今日の「これなあに?」特集 見渡せば花も紅葉も実もありけり [今日の「これなあに」?]
今日は久しぶりの雨なので、最近の写真をネタに「これなあに?」特集です。
まずは、これなあに?
いろいろおたずねした結果、「ハナミズキ」の実とわかりました。
ではこれなあに?
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椋鳥の夢 私の葛藤 [折々散歩]
散歩中、空を見上げると、小鳥の群れが見えました。ヒヨドリの高鳴きの声をよく聞くようになったので、群れで里に移動してきたのだろうとよく見ると、違うようです。
写った画像を拡大してみると、腰に白い部分が見えます。椋鳥の群れのようです。
椋鳥の姿は、我が家の窓からも、よく見るようになりました。
この写真は、サイズ縮小以外はレタッチしていません。つまり、大きく写っていること、周辺光量が落ちて暗くなっていること(ケラレ)、画像が不鮮明で色りもイマイチーーーといった特徴を一応確認しておきたいのです。
これは、久しぶりに引っ張り出してみたカメラとレンズの組み合わせによるものです。
カメラは、旧世代の約600万画素のコンパクトカメラ(ネオ一眼?)、canonPowerShot S3 ISです。
世代遅れになったころ、ヤフオクの中古で買いました。カメラとしての性能は、よくできています。ただ、画素数の物足りなさ、ISO感度を上げたときのノイズの大きさ、ファインダーや液晶の視認性などには、旧世代なりの不満があって、最近出番が少なくなっています。それに、望遠鏡をつないで撮影する、いわゆる「デジスコ」もどきで撮影しました。高価な望遠レンズの代用として、いろいろ試してみましたが、なかなか実用にはなりません。
「デジスコ」に使う望遠鏡と言えば、コーワ、NIKON、などの名前が浮かびます。PENTAXも健闘しています。
Nikon フィールドスコープ オリーブグリーン FSED50OG
- 出版社/メーカー: ニコン
- メディア: エレクトロニクス
Nikon フィールドスコープ チャコールグレー FSED50CG
- 出版社/メーカー: ニコン
- メディア: エレクトロニクス
でも、私が使っているのは、予算の関係で、vixenジオマ52S。
Vixen(ビクセン) 直視型フィールドスコープ 接眼レンズセット ジオマII ED52-Sセット 18053-0
- 出版社/メーカー: VIXEN
- メディア: エレクトロニクス
非常にコンパクトで携帯性もよく、目視でバードウォッチングするときなどは、コストパフォーマンスの高い優れものだと思っています。ほかを知らないので比較のしようもないのですが。
これを、一眼レフにつないで直焦撮影という方法も試してみました。まず「カメラアダプター」Gというものを望遠鏡の接眼部にねじ込んで、メーカーごとのカメラマウントに応じたTリングと呼ばれるアダプターをつけて、カメラのマウント部に装着すれば終わりです。固定絞りのマニュアル撮影になります。
Vixen(ビクセン) フィールドスコープ用パーツ カメラアダプターG 1836-09
- 出版社/メーカー: VIXEN
- メディア: エレクトロニクス
Vixen Tリング ペンタックス用(N)Tリング ペンタックスヨウ(N)
- 出版社/メーカー: VIXEN
- メディア: エレクトロニクス
私の技術では、ファインダーを覗くうちに目標を見失う、 マニュアルのピント合わせがシビアで、ピタリ決まる事は至難、暗くてぶれやすい、、、など、壁の大きさに負けて、挫折しています。
まだ、レンズの暗さに強いK5Ⅱでは試していません。いずれ試してみようと思うのですが、今、修理に出していて手元にありません。
この望遠鏡にコンパクトデジカメを取り付けて、ジオマ側で大まかにピントを合わせた後、カメラ側のオートフォーカスに任せると、「コリメート式」のAF撮影ができる。はずですが、カメラとの組み合わせが、相性があります。
ネット上にも、書店にもいろいろな案内が出ていますが、どれも、相応の予算を必要とします。
デジスコ ビギナーズブック―コンパクトデジタルカメラで手軽に楽しむ超望遠撮影
- 作者:
- 出版社/メーカー: 日本カメラ社
- 発売日: 2007/11
- メディア: 単行本
デジタルカメラ野鳥撮影術 プロに学ぶ作例・機材・テクニック (アスキームック)
- 作者:
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2012/01/31
- メディア: ムック
デジスコがわかる!―コンパクトデジカメで楽しむ野鳥撮影の世界 (アサヒオリジナル)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/11
- メディア: ムック
専門店から、適合カメラ用の接続器具も販売されています。
推奨の組み合わせがいろいろ紹介されていますが、購入する余裕が私にはないので、あり合わせの組み合わせをいろいろ試しました。
汎用の接続器具。目視とカメラ撮影とをワンタッチで切り替えることができ、幅広いカメラが利用できる。「これだ」と思って購入したことがあります。
Vixen デジタルカメラ クイックブラケット 39192-9 II 39196-7 デジタルカメラ デジカメ アダプター バルク品【並行輸入品】
- 出版社/メーカー: イオシステムズ.インク
- メディア: エレクトロニクス
使用感は、それなりに重くて、また切り替えにはねじ固定などの手間が必要で、微妙な動きで位置がずれるなど、私の議等では、手持ち撮影で使いこなすことは難しく、お蔵入りになっています。
最近、使い道はないかなと、手元に置いてながめています。
ほかに、あり合わせのカメラを繋いで楽しむ方法がないだろうか?
