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タヌキのタカラ?、の巻 [日録]

昨日の「9の日行動」について、世話役のQ様が、今朝、フェイスブックに投稿して下さっています。これまた無断で借用御免(_ _)


昨日は我が町の9条の会のスタンディングの日でした。青い空のもと気持ちのよい時間を地域の方たちと共に過ごしました?車の中からチラ見をする方もいました。旗が目立っていたのでしょう。平和憲法を守ろう?のスローガンはミャンマーの情勢を見るにつけ、切実な要求としてかがけていきたいと思いました?

写真の説明はありません。


抜けるような青空の写真が眩しいほどです。「安倍9条改憲NO」の幟旗には安倍=スガと書き加えなければなりますまいが、、、。


もう一枚スタンディングメンバーの写った写真も投稿して下さっていますが、正面姿がちょっと恥ずかしいので、割愛させていただきます。


ところで今日のタイトルの「タヌキのタカラ」とは?


タカラのタを抜くと、、、


そう、そのとおり、「カラ」ですね。


兄姉は新学期が始まり、小学校の入学式を目前に控えて、何がなし落ち着かない様子の女児は、ままに用意してもらったお小遣いと図書カードが入ったオサイフを抱えの中身をしきりに確かめています。ついでに、ジイジのサイフの中身も点検し、「お金がカラだね。」と確認してくれます。そうですとも、キホン、キャッシュレス決済で生活してますから、、、というのは、空威張りです(汗)


というような次第で、オサイフに優しいご近所散歩のお供をすることにしました。


カメラを持ちたいというので貸し与えると、こんな写真を撮りました(4月8日)。


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散り際の花を愛でながら、桜並木をグルリと歩き、 時々腰を下ろしてお茶にしたり、優雅なお散歩です。


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桜の木にはいろいろな鳥がやってきています。ヒヨドリ、スズメは定番ですが、しきりに囀りながら虫をついばんでいるのはこの鳥です。


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シジュウカラ。


始終空っぽのジイジのオサイフと同じです(このギャグも使い古しです)


シジュウカラは漢字で四十雀と書きます。この名の由来は、地鳴きの音に由来するとか、よく群れ、数が多いことを表すとか、1羽でスズメ40羽分の価値があるとか、諸説あるそうです。


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シジュウカラ(四十雀)とくれば、ヤマガラ(山雀)に触れないわけには行くまいと、今日は山雀探しに深山公園を訪ねてみました。ツツジが花盛りでした。


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しかし残念、珍しいことに、お目当てのヤマガラには会えませんでした。


でも、偶然にも、こんな生き物に出会いました。なんと、昨日から話題の、タヌキではありませんか。


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しかし、このタヌキ、どことなく貧相なんです。


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よく見ると、抜け毛が激しいようです。皮膚炎のせいかもしれません。


狸の宝、それはふさふさの毛皮であるかもしれません、、、お後がよろしいようで。

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イタチのタヌキ、の巻 [日録]

「ブロ友」momotaro様のブログ「日本の政治と地球の未来」の最新記事に、久し振りにテニスをやりました!という楽しく健康的な話題がありました。陽春(初夏?)の光と風に包まれて、新緑眩しい屋外で白球を追うのは、何と豊かなひとときでしょうか。


実は、私も今日の午前中、テニスならぬテーブルテニス(卓球)を、戸外ならぬ室内で楽しむ予定でした。年金者組合地元支部有志の恒例行事です。が、直前になって、ふっと思い出したことがありました。前々から、妻の歯医者の予約日なので、春休み中の孫の世話を、午前中引き受けていたのでした。それともう一つ、それ以上に忘れてはいけないことが思い出されました。きょうが9日で、地元「九条の会」の「9の日行動」の当日だったことです。ついうっかりすっぽかしたり、避けられぬ用事で不参加だったり、ということが続いていて、今回は何としても参加しなくちゃ、と思っていたのに、今日が9日であることを当日になってやっと気づく有様です。、、、で、孫には一時間ほど「自助」を要請して、辛うじて義理を果たすことができました。


いつも参加してくださる若き友人mikopon559様が、そのブログで、早速この「9の日行動」の模様を紹介しておられますので、記事を無断でお借りします(<m(__)m>)。


木かげなじかん


自然に優しいお話

今日は4/9。わが町「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
いつものように朝9時から1時間のスタンディングが行われました。
今日もまたまた!「約束」どおりの青空。
この不思議な「約束」は、どうやら、初回から今まで皆勤で参加されているA先生が晴れ男だからにちがいない、
ということで、皆の意見が一致しました(笑)
今回は、野鳥や花など、ブログでいつも素敵な写真を披露されているKazgさんと、身近な野鳥たちに思いを馳せながらのおしゃべりで時が過ぎました。
いわゆる「鳥バナ」…かな?(笑)
話題になった鳥は…
トビ、ヒヨドリ、キビタキ、オオルリ、ホトトギス、サンコウチョウ、フクロウ、ツバメ、チドリ、カワウ、カイツブリ、ハヤブサ、チュウヒ、ミサゴ、コウノトリ…
特に、Kazgさんがこの辺りで目撃されたというオオタカの狩りのお話には驚きました。
日に日に緑を増していく山々の姿は朝と夕方でもまたちがう…!というお話にも!
青空の下での自然に優しいお話は何とも心地のよいものでした。
吹き抜ける春風がノボリと横断幕をはためかせ、それを支え持つ左腕に少々力を要しはしましたが(笑)
行き過ぎる車の中からそれをじっと見つめるまなざしがあるから、ぐっと力が湧いてきた、今日のスタンディングでした。

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まったく記事の通りの、自然に優しいひとときでした。


その時弾んだ話題をもう一つ付け加えますと、いつもこの行動を中心的に世話して下さるQ様が、雑談で、最近ご自宅の庭にタヌキが寛いでいるところを数日続けて目撃、スマホで写真にも収めたと、画像を見せて下さって大いに湧きました。すると、各氏からタヌキの目撃談が相次ぎ、タヌキ談義に花が咲きました。


その話題の一つに、mikopon559様ご自身も、ご自宅の庭に寛ぐタヌキをご覧になったことがおありとか、、、。


そういえば、以前、SNS上でもこんな投稿を拝見しましたっけ、、、


に、にわで、た、たぬきが!

くつろいでいます

いやいや、やっぱり山に帰っていただかなくては。

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ところで、例のご親切なフェイスブックが、6年前の投稿記事を、思いださせてくれました。


2015年4月9日

昨日の写真、トリミングして、大きく見えるものをupしたつもりでしたが、ノートリの方を載せていました。upし直します。

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(以下写真省略)

やはり、イタチですかな?横から見たらはっきりしたはずですが、正面からだと、ふっくらして見えますよね。


実はこの写真、数日後のこの記事でご紹介しました。


一間(6尺)の大イタチ?の巻(2015-04-13)


(前略)

ところで、先日の「これなあに?」
イタチではないか?とご指摘いただき、だんだんその気になっております。

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正面からの撮影なので、ふっくら、丸々としていて、確信が持てませんでしたが、ネット上で検索参照してみて、どうもご尊顔が似ておいででですわい。

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日本には、「ニホンイタチ(本土イタチ)」と「チョウセンイタチ」の2種が生息していて、よく似ているそうですが、ニホンイタチは「茶褐色で、腹面は淡褐色。口元は白色」、チョウセンイタチは「背は黄色みを帯びた粘土色で額がこげ茶色。口元からあごの境にかけてくっきりした白斑がある」そうです。チョウセンイタチのほうが、尾が比較的長いのだそうです。

横から観察していれば、きっと、胴長体型だったのでしょう。尾の長さも観察できていれば、はっきり識別できたかも知れませんが、いろいろ総合してみると、これはチョウセンイタチということでよろしかったでしょうか?(この口調、染みついてしましました。)
ちょっとピンぼけですが、長い尾が少しだけ写っておりました。
昔々、NHKの子供番組で、「チロリン村とくるみの木」という人形劇がありまして、「イタチのプー助」君が登場しておられましたなあ。お声は、一龍齋貞鳳(イチリュウサイテイホウ)さんだった由。
こんな横顔だったような気がしませんか?

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ところで、この遭遇現場、はっきりイタチとわかる横向き姿も目撃したこともありますし、ほぼその近くで、この方にもお会いしたことがあるのですよ。
データの記録を確かめてみますと2010年のことでした。

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こんななぞなぞ歌をご存じでしょうか?

いたちのたぬき
作曲・うた:栗原正巳
作詞:うちのますみ・佐藤雅彦
いたちのたぬき
かにのかとり
さんまのまぬけ
おはしのおはなし
たまごとるタマ
ふろくふとる
バナナのバトル
はちまきまきとる
きゅうりのリトル
ジュースのストロー

そのこころは、
「いたち」から「た」を抜くと「いち」
「かに」から「か」をとると「に」
「さんま」の「ま」が抜けると「さん」
「おはし」の「おは」を「なし」にすると「し」
「たまご」 の「タマ」をとると「ご」
「ふろく」の「ふ」をとると「ろく」
「バナナ」から「ば」をとると「なな」
「はちまき」の「まき」をとると「はち」
「きゅうり」の「り」をとると「きゅう」
「ジュース」の「す」をとろう。「じゅう」になるでしょ。

おみごと!座布団一枚、ですな。

おあとがよろしいようで。


 


午後は午後で公私にわたってたっぷり用事がありましたが、「一から十まで」語ろうとすると、またまた冗長記事になりますので、今日はここまでと致します


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名残の桜、の巻 [日録]

子どもたちの春休みが終わり、今日は小、中学生の孫の始業式。新一年生の入学式は12日だそうです。


例年なら、満開の桜がちらほら風に舞う中で新学期が始まるところでしょうが、年々開花が早くなって、季節感が揺れています。


先週は初夏を過ぎて夏を思わせる暑さでしたが、、、


3月の終わり頃の最高気温(上・赤字)と最低気温(下・青字)。


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そして四月初旬。


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ところが、4日の日曜日、花散らしの雨の後、一気に気温が下がり、しまいかけていたストーブや冬物衣装をひっぱり出さなくいてはならないほどでした。


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最近散歩のお供に、サブカメラとして持ち歩いているricoh GXR+P10(28mm-300mm)にこんな画像が貯まっていました。


4月4日(日)


朝散歩の記録です。


桜は散り始めています。


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ムクドリです。


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これは、、、


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トリミングすると、左の方に、ムクドリ。



右の方にいたのはスズメです。



この日は、かなり本格的な雨が降り、ぐっと寒くなりました。


4月5日(月)


花はまだ枝に残っていますが、若葉が目立つようになりました。


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4月6日(火)


この日は、郷里に帰り、畑仕事などをしてきました。花と新緑が競い合い、山笑う景色が目を楽しませてくれます。残念ながら、写真に残すゆとりがありませんでした。


ベつのカメラの記録です。


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4月7日(水)今朝の気温は、冬さながらでした。


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朝の散歩道、思いがけない濃霧に包まれていました。


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シモクレンが満開。


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ソメイヨシノはまだ散り残っていますが、、


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ヤグルマソウが咲き誇っています。


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今日はこれにて。


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今日のお悩み、の巻 [日録]

わたし、悩んでいます。


こんなメールがきました。


いつもJcbカードをご利用頂きありがとうございます。
お客様のカードご利用内容をお知らせいたします。

ご利用カード:Jcbカード

◇利用日:2021/01/28 3:53:13
◇利用取引:買物
◇利用金額:36,201円

利用いただき、ありがとうございます。このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、カードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました。つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願い致します。お客様にはご迷惑、ご心配をお掛けし、誠に申し訳ございません。何卒ご理解いただきたくお願い申しあげます。ご回答をいただけない場合、カードのご利用制限が継続されることもございますので、予めご了承下さい。

▼ご利用確認はこちら
https://my.jcb.co.hfzgcj.com
弊社は、インターネット上の不正行為の防止・抑制の観点からサイトとしての信頼性・正当性を高めるため、大変お手数ではございますが、下記URLからログインいただき、 ※JCBカードログインはこちら
https://my.jcb.co.hfzgcj.com
  ▼ご利用通知サービスのサービス内容紹介はこちら
https://my.jcb.co.hfzgcj.com

※このメールアドレスは送信専用です。ご返信に回答できません。

■発行者■
株式会社ジェーシービー(JCB Co., Ltd.)
https://my.jcb.co.hfzgcj.com
東京都港区南青山5-1-22 青山ライズスクエア 〒107-8686  


指示されたURLをたどると、こんなログイン画面が現れます。


jcb01


疑わしい点を見いだすことは困難です。ページ上に設定されているリンク先もそれぞれたぐってみましたが、周到に作られています。


ところで、ホンモノのmyjcbログイン画面はこれです。


https://my.jcb.co.jp/Login


jcb02


見分けがつきません。


念のためにJCBのHPに掲載されているフィッシング詐欺にたいする警告を確認してみました。


https://www.jcb.co.jp/service/safe-secure/trouble/phishing-mail/


不審なメールがきた

JCBを装った不審なメールが配信されています。
事例をご確認のうえ、不審なメールにご注意ください。

不審なメールを受信した場合

JCBがメールで直接カード番号や暗証番号などを問い合わせたり回答をお願いしたりすることはありません。不審なメールを受信した場合は、メール内のリンクを押したり、リンク先のWEBサイトで個人情報を入力したりしないでください。

個人情報を入力してしまった場合

万が一、カード番号や暗証番号などの個人情報を入力してしまった場合は、カード差し替えのため、紛失盗難デスクへご連絡ください。

JCB紛失盗難受付デスク

フィッシングメールの事例

1.送信元が本物か確認してください

JCBから実際にお送りしているメールアドレスによく似たメールアドレスが使用されていることがあります。
JCBを名乗るメールを受信した際、必ずメールアドレスのドメイン(@以降)がJCBのものであるか確認してください。
また、次の点にも注意して、第三者がJCBを装ったメールでないかを確認してださい。

(1)宛先に自分以外のメールアドレスがはいっていないか

(2)個人情報の変更、入力を促す内容のメールではないか

(3)不明なファイルが添付されていないか

2.メール内のリンク先が本物か確認してください

フィッシングメールに記載されているリンクを押すと、フィッシングサイトへ誘導され、個人情報の入力を促されます。次の点などに注意して、URLが偽装されていないか、確認してください。

(1)URLがJCBのWEBサイトと類似の偽物でないか

(2)記載されているURLと、リンク先のURLが異なっていないか

(3)マウスオーバーしたときに表示されるURLがJCBのものか

JCBからのご連絡に関する事例や、よくあるご質問は次のリンクよりご確認ください。

JCBからの連絡に関するよくあるご質問

フィッシングサイトの事例

1.URLが本物か確認してください

フィッシングサイトは本物のWEBサイトとよく似ているため、見た目だけで判断することが困難です。個人情報を入力する前に、必ずWEBサイトのURLを確認してください。JCBのWEBサイトで個人情報入力を求める可能性がある主なURLは次の通りです。

https://www.jcb.co.jp/***

https://my.jcb.co.jp/***

<J/Secure(パスワード入力画面)>

https://acs.cardnet-tds.com/***

https://acs-jcn.dnp-cdms.jp/***

  • 「***」の部分の文字列は固定ではありません
2.URLが偽装されていないか注意してください

見た目はJCBのURLであっても、URLが偽装されたWEBサイトが表示されることがあります。次の点に注意して、偽装されたWEBサイトでないか確認してください。

(1)アドレスバーが表示されており、画像で上書きされていないか

(2)情報入力画面がポップアップで表示されていないか

(3)MyJCBのログイン画面でMyJCB ID/MyJCBパスワード以外の情報を確認されていないか

3.アドレスバーに鍵マークがあるか確認してください

アドレスバーに鍵マークが表示されていないWEBサイトでは個人情報を入力しないでください。また、パソコンから閲覧している際は鍵マークをクリックし、証明書の発行先が「JCB Co.,Ltd」となっていることを確認してください。

鍵マークはSSLという通信技術によってやり取りが暗号化されている場合に表示されます。鍵マークが表示されたサイトは改ざん・なりすましが防止され、「証人局」により身元が保証されていることを表します。

フィッシング対策の最新情報は「フィッシング対策協議会」のWEBサイトよりご確認ください。

フィッシング対策協議会


ところで、過去メールを探ってみると、以前にも、複数通届いていました。


JCBカードをご利用のお客さま
利用いただき、ありがとうございます。
このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、カードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました。
つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願い致します。
お客様にはご迷惑、ご心配をお掛けし、誠に申し訳ございません。
何卒ご理解いただきたくお願い申しあげます。
ご回答をいただけない場合、カードのご利用制限が継続されることもございますので、予めご了承下さい
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本メールに掲載されているすべての記事、文章等の無断転載を禁止します。
著作権はすべて、株式会社ジェーシービーに帰属します。
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もう少し前にも、、、


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カードが停止されたりするなどの不具合が発生している。
現在,クライアントにはオンラインログインによるアカウントのアップグレード認証を要求したり,IDを忘れて再登録したりしている ご不便とご心配をおかけしまして誠に申し訳ございませんが、何とぞご理解賜りたくお願い申しあげます。 下の【お問い合わせ窓口】まで認証や登録を行う                                MyJCBに登録済の方 ===================================弊社におけるセキュリティー対策について
弊社では、カードの不正使用を未然に防ぐためにさまざまなセキュリティー対策を実施しており、今回のご案内も未然防止策のひとつです。詳細は弊社ホームページ:「安心してご利用いただくために」をご参照ください。
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どの文面も、もっともらしいことが書いてあります。連絡先の住所や電話番号も、それっぽいですね。実際に電話して確認することはしていませんが・・・。念のために、指示されたURLをクリックしてみましたら、既知の詐欺サイトであることを警告するこのような表示があらわれました。やっぱりね。


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でも、冒頭に紹介しました最新のメールに記載のアドレスについては、警告が現れません。ひょっとしてホンモノ?という疑いが払拭しきれませんので、イチかパチか、カード番号とパスワードを入力してログインしてみようかと思ってみたのですが、、、。


わたし、悩んでます。


というのも、私、クレジットカードは何枚か持っていますが、よくよく考えると、JCBカードを持っていないのです(以前、使っていたことはありましたが、紛失したのを機に別のカード会社に乗り換えたのでした)。


おあとがよろしいようで・・・




付録は、きょうの「とりくらべ」。


朝、眼科に出かけ、そのあと、深山公園を歩きました。


ぽかぽか陽気に、梅の花も伸び伸びとほころんでいます。


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サザンカの花から花へと動き回って、吸蜜しているメジロ。


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あちらこちらで、何羽ものシロハラに会いました。


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このシロハラが採餌しているのは、足もとに散らばっている粒状のもの。


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よく見ると、この公園に住み着いているネコたちのためにどなたかが与えているペットフードらしい。ちょっと複雑な心境です。


