
いまはすっかり色あせていた
かつてあんなに生き生きと
少年の周りをとびはねた 森のニンフたちが
いまはすっかりよそよそしくなってしまった
かつては どこにでも見いだすことのできた感動が
今はどこにもなくなっていた
《喜びを探して歩かなきゃならないなんて》
_IMG0193.jpg
 
_IMG0191.jpg
 
_IMG0180.jpg
 
_IMG0219.jpg
 
PB02620920131102_0075.jpg
 

いきなり駆け出した少年の心象に
風と光と音の交錯 白と黄と紫の螺旋(らせん)
《遠い昔見たかもしれないおぼろげな映像(いめえじ)》

少年は突然立ち止まり
充分柔らかい草のうえに身を投げる
仰向いてしばらく息をはずませていたが
吹き出る汗にも 音立てて波打つ鼓動にも
感動は なかった
青草の間に顔を埋めて その匂いを嗅いでも
そこには 忘れかけた追憶に似た感傷がただようばかりで
その内に溶け込むことはできなかた
原に集うて遊ぶ子どもらの声が 耳元に聞こえるが
それとても いまはまったく遠い世界からのようで
自分を受け入れようとはしなかった
《すべてが しらじらしい》

空は蒼くて 時は茶色だ と
ああ ぼくは 時間に生きていない と
少年は つぶやくのだった
虚ろな実在たちと 有形の不在たちよ
(少年の脳裏から離れることのない 不遜な懐疑は 彼を取り巻く物象の一切を 空虚で色あせたものに見せ 結果 彼を自我へ内面へと向かわせるのであるが それもまた いかにも不確かで曖昧な虚像でしかなかったのだ)

自己の存在さえも絶対ではなく
総ての形象は 虚偽だと知りながら
なおも その内に溶け込もうとして生きる
ニンゲントハ ナント ハカナク カナシイ イキモノ ダロウカ《そして 結局 孤独で疑い深い個として死ぬのだ》

少年は再び
あの寒々とした螺旋を強く感じて瞼を閉じる
にがい涙がこみあげて頬を伝う
自分に残された最後の少年らしさを 名残惜しむように
唇をかんでいたが
それすらも妙にしらじらしくて
自嘲が心を寒くさせるばかりだった
確かに生きた 少年期は去り
人生を嘲り 笑い 茶化しては 忍び泣く
青年期が彼を待ち受けているのだった
《無性に寂しいのだ》

かつての時のように
自己の目と耳とそれらあらゆる感官を信じ
ありのままを真実として受け入れることは
可能だろうか
そして いつしかは ついに
すべてを 認識のままに愛することは
可能だろうか
《そのとき 人生は こんなにも貧しくはないのかもしれない》

真理?愛?
これらもまた
淫らでよこしまな妄想や
嫉妬深い情欲や
ありとある陳腐な煩悩と同じく
倦怠と虚無にどすぐろく塗り潰された幻影にすぎない

いたずらな思念を弄びながら
しかし少年はひそやかに思うのだ
少年の意識に根ざして離れない一つの映像(いめえじ)
いつもは奥深く潜んでいるが
時折浮かんでは 彼をまごつかせる
ーーーーああ、これは この白さは この懐かしさはーーーー
少女。夏草の香の。可憐なーーーーーーーーーーーー
そして少年は思うのだ
美への憧憬 もしやこれこそは
人の生の 真理なのかもしれない
ここにこそ 実在は
見いだされるのかもしれない

高校生宛の文章も生硬だし、詩も未熟で、赤面を禁じ得ないが、今では懐かしく愛おしいいにしえである。
 
少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集

少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集

  • 作者: ヘルマン・ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2010/12/21
  • メディア: 単行本
旋風 (1955年) (新潮文庫)

旋風 (1955年) (新潮文庫)

  • 作者: ヘルマン・ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1955
  • メディア: 文庫
 
普通人名語録 (講談社文庫)

普通人名語録 (講談社文庫)

  • 作者: 永 六輔
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/06
  • メディア: 文庫


↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

立冬の雨に打たれてとほほかな またまた、消えたブログの怪! [折々散歩]

 この日のブログ、何かの操作ミスですっかり消えてしましました。
誤って別の記事を、上書き保存したらしいです。
ブログを作るにもバックアップが必要なのですかね?
何を書いたか忘れて締まっていましたが、掲載したはずの写真を見て、思いだし思いだし復元することにします。
復元記事のつもりですので、一応、「今日」と書きますが、本当は5日前の出来事です(11/12) 。