「ありあわせ」というのは、五百円とか千円とかでカメラショップに転がっているジャンクカメラを引き取って、利用してみたかったのです。しかし、これも壁は厚い。まず第一に、相性の問題があります。組み合わせによっては、画面がドーナツの穴のように、時にはもっと狭いのぞき穴のようにケラレてしまいます。この組み合わせをクリアーするのがひと苦労です。ここでも、先人の知恵や実験を素直に聞いて、従っていれば苦労はしないですんだのに。
「我が道」は茨の道か秋の暮れ
仮に多少のケラレを我慢しても、背部液晶だけのカメラでは、目的物をとらえてピントを合わせるという操作が、ハードルが高いのです。液晶の反射を防ぐためフードをかぶせるなどは必需品ですし、三脚で固定、レリースの工夫などと進んでいくと、とても「コンパクト」とは言えない大がかりなことになってしまいます。
これ以上、失敗談を書き連ねるのも退屈ですので、上記のムクドリのクローズアップ撮影の組み合わせについて、概説します。
私の所有しているレンズは、リーズナブルなこの2本です。目視の場合、明るいクリアーな像を結び、目視では不満はありません。
Vixen 接眼レンズ AL15-40(ズーム式) 185108
- 出版社/メーカー: VIXEN
- メディア: エレクトロニクス
ただ、私の持っているデジカメとの組み合わせでは、周囲が大きくケラレて使い物にならないので、接眼レンズは、取り外して、代わりに、クローズアップレンズを組み合わせて装着します。
私の場合、kenkoクローズアップレンズを複数枚組み合わせて使ってみています。光学的な理屈はわからないし、理解するつもりもないので、行き当たりばったりに実験した結果です。
Kenko カメラ用フィルター AC クローズアップレンズ No.5 58mm 近接撮影用 358061
- 出版社/メーカー: ケンコー
- メディア: エレクトロニクス
ジオマとクローズアップレンズを接続するためには、BORG社の望遠鏡パーツを使います。
また、クローズアップレンズをカメラに接続するためには、フィルターやテレコンバーター。ワイドコンバーターを取り付けるためのアダプターが用意されているカメラだと便利です。また、ファインダーがついたカメラというのも私にとっては必須です。PowerShot S3 ISは、それに当てはまります。ただ、この種の超望遠カメラでは、広角では大きくケラれ、最望遠のあたりで初めて、四隅の画像が写るようになります。
実は、OLYMPUS sp510 UZという機種も、中古で入手し、この方式の撮影に使用してみていました。記録メディアが、マイナーなXDカードである点、レスポンスが全体にゆっくりしている点など不満は残りますが、700万画素で、画像はこちらが上という印象でした。しかし、最近、突然寿命を迎えました。惜しいですが、修理費を出して修理しようとまでは思いません。
とりあえず、このシステムで、静止した対象物ならカメラに収めることができるようになりました。ただ、冒頭に述べたように
、周辺光量が落ちて暗くなっていること(ケラレ)、画像が不鮮明で色りもイマイチという欠点は、否めません。
わずかなケラレはトリミングでごまかせるでしょう。画像も、コントラストや、シャープ根巣の調整でいくらかは改善がききます。しかし写真展などで見るようなすっきりクリアーな、抜けの良い写真戸は、雲泥の差。悔しい限りです。
多くの先輩方のように、こんなレンズを使う方法があるかも知れません。そうすれば、一切の懊悩は雲散霧消してしまうかも知れません。
Canon 望遠ズームレンズ EF100-400mm F4.5-5.6L IS USM フルサイズ対応
- 出版社/メーカー: キヤノン
- メディア: 付属品
Canon 望遠ズームレンズ EF70-300mm F4-5.6L IS USM フルサイズ対応
- 出版社/メーカー: キヤノン
- メディア: 付属品
Canon 望遠ズームレンズ EF70-200mm F4.0L USM フルサイズ対応
- 出版社/メーカー: キヤノン
- メディア: エレクトロニクス
でも、これだと、カメラシステム全体の入れ替えが必要ですし、何しろ膨大な支出を伴います。それでは私の「けちけち路線」のコンセプトに反しますし、敢えてメジャーの道を選ぶを潔しとしない、これまでの私の全人生が否定されることになります(笑)。
歯を食いしばって(笑)今のシステムで行くなら、 こんな選択もあるでしょうか?
PENTAX スターレンズ 超望遠単焦点レンズ DA★300mmF4ED[IF]SDM Kマウント APS-Cサイズ 21760
- 出版社/メーカー: ペンタックス
- メディア: エレクトロニクス
サードパーティながら、これも魅力です。
でも、いずれも予算超過で、年金生活者の私には負担できません。
そんな時、先達の切り開いた「ジオマボーグ」という世界が、明るく輝いて見えるのです。それは、ジオマの対物レンズを、高性能のBORGのレンズと交換するという裏技です。
【送料無料】ボーグミニボーグ60ED対物レンズ [2260]
- ショップ: ビックカメラ楽天市場店
- 価格: 39,800 円
ここ何年も、誘惑に駆られながらこっそり覗いてみていたこの世界。この道は踏み込むべきか、遠ざけるべきか?向こうにあるのは天国か、はたまた地獄楽か?楽しい葛藤は今日も続きます。
今日のタイトルに話題を戻します。
「ないた赤鬼」などで知られる童話作家浜田ひろすけに、「むくどりの夢」という童話があります。こんなお話です。
ひろい野原のまん中に、古いクリの木がありました。
その中に、とうさんむくどりと子どものむくどりが住んでいました。
むくどりの子は、とうさんにかあさんどりは遠くに
出かけていっているときかされていました。
ほんとうは、もうこの世にいないのに・・
だんだんふしぎになってきたむくどりの子は、
とうさんにたずねます。
「いつかえるの?」「海をこえたの?」「山をこえたの?」
とうさんは、「ああ、そうだよ」とこたえます。
十日たっても二十日たっても、かあさんはかえりません。
ある日、木の枝にいちまいだけついていた枯れはが、
カサコソなりました。
むくどりの子は、その音がかあさんどりの
羽音のように聞こえてしかたありませんでした。
むくどりの子は、馬の尾の毛でその葉をむすび
風が吹いてもとばないようにします。
その夜、むくどりの子は夢をみます。
白い羽のとりが、巣の中に入ってきたところで目がさめます。
すぐに外に出てみると、かれ葉にうすい雪が
かかっていました。
- 作者: 浜田 廣介
- 出版社/メーカー: エニー
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
むくどりは、冬の鳥です。真夏日を重ねた今年の秋も、ようやくここに来て終息に向かうようです。今朝は思わぬ肌寒さです。
お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を存分に歌へ vol2 [文学雑話]
10月2日に書いた記事が冗長で読みづらかったので、分割しました。
10月に入ったのを機に、昨日から、これまでの敬体(です・ます調)を、常体(だ・である調)に切り替えた。我ながら、傲岸な物言いになっているが、入力の手間を省くのが本意なので、赦されたい。
イヌタデの花。「赤まま」「赤まんま」「赤のまま」などとも呼ばれる。赤飯に見立てて、ままごと遊びに使う。
赤ままの花は、おのずと、この詩を連想させる。
歌 中野重治
お前は歌ふな
お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな
風のさゝやきや女の髪の毛の匂ひを歌ふな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を排斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌へ
たゝかれることによって弾ねかへる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸廓にたゝき込め
作者: 中野 重治
出版社/メーカー: 日本図書センター
発売日: 2000/02/25
メディア: 単行本
イトトンボのつがい。かそやかなトンボの羽根の震えも叙情をそそる。
「赤ままの花」が象徴する幼い日の、穏やかで幸せなりし郷愁の世界も、「トンボの羽根」が導く甘やかな叙情の世界は、作者にとって、快く懐かしい居場所だったに違いない。だが、プロレタリア詩人の道に徹しようとす作者は、その叙情を「うそうそとしたもの」と断じ、これを投げ捨てる努力を、みずからに命じようとしている。
その美しいまでにストイックな、そして一種求道的な意気込みは、読者をして自ずと身を正させる勢いに満ちている。高校時代の私は、この詩を日記帳に書き写し、何度も復唱したものだ。
彼の小説『歌のわかれ』もまた、感傷的な叙情と決別して、現実世界の変革にたくましく取り組む道を選び取る若者を描いた。