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一生懸命木をつついて、虫を捕食しているコゲラ。


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以上は、OLYMPUS E-520+ZUIKO70-300mmで撮影。ほぼ満足の写りです。


次は、PENTAX K5Ⅱ+AFBORG 60EDで撮り比べ。


まずは、さっきのコゲラです。_K525118


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やはり精細度が高いです。


逆光のメジロは、画像調整したものの、やはりちょっと苦しいです。


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ヤマガラは沢山出てきてくれますが、ヒマワリの種を与えて餌付けし「手乗り」を楽しんでいらっしゃる散歩客のお邪魔をしては悪いので、邪魔にならない場面・タイミングを選んで写します。


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ジョウビタキ♂


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珍鳥には出会えませんでしたが、出てきてくれてありがとう。




午後は畑に出かけ、大根を引いたり、ジャガイモ栽培を前に、堆肥をすき込んだり、納得の一日・・・・・だった、と思いきや、大事な会議をすっぽかしたらしい事を、お友達からの別件メールで知りました。年末にガラケーからスマホに代え、予定表の管理をスマホに移行したのですが、なぜか今日の予定をメモしそびれていたものらしいです。


頻発する物忘れ、注意力減退、ポカ、うっかりミスの常態化・・・。「今日のお悩み」はこれです(トホホ)


【付録の付録】



デジタル大辞泉(小学館)の解説

ぽか

囲碁や将棋で、考えられないような悪い手を打つこと。転じて、するはずのないばかばかしい失敗。「ぽかをやらかす」


 


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年の瀬の備忘メモ(その2)、の巻 [日録]

まとめ書き備忘録の続きです


以前、こんな記事を書きました。


 


気がつけば へなちょこブログも三年目、の巻(2015-08-21)


「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉があります。
私も、おだてには乗りやすい体質と思います。
かといって、真実味のないご機嫌取りや、見え透いた社交辞令を真に受けるほど純真でもないつもり。
そういえば、啄木にこんな歌がありました。
へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

自負も矜恃も人一倍持ち合わせているが、自分の器を熟知しているのもまた自分。そのナイーブな内心を斟酌することもなく、むず痒いお褒めの言葉をいただいても、「へつらい」にしか聞こえず、かえって軽んじられている感じさえして、心は波立つ。というのでしょう。
よくわかります。
それとは対照的に、自分が日頃信頼を寄せる人,敬愛の念を以て畏れている人に、思いがけなく好意的なコメントをいただいたりすると、リップサービスと知りつつも舞い上がってしまい、良いところを見せたいと思ってしまうことがよくあります。はなはだ単純な性分だと思います。
最近、当ソネブロでお近づきになったmomotaro様が、その慧眼とバランス感覚の上に立った、緻密な文筆をもって、世に鋭く発信なさっていることは、皆さんよくご存じのところでしょう。
ご著書「友よ、戦争をしない世界を創ろう!」も,先般の入院騒動の後、amazonにて購入、一読させていただき、その平明,丁寧な論理に導かれながら,ともに考えを進めていくうちに,時代と生き方について深く考えさせられるという快い経験を、久しぶりに味わったことでした。

友よ、戦争をしない世界を創ろう! (ラミ叢書)

友よ、戦争をしない世界を創ろう! (ラミ叢書)

  • 作者: 桃山直太郎
  • 出版社/メーカー: 編集ラミ
  • 発売日: 2015/04/25
  • メディア: 新書

そのmomotaro様が、私の駄句や短歌のまねごとについて、望外のお褒めのコメントをくださるので、ことさら嬉しく、くすぐったく感じ、木にも登ろうか、穴にも入ろうか、という心境なのです。

ところで、私のへなちょこブログも3年目を迎えました。私にとっては、現在のところ、最も律儀におつきあいしている「趣味」はこれでしょう。

「趣味は?」と聞かれて答えに窮することは、子どもの頃からの習いでした。小中学生の頃は「読書」などと答えておりましたが、すぐに現実と離反するようになって、破綻に瀕してしまったことでした。
学生の頃「不平を言うこと」という名答を考案し(実はこれもある方からのパクリでした)、これは気に入っておりましたが、社会人になってからは自ずと出番がなくなりました。
以来、「無趣味」と答え続ける半生でした。
もちろん,一度や二度は興味を開拓せんと試みた分野がないわけではありません。
いや、結構あれこれ、入門書を買ったり、初級用グッズを揃えたり、人並みに熱中しかけたものもないわけではありませんが、,,いずれも上達思わしくなく、自然と沙汰やみとなっています。(中略)
「この人は凝り性だからね」と、中学校の頃、教師から何かの機会に批評された記憶がありますが、熱しやすく冷めやすい気質は,相も変わらずです。
さて、そんな私が、退職を前にして、内心焦りを感じた時期がありました。「~ねばならない」で生きてきて、その枠組みが外れると,自分を見失い,気力も生き甲斐も薄らいでしまう、なんてことになりかねない。「~ねばならない」から「~たい」への生き方の転換が必要だ。さしずめ「趣味をもたねばならない」と、思い至ったのです。やっぱり「~ねばならない」に縛られ続けていますが(笑)
そこで考えました。新たな趣味の必須条件は?
・やって楽しいこと。
・憂さを忘れられること。
・少しの努力で,長く続けられること。
・足跡が何か残ること。
・人と上達を比べられて落ち込まなくてもよいこと。
・出費が少なくてすむこと。
・体力、運動能力が求められなくてすむこと。
自覚的に、言語で意識したことはありませんでしたが,あえて箇条書きにすればこんな虫のいい条件がぐるぐる脳裏を回っていたのでしょう。
今思えば、「ブログ」という帰結は、結果的にですが、これらの虫のいい条件を、すべてみごとにクリアーしてますね。
私のブログ開始は、正確には、退職の瞬間から即時というわけではなく、いくらかタイムラグがありまして、癌手術を経てのリハビリ過程で、退屈しのぎのすさびごととして始めたというのが、経過です。
その時漠然と期待したのは、①忘れっぽい自分の備忘録(紙に書く日記は,続けられないので)、②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、③自分自身の何らかの存在確認、などの雑多な要素を、お気軽に満たしてくれそうだという点。今、三年目を迎えられていることをみれば、この予感は、まんざら外れてはいなかったようです。
もちろん、当初は予期してさえいなかった、「読者」の皆様や、「ブロガー」仲間の皆様方からの、閲覧、ナイス、コメントなどなど、多大な励ましをいただいたことが,継続の最大の支えでした。
何やら、「終わりの挨拶」みたいな流れになってきましたが、そんなことはありません。まだまだ、細く長く、続けるつもり、ひきつづき、よろしくお願い申します。


これを書いてから5年超の時日が経過しました。「光陰矢のごとし」とは抗いがたい真実です。5年も経つうちには世の中も変わり自分も変わりますから、執筆のエネルギー、モチベーションといったものも、徐々に薄れていくことは否めません。というよりも、当時は病明けの身体状況から、自身の興味関心も限られ、自己の存在確認と安否報告への欲求は切実なものでしたが、喉元過ぎればの喩え通り、もとの安逸な日常生活が舞い戻り、また一方で、なにかと瑣末な所用も生起してきて、これに忙殺されるうちに、ブログ更新が二の次三の次となって、今日に至っています。そうした中での10日以上の空白、、、。これは放置してもおけません。改めて初心に立ち返るの巻、です。




カレンダーのメモをもとに備忘録を埋めておきます。


12月19日(土)、今年度の退職予定者を囲むつどいに、退職教職員の会のメンバーとして参加しました。うんと若い世代、と思っていた人がもう退職?とおどろきます。休憩時間に声をかけてくれた人が、なんと新米教師時代の「教え子」。そうなんだ、彼らももう退職か、と感慨を抑えられません。


「先輩」退職者として、Tさん、Kさんがせれぞれの退職後の生活や思いを紹介。現役時代にもまさるバイタリティに富んだ生活ぶりは、いたく刺激的でした。


この日、敬愛するHさんの訃報を聞きました。


これまで、こんな記事で紹介したことがありました。


桑畑の歌から始まった、の巻(2015-07-14)


朝のニュースを見ておりますと、政府与党は、「新安保法制」について、すでに審議を尽くしたとして、既定方針通り15日の衆議院採決企図を公言しています。そのような中ですので、我がブログも、話題はそちらに傾きます。
日曜日に参加した、退職同業者の寄り合いのことを少し書きます。
親睦・友好を旨とする、本来の会の性格や目的に関わらず、安倍政治への不安や危惧、怒りや憤りに彩られた会になりました。
開会に先だって、アコーディオン伴奏によって、皆さんで歌を歌いました。
伴奏してくださるH先輩は、実は専門は理科(生物)なのですが、美術も絵画も堪能で知られています。お噂で聞き及んだところでは、若かりし頃は、平均台の上で横転も軽々こなされたとか。天は二物も三物も与えられるものですな。

導入で紹介された歌は、「汽車ぽっぽの歌」。
誰もが知っている童謡で、歌詞はこうです。

汽車(きしゃ) 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等(ぼくら)をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓(まど)の外
畑(はたけ)も とぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋(てっきょう)だ 鉄橋だ たのしいな

(中略)

が、その元の歌詞は、こうだったと、H先輩はおっしゃいます。

(一)
汽車汽車 ポッポポッポ
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に日の丸の
旗を振り振り送りませう
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳

歌の題も「兵隊さんの汽車」といい、御殿場小学校教師であった作詞者が、出征する兵士を見送る内容の歌として作ったもので、戦意を鼓舞するために歌われたが、戦後、今の歌詞に改められたのだそうです。


また、これらの記事でも。


「一本の鉛筆」から始まった、の巻(2016-07-04)


昨日は、退職同業者の親睦団体の会合に参加してきました。
去年のこの記事で書いた会合の、今年度バージョンでした。
桑畑の歌から始まった、の巻
H先輩のアコーディオン演奏と歌唱指導によって、冒頭歌ったのは、美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」。
この歌について、ウィキペディアにはこうあります。

ひばりが最初の広島平和音楽祭に出演するにあたって、総合演出を担当していた映画監督、脚本家の松山善三が作詞を、作曲を映画音楽の作曲で有名な佐藤勝が作曲をそれぞれ手がけた。なお、当初は平和音楽祭の実行委員長も務めていた古賀政男が作曲する予定であったが、古賀が体調を崩したため佐藤勝の作曲となった。『一本の鉛筆』と『八月五日の夜だった』は、ともに広島市への原子爆弾投下について描かれた作品である。
ひばりは、父の増吉が徴兵され、母の喜美枝がその間辛い思いをしていたのをそばで見て育っており、自身も横浜大空襲を体験していたこともあって、戦争嫌いだったという。そのようなこともあってひばりは広島平和音楽祭の出演依頼を快諾したという。
リハーサルでは冷房付きの控室が用意されており、広島テレビのディレクターがひばりを冷房付きの部屋に誘導したところ、ひばりは「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやき、ずっと猛暑のステージのかたわらにいたという。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。
それから14年が経った1988年、ひばりは第15回の「音楽祭」に二度目の出演を果たした。当時、ひばりは大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院した翌年であり、歩くのがやっとで段差を1人で上ることさえ困難な状況だった。ひばりは出番以外の時は音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという。翌1989年6月に、ひばりは死去した。

一本の鉛筆があれば
私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと 私は書く

一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと 私は書く


 


「子どもを守る歌(最終章)」から始まった、の巻(2017-07-11)


今年の総会も、H先輩のアコーディオン伴奏で「子どもを守る歌 (最終章)」の合唱から始まりました。(中略)(Hさんは)今年の作品展にも二点の絵画作品を出展されていますし、毎年欠かさず、数点ずつの作品を発表してくださっています。
ところで、「子どもを守る歌」(最終章)の歌詞は、こうです。

【作詞】上野 博子
【作曲】荒木 栄
国の隅々から 湧き上がる声は
子供を守る父母の 教師の叫び
初めて巻いたはちまきの 鮮やかな白さ
初めて組んだスクラムの力強さ
私は起ち上がった
みんなは起ち上がった
この闘いが平和を守る
「勤評反対!」
「戦争反対!」
子供達を 戦争へおくるな! 

曲の紹介で、H先輩もおっしゃっていたとおり、この作品がつくられた一九五〇年代後半の社会情勢を色濃く反映した「勤評反対!」という文言以外は、まったく現下の情勢をそのまま表現しているようではないかと、参加者一同、深く感じたところです。
ただ、念のために付け加えると、私個人としては、この最終章は、生硬なアジテーションの趣が強く、全体から切り離してこの箇所だけを取り出すと、いささか感情移入しにくいきらいがあると感じます。
やはり、この曲には、この優しくやわらかな歌い出しが、不離不可分と思えます。

子供達よ 健やかに育ちゆく 子供達よ
「先生!」と呼びかけて 今日も集まる
54人のつぶらな瞳 私の愛する 子供達よ
どう教えたらよいのだろう どう知らせたらよいのだろう
私の上に みんなの上に 覆い掛かる暗い影を
この影をこの暗い影を

一クラス54人という学級規模に、時代を感じます。108の瞳というわけです。それはさておき、子どもたちと教師とで織りなすささやかな平穏が、得体の知れない脅威によって脅かされている。その不安といたたまれなさを皮膚感覚として共感するところから、この曲は私の心に刻まれています。
過去記事で、この「子どもを守る歌」を話題にした最初は、2013年11月のこの記事だったと思います。一部引用します。

だまされも だましもせぬと 誓うた日

この詩(「戦死せる教え児よ」竹本源治)と重なって、しきりに頭をよぎる、歌の一節があります。

「子供を守るうた」

(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)

ねえ、みんな
この中に一人でも
わけも分からず
怒鳴られたり 笑われたり
人を蹴落として 自分だけがいい子になろうとしたら
どんなに どんなに 悲しいことだろう
御(み)国(くに)の為に 死ねと教えた昔
命を散らした教え子の顔が
目に浮かぶ 目に浮かぶ
良心の呵責が弱さを支え
平和を守る心が 私を鍛えた
明るい太陽の その下で
すくすくと伸びる子供達よ
笑い顔 おこり顔 おどけた顔で
野の花のように
美しく育てよ育て
平和な未来を 築くために

「勤評(キンピョウ)は戦争への一里塚」という合い言葉のもと、教師の「勤評闘争=勤務評定反対闘争」が、戦後間もない1950年代にたたかわれました。

日本が再軍備に向かう「逆コース」と呼ばれる一連の動きの中で、憲法と教育基本法(1947年版)の理想を諸改革が、次々と進められました。

その一環として、「勤務評定」により教師を序列化し、待遇に差を付け、お互いを競争に駆り立て、ひいては「お上」「御国」に盾つかない忠良な教師をつくり、子供の「人格」形成よりも 、「お上」「御国」に役立つ「人材」育成に専念させようとする動きがありました。(安倍さんと一緒やね。)

これにたいする「勤評反対」のたたかいは、「再軍備反対、戦争反対」のたたかいと一体のものでした。「子どもを守る歌」はこのたたかいを題材にし、それを励ますものでした。

この歌を、今の世に再び蘇らせなければならないのは悲しいことですが、子どもたちが、「野の花のように美しく」育つためには、知る権利と言論表現の自由、平和と真実の教育の自由が死活的に必須だと、改めて思うのです。


とりとめもなく思いが湧き出て、語り尽くせません。ご冥福をお祈りします。




このペースでは、一向に先へ進めませ。思い切って端折ります。


この間、何に時間を費やしたかというと、第一に年賀状づくりです。


着手は例年に後れを取ってはいないのですが、プリンターの不調に悪戦苦闘。モノクロレーザープリンターは、尋常に使えるので、宛名印刷は可能なのですが、デザイン面はカラー印刷したいのに、一台はインクトラブルで、何度もノズルクリーニングしても、インク交換してもらちがあきません。もう一台、以前使用していてトラブルが多いので予備役に引退させていたプリンタを試してみると、最初の何枚かは印刷できたのですが。紙詰まりが表示されてどうやっても解消されません。


このプリンター、コロナの影響で、一時期純正インクが店頭から消えて、入手できなくなっていたので、廉価な互換インクをネット注文し、年賀状印刷時期に備えていたのですが、インク交換が認識はされ、残量表示もされるのですが、先ほど述べたような印刷のかすれ、ノズルのつまりが頻出し、何枚もハガキをムダにしてしまいました。残量は大量にあるのに、思い切って新品と交換してもムダでした。


思い余って、プリンタを新調するしかないかと、パソコンショップ、電器店を何軒か梯子し、またネットでも色々と検索してみました。が、どうせ新調するならA3印刷可能なものがよかろうと物色するのですが、値段が折り合いません。結局、新調は断念して、ダメ元でインクを純正に変えてみることにしました。


すると、不思議なことにあのしつこいトラブルが解消したのでした。それにしても、どのメーカーも、純正インキは高額で、インクの売り上げで利益を上げようという戦略に、消費者は泣き寝入りするしかないのでしょうか(涙)


プリンターのトラブル対応もさることながら、住所録に沿って一気に印刷しきることをができなかったせいもあって、何十枚もダブリが出てしまいました。最寄りの郵便局ではクレジットの使用ができないといわれ、本局まで出かけましたが、窓口が長蛇の列。とても行列に加わる元気はありません。近くの銀行ATMで現金を引き出そうかと思って財布を探ると、なんとキャッシュカードが見当たらず青ざめて一端帰宅。めぼしい場所をしらみつぶしに探しても発見できず、またまた銀行と警察への紛失手続きが必要かと覚悟しました。


こんな記事をたびたび書いています。


トホホも積もれば山となる、の巻(2019-10-04)


トホホの話題はこれまで何度も書きましたし、読んで楽しい話題でもなく、我ながら執筆動機が疑われるところですが、詮ずるところ、愚痴を垂れ、鬱憤を晴らしたいのでしょうね。でも、今回ほどに重なると、鬱憤が晴れるどころか、気落ちして自己不信が募るばかりですが、「反省文」「始末書」のつもりで最近のトホホを箇条書きにします。

(中略)

倉敷に出かけた日、駅前の銀行に寄り、念のために資金を調達しておこうと、キャッシュコーナーに立ってカバンを探るに、カードケースにキャッシュカードが入っていません。あれ、またかと自己嫌悪にとらわれます。この日に限って、いつもと違うバッグを持ってきていたので、中身の入れ替え時に置き忘れてきたのだろうと思いながらも、あるいはどこかに落としはしなかったかと気が気でなく、せっかくの楽しいお酒の味が減殺されてしまいました。(トホホ)

家に帰りついたのは深夜に近かったのですが。そのあと、別のカバンやズボンのポケット、思いつく場所は根限り探しましたが見つかりません。念のために、よく落とし物を見つけたことのある自動車の運転席や助手席のシートの下部を、懐中電灯で照らしながら探しましたが、やっぱり発見ならず。翌朝、もう一度念入りにあちこち探すも、皆目見当たりません。そう言えば、以前こんなことがありました。