今日は立冬。午後から会合の予定があるので、おにぎりを作って、早めに出かけ、時間調整に児島湖周辺を散歩してみることにしました。
風はあるけど、ぽかぽか陽気。汗ばむ暖かさです。
ツマグロヒョウモンも健在
 
s_img2288.jpg
 
 沖の竹杭に羽を休めるミサゴの姿も
 
s_img2286.jpg
 
岸辺近くにオオバンの群
s_img2299.jpg
 
s_img2214.jpg
 
 
キンクロハジロです
s_img2323.jpg
 
s_img2337.jpg
 
カンムリカイツブリ
s_img2218.jpg
 
s_img2216.jpg
 
ムクドリです。
 s_img2280.jpg
 歩いているうちに、雲行きが怪しくなり、風は強くなり遠くに雷鳴も聞こえます。
遠い雷雲と見て、さらに歩いて行くうちに、雲が広がり、怪しい暗さになっていきます。
こんな風景が
IMGP7396.jpg
 
 みるみるこんな気配になっていきます。
IMGP7398.jpg
 
IMGP7408.jpg
 
IMGP7401.jpg
 
 
 そして、ぽつりぽつりと落ち始めた雨が、急に勢いを増し、激しい風とともにたたきつけてくるようになりました。
慌てて引き返しますが、車を止めている場所まではちょっと距離があります。カメラを上着でかばいながら、早足で20分ほどもかかりましたか。フード付きの撥水ウインドブレーカーは着ていたものの、下まで染みこんでシャツもズボンもびしょ濡れ。靴の中にも水が溜まって、ぐっしょぐしょです。立冬に水浴びとは、ごめんこうむりたいトホホの巻でした。

そのまま会場に行くわけにも行かないので、一旦自宅に引き返し、着替えて、おにぎりで腹ごしらえもして、改めて再出発。そのせいで、会合には30分超も遅刻と相成りました。
会合では、懐かしい方々とも会え、和気藹々のひとときを過ごすことができました。
3時過ぎにはお開きとなったので、その勢いで、夕日が見えるスポットへ足を伸ばしてみました。
 
 夕映えの中、水鳥の群れがくつろいでいます。
s_img2358.jpg
 
s_img2383.jpg
 
s_img2358.jpg
 
s_img2387.jpg
こんな夕日が水中に没します
s_img2612.jpg
 
湖面を紅色に染めます
sPb07921220131107_16.jpg
 
あたりはすでに薄暗く
 
sPb07922220131107_26.jpg
 
 
大きな円盤が、端から欠けていきます
s_img2631.jpg
 
しばらくの間、残照があたりを美しく染め
sPb07922620131107_30.jpg



空には薄い月が浮かんでいました、
s_img2634.jpg
 

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

コウノトリ 寄り添うて歩む苅田道   [折々散歩]

 先輩のMさんから、コウノトリがやってきているという情報を、メールで教えていただきました。
実は今年の一月、近所の田圃で休んでいるところを、遠くから何度か撮影したのですが、風景の一部くらいにしか写すことができず、すっかり意欲喪失した経験があります。それ故、はじめはこの情報にも緩慢な反応しか起こらず、軽く受け流していたのが正直なところ。
ところが、Mさんから2回も添付画像付きのメールを戴いて、その画像の鮮明さに驚愕し、自分も写しに行ってみようかなと思い立ちました。たまたま、明日明後日が予定が入っていて、今日が空いていましたし、お天気も良さそうなので、決行することにしました。

カミさんを誘いましたが断られ、弁当を作ってくれましたので、弁当箱を持って出かけました。
途中、経路に当たる吉備津神社で寄り道し、少々散策。
緑に包まれた急な石段
PB06911120131106_0019.jpg
 
PB06912620131106_0034.jpg
 
PB06910120131106_0009.jpg
 
 
水車も秋模様
IMGP7344.jpg
 
落ち葉降り敷く石段」
IMGP7342.jpg
荘厳、雄大な回廊
sImgp7340.jpg
 
PB06911620131106_0024.jpg
こけむした灯籠
IMGP7338.jpg
 
IMGP7335.jpg
 
モズの姿も
IMGP7323.jpg
 
 
 