だが、その無理な力こぶをゆるめて、 「お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌へ ---すべてのひよわなもの すべてのやわらかなもの 全ての愛しいものを 奪い去る暴虐に 立ち向かふ 真実の優しさを 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ」とでも、歌ってくれていたら、晩年の、ぎこちなく美しくない振る舞いに、自然のブレーキを掛けることもできたかも知れない、などと、無責任な妄想をしてみる。
大国主義ソ連の乱暴な干渉・介入等という、信じがたい政治の暗雲に翻弄されたとはいえ、その晩節はいただけないと思う。 ないものねだりかもしれないが、「叙情」とのつきあい方は、もっと自然体がいいのだろうと、この頃思う。
母さん今帰ったよ秋の暮れ 透 [木下透の作品]
だが、短歌会の俵万智が世に出るよりずっと昔だ。「斬新」な表現への希求は、寛容な心で是としていただけるとうれしい。
なりゆきで、俵万智ホームページ(http://www.gtpweb.net/twr/sakuhin.htm)から、自薦の百首の最初の方を少し引用させていただく 。
砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている(『サラダ記念日』)
寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら(『サラダ記念日』)
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ(『サラダ記念日』)
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋(『サラダ記念日』)
生ビール買い求めいる君の手をふと見るそしてつくづくと見る(『サラダ記念日』)
「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君(『サラダ記念日』)
サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)
- 作者: 俵 万智
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1989/10
- メディア: 文庫
若い、気鋭の歌人。という印象があるが、わたしよりわずか(笑)十歳年下であるに過ぎない(笑)。
しかれども、「最近の短歌ってこんなのをつくるのか?」と、どこかで聞いた感想を、「サラダ記念日」が話題になった頃の私は、つぶやいていた。
しかるに、今、若者たちにとって、万智ちゃんも、若い、気鋭の歌人じゃないし、心を打つ斬新な表現でもなく、教科書に載っている既成の(古くさい)言語表現の一つに過ぎないのだろう。
ちなみに、最近続けて話題にした尾崎放哉の句を、
「文芸ジャンキー・パラダイス」http://kajipon.com
中のページ
「咳をしても一人」漂泊の俳人
【 あの人の人生を知ろう~尾崎 放哉 】
osai Ozaki 1885.1.20-1926.4.7 (享年41才)
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic42.htm
から引用させていただいて、いくつか挙げておく。
ふとん積みあげて朝を掃き出す
青草限りなくのびたり夏の雲あぱれり
堤(どて)の上ふと顔出せし犬ありけり
夫婦でくしゃみして笑った
今日一日の終りの鐘をききつつあるく
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
ホツリホツリ闇に浸りて帰り来る人々
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる参考
月夜戻りて長い手紙を書き出す
障子しめきつて淋しさをみたす
こんなよい月を一人で見て寝る
船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる
浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
にくい顔思ひ出し石ころをける
雀がさわぐお堂で朝の粥腹(かゆばら)をへらして居る
犬よちぎれるほど尾をふつてくれる
何かつかまへた顔で児が藪から出て来た
雀のあたたかさを握るはなしてやる
ころりと横になる今日が終つて居る
一本のからかさを貸してしまつた
今日来たばかりの土地の犬となじみになっている
和尚茶畑に居て返事するなり
麦わら帽のかげの下一日草ひく
遠くへ返事して朝の味噌をすって居る
朝早い道のいぬころ
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
障子あけて置く海も暮れ切る
自分をなくしてしまつて探して居る
鳳仙花(ほうせんか)の実をはねさせて見ても淋しい
入れものが無い両手で受ける
月夜の葦が折れとる
墓のうらに廻る
あすは元日が来る仏とわたくし
夕空見てから夜食の箸とる
枯枝ほきほき折るによし
霜とけ鳥光る
お菓子のあき箱でおさい銭がたまつた
あついめしがたけた野茶屋
肉がやせてくる太い骨である
一つの湯呑を置いてむせている
白々あけて来る生きていた
これでもう外に動かないでも死なれ
やはり、斬新だ。
羽毛舞わせて食われる鳥を喰う鳥だ [折々散歩]
最近、尾崎放哉の句を斜め読みした影響か、リズムが移ってしまったかも知れません。
昔から、 放哉は好きです。
咳をしても一人 放哉
等は、特に好きです。どんな人生を歩んだ人だったか、など、ほとんど知りませんでした。 吉村昭の「海も暮れきる」は、克明な調査に基づいて書かれていて、彼の生活と句とが不離一体のものとして心にしみこんできます。
- 作者: 尾崎 放哉
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/02/06
- メディア: 文庫
放哉の句にはまた触れる機会があるとして、今朝の句。
OLYMPUS デジタル一眼レフカメラ E-420 レンズキット E-420KIT
- 出版社/メーカー: オリンパス
- メディア: エレクトロニクス
OLYMPUS マクロレンズ ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro
- 出版社/メーカー: オリンパス
- メディア: 付属品
OLYMPUS テレコンバーター 1.4倍 ZUIKO DIGITAL用 EC-14
- 出版社/メーカー: オリンパス
- メディア: エレクトロニクス
PENTAX 望遠ズームレンズ DA55-300mmF4-5.8ED Kマウント APS-Cサイズ 21720
- 出版社/メーカー: ペンタックス
- メディア: エレクトロニクス
今朝の狙いはこの実。これなあに?
「クサギ」の実でしょうか?葉に独特の臭気があるために「臭木」と名づけられたようです。
クサギの芽は、地方によっては、料理にも使い、岡山県吉備高原では、「クサギナ懸けご飯」を郷土料理として売り出しています。
これなあに?。ホトケノザかと思うのですが、ホトケノザは春の花ですよね?わかったら教えてください。
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時雨忌や出雲八重垣ひと巡り [今日の暦]
旧暦の今日は、芭蕉忌です。時雨忌(しぐれき)という呼び方は、以前紹介しました。他に、桃青忌(とうせいき)、翁忌(おきなき)との別称もあります。桃青は、芭蕉の別号です。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 松尾芭蕉
これが辞世の句。「奥の細道」の冒頭で、
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」
と書いた芭蕉は、自身も旅の途中に亡くなったのでした。
松尾芭蕉『おくのほそ道』 2013年10月 (100分 de 名著)
- 作者:
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/09/23
- メディア: ムック
おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き (角川ソフィア文庫)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/03
- メディア: 文庫
おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2001/07
- メディア: 文庫
その芭蕉が、出雲を訪ねた際に詠んだ句として、八重垣神社に句碑が建てられているそうです。
和歌の跡とふや出雲の八重霞 芭蕉
島根県立図書館の説明によると、この句碑は昭和11年6月に松江羽扇の会が建立したもので、「句は松尾芭蕉本人のものか疑わしいことがわかった。ただ、この句碑がなぜ八重垣神社に建立されたかは不明」とありました。