結果オーライ?ま、いいか、の巻

クレジットカードを使用して給油し、そのあとコンビニ店内のATMを利用して現金を引き出すことにしました。行事の参加費1000円の手持ちがなかったので。

銀行営業時間外の早朝でしたので、別途手数料を取られましたが、1000円札5枚を引き出し、ついでにペットボトルのお茶を購入してクルマに戻ります。いざ会場に向かって出発。その前にもう一度、念のために忘れ物がないか点検、、、してみますと、オヤ?さっき使った銀行カードはどこへやったかな?カードケースにも、バッグにも、胸ポケット、ズボンのポケット、どこを探しても見当たりません。いつもの失敗の教訓から、座席のシートの間、ダッシュボードの小物入れなどなど、あちらこちらを何度も探しますが、徒労です。

しばらくの間そうしてジタバタした挙げ句、さっきの買い物の際に落とした置き忘れたに違いないと結論して、もう一度店内に入り、店員さんに尋ねてみると、「届いておりません」との返事。これは、客の誰かが拾得して、ネコババしたか、はたまた警察に届けるかしてくれるのかと推理し、あの人かこの人かと、老若男女の挙動を観察してみますと、どれも怪しく見えます。

これは、大変。悪用された場合のことも想定し、銀行に連絡して利用中止手続きをする必要があろうかと判断。銀行の電話番号や、通帳の口座番号を確かめるために、いったん帰宅して、銀行に電話で相談しました。

電話口のお嬢さんが仰るには、「カードの解約手続きをしますと、見つかった場合、そのカードは使えなくなります。そのようなケースがよくありますが、もう一度よくお探しになった上で、後刻もう一度お電話いただくこともできます。直ちに解約もできますがどうなさいますか?」とのこと。電話口で悩んだ私は、「もう一度探してみる」という、当てのない選択肢を選ぶことにして電話を切りました。(中略)それでも念のためにと、再探索を試み、助手席のシートの下辺りをのぞき込んでみますと、そんなところに落ちてました。な~んだ、呆気ない。

いくら何でも、柳の下にそうそうドジョウはいません。今度こそは、いよいよ覚悟を決めて、銀行の営業開始時間を待って電話し、口座ストップの手続きをお願しました。電話受付でカードをストップするが、再発行手続きのために窓口で書類を作るよう言われました。ちょうどその日は、パートタイムの仕事でしたので、仕事外終わった後窓口を訪ねようと、重たい気分で仕事を終えました。

仕事場の駐車場に駐めた車のドアを、助手席側から開けました。重い仕事カバンや持ちものを積み込むためです。その時ふと、助手席のシートの下辺りに、輝くもの見つけました。カード君でした。何気ない風に、落ち着き払って寛いでいます。昨日見たときには気づかなかったのに、日中の光の中で、姿を現したのです。白日の下にさらされる、とはこういうことを言うのでしょうか。なんとも狐につままれたような幕切れです。

銀行窓口でカードを示すと、無効の処理をしたので再発行の手続きは必要で、ただし、元のカードがあったので手数料は無料。何日後かに書留で送られてきますとのこと。

被害甚少ですみましたが。トホホ感と消耗感にさいなまれます。


またまたドジの繰り返しかと自己嫌悪が募ります。念のためにと探った、数日前にはいたズボンのポケットを探ったところ、どうしたわけかカードが一枚、裸で突っ込んでありました。もはや発する言葉がありません。


すったもんだの挙げ句、ようやく投函を終えました。


第二は、ガラケーからスマホに変えました。


実は、これまでも、「格安スマホ」は利用してきました。それで別段不足はないのですが、電話番号やアドレスの継続利用をしたいので、日常の通話やメールのやりとりは、主としてガラケーを利用していました。このまま、ガラケーで通すつもりで、3月に新機種に代えたばかりですが、使い勝手が今一つで、だんだんと不便が募ってきましたので、機種代金1万2千円に目がくらみ、衝動買いしてしまいました。格安SIMの方は、月千数百円ですが解約し、端末は自宅でのWIFI利用で使いつづけることにしました。


環境が変わるということは、適応するために時間も手間も費やさなければならないということで、それを上回るメリットが得られるかどうか、まことに疑問です(汗)




第三は、TV録画用のハードディスクを衝動買いしました。
というのは、あるとき、自動車運転中にトイレを催し、大通り沿いの大型電気店に立ち寄ったところ、店舗統合による店じまいセールの最中でした。見るともなくぶらりと店内を眺めてみると、4テラの録画用HDDが、1万円を切っています。現在使用中の録画装置が満杯で、次々に番組を消去しないと次が入らない状態が続き、孫たちが、アニメだとか映画だとかを録画予約するので、私の『相棒』シリーズが危うい状況になっているところから、増設への欲望が慢性的に蓄積されていたのでした。
これまでUSBハブでHDDを3台つないで使用していたのですが、さすがに4台接続というのもはばかられて、「相棒」だけでほぼ満杯になりかけている2テラ(?)のHDDの中身を新HDDにダビングして、もとのHDDは取り外してもう一台のテレビに使おうか、などと楽しい計画を夢見ていたのです。しか~し、ダビングは一回に16番組だけが可能ということで、何度にも分けてダビングしなければなりません。ワンクールが終わりきるまでの所要時間は、バカにできない長さです。その間じっと見張っているわけにも行かず、夜中とか、外出中とか、ロスが生じるのは致し方ないことです。そんなわけで、ダビングが終了したのは、ほんさっきで、取りかかってから何日が経ちましたか、、、思わぬ手間がかかりました。
第四は黒ニンニクづくり。
初夏の頃に収穫したニンニクは、炒め物、スープもの、肉料理などなど、幅広い料理に愛用して、重宝していますが、食べきらないうちに、最近次々に芽が伸びてきています。それを土に植えてやれば、また収穫が期待できるのですが、実は既に来年用の植え付けは済ませていて、それは畑で苗に育っています。有効利用のために黒ニンニク作りに挑戦してみたい思いはずっと前からあったのですが、着手できないまま既にタイミングが遅れようとしていますので、4日ほど前にとりかかりました。相当くたびれてはいるが保温機能は利用できる古い炊飯器を、捨てずに保管していましたので、これを引っ張りだし、ネット検索したレシピ通りに、保温→発酵ンいチャレンジしているところです。日に一度は上と下とを入れ替えてやる必要があるそうで、これまた手間がかかります。強い匂いが漂います。これで成功しなかったらちょっと辛いものがあります、、、。




庭の水仙が、もう大分前から咲きそろい、よい香りを漂わせています。


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今日は散歩道で、いつの間にやらロウバイの花が咲いているのを見ました。マスクをしていても芳香が鼻腔に流れ込みます。PT286277


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ハクセキレイ


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ジョウビタキ♀


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ダイサギ


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コサギ


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コガモ


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カワセミ


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今日はこれにて。


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十日前の備忘録、の巻 [日録]

前回の更新から10日以上が過ぎました。


日々、何があったか忘れてしまうほどの空白です。カレンダーのメモを見ると、18日(金)教育相談ボランティア発行の会報「相談ネットワーク通信」の総集版=「相談ネットワーク30年の歩み」(直近10年分)の冊子を、長年支援を頂いている会員・団体の皆様に発送するお手伝いをしました。最寄りの郵便局まで、段ボール箱3箱にいっぱいつめた冊子を台車で2往復。途中路面電車の線路を横切る際に、大変難渋しました。高齢者の難儀ぶりを、遠巻きに気の毒そうに見守る市民のまなざしに、労りと同情を感じながらの作業でした。


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それから数日のうちに、何人もの方から、感謝や激励の言葉を寄せて頂いています。多額の会費・募金と手土産を携えて直接事務所を尋ねてくださった方もありました。


その夕方、久々の演劇鑑賞。


6月公演の予定がコロナ蔓延(第一波)の影響で延期されていた


劇団朋友公演『吾輩はウツである』。


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「児島玉野市民劇場」のHPから、「あらすじ」を囲繞しておき舞うす。


あらすじ

明治36年(1903)4月、小泉八雲が辞めさせられたことで学生たちの不満うずまく帝大に、夏目金之助(のちの漱石)が講師として赴任する。不穏な空気の中、学生たちの冷たい視線に晒される金之助は、毎日、不満と苛立ちを抱えながら教壇に立っていた。さらに、失恋で人生をはかなむ学生・藤村操が目の前に現れ、金之助の気持ちはますます不安定になっていく。

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そんなとき、一匹の小さな黒猫が夏目家に迷い込んだ。心を病み始めた金之助は、その黒猫と会話をし始める。しかし、その黒猫と会話ができるのは金之助だけだった。

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一方、病ゆえに突如として怒りを爆発させるようになった金之助に対し、妻・鏡子は一念発起。金之助の病を治すべく、ある行動を起こしたのだが・・・・・。

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YouTubeはこちら。


https://youtu.be/jZVUy3Jm7BY


漱石と「吾輩は猫である」については当ブログでも再三触れました。


例えばこの記事。術記念日(2014-07-23)。


2007年の脳動脈瘤手術のための入院生活の無聊を慰めようと、当時学生だった末っ子(二男)が、私に見舞いを持ってきてくれました。
手足や身体の麻痺が残り、本を読むためにページをめくるのも億劫だった私のために、ニンテンドーDSに添えて「DS文学全集」と「脳トレ」のソフトを買ってくれたのでした。
今なら、タブレット端末とか、スマホがあれば、十分、読書も音楽も動画まで楽しめて簡便な退屈しのぎができたでしょうが、当時のこととて、すでに時代遅れの「シグマリオン」(PDAとして用いるためヤフオクで入手していました)を持って入院していましたが、元々通信機能は契約もしていないので、ダウンロードしてためていた青空文庫のデータや、音楽データなどを再生させることは可能でしたが、面倒くさくて使う気にならず、せいぜい日記入力機器として時々使うだけでした。
ベッド脇のテーブルにおいていますと、若い男性看護師さんが「シグマリオンですか?ぼくも使っていますよ」と、親近感を示してくれたりしました。
退院後、次の入院がもしあった場合の備えのために(笑)、WILLCOMの「zero3」シリーズ(今日のスマホの黎明期の端末といえるでしょうでしょうか?)を何世代か、しかもその都度、型落ちで値崩れした頃に、買い換えて使いましたが、いずれも「帯に短したすきに長し」で、不満が残りました。

(中略)
話の筋をもとに戻します。二男が見舞いにくれたニンテンドーDSと、「DS文学全集」は、重宝しました。気力が続かないので、一回わずか数分間、2~3ページからせいぜい10ページ前後をちびりちびりと読み進み、どこまで読んだか忘れては引き返しという能率の悪い読書を、ノルマも目標もなく、気が向くままに進めたものでした。
ミステリー小説や軽読書程度が、よりふさわしいレベルの心理状態でしたが、この「DS文学全集」に収められているのは、青空文庫所収の旧時代の著作権フリーの「名作」だけですので、その中でも、気軽に読めそうな、夢野久作や、海野十三といったところから、芥川や、太宰、藤村など、なじみの深い作品をアトランダムに読む日々でした。
その中で、最も頻度高くページを開いて、最も長時間をかけて、読んだのは「吾輩は猫である」でした。
そういえば、定年退職で職場を離れるときにこんな退任挨拶をしました。

先ほどは、身に余るお言葉に加えて、過分なお餞別をいただき、恐縮しております。記念になる品物に換えて大切にしたいと思います。
さて、10年ひとむかしという言葉がありますが、私の勤続年数はそれを超えました。それは、2007年を境に大きく二つに分けることが出来ると思います。
2007年問題という言葉があります。一般に、戦後ベビーブームに生まれたいわゆる団塊世代の人たちが、大量退職することに伴う社会問題をそう呼ぶのですが、私には、もうひとつの2007年問題がありました。
その年の1月1日に、我が家の犬が,19歳で死にました。子犬の時、車にはねられて骨折していた捨て犬を、小学校低学年だった長男が拾ってきて飼い始めたのですが、人間に換算して90歳以上という天寿を全うしたのでした。
夏には、幼なじみの同級生が、病気で亡くなりました。小学校に入学したばかりの彼と私が、桜の木の本でツーショットで写っている写真が、アルバムに残っています。
それと前後して、敬愛する先輩教師が、退職間もなく亡くなりました。最初の勤務校以来のおつきあいで、無理にお願いして、私の結婚式の司会を引き受けていただいたこともありました。
私にとって、2007年は、このように、あの世とこの世の境目が薄らぐできごとが相次いだ年でした。
そして、その冬、私自身、脳動脈瘤の手術のために、大阪の病院に緊急入院しました。
(中略)
その時の生徒たちは、受験準備の限られた時間を割いて、みんなで千羽鶴を折ってくれました。病室に飾っていると、看護師さんや、見舞い客が、すごいなあと感嘆するほどに真心のこもった励ましで、本当にそのおかげで私は、手術に立ち向かうことが出来たと感謝しています。
結局、私は、彼らの卒業式にも出席できず、感謝の言葉を直接伝える機会もないまま、今日まできてしまいました。心残りの一つはそのことです。
クリスマスの夜、私は集中治療室のベッドに横たわって、どこかのラジオからかすかに流れてくるらしいジングルベルの音色を、かすかに聞いていました。ありがたいことに手術は成功し、命の危機からは脱することが出来ましたが、手足の麻痺、嚥下障害、言葉の障害など、いくつかの後遺症は残りました。言語聴覚士、作業療法士の先生の指導で、リハビリに励む毎日が続きました。
寝たきり状態から、車いすへ、次は歩行器、そして壁伝いの歩行から、杖をついての歩行と、少しずつ歩けるようになると、作業療法士の先生は、私が教員であることを知って、片手に重い本を何冊か持って歩く訓練など、職場復帰を想定したメニューを考えてくださいました。
言語聴覚士の先生は、「アメンボ赤いなあいうえお」など、定番の発声訓練とともに、文学作品の一部をコピーしてくださって、声に出して読む練習を続けてくださいました。
ここに、その時のコピーをもってきました。
いずれもよく知られた作品の冒頭の文章ですが、思い通りに発音することができず、再び国語の教員として教壇に立つ事など夢にも思い浮かべることすらできませんでした。
あれから5年が経過し、通常の文章ならまずまず読める程度には回復できた事に、我ながら感慨を覚えています。一つチャレンジしてみますので、聞いてください。
「吾輩は猫である」の 冒頭部分です。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮 て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。こ
の時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後猫にもだいぶ逢 ったがこんな片輪(かたわ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷ
うと煙を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
翌年の1月に退院し、自宅療養しながら、最寄りの病院でリハビリを続ける毎日でしたが、回復は遅々として進まず、職場復帰など先のことだとあきらめておりました。でも、当時の教頭が、学校へ出てきながら徐々にならすという方法もあるし、無理だったらまた休めばいいとおっしゃってくださいました。年取った私の母親なども「そんな体でがんばっているところをみせることが、生徒にとって励ましになる場合もあるじゃろう」などと言ってくれました。気は進まないけれど成り行きで復帰と言うことになりました。
4月からの復帰が決まると、住まいが近くだからと、K先生が、運転の出来ない私を、学校の行き帰りをまいにちお車に乗せてくださいました。先生の車からみた、通勤路の桜の花盛りが、美しくありがたく目に焼き付いています。本当にありがとうございました。
こんな状態の私を、学校中の先生方も、生徒の皆さんも、本当に暖かく迎え入れてくださり、お陰様で授業や仕事に大きな穴を開けることもなく、復帰から5年が過ぎました。私はついつい、自分のちからでここまで回復できたと慢心しておりましたが、今日の離任式を前に色々とふり返っている中で、本当に周りの皆さんに支えられ、はげまされて、今日の日を迎えることが出来たのだなあとつくづくありがたく感謝しているところです。
人生に「もしも」はないといいますが、もしも本校でなかったら、違った展開をたどっていたかもしれません。改めて、心から感謝を申し上げます。
【後略】


演劇中、登場人物(?)の黒猫が、朗々と(人間語で)語るこの冒頭部分を聞きながら、ごく個人的な感慨を覚えたものです。また、演劇中で、漱石家を頻繁に訪れ、物語の進行にも役割を大きな果たす登場人物のひとりとして、弟子の寺田寅彦があります。彼についても再再三話題にしたことがあります。


災難は忘れた頃か秋の雨(2013-09-01)

「天災は忘れた頃にやってくる」という警句もその頃教わったと思います。
これは、物理学者の寺田寅彦の言葉と伝えられていますが、著書・著作等にその証拠は確認できないとも言われているそうですね。自身、関東大震災に遭遇し調査も行うなど、地震、火災など災害の根本原理を科学的・合理的態度で解明しようとしたこの人なら、と頷ける伝承ではありますが。
寺田寅彦は、熊本第五高等学校で夏目漱石に英語を習い、後に東京帝国大学の学生時代以来、漱石の自宅に集う「木曜会」のメンバーとして、門下生の一に数えられています。漱石の「吾輩は猫である」で、苦沙弥先生の弟子としてしばしば登場する、気鋭の理学士水島寒月が、寺田寅彦をモデルとしていることも、よく知られています。
私は中学時代、この作品を洒脱なユーモア小説として読みました。漱石のもつ文明観や人間観の重さや苦さについては、とうてい思い至りもしませんでしたし、細かなデティルもすっかり薄らいだのですが、この寒月君の颯爽とした好男子でありながら、きまじめに「首縊りの力学」などに没頭している様や、甘い物好きで虫歯に苦しんでいる様などに、何かミスマッチなおかしさを覚え、印象に残っています。
私の2007年問題=脳動脈瘤の手術の後の入院中、読書等に向かう意欲も体力も伴わなかった頃、唯一枕元に置いていたニンテンドーDS(当時学生だった末の息子が、買ってくれました)で、DS文学全集なるソフトをひもとくのが、ささやかな娯楽でした。気力と体力に合わせて、時には数行、時には数ページずつ、ちびりちびりと読んだなかに「吾輩は猫である」があり、改めて漱石の言葉の端々に、含蓄と面白みを感じつつ、無聊を慰められました。


ところで、この日の演劇では、漱石が尋常の「気むずかし屋」の域を超えて、妻や子どもたちをも深く傷つけながら、胃痛と神経衰弱に翻弄されながら自己と格闘し、時代と格する姿が、痛々しく描かれています。とともに、世に悪妻の代表と評される妻鏡子を、情愛深く、かつ、肝の据わった、一個の「自立した女性」と描いています。これは、以前NHKで連続放送されたドラマ「夏目漱石の妻」を彷彿とさせ、興味深く観ました。


      

https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=3982


これらの「鏡子」像は、夏目鏡子著「漱石の思ひ出」を踏まえているのでしょう。この「漱石の思ひ出」は、鏡子の語ったところを、松岡譲が書き留めたものだそうです。その松岡譲は、漱石の門人中、最も若い世代に属する人物で、漱石の長女・筆子の夫として、漱石亡き後の鏡子らを支えた人でもあるようです。