 
お昼前に、目的地近辺に到着。でも、おおよその位置を伺っていただけなので、大きい公園の駐車場に車を止めて、周辺をぶらぶら歩いて物色してみましたが、それらしい様子はありません。
ひとまず腹ごしらえをして、また、当てもなくぶらぶら歩き。散歩中のお年寄りや、母子連れ、県外からの観光客らしき人などは目につきますが、コウノトリもコウノトリ目当てのカメラマンらしき人影も、見あたりません。
もうあきらめるしかないかなと思いつつ、無目的に車を走らせているうちに、小路に迷い込み、車をUターンさせようとしている時、たまたま一羽の鳥影を見つけました。その向こうの道路には車が止まっていて、カメラを持った人影も何人かいる様子。
遠いし遮蔽物があるその位置で、とりあえず何枚か写して、場所を移動することにしました。
_IMG1707.jpg
 
 

 
行き会ったご近所の人に挨拶すると、10羽飛んできていたが1羽は死んだらしいこと、今、その先の田圃に2羽いること、また、今日もカメラを持った人が何人か集まっていることなどを、教えて下さいました。
農らしい小道をすすむと、いた!遠いが、逃げられる前にと、とりあえず写す。近寄ってまた写す。緊張のうちにこの動作を繰り返しているうちに、ふっと気づきました。このターゲットは、コウノトリにしては小さいし、灰色が目立つぞ。なんだ、これは見慣れたアオサギではないか。トホホ、、、でした。

_IMG1714.jpg
気を取り直してまた移動。前方にカメラマンの姿発見。コウノトリは?周囲を見回しますが見つけられません。ややあって、遠くに向けていた視線をふっと緩めると、思わぬ近さに一羽発見。
今日の携行カメラは、PENTAX K5 と、F300/4.5ED(IF) そして、念のために、kenkoテレプラス×1.4を装着しています。M先輩が、500mmズームで写された由なので、及ばずながら距離を稼ぎたいと思ったからです。でも、このコウノトリ君、大変人慣れしているのか、どんどん近づいてきます。
_IMG1886.jpg
こんなに近づいても逃げません。(ノートリミング)
_IMG1922.jpg
 
_IMG1936.jpg
獲物をget!泥鰌でしょうか?
_IMG1985.jpg
ペアでしょうか?いつも近くにいます。
_IMG2036.jpg
テレプラスを外してみました。あいにく遠くに行っちゃったけれど。
 
_IMG2121.jpg
 
_IMG2130.jpg
 
s_img2200.jpg
 
テレプラスを取り外しても十分な近さなのに、ちっとも逃げようとしません。
そうして撮影していると、前方のカメラマンとは別のお二人連れが、私のお隣で撮影を始められました。と、私の所持カメラに気づいて、「ペンタックスですね」。お一人が、やはりペンタックスユーザーで、使い込んだk10をお持ちでした。「こんなところで会うのは珍しいですよね」「風景とかはともかく、鳥を写すような場合は、特にね」と、ペンタックス談義が弾みました。40年を越えるPENTAXユーザーだそうです。「タクマーレンズも使う」と。同好の士にお会いできたのも、今日の大収穫でした。
PENTAX デジタル一眼レフカメラ K10D ボディ

PENTAX デジタル一眼レフカメラ K10D ボディ

  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス

 


勢いづいて、備中国分寺に足を伸ばし、楽しいプチ遠足を終えました。
PB06915220131106_0060.jpg
柿の実、紅葉、青空に映える五重塔でした。
IMGP7381.jpg
五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

  • 作者: 幸田 露伴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1994/12/16
  • メディア: 文庫
五重塔はなぜ倒れないか (新潮選書)

五重塔はなぜ倒れないか (新潮選書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/02
  • メディア: 単行本
五重塔の科学 (おもしろサイエンス)

五重塔の科学 (おもしろサイエンス)

  • 作者: 谷村 康行
  • 出版社/メーカー: 日刊工業新聞社
  • 発売日: 2013/03/19
  • メディア: 単行本
国宝五重塔―その意匠に見る日本美

国宝五重塔―その意匠に見る日本美

  • 作者: 小田原 敏之
  • 出版社/メーカー: 十年社
  • 発売日: 2013/01
  • メディア: 単行本

 


 

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

くにのひみつのまもりかた [時事]

「戦争の作り方」という絵本があります。
発行は2004年とありますから、10年近くも前のことです。
この絵本を制作された「りぼん ぷろじぇくと」は、web上でも自由に閲覧できるようにサイトを提供しておられます。