八重垣神社と言えば、 素盞嗚尊(スサノオノミコト)の作と言われるこの歌に縁のある場所。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 素盞嗚尊
【通釈】幾重にも雲が立ち上るという出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼる。私は、妻を籠らすために、宮殿に幾重もの垣を作ったが、その八重垣を巡らしたように、雲が立ち上るよ。
「松江観光公式サイト」に次の記事があります。
「( 八重垣神社は、)神話「八岐大蛇(やまたのおろち)」で、大蛇を退治した素盞嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなたひめ)が新居を構えた場所であることから、縁結びの 神社として知られています。宝物殿には、2人の姿を描いた壁画があり、神社の障壁画としては日本最古のものといわれています。稲田姫が自分の姿を映したと いわれる「鏡の池」には、硬貨を紙片に浮かべて早く沈むほど早く良縁に恵まれるというコイン占いがあります。」
紀貫之が書いた「古今和歌集仮名序」では、この歌についてこう述べています。
あらかねのつちにては、すさのをのみことよりぞ、おこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。[すさのをのみことは、あまてるおほむ神のこのかみ也、女とすみたまはむとて、いづものくにに宮づくりしたまふ時に、その所にやいろのくものたつを見てよみたまへる也、やくもたついづもやへがきつまごめにやへがきつくるそのやへがきを。]
【本居宣長訳】此の国土では、素盞鳴尊(すさのをのみこと)からさはじまつたわい。神代の時分には、歌の文字の数もまだ定まつた事もなし、ことのほか古風な事で、どう云ふ事をよんだものやら、その歌の心が、今見ては、わかりにくい事であつたさうな。さて人の代になつてから、かの素盞鳴尊から始まつた歌のとほりに、三十一字にさよむ事にはなつたわい。[すさのをの尊は、天照大神の御兄ご様ぢや。してその御歌と云ふは、女と一所に御住みなされうとて、出雲の国へ御殿をおたてなさるる時に、そのあたりへ八色の雲が立つたを御覧なされて、およみなされた御歌の事ぢや。《あれ幾重の雲がたつた、あの出る雲の八重垣わいの、吾が妻を入れる宮のために、あれ雲が八重垣を作つた、あの八重垣わいの。》]
上記の本文及び訳文は、から引用させていただきました。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kanajo.html
小学校六年生の学芸会で、私はスサノオノミコトの役を当てられ、この歌を口ずさむ場面がありました。 劇の筋はとっくに忘れてしまいましたが、この歌だけは何度も反芻して覚えています。ただ、私の暗唱では、「妻籠みに」が、「妻籠めに」だったと思いますが。
この夏の、小学校の同窓会で、スセリ姫を演じたきよちゃん(幼い呼び名で失礼!)が、この劇のことを話題にしてくれました。出席いただいたS先生が担任の、六年生の時でした。
学芸会の思い出としては、低学年の時、かずちゃん(幼い呼び名で失礼!)と手をつないで、歌を歌いながら舞台を横切った記憶があります。
うっすらと「堅雪〈かたゆき〉かんこ、しみ雪しんこ。」というフレーズにも覚えがある気がしますし、かずちゃんは、「私が妹で、あなたがお兄さん」と言います から、宮沢賢治の「雪渡り」だったのでしょう。幼くて内容のかけらも残っていないのが寂しい気がします。そう考えるとかずちゃんの記憶は、ずいぶん鮮明 で、やはり女の子の方が精神的成長が早いという傾向は、こんなところからも思い当たります。
雪わたり (大人になっても忘れたくないいもとようこ名作絵本)
- 作者: 宮沢 賢治
- 出版社/メーカー: 金の星社
- 発売日: 2005/11
- メディア: 大型本
そのほかの学年は、いわゆる脇役で、よく覚えていません。
「八雲立つ」は出雲にかかる枕詞とされます。そういえば、山陰本線の特急にも「やくも」があります。
そして、ギリシア出身のラフカディオ・ハーン も、この地に住み、小泉節子と結婚して日本国籍を得て、小泉八雲と名乗ります。「耳なし芳一」や「のっぺらぼう」「むじな」「おいてけぼり」などの昔話を,「怪談」として発表したのを始め。日本の風土や文化を海外に紹介する上で、功績大でした。
5年ほど前に出雲を訪ねた際の写真です。
これは、松江城。黒塗りの勇壮な城で、別名「千鳥城」と呼ばれます。
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工事場に薬罐残りて夕時雨 透 [木下透の作品]
時雨と言えば、この句が浮かぶ。
旅人と我名よばれん初しぐれ 松尾芭蕉
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 松尾芭蕉
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栴檀の枝あたりまで溢水す 透 [木下透の作品]
このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。
栴檀の枝あたりまで溢水す 透
前にも書いたが、私の故郷は、岡山三大河川の一つ 吉井川の支流にあたる「吉野川」の流域にある。三大河川の中でも、治水が遅れているとの指摘があるとおり、かつてはよく氾濫し、耕地や民家の流出・浸水被害がよくあった。
いつもは穏やかで優美とも言える川の流れが、突如として怒濤となって荒れ狂う姿は、被害を受けた方々には申し訳ないが、子供心に 一種の「小気味よさ」を覚えるものだった。堤から大きな網で掬えば、フナやナマズやハエといった雑魚が、大きなものから小さなものまで、バケツに一杯採れるという非日常も、気持ちを高揚させた。
学校帰りなど、川沿いに下校路をすすんでいると、みるみる水かさが増していき、茶色い水が渦巻きながら、一切合切を押し流していく。
炭俵ぼこりぼこりと流れゆく 透
芭蕉の句集の名にあやかったわけでもなく、実景を詠んだ。
川の匂いが一面に拡がり、鼻腔を満たす。胸一杯に吸い込むそれは、決して不快な匂いではない。
山土を 匂わせながら土砂崩れ 透
土砂崩れで、山の土があらわになった場所は、むせるような濃密な匂いが漂ってくる。山土の匂いに違いない。それは、「臭」の表記は当てはまらない「匂い」だった。自然の生命をはぐくむ故の、懐かしくかぐわしい「香り」「薫り」であった。
栴檀(センダン)は、オウチとも呼ぶ。樹勢強く、10m、以上の喬木となって枝葉を茂らせる。通行人に木陰を提供するために、全国各地の街道端や、農地の畦などに植えられていたという。
夏には青い実がなり、秋・冬にはそれが黄色く色づいて、小鳥たちに貴重な食糧を提供する。
私の毎日の散歩コースにも、何本も植えられていて、四季折々に装いを変える。
しょっちゅう写真に写しているはずだが、探してもすぐには見つからない。仕方がないので、今日の散歩で台風一過の姿を撮影してきた。
「栴檀は双葉より芳し」と中国のことわざに言う香木の栴檀は、別種だそうだが、誤解に基づくにせよ、その名前自体に、芳香を放つ香木というイメージがそなわっている。この 句は、洪水による浸水で,岸辺の栴檀の枝までが川水に洗われたという実景を詠んだ。烈々たる水しぶきを浴びて、栴檀の枝葉全体が、あたり一面に芳香を放っ ている様を想像していただけるとありがたい。
夏に高知であった同窓会で、世話役の一人で、司会やお料理のお世話をしてくれたH女史は、奇しき縁で高校の同級生でもある。その時の会話で、その彼女が、私のこの句を覚えていてくれたのは、感激だった。ありがとう。旦那さんの手作りのおでん、とても美味しくいただきました。
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フウウンキュウなる野分かな [折々散歩]
鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分哉 与謝蕪村
台風がくると、この句を思い出します。
「野分(のわき、のわけ)」は、野を分けて吹くから、台風の古称。鳥羽殿は、白川上皇、鳥羽上皇の離宮で、「鳥羽離宮」・「城南離宮」とも呼ばれます。平安末の、政争・戦乱の舞台ともなりました。
「鳥羽殿へ」の「へ」は、方向を示す格助詞です。「に」が、時間や空間における点を表し、「行く」「移る」「進む」などと一緒に使うと、「郵便局に行く」などのように目的地を表すことになります。それに対して、「へ」は、「南へ向かう」「あっちへ行け」というように、漠然とした方向を示すと言われます。
台風の激しい風が吹きすさぶ中、「鳥羽殿」の方角へ、五六騎の武者が疾駆しているのです。目的地が鳥羽殿であるかどうかの確証はありませんが、何やら政乱含みの緊迫した事態が、見るものをも緊張させるのです。
「風雲急を告げる」という表現がありますが、まさにそれです。『風雲○○城』という番組がありました。もちろん。「フウウン」と読みます。
この写真などは、さしずめ、「風雲常山城址」となりますか?