漱石の思ひ出――附 漱石年譜

漱石の思ひ出――附 漱石年譜

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/09/15
  • メディア: 単行本



ところで、私は、このごろ毎週のように県立図書館立ち寄り、最近は落語や浪曲、朗読などのCDを借りて楽しむ習慣がついたことは書きましたが、もちろんたまには図書を借りることもあります。そのさい重宝しているのは、老眼にやさしい「大活字」の図書です。その中の一冊に半藤 末利子の『漱石の長襦袢』があり、大変面白く読みました。半藤 末利子は、その松岡譲と筆子の四女で、小説家半藤一利の夫人です。(恥ずかしながら、検索して初めて知りました)



漱石の長襦袢〈下〉 (大活字本シリーズ)

漱石の長襦袢〈下〉 (大活字本シリーズ)

  • 作者: 末利子, 半藤
  • 出版社/メーカー: 埼玉福祉会
  • 発売日: 2018/05/01
  • メディア: 単行本



漱石の長襦袢〈上〉 (大活字本シリーズ)

漱石の長襦袢〈上〉 (大活字本シリーズ)

  • 作者: 末利子, 半藤
  • 出版社/メーカー: 埼玉福祉会
  • 発売日: 2018/05/01
  • メディア: 単行本



人間漱石と、その家庭の様子、そして弟子達との交わりが、腹蔵なき生の声で語られていて、興味が尽きなかったことを、演劇を観ながら思い出していました。


私の備忘録は、まだ、たったの1日分。遅々としてはかどりません。


この日の朝の鳥を載せて、今回記事は終わりにします。


電線に止まるツグミ。


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電線に止まるスズメ。


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電線に止まるセキレイ。


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今日はこれにて。


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会食を伴う行き当たりばったりの「つどい」、の巻 [日録]

私も所属している年金者組合の地元支部が、昨日(12/15)、「忘年と歓迎のつどい」を開きました。会場は、私の居住地にはほど近いが、多くの参加者の方からすれば、ちょっと「お出かけ」観のある、玉野市深山公園。


ちょっと美味しいものを食べながら、最近新しく加入された方の歓迎会を兼ねて、忘年会を開こうということで、少し郊外に足を伸ばして、景観も楽しみ、懇親を深めようという企画でした。


年金者組合は、この間、全国で「秋の仲間増やし月間」に取り組んでいて、県内ではプラス50人の目標を達成しましたし、地元支部でも新たに3人を迎え、春以来、新しい仲間が10人を超えました。これはここ何年もなかったことです。


年金者組合は、若者も高齢者も、誰もが安心できる年金制度の拡充をはじめ、医療・介護など高齢者のくらしといのちを守る運動にとりくむと同時に、「ひとりぼっちの高齢者をなくし、みんなで、生きがいや、楽しみ、趣味などで生き生きと暮らせるように」(全日本年金者組合HPより)活動するところに存在意義があるはずです。それだけに、「楽しくなければ年金者組合じゃない」のモットーは、飾り言葉ではありません。


この「つどい」が計画された頃は、まだGOTOキャンペーンが「健在」な頃で、コロナの再蔓延は徐々に広がり始めていましたが、今ほどではありませんでした。また、いつになく暖かい冬で、散り残った紅葉なども楽しめるだろうか、そうでなくても、気分転換の散策もよかろうと、まずは食事処に予約を入れ、楽しみにしていたのですが、、、


ところが、コロナの広がりが、最悪の状況を呈しています。大人数の会食」を控えるべき事も、強く指摘されています。そんな状況だけに、会食の予約はキャンセルし、昼食は弁当でも調達するか、現地の軽食堂でも利用するとして、お出かけを楽しむ事を第一に、とにかく実施しようということになりました。


そうして迎えた当日は、何と今シーズン最大の冷え込みで、寒風が吹きすさんでいます。しかも、いざ現地に行って見ると、休憩や食事、お買い物場所として期待していた道の駅が、定休日。踏んだり蹴ったりです。


それなら中止、というわけにも行かないので、当初予約して、後にキャンセルしていた食事処を覗いてみると、席がすいている様子。というより、広々としてほとんど客の姿が見えない状況でしたので、急遽ここで「会食」とくつろいだ懇談を進めることができました。


こんな定食(2種類から選択)が、税込み1100円です。


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大変美味でした。


「5人以上の会食」は避けよ、というお達しには抵触する部分はあったかもしれませんが、八人でステーキ店で「忘年会(杉良太郎氏談)」をやってのけるガースー氏・ニカイ氏らの厚顔ぶりや、「12畳ほどの個室に(萩生田)大臣のほか、2人の男性と、芸者の女性ら少なくとも合わせて6人がいた。萩生田大臣と男性のあいだに芸者の女性がおり、向かいの男性の両脇にも芸者の女性がいた。テーブルの上には数本の酒の瓶が並んでいた」と伝えられる萩生田文科相の剛胆が明るみに出て、決して居直るつもりはありませんが、こちらは酒も芸者もない純然たる昼食を短時間ともにしたまで。店内は換気も行き届き、密は十全に避けられています。感染リスクは可能な限り回避されていたと思います。 


行き当たりばったりながら、結果として最善のチョイスとなりました。


食後の腹ごなしに散歩、と洒落るには寒風が厳しすぎるので、カモたちのいる池を見学。


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Mさんが途中で買って持って来てくれていた食パンを、てんでにカモたちに与え、童心に返ったひとときでした。


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ヨシガモも歓迎してくれました。


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当初、買い物を楽しむ予定でいた「道の駅」がおやすみだったので、代替として、少し車を走らせて、ファーマーズマーケットサウスビレッジに立ち寄ることにしました。新鮮野菜や果物など、思い思いの買い物を楽しむことができました。私にとっては、なじみ深い地元エリアですが、多くの参加者にはちょっとした旅気分を味わって頂けたかも知れません。


追伸


「年金者しんぶん」12月15日号(第372号)所載の「むしろ旗川柳優秀作」というコーナーの片隅に拙作も紹介されました。(プチ自慢です。)


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今日はこれにて。


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今年もイッキ、の巻 [日録]

昨日10月30日の午後は、「年金一揆」に参加してきました。私が、初めてこれに参加したときのことを、この記事に書いています


マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?(2013-10-19)


昨日、地方版「年金一揆」なるものに参加してきました。物騒な名前です。この「年金一揆」東京・日比谷野外音楽堂では中央集会が開かれ、2800人が参加、全国で同趣旨の集会やデモがとりくまれたそうです。

私も今年から年金受給者です(満額支給は、まだ数年先ですが)ので、先輩に誘われて「年金者組合」に加入しました。

収入が途絶し、年金のみに依拠する暮らしが始まったばかりで、不安がいっぱい。安心して生きられる世の中をめざして、弱い立場の者同士、力を合わせ、支え合っていくのは、大切なことですから。

(中略 )

さて、昨日の「年金一揆」。61歳の私は、当然のことながら、一番年下の部類で、80代、70代の皆さんも大勢参加されていましたが、皆さん、かくしゃくたる様子で、シルバーパワーを輝かせておられました。

県下各地の、思わぬ懐かしい先輩方の顔も、ちらほら拝見し、懐かしい思いをしました。新任の頃生活した土地でお世話になったHさんが、ご夫婦で参加しておられました。奥様には、実に三十数年ぶりにお会いした事になり(何かの機会に、お見かけしたことはあったでしょうが)、感慨深いことでした。ほかにも、あの方この方と、言葉を交わすことができ、ほっこり温かい思いをいたしました。

集会の後は、シュプレヒコールを上げながら、久しぶりのデモ行進です。沿道の市民が、物珍しそうにのぞき込みます。そもそも、最近ではデモ行進自体が、滅多にお目にかからぬ「レア」な「イベント」でしょうし、ましてや参加者がみんな白髪姿の「高齢者」ばかりときては、何事かと興味がわくのでしょう。通りかかりの外国人観光客でしょうか、カメラを向けてくるのも、くすぐったい感じです。


あれから7年にもなりました、高齢者を取り巻く状況、若者の「老後への不安」は、ちっとも改善されていない、、、ばかりか、大いにシンコク化してしまってます。毎年、毎年「年金一揆」を繰り返し、今なお筵旗を下ろせない所以です。


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振り返れば、こんな過去記事を書いてます。平日の実施ですと、退職後もアルバイトの都合で参加できない年もありましたが、今年からは完全に自由の身になりましたので、まだまだ参加回数を更新することになりそうです。


ネンキンに関心あり、の巻(2019-10-28)


悪いマクロと良いマクロ?の巻(2019-08-19)


イッキイッキ!の巻(2018-10-16)


「年金裁判」は何に貢献するか?の巻(2015-09-26)


ところで今年の年金一揆は、屋内で実施されました。ひきつづき、大詰めを迎えた年金裁判の「模擬裁判」が行われたからです。チラシには、こうありました。


模擬裁判実施します!!
当日14:00から16:00まで

証人尋問裁判の模擬をします!

次回口頭弁論11月24日にむけて、模擬練習をして、本番に臨みたいと思います。7人の証人の尋問を模擬で練習します。裁判当日の傍聴に人数制限がありますので、ぜひ見たいですね。


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厳選された原告側証人は、現役世代代表のYさん、国鉄労働者OBのMさん、低年金を強いられている女性の立場からTさん、Iさん、Kさん、現役時代地方公務員として国民年金への加入を訴えてきたAさん。当日、地元での活動のため、やむなく欠席されたNさんの年金切り下げが地域経済に及ぼす悪影響についての陳述内容は、担当の吉村弁護士が概説されました。いずれも、それぞれの人生の重みがにじみ出る「証言」で、短い時間ながら、深く心を打たれました。「短い時間」とはいうものの、その「思い」の切実さは並々ではなく、勢い当初の予定を遙かに超えて、終わりは夕暮れ迫る頃となりました。


ところで、前日の10月29日は、年金者組合地元支部の「昼食とくつろぎのひととき」を楽しんだばかりです。秋晴れの行楽日和ですが、コロナの日々、例年恒例の旅行も、会食も避けなければなりませんから、『ふれあいセンター』での、ささやかなランチタイムをご一緒したのです。そのうちの五人とさらにもうお一人が、年金一揆と模擬裁判の一連の行動に参加しました。お互い様ながら、お疲れ様でした、、、。


朝散歩の画像を載せておきます。


昨日(10/30)の夜明け方です。


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RICOH GXRに、スーパータクマー(Super Takumar)1:1.8/55mmでの撮影です。


続いて今朝(10/31)。


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RICOH GXRにカメラユニット「RICOH LENS S10 24-72mm F2.5-4.4 VC」を装着。広角側の24mmでの撮影になります。1/1.7型有効1,000万画素CCDというスペックですが、なかなか優秀な写りと思います。


今日はこれにて。


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ちょっとフライング、の巻 [日録]

二つほど重なっていた仕事が、少し片付きました。その一つに関係するのですが、私が編集のお手伝いをしているある冊子が、大体発行のめどが立ちました。その冊子には、「埋め草」として、こんな文章を投稿しておきました。日の目を見るのは今しばらく先ですが、フライングはお手の物。ホットなうちに、ちょっと紹介させていただきます。


衣の下の鎧が丸見え-菅新政権の1ヶ月

病気再発を理由に、突如政権を投げ出した安倍晋三氏の「後継」「継承」を標榜して、菅新内閣が誕生しました。「たたきあげの苦労人」「気さくな人柄の令和オジサン」「パンケーキ好きのお茶目な一面」という電通仕込み(?)のイメージ演出が効を奏してか、もはや「死に体」だった安倍政権末期の支持率低落の状況が、一気に回復を見せたかに思えましたが、どうやら、化けの皮が剥がれるのも早かったようです。
この政権移行は、モリ・カケ・サクラなど、自身(夫婦)に関わるあいつぐ疑惑の発覚や、拙劣極まるコロナ対策(無策)をはじめとする失政・悪政にたいする国民的批判の高まりが、もはやかわしきれない段階に至っていたもとで、政治の根本的転換を回避して安倍政治の継承・存続をはかろうとする日米支配層のサシガネによることはミエミエです。菅氏こそは、そもそも安倍悪政の「共同正犯」であり、安倍氏ほど「脇の甘さ」がない分、余計危険、とも言われます。
現に、就任早々、(将来の)消費税増税に言及し、国民の苦難には、まず「自助」で対処せよ、それで困ったら「共助」でやれ、いよいよ最後の「セーフティネット」の役割をのみ「公助」が担う、との姿勢を強調し、福祉・国民生活の一層の切り下げ方針をあらわにしています。
重大なのは、「学者の国会」とも呼ばれる学術会議の人事に、泥手を突っ込んできた一件にあらわとなった強権体質。まさに、衣の下の鎧が丸見えとなることで、国民の幻滅が広がり、それは急速な支持率低下に表れています。菅氏は、安倍政権時代常態化してきた官邸による強権政治の中心を担ってきた張本人で、人事権をタテに官僚を牛耳り、あるいは、マスコミに介入し、意に染まない分子は排除するのが、彼の磨き抜いてきた手法でした。今回の学術会議人事への介入は、その延長といえるでしょう。
菅首相は、例のごとく、「批判は当たらない」「学問の自由とは全く関係ない」と、スガ語法を駆使して、根拠も示さずオウム返ししていますが、この問題が学問の自由、ひいては思想信条の自由に直結することは明瞭です。なぜなら、何ら理由も示さず、学術会議からの推薦を受容したり拒絶することは、「研究内容の何が許容され何が排除されるのか?」「政権の意に染まぬ人物は排除されるらしい」etc.という疑心暗鬼を増幅させ、自主規制に次ぐ自主規制、忖度に次ぐ忖度を、学問研究の世界に蔓延させずにはいないからです。
学問研究の自由を揺るがすこの事態は、教育にとっても重大問題です。学問の自由・研究の自由が侵される状況下では、教育の自由もなりたたないからです。教育に携わる者すべてが、我がこととして、機敏に声を上げるべき時ではないでしょうか。


パソコンには向かっているのですが、他にもお手伝いしているHPの管理に手を割かれ、当ブログを更新する暇がありません。前回記事で紹介したオールドコンビ、RICOHGXRとオールドロシアレンズの組み合わせの画像を、ちょっと載せておきます。


まずは10月12日(月)の撮影画像です。郷里の老父母宅から1kmあまり離れた街並近辺のスケッチです。


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お次は、10月13日(火)のご近所散歩。


天気がよいので自転車で走ってみました。


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こちらの正面は常山。


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児島湖畔まで移動してみました。


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常山がこんな姿で眺望できます。


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悪い写りではないと思います。ただ、50mmレンズなので、APS-Cカメラだと約1.5倍、つまり75mm相当の中望遠レンズの効果になります。風景撮影では、広角撮影もしておきたかったので、OLYMPUSPL7に17mmレンズをつけて、大体同じような場所を撮っておきました。


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デジタル時代の危機だけに、シャープな絵を得られます。


どちらのカメラも、まだ飽きません。


今日はこれにて。


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コロナのもとの運動会、の巻 [日録]

小学校の運動会がありました。


去年は台風のため延期、ということだけ書いて、延期して実行されたはずの運動会の記事は書いていないようです。一昨年の記事が見つかりました。


雨のち晴れ、されどびしょ濡れ、の巻(2018-09-23)


予定されていた小学校の運動会を実行するか、延期するのかの判断は、AM6時に学校からのメールで知らされることになっていたそうです。結論は、予定どおり決行ということで、教職員、PTAの皆さん、早朝からグラウンド整備などの準備に大忙しのようでした。(中略)

綱引き。

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玉入れ。

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例年と同じように、賑やかに繰り広げられた運動会でしたが、何か足りない気がします。

上の二枚は、一昨年の秋晴れの運動会。

これは去年の薄曇りの運動会。

今年は、雨模様のお天気のせいか、万国旗が見当たりません。

それともう一つ、去年の運動会までは、競技や応援に元気いっぱいの姿を見せてくれていた男の子(現在小5)が、冬頃から学校に行き渋るようになって、まだ完全回復しておらず、この運動会への参加も心理的負担が大きかったようです。(後略)


今年も、一昨日から昨日にかけて、かなり本格的な雨が降りましたので、グラウンドの状況も懸念され、運動会の実施。不実施は今朝6時頃、保護者てのメールで知らされることになっていたそうですが、実施されました。ただし、コロナの影響と、雨の影響の二つが重なって、種目を厳選して午前中2時間弱の実施でした。ですから、万国旗は飾られませんし、綱引きも玉入れもありません。観客席はまばらですし。声を出しての応援も自粛で、静かでいささか寂しい運動会でしたが、児童達は元気いっぱいです。


そしてもう一つ特記すべきは、上の記事で小学校高学年のあいだ不登校気味で保健室登校を常としていた男の子が、中学生になってからは休むことなく登校し、運動部に属して朝練、休日練習、試合etc.と大忙しの毎日を送っており、今日は妹たちの運動会の見学に、家族で参加です。まだ、これからも行きつ戻りつでしょうが、エネルギーは蘇ってきているようです。


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午前中の早い時間に運動会見物が終わりましたので、私は、ちょっと車を走らせて、自然環境体験公園をあるいてみました。運動会撮影用のカメラとは別に、鳥捕り用のカメラが車に乗せてあるのが不思議です(笑)。


Pentaxk5Ⅱ+AFBORG 60EDという組み合わせはおなじみなのですが、今日は細かいところをちょっと「カスタマイズ(?)」しています。BORGの望遠鏡レンズをpentax機でAF化するため、F AFアダプター1.7Xを使用するのですが、このアダプターはF値が明るくないと作動しません(推奨はF2.8以上)。そこで、ケンコー製のクローズアップレンズをレデューサ(焦点距離を短くするためのレンズ)代わりに使用することで、F値を稼ぐのですが、これまでは、NO5のクローズアップを使用するのが常でした。f7.2のミニBORG45EDを利用する場合、これが実用的と思われるからです。しかし、60EDは、F5.8といいますから、度数の弱いクローズアップレンズでも必要な明るさが確保でき、その分望遠応力も高まる理屈なのです。いえ、もちろんこれまでに試したことがないわけでもないのですが、改めて実験してみたくなったのです。


曇り空で、余り光量がありませんが、この組み合わせでも、十分合焦するようです。


いずれもトリミング画像です。


コサメビタキでしょうか?