その中の、「この絵本ができるまで」というページには、次のようにあります。

いままで戦争をしてこなかった、私たちの国が その「かたち」や「ありよう」を大きく変えようとしている------。 そのことに気づき始めた人たちが、インターネットを通じてつながってゆく中で、偶然にも憲法記念日の5月3日、ひとりの人の頭に、突然浮かんだもの。それが、絵本『戦争のつくりかた』でした。

絵本「戦争の作り方」では、

わたしたちの国は、60年近く前に「戦争しない」と決めました。
だからあなたは、戦争のためになにかをしたことがありません。

でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、戦争しないと決めた国も、戦争できる国になります。

そのあいだには、たとえばこんなことがおこります。

と述べて、起こりうる(既に起こりつつある)いくつかの想定を、具体的に紹介しています。そして、その想定は、決して架空の絵空事と思えず、着々と進行している事実そのものであることが、コワイ。

私は、その事例の中に、あと一つ、こうつけ加えるべきかなと思います。

「くにには知られたくないひみつがある」とわかっているのがよいこくみんだと、おしえられます。
何がひみつなのかはこくみんにはひみつで、そのはんいも、せいふがかってにきめてよいことにされます。ひみつをあつかうお役人はとくべつよい人でなくてはならないので、かんがえ方や、家族や、友達づきあいなどについて、しっかりしらべられます。うたがわしい人のじょうほうは、こっそり上へほうこくしなければならず、その本人にはうたがわれていることもひみつにされます。。
こくみんは、何がひみつか知らないけれど、うっかりひみつに触れてしまったら、重いばつがくわえられることをおしえられます。
「しるけんり」は大切だけど、知ってはいけないひみつは知らないようにすることがもっと大切だと、よいこくみんは誰もが考えるようになります。
こうしてせいふは、こくみんに知られことなく、せんそうのけいかくやじゅんびを進めることができるようになります。





page3-2.jpg
 
 

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

菊の香や国家秘密はそぐはざる [時事]

「特定秘密保護法案」というものの動きが急なようです。
11月3日の日曜討論を聞くともなく聞いていましたら、出演していた自民党の中谷特命副幹事長は「国民の命や国家の安全を守るためには機密はどうしても必要だ。」と強調しておられました。そして、「知る権利も大切だが、知られたくない権利もある。」とおっしゃっていました。
私、頭脳の回転がひどく鈍いので、「なんだかヘンだなあ」と感じながら、「それもそうなのかなあ」とも思い、そのままにしていましたが、今朝の散歩中、ふっと気づきました。

確かに「知られたくない秘密」は誰にもあります。
戦後の「うたごえ運動」でよく歌われたという曲に、「黒い瞳の」というロシア民謡があります。ネットで検索してみるとこんな歌詞です。矢沢保訳とあります。
黒い瞳の 若者が
私の心を とりこにした

もろ手を
差しのべ 若者を
私はやさしく 胸にいだく

愛のささやき
告げながら
やさしい言葉を 私は待つ

緑の牧場で 踊ろうよ
私の愛する 黒い瞳

私の秘めごと 父さまに
告げ口する人 誰もいない

ところで、私の記憶では、もう一番、続きがあるのですが、ネットでは見つけられません。
そこで、念のために手元にある歌集(夏に開かれた学生時代の同窓会で配られたもの)をひもといてみると、、、ありました。

告げ口したとて かまやせぬ
父さまにも 母さまにも 思い出がある

 


人に知られたくない大切な秘めごとは、土足で踏みにじられることのあってはならない個人のプライバシイであって、基本的人権の重要な要素でしょう。それ故に、内心の自由、思想信条の自由もまた、憲法が保障する大事な権利です。
ところが、「特定秘密保護法案」では、「特定秘密」を扱う人のプライバシイは、泥足で蹂躙されることになるそうですから、不思議でなりません。
NHK解説委員室の解説アーカイブスから引用します。


安達)行政機関は特定秘密を扱う人について、過去の犯罪歴や病歴、借金の有無、それに酒癖がいいか悪いかなどについて調べます。弁護士会などは思想的背景の調査も行われるとしています。テロ対策などの関係です。本人の調査は当然といえば当然かもしれませんが、行政の判断で家族など周辺の人にも調査が及ぶと指摘もあり、プライバシーが守れるのかという疑念です。それに国会議員の活動さえも制約されるという声もあります。