すると、これは「風雲麦飯山城址」
風雲の鴨川
風雲金甲山
『土佐日記』に「4日。かぢとり、 『今日、風雲のけしきはなはだあし』とて、船出ださずなりぬ。」(「忘れ貝」とあります。ここは、「かぜくも」と読むのが適当でしょう。
都が近づいて、心が急く作者一行なのに、「今日は風や雲の様子がチョーヤバイか」といって船頭さんが船を出さなかったのに、穏やかな天気だった、という記事です。
作者(仮名文字を使う日記を書きたいために、自らを女性に仮託して書いていますが)は、「ひもえはからぬかたゐなりけり。」(船頭の野郎は、天気予報もできないアンポンタンだったんだよね。チェッ!」てな具合に、船頭に悪罵を投げつけています。「かたゐ」は、教科書などでは、「田舎者」などの役を当てていますが、漢字では乞食と書きます。
室生犀星の有名な詩を引きます。
小景異情(その二) 室生犀星
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
この詩の「異土の乞食」も、「いどのかたい」と読みます。異境の地で落ちぶれて乞食暮らしをするようなことがあっても、故郷に帰ろうなんて思っちゃ ならにというのです。
野分を詠んだ松尾芭蕉の句を引きます。
茅舎の感
芭蕉野分して盥(たらひ)に雨を聞く夜(よ)かな 松尾芭蕉
この句は、松尾芭蕉が、深川のわび住まい「芭蕉庵」の入庵の時に詠んだ句とされています。作者三八歳の時で、いわゆる「蕉風」を確立していく時期の、印象深い句です。
芭蕉は、大きな葉を持つ、バナナに似たエキゾチックな植物。これを台風の雨と風が激しくたたいている様は、ドラマチックとも言えます。
詞書き(前書き)に、こうあります。
老杜(ろうと)、茅舎(ぼうしゃ)、波風の歌あり。波翁(はおう)ふたたび此の句を侘びて、屋漏(おくろう)の句作る。
其世の雨をばせをの葉にききて、独寝(ひとりね)の草の戸。
芭蕉庵は、あちこちから雨漏りするあばら屋。自分の詫びた境涯が、尊敬する杜甫(老杜)のそれと似ていることだけが、せめてもの慰めだと言うのです。
江戸俳諧が隆盛を示した、元禄・文化の2俳人の句を見ましたので、文政期を代表する一茶にも登場願いましょう。
裸児と烏とさわぐ野分哉 小林一茶
台風の持つただならぬ気配を敏感に察して、烏と子どもが騒いでいるのです。烏も子どもも、ともに、人為から遠い、言い換えれば、ありのままの自然に近い存在であり、とりもなおさず「神」に近い存在と言えるかも知れません。
この句の前に置かれているのがこちらです。
あの月をとつてくれろと泣子哉 一茶
やっぱ、子どもにはかないません!子どもは、「小型の大人」ではなく、 「神の代役」(柳田国男)であったのでしょうか?
台風24号は、日本海を北上し、山陽地方への影響はわずかで住みました。被害の大きかった地方の皆様、お見舞い申し上げます。
私の故郷は、岡山県三大河川の一つ「吉井川」の支流である「吉野川」の流域。かつてはよく氾濫する川でした。
これにちなんだ話題は、別項にて。
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夕映えに二日月を見た。 [折々散歩]
10月を機に、常体(だ・である調)に切り替えるといいました.確かに、入力はスムーズになって、初期の目的に合致したのですが、どう文章として落ち着きが良くないので、敬体(です・ます調)に戻します。気分で使い分けることもあるかも知れませんが。
夕方出かけた散歩は、もう薄暗くて、写したものはみんなぶれぶれでした。夕暮れのコスモス、夕暮れのセイタカアワダチソウ、夕暮れの月見草、夕暮れの遅咲きのキョウチクトウ、夕暮れのカラスウリ、夕暮れの富有柿、夕暮れの田園風景などなど、風情はありますが、みんなぶれぶれ。
夕映えは、それでも明るいので、それらしく写りました。
日没と相前後して、こんな月に気づきました。
この月はなんと呼ぶのでしょう?「三日月」のイメージよりもさらに薄くて、鋭利な感じ。「眉月」という言葉も浮かびましたが、調べてみると、これも三日月の別名だそうですね。「まゆづき」とも「ビゲツ」ともよみます。
月齢表を見ると、2.1と、微妙なところですが、「二日月」と呼ぶべきなのでしょう。
芭蕉の弟子の向井去来の俳文集『去来抄』に、こんな記事があります。
去來曰、二日の月といひ、吹ちるかと働たるあたり、予が句に遥か勝れりと覺ゆ。先師曰、兮が句は二日の月といふ物にて作せり。其名目をのぞけばさせる事なし。汝が句ハ何を以て作したるとも見えず。全體の好句也。たゞ地迄とかぎりたる迄の字いやしとて、直したまひけり。初めは地迄おとさぬ也。
凩の地にもおとさぬしぐれ哉 去來
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右肘手術?ただし皮膚科! [健康]
今日は、前々から、学生時代の同郷の旧友たちの再会計画を、M女史が企画してくれていた。車で二時間ほどの所にあるYさんの旦那さんの実家が会場で、Mさんが、落 ち合い場所で私を拾って、目的地まで運んでくれる手はずになっている。近隣在住者中心だが、兵庫、大阪に住むYさん、Kさんたちも、実家を集まる予定。懐かしく、心弾む企画だ。
当初、9月に計画されていたものの、事情で延期になっていただけに、待ち遠しさはひとしおだった。
が、こんな時は思わぬ邪魔が入るもの。
右肘が痛い!
「肘を痛めたって?ピッチャーでもやったのか?」とツッコム人もあるまいが、実は、先週、肘の皮膚を手術して、幾針か縫ってもらったのだ。
手術というと大仰に聞こえるが、「イボ」を除去する小手術だ。というのも、ずっと前から、右肘に小さな突起物があって、最近豆粒ほどの大きさのそれが、少々目立つようになってきた。何かと不快だし、ものに触ってこすれると痛い。2歳の孫娘なども、目ざとく見つけて、回らぬ舌で、「痛いの痛いの飛んでけ」などと言ってくれるし、退職して拘束される時間も少ないので、思い立って皮膚科医院を訪ねてみたというわけだ。
20
年ほど前か、それ以上になるだろうか、もう記憶も曖昧だが、最初は、
小さなニキビかなんかのように、毛穴のあたりにポチッとしたしこりができた。ギュッとつまんでしぼると、にゅるっと白い、ちょうど芥川竜之介の『鼻』に出て
くる禅智内供の、「虫」もかくやと思われる、ゲル状の脂肪様のものが出てきて、「ニキビ」は小さくなる。
放置しているとまた同じ状態になるので、それを繰り返すうちに、うっすら血が混じるようになる。というような経過をたどり、だんだん気になるようになった。
胃潰瘍の治療をしていた頃だから 今から10数年も前のこと。内科のついでに同じ病院の皮膚科にも寄って、相談したら、「尋常性のいぼですね。悪性のものではないでしょう」「気になるようなら治療しましょうか」というわけで、その時は液体窒素の塗布をしてもらった。
二度ばかり通ったが、大きな改善もなかった。長かった胃潰瘍の治療も、ピロリ菌の退治が成功して終わり、他地域の職場に転勤したこともあって、その病院とは疎遠となり、皮膚の治療もうやむになった。
それからかなりの年月が経って、脳動脈瘤で通う事になった病院でも、ついでに、皮膚科を訪ねてみた。そのときは、頬にできた黒い大きなシミを、周囲が「悪性のものでは?」と心配するので、診察を受けてみたついでに、肘のこと
も相談したが、「どちらも悪いものではないでしょう」「頬のは老人性のシミですね」と聞いて、「老人性」はショックだったが、若い女医さんから見れば「老人」に相違あるまいと、妙に納得して診察を終え、主要な関心事は脳動脈瘤と高血圧に戻った。
余談になるが、先日、何気なく聞いていたラジオから、童謡が流れていた。
「船頭さん」作詞:武内俊子 作曲:河村光陽
(一)
村の渡しの 船頭さんは
ことし六十のおじいさん
年はとっても お船をこぐ時は
元気一ぱい ろがしなる ソレ
ギッチラ ギッチラ ギッチラコ
(二)
雨の降る日も 岸から岸へ
ぬれて舟こぐ おじいさん
けさもかわいい 子馬を二匹
向こう牧場へ 乗せてった ソレ
ギッチラ ギッチラ ギッチラコ
(三)
川はきらきら さざ波小波
渡すにこにこ おじいさん