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セグロセキレイ。


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葉陰に光沢ある塊のようなものが見えたような気がしました。目を凝らすと、やはり見間違いではなかったようです。


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トリミングします。


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同じような姿勢ですが、沢山写しましたのでご披露しておきます。


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そう言えば、先日後楽園を訪ねたのは9月15日頃でした。


ここでも、久しぶりにカワセミに会ったのでした。


どこからか飛んできて、蓮の葉に止まりました。慌ててカメラの準備をしているうちに、またどこかへ飛んでいきました。神出鬼没です。


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この「花葉の池」には、真夏が開花のシーズンである一天四海(別名大名ハス)が咲いていました。


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後楽園ネタは、もう少しストックがありますので、またの機会に。今日はこれにて。


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雑録、の巻 [日録]

昨夜は、窓の外ではかなり激しい雨音がしていました。しっとり湿って涼しい朝でした。朝の空は、夏空のようにも秋の空のようにも思えます。いずれにしても、ひところの真夏の空気とは、少しずつ様子が変わってきています。


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朝散歩で出会うのは、いつものようにアオサギ。


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ダイサギ。


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ヒバリ。


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ハート型(?)のイトトンボ。


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午後も、自然環境体験公園を歩く事ができるほどの凌ぎやすさです。


ヤマガラ。


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逆光ですが、、。


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メジロ。


くすんだ色に写るのはなぜでしょう?


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シオカラトンボ。


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あと、ギンヤンマ、赤トンボ、コゲラ、カワセミなどに会いましたが、写せませんでした。


ここ数日、アベリタイアと、その跡継ぎづくりの大騒動が、姦しく報じられています。言いたいことがないわけではないので、ちょっと書きかけましたが、気分が乗らず、文章がまとまりませんので、今日は止めときます。また日を改めて書くかもしれません。


大坂なおみさんの活躍と快挙。そして臆することのないアイデンティティの勇気ある表明。憂きことの多い日々のニュースの中で、一服の清涼剤でした。


岡山では県知事選挙が始まっています。地元百貨店経営者出身の現知事、パフォーマンスはお得意だが、庶民・弱者には冷たい限り。



県民本位の県政への転換をめざして、「民主県政を作るみんなの会」から、森脇ひさきさんが出馬。


大いに期待したいです。




追伸 こちらのブログに詳しい政見や日々の活動が紹介されています。


https://hc3.seikyou.ne.jp/home/moriwaki/


今日はこれにて


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秋遠からじ?の巻 [日録]

梅雨明け以来、日照り続きです。地方によっては40℃を超えるところもあったとか。わが地方はそこまでではありませんが、体温に近い日々が続いています。


8/10 雲は広がっていますが、早朝から暑くなりそうな気配です。


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8/11 かかりつけ医に常用のお薬をもらいに行ったついでに、深山公園を歩いてみました。一歩日向に出ると、朝から激しい暑さですが、木陰は少し涼しさを感じます。


森の中は、ツクツクホウシの声で溢れています。時にミンミンゼミの声も聞こえますが、少し歩くとまたツクツクホウシにかき消されますです。我が家の近くの散歩道は、クマゼミの轟音で、耳が潰れそうですが、この公園の山道では、クマゼミの声が懐かしい(笑)ほどです。ツクツクホウシ、いっせいに鳴いている様はけたたましく、音量もなかなかのものですが、不思議に、クマゼミほどには苛立たしい不快感を催しません。クマゼミのシャンシャンシャンシャンという単調な鳴き声に較べ 「ツクツク ホウシ」または「オーシー ツクツク」という変化に富んだ音色が「騒音」の不快さを軽減するのかも知れません.あるいはまた。ツクツク法師という畏れ多い御名が印象に影響するのかも知れません。ツクツクホウシの鳴き声について,ウィキペディアはこう書いています。


オスは午後の陽が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞きなしに由来する。鳴き声は「ジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!」と始まる。最初の「ボーシ!」が聞き取りやすいためか、図鑑によっては鳴き声を「オーシツクツク…」と誤った表記をすることもある。以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返しながらだんだん速度が早くなり、「ウイヨース!」などと表現される鳴き方を数回繰り返したのちに、最後に「ジー…」と鳴き終わる。

また、1匹のオスが鳴いている近くにまだオスがいた場合、それらのオスが鳴き声に呼応するように「ジー!」と繰り返し声を挙げる。合唱のようにも聞こえるが、これは鳴き声を妨害しているという説がある。


夥しい個体数です。


しかし、いつものことながら、カメラに収めることはむずかしい、、。


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鳴き声にほとんど気づくことのない,ニイニイゼミを久しぶりに見ました。


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アブラゼミの声も目立ちません。


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アゲハ。


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ツマグロヒョウモン♀


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このトンボ大変小さく(ハッチョウトンボほどではないですが)3cmほどでしょうか。


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カワセミにも久しぶりに会いました。


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キキョウがあちこちに咲いています。


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ギボウシ。


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秋が遠くないのかも知れません。


今日はこれにて。


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9の日のメモ、の巻 [日録]

庭の朝顔が、毎朝、とりどりの花を楽しませてくれます。


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何日か前、「朝顔に自転車取られて、になってるよ」と妻が言います。確かに長く放置するうちに、こんな状態になっています。


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昨日8月9日は、この自転車で出かけようと思い、ツルをほぐして朝顔と自転車を分離させました。両輪に空気を入れて、出かけたのですが、ほとんど目的地に着いたところで、マスクを持ってくるのを忘れていたことに気づき、取りに引き返しました(汗)


用件は?というと、地元9条の会の「9の日行動」。お世話役のQ男さんが、フェイスブックにこんな投稿をしてくださっています。こっそり盗用させていただきます(ゴメン)。


今日は我が町の9条の会の行動日です?暑さを避けて室内で学習会をしました?テーマは(夫婦別姓制度と憲法)でした。ジェンダーの問題を考えました。頭を整理するのに時間がかかりそうです。来月は9月9日9時からスタンディングです?

画像に含まれている可能性があるもの:座っている人、テーブル、画面、室内


会は、ギター伴奏による歌声で始まりました。


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森の中のこれなあに?の巻(2020-02-09)でも紹介した「あの日の授業」です。


あの日の授業

【作詞】笠木透
【作曲】安川誠

1.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
~語り~
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と
戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争を
するためのものは、いっさい持たないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨てて
しまう』ということです。しかし、みなさんは、決して
心細く思うことはありません。日本は正しいことを、
他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいこと
ぐらい強いものはありません。」
2.あの日の先生は 熱っぽかった
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業
~語り~
「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、
決して戦争によって、相手を負かして、自分のいい
ぶんをとおそうとないということを決めたのです。
おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の
国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争
とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすような
ことは、いっさいしないことに決めたのです。
これを戦争の放棄というのです。
そうして、よその国となかよくして、世界中の国が
よい友達になってくれるようにすれば日本の国は
さかえてゆけるのです」
3.あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業
4.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業


参加されていたmikopon559様のオシャレなブログ「木陰な時間」(http://mikopon559.blog.fc2.com/blog-entry-693.html)から、御記事をすっかり無断借用することで、学習会の模様をお伝えします。


今日は8月9日。
毎月9日は、わが町の「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
長崎に原爆が投下された日と重なりました。
今回は猛暑を避けて、涼しい室内での学習会でした。
お話をしてくださったのは、まるで青年のような元高校教師(1929生・90歳)の方。
今回はどんなお話を…?と楽しみにしていたそのテーマは、意外にも?!
「夫婦同姓制度と憲法」
という、ジェンダーと憲法に関するお話でした。

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はじめに、金子みすゞ(1903?1930)のことが語られました。
「みんなちがってみんないい」「星とたんぽぽ」…目には見えない心やいのちなどの大切さをうたう500編以上の詩は、その多くが戦後になるまで埋もれたままだったんですね。
「彼女が若くて自死した1930年の前年」には、「治安維持法の死刑法への改悪に『孤塁』を守ってたたかった山本宣治(山宣)」が刺殺され、「小林多喜二の『蟹工船』は発売禁止になりました」。
「世はまさに戦争にむかい『みんな強くておなじがいい』という時代」だったとのこと。
「みんな強くておなじがいい」…
戦後になるまで埋もれていたことが意味するもの、暗黒の時代に、それでも作品を生み出し続けた若い彼女の切なる思いに初めて触れて、胸が痛く、そして熱くなりました…。
夫婦同姓制度が始まったのは明治時代のこと。1989年施行の旧民法に「家制度」が定められ、「法的無能力者」にされてしまった妻は夫の家に入りその姓を名乗ることを定められた、それが夫婦同姓制度のはじまりなのだそうです。

今、夫婦同姓の強制に反対する世論は高まってきているものの、最高裁では合憲の判断です。
「『家制度』によってつくられた意識や無意識、悪しき慣習、「性別役割分業観」などなど」、未だに広く私たちに降りそそぐジェンダーへの問題意識が大きくならないと憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)も守られないのではないか、と語られました。
男性のみならず、私たち女性にもまた生き様が問われているのだと感じます。
そして、最後はこのように締めくくられました。
「ジェンダー平等の声が次第に高まっていく状況のなかで、感銘を受けた金子みすゞの作品と生き方はジェンダー平等の理念と通底するところがあると思ったので、あえて話題にさせていただきました。
“みんなちがってみんないい” “つよいその根はめにみえぬ / みえぬけれどもあるんだよ / みえぬものでもあるんだよ” といううたの奥底にある尊い心・命は“すべて強くておなじがいい” の軍国思想の風潮に封殺されて暗黒の時代に突き進んでいった歴史の教訓を忘れたくない思いを伝えたかった次第です」。
この国の「憲法」と、「憲法」を大切に思う人たちと、共にいられることの心強さ、ありがたさが身にしみる学習会でした。
次回は、9/9 9:00? 1hのスタンディングの予定です♪

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まったく同感なので、付け加える言葉はありません。




折しも8月9日は長崎「原爆の日」。長崎市主催の平和式典で、田上市長は、「長崎平和宣言」を読み上げ、日本をはじめ各国政府に、1日も早い核兵器禁止条約の署名と批准の実現を求めました。6日の松井広島市長の「平和宣言」と同様、強く胸を打つ訴えでした。

備忘のために、長崎平和宣言全文を書き止めておきます。


「長崎平和宣言」(全文)

私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。
4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。
人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、2度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。
新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
〈核不拡散条約の発効から50年の節目〉
ことしは、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。
しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。
それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。
その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。
地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。
核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。
そうではありません。
核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
〈ローマ教皇の2つの“鍵”〉
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、2つの“鍵”となる言葉を述べられました。
1つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。
もう1つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
〈世界に警告を発し続けた被爆者に敬意と感謝の拍手を〉
ことし、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。
被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。
きょう、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。
確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
〈新型コロナ・地球温暖化・核兵器 みんなが“当事者”〉
若い世代の皆さん。
新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。
あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。
核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
〈世界の指導者へ〉
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
〈日本政府と国会議員へ〉
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、1日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
〈すべての人々と連帯 核廃絶に力尽くす〉
東日本大震災から9年が経過しました。
長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。


それに引き換え、安倍首相の浅薄で空虚なあいさつは、相も変わらずでした。そしてこれまた、相も変わらぬことに、広島と長崎の挨拶文は、ほとんど寸分違わぬコピペだったとネットで話題になっています。「ハフポスト」のまとめをコピペしておきます(汗)


太平洋戦争で原子爆弾が投下されてから75年になる今年、広島と長崎で平和祈念式・式典が開かれた。安倍首相は例年通りあいさつに立ったが、その内容が広島・長崎とともに「ほぼ同じ」だとネットで指摘されている。

2020年を比べると

安倍首相のあいさつ全文は首相官邸がアップしている。記事作成時点では広島市で行われたもののみだが、長崎市のあいさつ全文も各報道機関が掲載している。 それを見比べてみると、類似性は明らかだ。地名や式典名を除き、読み始めから以下の部分は共通している。 『本日ここに、被爆75周年の(※式典名)が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています』 その次から、広島と長崎で異なる。

広島:『75年前、一発の原子爆弾により廃墟と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています』

長崎:『75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様のご努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です』 しかし、そこから似た文章が続く。(以下略)


コロナ対策で世界ワーストワンとみなされるアベ首相。「唯一の戦争被爆国」を標榜しながら、核兵器廃絶への本気さがまったく感じられないお粗末さです。それを、より際立たせるのが、迅速的確なコロナ対策で世界中から高い評価を得、愛と誠意に満ちた丁寧な訴えかけで、人々に勇気と励ましを与えたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相の姿勢です。彼女が、8月6日広島の日にあたってツイッター上で語った「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者への償いになる唯一のこと」とのメッセージは、ヒロシマ・ナガサキを持つ日本政府こそが率先して世界に発すべき訴えではなかったかと、切に思います。これまた。「ハフポスト」のまとめを引用します。


世界が新型コロナウイルスに対応するチャレンジに直面し続けるなか、広島と長崎への原爆投下から75年を迎え、世界で起きた出来事の破滅的な影響を思い起こさせます。 1945年8月、世界は核兵器が何をもたらすのかを初めて目にしました。 最悪の結果を生み、爆撃の衝撃で亡くなっただけではなく、その後も長く続く放射能の後遺症で、人々に想像もできない苦しみや被害をもたらしました。 それ以降も、太平洋などでの核実験による悲惨な影響を目にしてきました。 現存する1万3000個以上の核弾頭の一つ一つが、広島や長崎で目の当たりにしたよりも強大な破壊力を有しています。 たった一つの爆弾が、破滅を意味します。そして、核戦争がそこで終わるとは誰も信じてはいません。 数百万人の命を一瞬にして奪い、環境に取り返しがつかないダメージを与えます。専門家は、いかなる国家や国家の集団、国際的な組織も、核戦争の影響に備えたり、対処したりすることはできないと警告しています。 備えることができないのなら、食い止めるしかないのです。 国連のグテーレス事務総長も言うように、国際的なコミュニティは、核の非武装化に向けた取り組みを再度活性化させなければなりません。人間性を守ると呼んでいます。 他人や将来の世代に残すことのできる課題ではありません。 ですからニュージーランドは、大多数の国連加盟国とともに、核兵器禁止条約を採決したのです。 私は、核兵器根絶に向けて必要不可欠なステップとして、そして全ての核保有国の核兵器ゼロの達成を含めた地球規模の交渉を求めて、他国もこの動きに加わり、このランドマークな条約を広めることを要請します。 このことが唯一、広島と長崎への原爆投下や、太平洋などでの核実験によって苦しめられた人たちに対する報い、レガシーとなるのです。

浜田理央 / ハフポスト日本版




今日の付録。夏らしい写真を掲載しておきます。


畑で採れたスイカ。


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トンボ各種。


まずは、ウチワヤンマ。


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これはオニヤンマかな?


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ギンヤンマ。


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ツクツクボウシの鳴き声を聞くようになりました。


が、声はすれども姿は見えず、撮影を諦めるのが常です。


声のする方を凝視すると、、、


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いや、これは、クマゼミでしょうね。


ではこれは、、、?


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そう言えば5年前(2015年)にこんな記事を書きました。


八日目の蝉もをるらん原爆忌


去年は、原爆忌の前後に、続けざまにヒロシマ、ナガサキについて書いています。
「三題噺補遺 夾竹桃のこと」
「続 夾竹桃のこと」
「原爆歌集句集長崎編から(その1)」
「『原子雲の下より』 のことなど」
「原民喜『原爆小景』のことなど」
「なんと言っても峠三吉でした。
「茸(キノコ)野分して長崎の日は雨だった」

毎年毎年、この季節になると蝉の姿ばかりをカメラで追います。ブログを始めてからも、蝉の記事も多いし、蝉の画像も見飽きるほど掲載しています。
今日の記事は、蝉を中心に載せようかと思いついて、いざ書きかけると、話題が皆、二番煎じであることに気づきます。
ちなみに、過去の記事から、蝉に関する蘊蓄を引用してみました。

「空蝉のなほ登らんとてや見上げたる」
空蝉のフォルムに惹かれます。フィルム時代から、何枚も写した覚えがあります。
すでに本体は、殻を脱ぎ捨ててはばたき、そしてわずか七日間の生命を謳歌して、もはや静かに眠っているのでしょう。でも、脱ぎ捨てられた空蝉は、今なお、樹皮や木の葉にがっしりと爪を食い込ませ、さらに上方を志すかのように、遙か高みを見据えているようにも思えます。
近所の樹林では、いつしかクマゼミの声は聞かなくなり、もっぱら、アブラゼミが鳴いたり飛び交ったりする姿を見かけます。
(中略)
「アブラゼミ」の命名は、「ジリジリ」という鳴き声が、煮えたぎる油に似ているからだとか。朝夕の蝉の声は、心なしか、ものわびしく聞こえるようになりました。秋もそこまで近づいている、、、でしょうか?