それでは、中谷特命副幹事長の「知る権利も大切だが、知られたくない権利もある。」という言葉は、何だったの?と言いたくなります。そして、今朝の散歩でふっと気づいたのは、中谷特命副幹事長の、言葉のわずかな省略が、「お人好し」な私に誤解を与えていたということです。
はじめ、私は、こう聞いて、それもそうだなあと感じちゃったわけでした。「(国民の)知る権利も大切だが、(国民の)知られたくない権利もある。」
でも、中谷特命副幹事長がおっしゃったのは、「(国民の)知る権利も大切だが、(国家の)知られたくない権利もある。」ということで、文脈上、後者こそが勝って重要という主張だったのですね。
で、本音の所は「(国民の)知る権利よりも(国家の)知る権利が大切で、(国家の)知られたくない権利もある。」というお考えなのでしょうか?全く気づきませんで、浅はかなことでした。

このことに気づいて、私は、奇しくも、この番組が放送された11月3日「文化の日」が、日本国憲法の交付された日であったことを思い出しました。
日本国憲法は、確か、国の主権者は一人一人の国民だということをうたっていたはずで、主権者が知らないような秘密(機密)を国家(権力)が隠し持つということはあり得ませんし、「(国家の)知られたくない権利」など許してはいないのではなかったでしょうか?だから、あの方達(安倍さんを含む「改憲いのち」の方々です)は憲法がお嫌いなのだなあと、改めて納得した次第です。


 抜けるような青空、路傍の菊のかぐわしい香り、刈り終えられた稲田にかかる朝霧、心を洗われる晩秋の田園風景です。

IMGP0088.jpg
 
IMGP0081.jpg
 
IMGP0061.jpg
TPPは、 日本の各地方の、このような牧歌的なたたずまいを容赦なく荒廃させずには、いないでしょう。
「そんなことはない、安心なさい、限定5項目は聖域として死守する」と、いくら口先でおっしゃっても、交渉で何が話されているかさえ「秘密」なのでは、安心しようもないではありませんか。
「(国民の)知る権利も大切だが、(国家の)知られたくない権利もある。」というのは、万事にこの事態が及ぶと言うことなのでしょうね。
そして、件の 「特定秘密保護法案」たるや、何が「特定秘密」かは国民に「秘密」にして、「秘密」に触れたら重罰を課すというものだそうで、行き着く先は「見るな聞くな」の暗闇国家でしょうか? そんな見通しの悪い、暗雲と濃霧に覆い尽くされて、気づいてみたら「いつか来た道」を歩かされていた、なんてのは、ごめんこうむりたいものです。

 
 菊の香や国家秘密はそぐはざる
陽を浴びてなお冴えわたる黄金菊
天高くかおる路傍の小菊かな
朝露に香り移すや野辺の菊

 
IMGP0155_0001.JPG
 
 
IMGP0157_0001.JPG
 
IMGP0142.jpg
 
 

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

行く秋や 小さき足形残りゐて [家族]

今日、お嫁さんと赤ん坊は、お母さんに乗せていただいて実家に帰りました。二男は、「短い五連休だった」と言いながら、大阪に戻りました。五連休のうち、二日は、出産休暇でした。

年休もほとんど使ったことのない「営業マン」で、産休中も、仕事の電話が続けてかかってきていました。

家族を持ち、子どもを育てるだけの賃金と、家庭の時間が確保できるのだろうかと、不安を持ちながら、夜中まで残業手当なしの仕事がつづく様子。

赤ちゃんと過ごせる時間を、意識して作り出さないとね。

今日は、食紅を用意して、足形手形をとりました。でも、拳をグーに握って掌を開かないので、手形は見送り、小さな足形が取れました。

行く秋や 小さき足形残りゐて

sPb04625320131104_0011.jpg

 


↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

檸檬と蜜柑と大正文学 [家族]


うっとうしい天気の一日で、昼頃から雨になりました、
傘を差して散歩はしましたが、これと言った被写体には出会えませんでした。
肺炎で熱を出していた孫娘も、昨日頃から回復して、退屈をもてあましているらしいところへ、長女の旦那さんの実家近辺で商工会の祭りが賑やかに催されるというのでお誘いがあり、長男一家が行ってきました。
すると、長女とはすれ違いになったけれど、旦那さんとお母さんに会場で会えて、いろいろ美味しいお土産をいただいて帰りました。
夕方、長女も、赤ちゃんに会いに短時間帰ってきましたので、長男一家も勢揃いして、賑やかな夕食になりました。
明日は、次男は大阪に帰り、次男のお嫁さんも実家に帰るので、いっぺんに、閑散とした家になることでしょう。
長女の手土産は、祭りで買った(義母さんに買っていただいたらしい)地元産のレモンとミカン。みずみずしい艶と香りが際だっています。
Pb03908020131103_04_0001.jpg
 