みんなにこにこ ゆれゆれ渡る
どうもご苦労さんと いって渡る ソレ
ギッチラ ギッチラ ギッチラコ
子供の頃は、何の違和感も感じなかったが、改めて聞いてみて、「ことし六十のおじいさん」という歌詞には、一人笑った。この話題に触れても、若い人は反応しない。別段可笑しくもないらしい。
ちなみに、この歌は、戦前の唱歌で、元の歌詞では二番三番はこうなっていたそうだ。
(二)
雨の降る日も 岸から岸へ
ぬれて舟こぐ おじいさん
今日も渡しで お馬が通る
あれは戦地へ 行くお馬
それ ぎっちら ぎっちら
ぎっちらこ
(三)
村の御用や お国の御用
みんな急ぎの 人ばかり
西へ東へ 船頭さんは
休むひまなく 舟をこぐ
それ ぎっちら ぎっちら
ぎっちらこ
歌は時代を映している。
さて、2007年と2013年の相次ぐ手術の成功で、脳動脈瘤と肺癌という巨大な関心事が、まずは意識から遠のいたおかげで、「イボ」のこともまた気にかかるようになった。これは「病気」とも言えぬ些細な「不快」であるが、「不快」であることは間違いない。
というわけで、たまたま、孫娘が皮膚炎の治療に通っている皮膚科を受診したところ、前述のように、切除手術となった。小手術ではあっても、三十分ほどもかかり、細い糸で幾針も縫われたあとは、小さくはない。取り除かれた患部は、ダイズというよりソラマメほどの大きさの固まりで、つまむとかなりの堅さのものだった。
肺手術のあとに加えて、今度の縫い跡で、なかなかのブラックジャック状態だ。
うかつと言えばうかつだが、今日は、その通院の予約を入れていた。深くも考えず、両方の予定を容易にこなせるものと、安直に思い込んでいた。昨日のMさんとの打ち合わせで、私の当初の計画のずさんさに気づかされた。
早朝医者の用事を済ませて、すぐさまMさんとの落ち合い場所に向かおう、と、ぼんやり考えていたのだが、二時間ほどの旅程であるので、それでは間に合うはずがない。
Mさんのアドバイスで、通院時間を夕方の五時頃に設定すれば可能であることに気づいた。
一件落着のつもりで、昨夜は寝床についたが、深夜、寝返りを打つ際に無意識に右肘に力が加わったのだろうか、その弾みで思わぬ痛みが走った。
今朝見ると、ガーゼの下に、出血が伺われるし、これまで以上に患部が腫れている。
というわけで、勝手ながら通院を優先し、再会計画の方はドタキャンさせてもらう事にした。
この辺までを書いて、朝の診療を受けるために医院を訪ねた。
出血あとと、患部の腫れを確認し、予定の抜糸を半分だけ実施。半分の糸は残しておいて、2~3日後に残りを抜糸することになった。
念のための組織検査では、悪性のものではないことがわかり、一安心。
頬の「老人性」の黒いシミも、前回処置した液体窒素の塗布の結果、かなりの部分がはげ落ちて、元の皮膚の状態に戻っている。残った部分に、もう一度処置。
というわけで、次回頃までには、もとの「美顔」にもどれるかもしれない。
黒と白にちなんで、今日見た鵜とサギの写真を貼る。カメラはPENTAX k10 、レンズはTAMRON SP500 レフレックスレンズ。
今日ぐらい明るいとシャッター速度が稼げる、、、はずだが、手ぶれ補正を使っても、簡易的にコンパクト三脚を使ってみても、なかなか手ぶれが避けられない。実は、橋の上の歩道から写しているので、自動車が通るたびに橋が揺れることも影響しているだろう。完全マニュアル操作だから、ピントもぴったり合わせるのは難しい、、、、。というわけで、いつもの事ながら満足できる写真が残らない。特に、遠い被写体を鮮明にとらえることはむずかしく、こんな事ならお手軽ズームの300mm側で撮って、トリミングした方がましだろうか?と悩む。
撮っているときは、ファインダーの中の望遠世界が魅力的で、それを覗く喜びを経験できることだけでも良しとするか、という気持ちもあるが、鮮明な画像が記録できればなお嬉しいのだが。
技量のせいか?レンズ個体の状態のせいか?レンズそのものの限界か?
渡り鳥が飛んでくる季節だ。倉敷川に、カモの群れが遊泳していた。
これはコンパクトデジカメの、PENTAX X5。
PENTAX X-5 クラシックブラック 1,600万画素 超広角-超望遠ズームレンズ 単3型電池仕様 デュアル手ぶれ補正 高速連写 X-5 CLASSIC BLACK 12764
- 出版社/メーカー: ペンタックス
- メディア: エレクトロニクス
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雨上がって秋桜の色改まる [折々散歩]
昨日、出産のため帰省している嫁さんを連れて、二男が一泊しにやってきた。
10月が臨月。産院には、実家よりも我が家が近いので、出産が近づいたら、我が家でしばらく滞在する予定だ。
娘夫婦も訪問してくれて、成り行きで一泊して帰ることになった。
長男と孫達も集まり、昨夜は大変賑やかな夜になった。
一夜明けて今朝。昨日の雨もあがり、まぶしい朝日の中、あちこちに秋桜が咲き誇っている。
さだまさしの作品に「秋桜」がある。山口百恵の歌声が流れていた頃、私たちは、嫁ぐ娘の側の年齢だった。
思えば、立場は変わり、送る側になった。昨夜はアルバムも話題の種になった。
だが、幸か不幸か、まだまだこの歌のような穏やかな『老後』は訪れてはいない。
秋桜 作詞・作曲:さだまさし
淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜まりに揺れている
此頃 涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす
ひとりごとみたいに 小さな声で
山口百恵 スーハ゜ー・ヒットコレクション Vol.2 DQCL-5004
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックダイレクト
- 発売日: 2012/02/23
- メディア: CD
雨上がって秋桜の色改まる
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「あめあめふれふれ」のこころだ! [折々散歩]
今朝は久しぶりの雨なので、傘を差してぶらぶら散歩した。
これ以上水没カメラ・水没レンズを作るのも嫌なので、今日の携行カメラは、PENTAX X5のみ。
PENTAX X-5 クラシックシルバー 1,600万画素 超広角-超望遠ズームレンズ 単3型電池仕様 デュアル手ぶれ補正 高速連写 X-5 CLASSIC SILVER 12775
- 出版社/メーカー: ペンタックス
- メディア: エレクトロニクス
今朝は、雨の影響で、被写体の種類が限られている。
散歩道では珍しい光景でもないが、黄金色に染まり始めた稲穂をバックに、アオサギがくつろいでいる。季節感が漂うワンシーンだろう。
歩きながら、自然と「♪雨雨降れ降れ」というフレーズが、頭に浮かぶ。「♪雨雨降れ降れもっと降れ」とい八代亜紀が歌った「雨の慕情」(作詞 阿久 悠 作曲 浜 圭介)ではなく、童謡の「あめふり」だ。
「あめふり」
北原白秋作詞・中山晋平作曲
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
蛇の目傘は、傘の中央にヘビの目のような輪の模様が描かれた、おしゃれな和傘で、装飾的用途で目にすることはあるが、実用の記憶はない。私の幼少期の記憶には、番傘があるだけだ。当時でも、一般家庭では、こうもり傘が優勢だったと記憶するが、小学校に常備してあった「置き傘」は、番傘だった。小学生の手には、ずっしり重く、油紙特有のにおいが印象に残っている。
蛇の目の模様を持ったチョウ。ジャノメチョウが、イノコズチの葉にくつろいでいた。
シジミチョウも、クローズアップ撮影。
日雇い母さんの歌
雨が降ると母さんの
「お帰り」って声聞けて
うちはうれしいけど
今日のごはんに困ります
夜もふけて母さんに
「ねなさい」ってしかられて
うちはつまんないねえ
封筒はりが手伝えない
朝も早く母さんに
「がんばれ」って手を振って
うちは考えるなぜ
働くものは貧しいの