「ツクツクホウシを見た」
ツクツクホウシは、「ツクツクホーシ」と鳴くのか、「オーシツクツク」と鳴くのか「論争」があるそうですが、どうしても聞き定めることが出来ません。
(中略)
藤沢周平氏の「蝉時雨」は、ヒグラシでしょうか。直木賞作家葉室麟 氏の「蜩ノ記」も。「カナカナカナ」と哀感を含んだ鳴き声は、涼しさと物寂しさを演出しますね。

「蝙蝠を日傘に虫撮る夏休み」
そういえば、去年の夏もこんな記事を書いていました。
そこにも書きましたが、最近はクマゼミの姿が一番目につきます。
体格も勇ましいので、以前は、珍しい蝉だと思って珍重したものですが、今は一番ポピュラーです。
「シャンシャンシャン」と余計に暑さを増幅する鳴き声が、うるさいことです。
南方系の蝉だそうです。
アブラゼミ。 「ジージー」という鳴き声が加熱した油の音に似ているための名付けと言います。
子ども時代は、これを捕まえると少し自慢でした。
ニイニイゼミ。小さくて地味な蝉です。樹皮の模様に隠れて、動かずにいると気づきません。
子ども時代は、この蝉が一番身近でした。そっと近づいて、手で捕まえても、幽かにばたばたと暴れますが、じきに観念して静かになります。そのまま、服やシャツに しがみつかせても逃げないので、何匹も装着して歩いたものでした。バッジか何かのように。
環境の変化によるのか、近年生息数が減少しているようです。
松尾芭蕉が山形の立石寺(りゅうしゃくじ)で詠んだ 閑さや岩にしみ入る蝉の声 の蝉はニイニイゼミだったかと思われます。
「閑かさ」は外界の静かさではなく、心の中の静謐さだ、とはいえ、クマゼミではうるさすぎましょう。アブラゼミの鳴き声も、やはり耳障りです。心を逆なでしないレベルのニイニイゼミの鳴き声が妥当でしょうか。
ハルゼミや、ヒグラシ、あるいはツクツクホウシというアイディアも浮かばなくはありませんが、芭蕉が立石寺を訪ねたのは元禄2年旧暦5月27日(新暦で1689年7月13日)だといいますから、やはりニイニイゼミの活動時期でしょうかね。

漸(ようよ)うに姿見せたか法師蝉
ここのところ、つつつくほうしの声はしょっちゅう耳にしますが、目を凝らしても姿を捕らえることが出来ず残念な思いがしていました。
ところが今日は、孫のお供で図書館に行ったとき、玄関前の植木から、威勢のよいツクツクホウシの鳴き声が聞こえますので。じっと目を凝らすと、やっと見つけ出しました。


またまた二番煎じでした


今日はこれにて。


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夏の日の思い出、の巻 [日録]

オリンピックが開かれるはずの「スポーツの日」だった7月24日(金)、年金者組合の地元支部主催の、「2020年度支部総会&ミニ講演会」に参加しました。
開会に先立ってギター伴奏で、「夏の思い出」「われら人生六十から」の歌を愉しく歌ってスタートしました。後者は、おなじみの「♪汽笛一声新橋を」のメロディで歌う替え歌です。歌詞は次のとおり。


一、われら人生六十から
心もからだも元気にて
七十で迎えに来たならば
ただ今お留守と言いなさい
二、われら人生六十から
いつもニコニコほがらかに
八十で迎えに来たならば
まだまだ早いと言いなさい
三、われら人生六十から
何も不足は言いません
九十で迎えに来たならば
そんなにせくなと言いなさい


第1部はミニ講演会。「一人でも行動する文化」と題して、緋田博(ひだ ひろし)さんのお話しを聞きました。講師の緋田さんは、岡山医療生協を定年退職後も、「笑いヨガ」など、健康問題を中心に講演活動を続けていますが、この日の講演ではそこを離れ、手づくり新聞「ひだニュース」発行にかける思いやこだわりを中心に、問題提起を込めたお話しがありました。
「ひだニュース」は、緋田さんが、三年ほど前から平和・地域温暖化・環境問題を中心に、新聞、雑誌などから気になる記事をまとめてコピー、冊子にして友人,知人に配布しているもの。緋田さんがこの新聞発行を思い立ったきっかけは、2016年8月、シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)解散時の「終わりは『新しいことの始まり』のはじまり」という言葉に共感したことだそう。「ひだニュース」では「一人でも行動する文化を根付かせてくれました。戦後民主主義は捨てたものではない。私たちは、平和憲法のもと『平和と民主主義と愛といのち』の大切さを教わり.大きな流れになっています。私は『ひだニュース』をとおしておくりたい。『民主主義ってなんだ!』『これだ!』『私はどうする!』共感するところからつながりましょう。一人の行動から、できるところから、つながりましょう」と呼びかけています。
緋田さんを動かしたもう一つのエポックは、笠原十九司「戦争には『前史』と『前夜』がある」(月間「世界」)という論文への書評を読み、入手するため奔走したが、書店には戦争肯定・讃美の史観のもとづく右翼的出版物は溢れているのに、真実を伝える書物が手に入りにくくなっている現実に驚愕したこと。そこから、「学びの広場」主催の笠原講座成功のため奮闘するとともに、個人名を冠したニュースの「恥ずかしさ」を乗り越えて、知り得たこと・気づいたことを広く伝える活動に取り組んでこられたそうです。


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「戦争前史・前夜」に関するリアルな史実、除草剤「ラウンドアップ」グリホサート・輸入小麦の危険、佐藤広美著「災禍に向きあう教育―悲しみのなかで人は成熟する」の紹介など話題は多岐に及び、四十五分があっという間に感じるほどでした。さらに、 質疑応答の時間も、「種苗法・種子法」をめぐる動きや「里山」の復権など、話は尽きず、知的刺激に満ちたミニ講演会となりました。



第2部は、年に一度の定例の支部総会。二〇一九年度の総括と新年度方針。新役員などの議案が、提案通り承認されました。




上の写真を撮影したカメラのdataに、同日夕方付けでこんな写真も残っています。


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孫のひとりが26日に2才の誕生日を迎えるので、前祝いにプチケーキでパーティです。


郷里の老父が、『ライン』にこんな写真を送ってくれました。そして、こんなメッセージを添えてくれています。


「7月26日の、誕生日の花は、むくげです。花言葉は、デリケートな美。 柔和です」


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「おのずから今日を選びて咲きにけりいちにち花よ白いムクゲよ」


と歌にあるとおり、ムクゲは、朝に咲いて、 翌日の夕には萎む一日花だとされています。


今年のムクゲは、あまり写す機会がありませんでした。


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ムクゲについて書いた過去記事で、思い入れの深いものを再掲しておきます。


散ってまた咲く無窮花や野分ゆく(2016-09-05)


置き換えてみればよくわかります。
ある日突然におふれが出て、これまでなじんだ姓名を名乗ることはまかりならぬ。改名せよ。たとえば山田太郎ならトム・ヤマダーノ、佐藤春子なら、ハルースカヤ・サトヴィッチなんて具合に。
抵抗して、改名手続きしない輩は、子弟を小学校にやることもまかりならぬ。なんてことになったら、冗談きついよ。ですよね。
またこんなおふれが出されたら?
今後一切、会話、及び通信には、常に公用語の○○語を用いるべし。下等言語たる日本語を用いてはならぬ。みだりにこの禁を破りたるものは、スパイと見なし断罪する。なんてこと、あり得ませんよね。
はたまた、こんなおふれ。
今後、すべからく国民は、薔薇の花を愛で、その美をたたえるべし。下劣きわまる文化伝統によって一般国民にいたるまで偏愛せる桜は、その花に妖毒を含みたること明らかなるによって、公共の施設、街路、私有地、山林原野を問わず、桜の樹は一切抜去し、その跡地にはことごとく薔薇を植栽すべきこと。これに背いて密かに桜を栽培したるもの、または、口頭、文筆、言論等において桜を賛美したるものは、罪軽からず。なんてこと、出来の悪い空想未来小説ですよね。
でもこんなことが、かつて実際にあったとしたら、口アングリではないでしょうか?
「創氏改名」という言葉を、ネット上でを検索しますと、「世界大百科事典」の以下の記述がヒットします。

世界大百科事典 内の創氏改名の言及
【皇民化政策】より
…生徒は相互に監視させられ,朝鮮語を使った友人を摘発するのが日課となった。翌39年11月には,天皇家を宗家とする家父長体制に朝鮮人を組み込むために,〈創氏改名〉に関する法律を公布,40年2月から実施された。朝鮮人はついに自分の名さえ日本式に改めねばならなかった。…
【太平洋戦争】より
…これらの日常活動は,いずれも〈内鮮一体論〉に基づくものであり,国民総力朝鮮連盟の結成は,朝鮮における天皇制ファシズムの成立を意味していた。皇民化政策のなかでも日本語の使用と創氏改名は,朝鮮人に計り知れない苦痛を与えた。1938年3月公布の朝鮮教育令により朝鮮語は随意科目とされ,学校での朝鮮語の使用が事実上禁止されたばかりでなく,43年からは〈国語普及運動〉が大々的に展開された。…

(中略)

「皇民化」の名の下に、名前を奪い、言葉を奪い、愛する花まで奪う?
そんなトンデモバナシを、最近読んで驚きました。
先日から、槇村浩の話題で、連続的に登場戴いている藤原義一さんが、「あなたに贈る短歌の花束」という本を出版されています。奥付を見ると2004年6月発行とあります。実はこの本、私は、ちょっとした縁で当時贈呈を受け、パラパラめくり読みしては、本棚に収めておりました。時々手に取ることはありましたが、全巻通読はしていませんでした。
しかも、筆者の藤原義一さんと、「草の家」学芸員として槇村浩を研究されている藤原義一さんを、同一人物と理解できず、深く確かめることもなく偶然の一致に寄る同姓同名の別人と思い込んでいました。うかつなことでした。

つい最近、この本を手に取り、読み進むうちに、こんな記述に出会い、驚愕を覚えました。

(中略)

『金夏日歌集 無窮花』(一九七一年二月一日発行。光風社)を読みました。著者の名前は、キム・ハイル。無窮花は、ムグンファと読むのだと思います。ムクゲのことです。
著者は一九二六年(大正十五年)、朝鮮慶尚北道・桃山洞の一貧農の家に生まれました。そして、一九三九年(昭和十四年)、十四歳のころ、すでに朝鮮から日本に渡っていた父をたずねて、母と長兄夫婦、次兄らと日本に渡ります。彼が生まれる前の一九一〇年、日本は日韓併合で朝鮮を植民地にしていました。
「あとがき」で、ムクゲについて、こう書いています。
「日本帝国主義の侵略とその統治下においては、 朝鮮民族が限りなく愛するこの花を、自分の土地に植えることも、またこの花について話すことさえ許されなかったのです。
こうした抑圧のなかで、 無窮花はなおのこと私たち朝鮮民族の心に生きつづけ、私は幼い時から祖母や母に無窮花の美しさをひそかに聞かされてきましたが、祖国朝鮮に私が生まれ育った時代にはついに見ることができませんでした」
日本は太平洋戦争を始めました。長兄は日本海軍の軍属としてとられ、戦死します。著者も東京の戦災の炎をかぶり、両眼失明しました。

さらに、こんなことが行われたのだそうのです。

(中略) 一九一〇年、日本は日韓併合で大韓帝国を植民地にしていました。同年八月二十九目、目本は朝鮮にその植民地文配のための政庁・朝鮮総督府を設置しました。(韓国統監府を改組)。 (中略)日本の植民者は、朝鮮に次々と日本の「軍国の花」 ・桜(ソメイヨシノ)の苗を植樹し、桜の名所を作っていきます。鎮海(チネ)の日本海軍の軍港には我が海軍の微章にちなみ一九一〇年に二万本、一三年に五万本、一六年に三万本、合計十万本の苗木が植えられました(『ある日韓歴史の旅鎮海の桜』、竹国友康、朝日新聞社)。

第四代朝鮮総督の斎藤実の時代には弾圧一辺倒では治まらなくなって民族紙の発行を許可します。「朝鮮日報」、「東亜日報」が創刊されました。しかし、それらは朝鮮総督府警務局が検閲しました。(中略)
「東亜日報」は、 一九二五年十月二十一日付に「読者と記者」の欄に「錦細江山の表徴『朝鮮国花』無窮花の来歴」という記事を載せました。
「昔のことですが、大韓時代に無窮花を国花として崇め尊んだのは、どういう理由からなのですか」(東大門外ユク・チュングン)という読者の質問に答えたものです。
「今から二十五、六年前」に尹致実(ユン・チホ=開化派の政治家)が愛国歌を:創作したが、その繰り返し部分に「無窮花三千里華麗江山(ムグンファサムチョンリョガンサン)」がありました。その時、初めて「木種(クンファ)」を「無窮花」と書き出したらしい。これと前後して島山安昌弘浩(トサナンチャンホ=独立運動家。一八七六-三八年)らが民族連動、国粋運動を展開する時、朝鮮を無窮花にたとえて「われわれの無窮花(ムグンファ) の丘は……」と演説しました。この時を前後し、木樓(クンファ)を「ムグンファ」とはっきり使いだし、朝鮮の国花と定めたようです。
記事は、こうした説明をした後で、次のようにのべています。
「---無窮花はそれほど華麗でもなく、枝とてそれほど美しくもなく、その上、葉は密集していて趣とてないのですが、朝露を浴びて咲いては夕刻に散り、また他の花が朝咲いてタ刻に散るというふうに、絶えず咲いては散る様が、 刹那を誇って風に散るのを武士道の誇りとしている桜よりも、赤色だけを誇る英国の薔薇よりも、花房だけただ大きいだけの中国の芍薬(シャクヤク)よりも、どれほど粘り強くて堅実であり、気概があって祈願がこもっていてみずみずしくて可愛らしいことは、ほかの何ものにも比べることはできないでしょう。
それで私たちの祖先は、この朝生夕死ではあるけれど、次々と咲く木槿を無窮花と呼んで国花としたようです。
しかしいまでは、無窮花が名にし負うほどの使命を果たせず、西北道では見られぬようになり、京畿方面では心ある人たちの丘の飾りとなり、全羅道では農家の垣根として残っているだけだそうです」
この記事は、 朝鮮総督府警務局が押収しました。

ムクゲについては、過去にもこんな記事を書きました。

◆半田山植物園の花と虫、そしてある惨劇!の巻

◆七夕雑話
◆雨の日の感傷散歩(せんちめんたるうぉーく)の巻
◆野分去ってオールドレンズと遊ぶ朝

◆似てはるわ木槿向日葵立葵(ムクゲ ヒマワリ タチアオイ)

◆半田山の花byリコーGX200の巻

「無窮花」という別名は知っていましたが、苦難の歴史は知りませんでした。
近所の散歩道のムクゲです。




7月23日が『海の日だったそうですが、2才になる孫が、初めての海遊びを楽しんだのは、25日(土)でした。


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0才児は、ずっと木陰でお昼寝。


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次に会えるのはいつでしょうか。


今日はここまで。


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「おめでとう詐欺」ですって?の巻 [日録]

まずは、最近の鳥写真のご紹介。


最初はホオジロ。


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つぎは?


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どうやら、ヒヨドリの幼鳥のようです。


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カイツブリの親子。


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これは鳥ではなかった、、、


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これも鳥じゃありません。


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さて今日の本題はこれから。


何日か前、パソコンの画面が突如変わり、「おめでとうございます。あなたが当選しました」云々のメッセージが出て、「iPhone 11 Pro」(でしたっけ?)を100円で購入する権利が抽選で当たったというのです。簡単なアンケートに答えるよう求められますので、一つ一つ答えていくと、最後にここをクリックしてくださいとあります。アンケートの送信ボタンだと思い、クリックしようとする、わがパソコンのセキュリティソフトが、「このリンク先は安全でない可能性があります」とメッセージをよこします。「可能性」の問題ですから、安全である可能性もあるんだよな、せっかくのチャンスを棒に振るのもシャクだし、、、と、しばし躊躇しましたが、「ま、iPhone 11 をどうしても欲しいわけじゃないし、、、何しろ、私は敢えてガラケーを使い続ける覚悟で、ほんの何ヶ月か前、『簡単ケータイ』の機種変更をしたばっかりだし、、」と言い聞かせて、キッパリ画面を閉じたのでした。(キッパリ画面を閉じたために、どんな画面だったか記録してなかったことがいささか残念です。)


後日ゆっくりネット情報を探ってみますと、案の定、数年前から話題になっている「おめでとう詐欺」という手口らしい。ついに私も、はめられそうになったワケです、くわばらくわばら。


あるサイトに、こんな画像が紹介されてましたが、まったくソックリだったような気がします。


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こんなミエミエの手口ですが、「こんなラッキーチャンス、逃しちゃ損」と、半ば以上信じかけた自分が、お恥ずかしい限り。しかも、ぶら下げられた餌が、私の食欲をさほど刺激する代物でなかったからよかったものの、欲しくて堪らない景品だったとしたら、たとえ「安全でない可能性」があったとしても、敢えて危険を冒してでも虎児を求めようとしたかも知れません。未然にトラブルを避け得たことを僥倖として、二度とあやまちを繰り返さぬようにと、大いに自分をいましめたことでした。


未然にトラブルを避けるという点で、思いつくのは、例の「goto トラブル」。東大先端研の児玉名誉教授の警告。「エピセンター(震源地)を全力で止めないと、来月は目を覆う状況になる」謙虚に耳を傾けるべきではないでしょうかね。


連休は、孫たちと接するうちに、あっという間に過ぎ去り、ブログ更新もままなりませんでした。この連休での、我が家への瞬間最大滞在人口は、大人6人と、子ども(高、中各ひとりと、小学生ふたり、さらに、5才、4才、3才、1才、0才の9人)。総勢15人(数え間違いがなければ)の密状態でした。連休が終わって『日常』がもどると、その閑散さがいたく身に沁みます。


今日はこれにて。


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その後のことども、の巻 [日録]

前回記事に紹介した我が家の軒先のツバメは、ようやく巣立ち、仲間と合流して、秋の旅立ちまでの集団生活にはいったことでしょう。


下のツバメは、我が家のそれではなく、先日郷里に帰る途中に立ち寄った商店の駐車場で見かけたものです。


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さて、人間界は、新型コロナ蔓延の不安を抱えたまま、自滅的なインパール作戦さながらの「goto キャンペーン」期間に突入しました。その影響もあってか、あちこちで県外ナンバーの車もよく見かけるようになりました。自粛期間中は、県外ナンバー車はとても目立って、身近なケースとして、白眼視を怖れて「私は県外ナンバーですが在住者です」という標示をしている人もいるほどでした。


大阪在住の孫たちは、一時期はさすがに往来に遠慮があったのですが、 この連休は、少し気軽にやってくることができました。昨日の夕方到着。従兄弟姉妹達と久しぶりにたっぷり遊ぶことができました。


明るいうちから花火などを楽しみました。


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今日は一日、雨が降ったりやんだりでしたが、もう一組のいとこ達も集合。乳幼児、保育園児、小学生が楽しく一日一緒に遊びました。部活から帰った中学生の兄も合流。夜はジジババ宅にお泊まりすることになったのですが、帰らなければならない保育園児の女の子は、悲しくて泣き出しました。


いつもなら、正月、五月連休、盆の次期などにあわせて、郷里の老父母の元へ家族4代つどい、元気な姿を確認するのが習わしですが、今年はコロナのために思うに任せず、長らく孫(老父母にとっては曾孫)の姿を見せることができずにいましたが、先週は、小4と保育園児の女の子、先々週は上記の泣き出した保育園児と0歳児の姉弟という風に、五月雨的に訪問しています。


鯉に餌をやったり、、、


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沢ガニを捕まえたり、いつもの年と同じ、夏の日の「日常」を、わずかに取り戻しています。


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しかし、今回帰省してきた大阪の孫一家は、時間の余裕がなくて今回も田舎に立ち寄ることができません。できれば八月に実現できればと期待していますが、さて、コロナの帰趨はいかがあいなりますか、、、


きょうはこれにて。


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我ながら心驕りや梅雨晴れ間 [日録]

先日から何度か話題にしましたように、私もその編集に携わってきた、退職同業者親睦会の結成40周年記念誌がこのほど完成しました。


だまされないぞ!の巻(2020-06-11)


この間、ちょっと労力を費やしてきた案件が,ほぼ片付きそうです。私の所属する同業退職者の親睦組織が、今年結成四〇周年を迎えるそうで、記念誌を発行することになっており,そのお手伝いをしています。100ページ近くの冊子の編集がほぼ終わり,つい昨日、印刷所から第一校が上がりました。これを、しかるべき面々に,校正をして頂く必要がありますが,時節柄、実際に集まって作業をすることもままならず、コピーを郵送して、目を通して頂くことにしました。


月がわりのまとめ書き日記、の巻(2020-07-05)


6月30日(火)

退職同業者の会、の集まりの場に、印刷会社から刷り上がったばかりの冊子が届きました。私も係の一人として編集に携わっていた「結成40周年記念誌」です。肩の荷を自覚しはじめたのはかなり前ですが、具体的には昨年の秋頃から着手し、ようやく完成したものです。感慨もひとしおですが、いざ終わってしまうと、いささかの不飽和感・未達成感も残ります。