レモンというと、高村光太郎「レモン哀歌」が思い出されます。
 


レモン哀歌 高村光太郎詩集 (集英社文庫)

レモン哀歌 高村光太郎詩集 (集英社文庫)

  • 作者: 高村 光太郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1991/01/18
  • メディア: 文庫
 高村光太郎

    そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
    かなしく白くあかるい死の床で
    わたしの手からとつた一つのレモンを
    あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
    トパアズいろの香気が立つ
    その数滴の天のものなるレモンの汁は
    ぱつとあなたの意識を正常にした
    あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
    わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
    あなたの咽喉に嵐はあるが
    かういふ命の瀬戸ぎはに
    智恵子はもとの智恵子となり
    生涯の愛を一瞬にかたむけた
    それからひと時
    昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
    あなたの機関はそれなり止まつた
    写真の前に插した桜の花かげに
    すずしく光るレモンを今日も置かう
Pb03908220131103_06_0001.jpg
 

梶井基次郎の「檸檬」も鮮烈です。


檸檬・冬の日―他九篇 (岩波文庫 (31-087-1))

檸檬・冬の日―他九篇 (岩波文庫 (31-087-1))

  • 作者: 梶井 基次郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1954/04/25
  • メディア: 文庫
檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

  • 作者: 梶井 基次郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫
病気と貧困に苦しむ「私」は、心身ともに弱り切り、曰く言い難い鬱屈を抱えています。
(前略)えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。(中略)

そんなあるとき、「私」は通りかかりの果物屋でレモンを見つけます。

(中略)いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰まった紡錘形の恰好(かっこう)も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなものの一顆(いっか)で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅(か)いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲(う)つ」という言葉が断(き)れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……(中略)
 

「私」は、その足で「丸善書店」に立ち寄ります。以前には自分の心を惹きつけた香水の壜も煙管も、魅力を失ってしまっていました。様々な色彩の画本もまた、興ざめて感じられます。高く積み上げた画本の頂上に、ふと思いついて、袂(たもと)から取り出したレモンをそっとおいてみます。

(中略)変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」(後略)
Imgp7307_0001.jpg

黄金色に輝き、鮮烈に香る、目が覚めるほど酸っぱい爆弾!爽快かつ愉快なイメージです。

檸檬から連想するもう一つの詩。
 
 
春夫詩抄 (岩波文庫)

春夫詩抄 (岩波文庫)

  • 作者: 佐藤 春夫
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1963/08
  • メディア: 文庫
     佐藤 春夫
   

あわれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ
男ありて
夕げに  ひとり
さんまを食らひて
思ひにふける  と。

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて 
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひを  あやしみなつかしみて  女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕げにむかいけむ。
あわれ、人に棄てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかえば、
愛うすき父をもちし女の児は
小さき箸をあやしみなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言うにあらずや。

あわれ
秋かぜよ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかのまどいを。         
いかに
秋かぜよ
いとせめて証(あかし)せよ、
かのひとときのまどいゆめにあらず  と。

あわれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ、
夫に去られざりし妻と
父を失はざりし幼児(おさなご)とに
伝えてよ
男ありて
夕げに  ひとり
さんまを食らひて
涙をながす  と。

さんま、さんま、
さんま苦(にが)いかしょっぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいずこの里のならひぞや。
あわれ
げにそは問はまほしくをかし。


私はなぜか、サンマにレモンの汁をふりかけるイメージで、この詩を記憶していましたが、詩には「青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて」とありますね。

ミカンでまず思いつくのは、芥川の短編「蜜柑」です。
蜜柑

蜜柑

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: Kindle版
舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1968/10
  • メディア: 文庫

汽車に乗り合わせた「小娘」が、迷惑にも、トンネルで列車の窓を開け放つので、煙突の煤煙が車内を覆って、{私」は息もつけないほど咳きこまねばなりませんでした。トンネルを出てしばらくして、その迷惑行為の意味が、やっと「私」にはわかったのです。

 (前略)やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索(せうさく)とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃(そろ)つて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反(そ)らせて、何とも意味の分らない喊声(かんせい)を一生懸命に迸(ほとばし)らせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑(みかん)が凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴(おもむ)かうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆(いくくわ)の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
 暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮(あざやか)な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬(またた)く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体(えたい)の知れない朗(ほがらか)な心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変(あひかはらず)皸(ひび)だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
 私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