うちは考えるなぜ
はたらくものは貧しいの
うろ覚えなので、ネットで検索してみたが、見つからない。この夏の、高知で開かれた学生時代のサークル仲間の「同窓会」で配られた、「記念歌集」に採られていたので、引用させていただいた。
作詞者も作曲者もわからないが、あるいはこの記事で「日雇いの母さん」と記述されている歌がそれかも知れないと、勝手に推測しているが、正確の所をご存じの方が会ったら、ご教示を願いたい。
百円玉二個と十円玉四個の賃金なので「ニコヨン」と呼ばれたと、小学校の社会科で習った。雨が降ると仕事がないので、暮らしに窮する。
当時は丸山明宏)の 「ヨイトマケの歌」の世界と二重写しになる。野太い美輪明宏の歌声も、迫力十分だが、意外にも?、大竹しのぶのCDに収められたそれが、情感が深くて素敵だ。
かつては、農村の女達が、現金収入を補うために土木作業に日雇いで働きに出た。私の母もその一人だった。近所の縫製工場に勤めたこともあったが、人間関係の煩わしさから、『土方』の方が気楽でよいと漏らしていた。
一番安定して長く勤めたのは、コンクリートブロックを製造する工場だったが、夏は暑く、冬は寒い肉体労働だった。
父親の転勤で、埼玉や千葉に暮らした頃も、食品工場やら、スーパーの掃除婦やら、様々なパート労働を転々としながら家計を支えてくれた。
共働きの家庭の子を「鍵っ子」と呼ぶことが当時広がった。私の田舎では、外出しても鍵など掛けなかったから、鍵こそ持たされてはいなかったが、学校から帰っても、家は留守だった。
だから、
「雨が降ると母さんの/お帰り」って声聞けて/うちはうれしいけど」
という 気持ちはよくわかる。
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チャボツレンズもまた楽し [折々散歩]
昨日は、午後から、先輩の「呼び出し」をうけて、指定の場所まで出かけてきた。
退職者の集まりの、お世話係の集まりを、お手伝いするということを、4月のはじめから約束していたのだけれど、予定外の病気・入院というハプニングがあって、果たせずにいたのが、改めてお誘いを戴いた。とはいえ、こんな不如意な状況で、とてもお役には立てそうにないが、声を掛けて戴けるだけでも、有り難い。できる範囲で、お手伝いすることにした。
数年~十数年ぶりにお目にかかる方も含めて、懐かしい顔ぶれにお目にかかりながら、つもる話に花が咲くいとまもなく、印刷物のセットや、封筒の宛名シール貼りなどを、もたもた手伝ううちに夕方がきて、残りの作業は来週、ということになった。
久しぶりに、和気藹々の時間を楽しむことができた。
その先輩のお一人が、私のブログを話題にし、温かいコメントを下さった。
ブログを始めたという案内は差し上げていたが、実際に頻繁に見ていただいているとは、恐れ多い。しかも、それは、デザイン畑を歩んでこられ、写真の専門家でもあるFさんなのだ。
写真に限らず、私のブログの内容は、その道の人の目に触れることを想定することもなく、勝手放題にでっち上げている。
素人の私が、知ったかぶりの蘊蓄と、拙い作品を遠慮もなく公表しているのは、素人ならではの怖いもの知らずのなせるわざだろう。そこはそれ、それが「等身大」の私なので、居直って続けようとは思うのだが、その道の人の目に触れていると気づくことは、たいそう面はゆい。
穴があったら入りたいのだが、肥満体を埋める穴は、世間にとっても迷惑千万かも知れぬ。
そんなこともあって、今朝の散歩は、「謙虚に、無心に、無欲に、自然体に、散歩自体を楽しむ」という本来のコンセプトを再確認しつつ、清らかな心で出かけることにした。
ただ、一つ気がかりな、昨日の散歩で水没、いや、正しくは茶没(チャボツ)した、「TAMRON BBAR MULTI C 2.8 135mm」が、ドライヤーによる乾燥を経て、どうなっているかを確かめてみたいので、このレンズを付けたk-10(AFADも装着)一台だけを持って出かけることにした。
今朝は、朝食に食べるものがないというので、コンビニで食パンを買うという任務も帯びて、出かけた散歩だが、やはりもう少し長いレンズを持ってきて来れば良かったと、後悔することになるのは、いつものこと。
これくらい写ればいいとしようか?色にじみが出るのは、デジタル時代以前のオールドレンズの宿命?絞りを少し絞れば改善されるというアドバイスも目にするが、実体験してはいない。
それより何より、あれ?絞りリングを色々に設定してみても、シャッター速度が変化しないぞ、、、?どうやら、絞りリングが機能せず、常に開放になっているみたい。レンズに「A」と「M」の切り替えボタンがついていて、「M」に設定すれば、マニュアル絞りが効くはずじゃなかったっけ?
今日の記事も、不遜な知ったかぶりに終始した。いつの日にか、納得できる作品をお目に掛けたいと思うのですが。
♪奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の陽が落ちる
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あな哀れ チャボツレンズに 秋の風 [折々散歩]
昨日、TAMRONのマニュアルレンズを話題にしたので思いついて、今朝の散歩は、 tamron BBAR MULTI C AUTO 135mm F2.8という単焦点マニュアルレンズに、1.7倍の「AFアダプタ(afad)」を付けて、「マニアック」な散歩を楽しもうと思った。
実は昨日の夕方は、ひさしぶりにpentax K-mを持ち、二本あるおジャンクレンズTAMRON80-210mmの、朝とは別のを持って、写りを確かめてみた。
すると、朝の個体よりも、心持ちこちらの方が状態が良い感じがする。 これなら、また使ってもいてもいいレベルだろう。
夕映時だったので、広角系の画角も写しておきたくて、DA35mmというお手軽単焦点レンズにお出まし願った。安くて軽くてコンパクト、省けるものは色々省いたレンズで、みたところチープなプラスチックマウントだけど、写りは上等だ。気に入って、よく使っていたが、なんだか大事なときに失敗画像が出るようになって、信頼感がうすらいでいたのだが、ちょっと前、カメラの点検に出したら、レンズのピント位置に狂いがあったことが発見されて無料で、調整の上、帰って来た。
PENTAX 標準単焦点レンズ DA35mmF2.4AL ブラック Kマウント APS-Cサイズ 21987
- 出版社/メーカー: ペンタックス
- メディア: エレクトロニクス
保証書というものは有り難い。ジャンク品では、こうはいかない。と、つくづく思う。
さて、そのDA35mmの画像。結構、いいではないか。
というわけで、今朝は、「tamron」と「単焦点」の両要素を満たすレンズ、「tamron BBAR MULTI C AUTO 135mm F2.8」を引っ張り出してみたのだ。これは、ヤフオクで手に入れたもので、おなじtamronでも、かなり世代が旧いレンズらしいが、描写は気に入っている。ただ、用途が限られるので、いつも持ち歩くことにはならない。
F2.8 の明るさがありがたく、一段二段絞っても「AFAD」が働き、かなり軽快にピントがあう。
描写はこの通りで、満足のレベルと言える。
傷心のうちに帰宅し、ティッシュで拭いたが、レンズ内部までびしょ濡れで、効果がない。
今日は、先輩から「呼び出し」をうけたので、これから、気を取り直してお出かけ。よって今日の記事はこれにて終了。
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お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を存分に歌へ [折々散歩]
10月に入ったのを機に、昨日から、これまでの敬体(です・ます調)を、常体(だ・である調)に切り替えた。我ながら、傲岸な物言いになっているが、入力の手間を省くのが本意なので、赦されたい。
まもなく天気が崩れそうだというので、晴れているうちに、今朝も散歩に出かけた。