こんな冊子です(一部加工あり)。


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先般、会員の皆さんのもとに発送しました。すると、何人かの方から,心あたたまるねぎらいの言葉をいただき、恐縮しながらも,「報われた」という思いを噛みしめることができました。


そのうちの一通。丁寧な細かい字でぎっしりと書き込まれたはがきを,昨日いただきました。一読、まぶたの熱くなるのを禁じ得ませんでした。以前、この記事で紹介したことのある先輩教師鴨川さんからのハガキでした。


懐かしき便り嬉しき聖夜かな(2014-12-24)


家を出る際に、郵便受けに二つの分厚い郵便物が入っているのに気づき、それを持って車へ。運転を終えて、 内容を確かめてみますと、どちらも懐かしい方からのメール便で、それぞれ書籍が同封されていました。

ひとつは、敬愛する先輩退職教師、鴨川恵美子さんが、12月20日付けで発行されたばかりの『続・ふたりの完結』と題されたエッセイ集です。

はるか後輩の私をも、「友人」と認めてくださり、贈ってくださったものです。

表紙カバーには、ブルーを基調とした落ち着いて深い透明感のある風景画が 描かれています。倉敷美観地区周辺のたたずまいのようです。元岡山県の国語教師で、退職後埼玉県に転居され、画家となられた武田昭一さんの作品だそうです。後書きによると、ご夫婦ともに国語教師で、お住まいも近くて昵懇の間柄であったことから、表紙絵を依頼されたのだそうです。

文章の冒頭は、こういう書き出しになっています。

夫、鴨川俊作は、一九九八年四月七日、大腸がんの発覚から、闘病の十ヶ月を経て、七十歳で亡くなりました。私は六十五歳、夫の『師』を見据えながら出来る限りの看病に努めました。

一周忌を期して、「ふたりの完結」を上梓し、友人の皆様に読んでいただきました。多くの感想が寄せられ、一箱の私の宝石箱として、時折取りだしては読み返し、折々の生きる支えになっておりました。

十数年を経た今日、私は二〇〇九年「脳梗塞」や、一三年「大腿部骨折」に見舞われ八十路の坂をやっと越え、「ふたりの完結」のその後を書いておきたいという心境になりました。(後略)

そして、地元紙「倉敷新聞」(現在休刊中)の記事から、こんな文章が引用されています。

鴨川俊作氏を偲んで二冊上梓
妻 恵美子さん『ふたりの完結』
偲ぶつどい実行委編追悼集「いつも労働者の中に」

倉敷新聞 一九九九年五月一九日付

昨年四月七日、大腸癌のため逝去した北浜町、元日本共産党岡山県委員会副委員長、岡山県労働問題研究所理事長だった鴨川俊作さんの一周忌を記念して、このほどj夫人の鴨川恵美子さんが『ふたりの完結』(手帖舎刊)四六判、二五三ページ。合わせて、鴨川俊作さんを偲ぶつどい実行委員会が『いつも労働者の中に』~鴨川俊作さんを偲んで~ 四六判、一八三ページを発刊。それぞれの立場から故人を偲んでいる。(後略)

鴨川俊作さんには、生前、学習会などでの講義をお聞きしたことがあるだけですが、穏やかで、理路整然とした学究家という印象が強く残っています。 葬儀の時は、片隅に参列させていただきました。

当時贈っていただいた「ふたりの完結」も、感銘深く拝読したことでした。

実は、私の脳動脈瘤手術の後、拙宅まで見舞いに来てくださったことがありました。
その際、お若い頃の脳血管手術の経験も話してくださり、力づけてくださいました。
何かと気弱になっていた私には、大きな励ましで、春からの職場復帰にチャレンジできたエネルギーになりました。(ほかにも多くの方々の支えや励ましがあったればこその復帰でした。今や退職後も、非常勤でアルバイト生活をやってみようなどと思い立つこと自体、当時から見れば、不思議なことです。)
奇しくも、私の病気の2年後、脳梗塞で倒れられましたが、強靱な意志力でリハビリに励まれ、パソコン、ピアノ、プール、投書、など多彩な活躍を続けてこられました。
さらに、2013年には大腿部骨折を経験され、身動きが不自由になられたとお聞きし、心配しておりましたが、これまた強靱な意志力で、今年の八月にはショパンの「OP70の2」を発表会で演奏され、「ホフマンの舟唄」を連弾で弾かれたそうです。さらに、『続・ふたりの完結』を完成されたことに、敬服の思いはつきません。

先ほど、お礼の電話を差し上げたところ、「気力が湧かないのよ。年をとるとはこういう事かしらね。」とおっしゃるお声には、張りがあり、 ほっと安堵したことでした。


ちなみに、文中の『続・ふたりの完結』の表紙絵を描かれた武田昭一さんは、上述の40周年記念誌の表紙絵のためにも絵画を寄せてくださいました。


ハガキの文面には、望外のお褒めの言葉が綴られ、「いささかの不飽和感・未達成感」(月がわりのまとめ書き日記、の巻)を,完全に雲散霧消させ、「我ながら心おごりせられし」(「大鏡」降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)参照)の心境を味わったことでした。中でも、「Iさんはもちろん、皆さんから合格点は寄せられるでしょう」「肩の荷を下ろしてくださいね」というお言葉に、ついつい涙腺が緩むのを覚えずにはいられませんでした。私が「編集後記」にこう書いたことを踏まえての、ねぎらいのお言葉なのでした。


編集後記
およそ,ちゃらんぽらんを性とする私といえども,ここのところ,さすがにズシリと重い肩の荷を背負い続けてきました。というのも,10年前,I前会長が,編集半ばで実現を果たせぬままに推移してきた「30周年記念誌」の完成と,その後の10年分を加味しての「40周年記念誌」作成という,とてつもない任を仰せつかったためです。
身の程を考えるならば,当然辞退するのが賢明でしょうが,そうもいかない事情もありました。晩年のIさんとの格別のえにし(第2章所収の拙文参照)からも,その遺志を継ぐべき責任は自覚しておりましたし,(中略)国語科出身である私(中略)が,さしづめその任に当たるのが自然の成り行きだろうかとの自覚(諦め)もありました。
つらつら考えてみますに,10年前,Iさんが,記念誌完成を目前にしながら頓挫されたのは,もっぱらその完璧主義に起因しているだろうというのが,衆目の一致するところのようです。さすれば,その完璧主義からほど遠い私などは,かえって適任と言えるかも知れません。もう一つ,Iさんは,有能かつ責任感旺盛なるが故に,万事をご自身の手で成し遂げようと考えられたことが,あるいは災いしたのかも知れません。その点,私などは,「しんどいところは人に譲る」詐術にたけております。
そういうわけで,編集責任者の名をいただきながら,実質は別表の編集委員の方々に,分担分野の編集を全面的に委ねることにしたのですが,それが思惑以上に奏功し,ここに素晴らしい記念誌(自画自賛!)の完成を見ることができました。献身的努力によって存分に力を発揮してくださった編集委員の皆様に改めて敬意と感謝を表する次第です。(中略)
第2章は,「40周年記念号」のために会員各位から寄せていただいた文章,第3章は10年前に発行予定だった30周年記念号に向けての寄稿からの抜粋で構成しました。既に鬼籍に入られた方々の文章も含め,それぞれの思いの深さに,改めて感慨を禁じ得ません。
この記念号が,高退教運動の新たな発展にとっての,確かな礎となることを確信し,編集後記と致します。


見苦しい「自慢話」になりました。今日はこれにて。


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梅雨空に「九条守れ」のスタンディング [日録]

2014年に発表された、埼玉県在住の女性による俳句が、この季節ふと脳裏に浮かびます。


梅雨空に「九条守れ」の女性デモ


当ブログでも、何回か話題にしました。


例えば、いざ子ども九条危篤夏椿(2017-06-25)にはこんなことを書きました。


先日momotaro様が、梅雨空に「九条守れ」の女性デモ の記事で、さいたま市在住の女性の方が詠まれた2014年の作品を紹介してくださっていました。
実は私も、ほぼリアルタイムで。この作品に触れたことがありました。
蜂あれこれ という記事で、金子兜太さんの句を紹介しています。
眼ぐすりを注すときすずめ蜂直降 兜太

〈中略)

  金子兜太つながりで、もう一つの話題。

埼玉県のある公民館で活動する俳句サークルは、毎月、会員互選の1句を「公民館だより」に掲載してきましたが、7月号に掲載予定だった会員の互選句が、「偏った意見」だとして掲載を拒否された事件があったそうです。

70代の女性の句で、

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

というもの。

msn産経ニュースによると、概要は次のようです。

「憲法9条守れ」の俳句、掲載見送る さいたま市公民館「一方に偏った意見、ふさわしくない」 2014.7.4 12:51
さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する月報に、俳句サークルが「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という市民の句を掲載しようとして館側が掲載を見送っていたことが4日、分かった。市は「掲載すると公民館や市の考え方だと誤解される可能性があり、判断は妥当」としている。
公民館を管轄するさいたま市生涯学習総合センターなどによると、三橋公民館は毎月、「三橋公民館だより」を発行。俳句欄があり同館で活動する俳句サークルが掲載する句を決めていた。6月24日、サークルが7月号用として女性が詠んだ9条の句を選び掲載を依頼、公民館側とセンターは相談の上、掲載を断った。
センターの小川栄一副館長は「公民館は政治的に偏った特定の事業を行ってはならないと法律で定められている。集団的自衛権をめぐる句と受け取られる可能性もあり、世論が大きく二つに別れるような問題で、一方に偏った意見を載せるのはふさわしくないと考えた」と話している

この問題に触れて、「埼玉新聞」8月17日付けweb版が、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という表題の記事を掲載しています。

その一部を引用します。〈中略)


 今回の俳句掲載拒否の問題を戦前の治安維持法による新興俳句運動弾圧と重ねる見方もあるが、金子さんは今回の方が根深い問題を含んでいると言う。
「新興俳句運動の『現実を俳句に書く』とするリアリズムが危険視された。だから取り締まりは、新興俳句系の俳誌だったり運動を担っていた人たちで、俳句を詠む一般の人たちにはそれほど影響がなかった。今回は一庶民の一つの句をやり玉に挙げて大げさな問題にした。こんな拡大解釈のようなことが、お役人だけでなく社会で行われるようになったら、『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」と警告する。

(中略)

仮に、国民の間に意見の相違があって、よしんば、それがマイノリティ(少数派)に属するものであったとしても、各人の信念によってそれを心に抱き、また表明することは、かりそめにも民主主義の社会においてはなんびとも妨げられることのない、基本的な権利です。ましてや、俳句を含めて文学や芸術の表現を、「思想」や「意見」というフィルターを通して評価する事自体、芸術・文化のなんたるかなんたるかを知らない粗野なふるまいと言わざるを得ませんし、その『思想』に難癖をつけて排除するなどは、暗黒時代の再来と言うべきでしょうか?しかも、問題の俳句に詠みこまれているのは、作者自身の意見というよりは、世の中の実際の「現象」、見過ごしがたい「世相」として確実に存在する実景に他なりません。

作者が、「女性デモ」を題材とした時点ですでに、それに共感しているかも知れないから、そこには暗黙裏に作者の意見が表明されているという強弁を労したとしても、それは、偏った意見とは言えないでしょう。

先ほど私は、「マイノリティ(少数派)に属するものであったとしても」と書きましたが、このニュースの場合は、少数派どころか、ほかなかならぬ「九条守れ」という国民多数の「意見」です。今年の実施されたどの種の世論調査でも、九条改訂反対が賛成を上回り、その差は開く傾向にあります。自前の改憲案まで掲げて世論喚起をはかってきた『読売新聞』でさえ、その世論調査(2014年3月15日)の結果は、こんな具合です。

Q、憲法9条は改正した方がよいと思いますか  
思う 30%  思わない 60%   その他 10%
9条第1項「戦争の放棄」については   
思う 17% 思わない  76%     その他6%
9条第2項「戦力の不保持」については  
思う 39% 思わない  52%    その他 9%

こうした状況を踏まえれば、「九条守れ」を、偏った意見と言ってのけること自体、きわめて偏った意見ではないでしょうか?

ましてや、立憲主義のもとでは、憲法は、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障するために存在するものです。ですから、「九条」に限らず、行政なり公務員は、憲法を遵守することを義務づけられているのですし、公務員はみんな、憲法遵守を誓約・宣誓して任に就いたはずではないですか?

そのような大前提を足もとから掘り崩して、憲法を擁護する「意見」が時の政府の意向に沿わないからといって「偏っている」と断じていく空気は、なんかへんです。

なんかへんだな、と思っても、「どうして?」と聞けません。聞けるような感じじゃありません。---こんな事が重なっていくと、、、怖い怖い。

いざ子ども九条危篤夏椿

「 いざ子ども」は、「さあ、諸君」という呼びかけの言葉らしいですね。

万葉集の山上憶良の歌に

「いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴(おほとも)の御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ」(万 六三・山上憶良)

があります。

[訳] さあ、諸君。早く日本へ帰ろう。御津の港の浜辺の松は今ごろ私たちを待ち遠しく思っているだろう。(学研全訳古語辞典より)

散歩道の夏椿が昨日からの雨に洗われています。   


昨日、7月9日は、「9の日」です。地元「九条の会」による「9の日」行動が、この日も取り組まれました。午前九時から十時までスタンディングです。


Qさんは、snsにこんな記事をアップされています。無断借用ごめんなさい。


9の日行動から帰ってきたところです?今にも降りだしそうな空でしたがなんとかもちました?降れば即撤収のつもりでしたが・・・皆さん最後まで頑張りました?来月は学習会の予定です。

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そして,Hさんも。


今日は7月9日。
毎月9日は、わが町の「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
いつものように、朝9時から1時間のスタンディングが、ある交差点で行われました。
明るい色合いで軽やかに風に揺れるノボリと、横断幕が仲間入りしましたので、なかなか目立つようになりました[ぴかぴか(新しい)]
ドライバーの方は、誰もがこちらに目を向けてくださいます。…次回は手を振ってみようかな笑...

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これまた無断借用(汗)


ここで一句。


梅雨空に「九条守れ」のシルバーパワー


くたびれるパソコン仕事の気晴らしに、午後、少しだけ、カメラ散歩をしました。


空蝉を見つけました。


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クマゼミ発見。


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コシアキトンボ。


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この前、カルガモの親子連れを見た蓮田のハスの花。


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カルガモ真美着けられませんでしたが、、、。


バンがいました。


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親子です。


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今日はこれにて。


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月がわりのまとめ書き日記、の巻 [日録]

前回の記事は、6月29日の投稿でした。瞬く間に7月もはやも第二週を迎えます。その間、晴れたり降ったりでしたが、週末九州地方を襲った豪雨のすさまじい爪痕が、一刻も早く癒えますようにと祈ります。近年頻発するこのような大災害が人々に与える苦痛と恐怖は、コロナの不安のもとでかつてなく増幅されずにはいません。人命優先、人々の健康と安全を最大の原則とする、政治と経済の仕組みを、確立することが急がれます。その意味でも、都知事選の行方が注目されます。


さて、6月末からのまとめ書き日記を記録しておくことにします。


6月29日(月)。


親ツバメが、ヒナに餌やりをしています。


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4月の終わりに書いたこの記事トイレンズと遊ぶ、の巻


(2020-04-28)ではこう書いていました。


我が家の軒先に、ツバメがようやく巣作りを始めました。

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いつもは、代々、古い巣を引き継いで修繕しながら、再利用して使うのですが、時に,どういう気まぐれか、少し離れた別の場所に新しい巣をつくったりします。我が家の屋根のどこかに住むスズメが、先住権主張のためか,ツバメの巣に危害を加え、ぼろぼろに崩したり、枯れ草などの迷惑な詰め物をしたりして嫌がらせをしたりすることもしばしばあります。

そんな損壊した巣を嫌って新居を建てようとする気持ちは理解できますが、去年のツバメが利用した巣は、ほぼ完全な形で残っていますし、その近くにもうひとつ健全な巣があります。

にもかかわらず、今年のツバメは、ずいぶん以前に損壊して、ほぼ土台だけになっていた古い巣の残骸をもとに、新居を建てようとしているのです。(中略)

今朝には工事がだいぶん進んでいます。

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必ずしも熟練技術者とは言えないようで、少々無骨な仕上がりですが、完成目指して一生懸命です。


この記事で紹介したツバメは、どういうわけか途中で姿を見せなくなりました。ペアの片割れが、何らかの事故で落命したのだろうかと、推測してみています。


それから、かなりほど経て、二回目の巣ごもりを始めたペアが、冒頭紹介した親ツバメです。最初のペアとは別の個体のようです。使った巣も、4月に新築した物件ではなく、隣の中古住宅でした。


そう言えば、去年のブログ記事にもに同じようなことを書いていました。


玄鳥成長記録(つばくらめそだちのあとさき(2019-07-12)


何年前、いや何十年前からでしょうか、我が家の玄関先の軒下に、毎年のようにツバメがやってきて、営巣します。

  玄関の鳥だから、ツバメを玄鳥と書くのでしょうか?いや、そんなバカな。「玄」は「黒」だからでしょうね。

  念のために辞書で確かめてみますと,「玄関」も薄暗いところからそう名付けられたらしいですね。

げん【玄】

赤または黄を含む黒色。
老荘思想で説く哲理。空間・時間を超越し、天地万象の根源となるもの。
微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
「―を談じ理を折(ひら)く」〈太平記・一〉
《玄のつく名が多いところから》江戸時代の遊里で、医者のこと。また、医者を装ったところから、僧侶の客をいう。玄様。
「浅草あたりの―、色里にうかれゆきけるに」〈浮・常々草〉

げん【玄】[漢字項目]

[常用漢字] [音]ゲン(呉) [訓]くろ くろい
赤または黄を帯びた黒色。「玄黄・玄米」
奥深くて暗い。「玄関・玄室・玄妙/幽玄」
奥深い道理。「玄学」
はるかに遠い。「玄孫」
[名のり]しず・しずか・つね・とお・とら・のり・はじめ・はる・はるか・ひかる・ひろ・ふか・ふかし
[難読]玄鳥(つばくらめ)・玄孫(やしゃご)