この世でもっとも美しい蜜柑はこれかと、私には思えます。
 
Pb03908520131103_09_0001.jpg
 
 
Imgp7309_0001.jpg
 
 

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

烏と鴨と枯れ薄 [折々散歩]


「烏なぜ鳴くの」の歌い出しで、現代の子どもたちは「烏の勝手でしょ」と継ぎ、そこで歌は途切れてしまいます。かつて、テレビ番組『8時だョ!全員集合』の中で歌われた替え歌が、本家本元を駆逐して定着しているようです。その、伝播の勢いは、特定外来生物の繁殖力のごとくで、手がつけられません。
「烏なぜ鳴くの」という問いかけを、意外な答えでひらりとかわされて、ズコっと膝が砕けるところに、乾いた滑稽さがあって、子供受けしたのでしょう。しかつめらしい「真面目さ」を笑い飛ばすのは、子どもの特権でもありますから。
でも、つんと乙にすました退屈な「真面目さ」を、庶民的な生活感覚から笑う、たとえば落語のおかしみとは、大いに異なって、「話せばわかる」と説得する犬養翁を、「問答無用」と銃撃する青年将校の感性に、それは似ていないかと、危ぶまれます。

秋深き 隣は何をする人ぞ  芭蕉

旅路にあって、人恋しさとともに、隣人の様子に関心を向けるところに、芭蕉の人間味を感じたいところです。
 
鉄柱に烏の止まりけり秋の昼  (パクリ)
s_img1001.jpg
 
s_img1221.jpg
 
 



ところで、「烏なぜ鳴くの」の本の歌はつぎのとおり。

「烏なぜ鳴くの」

作詞・野口雨情
作曲・本居長世
 
 
烏 なぜ啼くの
烏は 山に
可愛 七つの
子があるからよ
 
可愛可愛と
烏は啼くの
可愛可愛と
啼くんだよ
 
山の古巣に
いつて見て御覧
丸い目をした
いゝ子だよ


「可愛可愛」「カワイカワイ」と聞こえる鳴き声は、ハシブトガラスでしょうか?
「七つの子」とは、7羽の子なのか、7歳の子なのか、子どもの頃から疑問でした。

作曲の本居長世は、江戸時代の国学者本居宣長の末裔だそうです。宣長は「もののあはれ」を論じた碩学で、賀茂真淵の弟子として知られています。賀茂真淵も、「方丈記」を書いた鴨長明も、賀茂氏(加茂氏・鴨氏・加毛氏とも)の一族で、その祖先は、八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命だとか。
烏と鴨を、無理矢理つないでみました。
_IMG1440.jpg
 
_IMG1428.jpg
 
_IMG1431.jpg
 
_IMG1415.jpg
 
_IMG1422.jpg
 
_IMG1406.jpg
 


作詞の野口雨情は「船頭小唄」の作詞者としても知られます。
船頭小唄(枯れすすき)
作詞   野口雨情
作曲   中山晋平
、、    1
おれは河原の枯れすすき
おなじお前も枯れすすき
どうせ二人はこの世では
花の咲かない枯れすすき


死ぬも生きるもねえお前
水の流れに何変わろ
おれもお前も利根川の
船の船頭で暮らそうよ


枯れた真菰に照らしてる
潮来出島のお月さん
わたしゃこれから利根川の
船の船頭で暮らすのよ


なぜに冷たい吹く風が
枯れたすすきの二人ゆえ
熱い涙の出たときは
汲んでおくれよお月さん


どうせ二人はこの世では
花の咲かない枯れすすき
水を枕に利根川の
船の船頭で暮らそうよ    

_IMG1295.jpg


   



↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

こんにちわ!赤ちゃん [家族]

ブログを始めて以来、昨日は記事の掲載を断念しました。 幻の10月31日付け記事は、 ざっとこんなところ。



朝の散歩の出会いは、この鳥だけ。

s_img1209.jpg

 

s_img1214.jpg

 

ジョービタキのオス。 人家の近くで、遊んでいました。 


赤ちゃんが退院し、次の検診まで2日ほど、我が家に滞在します。

PA27002220131027_0022.jpg
もみじの足?
Pa31613920131031_0150.jpg
 

 芥川龍之介の『河童』の国では、この世に生まれてくる意思があるか否かを、赤ん坊自身に確かめた上で、生まれる意思のあるものだけが誕生することになっているのだそうです。
わたしたちの国では、生まれてくるつもりがなくっても、生まれて来なくてはなりません。しからば、大人の責任で、生まれて来てよかったと思えるような国に、してやりたいものです。
それから、高齢者が、生きて来てよかったと思えるような世の中でありたいと、切に思うこのころです。
河童