今朝の携行品は、PENTAX K10に、Tamron80-210 (1:3.8,1:4.0/210)というオールドマニュアルレンズ。 そして、レンズとカメラの間に、PENTAX AFAD×1.7という装置を挟むことにする。これはMF(マニュアルフォーカス九レンズを、AF(オートフォーカス)化し、同時に、1.7倍のテレコンバータの役割も果たすという「キワモノ」製品だ。
PENTAX社は、ユーザーが過去の資産を利用し続けられるよう、互換性を保ちながら新製品を開発するというコンセプトを保ってきたメーカーだと言える。フィルムカメラ時代、同社が、Minolta社の後を追ってAF(オートフォーカス) 路線に参入したとき、Minolta社が採用し、後にCANON社はじめ各社も追随した、新開発のマウントにより新たなAFシステムを開発するという路線を取らず、これまでのKマウント・KAマウントとの互換性を担保しながら、それをAF化したKAFマウントというものを開発・採用した。このおかげで、マニュアルレンズとしてなら、旧来のマニュアルレンズも、原則的にこれまで通り使える事になった。さらにありがたいことに、m42(スクリューマウント)レンズという、スーパー級のオールドレンズも、m42マウント→kマウントという、マウント変換アダプターを介しさえすれば、立派に使えるという楽しみを提供してくれている。
さらに、念の入ったことに、 MFレンズをAF化するという、夢のようなアダプタ-をも開発して、ユーザーに提供してくれている。この「AFAD」が、どれくらい市場に流通したものかは知らないが、SF7という初めてのAF機を購入したものの、AFレンズはSIGMAの望遠ズーム一本しか持っていなかった私は、これに早速飛びついて手に入れた。とは言え、所有しているレンズと言えば、昔の標準レンズだったSMCPENTAX 50mm F1.7と、Tamronの35-70mmというズームレンズだけだった。
AFADには、レンズf値が2.8以上の明るさが求められていて、f5.6程度まではかろうじて作動しないものでもないが、Tamronのズームレンズは、ほとんど実用に値しないし、50mm単焦点レンズも、出番が少ない。まさしく、猫に小判・豚に真珠 ・ 犬に論語 ・ 兎に祭文 ・宝の持ち腐れ・無用の長物そのものだった。というわけで、早い時期に手放してしまっていた。
ところが、デジタル時代になり、撮像素子のサイズの関係から、レンズの焦点距離が35mmフィルムカメラに換算して約1.5倍伸びることになり、望遠系マニュアルレンズの使い道が広がった。また中古市場・ジャンク市場には、お手頃価格のオールドレンズがたくさん転がっている。そして、望遠鏡のシステムを利用して超望遠の世界を安価で楽しむ「デジボーグ」とやらいうマニアの世界もあり、PENTAX機では、それが容易にAF化できるらしい、等という情報をちらりと目にし、いずれその道に踏み込むこともあるかも知れないと、とりあえず「AFAD」を買い直したのだった。私の使い道では、Tokina AT-X MACRO 90mm F2.5を装着すると、135mmマクロレンズという有能なAFレンズが生まれるので、これには満足している。(ただ重いという愚痴は、以前書いた。)
ところで、今日持ち出した Tamron80-210 (1:3.8,1:4.0/210)は、ジャンクコーナーで、アダプター付きで2000円前後程度だったか、小遣いの範囲で買ったものだ。
Tamron のマニュアルレンズは、アダプターさえ取り替えれば、各メーカーのカメラに装着できるという優れものだ。私は、以前にも書いた通り、 PENTAXのボデイに付属の標準レンズの次に、TAMRONのレンズを購入したので、pentaxkマウント用のアダプターだけは持っていたのだが、 AF時代になってレンズを手放したときに、一緒にアダプターも手放していた。惜しいことをしたと、いつもあとで後悔する。
そのアダプター付きのレンズなので、レンズが使い物にならなくても、アダプターが使えれば良しとしよう、という了見で買ってみて、なかなか使い勝手がよいので、後に、もう少し状態が良さそうなものを見つけて、はずみでまた買った。合計二本持っている。
ズームが、レンズを回転させる方式ではなく、前後に鏡筒を動かす方式で、しかもその操作によってレンズの長さが変化しない、というイイカンジの操作感なのである。嬉しいのは、全域でマクロ撮影が可能だと言うこと。210mmのマクロは、35mmフィルムカメラに換算すれば、210x1.5×1.7=535mm相当のマクロレンズという超絶の世界を楽しむことができる。はずであるが、なかなか満足の行く作品にならない。
やはり、Tokina AT-X MACRO 90mm F2.5や、「OLYMPUS E420」と「ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro」のコンビと比べると引けをとる。
OLYMPUS マクロレンズ ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro
- 出版社/メーカー: オリンパス
- メディア: 付属品
写りは、TAMRONのレンズらしく、結構発色も良く、ムードのある温かい絵が撮れるので、嫌いではない。ただ、レンズの個性なのか、私のレンズのカビやゴミの影響なのか、シャープさには欠けるし、色も偏りが気になる。
今日の撮影は、ファインダーを覗く限り「いいかんじ」と思えたが、仕上がりは今ひとつだったか。
マリーゴールドの花に遊ぶヒラタアブ。トリミングと、コントラスト調整を施した。
イヌタデの花。「赤まま」「赤まんま」「赤のまま」などとも呼ばれる。赤飯に見立てて、ままごと遊びに使う。
赤ままの花は、おのずと、この詩を連想させる。
歌 中野重治
お前は歌ふな
お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな
風のさゝやきや女の髪の毛の匂ひを歌ふな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を排斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌へ
たゝかれることによって弾ねかへる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸廓にたゝき込め
冗長で読みにくかったので、以下、記事を分割した(vol2参照)
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八雲立つ出雲八重垣神無月なのだ。 [今日の暦]
10月に入ったのをきっかけに、これまでの敬体(です・ます調)から、常体(だ・である調)に切り替えようと思う。
その心は?と言うほど、たいした意味はない。ただ、文字入力の手間が多少は省けようかという、セコイ思いつきだ。
10月は、古くは神無月(かんなづき、かみなづき)という。収穫のこの月、諸国の神々が皆、出雲に集まって、サミットを開くという。諸国には.神がいなくなって「神無月」.逆に出雲には、神が集合して、「神在月(神有月)」と呼ぶそうだ。
日本では、ありとある事象に神が宿るという「汎神論」が根付いていて、やおよろづ(八百万)の神々がいたという。従って、諸国の神が、全員出雲に集まると、総勢八百万の大集会になる。
古代出雲大社は、高さが48m、15階建てのビルに匹敵する巨大木造建築物だったというが、それくらいの器がなければ、神々が収まりきらなかっただろう。参考サイト
以前、長女に連れられて、出雲に出かけたことがあった。いつのことだったか記憶があいまいだったが、確かめてみると2008年の夏だった。思えば、脳動脈瘤手術から間もない頃だったが、元気に旅を楽しめた。
その時の写真を、当時使用していたパソコンのハードディスクの底の方から苦労して探し出した。
「八雲立つ出雲八重垣」の話題は次回。きょうはここまで。
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