出典 小学館デジタル大辞泉

  何年前、はたまた何十年前か思い出せませんが、最初は、つがいのツバメが、せっせと泥や藁くずを運んできて、見事な巣を作り上げました。同じペアなのか、またはその子孫たちなのか、その次の年、また次の年と、同じ巣をリフォームして雛をかえし、そろって飛び立っていって、季節が巡ります。
どういう訳か、少し別の位置に新しい巣を作って、子育てした年もあります。その翌年、どちらの巣を利用するかは、気まぐれのようにランダムで、はっきりし理由がわかりません。いつの頃からか、我が家の屋根に居住するらしいスズメが、ツバメの巣に悪戯を仕掛けることが多区なりました。枯れ草や羽毛、ぼろ屑といった、巣材様のものをつめ込むことが多いので、自分の巣として利用するためかと最初は思っていましたが、どうやらそれだけでは説明しきれない動機があるようにも思えます。   
これでは、自分だって入れませんから,嫌がらせとしか思えません。

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  また、クチバシで、巣の土をかじるのでしょうか、大きな穴をあけて、ツバメが新しい泥で補修してリニューアルする気力も萎えてしまうような意地悪もします。それが元で、修復を断念した巣の跡もあります。
そのようなわけで、我が家の玄関軒下には、新旧あわせて三つほどの巣(や巣の痕跡)があり、今年のツバメは、大幅修復により、ほとんど新築に近い立派な巣をこしらえ、今期二度目の巣ごもりが終わろうとしています。


6月30日(火)


退職同業者の会、の集まりの場に、印刷会社から刷り上がったばかりの冊子が届きました。私も係の一人として編集に携わっていた「結成40周年記念誌」です。肩の荷を自覚しはじめたのはかなり前ですが、具体的には昨年の秋頃から着手し、ようやく完成したものです。感慨もひとしおですが、いざ終わってしまうと、いささかの不飽和感・未達成感も残ります。


7月1日(水)


晴れました。


教育相談のボランティア。妻が友人と約束をしたというので、後楽園まで送り、県立図書館に車を駐めて、事務所まで歩きます(二十分弱)。暑さはさほどでもありませんが湿度が高く、梅雨を感じます。


7月2日(木)


晴れたので、郷里に草刈りに帰ってきました。我が家を出発したのは午前6時前.途中通勤渋滞の影響もあって到着したのは8時頃でしたが、ご近所の土地(空き家の庭や非耕作農地)を、シルバー人材センターの数人の人たちが草刈り剪定の作業を始めていました。その一人は小学校の同級生のN君でした。


以前この記事でも紹介したことがありました。


喪失と復元、そして出逢い、の巻(2019-11-03)


一昨日は、郷里に帰って少々畑仕事をしたのですが、奇遇とも言える出逢いがありました。

(その2)お隣の家の草刈りを委託されて、シルバー人材センターの方が数人作業に来られていました。そのうちの1人が、近づいてきて挨拶をされます。何と、幼なじみの同級生N君でした。世間は狭いものです。


まずまずの作業日和でした。私は早々に切り上げたのですが、シルバーの人たちは弁当を挟んで午後も作業をしておられました。壮健なこと。


この日のツバメ。


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7月3日(金)


年金者組合地元支部の集まりがありました。朝方、短時間、畑の草取りをしましたが、すぐに雨が強くなりました。


ヒマワリが咲きました。


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種ができたら、ハムスターの餌にする計画です。


スイカも、少しずつ太ってきています.毎年のことながら、適切な収穫時期がわかりません。


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7月4日(土)


自然環境体験公園へ行ってみました。


ムクゲが満開です。


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ハクセキレイ。


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7月5日(日)


今日のツバメです。


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東京都知事は、小池氏が再選、だそうです。まだ幻想が消えないのでしょうか?


今日はこれにて。


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故きを温めて,の巻 [日録]

故きを温めています。四年前の拙ブログにこんな記事を書きました。


気になる都知事選、の巻(2016-07-23)


都知事選挙の行方が注目されます。東京都という一自治体のみならず、日本の進路を左右する大事な政治戦であることはまちがいないないでしょう。

先日の参院選挙は、徹底した「選挙隠し」(こんな言葉初めて聞きましたが)「争点隠し」の挙げ句、与党とそのお友達勢力がまんまと議席をせしめました。すると、途端に、「改憲勢力が2/3を確保」の大見出しが踊り、隠れていた「争点」が白日にさらされました。その印象さめやらぬうちの都知事選ですから、当然、アベ政治とその追随勢力にたいする鋭い審判の機会にならねばならないし、なるはずです。そうしたもとで、市民と野党が行きがかりやしがらみを超えて、統一候補を掲げて闘うのは、画期的な歴史事件です。
それだけに、これまで猪瀨、桝添と、自ら押し立ててきた知事が2代続けてカネの問題で辞任に追い込まれた自公勢力は、危機感をつのらせ、公認候補と造反候補の「争い」を演出しながら、保守票・浮動票の取り込みに躍起であるようです。
でも、公認候補の増田寛也サンは、岩手県知事時代、1年間で171回も国内外に出張(ファーストクラス利用)、2013年8月には、南北アメリカ訪問で、16日間の渡航と宿泊費383万円。総務相当時には赤坂の高層マンションを約2億円で購入、在任期間中に不動産取引を行うことの自粛を求める大臣規範違反が指摘されています。また、公示日直前まで「東電」の社外取締役を務めるなど、どっぷりと「原子力ムラ」に身をおいてきた御仁。決してクリーンでも有能でもないらしい。
一方、小池百合子サン。「がけから飛び降りる覚悟で」知事選に出馬し、自民都連にいじめられながらも叛旗をひるがえす“平成のジャンヌダルク”を演じていますが、カネには汚いらしい。代表を務める「自民党東京都第十選挙区支部」の政治資金収支報告が話題になっています。それより何より、超タカ派集団「日本会議」の「国会議員懇談会」の重要メンバーとして、改憲策動の先頭に立ってきた人物で、アベ内閣による集団的自衛権容認よりも10年以上前から、「集団的自衛権の解釈変更は国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」(『Voice』2003年4月号)と豪語したり、小泉内閣で環境相時代には「日本の核武装構想について」、「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答(03年11月衆院選候補者アンケート)するなど、異常なタカ派ぶりを発揮してきた人物です。
ネット上に、こんな記事がありました。
【東京都知事選】鳥越氏に対する「病み上がり」発言の小池百合子氏、沖縄選出の国会議員に「日本語読めるんですか?」と差別的やじ!〜生活の党・玉城デニー議員に真相を直撃インタビュー!2016.7.20
一部を引用します。

 2013年11月26日、玉城氏は特定秘密保護法が強行採決された直前に開かれた、衆議院国家安全保障に関する特別委員会で質疑に立った。発言中、 議員席に座る小池氏から「日本語読めるんですか、日本語分かるんですか」というヤジが飛んだという。玉城氏は沖縄出身。ウチナンチューの日本人とアメリカ 人の両親を持つ、いわゆる「ハーフ」だ。小池氏のそのヤジは、玉城氏の出自をからかった、明らかな差別発言である。国会でそうした差別的な中傷を浴びたの は、後にも先にも、小池氏からだけだったと玉城氏は語っている。
小池氏は日本最大の右翼団体「日本会議」の「国会議員懇談会」の副会長も務めてきた。大臣在任時には終戦の日に合わせ、靖国神社へ参拝した。さら には、2009年の衆院選では、自公だけではなく幸福実現党とも手を取り合い、選挙戦を闘い、選挙区では落選したが、比例区で復活当選した。2010年に は、在特会(在日特権を許さない市民の会)の「女性部」で講演した過去もある。
「右に偏っている人はどうしても差別的な発言をする傾向が強い」。玉城議員のこの見立てにまさに当てはまるのが、今、都知事選でトップ争いを展開している、小池百合子氏本人なのである。

どちらに転んでも、このお二人、二代続いた政治とカネの問題を解決して、都民本意の清潔な政治を実現することなど、とうてい期待できないばかりか、アベ強権政治と結託してこれまで以上に都民を、そしてひいては国民全体を危うい道に導く選択であることは大差ありません。
すると心ある都民の選択肢は、鳥越さん以外に考えられない!はずですが、それを許したくないのが権力というものらしいです。


選挙結果を受けての感想はこちら。


三十年近くも前の夏の文(8月に寄せた学級通信1)(2016-08-04)


当選者確定後の東京都都知事選挙について、なかなか感想がまとまりません。

そんなとき、so-netブログの「お仲間」(と勝手に呼んで失礼かもしれませんが)五十嵐仁様のブログに、こんな記事

(8月3日(水) 東京都知事選挙はどのような視点から総括されるべきか )がありました。

たまたま、さきしなのてるりん様も昨日の記事に書いておられました。

2016-08-03 都知事選の結果のまとめ方 五十嵐仁氏のブログに同感 [雑感]

てるりん様の「全く同感」に、全く同感です。

五十嵐氏は

都知事選挙の結果について、ネットなどで様々な意見や総括が飛び交っています。とりわけ野党共闘と市民が擁立した鳥越さんが直前の参院選で得た野党各党の合計票を大きく下回ったために、陣営内部での対立や紛糾が生じているように見えます。
選挙の総括をめぐって事実認識や見解の相違が生ずるのはやむを得ないことですが、それが対立や分裂を生むことになっては困ります。この点を憂慮しつつ、都知事選挙はどのような視点から総括されるべきかについて、私見を述べさせていただきます。

と、3点にわたって「私見」を述べておられます。
全文をご紹介したいところですが、まとめの部分のみ、少々引用させて戴きます。

しかし、鳥越さんは立候補するべきではなかった、野党は共闘するべきではなかった、宇都宮さんは辞退するべきではなかったなどという後ろ向きの意見には賛成できません。そのどれ一つが欠けても有力候補の一角を占めることはできなかったでしょうし、当選できると信じて選挙戦を戦うことは難しかったでしょう。
革新都政の奪還は「夢」に終わりましたが、その「夢」を見せてくれたのは立候補を決断した鳥越さんであり、それを支援した野党と市民の共同であり、分裂を回避するための宇都宮さんの苦渋の決断でした。そのどれ一つが欠けても、「夢」を見ることは不可能だったのではないでしょうか。
(中略)
選挙の総括によって教訓を引き出すことは必要ですが、それはあくまでも団結を強めて前進し勝利するためのものでなければなりません。分裂を引き起こして後退するようなことになれば、選挙での敗北に加えてさらにもう一度敗北することになります。
選挙が終わっても、都民の手によって都民の手にクリーンな都政を取り戻すための闘いは続きます。選挙の総括はこのような闘いの一環であり、次に勝つための条件を探りそれを生み出すための作業でもあるということを忘れないようにしたいものです。


あれからもう4年が経ったのですね。そして、6月18日告示7月5日投票で、都知事選がはじまりました。五十嵐仁氏の最近のブログ記事を,またまた引用させていただきます。


6月18日(金) 都知事選での反貧困人権派弁護士への支持を訴える


東京都知事選挙(7月5日投開票)が告示されました。コロナ禍が吹き荒れ安倍政権が末期症状を呈する下での首都での政治決戦が始まったのです。
この選挙で、反貧困人権派弁護士への支持を呼びかけます。首都・東京での政治決戦で、宇都宮健児さんが当選すれば、命と暮らし、都民の生存権を守れる新たな都政を実現することができるからです。
この選挙では、自民・公明の実質的な支援を受ける現職の小池百合子候補に対し、立憲民主・共産・社民などが支援する元日弁連会長の宇都宮健児さんをはじめ、れいわ新選組代表の山本太郎、日本維新の会推薦の元熊本県副知事小野泰輔などの候補が挑戦しています。野党支持の有権者からすれば、誰に入れたらよいのか判断に迷うところかもしれません。
私は当初から宇都宮さんを支援しており、選挙の構図が固まった今も変わらず宇都宮さんを応援しています。それは4年前の八王子市長選挙で3度も応援していただいた義理があるからですが、もちろんそれだけではありません。
知名度が高く大衆的な人気があるという理由で地方自治体の知事を選んできたことがどれほどの誤りであったのかは、石原・猪瀬・舛添・小池と続いた不毛な都政が証明しているからです。サラ金の被害者救済や貧困の解決のために力を尽くし、落選した後も都議会を傍聴するなど都政とのかかわりを持ち続けてきた真面目さと地道に取り組む「地味さ」こそが宇都宮さんの良さであり、きらびやかなパフォーマンスを繰り広げる現職知事とは対極にあると思うからです。
特定の政党からではなく、市民と野党の支援を得ている候補者も宇都宮さんだけです。維新に推薦されている前熊本県副知事の小野さんは「野党系」とは言い難く、おそらく都議会自民党からも支持が流れるのではないでしょうか。
れいわの山本さんは明らかな「野党系」で、条件さえそろえば野党共闘の候補者になれる人でした。それだけに今回の「後出しジャンケン」のような突然の立候補は、野党共闘にとってもれいわや山本さんにとっても、決してプラスにならない残念な対応だと言わざるを得ません。
もちろん、立候補する権利は誰にでもありますから、それ自体を批判することはできませんが、それがどのような意味を持つのか、誰にとって有利になるのかを政治的に判断して行動するのが、あるべき政治家の姿ではないでしょうか。(中略) 市民と野党の共闘を拒んで立候補したことも、「自分ならそれでも当選できる」という自惚れが垣間見えます。総選挙に向けて市民と野党との共闘を発展させようとの配慮はなかったのでしょうか。(中略)
また、前から指摘されているように、地球温暖化対策として原発廃止後のエネルギーを火力発電で調達するなど、疑問をもたれる点があります。華やかであってもリアリティーに欠ける公約という点では小池さんの方が上手ですが、他の候補者にも共通する問題です。
この点でも宇都宮さんは一味違っており、派手でなくても地に足の着いた実現可能な公約を打ち出しています。政策面でも「地味さ」は武器だと言って良いでしょう。
コロナ禍の下で、大型公共事業や開発優先ではなく、命とくらしを守ることが中心的な争点に浮上しました。「自粛から自衛へ」と言って自治体トップとしての責任を放棄してしまった現職知事を取り換え、マトモな知事を選ぶことこそが最適・最善の「自衛」ではないでしょうか。
今日から始まる都知事選挙で、都民の皆さんが誤りのない選択をされることを願ってやみません。その結果次第では、黄昏迫る安倍政権の前途や来るべき総選挙も大きな影響を受けることになるでしょうから。


昨日でしたか、テレビで、宇都宮さんへの取材をチラリと見ました。このポスターは4年前に準備したもの。やっと日の目を見ましたと、磊落に笑っておられました。そうでした。4年前は、市民と野党の共闘による鳥越候補擁立のために、出馬辞退を「苦渋の決断」なさったのでした。宇都宮さんの都知事選出馬は、2012、14年に続いて3回目。地味だけれども節を曲げぬ強靱な意志。敵に回すと怖い存在だが、庶民にとっては心強い味方です。7月5日には,首都東京の真の梅雨明けを期待したいものです。


故きを温めついでに、例によって後書き日記です。


6月18日(木)は,かなり激しい雨。私の所属する年金者組合地元支部の集まりがありました。新型コロナの影響でしばらくぶりの集まりでした。


6月19日(金)も雨。


郵便局で用を足した後、雨の自然環境体験公園を歩いてみました。


オリンパスE-420にZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro をつけて歩きました。パソコンに取り込んでみると、古い画像も未処理のままCFカードに残っていました。


小四の女児が写したハムスターの肖像です。


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自然環境体験公園のアジサイ。雨に濡れて、季節感がぴったりです。


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ビヨウヤナギ。


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水玉を宿したネムの花。


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雨の日散歩に対応して、fuji finepixs1も持って出ていました。


広角側でネムノキの全景を写しておきました。


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路上に赤い実が散らばっています。


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ヤマモモが熟す季節です。


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ヤマモモの木にメジロの群れが集まっていました。


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コゲラが、雨の中、木をつついていました。


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ホタルガ。


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「五十音」 北原白秋


水馬赤いな。ア、イ、ウ、エ、オ。
(あめんぼ あかいな アイウエオ)


と白秋は歌いましたが、そんなに赤いですかね?


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またまた、故きを温めますと、こんな記事を書いたことがありました。


三題噺のつづきの巻(2014-08-02)


(2007年暮れの脳動脈瘤手術の後のリハビリでは)発声練習定番の『あめんぼの歌』(北原白秋)や、『お祭り』(同じく北原白秋)には、お世話になりました。

『あめんぼの歌』
水馬赤いなあいうえお   
あめんぼあかいなあいうえお

浮藻に小蝦も泳いでる   
うきもにこえびもおよいでる

柿の木栗の木かきくけこ   
かきのきくりのきかきくけこ

啄木鳥こつこつ枯れ欅   
きつつきこつこつかれけやき

大角豆に酢をかけさしすせそ  
ささげにすをかけさしすせそ

その魚浅瀬で刺しました   
そのうをあさせでさしました

立ちましょ喇叭でたちつてと   
たちましょらっぱでたちつてと

トテトテタッタと飛び立った   
とてとてたったととびたった

蛞蝓のろのろなにぬねの  
なめくじのろのろなにぬねの

納戸にぬめってなにねばる   
なんどにぬめってなにねばる

鳩ポッポほろほろはひふへほ   
はとぽっぽほろほろはひふへほ

日向のお部屋にゃ笛を吹く   
ひなたのおへやにゃふえをふく

蝸牛ネジ巻まみむめも   
まいまいねじまきまみむめも

梅の実落ちても見もしまい   
うめのみおちてもみもしまい

焼栗ゆで栗やいゆえよ   
やきぐりゆでぐりやいゆえよ

山田に灯のつくよいの家  
やまだにひのつくよいのいえ

雷鳥寒かろらりるれろ   
らいちょうさむかろらりるれろ

蓮花が咲いたら瑠璃の鳥   
れんげがさいたらるりのとり

わいわいわっしょいわゐうゑを   
わいわいわっしょいわゐうゑを

植木屋井戸換へお祭りだ   
うえきやいどがえおまつりだ

『お祭り』
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
祭だ 祭だ
背中に花笠
胸には腹掛
向ふ鉢巻 そろひの半被で
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
神輿だ 神輿だ
神輿のお練だ
山椒は粒でも ピリツと辛いぞ
これでも勇みの山王の氏子だ
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
眞赤だ 眞赤だ 夕焼小焼だ
しつかり擔だ
明日も天氣だ
そら 揉め 揉め 揉め
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
俺らの神輿だ 死んでも離すな
泣蟲やすつ飛べ 差上げて廻した
揉め 揉め 揉め 揉め
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
廻すぞ 廻すぞ
金魚屋も逃げろ 鬼灯屋も逃げろ
ぶつかつたつても知らぬぞ
そら退け 退け 退け
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
子供の祭だ 祭だ 祭だ
提灯點けろ
御神燈献げろ
十五夜お月樣まんまるだ
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
あの聲何處だ
あの笛何だ
あつちも祭だ こつちも祭だ
そら 揉め 揉め 揉め
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
祭だ 祭だ
山王の祭だ 子供の祭だ
お月樣紅いぞ 御神燈も紅いぞ
そら 揉め 揉め 揉め
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい
わつしよい わつしよい


今日(6月20日)の日記は、次回送りと致します。今日はここまで。


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