河童

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/27
  • メディア: Kindle版
河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/12/15
  • メディア: 文庫
追伸 このページは、何かの操作ミスでいったん消滅してしまっていました。改めてアップします。

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。
人気ブログランキングへ

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

今日のジョウビタキ、今日のチョウ、今日のヤチョウ、明日のジョー [折々散歩]

1.今日のジョウビタキ
今日もジョウビタキに会いました。
s_img1401.jpg
 

2.今日出会ったチョウです。たくさんの種類のチョウが舞っていましたが、モンシロチョウだけ写ってくれました。
s_img1403.jpg
 
s_img1229.jpg

3.今日のヤチョウです。
この鴨は?コガモですか?
s_img1371.jpg
 
バンでしょうか?
s_img1323.jpg
 
 モズには毎日会います。
s_img1237.jpg
 
ウ。エメラルドグリーンの目が印象的です。
 
s_img1248.jpg
 
 
 
 4.あしたのジョー
先日の記事。ジョウビタキのジョウの連想で、新島襄、ジョー・ディマジオという「歴史的人物」の名前はとっさに思いついたのに、宍戸錠も城卓弥も城みちるも思い出しませんでした。いっぷくさんのブログに宍戸錠の記事がありました
そして、矢吹丈=明日のジョーの名前も、一日遅れで思い出す始末。
「明日のジョー」といえば、原作者の梶原一騎氏について、これまたいっぷくさんのブログが興味深い記事を載せておられます。
去年の記事ですが、こちらは梶原一騎氏とタイガーマスクとにまつわる興味深いエピソードがつづられています。
そこで紹介された、斎藤貴男『梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』(新潮社)も興味深い。
梶原一騎伝 夕やけを見ていた男 (文春文庫)

梶原一騎伝 夕やけを見ていた男 (文春文庫)

  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/08/03
  • メディア: 文庫
夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎

夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎

  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1995/01
  • メディア: 単行本

斎藤貴男さんといえば、当代切きっての「硬派ジャーナリスト」。現代社会の病巣やタブーに果敢に迫るその舌鋒は、爽快です。私、10年も前に(小泉内閣時代でした)、一度間近で講演をお聞きし、夜の酒席(大勢)にもご一緒して、すっかりファンになりました。数ある著作の中で、私のおすすめは、『絶望禁止!』(2004年、日本評論社)
絶望禁止!

絶望禁止!

  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本

内容もさることながら、タイトルが、絶妙!!ではありませんか?
テレビアニメのタイガーマスクは、格闘技のスリル以上に、漂うペーソスが魅力でした。
主題歌も、耳に残っています。オープニングテーマ の 「行け!タイガーマスク」( 作詞 木谷梨男 / 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 唄 - 新田洋 / スクールメイツ)よりも、エンディングテーマ - 「みなし児のバラード」(作詞 - 木谷梨男 / 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 唄 - 新田洋 / スクールメイツ)が、好きでした。

本題の「明日のジョー」は梶原氏の原作をちばてつや氏が漫画化しました。その際、かなりの部分を漫画家ちばてつや氏の裁量に任せたらしいことも、いっぷくさんのブログに詳述されています。
「明日のジョー」は、さまざまな人がさまざまに語っておられるので、今日は内容に立ち入ることはしません。


ちば氏の数ある作品のなかで、私が最高峰に位置づけたいのは「紫電改の鷹」です。『週刊少年マガジン』に1963年(昭和38年)~1965年(昭和40年)まで連載されたものをリアルタイムで目にするような年齢にも環境にもありませんでしたから、近所のお兄ちゃんの読みふるしを瞥見したに過ぎず、実際に全巻を通して読んだのは大人になってからです。
同じく、大人になってから読んだもので、特筆しておきたいのは、1962年に「少女クラブ」に連載されたという『(いち・に・さんとし・ご・ロク)』という作品。これは、汐文社発行のものを買っていたところ、子供たちが愛読しました。
赤ちゃん誕生・産科からの退院に合わせて、一時帰省している次男も、「映画化されてもいいのに」と、昨夜の雑談で話していました。
 


「明日のジョー」にまつわる話題はここまで


 ↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。

人気ブログランキングへ


  

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA